※前記事
宮下文書における瀬織津姫の正体①瀬織津姫の意味とは? - セキホツ熊の謎を追え!
宮下文書における瀬織津姫の正体②瀬織津姫の比定候補 - セキホツ熊の謎を追え!
2019,3,16
もともと瀬織津姫に比定されている神の存在。
〇アマテラス荒魂
ホツマツタヱ『日の神十二妃の文』によると。
サホコ邦マナイにてトヨケ(豊受)が神上がり、ワカヒト(アマテラス)がマナイ行幸で留守のとき。ムカツ姫が代理采配?『ことのりし』をしていた。つまり瀬織津姫はアマテラス不在の際の名代であり、最高権力者代理となっていた。
大阪市中央区淡路町にある『御霊神社』の由緒書によると、アマテラス荒魂=瀬織津姫である。もともとホツマツタヱの瀬織津姫という存在が、女神アマテラスの要素を内包していた。ホツマツタヱベースでは瀬織津姫で、記紀ベースでは分離修正されたアマテラスである。
長い歴史のなかでごちゃ混ぜにされたわけだ。人々は瀬織津姫をアマテラスとして拝み、アマテラスを瀬織津姫として拝んだ…。その痕跡を辿ったとて、すべての人が納得いく答えはないわけで、今は定義的には『区別はできない…』が正解なのかもしれない。
また宮下文書独自の記載であるのだが。クニトコタチ孫・マゴコロタケル夫妻が早世している。取り残された一人息子アメノオシホミミを、従兄妹であるアマテラスが後継に向かえ、即ちアマテラスの未婚の養子となる訳だ。瀬織津姫とはこのアマテラスの持つ、プライベートな母性的側面なのではないかとも思えてくる…。
〇撞賢木厳御魂天疎向津姫命
瀬織津姫として有名な向津姫、これもアマテラス荒魂と同義ではないかと。
ホツマツタヱでの瀬織津姫の立后シーン。
『あまさがるひに むかつひめ ついにいれます うちやみに』
天下がる日に向かう『月』に准えて、ムカツ姫と呼ばれるようになった。そして最も性格が素直で教養があり、優雅であったことから、アマテル(男神)の中宮となったという。ホツマツタヱによると、兵庫県神戸市灘区六甲山町にある六甲比女神社(廣田神社奥宮)では瀬織津姫が祀られている。六甲山のことを、かつては『ムカツ峰』と呼んでいたらしい。
奈良県桜井市の横内神社では『撞賢木厳御魂』『天疎向津姫命』と男女二柱に分離されている。この辺は全く謎であるが…。
因みに『撞賢木厳御魂』は悪口の意味もあるという。『小賢しい天災ばかり起こしやがる御霊』くらいの意味合い、いわゆる呪詛だ。『天疎』は天皇政治に逆らうこと、つまり歴代天皇が災害という『祟り』を恐れていたことがわかる。ではこれを二柱の神に分けて祭祀した、神社の思惑とはなにか?。前半の悪口部分を別神にし、純粋に天疎ムカツ姫を祀りたい、神社側の細やかな抵抗なのかな?と...(妄想)。
一説には厳(いつ)=伊豆(いず)の意味もあるとすると、三嶋神カモサワヒメや伊豆大神イワナガヒメの可能性もある。撞(つき)=月を意味するなら月桜田毘女であろう。以上から察すると、前述のとおり広義に『富士朝女神』を指しているのではないかとも想像できる。
※因みに各書の名称はちがう。
・天疎日向津比売身光天津日嗣天日天皇(竹内文書)。
・撞賢木厳之大御霊天栄日向方姫(ウエツフミ)
・撞賢木厳之大御霊天疎日御像日女(ウエツフミ)。
・天照大御神・大市毘女尊・大日留女尊=オオヒルメ(宮下文書)
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〇アメノホヒとの関係。
ホツマツタヱによると。アマテルの第一王子アメノホヒは、九頭竜モチコの息子。しかしモチコがアマテルの元を離れてからは、瀬織津姫が養母となり彼を育てた。前述した、兵庫県神戸市の六甲山(ムカツ峰)周辺には、アメノホヒ磐座がある。瀬織津姫とアメノホヒとの関係を演出しているようにも見える。アメノホヒは中国地方出雲側につき、アマテル側の復命を拒んだ。そのまま出雲の祖神となってしまう。
宮下文書においては、残念ながら瀬織津姫もアメノホヒも登場しない。ただ神武東征の主敵は、中国地方を拠点にしていた渡来系・禍津亘理命だった。ホツマツタヱでは、九頭竜モチコの出身地で荒廃の国を描いている。アメノホヒ勢力の実体は不明だが、渡来系出雲勢力と関係していたのかもしれない。彼ら子孫はその後、一部武蔵国にも流れ国造となった。
※後記。アメノホヒの訂正記事。アメノホヒ勢力の正体わかった↓。
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〇オオマガツヒ、ヤソマガツヒ関係神。
Wikipediaによると、本居宣長が禍津日神=瀬織津姫とした。また伊勢神宮内宮・荒祭宮祭神別名を瀬織津姫=八十禍津日神としている。石川県金沢市『瀬織津姫神社』のご祭神が『大禍津日神』であることなどから、瀬織津姫=大禍津日神という説がある。しかし、ウエツフミには、越の国でナガスネヒコ祖先のマガツヒが、悪さをしていたことが記載されてある。こうなると直接的な瀬織津姫の由来ではないようにも思う。
宮下文書におけるマガツヒの意味するところは、実に単純明快、渡来系の朝敵である禍津亘理彦命の事に限定されている。宮下文書とウエツフミ共通点は、禍津亘理彦命=新羅系渡来人。特にウエツフミでは禍津亘理彦命=八十禍津日の子孫とされる。
このマガツヒも長年にわたり、瀬織津姫と混同されたものと推測する。今現在、全国神社にて祀られているマガツヒが瀬織津姫なのか、禍津亘理彦命なのかは、もはや判断できないであろう。もしかしたら、瀬織津姫がマガツヒとして祀られている神社もあるかもしれないが、その時代時代の権力者からみて都合の悪い存在を混同させたのであろう。
※因みに。山梨県甲州市・神部神社。『祓戸ノ九神』一柱として八十禍津日神が祀られている。宮下文書中の神部神社解釈は、諸説あるようだ。
〇瀬織津彦
全く謎の人物。
・ウエツフミによると31代ウガヤ王・タチバナ妃のときに瀬織津彦の子孫である雄勝彦が陸奥で反乱を起こしたとのこと…。宮下文書比定では28代と29代ウガヤ王の代、東北と東国にて盗賊あるいは大賊が蜂起したらしいが…。瀬織津彦???。
実在する人物なのか?、それとも東北の瀬織津姫伝承と関係があるのだろうか?。ネーミングだけが瀬織津姫の参考にされた可能性ある。
・また瀬織津彦は、島根県多古鼻『津上神社』の御祭神でもあるそうだ。興味深いが、詳細不明。
〇瀬胡津姫
宮下文書に登場。
コノハナサクヤの産み残した三皇子である火照須命の妃。祖家(後の蘇我氏)の左臣・天太玉命の三女。諱は大住玉毘女命、火照須命同様に可愛山?の中腹に埋葬された。特に記載なし、単に名前が似ているので触れておく。
~まとめ~
そもそも神様ありきで考えれば、人間たちが便宜上、勝手に神名を付けているだけかもしれないし、実際は名前すら知られていない神々も多くいるのだろう。その土地に祀られている神々の意味を考え、日々信仰と感謝を出来ていれば神様の側から良きに計らってくれよう。
問題ないと思われる…(笑)。
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