2019,3,18
加茂澤毘女命とは誰か。
皆さんカモサワヒメをご存知だろうか?。実際、この祭神名で神社に祀られていることはもう無いようにも思うし、もはや宮下文書オリジナルの名称になってしまったようだ。
~カモサワヒメとは~
・コトシロヌシとタカテルヒメ(大国主妹)の娘。
・オオヤマツミの妃。
・コノハナサクヤとイワナガヒメの母。
・ニニギの義母。ヒコホホデミの外祖母。
・諡は『別雷命』『寒川比女命』
・イヅノメ?
・『三嶋溝樴姫?』『玉櫛媛?』、玉櫛媛は賀茂別雷命の母なので、疑問が残る。
・記紀によるとオオヤマツミ妃は『カヤノヒメ』『ノヅチ』『クサノオヤカヤノヒメ』
・神名帳考証・神名帳注釈。寒川神社祭神『澤女神(ナキサワメ)』
宮下文書に登場するのは、神代のニニギ『外寇親征の役』の時代。
ニニギとコノハナサクヤは、大陸人の侵攻を阻止すべく、富士高天原より九州・四国地方へ出陣した。この時、コノハナサクヤは未だ十代(10歳?)で、因みに『木の花』というのは少女神という意味らしい。
これを父オオヤマツミ(24歳?)と母カモサワヒメ(46歳?)は心配をして、西国戦地に追いかけてしまうのだ。二柱は彼女を追って富士高天原を出て、伊豆浜に出るものの、ここでカモサワヒメが体調崩し急死してしまう。こうして御世の静岡県三島市三島大社付近に、諡『別雷命』として陵墓ができ埋葬されることになった。
その後も父オオヤマツミは戦地の娘を追って、遥々南島『愛媛』までやってくる。そこで父娘再会するも、妻を失った悲しみから衰弱死してしまう。
最後は『私は三島へ行くよ』と遺言して亡くなり、この『行くよ』が現在の『伊予(いよ)』の地名の語源、さらに『伊予一宮・大山祇神社』(愛媛県今治市大三島町)の由来であろう。
一般的には、賀茂氏祖の賀茂建角身命の娘『玉櫛姫』や『三嶋溝杙姫』に比定されるとみるが、すべてが一致しているわけではない。『玉櫛姫』の御子が賀茂別雷命の母なので、断じて同神とは言えない。そもそも一般的に、賀茂別雷命自体が男神イメージとされており、ニニギともアジスキタカヒコネとも言われており、現在の京都市北区『賀茂別雷神社』には、オリジナル別雷命が祀られているのか断言できない。父神コトシロヌシ同様、天神系賀茂氏が地祇系賀茂氏に改造された歴史が垣間見られる。
~カモサワヒメを祀ると思われる神社(個人的推側)~
・東京都台東区下谷『三島神社』身島姫神。ご家族揃い祀る奇跡的な神社。
・東京都府中市清水が丘『瀧神社』賀茂別雷命。
・東京都西多摩郡奥多摩町『小河内神社』加茂別霊神(おそらく別雷神。神社庁誤植とみる)
・東京都青梅市日向和田『和田乃神社』、俗社号『三島様』、オオヤマツミ妃カヤノヒメ。
・神奈川県高座郡寒川町『寒川神社』寒川比女命。
・茨城県桜川市加茂部『鴨大神御子神主玉神社』別雷神。
・茨城県つくば市上郷『金村別雷神社』ホツマ版・ニハリ宮ニニギの可能性もある。
・静岡県田方郡大仁町『賀茂神社』別雷命。
・静岡県田方郡韮山町『賀茂川神社』別雷命。
・静岡県伊豆の国市田京『廣瀬神社』三嶋溝樴姫。
・長野県安曇野市堀金三田『賀茂神社』別雷命。
・新潟県佐渡市栗野江『加茂神社』別雷命。加茂次郎義綱の配流地。
・秋田県大仙市花館『伊豆山神社』泣澤女神。
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加茂澤毘女、三嶋にいられなくなる?。
その後、コノハナサクヤが夫ニニギと妊娠をめぐり大喧嘩、後追い自殺してしまう。古史古伝書研究家・佐治芳彦氏によると、コノハナサクヤが敵の捕虜となり、貞操が奪われたとニニギに誤解されたらしい。彼女が富士朝にもどり富士山火口に身を投げると、たちまち大噴火したという。これが宮下文書に記載されている富士溶岩流『神代満流尾』で、富士山火口から噴出した溶岩流はまるで母親を探し求める如く、カモサワヒメ陵墓近くに流れ止まったという。
この時代、三島平野部に駿河湾内海がかなり入り込んでいたようだが、三嶋大社の位置はあまり変わらないとみる。この三島溶岩は地質的に実に1万4千年以上前のもの。科学的なボーリング調査などで判明したという。しかし…。つまり…宮下文書のニニギやコノハナサクヤは1万4千年以上前の人物ということか?。
現在も静岡県三島市『二宮浅間神社』境内には、溶岩流の痕跡『縄状溶岩』がみられ、コノハナサクヤが足蹴りで溶岩流を留めたという足跡もある(下写真)。三島の市街地に行けば、あちらこちらに溶岩がゴロゴロしているのがわかる。
こうしてニニギ『外寇親征の役』終戦後、オオヤマツミとカモサワヒメ夫妻が仲良く祀られる事となった。これが現在の伊豆国総社・三嶋大社の原型である。その後、恐らく12代景行天皇の時代までに強制的な御祭神変更があった模様、これは天神系賀茂氏の衰退とも関係がありそうだ。カモサワヒメの父神コトシロヌシを、地祇系賀茂氏(三輪氏)に取られてしまったのだ。そして富士朝神々の家系図自体を改竄されていく。
諸説あるであろうが…三嶋大社からカモサワヒメが消された最大の理由は、やはり富士朝潰しが根底にあると見ていい。現在の御祭神は、彼女の父親『コトシロヌシ』と夫『オオヤマツミ』となる。
現在もカモサワヒメが、三嶋大社境内に祀られているかは不明…。
ああ、そういえば三嶋大社北側、本殿裏には禁足地の森があったが…。
加茂澤毘女は伊豆をさすらい続ける。
伊豆にはもう一つ、パラレルワールド的な三嶋神伝説がある。それが三嶋大社遷座説だ。静岡縣田方誌などによると、下地図のように静岡県下田市から静岡県三島市へ北上遷座する。
~三嶋神遷座伝承・順序~
①伊古奈比咩命神社(上写真)
②広瀬神社 (次写真)
③三嶋大社
三嶋大社はもともと伊豆下田付近(賀茂郡)の火達山(ひたちやま)遺跡付近にあったという。それが自称・伊豆最古を主張する『伊古奈比咩命神社』(上写真)だ。
〇『伊古奈比咩命神社』(静岡県下田市白浜)
~御祭神~
・『伊古奈比咩命』
~境内社~
・見目弁財天社他
・二十六社神社『瀬織津姫』他
Wikipediaによると三嶋神=伊古奈比咩とする説があるが、加茂澤毘女=伊古奈比咩という確証はない。伊豆には伊豆地域限定の御祭神が多く、これらも富士王朝隠蔽の後遺症なのであろうか?。伊豆以外みられない特有の神々であり他地域と比較も出来ない、それゆえ資料も少なく研究も進まない。伊豆全体が神道神話体系の、ガラパゴス諸島のような隔絶された聖地である。
その中でも、伝説のキーワードは三嶋神の『子』と『妃』の繋がりである。伊古奈比咩は三嶋神の『后』。カモサワヒメも三嶋神オオヤマツミの妃。
三嶋神をコトシロヌシとオオヤマツミの『義理親子コンビ』と定義すると。カモサワヒメの立場は『妃』にも『娘』なるわけだ。いろいろな意味で、これは都合の良い言い訳にもなる(笑)。あくまで三嶋大社の本懐はカモサワヒメ、謎の女神をを攪乱しながら祀り続け、おまけにオオヤマツミの『娘』イワナガヒメ=伊豆大神も隠匿しつつ祀ることができる...。考えようによれば便利なシステムだ。
三嶋渡来系伝承は、神津島や大島など伊豆諸島広域にまで広がり、天竺から海洋民族が漂着融合した可能性も捨てきれないという。下田白浜や初島はじめ伊豆半島には漂流者伝説が結構ある。
ただこれらの伝承の根底には、鎌倉時代後期に成立した『三宅記』がベースにあるといわれている。おそらくは北条得宗家が三浦氏(宮下家)の影響を排除しようと、神仏習合的に作成された偽の神話であろう。因みに宮下文書によると。平安後期には、『三宅島』とは『宮下(みやけ)島』と呼称されていた。宮下家出身の『深巣二郎清国』なる人物が『鎮西八郎為朝』と共に配流されたことに起因する。そもそも、伊豆諸島の歴史自体が改竄されていると考える。
伊豆国三嶋神御子と『海からきた者たち』の正体、ヒントは来宮神『五十猛命』とワダツミの木にあった。 - セキホツ熊の謎を追え!
その後、伊古奈毘咩神社の三嶋神は、伊豆の国市田京『廣瀬神社』(上写真)に遷座。
〇『廣瀬神社』(静岡県伊豆の国市田京)
~御神祭~
・『三嶋溝杙姫命』、他・不詳二柱。
田方神社誌によると、そのほかに大仁町の神明神社アマテラスと、浅間神社コノハナサクヤを合祀されているようだ。
静岡縣田方誌によると。神階帳従一位、かつては『廣瀬の明神』『中豆の大社』『福澤大明神』と呼ばれ、寛永年間以降は『深澤』と呼ばれたとのこと。昔時は禰宜36人、供僧6坊を置き、隆昌を極めるも、天正18年の韮山城攻撃の際に焼失。
その後明治44年、崇高荘麗を極めた社殿を造営し、かつての域内末社には見目神社・大楠神社・小楠神社・若宮神社・厳島神社・稲荷神社・祖霊社・龍爪社があった。現在は本殿裏に祖霊社のみがあるが、もしかしたらこの祖霊社にカモサワヒメが祀られているのかもしれない…(想像)。
神社最大の特徴としては、若干の『下り宮』である点が挙げられる。
伊豆白浜から北上してきた三嶋神は、最終的に三嶋大社(下写真)に到着することになる。矢田部氏系図などによると、729~749年天平年間に三嶋神を伊古奈比咩神社から三嶋大社に遷座させたという。その後、平安後期の治承四年(1180)年までに三嶋大社と立場が逆転したとする。
〇『三嶋大社』(静岡県三島市大宮町)
~御祭神~
・『大山祇命』
・『積羽八重事代主神』
~摂社~
・若宮神社
・見目神社
・東五社
・西五社
・祓戸神社『瀬織津姫』ほか。
・厳島神社ほか
遷座が事実ならば、単純に伊古奈比め≒三嶋溝杙≒加茂沢毘女という変遷が浮き彫りとなる(確証はない)。
そして面白いことに三嶋大社・伊古奈比咩神社は摂社に瀬織津姫が祀られる。廣瀬神社にもかつては瀬織津姫が祀られていたとの説がある。私がカモサワヒメに、瀬織津姫のシルエットを感じる理由だ。この瀬織津姫もカモサワヒメを追いかける如く、ゆく先々遷座先にいるわけだ。
~瀬織津姫変遷順~
①伊古奈毘咩神社
②広瀬神社
③瀧川神社
まるでカモサワヒメに、瀬織津姫がトコトコついて回るようにも見える(笑)
②に続く。
※上地図の御祭神の紹介。
・富士山『コノハナサクヤ』
・大室山浅間神社『イワナガヒメ』
・楊原神社『オオヤマツミ・コノハナサクヤ・イワナガヒメ』
・大朝神社(楊原山宮?)『オオヒルメ』
・瀧川神社『瀬織津姫』
・廣瀬神社『三嶋溝杙姫命』
・伊古奈比咩神社『伊古奈比咩』
※フリー地図素材クラフトマップ使用。 写真は著者撮影のもの。