セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

藤原氏が蘇我氏春日神を祀る逆転現象。 そして武蔵国からフツヌシが消え行く謎②。

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富士王朝とウガヤ王朝の夏至レイライン。延長点?『井草八幡宮』。かつては春日神が主祭神として祀られていた

 

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2019,4,5

布留太神とはどういう神様なのか?

 

前記事の続き。

江戸期、武蔵総社大國魂神社の御祭神から春日神が消えた。

布留太神とは宮下文書比定、建雷命の『布都の神剣』だ。高天原(富士王朝)が神武天皇に授けた『世を司る』剣。一般的に知られているのは、大和国春日『石上神宮』に祀られている布都御魂大神・御神体=『布都御魂剣』である。

フツヌシは剣霊とも考えられている。古事記においてはフツヌシ=タケミカヅチの別称。宮下文書によるとタケミカヅチとフツヌシは東国統治の兄弟である。神武東征にフツヌシの剣が使用されたことは、古文書の共通認識のようだ。一般的にもタケミカヅチとフツヌシはペアで登場する傾向にある。

※因みに宮下文書では、タケミナカタ・タケミカヅチ・フツヌシは兄弟である。

 

 春日神アメノコヤネ・タケミカヅチ・フツヌシは混同されている。

武蔵国を統治していたのはスサノオでもオオクニヌシでもシタハルでもない。フツヌシである。ニニギの代にフツヌシとタケミカヅチの子孫一族を『東国一帯守護司頭長』に任命。神武天皇の代、フツヌシ52世孫の小夫・富佐地香取命を武佐志国造とした。ホツマツタエでもホツマ(関東・東海)はフツヌシの統治である。

武蔵国内を見てみると。富士高千穂峰レイライン上の杉並区『井草八幡宮』や武蔵一宮『小野神社』にも『春日神』は関係している。井草八幡宮では春日神が主祭神であったが、源頼朝による奥州藤原討伐時に八幡神に変更された。やはり藤原氏が祀っていた春日神では体裁がとれなかったのだろうか?。 

そして次回、後述するが小野神社の小野氏と蘇我氏の関係も見えてきた。

 

~春日四柱とは~

・武甕槌命

・経津主命

・天児屋根命

・比売神

 

つぎに下の家系図、宮下文書と比較してほしい。

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春日神は藤原氏系統ではなく、蘇我氏系統。それを春日和邇氏が祀っていた?。

宮下文書によると、アメノコヤネとタケミカヅチとフツヌシの共通点は軍神だ。モノノベ(武部)とは特定の氏族を指すものではなく、右大臣(軍を司る)の意味合い。先祖代々、家が継ぐので結果的に氏族を示す代名詞になる。ホツマツタヱの『剣臣』のような意味合いだ。物部氏と藤原氏は基本的には同祖。ただし、同じく大物主命を祖としている三輪氏は不明。複数の勢力がモノノベのブランドを乱用していた感がある。

しかし上記四柱は『春日神』としては混同されている。アメノコヤネは藤原系統。タケミカヅチとフツヌシは蘇我(祖家)系統。右臣と左臣の関係。一部婚姻関係もあるが、家系図的に別系統といってよいだろう。

一体なにが起こったのだろうか?。646年大化の改新前、藤原(中臣)氏が蘇我氏を滅ぼす。藤原氏が春日神を祀りだしたのが710年。御蓋山・春日大社創建が768年である。

そして古事記が712年、日本書紀が720年発行。

蘇我氏三代が、天皇家や藤原(中臣)氏にとっての脅威になったというのは教科書通りだと思う。しかし新興勢力『蘇我氏』が三代で終わったというのは怪しい…。この蘇我氏、想像以上に巨大勢力だった。有史以来、日本の根幹をなす政治一家『祖家(そが)』。立后し皇女を迎える裏天皇家と呼んでも過言ではない。どうやらこの蘇我氏の正当性を隠すために『欠史八代』は生まれたようなのだ。

③に続く。

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