セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

聖蹟桜ヶ丘・武蔵一宮小野神社の謎①ほのかに感じる桜の女神ホノコ様と春日族たち。


f:id:sekihotu:20190309141012j:plain

 

 2019,4,21

 宮下文書における、武蔵一宮『小野神社』考察

〇小野神社(東京都多摩市一ノ宮)

~御祭神~

・天下春命

・瀬織津比咩大神

・伊弉諾尊

・素戔嗚尊

・大己貴大神

・瓊瓊杵尊

・彦火火出見尊

・倉稲魂命

 

 

~摂社~

・伊勢神宮神

・事代主命(三嶋神)

・須佐之男命

・軻遇突智命

・日本足彦国押人命

・大足彦忍代別命(12代景行天皇)

・武甕槌命

・木花開耶姫命

・市杵嶋姫命

・鹽土老翁命

・水分神

<他>

秋葉神社?稲荷神社?

創建(伝)安寧天皇18年。

f:id:sekihotu:20190421141640j:plain

社伝によると3代安寧天皇18年(紀元前531年)の創建。宮下文書にて背景を調べてみると…。

『十三乙丑年(BC536年)二月、国賊の残党、大軍を興し奥の国々に乱入して、国造を殺し掠略を重ねた。陸奥は大いに乱れた。そこで天皇は、東国の軍将安房武正命、香取太良太命、鹿島武雄命、貫前政男命の四将に詔して、これを征討させた。四将悉く賊を東北海の大島に撃破された。

 とある。

あくまで推測だが、小野神社は、富士山~高千穂峰『夏至レイライン』上のその東征祈願、或いは東征鎮護のための神社だったのではないかとみる。実質、この役割は大國魂神社に移されてゆくのだが、この時代未だ大國魂神社は存在していない。

御祭神の性質や多さからみれば、単に多摩川の水神とは思えない。

f:id:sekihotu:20190330175744p:plain


f:id:sekihotu:20190421104914p:plain

 

和邇氏と小野氏と春日の地

宮下文書から推測するに、小野氏の祖、和邇氏祖は5代孝昭天皇と『世襲足媛命』の皇子、天足彦国押人命にあたる。世襲足媛命の父は『蘇我政吏命』、その名の通り蘇我氏である。宮下文書記載の『欠史八代』期間は、まだ富士朝と大和天皇勢力が密月であった頃の話で、この時代に既に蘇我氏がいたことになる。即ち、『皇兄家』スタートの和邇氏も、大きく見れば蘇我大伴氏系統(祖家)といっても過言ではないわけだ。

一般的にも和邇氏は、春日の地で『朱』原材料の採掘で名を馳せ、天皇家に多く立后させている有力氏族。しかしその後、春日の地で朱を取りつくしてしまい、地方へ分散せざる得なかったともいわれている。現在の武蔵一宮『小野神社』の社殿が朱色なのも、和邇氏を彷彿とさせ、境内摂社には『天足彦国押人命』が祀られている。

その後、和邇氏の部下であった中臣(藤原)氏が台頭。結果として藤原氏が蘇我氏を滅ぼし、和邇氏ら蘇我系統拠点である春日の地を奪った形だ。

<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった。中臣・物部・藤原編。 - セキホツ熊の謎を追え!

<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった②。中臣・蘇我・大伴編 - セキホツ熊の謎を追え!

 

f:id:sekihotu:20190330232708p:plain

そもそもアメノコヤネ以外の春日神、タケミカズチとフツヌシというのは蘇我系統の神。蘇我(祖家)子孫が祭事していた軍神の可能があり、春日大社は蘇我氏が滅んで以後の768年創建である。後世になり藤原氏が、藤原氏祖アメノコヤネと一緒に蘇我氏系統軍神を祀る逆転現象になるわけだ。

小野神社境内摂社にもタケミカヅチと鹽土老翁命が祀られているところを見ると、『あぁ宮下文書の解釈どおり、蘇我系統春日族なんだな…』と感じてしまう。因みに鹽土老翁命(=塩土老翁命)も蘇我氏系統である。タケミナカタ・タケミカヅチ・フツヌシの叔父にあたる。このように宮下文書的に考えると小野神社摂社は蘇我色が強いことに気づくのだ。

さらに下写真↓は、『若宮愛宕神社』(東京都日野市)境内『小野稲荷神社』にある由緒書。小野氏がなんで春日民族なのか?意味が理解できるとおもう。

横山氏は小野氏とは無縁という説もあるが、小野氏以前に蘇我系統という大きなバックボーンが既に、武蔵国を支配していたと考える。東国においての蘇我系統の役割は、はるかタケミカヅチやフツヌシの神代時代から、想像以上に大きかったのではないだろうか?。

f:id:sekihotu:20190331172201p:plain

小野氏には小野妹子・小野篁・小野小町・小野道風ら著名人がいる。また柿本人麻呂も春日氏庶流となる。前述した蘇我氏系統由来と見做される大和国春日『石上神宮』に彼の石碑がある。

 宮下文書に小野氏の活躍が僅かに記載されている。従四位上・小野道風は貞観12年(870年)、富士山噴火後の阿祖山太神宮の改称に関与。醍醐天皇下の左大臣・藤原時平と右大臣・源光行らとともに、富士朝弱体化工作に本格着手した。こうして富士山周辺にある神社は殆ど『浅間(せんげん)』神社にされてしまうわけだ。この時代の小野氏は、完全に藤原氏に操られた駒である…。

全国規模で祀られていた形跡がある瀬織津姫も、927年藤原『延喜式』により抹消されはじめ、コノハナサクヤやキクリヒメに代えられてゆく。宮下文書においてはコノハナサクヤとキクリヒメは同神。白山毘女はイザナミのこと。そもそも浅間(せんげん)とは『先現』の意味、阿祖山太神宮をはじめとする富士朝先住民信仰のことなのだ。

これが、私が瀬織津姫=かつての富士朝象徴だと考える理由の一つだ。そして交代した新富士火山の象徴がコノハナサクヤとみる。

 

小野氏がこの武蔵国に残したもの

そして、前記事で紹介した通り、ここから富士山と高千穂峰が『夏至レイライン』で結ばれるわけだ。 特に下の三社は、御祭神が瀬織津姫やエタモヒ関係社として共通している。

・『小野神社』は下写真①のように朝日を背にして、西に正対している。写真①は大体夏至付近の午前中に撮影したもの。

・『大國魂神社』(東京都府中市宮町)はかつての武蔵国府、小野孝泰も武蔵守として着任している。毎年、夏至に祭礼あり。

・『人見稲荷神社』(東京都府中市若松町)も小野氏子孫『人見氏』の由来といわれる。

これは小野氏族の作為なのか…?。

f:id:sekihotu:20200322000423j:plain ②f:id:sekihotu:20190421140313j:plain

f:id:sekihotu:20190401230743p:plain

 

武蔵国の小野氏は、瀬織津姫の小野神社(府中市と多摩市)と、九頭竜の『九頭竜神社』(東京都西多摩郡桧原村)に関与した不思議な氏族でもある。ホツマツタヱにおいてに瀬織津姫ホノコと九頭竜モチコは敵対同士であり、小野神社の近くにも『関戸九頭竜神社』(東京都多摩市関戸)がある。なんでも、小野神社参拝後に行くと御利益倍増らしいが、私は風邪を三週間拗らせた(笑)。

関戸九頭竜神社の創建は不詳だが、多摩川の氾濫の経緯で建てられたそうで、小野神社との関係は不明である。しかし何故対峙する水神を、わざわざ同地域で祀っているのだろうか…?。そういえば『箱根神社』(神奈川県足柄下郡箱根町)も同様で、同境内に九頭竜社と祓戸社が存在している。瀬織津姫を祀る祓戸社は神輿のディスプレイで隠されているのだ。

<神社めぐり>大國魂神社①最強サクナダリ神社に、瀬織津姫が祀られている可能性。 - セキホツ熊の謎を追え!

※因みに、武蔵一宮は『氷川神社』という論争があるが。新編武蔵国風土記稿によると、『ムサシ』とは『无邪志』『胸刺』違う行政区分であった可能性を指摘している。そのほかにも武蔵国には『武刺』『牟邪志』などの表記があり、時代と地域により違う可能性がある。

 宮下文書によるとアマテラス代の行政区分的には『氷川神社』周辺は淡津佐国(房総)に属していた。現在の三浦半島~府中~秩父が『武佐志』と呼ばれていた。

神武天皇の代に武佐志野に副本営副本陣『日川の宮』が登場、武佐志国筆頭に『日加和(ヒカワ)神社』が存在していた。このように『ムサシ』国名を変え、領土範囲を変えてきているのだ。

www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

 

※クラフトマップ使用

www.craftmap.box-i.net