セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

聖蹟桜ヶ丘・武蔵一宮小野神社の謎①ほのかに感じる桜の女神ホノコ様と春日族たち。


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 2019,4,21

 武蔵一宮・小野神社

創建(伝)安寧天皇18年。

<御祭神>

天下春命・瀬織津姫・伊弉諾尊・素戔嗚尊・大己貴大神・瓊瓊杵尊・彦火火出見尊・倉稲魂命

<摂社>伊勢神宮神・事代主・須佐之男命・軻遇突智命・日本足彦国押人命・大足彦忍代別命(景行天皇)・武甕槌命・木花開耶姫命・市杵嶋姫命・鹽土老翁命・水分神

<他>

秋葉神社?稲荷神社?

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春日族とは?。和邇氏・小野氏まとめ

前記事どおり和邇氏=蘇我氏系統である。
かつては大和春日の地を拠点にしていたこともあり春日族ともいわれる。
645年乙巳の変で蘇我氏は中臣(藤原)氏に滅ぼされた。和邇氏は蘇我氏系外祖父で『皇兄家』出身と認識されていたのかもしれないが、結果としてどちらも衰退している。

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和邇氏祖は5代孝昭天皇と世襲足媛命の皇子・天足彦国押人命である。宮下文書に記載はないが、富士王朝と大和天皇家がまだ密月関係の頃の有力者。一般的には『朱』原材料の採掘で名を馳せ、天皇家に多く立后させたとされる。枝氏の和邇部氏=富士氏は富士宮浅間神社の社家である。そして和邇氏は小野氏の祖でもある。子孫には小野妹子・小野篁・小野小町・小野道風ら有名人がいる。また柿本人麻呂も春日氏庶流となる。前述した蘇我氏系統由来と見做される大和国春日『石上神宮』に彼の石碑がある。

宮下文書に小野氏の活躍が僅かに記載されている。従四位上・小野道風は貞観12年(870年)、富士山噴火後の阿祖山太神宮の改称に関与した。醍醐天皇下の左大臣・藤原時平と右大臣・源光行らとともに富士王朝弱体化工作に本格着手したのであろう。かつては外祖父の関係であった天皇と藤原氏の配下になっていた。噴火に便乗した行動の結果、富士山周辺にある神社は殆ど『浅間』神社にされてしまうわけだ。富士山は噴火を白河天皇の代1083年まで続け、その後伊豆諸島『大島』に転移していく。全国規模で祀られていた瀬織津姫も927年藤原『延喜式』により抹消され、コノハナサクヤやキクリヒメに代えられていく。宮下文書においてはコノハナサクヤとキクリヒメは同神。白山毘女はイザナミのこと。そもそも浅間(せんげん)とは『先現』の意味、阿祖山太神宮をはじめとする富士王朝の象徴なのだ。私が瀬織津姫=かつての富士王朝象徴だと考える理由の一つだ。そして交代した新富士火山の象徴がコノハナサクヤになる。

一般的に和邇氏は春日の地で朱を取りつくし、地方へ分散せざる得なかったといわれている。武蔵一宮『小野神社』の社殿が朱色なのも和邇氏を彷彿とさせる。今も小野神社摂社には和邇氏の祖、天足彦国押人命が祀られている。その後、和邇氏の部下であった中臣(藤原)氏が台頭。結果として藤原氏が和邇氏の春日の地を奪った形だ。

そもそもアメノコヤネ以外の春日神2柱タケミカズチとフツヌシというのは蘇我系統の神。蘇我子孫の和邇氏が祭事していた軍神の可能がある。春日大社は蘇我氏が滅んで以後の768年創建である。後世になり藤原氏が藤原氏祖アメノコヤネと一緒に蘇我氏系統軍神を祀ることになるのだ。

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鹽土老翁命(=塩土老翁命)も蘇我氏系統である。タケミナカタ・タケミカヅチ・フツヌシの叔父となる。

宮下文書的に考えると小野神社摂社は蘇我氏系統が多いことに気づく。

そして、前記事通りここから富士山と高千穂峰が夏至レイラインで結ばれるわけだ。 瀬織津姫ホノコ様のレイラインでもある。

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※因みに武蔵国の小野氏は、瀬織津姫の小野神社(府中市と多摩市)と九頭竜の九頭竜神社(東京都西多摩郡)に関与した不思議な氏族である。一般的に考えて瀬織津姫と九頭竜は敵同士なのだ。小野神社の近くにも関戸九頭竜神社がある。小野神社に行った後『関戸九頭竜神社』に行くと御利益が増すそうだが、私は風邪を三週間拗らせた(笑)。トラウマものである。

※因みに、武蔵一宮は『氷川神社』という論争があるが。新編武蔵国風土記稿によると、『ムサシ』とは『无邪志』『胸刺』違う国であった可能性を指摘している。そのほかにも武蔵国には『武刺』『牟邪志』などの表記がある。時代と地域により違う可能性があるのだ。

 また宮下文書によるとアマテラス代の行政区分的には『氷川神社』周辺は淡津佐国(房総)に属していた。現在の三浦半島~府中~秩父が『武佐志』と呼ばれていた。神武天皇の代に武佐志野に副本営副本陣『日川の宮』が登場する。武佐志国筆頭に『日加和(ヒカワ)神社』が存在していた。このように『ムサシ』国は名を変え、領土変形させているのだ。

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