セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

聖蹟桜ヶ丘・武蔵一宮小野神社の謎②。小野神社周辺で蘇我春日族と『武蔵七党』が守っていたもの。

 

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明治維新後に田中光顕が建設した旧多摩聖蹟記念館。

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2019,5,6

武蔵国においての『春日』の守ってきたものとは?

前記事で武蔵国の蘇我春日族の存在を知ったわけだが。

武蔵一宮・小野神社でも彼らの痕跡を探してみた。鎌倉時代前後の武蔵国は武蔵七党が存在しており、その中の最大勢力児玉党と横山党が蘇我の血を継いでいると思われる。

 

〇児玉氏と小山田氏

児玉党の祖先こそが知知夫(秩父)国開拓の祖・表春機男玉(ウワハル)命なのだ。ウワハルとは宮下文書的に蘇我氏立役者・ウマシマジ命のことである。そして前記事でも述べたが、ウマシマジ命は物部氏祖ではなく蘇我系統。児玉党研究者の間では物部氏末裔と断定されているが、宮下文書を『読む』のと『読まない』のとでは見解が真逆に至るのだ。小野神社御祭神のシタハルもウワハルの弟神であり春日の『春』がつく。おそらくは蘇我春日族ではないかと思われる。

小野神社は戦乱や多摩川の氾濫もあり転々と移動した。特に現在の多摩市聖蹟桜ヶ丘付近は多摩川・大沢川・程久保川・乞田川・大栗川の合流点が続き、洪水被害は容易に想像できる。その避難先の一つと思われるのが東京都多摩市『連光寺』である。

吾妻鑑によると1177年『小山田三郎重成に武州多磨郡の内吉富並びに一宮連光寺を所領に加えた』とある。この小山田重成とは武蔵七党・児玉氏族の支流で秩父氏の一族、一般的には桓武系平氏ともいわれるが蘇我春日族の血筋も入る。その後の小山田氏は戦国時代以降に富士王朝近くの『谷村城』へ回帰していく。山梨県都留市『小野熊野神社』『生出神社』にその痕跡を見ることができる。

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東京都多摩市連光寺の春日神社。一宮連光寺と関係ありか?

またこの東京都多摩市連光寺という地名には『一宮』という飛び地が数か所(5、6か所?)あるのだ。陰謀論で有名な田中光顕が明治天皇『旧多摩聖蹟記念館』を建設、同じ連光寺内に存在しているのが『春日神社』である。これは一宮連光寺と関係があるのだろうか?。単なる多摩川氾濫の避難地かもしれないが…地理的に興味深い。
※ 因みに何度も書くが、宮下文書によるとタケミナカタとタケミカヅチとフツヌシは『蘇我系統』である。

 

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立川断層起点に多摩川合流点があり、武蔵一宮小野神社がある。


 

〇小野氏と横山氏

和邇氏氏祖である天足彦国押人命は世襲足媛命の皇子、蘇我氏を外祖父に持つ。和邇氏の末裔小野氏は関東に流れ武蔵七党・横山氏(のちの東京都八王子市)となる。しかし972年小野孝泰が武蔵国造に派遣される前から、小野氏が武蔵国に深く関与していたという。つまり新しい小野勢力と古い小野勢力がいたわけだ。武蔵国小野牧は917年には存在していた。研究者の中には小野氏と横山氏は仮冒との声もある。

私の勝手な妄想だが、645年乙巳の変で藤原勢力に追放された蘇我系統勢力がどこに消えたのか?。フツヌシとウワハルとシタハルら『蘇我神』をめざし一部が先行して武蔵国に都落ちしてきたのではないかと...。それが平安時代に中央から武蔵国造として派遣されてした蘇我系統小野氏と合流し土着。祖先の敵、藤原氏に仕えるくらいならいっそ帰京せず土着した方が良かったのかもしれない。こうして彼ら蘇我春日族が武蔵一宮・小野神社を守ってきた。つまり小野氏も横山氏も武蔵国への入植時期が違うだけで、根本は蘇我系同族なのではないかと。

その後は鎌倉幕府内勢力争い『和田合戦』があり、和田氏に肩入れした横山氏は執権・北条義時に敗れ衰退する。その後は猪俣党などを称している。

 
 

小野稲荷の御狐さまが教えてくれた、蘇我氏の後先。

下写真は東京都日野市高幡不動駅前にある若宮愛宕神社。何故か?境内に小野稲荷がある。小野神社宮司さんが近隣宮司も兼ねているらしい。そこの由緒書に『春日民族小野氏おおいに栄える』とかいてある。はじめは…なんだこれ???、…春日?民族?藤原氏のことかな?と正直なんのことだかわからなかった。全国の神社宮司さんとてみんな歴史に詳しいわけではないし…だれでも勘違いはあるわけだと納得した。しかしその後もこの由緒書『春日民族大繁栄』が妙に心に残っていた。

私の歴史認識では武蔵国は流れ者小勢力の集まりで、互いに対立もしていた。北条氏以前に飛び抜けて『大いに栄えた』氏族なんていない。しかし無知だったのは私の方であり、蘇我春日族を追う上で由緒書が大ヒントになったのだ。

今まで武蔵国内はバラバラの勢力図にしか見えなかった。ただそれは表面上の話で、むしろ彼らは蘇我氏出自を隠匿し藤原姓を仮冒していたのでは?。彼らには春日蘇我氏の遺伝子が根底にあり、武蔵国内で『大いに栄えた』のだ。『春日民族』のプライドで武蔵七党として団結し鎌倉幕府を支援、乙巳の変後の藤原氏に一矢(いっし)報いたのか。

 

しかしこの小野稲荷神社…なんなんだろうか?(笑)

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