セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

出雲建国アメノホヒ勢力の正体とは?。見えてきた九頭竜流離いの理由。

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武蔵五宮『金鑚神社』。宮下文書論拠で考えれば、ウマシマジ子孫児玉氏がスサノオの叔父金劔清こと金山彦命を祀っていた可能性もある。

 

 2019,6,1

宮下文書視点から、アメノホヒの正体を考察する。

アメノホヒと九頭竜は、宮下文書に登場しないので注意。

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本題に入る前に、まずは予備知識を。 

〇九頭竜モチコ

ホツマツタヱに登場するマスヒメモチコ。男神アマテル12妃の一柱、アメノホヒを出産するも正后の座を瀬織津姫に奪われ、腹いせにアマテル弟スサノオと浮気する。しかしこの浮気が知られ、高天原を追放されたのち瀬織津姫を殺すために全国流離う。最終的には信濃戸隠山付近にてタジカラヲに霊断ちされ、善神として改心する。ホツマツタヱにおいてはヤマタノオロチ・ハヤサスラヒメの実姉である。

 

 

〇アメノホヒ

アマテラスの子供か、スサノオの子供かわからない『誓約の子』、高天原系出雲族とされる。

高天原から、出雲国の偵察に派遣されるも、音信不通で戻らなくなる。ホツマツタヱにおいては九頭竜モチコの息子であり、スサノオとの不倫の子供である可能性もあるのだろうか...?。また状況的に解釈すれば、育ての母が瀬織津姫になる可能性もある。六甲山の六甲比咩神社(御祭神・瀬織津姫)の近くにはアメノホヒの磐座があり、親密な様子も伺われる訳だ。

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宮下文書の知識

〇出雲

宮下文書では、『出雲』は阿祖北(越~信州~飛騨)にあったとされる。後に丹波にてクニトコダチ夫妻を祭祀していた、スサノオの娘ミホツヒメが『出雲大神』として祀られている。これが後世の丹波一宮・出雲大神宮(京都府亀岡市千歳町)

因みに、宮下文書で現在の『出雲大社』付近の地名も、出雲の名が記載されている箇所がある。出雲大社の古名『杵築』の語源は、木と竹で築づいた囚人収容施設?のようなものであり、中国地方の渡来系勢力を見張るための出先機関があったのかもしれない。結局『出雲』とは、本来、スサノオの警察機構的なニュアンスで、使用されていたのではないだろうか?。

 

〇中国地方

神武の時代、宮下文書における中国地方は、渡来系勢力・禍津亘理彦命の勢力拠点であった。彼らと協力関係にあったのが白木人(新羅人)の長髄彦命(ナガスネヒコ)、神武東征の目的は、彼ら渡来人勢力を排除することにあった。

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〇祖家とは

宮下文書に出てくる蘇我系統は、一般的に知られているものとはかなり違う。蘇我系統=『祖家(そが)』、蘇我氏と大伴氏は同祖直系で、太古神代よりの左臣の家系。右臣の家系が後の藤原物部系統である。一般的には『欠史八代』と語られている2~9代天皇家、そして蘇我大伴系統と藤原物部系統は、三つ巴近親婚を繰り返しており遺伝子的には三家は限りなく近い存在であった。

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〇ウワハル=ウマシマジ=蘇我系統

一般的にウマシマジは物部系統といわれるが、宮下文書では蘇我大伴系統。神武東征中に、ナガスネヒコを欺き自決に追い込んだ神武側英雄として描かれている。ウマシマジの別名は表春桟男玉命、つまりは信州の祖神ウワハル命となる。

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このように宮下文書における系譜は、一般に知られているものとはかなり違うので注意。三輪氏はオオクニヌシの子孫であるが、スサノオとオオクニヌシとコトシロヌシとタケミナカタと大物主と大国御魂命(スクナビコナ)はそれぞれ別系統。

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 そもそもオリジナル『出雲』は信州にあった?。

 さて本題に...。

宮下文書版のオリジナル出雲は、長野県長野市周辺にあったのではないかと推測する。現在のこの地域には、皆神山や飯縄山や善光寺や戸隠神社など、宗教上の重要拠点が点在しており、スサノオに纏わる神社・御祭神が多い地域でもある。注目すべきは、アメノホヒの母・九頭竜が、戸隠神社九頭竜社に祀られている点。九頭竜神と出雲祖神アメノホヒは、本来の『出雲』を探す上で重要な手がかりになるのではないかと…。

 

〇戸隠神社(長野県長野市戸隠)

~戸隠神社の注目すべき神々~

・宝光社ウワハル(=ウマシマジ蘇我系統)

・火之御子社タクハタチヂヒメ(=スサノオの娘)

・九頭竜社九頭竜(=アメノホヒの母?)

・奥社タヂカラオ(=スサノオ義父テナヅチであり、ビジネスパートナー)

※因みに戸隠神社Wikipediaによると、神仏習合の経緯があっても、御祭神は江戸時代以前と変わらないとのこと。

 

 

また、『戸隠神社・奥社』(長野県長野市戸隠)のすぐ隣に、地主神として『九頭竜社』がある点も気になる。ホツマツタヱ版スサノオはヤマタノオロチハヤコと九頭竜モチコと浮気をしたわけで、これは出雲=スサノオの拠点の変遷を暗示していたのか???。『出雲』はまるで浮気男のように転々としていたのだ。流離(さすら)う男=スサノオとはこの事だろうか?(妄想)。
九頭竜とは、ある意味この信州オリジナル出雲を象徴している存在かと…。

 

九頭竜・御子とされるアメノホヒは、蘇我大伴系統ウマシマジ勢力による、大和天皇勢力による渡来系監視行動の象徴とみる。紀元前6~7世紀『神武東征』の直接的原因となった中国地方渡来人には、厳重な監視体制がとられていた。戦後、大臣ウワハル=ウマシマジ=蘇我系統左臣の家系などが、中国地方に国造として派遣される。東征時のウマシマジの活躍を考えれば、適材適所であろう。

 

~宮下文書における大和政府の渡来系監視行動~

『大臣・表春桟男を田地間、稲葉(因幡)の国造とした。』

『小夫・丹馬但波命を丹波の国造とした。大巳貴命五十四世の孫である。』

『中夫・出雲大神主命を出雲、尾木(隠岐)の国造とした。祖佐男命五十五世の孫である』

『小夫・針間穴栗彦命を針間、三間坂(実眞作)の国造とした。大物主命五十六世の孫である』

※因みに播磨のオオモノヌシ子孫は後の吉備氏となるようだ。

※宮下文書三輪本現代訳『神皇紀』・神奈川徐福研究会より。

 

 ◯宮下文書における蘇我氏大伴氏系図。

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<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった。中臣・物部・藤原編。 - セキホツ熊の謎を追え!

<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった②。中臣・蘇我・大伴編 - セキホツ熊の謎を追え!


ウマシマジらは、渡来勢力の見張り役であった。

こうして神武東征後、スサノオ子孫、オオクニヌシ子孫、オオモノヌシ子孫、ウマシマジ子孫による強力監視体制がスタート。

石見一宮『物部神社』(島根県大田市)の社伝によると、神武東征後のウマシマジは、各地の兇賊を平定したのち石見国で死去、当社社殿背後の『八百山』に埋葬されたという。そもそもウマシマジは、出雲を監視するためにやってきたとの説もある。宮下文書における欠史八代後半までは保守政権がつづき、その子孫らが大和国の監視体制を維持出来ていたと推測。

私が思うに…アメノホヒ勢力とは、宮下文書版の田地間・稲葉国造、ウマシマジ勢力のことではないだろうかとみている。

ところが10代崇神天皇の代、自称三輪氏のオオタタネコが、スサノオの子孫を名乗っている時点で奇妙なことに気づく。宮下文書によると三輪氏はオオクニヌシの子孫ではあるが、スサノオも大物主とは別系統。そもそも彼らは、渡来人たちを監視する立場だったはずだ。その後は、自ら先祖をスサノオや大物主直系と偽るほどに、おかしな集団になってしまった。

記紀やホツマツタヱを振り返ると、『アメノホヒは、出雲へ偵察に出て、三年間戻らなかった』などと表現されている。これは神武天皇に派遣された監視者たちが、一部乗っ取られ、または懐柔されて、大和国橿原に戻れなくなったのを暗示しているのではないか?。

宮下文書によると、その後11代垂仁天皇の代に『出雲国の罪因500人、徒党して諸国に乱入した』三年越しの逮捕処刑であった。そして10代崇神天皇の代には、天災や疫病も多発した。尚且つこの頃の皇族は、側室と皇子それぞれ10人以上と膨らんでおり、皇室内利害関係が複雑化し、大和国勢力の弱体化を自ら招いたのかもしれない。

そんな大混乱の隙に、渡来系は着実に勢力を伸していった。つまり出雲『国譲り』とは、高天原系先住民が、国の一部を譲渡せざるえない状況に追い込まれた大事件だろう。

結果、皮肉なことに、本来監視者であるスサノオ子孫・オオクニヌシ子孫・オオモノヌシ子孫・アメノホヒ子孫の勢力が、そのまま渡来系祖神として利用され、祀られはじめた。こうして渡来系出雲は、邪馬台国勢力など渡来系諸国と同盟を組み、関西圏へなだれ込み中央政府を圧倒。その後倭国大乱へ…(妄想)。

ただ、彼ら子孫である出雲族土師氏らが、武蔵国などに流入している点は、大きな謎である。12代景行天皇や13代成務天皇の時代に、何か大きな原因がありそうだが...。

※再考察記事↓、アメノホヒ子孫とはサルタヒコ子孫のことであった?。

『伊勢』の本当の歴史、サルタヒコ子孫伊勢国造と坂上田村麿、菅原道真の関係。 - セキホツ熊の謎を追え!



ヒントは武蔵国内のアメノホヒの子孫たち。

13代成務天皇の時代、その一部が国造として武蔵国に入植してきたようだ。これがアメノホヒ八世孫の兄多毛比命(エタモヒ)勢力で、无邪志国造として武蔵国へやって来て、出雲祖神を祀りはじめたという。

武蔵三宮『氷川神社』にスサノオが祀られた理由も、出雲族の流入がきっかけといわれている。このほかにも武蔵国内には、アメノホヒやタケヒラトリやエタモヒ関連神社は多く、出雲族土師氏の影響力が強く感じられる。

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上写真は、武蔵府中にあるエタモヒ関係社、『人見稲荷神社』(東京都府中市若松)石碑。注目すべきは兄多毛比命が『兄武比命』と表記されているのだ。この『兄多毛比命』にしろ『兄武比命』にしろ、『タケヒ』と読めるのである。

これはもしかして、蘇我大伴系統の大伴『武日(タケヒ)』のことではないか???。蘇我大伴系統には蘇我武日命と大日武日命(大伴武長男命)と大伴武日命がいる。大伴武日はヤマトタケル東征に随伴した副将。この時代に富士朝高天原に留まり、東国を監視していた人物である。

そういえばアメノホヒの息子が『タケヒラトリ』である…。

『タケヒ』...。

ま偶然かもしれないし、別人かもしれない(笑)、人見稲荷神社でも、兄武比命は兄多毛比の誤植であるというのが通説らしい。しかし証明されれば武蔵蘇我系統の裏付けにもなるのではないかと。今後も注意深く調べてゆく。

春日蘇我氏族が武蔵国で大繁栄、藤原氏への復讐を果す。ウワハルとシタハルの正体。 - セキホツ熊の謎を追え! 

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<人見稲荷神社>瀬織津姫を三陣並べて、元寇『神風』を二度も呼んでしまった少弐氏おじいちゃんのお話。 - セキホツ熊の謎を追え!

その他にも注目すべき点

戸隠神社と阿智神社に祀られている信州のウワハル、その弟神が武蔵国祖シタハルである。 宮下文書ではウワハルは登場するが、シタハルの正体は未だ不明。ただ、兄と同様に蘇我大伴系統とも考えられる。もともと現・信州や関東地区はウワハル=ウマシマジ=蘇我系統の強い土地であったようだ。

そして、次回紹介するのがこのスサノオレイラインである。もし仮に信州に出雲があったとしたら…きっとこの線上ではないかと(願望)。

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本州の重心点『長野県小川村』、オリジナル出雲はこのレイライン上にあった?

 

※続きの記事は↓をクリック。

<レイラインの美学④>スサノオ『重心点』レイライン。信州になにか巨大な拠点の痕跡。 - セキホツ熊の謎を追え!

※再考察記事。

『伊勢』の本当の歴史、サルタヒコ子孫伊勢国造と坂上田村麿、菅原道真の関係。 - セキホツ熊の謎を追え!

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※地図はクラフトマップ使用。

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