セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<レイラインの美学⑤>国常立尊と事代主を辿るの関東のセンターライン。『三嶋箱根筑波レイライン』。

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茨城県つくば市『船宮神社』。御祭神不明。境内は整然と管理されている、地元のひとびとに大切にされているのがわかる。

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船宮神社と筑波山。

2019,6,9

三嶋箱根筑波レイライン

はたしてレイラインに価値はあるのか…大真面目に考える(笑)シリーズ。

<レイラインの美学①>寒川毘古命『悲劇』のレイライン。果たしてそのレイラインに価値はあるのだろうか?。 - セキホツ熊の謎を追え!

<レイラインの美学②>変遷していた富士山高千穂峰『日の出レイライン』。ヒントはやはり小野神社ポイントにあった。 - セキホツ熊の謎を追え!

<レイラインの美学③>日月神示ヒムカの役割、瀬織津姫死亡説と天照大神と木花咲耶姫の本当の関係。 - セキホツ熊の謎を追え!

<レイラインの美学④>スサノオ『重心点』レイライン。信州になにか巨大な拠点の痕跡。 - セキホツ熊の謎を追え!

もうどこかで誰かに語られているかもしれないが、全国各地いまでも無数のレイラインが張り巡らされていると仮定する。何の為にあるのか…?は置いておいて、どんなものがあるのかをピックアップして紹介していこうという企画である。

 

関東にも主要なレイラインがあり、その一つが『三嶋大社』を起点とと『箱根元宮』から『筑波山』まで関東を横断するレイラインとみる。地図作成にはグーグルマップの線引き機能を参考にした。地図は多少ズレもあり、メルカトル図法だとレイラインは若干放物線となるので注意。前記事で紹介した三嶋周辺からのレイラインである。

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~三嶋箱根筑波レイライン~

・楊原奥宮・大朝神社(オオヒルメ)

・三嶋大社(コトシロヌシ・オオヤマツミ)

・瀧神社(瀬織津姫)

・箱根元宮(アメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビ)

・大山阿扶利神社(オオヤマツミ)

・天地宮(アメノトコタチ)

・旧多摩聖蹟記念館

・大國魂神社関係社・瀧神社(別雷命・玉依姫)

・ic u?

・一言主神社(ヒトコトヌシ)

・船宮神社(?)

・加波山神社(クニトコタチ・イザナギ・イザナミ)

・足尾神社(クニトコタチ・オモタル・カシコネ)

・静神社・手接足尾神社(?)

・御岩神社(クニトコタチほか)

・佐波波地祇神社(天日方奇日方・コトシロヌシほか)

・北茨城・足尾神社×2社(?)

 


~宮下文書・関東平野の歴史~

宮下文書においての関東行政区分は、高皇産霊神の代からある『津久波(つくば)』と『津久居(つくい)』と『伊須(いず)』がベースとなる。

その後クニトコダチの弟クニサツチが関東を納め、日嗣アマテラスの代に津久波(大原)から分離したのが、『日下道(常陸周辺)』『武佐志(多摩と秩父)』『毛野(上毛)』『淡津佐(房総半島と氷川神社周辺まで)』。

ニニギの御宇に入ると、常陸周辺は武甕槌命と経津主命、房総半島と武蔵周辺は前玉命、北関東周辺を豊城入毘古命が管理していた。『外寇親征の役』後の関東は東国一帯守護司頭長として、武甕槌命子孫と経津主命子孫が神武天皇の代まで長期間統治。神武東征には禍津亘理彦命を日栄山にて撃破、後世に宮本武蔵が『武蔵』を名乗った理由は諸説あるが、中世までは東国=『強者』のイメージがあったそうだ。そのイメージの中核は、やはり軍神兄弟タケミカヅチとフツヌシの二柱だろう。

このように関東各地にも広くフツヌシは祀られていたが、時代とともに藤原氏の象徴となり鎌倉幕府に疎まれてしまう。新編武蔵風土記稿によると武蔵総社『大國魂神社』にも江戸時代後期まで『布留太神』として中殿に祀られていた。

 

※因みに『高天原』は現在の富士五湖周辺のことで、現在の山梨県都留地方にあった。古代の富士五湖のうち『底大湖』『高天原湖』『宇宙湖』は巨大で、『水の都』としての恩恵を受け易かった。富士五湖の大きさについては地理学的にも証明されている。

藤原氏が蘇我氏春日神を祀る逆転現象。 そして武蔵国からフツヌシが消え行く謎①。 - セキホツ熊の謎を追え! 



〇三嶋大社(静岡県三島市大宮)

現在の三嶋大社御祭神は、オオヤマツミとコトシロヌシを祀る。ただ、ここまでに至るには紆余曲折あったとみる、宮下文書によるとカモサワヒメの陵墓が周辺(場所不明)にあったようだ。カモサワヒメとはオオヤマツミ妃でコトシロヌシ娘、コノハナサクヤとイワナガヒメの母親である。

因みに三嶋大社本殿裏の北側が禁足地(緑地)になっているようだが、陵墓とは関係ないのだろうか?。…神輿倉などがあるようだが。

周辺には伊豆二宮・浅間神社(静岡県三島市芝本町)がある。かつては伊豆三宮であったが現在は二宮、通称『岩留浅間』。地質調査によると一万年前の富士山噴火の際、溶岩がこのあたりで止まったとのこと。これが宮下文書比定の『神代満流尾』かは疑問も残る。

さらに南西5キロほどにある、静岡県沼津市下香貫宮脇の楊原神社(下写真一枚目)は、オオヤマツミファミリーのコノハナサクヤとイワナガヒメを祀る。その楊原神社の関係社(山宮?)が大朝神社(下写真二枚目)でオオヒルメを祀っている。

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伊豆国三嶋大社・加茂澤毘女にトコトコついてくる瀬織津姫の不思議①。 - セキホツ熊の謎を追え!

<レイラインの美学①>寒川毘古命『悲劇』のレイライン。果たして悲劇のレイラインに価値はあったのだろうか?。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

〇箱根元宮(神奈川県足柄下郡箱根町元箱根)

『箱根』は神山を中心にした古来からの山岳信仰がある。宮下文書には地名としては登場するものの、信仰については全く記載がない。駒ヶ岳山頂『箱根元宮』には地主神・駒形権現=クニサツチという説もある。

現在の奥宮の『箱根元宮』の御祭神はアメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビ。

現在の里宮?『箱根神社』ではニニギ・コノハナサクヤ・ヒコホホデミが祀られている。

ホツマツタヱにおいては、天孫ニニギの父アメノオシホミミが神上る土地。また『箱根山縁起并序』では、毒龍(九頭竜)が暴れだし萬巻上人が祈祷して龍神となった歴史もある。現在アメノオシホミミを祀る『伊豆山神社』(静岡県熱海市)の社伝によると、赤と白の地脈龍が伊豆山に繋がっているという。

下写真中央の鳥居が『箱根神社』、背後には駒ヶ岳が聳える。

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※これは同境内の九頭竜社から隠しているのか?。九頭竜の宿敵である瀬織津姫を祀る『祓戸神社』が、何故か神輿のディスプレイ(下写真↓)の裏に隠されてしまっている。 

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〇大山阿扶利神社(神奈川県伊勢原市)

大山は宮下文書において16代仁徳天皇と兄・大山守皇子の戦に登場。現在の静岡県富士川での戦いの最中に大山守皇子が隠れていた場所であり、現在ではオオヤマツミが祀られている。大山守皇子はその後の『宮下文書』伝承家の宮下氏となる重要人物となる。

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〇天地宮(神奈川県相模原市中央区)

前記事『レイラインの美学②』で紹介した『富士山‐鳥見山レイライン』とのクロスポイントにあたる。

地域の御鎮守的な小社だが、御祭神『天常立命』が気になって立ち寄ってみた。境内の石碑には『国常立命』の文字もあり、先代旧事紀によると天常立命=天之御中主神だが国常立命という説もある。

宮下文書では『天之常立比古神』=天之御中主神の玄孫ではないかとみる。その天之常立比古神11代孫が国常立尊にあたる。

神社と住宅街の間が谷間になっていて、湧水が小川に放流されている。小川といっても、水質的にはゴミが投棄されているドブ川なのだが…、周辺の桜と緑のコントラストが美しい。天之御中主神の神社は何ヵ所が参拝したが、やはり何かしら印象深いものがある。レイラインや高級神霊による周辺環境ってあるのかなぁ~などと思ってしまう。ただ、この数日後スマホが壊れたので、お花見画像が全部パーになってしまった。

 

〇小山田神社(東京都町田市下小山田町)

桓武系平氏秩父氏の流れを汲む、鎌倉時代一時的に一宮連光寺を所領していた氏族の神社。『天照皇大神』を祀る。

 

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〇旧多摩聖蹟記念館(東京都多摩市連光寺)

前述した、小山田氏の所領である一宮連光寺周辺となる。連光寺内には『多摩市一ノ宮』を称する飛び地が数ヶ所(5~6か所?)ある。多摩川の氾濫で一宮・小野神社関係者が避難してきた時期もあったようだ。

維新後は元土佐藩士・田中光顕が明治天皇記念館を建設、今は都立桜ヶ丘公園と明治天皇博物館があり『聖蹟桜ヶ丘』の地名由来になっている。戦前には田中光顕の銅像があったが戦時中に金属が不足し戦争徴収された。今は台座だけが残っている。

この人物は維新から戦前にかけて、数々の陰謀論の『黒幕』ともいわれている。当ブログは神社ブログなので、これ以上は言わない…。

春日蘇我氏族が武蔵国で大繁栄、藤原氏への復讐を果す。ウワハルとシタハルの正体。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

〇瀧神社(東京都府中市清水が丘)

東京都府中市『瀧神社』(下写真↓)。大國魂神社の関係社の一つ。賀茂別雷命・賀茂建角身命・玉依姫命を湧水ポイントに祀り、宮下文書いおいては別雷命=カモサワヒメである。大國魂神社本殿から1.5キロ程離れており、三嶋レイラインあわせて『賀茂別雷命』を祀っているのなら興味深い。東京競馬場関係者もよく必勝祈願に来るそうだ。

 

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〇一言主神社(茨城県常総市大塚戸町)

一言主の正体は宮下文書に記載がなく不明。ホツマツタヱではカツラギのヒトコトヌシとしてスサノオの子として登場している、つまりオオナムチの兄弟とされる。賀茂氏が祀る神であれば、一言主=コトシロヌシで間違いなさそうだ。

神社は平安時代の創建で、室町時代に荒廃していたのを平将門の子孫・相馬弾正胤広が復興している。

一見すると一言主神社は当レイラインから随分外れているようにも見えるが、平将門終焉の地『国王神社』に向かって小さなレイラインがクロスする。三嶋箱根筑波レイラインを挟み込む形状といえる。

平将門は朝敵イメージが強いが、関東地方では永く英雄視されてきた人物。平将門の終焉地、死亡地は諸説あり。

祖国のために死んだ神『生島・足島』と『事代主』の関係。天皇守護の宮内八神殿とは何なのか? - セキホツ熊の謎を追え!

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〇加波山神社(茨城県石岡市大塚字加波山)

『国常立尊』『伊邪那岐尊』『伊邪那美尊』

ホツマツタヱにおいて、イザナギとイザナミが結婚後はじめて開拓したのが筑波であり、縁が深いとみる。

茨城県桜川市と茨城県石岡市とレイライン両側から筑波山を挟み込むように遥拝所(里宮)が存在する。

ここも景行天皇や日本武尊や坂上田村麻呂や弘法大師が関与している。またWikipediaによると新宗教・箱根大天狗山神社と親交が深いそうだ。

 

〇足尾神社(茨城県石岡市小屋字足尾山ほか)

足尾山には『国常立尊』『面足命』『惶根命』を祀る。

このレイライン上に筑波山から東北に向かって『足尾神社』が点在し、面足尊(オモタル)が祀られている点が共通点のようだ。オモタルは『第六天神社』『面足神社』などで知られるが、足尾神社には『足』因んだご利益があると信じられている。おそらくはこの『足』に肖っているのだろう。神社拝殿に靴やサンダルを置いていく参拝者が多く、なんとも異様な光景が各所見られる。Wikipediaによるとオモタルとは全てが足りているという意味があり、転じて五体満足のご利益があるようだ。

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一方、宮下文書版オモタルは同名別神二柱存在するが、後世混同されている可能性もある。いずれもカシコネについては記載なし。

尾茂太留(オモタル)尊はスクナビコナ・コトシロヌシ・アメノウズメの父親。

妃のシラタキヒメは再婚相手であり、日嗣アメノオシホミミの実祖母にあたる人物。

面足(オモタル)尊はクニサツチ第三子

『尊は北州を治められた。常に鍛錬に心掛けられ、刀の製法を考案され、諸神に教えられた。…北越の国の陵に葬る。』

静神社(下写真)の摂社にも『手接足尾神社』がある。御祭神は不明だが、やはり健康に関係している神様のようだ。

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〇御岩神社(茨城県日立市入四間町)

記紀やホツマツタエ、宮下文書には記載がない。クニトコタチらを祀り、縄文時代からの霊場で神仏習合の経緯があるようだ。Wikipediaによると御岩山西側斜面全体が神域で、山全体でなんと188柱祀られているそうだ。奥宮の『かびれ大神宮』は謎の神『立速日男命』が祀られていて水戸藩の祈願所になっていたという。

 

〇佐波波地祇神社(茨城県北茨城市大津町)

御祭神は天日方奇日方(アメノヒガタクシビカタ)命とオオモノヌシ・コトシロヌシ・ヒメタタライスズヒメ・イスズヒメら。北茨城市華川町にも同名の論社があり、各社とも天日方奇日方命だけは共通している。やはりこの神社も、日本武尊や坂上田村麻呂や源頼義の歴代『東征者』に関係しているようだ。

宮下文書における天日方奇日方命は、大物主子孫の別名・太玉大苔命であり速玉緒命の子の速玉山田のこと。Wikipediaでは賀茂氏祖『鴨王』とまで云われているが、宮下文書では藤原物部系統で、そもそも宮下文書版・大物主は、藤原物部系統アメノコヤネ子孫であった。

ホツマツタヱにおいては、前編編集者クシミカタマのことであり、後世景行年間に何者かによって、編集者に天日方奇日方命名義を利用したことになる。その上で賀茂氏三輪氏は、スサノオやオオクニヌシやコトシロヌシも自らの祖先だと主張している。前述したが、ホツマツタヱは偽書であり、賀茂氏も三輪氏も中国地方出雲渡来系にコントロールされた付会の氏族ではないかとみている。

全国300社以上の『賀茂神社』正体解明。富士朝ウガヤ朝・日本最大級の欠史鎮魂神社。 - セキホツ熊の謎を追え!

ヒメタタライスズヒメとは神武天皇の后。日本書紀ではオオモノヌシかコトシロヌシの娘といわれるが、宮下文書では神武天皇の叔父・高座日多命の娘。つまり神武天皇は従姉を正后としている。

イスズヒメは天日方奇日方命の娘で2代綏靖天皇の后。一般的にヒメタタライスズヒメとイスズヒメは姉妹と混同されているが親子である。またレイラインとはズレれるが茨城県日立市の『泉神社』(下写真↓)に天太玉命妃『天速玉姫命』が祀られている。天日方奇日方命=速玉山田命の藤原系統『速玉』と関係がありそうだ。

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また『全国神社名鑑』には『佐波波国津神神社』という名称になっているという。宮下文書において『天津神』=天皇家のことで、『国津神』=は藤原物部系統と蘇我大伴系統の二系統『二大臣家』を差す言葉なのだ。この地域、藤原氏の影響が強く残されており、彼らが蘇我系タケミカヅチとフツヌシを祀りはじめた手がかりになるかもしれない。

藤原氏が蘇我氏春日神を祀る逆転現象。 そして武蔵国からフツヌシが消え行く謎①。 - セキホツ熊の謎を追え!

藤原氏が蘇我氏春日神を祀る逆転現象。 そして武蔵国からフツヌシが消え行く謎②。 - セキホツ熊の謎を追え!

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<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった。中臣・物部・藤原編。 - セキホツ熊の謎を追え!

<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった②。中臣・蘇我・大伴編 - セキホツ熊の謎を追え!

 

かつての『事代主』信仰はスゴかった。

今回の記事では、コトシロヌシ信仰のスゴさを分かってもらえただろうか?。

事代主をただの『事務系男子』と思わないで欲しい(笑)。賀茂氏も三輪氏も、『俺コトシロヌシの子孫なんだぜ』と自慢して仮冒していた英雄神なのだ。

宮下文書版コトシロヌシは、知略家の名将軍スクナビコナの弟、『外寇親征の役』では親族を壊滅状態にするほど国防に尽力した。戦後なんとか富士高天原に帰還できたものの、PTSDで衰退死した大将ニニギに責任を感じて、夫婦そろって自決(殉死)する。この戦いではオオヤマツミ・カモサワヒメ・コノハナサクヤ・タカテルヒメら多くの犠牲を払い、富士山も噴火まで噴火…。それほどまでに神々(人々)を疲弊させた大戦争であったのだ。

後世の元寇で、鎌倉武士の一部が『三嶋神』を信仰していた理由とみる。コトシロヌシの生き様が、元寇における鎌倉武士の忠義の姿と重なっていたのだろう。

記紀ではオオクニヌシのみが評価され、スクナビコナとコトシロヌシは過小評価されている感があるが…、宮下文書においてはニニギ政権中枢(参謀?)としての存在感が大きい。賀茂氏三輪氏はコトシロヌシを利用していたものの、氏族衰退によって共倒れ、鎌倉時代没落した藤原氏とフツヌシの関係と似た構図であろうか…。

 

今回紹介したの三嶋箱根筑波レイライン、『スサノオ重心点レイライン』のように明確なテーマは見うけられなかったが、やはり様々な勢力の利害関係が浮き彫りとなる。基本的にはクニトコダチやオモタル、コトシロヌシ、カモサワヒメといった神々を基軸にしているようだ。

 

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