セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<レイラインの美学⑦>出雲陰社と陽社と信州安曇野に牛頭天王の陰、英雄ニニギ教育の場をもとめて。

 

f:id:sekihotu:20190623181154p:plain

2019,6,23

『陽社陰社レイライン』に牛頭天王と八王子の陰 

 

宮下文書によるオリジナル出雲『天獄』は何処に存在していたのだろうか? - セキホツ熊の謎を追え!

出雲建国アメノホヒ勢力の正体判った。見えてきた九頭竜流離いの理由。 - セキホツ熊の謎を追え!

<レイラインの美学④>スサノオ『重心点』レイライン。信州になにやら巨大拠点の痕跡。 - セキホツ熊の謎を追え!

<レイラインの美学⑥>元出雲と日本総社の真実。出雲大神宮と津島神社と富士山は繋がっていた。 - セキホツ熊の謎を追え!

緊急続報!氷川神スサノオの転生であった『日本武尊』、目指したのはあの重心点だった!。津島越え伊勢路に死す『墓場までのレイライン』。 - セキホツ熊の謎を追え!

前記事より。

宮下文書においての出雲機能は陽大社と陰大社に分離した。では単純に陽大社と陰大社をレイラインで繋いでみたらどうなるか?

しかし前記事のように出雲『陰大社』の場所は現在特定できていない。私自身は長野県『本州の重心点』周辺ではないかと勝手に妄想している訳だが。陽大社の場所が判明している以上、逆算的に陰大社の手がかりを得るかもしれない。ま…一歩間違えればこじつけにもなる訳だが、やる価値はあるかなと(笑)。

今回のレイラインはあくまで私的お遊びに基づく(仮)のレイライン…しかし面白い結果になったので記事にしてみた。歴史的にも意外な地域の重要性が急浮上してきた。私が去年の夏に神社巡りをした長野県安曇野~大町である。

 

~津島・本州重心点『陰社陽社レイライン』(仮)~

 

彌彦神社(北に大きくズレ・新潟県燕町)

出雲崎町(信州出雲への港町か?)

石動神社(新潟県長岡市・クニトコタチ)

玉津島神社(新潟県長岡市・ワカヒルメ)

二田物部神社(新潟県柏崎市・二田天物部命・ウマシマジ関係)

黒姫山(黒姫伝承)

戸隠神社奥社随神門(長野県長野市戸隠)

天命稲荷神社と鏡池(長野県長野市戸隠)

津島神社(長野県長野市鬼無里)

瀬戸川神社(長野県上水内郡小川村・オオヤマツミ・住吉三神)

本州の重心点(旧・瀬戸川神社跡地)

瀬戸川皇大神社(長野県上水内郡小川村)

水上神社(長野県大町市)

若一王子神社(長野県大町市)

竈神社(長野県大町市)

穂高神社嶺宮(西に大きくズレ・長野県松本市安曇上高地)

大山大明神(長野県松本市安曇上高地)

森八幡神社(岐阜県下呂市)

多為神社(岐阜県関市・大須彌比売命?)

眞清田神社(西に大きくズレ・愛知県一宮市)

式内名神大社・大神社(愛知県一宮市)

津島神社(牛頭天王信仰本社・日本総社)

亀山城(三重県鈴鹿市 出雲大神宮のある亀山市とは別)

亀山神社(アマテラス・スサノオ・瀬織津姫ほか合祀)

日神(ひかわ)不動院(三重県津市)

太郎生国津神社(三重県津市・国津大明神・出雲大社分霊?)

 

※尾張一宮・眞清田神社は相模一宮・寒川神社と富士山のレイライン上にある。

※Googleマップ線引き機能参照。



出雲崎(新潟県三島郡出雲崎町)

興味深い地名が新潟県の『出雲崎』、これはもしかしたら信州内陸部にあった出雲への侵入口となっていたかもしれない。

越後平野は古来から湿地帯(ヤチ)であり、舟で内陸深く移動可能であった。彌彦神社~出雲崎は日本海に突き出た細長い岬のような形状をしていた。信濃川(千曲川)に沿えば長野県長野市豊野『伊豆毛(いずも)神社』付近に到達し、戸隠山や飯縄山へのアクセスもよい。

干拓事業が本格化したのは戦国時代~江戸時代、特に出雲崎付近は江戸幕府直轄地とされる。越後平野は、こうした長年の干拓事業により日本有数の米所へと変貌したわけだ。出雲崎という地名も諸説あるようだが古名らしい。

新潟県三島郡出雲崎町乙茂には『宇奈具志神社』がありアメノホヒが祀られる。因みに郡名『三島』は彌彦神社・御祭神で三嶋神コトシロヌシの息子『天香山命』に由来すると思われる。宮下文書によると『外寇親征の役』以降、コトシロヌシ一族の生き残り。三嶋神コトシロヌシの活躍により『子孫一族を東北国に於ける海々までの総司令頭長の家に定めた』とある。秋田県大仙市『伊豆山神社』など、東北のコトシロヌシ信仰の由来と思われる。

 

戸隠神社奥社随神門(長野県長野市戸隠)

戸隠の語源は諸説あるが『咎(とが)』『隠し』ともいわれる。近くには霊山『飯縄山』がある。前記事で述べた皇足穂神社は飯縄神社の里宮も含めると同地域三社もある。どうやら飯縄山と飯縄権現に関係しているようなのだ。特に戸隠山~安曇野穂高神社~穂高岳にニニギの痕跡を感じる。そういえば穂高岳にも皇足穂神社にも『穂』がつくな…。瑞穂や高千穂の『穂』は皇家に因む称号。

緊急続報!氷川神スサノオの転生であった『日本武尊』、目指したのはあの重心点だった!。津島越え伊勢路に死す『墓場までのレイライン』。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

瀬戸川神社(長野県上水内郡小川村)

本来、本州の重心点(小川村)にあり遷座させられた神社。長野神社庁ホームページによるとやはり坂上田村麻呂東征に関与しているのだ。私は源義家や坂上田村麻呂ゆかりの神社には何かしらカラクリがあるとみている(笑)。こんな山奥の小規模神社に田村麻呂は何をしていたのか?。

後世に地元領主真田氏はじめ多くの武門領主の崇敬を請けている。遷座時期は江戸寛文6年~明治維新ころか?。

注目すべきは住吉三神。宮下文書によると住吉三神は神代までの三大英雄神で山梨小室浅間神社など重要な神社に祀られる。

偽書のススメ6:さらば富士王朝。延暦噴火だ緊急避難せよ坂上田村麿。 - セキホツ熊の謎を追え! 

緊急続報!氷川神スサノオの転生であった『日本武尊』、目指したのはあの重心点だった!。津島越え伊勢路に死す『墓場までのレイライン』。 - セキホツ熊の謎を追え!

若一王子神社(長野県大町市)

熊野由来の神社。熊野同様に神仏習合の面影が強く三重塔が残る。

この『若一王子』という神についてはアマテラスとニニギとに説が別れるようだ。現在熊野三社では若宮=アマテラスとして祀る。宮下文書的に考えれば、一王子=『長男』と考えれば八王子の長男ニニギではないだろうかと思うのだ。そもそも信州にニニギが祀られているのが珍しいのだが、熊野信仰由来だという。熊野と言えば宮下文書でニニギの弟タマノオヤ(八王子の一柱)の孫・クマノクスヒの関係神社だ。

そしてこの若一王子は牛頭天王と八王子権現伝承に関係があるのかもしれない。ニニギの教育の場所が長野県安曇野~大町周辺広範囲にあったのではないかと妄想できる。…あくまで妄想だが。

同大町市内の若一王子と仁科神明宮は祟神天皇の末子、仁品王で繋がる。仁品王と妹耶姫命の恋愛『ささやき』伝承がある佐々屋幾(ささやき)神社にはニニギとコノハナサクヤが仲良く祀られている。この大町市~安曇野市周辺はなにか重要なものが隠されていそうだ…調査中。

f:id:sekihotu:20190623191453j:plain

f:id:sekihotu:20190623191457j:plain

※下写真・佐々屋幾(ささやき)神社、ニニギとコノハナサクヤが祀られている。

f:id:sekihotu:20190623191514j:plain

 

穂高神社嶺宮(長野県松本市)

穂高見命と綿津見命とニニギが祀られている。参拝したとき私は宮下文書未読の状態で『何で九州の神様が安曇野に揃っているんだ?』と単純に思っていた。

宮下文書によると、天孫降臨中にタマノオヤ現在の山口県防府市玉祖神社付近で崩御した、その後高天原からタマノオヤの甥ヒコホホデミがそれを受け継ぐ形になる。ヒコホホデミは穴門(現在の山口県)を宇都志日金命に守 らせ、長久佐宮(現在の和歌山県名草)をタマノオヤの息子・宇佐見と石堀留目命に守らせ富士高天原に帰還する。

一般的にはこの宇都志日金命が穂高見命と思われている。つまりこの穂高神社にもニニギの弟で八王子の一柱タマノオヤの影がちらつくのだ。

※下写真は安曇野市内里宮の信濃国三宮『穂高神社』。

f:id:sekihotu:20190623191434j:plain

f:id:sekihotu:20190623191436j:plain

 

津島神社(愛知県津島市)

津島神社は牛頭天王と八王子権現の総本社。記紀の八王子権現はスサノオとアマテラスの『誓約』の子のこと、その筆頭が日嗣のアメノオシホミミである。津島神社にも八柱社(八王子社)や忍穂耳社(星宮)にオシホミミの痕跡をみることが出来る。

因みに京都市東山区『八坂神社』の解釈では、記紀版スサノオの御子が八王子となる。

宮下文書においての八王子世代はニニギやタマノオヤら天孫世代だ。ニニギはスサノオに信州出雲で教育され、これが牛頭天王と八王子権現の由来だと思われる。タマノオヤは宮下文書版『天孫降臨』の主人公であり、後の八幡信仰に繋がるとみられる。八幡とはスサノオの娘である栲幡千々姫が産んだ八柱の子(八王子)に意味がありそうだ。

『八幡』『八雲』『八王子権現』の奇妙な共通点 その①娘よ、子供は八子産みなさい。 - セキホツ熊の謎を追え!

緊急続報!宇佐神宮の八幡神と比売大神の正体わかった。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

日神(ひかわ)不動院太郎生国津神社(三重県津市・国津大明神・出雲大社分霊?)

日神不動院は面白いことに『日神』と書いて『ひかわ』と読むらしい…『氷川』と関係ありか?。太郎生国津神社の御祭神は『国津大明神』。因幡出雲由来なのでスサノオ由来かもしれない。

 

指導者ニニギとタマノオヤの誕生へ

~宮下文書ニニギ育成計画その後について~

『…その結果、命(ニニギ)は大いに徳を修め、その知勇他を極めた。その時、祖佐男命が亡くなり、同国大社の裏の鳥上山に葬った。…八佐加毘古(ヤサカヒコ)命と諡した』

『武雄毘古命(ニニギ)が祖佐男命の教育をうけるようになって一〇一千日(30年、5年)経って、高天原小室沢(現山梨県)の熱田都山の日向の宮に還ってきた』

ニニギが卒業するとともにスサノオは死去したようだ。ニニギは高天原で日嗣となり、大陸人から日本の主権を守り抜く英雄となる。ニニギの活躍が なければ神道は早期終了していたわけだ。

偽書のススメ2 :ニニギや神武は何と戦っていたのか? - セキホツ熊の謎を追え!

英雄ニニギを育てたスサノオを称える意味でも、『牛頭天王』と『八王子権現』は広く信仰されたのではないか。全国にある地名・八王子や八王子神社はその名残りだ。

そして宮下文書版『天孫降臨』とはニニギの死後、弟のタマノオヤの活躍となる。八王子の一柱である彼が宇佐八幡付近まで西征し、後世に八幡神となると考える。

 

f:id:sekihotu:20190525201857p:plain


因みに後世『出雲』を名乗る鳥取県と島根県の境に、船通山があり古名を『鳥上山』という。山頂では毎年、天叢雲剣(草薙剣)に因んだお祭りがあるそうだ。この船通山から斐伊川がながれ、武蔵国『氷川(ひかわ)』の語源ともいわている。

宮下文書的ではスサノオが祀られている『鳥上山』も『斐川』も信州出雲にあったとされる。地名まで中国地方に取られてしまったようだ。残念ながら現在の長野県の地図上では見付けられなかった。

 

www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

 

www.sekihotu.com


www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

 

※地図はクラフトマップ使用。

www.craftmap.box-i.net