セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<まとめ+追記>八幡神と比売大神イトウの正体わかった!宇佐神宮・伊豆山神社・天孫降臨・八王子権現のまとめ。

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2018.9月伊豆山『十五夜祭』が催された。

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タマノオヤはアマテラスの義孫、伊豆大神イワナガヒメはツクヨミの孫にあたる。


2019,2,28初回
2019,7,21まとめ

『八幡』『八雲』『八王子権現』の奇妙な共通点 その①娘よ、子供は八子産みなさい。 - セキホツ熊の謎を追え!

『八幡』『八雲』『八王子権現』の奇妙な共通点 その② 八幡神の正体ついに判明か? - セキホツ熊の謎を追え!

『八幡』『八雲』『八王子権現』の奇妙な共通点 その③八幡神の比売様イトウ、熱海伊豆山にいた!? - セキホツ熊の謎を追え!

緊急続報!宇佐神宮の八幡神と比売大神の正体わかった。 - セキホツ熊の謎を追え!

 上4記事まとめ+追記。『読みにくい』とのご意見あり今回纏めてみました。

八幡(やわた)神とは?

…そう質問されて15代応神天皇と答えれば間違いはない。八幡神の始まりは29代欽明天皇の代、豊後国宇佐神宮に顕示したという。

宮下文書の『宇佐の宮』が登場するのは初代ウガヤ王の時代、エビス=オオワダツミ=ヒルコの曾孫・豊玉男命に『八子』がいた。この長男の宇佐豊武命が八旗(やわた)を祀り八幡大神宮と称した。神武東征後に住吉三神を祀り『祖古津八ツ幡』と称される。

・ホツマツタヱに八幡神は登場しないが、アマテル誕生の記念に『八豊幡(ヤトヨ)』を立てたという。その孫ニニギもニハリの宮(筑波)で飾り付けに利用している。 

・鎌倉中期の『承久記』によると、八幡神はアマテラスに次ぐ皇室の守護神であり皇祖神という位置付けらしい。

これら古文書は応神天皇=八幡神と定義するとは書いてない。そして記紀には八幡神は登場しない。

…さて八幡神の正体とは誰なのか?。

 

八幡=八王子権現?。

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一般的に『八王子権現』というのはアマテラスかスサノオに関係する『八人の王子』のことだ。だが文献や伝承ごとに違い、研究者たちを惑わせている。これら共通点はアマテラスとスサノオの『縁』であり、記紀では『誓約』と呼んでいる。考えてみれば、どの文献でもアマテラスとスサノオは不仲であった。これは不仲を乗り越えた協調ということか?。

そして『幡』という字も気になる。『旗』ではなく明らかに『機織り』の語意である。宮下文書において『幡』の字が最も相応しい神は𣑥幡毘女(萬機秋津毘女)であろう。タクハタチヂヒメは織機の製造方法を四方州国に伝授した功績があり、アメノオシホミミとの間に八王子(皇子5人・皇女3人)を残している。宮下文書での大きな特徴は彼女がスサノオの娘であること、つまりニニギ、タマノオヤ、太八重美命、天母岬毘女(4子以外不明)はスサノオの孫となる。いずれも彼らの八王子の子孫は歴史上重要人物となる。

そして『八幡』に似た意味不明の言葉『八雲』。タクハタチヂヒメの幼名が『雲津毘女』というのだ…。

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一方でスサノオは『8』が大好きだ。スサノオは別名『八佐加毘古命(ヤサカヒコ)』、妃・稲田毘女は『八佐加毘女』。スサノオの制作した『八本の御剣(室雲の剣)』や『八太羽鏡(ヤタハノカガミ)』も八に因んでいる。

残念ながら、宮下文書には『8』の意味合いまでは書いていない。しかし祝詞に登場する『弥栄(いやさか)』とは万歳の意味合いに近く、非常にポジティブな言葉と推測する。もしかしたら『8』に因み、自分の娘に八子を産むようにリクエストしたのかもしれない(笑)。

八王子の中でも興味深いのがニニギで、実はかなりの不良少年だったということだ。この辺、好青年であるホツマツタヱとは真逆の性格である。そこでアマテラスはスサノオにニニギを教育(更正?)させるように命じた、その他の弟妹もスサノオに教育された可能性が出てくる。これが八王子権現とスサノオ(牛頭天王)の由来となっているようだ。 かつては敵対していたスサノオがアマテラス義孫を指導者に育て上げた、そこに意味を持たせているのではないか?

※因みに京都市祇園町の八坂神社のように単にスサノオの八柱御子と解釈している神社もある。しかし気になるのは、どの古文書でもこの構成要因・男女5:3を堅持している。この構成要員は何か重要な意味が隠されているのだろうか?。

 

〇八坂神社(京都市東山区祇園町)御祭神・素戔嗚尊・櫛稲田姫命・八柱御子神

〇大将軍八神社(京都市上京区)御祭神・素戔嗚尊・御子神八柱

※ 因みにWikipediaによると八坂神社・東御座に『蛇毒気神』なる謎の神が祀られ、ヤマタノオロチの分身ともいわれている。

 

そもそも『天孫降臨』は古代神『八幡』の功績であった。

宮下文書によると、八王子の一柱・タマノオヤとイワナガヒメが夫妻であった。
彼らは『伊東熱海原』の日金の山(伊豆山や岩戸山の北西の日金山東光寺付近?)に住んでいた。一般的にイワナガヒメは長寿の神とされるが病気で亡くなり、『伊豆大神』として祀られた。これが現在の伊豆山神社の本懐であり、神社は日金山付近→本宮社付近→現在地へと遷座をしている。現在の伊豆山神社御祭神はアメノオシホミミ・タクハタチヂヒメ・ニニギで、境内摂社の何処にもタマノオヤとイワナガヒメの姿はない。

 

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レイラインを変更したのだろうか?。
イワナガヒメの息子ウサミは伊東市宇佐美~伊東市大原『伊東の宮(現・葛見神社)』を拠点としていたとみる。父タマノオヤは子ウサミと家臣イシコリドメをつれて西国統治『天孫降臨』へ旅立つ。宮下文書での『天孫降臨』比定はニニギの死後タマノオヤの功績であり、孫クマクスヒコ(クマノクスビ)の代までの長い旅となる。タマノオヤは穴門(関門海峡付近、山口県防府市・玉祖神社か?)で亡くなり、現在その周防灘対岸に宇佐神宮は存在している。

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◆玉祖神社(タマノオヤの死亡地)

◇宇佐神宮(比売大神イトウ=イワナガヒメ?)

 

ここで仮説を言うと…。

周防灘はニニギ『外寇親征の役』から、九州・四国・本州に挟まれた防衛の要所であった。それを両神が周防灘水門を守る。これこそが宇佐神宮の本来の姿ではないのか?。

玉祖神社にはタマノオヤの死亡地伝承がある。ウサミはその対岸に宇佐神宮を創設、両親を周防灘水門の守護神に祀り上げたのではないか。宇佐神宮と玉祖神社は、いわば彼岸の『対』となのだ。

宮下文書では タマノオヤの死後、宇佐見(ウサミ)が穴門の宮(玉祖神社?)を宇都志日金折命に託すとある。この宇都志日金は出自までは書かれていない。古事記においてはワダツミの子、阿曇連の祖。長野県安曇野の神様、『穂高見命』と同神とみられる。ウサミと宇都志日金はかなり親密であったと推測。ウサミの故郷、伊豆熱海は『アズミ』=『アタミ』。薩摩・熱海・熊野もアタ族と関係深く、ウサミは熊野でクマノクスヒコ(クマノクスビ)によって祀られたという。さらに『日金』はイワナガヒメ死亡地の熱海・日金山を彷彿とさせる。

 

残念ながら、ウサミが宇佐神宮に直接関与したとは一言も書いてない。宮下文書には『1500余日で、西南地方の諸々の州国を平定した』とある。その後ニニギの息子、富士高天原ヒコホホデミ本陣が西征に本格参戦。ウサミとクマノクスヒコがヒコホホデミを補佐、西方をクマなく治め『日前(ひのくま)神宮』の創建にも関与、最終的には紀伊国に『久眞野(くまの)の宮』を造営。こうしてタマノオヤ『天孫降臨』は終了する。

宮下文書では熊野にはクマノクスヒコの父ウサミが祀られていると書いてある。おそらく『夫須美神(フスミ)』のことか。熊野速玉大社や熊野那智大社の御祭神『熊野夫須美』、正体はイザナミと云われるがクマノクスビという説もある。

しかし宮下文書ではクマノクスビ正式名称は久眞野久住毘古命(クマノクスヒコ)である。…では何故『クスヒコ』が『クス』にされてしまったのか?。私には熊野夫須美神(フスミ)とはクマノクスヒコとウサミの掛け合わした造語に見えるのだ…。そして大将軍神社(京都市北区)の 御祭神は磐長姫命(イワナガヒメ) 。神社の別名『須美社』…。その他にも不詳ながらイワナガヒメ親族が四柱祀られているとの情報もある。

その熊野信仰が伊豆国凱旋して紀伊宮信仰=来宮(きのみや)信仰となる。静岡県伊東市内にある『葛見神社』には謎の御祭神『葛見神(クズミ)』が祀られている。鎌倉時代『曾我兄弟の仇討ち』で有名な藤原南家工藤氏流の『伊東祐親』所縁の神社となる。同市内八幡野にある『八幡宮来宮神社』の謎の御祭神『イワクラワケ』は、おそらくイワナガヒメの子ウサミではないか?。そして伊豆出身の伊東祐時が日向地頭に任命され、宇佐神宮~日向周辺に流入し日向伊東氏となる。

三嶋神御子と『海からきた者たち』の正体、ヒントは来宮神社の宇佐八子と五十猛命にあった。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

ホツマツタヱと日本武尊に改竄された伊豆大神イワナガヒメ、わずかに残る古代伊豆伝承。

12代景行天皇が作らせた偽書ホツマツタヱは有名な伝承を生んだ。天孫降臨ニニギの嫁候補として姉イワナガヒメと妹コノハナサクヤが対立、ニニギは容姿でコノハナサクヤを選んだのだ。この舞台が『伊豆崎の仮宮(24文)』、伊豆山ではないかと…。

イワナガヒメを祀る静岡県伊東市の『大室山』には現在も伝承が残っており、大室山(イワナガヒメ)から見る富士山(コノハナサクヤ)を絶対褒めてはいけないという。つまりニニギとコノハナサクヤの活躍に対するアンチテーゼが潜むのだ。タマノオヤの『天孫降臨』の功績をニニギにすり替え、イワナガヒメとコノハナサクヤを執拗に対峙させることによってこの神話の意図してきたものがバレてしまうわけだ…。皮肉なことにこの姉妹喧嘩が歴史解明のヒントになった(笑)。

結局、イワナガヒメとコノハナサクヤの対立とは何を象徴していたのか?。

どうやら宮下文書『ニニギ外寇親征の役』と『タマノオヤの活躍』をホツマツタヱが合体させたようだ。10代崇神天皇~12代景行天皇は渡来勢力への配慮から八幡戦史要素を大幅縮小し、ニニギによる国土開発史にすり替えた。さらに記紀が『天孫降臨』と呼称して神話をファンタジー化させた。

それゆえにホツマツタヱでは、イワナガヒメとコノハナサクヤ対立不可避と風刺していたことになる。この頃から人々はイワナガヒメの怒りを恐れ、祟り神として祀り始めたのではないかと。

大室山・伊豆国火之神の誕生秘話。イワナガヒメとコノハナサクヤの姉妹喧嘩に見る真相とは。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

タマノオヤとイシコリドメはニニギ天孫降臨に随伴したの『五伴緒神』として有名である。記紀ではタマノオヤはニニギの弟ではないが、立役者として後世に名を残している。現代においても八幡系神社は全国神社約12万社あるうちの約4万社であり、古代英雄神を完全に排除することができなかったのだ。

 

~ニニギ天孫降臨・五伴緒神~

・アメノコヤネ(藤原氏祖)

・フトダマ(蘇我氏祖)

・アメノウズメ(菅原氏祖)

イシコリドメ(作鏡氏祖?)

タマノオヤ(オリジナル八幡神?)

偽書のススメ2 :ニニギや神武は何と戦っていたのか? - セキホツ熊の謎を追え!


伊豆山神社の摂社『結明神本社』の登場、由緒書には12代景行天皇の関与を匂わせている。西国中国地方で渡来系を受け入れざる得なかった景行天皇は、日本武尊や大伴武日らに戸隠・氷川・高天原など東国の宗教改革を急がせた。当然『来宮神社』や『伊豆山神社』も標的にされた。

10代崇神~12代景行天皇の代、伊豆大神イワナガヒメ=比売大神イトウの存在が政治的に邪魔になっていた。西国渡来系をイジメていた東国の西征信仰『八幡』…いや東国の歴史そのものがもはや邪魔であった。伊豆大神=瀬織津姫という富士王朝の象徴神に改称されるも、平安期はその瀬織津姫が邪魔になった…。居場所をなくした瀬織津姫を征夷大将軍・坂上田村麿が東北各地に避難させたのかもしれない。東北には多くの田村麿英雄譚が残る。岩手県遠野市『伊豆神社』では伊豆権現=瀬織津姫という伝承が残った。このように神々は人間の都合に翻弄されてきたのだ。

景行天皇と日本武尊の東征戦後処理、出雲族大伴武日と兄多毛比がガチで大伴氏族だった件。 - セキホツ熊の謎を追え!

<神社めぐり>伊豆山神社①、封印された古代女神信仰イワナガヒメと伊豆山神社のナゾをおえ! - セキホツ熊の謎を追え!

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こうして出来たのが伊豆山境内に祀られている『結明神本社』ではないか。『日精・月精』、日精は『姉』で月精は『弟』、ふたりは結ばれ富士山にて神上るという。なにかニニギ弟タマノオヤとコノハナサクヤ姉イワナガヒメの面影を感じてしまう。

また伊豆山と日金山東光寺の中間地点『岩戸山』。これも伊豆大神が由来のようだ。その岩戸山の観音様、岩殿観音がイワナガヒメではないか?。

下地図は伊豆山神社・宇佐神宮レイライン。伊豆山神社も宇佐神宮も空海による宗教干渉を受けている。Googleマップ線引き機能で伊豆山『本宮社』と宇佐神宮奥宮『大元神社』を結ぶとドンピシャで奈良県橿原市『橿原神宮』である。現在の橿原市周辺には多少ズレるが『八幡神社(上飛騨町)』『八王子神社(忌部山)』『天岩戸神社』『国常立神社』『稚櫻神社』『聖徳太子上之宮跡地』がある。

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このように伊豆山神社と宇佐神宮には、東国と西国、東征と西征の歴史が眠っているのではないか。それを後世の歴代将軍たちが『天孫降臨』を准える神として利用していた。伊豆山神社も宇佐神宮も歴代征夷大将軍たちに『軍神』として崇敬されてきたわけだ。

〇大将軍八神社(京都市上京区)御祭神・素戔嗚尊・御子神八柱

〇大将軍神社(京都市北区) 御祭神・磐長姫命(イワナガヒメ) 。神社の別名『須美社』?。摂社『角社』に牛頭天王(スサノオ)。

そして将軍にはなぜかイワナガヒメやスサノオや八王子権現が付き纏う。

 

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ウガヤ王朝期の宇佐神宮とは。

f:id:sekihotu:20190321143215p:plain天孫降臨後の初代ウガヤ王の時代。

富士高天原は度重なる大陸人襲来に備えて九州遷都を決行、その最終調整のため再び西征が必要になった。海軍総大将がスクナヒコナとオオクニヌシの孫にあたる『健磐龍命』が抵抗する大賊らの統治へ、その拠点として十万余神の軍勢を集めたのが『穴門の住防の宮』(=長門一宮『住吉神社』?)。この健磐龍命は熊本県上益城郡山都町『幣立神宮』創建にも関与しつつ南下。最終的に夏至レイラインで富士山と繋がる霧島山『高千穂峰』に遷都した。これが富士山高千穂峰レイラインである。一般的に健磐龍命は神武天皇の孫とされているので注意。

宮下文書曰く。初代ウガヤ王朝の代。豊玉男命の八子が海の守りの全国主要水門を守護。宇佐豊武命は初代タマヨリヒメの実兄、初代ウガヤフキアエズの義兄。彼らは穴門周辺をガードしていた先住民富士高天原勢力、つまり宇佐神宮の役割とは東国先住民による西征拠点だ。

 

~豊玉男命の八子(息子のみ娘は含まず)~

・宇佐豊武命 総元帥大本営 (宇佐の宮)

・佐津真命 (佐津真)

・日野前佐武命 (長崎)

・大阿佐彦命 (阿波)

・那珂三井男命 (初古崎)

・玉縣彦命 (対馬)

・石田明男命 (伊岐島 )

・羽茂猛命 (佐渡)

 

彼らは小高い岡の上に『八旗』を掲げ八幡大神宮と称した。これが宇佐神宮南の『大元神社』なのかもしれない。

但し八子=八幡と考えるのは早計か、豊玉男命の息子たち八子は宇佐神宮摂社『八子神社』にしっかりと祀られている。それに『承久記』には八幡=皇祖と定義されているが、彼らは皇祖といえる立場ではない。

…では八幡とは誰なのか?。

やはり私は八王子の一柱タマノオヤが相応しいと思う。そして比売大神イトウは伊豆大神イワナガヒメ。ホツマツタヱ(28文)ではイワナガ=ヤマタノオロチ(=ハヤコ・ハヤサスラヒメ)転生としっかり記述されている。

 

ヤマタ=ヤワタ(八幡)である。

 

この東国の先住民富士高天原勢力(穴門周辺勢力)が、いわば海軍か海上保安庁として活動していた。その勢力は壱岐、対馬、佐渡島、伊豆国三嶋大社から伊豆諸島にも及んでいた。中国地方の渡来人を監視し、何かあれば鎮圧に出ていた。中国地方渡来人の視点で見れば、まさに弱者をイジメる悪神ヤマタノオロチに見えたわけだ。しかし12代景行天皇の時代までに渡来系の立場は逆転、先住民勢力は彼らに国(中国地方)を譲らざる得なかった。これが出雲『国譲り』の流れへと発展するとみる。

 

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神武天皇期の宇佐神宮とは。

それからウガヤ王朝51代後。神武天皇の代の海守大本営は3ヵ所、副本営本管副本陣を12ヵ所になる。やはり豊玉男命の子孫を元帥に配置。

 

海守三大本営大本陣

・武勇男命(摂津水門、住吉の宮)

・高照武命(中之島土佐和野の水門 高加茂の宮)

・武田建命(祖古都八ツ幡の宮)

 

神武天皇の代から海守三大本営に『住吉三神』が祀られる。津都王三神=住吉三神とは歴代の偉人らしい。宇佐の摂社『住吉神社』に祀られている。そういえば北東本宮小室浅間神社や都内・大国魂神社摂社に祀られており、かなりの重要神と思われる。

~住吉三神~

●住吉の宮・上津都王神(上筒之男命)天之世天之神七代の大御神

●土佐和野水門・中津都王神(中筒之男命)天之御中世火高見神十五代の大御神

●宇佐の宮再興・祖古都王神(底筒之男命)高天原世天神七代大御神

 

※因みに宮下文書では宗像三女は登場しない。比売大神Wikipediaによると宇佐神宮の比売大神=宗像三女とされてしまっているが、恐らく宗像三女とは神代後世の比較的新しい神様だ。元々宇佐で祀られていた『住吉三神』をコンセプトにした存在ではないか?。登場しはじめたのは瀬織津姫同様にホツマツタヱ成立前後(崇神~景行天皇時代)か。

その他の手がかり

鎌倉時代には日向などに伊東氏が流入、このへんは頼朝による思惑があったのだろうか。その後頼朝の落とし胤、大友氏族による『ウエツフミ』改竄説がある。どうやら徳川家康や源頼朝は富士王朝延命のために富士王朝の存在を隠した節があるのだ。現存する ウエツフミには富士山周辺は小国として描かれている。現代、後継者問題で神社庁から疎外されている宇佐神宮の社家は『到津(いとうづ)氏』という。

また現代の出光興産と宇佐美鉱油の関係も面白い。『海賊呼ばれた男』で有名な出光佐三の祖先は到津(いとうづ)氏と同祖、宇佐神宮大宮司であり本姓『宇佐氏』。1967年に出光単独特約販売店(有)宇佐美共栄社を設立した宇佐美史郎と意気投合していたようだ。しかし二人の出会いはあくまで偶然だったようだ。

 

以上…宮下文書をベースに考えている妄想である。いずれにしてもタマノオヤとイワナガヒメが、かつては大きな信仰であったことがわかって来た。今後も何かわかればブログに書かせていただく。

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地図はクラフトマップ使用。

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