セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<まとめ+追記>八幡神と比売大神イトウの正体わかった!宇佐神宮・伊豆山神社・天孫降臨・八王子権現のまとめ。

f:id:sekihotu:20190720233154j:plain

f:id:sekihotu:20190721133653p:plain

2018.9月。伊豆山にて十五夜祭が催された。

2019,2,28初回
2019,7,21まとめ

『八幡』『八雲』『八王子権現』の奇妙な共通点 その①娘よ、子供は八子産みなさい。 - セキホツ熊の謎を追え!

『八幡』『八雲』『八王子権現』の奇妙な共通点 その② 八幡神の正体ついに判明か? - セキホツ熊の謎を追え!

『八幡』『八雲』『八王子権現』の奇妙な共通点 その③八幡神の比売様イトウ、熱海伊豆山にいた!? - セキホツ熊の謎を追え!

緊急続報!宇佐神宮の八幡神と比売大神の正体わかった。 - セキホツ熊の謎を追え!

 上4記事まとめ+追記。『読みにくい』とのご意見あり、今回纏めてみました。

八幡(やわた)神とは?

Wikipedia石清水八幡宮によると、八幡大神とは八幡三所大神、

・『誉田別命(15代応神天皇)』

・『比咩大神(一般的には宗像三神)』

・『息長帯姫命(応神母・神巧皇后)』

即ち、『八幡神』とはこの三柱総称のことと定義される。

八幡神の始まりは、29代欽明天皇の代豊後国宇佐神宮に顕示した…のだが、実のところそれより遥か以前に、宇佐神宮は存在していたのだ(笑)。では、そもそも八幡神とは何者なのか?、八幡系神社は全国神社約12万社あるうちの約4万社、この国で最も信仰されつつ、最も理解されていない『八幡神』の正体に迫ってみたい。

・『扶桑略記』や宇佐神宮由緒書を要約すると、宇佐八幡付近の厩峯(御許山)菱形池にて、鍛冶の翁や八つ頭の龍が現れて、その姿を見たものは不幸に見舞われたという。鍛冶の翁が三歳小児の姿として顕現、自ら『誉田天皇広幡八幡麿』と称し、名は『護国霊験威身神大自在王菩薩』と名乗ったという。

・鎌倉中期の『承久記』によると、八幡神はアマテラスに次ぐ皇室の守護神であり皇祖神という位置付けらしい。

宮下文書においては、初代ウガヤ王の時代にエビス=オオワダツミ=ヒルコの曾孫・豊玉男命に『八子』がいた。この長男の宇佐豊武命が八旗(やわた)を祀り八幡大神宮と称した。神武東征後に住吉三神を祀り『祖古津八ツ幡』と称される。

・ホツマツタヱに八幡神は登場しないが、アマテル誕生の記念に『八豊幡(ヤトヨ)』を立て、その孫ニニギもニハリの宮(筑波)で、旗の飾り付けに利用している。 

そして記紀には、何故か八幡神は登場しない。『扶桑略記』以外の文献には、応神天皇=八幡神と定義するとは書いてない。

…さて八幡神の正体とは誰なのか?。

 

八幡=八王子権現?。

f:id:sekihotu:20190224183347p:plain

一般的に『八王子権現』というのは、アマテラスかスサノオに関係する『八人の王子』のことだ。しかし文献や神社ごとに伝承内容が違い、研究者たちを惑わせている。これら八王子と呼ばれる神々の共通点は、アマテラスとスサノオの『縁』であり、記紀ではこれを『誓約』と呼んでいる。考えてみれば、どの文献でもアマテラスとスサノオは不仲であったわけで、不仲を乗り越えた協調・調和を意味するということか…?。

そして『幡』という字も気になるところ。『旗』ではなく明らかに『機織り』の語意であり、この字が最も相応しい女神は𣑥幡毘女(萬機秋津毘女)ではなかろうか?。宮下文書におけるタクハタチヂヒメは、織機の製造方法を四方州国に伝授した功績があり、夫アメノオシホミミとの間に八王子『皇子五人、皇女が三人』を残している。同書の大きな特徴は、彼女がスサノオの娘であること、つまりニニギ・タマノオヤ・太八重美命・天母岬毘女(この4子以外記載されておらず)はアマテラスとスサノオの共通の孫に当たるのだ。いずれも彼らは、歴史上重要人物となる。

 

~天孫八王子世代(四神のみ判明)~

・天日子火瓊々杵尊(仁人木尊)

・天太眞祖命(阿祖山太神宮守護司長)

・太八重美命(蘇我大伴系統フトダマ妃)

・天母岬毘女(藤原物部系統アメノコヤネ妃)

 

そして『八幡』に似た意味不明の言葉、『八雲』とは…、実はタクハタチヂヒメの幼名が信州出雲出身『雲津毘女』、というのだ…。

f:id:sekihotu:20190223132131p:plain

またスサノオは『8』が大好きだ。スサノオは別名『八佐加毘古命(ヤサカヒコ)』、妃・稲田毘女は『八佐加毘女』、スサノオの制作した『八本の御剣(室雲の剣)』や『八太羽鏡(ヤタハノカガミ)』も八に因んでいる。

残念ながら、宮下文書には『8』の意味合いまでは書かれていない。しかし『八坂』の語源、祝詞などに登場する『弥栄(いやさか)』とは、本来『万歳』の意味合いに近く、非常にポジティブな言葉と推測できる。

さらに同書で興味深いのは、天孫ニニギがかなりの不良少年であった点、この辺、好青年に描かれているホツマツタヱとは真逆の性格となる。ニニギに手を焼いたアマテラスは、スサノオにニニギを再教育(更正?)させるように命じており、この機に及んでその他の八王子弟妹も、外祖父スサノオに託された可能性はある。即ち、これが『牛頭天王と八王子権現』の由来なのではなかろうか?。だとすると、 かつては敵対していたスサノオが、アマテラス義孫を立派な指導者に育て上げた、その改心と教育こそが八王子権現の大きな意義だといえる。

※因みに『八坂神社』(京都市祇園町)のように単にスサノオの八柱御子と解釈している社もあり、どの古文書でもこの構成要因・男女5:3を堅持している。

 

〇『八坂神社』(京都市東山区祇園町)御祭神・素戔嗚尊・櫛稲田姫命・八柱御子神

〇『大将軍八神社』(京都市上京区)御祭神・素戔嗚尊・御子神八柱

※ 因みにWikipediaによると八坂神社・東御座に『蛇毒気神』なる謎の神が祀られており、ヤマタノオロチの分霊ともいわれている。

 

宮下文書版『天孫降臨』は『八幡』の功績であった?。

その天孫世代・八王子の次男、タマノオヤは伊豆でイワナガヒメを娶った。
二柱は『伊東熱海原』の日金の山(熱海市日金山東光寺付近?)に住んでいたが、イワナガヒメが病で亡くなり『伊豆大神』として祀られ、これが後世の『伊豆山神社』『伊豆権現』信仰の母体となったとみる。神社は日金山付近→本宮社付近→現在地へと遷座をしており、現在の境内には、タマノオヤとイワナガヒメ夫妻の姿は何処にも見当たらない。
 
〇『伊豆山神社』(静岡県熱海市伊豆山)
~御祭神~
・アメノオシホミミ
・タクハタチヂヒメ
・ニニギ
~摂社~
・伊豆大神荒魂・ニニギ
・伊豆大神奇魂・キクリヒメ
・結明神本社・日精月精 

f:id:sekihotu:20190818001547p:plain

レイラインを変更したのだろうか?。
イワナガヒメの死後、タマノオヤと息子ウサミ、そして二人の家臣イシコリドメは、共に西国統治『西征』へ旅立つ。これが、ウサミの子クマクスヒコ(クマノクスビのことか?)の代までの長い旅路となる。因みに、息子ウサミは伊東市大原『伊東の宮(現・葛見神社)』を拠点としており、静岡県伊東市北部に現在も宇佐美という町があり、後世には伊東氏族にも宇佐美氏が登場する。鎌倉時代に伊東氏は九州日向に渡り、宇佐神宮イトウ神とも関係が出てくる。
最終的にタマノオヤは、穴門(関門海峡付近、山口県防府市・玉祖神社か?)で亡くなり、奇しくもその周防灘対岸には『宇佐神宮』(大分県宇佐市大字南宇佐)が存在しているわけだ。
 
〇『宇佐神宮』(大分県宇佐市南宇佐)
~御祭神~
・八幡大神
・比売大神(宗像三神と解釈されている、別名イトウ神
・神巧皇后
ホツマツタヱ28文に登場する宗像三女は、別名『イトウ神』ともいう。これが宮司職を世襲してきた社家、到津(いとうづ)氏の語源ではないかと推測する。
 

f:id:sekihotu:20190316172423p:plain

ここで仮説を言うと…。

ニニギ『外寇親征の役』の時代から、この周防灘は、九州・四国・本州に挟まれた防衛の要所であり、後世それをタマノオヤ・イワナガヒメ両神が周防灘水門を見守る。これこそが宇佐神宮と玉祖神社の本来の役割ではないのか?。

即ち、宇佐神宮の比売大神とは、ウサミの母親イワナガヒメである。

 

◆『玉祖神社』(タマノオヤの死亡地)

◇『宇佐神宮』(比売大神イトウ=イワナガヒメ?)

 

Wikipediaによると周防一宮・玉祖神社には、やはりタマノオヤの死亡地伝承があり。その子ウサミはその対岸に宇佐神宮を創設、両親を周防灘水門の守護神に祀り上げたのではないかと推測。即ち、宇佐神宮と玉祖神社は、いわば彼岸の『対』なのだ。

宮下文書によるとタマノオヤの死後、宇佐見(ウサミ)が、穴門の宮(玉祖神社?)を宇都志日金折命に託すとある。この宇都志日金は出自までは書かれていないが、古事記においてはワダツミの子、阿曇連の祖、長野県安曇野穂高神社の『穂高見命』と同神とみられ、ウサミと宇都志日金はかなり親密であったと推測。ウサミの故郷、伊豆熱海は『アズミ』=『アタミ』。薩摩・熱海・熊野ともにアタ族と関係あり、ウサミは熊野でクマノクスヒコによって祀られていたという。さらに『日金』はイワナガヒメ死亡地の熱海・日金山を彷彿とさせる。

タマノオヤの訃報が富士朝に上がると、ニニギの子ヒコホホデミ本陣が西征に本格参戦してくる。ウサミとクマノクスヒコ親子はヒコホホデミをサポートし、西方をクマなく治め 『1500余日で、西南地方の諸々の州国を平定した』とある。

残念ながら、道中ウサミが『宇佐神宮』創建に関与したとは一言も書いてない。その後西方をクマなく治め『日前(ひのくま)神宮』の創建、最終的には紀伊国に『久眞野(くまの)の宮』を造営した。

そこでクマノクスヒコは父親ウサミを祀ったと記されているのだが…、これがおそらく『熊野夫須美(フスミ)』ではないかと推測している。クマノフスミは熊野速玉大社や熊野那智大社の御祭神であり、その正体は諸説あり、イザナミとも云われるが、クマノクスビ本人という説もある。

さてここで、クマノクスビ正式の名称は、久眞野久住毘古命(クマノクスヒコ)である。…では何故、宮下文書以外では『クスヒコ』が『クス』に変更されてしまっているのだろうか?。私には熊野夫須美神(フスミ)同様に、クマノクスビとはクマノクスヒコとウサミの掛け合わした造語に見えるのだ…。例えば『大将軍神社』の 御祭神は磐長姫命(イワナガヒメ)とその家族 で、その神社の別称は『須美社』という…。

 

『大将軍神社』(京都府京都市北区西賀茂角社町)

~御祭神~

・イワナガヒメ(イワナガヒメとその家族四柱を祀る)

別名『須美(すみ)社』或いは『角社』。

 

さらに熊野信仰が伊豆国に凱旋して、『紀伊宮』信仰=『来宮(きのみや)』信仰となり、静岡県伊東市内にある『葛見神社』には謎の御祭神『葛見神(クズミ)』が祀られている(下写真↓)。鎌倉時代『曾我兄弟の仇討ち』で有名な、藤原南家工藤氏流の伊東祐親所縁の神社となる。前述のように、伊東祐時が日向地頭に任命され、宇佐神宮~日向周辺に流入し日向伊東氏となる。

また同市内八幡野にある、伊豆国府八幡宮『八幡宮来宮神社』の御祭神『イワクラワケ』は、おそらくイワナガヒメの親族ではないか?とみている。 

f:id:sekihotu:20200504222507j:plain

宮下文書比定ウサミ拠点『伊東の宮』、葛見神社(静岡県伊東市馬場町)

 

ウガヤ王朝期の宇佐神宮とは。

 つづいて天孫降臨後の初代ウガヤ王の時代。

タマノオヤ西征は終結したものの、富士高天原は大陸人襲来に備えて九州遷都を決行、その最終調整のため、再び西征が必要になった。今回西征者に任命されたのがスクナヒコナとオオクニヌシの孫にあたる『健磐龍命』、九州地方にて抵抗する大賊らの統治へ向かう。その拠点として十万余神の軍勢を集めたのが『穴門の住防の宮』(=長門一宮『住吉神社』?)。

健磐龍命は道すがら、『幣立神宮』(熊本県上益城郡山都町)の創建にも関与しつつ(推測)南下、最終的に夏至レイラインで富士山と繋がる、霧島山高千穂峰に到達した。この地が最終的に、ウガヤ朝の信仰拠点となる。一般的に健磐龍命は神武天皇の孫とされているので注意。

宮下文書曰く。初代ウガヤ王朝の代。豊玉男命の八子が海の守りの全国主要水門を守護し始める。宇佐豊武命は初代タマヨリヒメの実兄、初代ウガヤフキアエズの義兄。彼らは穴門周辺をガードしていた先住民富士高天原勢力、つまり宇佐神宮の根本的役割とは、東国先住民による西国統治の海軍拠点だ。

 

f:id:sekihotu:20190321143215p:plain

~豊玉男命の八子(息子のみ娘は含まず)~

・宇佐豊武命 総元帥大本営 (宇佐の宮)

・佐津真命 (佐津真)

・日野前佐武命 (長崎)

・大阿佐彦命 (阿波)

・那珂三井男命 (初古崎)

・玉縣彦命 (対馬)

・石田明男命 (伊岐島 )

・羽茂猛命 (佐渡)

 

彼らは小高い岡の上に『八旗』を掲げ八幡大神宮と称した。これが宇佐神宮南の『大元神社』なのかもしれない。但し、八子=八幡ではない。豊玉男命の息子たち八子は宇佐神宮摂社『八子神社』にしっかりと祀られている。それに『承久記』には八幡=皇祖と定義されており、彼らは皇祖といえる立場ではない。

…では八幡とは誰なのか?。

やはり私は、八王子の一柱タマノオヤが相応しいと思う。そして比売大神イトウは伊豆大神イワナガヒメ。ホツマツタヱ(28文)ではイワナガヒメ=ヤマタノオロチ(=ハヤコ・ハヤサスラヒメ)転生としっかり明記されている。

 

ヤマタ=ヤワタ(八幡)である。

 

この国は、古来より国防意識が強かったようだ。先住民富士高天原勢力(穴門周辺勢力)が、いわば海軍(海上保安庁?)として活動し、その勢力は壱岐、対馬、佐渡島、伊豆国三嶋大社から伊豆諸島にも及んでいた。中国地方の出雲渡来人やその他漂流者を監視し、何かあれば鎮圧行動に出ていた。

しかし中国地方渡来人の視点で見れば、まさに弱者をイジメる悪神ヤマタノオロチに見えたわけだ。前述した、宇佐神宮由緒書にて八つ頭の龍が現れたのも、イトウ=イワナガヒメ=ヤマタノオロチを暗示していたのであろう。

しかし12代景行天皇の時代までに、出雲渡来系の立場は逆転、彼らは先住民たちに待遇改善を要求し、法の番人『スサノオ』を信州出雲にて封印させることに成功、多くの免罪を受けたのである。

景行天皇ら先住民勢力は、彼らに国(中国地方)を譲らざる得なかった。これが出雲『国譲り』の流れへと発展するとみる。

 

宮下文書によるオリジナル出雲『天獄』は何処に存在していたのだろうか? - セキホツ熊の謎を追え! 

祖国のために死んだ神『生島・足島』と『事代主』の関係。天皇守護の宮内八神殿とは何なのか? - セキホツ熊の謎を追え!

三嶋神御子と『海からきた者たち』の正体、ヒントは来宮神社の宇佐八子と五十猛命にあった。 - セキホツ熊の謎を追え!

神武期の宇佐神宮とは。

…話が逸れたが、ウガヤ時代にもどる。

それからウガヤ王朝51代後。神武天皇の代の海守大本営は3ヵ所、副本営本管副本陣を12ヵ所になる。やはり豊玉男命の子孫を元帥に配置。

 

海守三大本営大本陣

・武勇男命(摂津水門、住吉の宮)

・高照武命(中之島土佐和野の水門 高加茂の宮)

・武田建命(祖古都八ツ幡の宮)

 

神武天皇の代から、海守三大本営に『住吉三神』が祀られる。津都王三神=住吉三神とは歴代の偉人らしく、宇佐の摂社『住吉神社』にも祀られている。そういえば北東本宮小室浅間神社や都内・大国魂神社摂社に祀られており、かなりの重要神と思われる。

~住吉三神~

・住吉の宮・上津都王神(上筒之男命)天之世天之神七代の大御神

・土佐和野水門・中津都王神(中筒之男命)天之御中世火高見神十五代の大御神

・宇佐の宮再興・祖古都王神(底筒之男命)高天原世天神七代大御神

 

※因みに宮下文書では宗像三女は登場せず、比較的新しい神様だ。元々宇佐で祀られていた『住吉三神』と玉祖神社の『八王子』をコンセプトにした存在で、登場しはじめたのは瀬織津姫同様にホツマツタヱ成立前後(崇神~景行天皇時代)かと妄想…。

ホツマツタヱと日本武尊に改竄された伊豆大神。

景行年間に成立したホツマツタヱ24文は、とある有名な神話を生んだ。

ニニギの嫁候補として姉イワナガヒメと妹コノハナサクヤが対立、最終的にニニギは容姿でコノハナサクヤを選んだとされるが、この舞台『伊豆崎の仮宮』こそが伊豆山ではないかとみる。

世間的なことを言えば、実はこういう対比型神話は世界中に存在しており、片方が史実、もう片方がそれを塗り替えた史実、とも解釈できる。既存の価値観を『醜い』ことと否定し、結果的に『美しい』価値観として肯定し差し替えることになるわけだ。

大室山・伊豆国火之神の誕生秘話。イワナガヒメとコノハナサクヤの姉妹喧嘩に見る真相とは。 - セキホツ熊の謎を追え!

つまり、タマノオヤのニニギの功績をすり替え、イワナガヒメとコノハナサクヤを執拗に対峙させることによって、この神話の意図してきた裏話が浮き彫りとなってくる…。皮肉なことに、この姉妹喧嘩神話が解明のヒントになった(笑)。

では結局、この神話は何を意味していたのか?。

どうやら宮下文書『ニニギ外寇親征の役』と『タマノオヤの活躍』を、後世のホツマツタヱが、ニニギの国土開発史にすり替えたとみる。即ち、当時の人々は、これは必ずイワナガヒメとコノハナサクヤが対立不可避の大喧嘩になると、風刺していたことになる…。この頃から人々はイワナガヒメを恐れ、全国的に祟り神としての特質を帯び始めたのではないか。

 

まあ、結果的には、ニニギ天孫降臨に随伴したの『五伴緒神』としてタマノオヤとイシコリドメは知られており、彼らの活躍は辛うじて後世に残ったのだ。 

 

~ニニギ天孫降臨・五伴緒神~

・アメノコヤネ(藤原氏祖)

・フトダマ(蘇我氏祖)

・アメノウズメ(菅原氏祖)

イシコリドメ(作鏡氏祖?)

タマノオヤ(オリジナル八幡神?)

 

偽書のススメ2 :ニニギや神武は何と戦っていたのか? - セキホツ熊の謎を追え!

 

2世紀ころ?、渡来系出雲を受け入れざる得なかった12代景行天皇は、日本武尊や大伴武日らに戸隠・氷川・高天原など東国の宗教改革を急がせ、当然『来宮神社』や『伊豆山神社』も標的にされた。こうして出来上がったのが偽書ホツマツタヱである。

宮下文書にはヤマトタケルが伊豆山に関与した記載はない、しかし逆説的に考えて、八幡神聖地を無視することも考えられない。そんな頃出来たのが『結明神本社』ではないか?、由緒書には景行年間の伊豆山関与を匂わせている。

『日精・月精』、日精は『姉』で月精は『弟』、ふたりは結ばれ富士山にて神上るという。この小さな石祠は、ニニギ弟タマノオヤとコノハナサクヤ姉イワナガヒメを彷彿とさせる。日神の遺伝子タマノオヤはアマテラスの孫、月神の遺伝子イワナガヒメはツクヨミの孫にあたる。

<神社めぐり>伊豆山神社①、封印された古代女神信仰イワナガヒメと伊豆山神社のナゾをおえ! - セキホツ熊の謎を追え!

f:id:sekihotu:20190430172338j:plain

その他の手がかり

またGoogleマップ線引き機能で、伊豆山『本宮社』と宇佐神宮奥宮『大元神社』をレイラインで結ぶと、ドンピシャで神武天皇拠点『橿原神宮』を通る。これは今まで見てきたどのレイラインよりも高精度で、神の所業かと驚かされる(笑)。ただ現存する『橿原神宮』は明治23年(1890年)に考古学的推測を元に創建されたもので、不明な点が多いようだ。

このように伊豆山神社と宇佐神宮には、東国と西国、東征と西征の歴史が眠っているのではないかと。前述の『大将軍神社』(京都市北区)のように、歴代東征者(将軍ら)が天孫降臨を准える神として、或いは軍神として、或いは破壊と創生の神として利用してきたのではないかと。また後世、戦国武将の武田信玄らが使用していた日月軍配とは、八幡神を象徴しているのではないだろうか…?ともおもう。

f:id:sekihotu:20190825223545p:plain

f:id:sekihotu:20190316232046p:plain

また鎌倉時代には日向などに伊東氏が流入、このへんは鎌倉幕府ないし頼朝の思惑があったとみる。その後頼朝の落胤説がある、大友氏族による『ウエツフミ』改竄説がある。鎌倉幕府や江戸幕府は富士朝延命のために、むしろ存在を隠した節があり、現存する ウエツフミには富士山周辺は小国であったと記載されている。

 

また現代の出光興産と宇佐美鉱油の関係も面白い。『海賊呼ばれた男』で有名な出光佐三の祖先は、前述した到津(いとうづ)氏と同祖、宇佐神宮大宮司であり本姓『宇佐氏』。1967年に出光単独特約販売店(有)宇佐美共栄社を設立した宇佐美史郎と意気投合していたようだ。しかし二人の出会いはあくまで偶然だったようだ。

 

以上、いずれにしてもタマノオヤとイワナガヒメが、かつては大きな信仰であったことがわかって来た。今後も何かわかればブログに書かせていただく。

www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

www.sekihotu.com

地図はクラフトマップ使用。

www.craftmap.box-i.net