2019,9,29
前記事『神津島伊豆山レイライン』で話題にしたが大室八幡神社、調べるうちに意外なことが判明したので纏めてみる。この神社はおおよそ二線のクロスポイントに存在する。
〇富士山・高千穂峰レイライン3.5㎞ズレ(御神体の大室山は600mズレ)。
〇神津島・伊豆山レイライン350mズレ。
<レイラインの美学⑧>八幡宮来宮神社から伊豆山本宮社と来宮神社へ、八幡・熊野・来宮・離島信仰、混合二本のレイライン①Aライン。 - セキホツ熊の謎を追え!
<レイラインの美学⑨>三峯神イザナギ・イザナミは岩長毘女代理人?。神津島伊豆山レイライン②Bライン。 - セキホツ熊の謎を追え!
二本の主要レイライン・クロスポイント
丹沢北部『大室山』標高1587メートル、甲斐国と相模国の国境となる。神津島伊豆山レイラインと、富士山高千穂峰レイラインのクロスポイントからはややズレる。
丹沢山系『大室山』は知名度に乏しいのだが、ただ多くの都民は知らないうちに見ている可能性が高い…。表紙写真のように多摩地区から富士山を眺めると一目瞭然、私も以前から富士山前のデカい三角形が気になっていた。富士山と大室山が重なるということは、武蔵国多摩から見て同線上にあることになる。
加藤武雄の小説『わが小画板』曰く、北相模(東京町田市相原付近)や武蔵国武蔵岡という地で『富士隠し』という伝承がある。富士山に雪が積もる季節だけ、富士山が大室山から顔をのぞかせたという。大室山に近いエリアでは、地形斜角と光線の具合で、富士がギリギリ拝めない。大室山から幾分か離れた多摩川付近になると、晴れた日には年中、富士の輪郭を拝めるというわけだ。
またこの大室山は『鎌倉』『相模一宮・寒川神社』『大山阿夫利奥宮』『御室山(大蔵経寺山)』を繋ぐレイライン交差点を形成している。山梨県笛吹市の御室山には、山神宮奥宮『天狗神社』がある。御室山の重要性についてはまた後程、別記事にて。
<レイラインの美学⑬>鎌倉幕府と御室山の繋がりにみる御霊大神。三浦半島は富士朝のお膝元であった。 - セキホツ熊の謎を追え!
大室八幡神社(山梨県南都留郡道志村)
~御祭神~
・伊弉諾命
・伊弉冊命
・誉田別命
丹沢北部『大室山』標高1587メートル、甲斐國誌では『大群山(おおむれやま)』と記され、『大牟礼権現』『大牟連山大権現』とも表記される。当社はその里宮と思われる。文永十一年(1274)『大室大権現』として勧請、大室山の山岳信仰であるようだが、何処からの勧請かは不明。かつては山頂に『大牟連山大権現』と記された『祠』があったそうだが、現在は何もない。神社は明治五年八月八幡大神宮、熊野大権現、長幡七社権現を合祀し大室八幡神社と改称。大正三年村社諏訪神社を合祀。境内からは大室山が見え、山に一礼して参拝する習わしがある。
本殿すぐ右側背後には、大きな磐座?があった。
国道413号『道志みち』沿いに『大室神社』が数か所あり、地図と山梨県神社庁HPで確認とれただけでも三か所の小社ある。場所は山梨県南都留郡道志村2599と南都留郡道志村3349、どちらもイザナギとイザナミを祀り、『大室大権現』とはイザナギ・イザナミを示すとみる。
月夜野地区隣の大渡地区にも小さな『大室神社』があるが御祭神不明、蜘蛛の巣だらけだった…。平安時代までは、大室山周辺にてココと定めず、厖大な御神体に向かって雨乞いの仰拝がされたという。故に小社や祠は点在していると思われ、周辺を探せばまだまだ出てくるかもしれない。
詳細は過去記事リンクより↓
<レイラインの美学⑧>八幡宮来宮神社から伊豆山本宮社と来宮神社へ、八幡・熊野・来宮・離島信仰、混合二本のレイライン①Aライン。 - セキホツ熊の謎を追え!
<レイラインの美学⑨>三峯神イザナギ・イザナミは岩長毘女代理人?。神津島伊豆山レイライン②Bライン。 - セキホツ熊の謎を追え!
そしてレイライン大室山と権現山が繋がった…。
興味深いことに、いことに大菩薩連嶺の『権現山』(山梨県上野原市)にも『大ムレ権現社』があるのだ。しかもちょうど神津島伊豆山レイラインの直上、山梨県と神奈川県の3つの『権現山』に連なることになる(後述)。
~神津島伊豆山レイライン上の三つの権現山~
・大菩薩連嶺・権現山(山梨県大月市と上野原市境)標高1312m
・箒沢・権現山(神奈川県足柄上郡)標高1138m
・世附・権現山(箒沢のすぐ下)標高1019m
『大ムレ』とは何だろうか…。ここに神津島伊豆山レイラインとヤマトタケル東征の接点があるような気がしてならないのだ(妄想)。
大菩薩連嶺の権現山(大月市と上野原市境)は『大勢籠権現』といい、山頂に『和見王勢籠神社』の奥宮があり、ヤマトタケルを祀る。『大勢籠』も『王勢籠』も上野原地元では『おせろう』と呼んでいるが、『おおむれ』と読む可能性があるそうだ。山と渓谷社オンラインHPによると、権現山も『大勢籠山』と書いて、『おおむれやま』という説がある。大菩薩連嶺・権現山に大ムレ権現社があるということは、大ムレ信仰域は富士朝から東側『関東山地』のかなり広範囲とみる。
権現山山頂『王勢籠神社』の奥宮は、三峯神社や武蔵御嶽神社同様に狼信仰の伝承もあるという。また社伝によると天狗図像が描かれていたとのこと。富士朝や秦氏周辺を研究していくと、この『天狗』がキーワードとして結構出てくるのだ。やはりココにもヤマトタケルの影が出てきた。
宮下文書とホツマツタヱによると、ヤマトタケルは甲斐国『酒折(サカオリ)宮』を拠点に東征に出る。軍刀利神社・與瀬神社・三峯神社・武蔵御嶽神社はヤマトタケルの関係社でもあり、東征が関係しているとみる。但し、宮下文書記載の『坂下宮』とホツマツタヱ登場の『酒折宮』、機能面も場所もまったく別物。坂下宮は山梨県富士吉田市にあったとされ、酒折宮は山梨県甲府市に現存する。どうやら『サカオリ』は複数存在していたようだ(別記事にて)。
周囲はヤマトタケル関係社が本当に多い、彼はこの関東山地で一体何をしていたのか?。武蔵と甲斐の間に結界でも張っていたのだろうか?
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※神奈川県足柄上郡、西丹沢に二つの権現山があるので注意。箒沢・権現山と世附・権現山。ま、権現山自体は日本全国にある地名だが…、この二つの権現は何を本尊としているのか不明。
武蔵岡『富士隠し』伝承の真意とは?
ところ変わって、『富士隠し』伝承があるのは相模国と武蔵国境で、現在の都道47号沿い、東京都八王子市七国~町田市相原となる。境川を渡ればすぐに神奈川県相模原市。古来から武蔵岡と呼ばれる丘陵地帯、年二回『ダイヤモンド富士』の撮影ポイントだという。
東京都八王子市にある高尾山の伝承。高尾山石老山記『道志川相模川落合図』より『甲斐名抄志曰、大牟礼坐須高山ナリ此山を武蔵の方にて富士隠といふ』とある。
気になるのはこの富士隠し伝承のある、東京都町田市相原『大六天社』である。この神社は富士山高千穂峰レイラインより370mズレにあり、御祭神が…なんとヤマトタケルの父親12代景行天皇という(下写真↓)。
一般的に大六天というのは神仏習合『第六天魔王』であり、廃仏毀釈後に神世七代の六代オモダル・カシコネに改宗されてきた。しかし東国の国境僻地に景行天皇一柱祀られているというのは大変珍しい。
12代景行天皇は息子ヤマトタケルを派遣し、西国東国の歴史を大々的に修正してきた張本人。富士山高千穂峰レイラインの要所である武蔵一宮・小野神社の摂社・日代神社にも祀られている。その人物が同レイライン近くの国境の片田舎に単身祀られているわけだ。なんでこの位置に祀られているかが気になる…。
これを景行天皇時代作成されたホツマツタヱ風に解釈にしてみれば、一目瞭然である。『大六天魔王』とは六ハタレの事である。シムミチ、ハルナハハミチ、イソラミチ、キクミチ、イツナミチ、アメヱノミチの6族。『六つのハタレはヤマタあり(8文)』これらが西国天皇に歯向かってきた元凶なわけだ。つまり6族とはワダツミ系統の宇佐八子子孫『ヤマタノオロチ』勢力など富士王朝先住民勢力側とみる事ができる。ホツマツタヱ版アマテルは、このハタレに打ち勝つために瀧に打たれ修行をし、これが飯縄権現の起源といわれている。
つまり『飯縄権現』とは、12代景行時代ら西国天皇勢力の価値観であり、熊襲・蝦夷封じの教えとなる。これがかつてオリジナル出雲があったと推定される信州周辺、『戸隠神社』を封じ込める意味合いとなるの飯縄権現の正体であろう。因みに長野県飯縄町にも、『牟礼(むれ)』という村域がある。
前述した『大ムレ』も同義であり、『六ハタレ』退治の語意に相当するとみる。
こうしてヤマトタケルは 、武蔵~甲斐~相模周辺の山中で『富士隠し』工作をしまくっていたのだ。それを裏付ける如く『大六天社』周辺には、飯縄山飯縄神社(神奈川県相模原市)や、飯縄権現代名詞である高尾山薬王院(東京都八王子市)が存在している。この信仰の背景にも、ヤマトタケル東征が何かしら関係しているのではないか?。
…次に、そもそも西国勢力である景行天皇やヤマトタケルが、武蔵から富士を隠すことに何のメリットがあったのか?。
あくまで宮下文書記述から想像した私見だが…。
東国勢力は富士朝と結託し、西国・天皇勢力に蜂起してきた歴史がある。ヤマトタケル東征のきっかけも、東国蘇我大伴系統タケミカヅチとフツヌシ子孫が景行政権に不満を持ち、富士朝オオヤマツミ子孫を担ぎ上げ反抗したのが直接的原因だ。後世の15代応神天皇御子・大山守皇子も16代仁徳天皇に対して同様の反抗した。渡来系西国勢力から見れば、この富士朝と東国の共闘パターンが一番厄介なわけだ。
いくら西国が東国を『朝敵』と小馬鹿にしようが、日本のアイデンティティである聖地富士朝高天原を、反乱勢力に奪われることだけは絶対死守したい。さもなければ自らが天祖へ背く『天敵』となってしまう。即ち、富士朝と富士以東の分断こそが、一番望ましいことになる。
神津島伊豆山レイライン上、武蔵~甲斐~相模の関東山地にヤマトタケル由来の神社を集中させた。これも彼ら西国勢力の、東国諸国分断工作ではないかと。東国以東の関東平野から日本の象徴を隠した、まさに『富士隠し』の砦であったのだ。
そう考えると『大室山』や『大ムレ山』を信仰している立場も、自ずと見えてくる。西国勢力から見れば守りの要であったのではないか?。残念ながら大室八幡神社とヤマトタケルの接点は今のところないが…。
またこの地域には、謎の神社も結構残っているのだ。山梨県大月市の地名『月』も富士王朝『ツクヨミ』に由来している。石盾尾神社、大石神社、月読神社、中野神社、これらの神社を回ってきた、いつか機会があれば紹介したい。
宮下文書から推測する…、『室』とは何か?
参考程度に『室』とはなにか?考えてみる。
イザナギ・イザナミの時代、未だ神々(住民のこと)は『穴』に居住していた。これは忍びないとアマテラスは憂い、甥のオオヤマツミに家屋を建てて、居住させなさいと命令する。
宮下文書曰く、四方諸州の大原・小原・大洞・小洞・大沢・小沢・大組・小組を廃止。大国・小国・大村・小村を置き、国造・郷司・村長を置かせた。一般的に『国造』とは大化の改新以前、大和朝廷地方行政官という認識のようだが、既に太古の昔から概念はあった。そしてこの時『室』→『村』になった。
イザナギとイザナミが拠点としていたのが小室の『日向高地火峰の穴宮の大御宮』、これが日向や高千穂の名称の根源。元々、高千穂峰や阿祖という言葉は、富士山を意味する言葉。そして山梨県富士吉田市大明見の『北東本宮小室浅間神社』の小室というのは、政治的拠点を指す言葉に転じたとみる。すなわち『高天原』とは丁度この辺りのことだ。
※ ただし、宮下文書には阿祖谷に小室・中室・大室があったと書かれており、この道志川の『大室』とは距離的がありすぎるようだ…。
宮下文書において、イザナギとイザナミは最後まで仲睦まじく、一日違いで死んだ。そして二人の陵墓は西尾崎の『岩長の峰』、現在の『三峯神社』(山梨県富士吉田市小明見)付近とみる。
<富士朝めぐり②>西国天皇勢力に奪われた太陽神、そもそも富士高天原は『火』と『水』の楽園だった。 - セキホツ熊の謎を追え!
前記事でも述べたが、イワナガヒメはイザナギ・イザナミの曽孫にあたり、『岩長』という命名において意識しないわけがない。そういえば伊豆山神社もつい最近、2014年頃までイザナギ・イザナミが祀られていた。来宮神社にも『三峯社』がある。イワナガヒメの周辺にはイザナギ・イザナミが恰も代理人のようにも見える。
また興味深いことに、富士朝の客人勢力として滞在していた徐福秦氏500余人は、当初、阿祖谷に中室・大室に定住しており、その後、相模国へ流れていった説もある。そのルート上にあるのが、この大室をはじめとする相模国『道志川』流域であった。つまり、相模国大室という地名も富士朝から転じてきた可能性もある。
(おまけ)関東山地とフォッサマグナ、大室八幡と地震の謎…。
『関東山地』の基礎知識として、フォッサマグナがあるので触れておく。
フォッサマグナを簡単に説明すると。日本列島は古い地層の上に、新しい地層ベルトが乗っかっており、そこへ中央構造線がクロスする。富士山大噴火でもすれば日本列島は東西分断の可能性すら出てくるという…。
前記事で紹介したコノハナサクヤが祀られている『富士山』、イワナガヒメが祀られている『八ヶ岳』、八ヶ岳地蔵がある『大室山(静岡県伊東市)』はまさにこのフォッサマグナの上にあるということだ。…まあ個人的にはレイラインとは言えないようなズレだが…、八ヶ岳と富士山と伊豆大室山、ほぼ同線上にある。
しかしよく見てみると、ヤマトタケルが東征時に神社を作りまくった関東山地は、古い地盤が孤島のように存在しているのだ。中央構造線より南、八王子構造線より西にある、『三峯神社』『武蔵御岳山』『高尾山』『大室山(丹沢山系)』はこの古い地層に属している。もしかしたらヤマトタケルは、この古い地層を信仰に利用していたのかなと…(妄想)。
この周辺には権現山(山梨県)や権現山(神奈川県)や御正体山などの霊山も多い。災害も地域の人々が大室山に畏怖を抱く理由かもしれない。まあ、もともと大室山(伊豆)と名前が同じことに端を発した大室山(丹沢)調査だが、…本当にたまたま同じの可能性もある(笑)。
※地図はクラフトマップ使用。