セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<レイラインの美学⑩>酒折宮と恵那山と血洗池。日本武尊が生涯をかけて描けなかった富士朝改竄ライン。

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ヤマトタケルが関係していると思われる山梨県甲府市酒折『酒折宮』

 

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2019,10,5

日本武尊の描きたかった本命レイラインとはこれか!?

このブログはレイラインを用いて超強引に歴史を理解しようというテーマだが、昔の人々は本当に、レイラインを意識してきたのだろうか?。少なくともホツマツタヱ製作者に限ってはかなり線上意識していると考えている。残念ながら、ホツマツタヱ自体は基本的に偽書とみなしているが、古代の様子を知ることができる数少ない重要文献。彼らの美意識のようなものが垣間見られると思う。というわけで今回はホツマツタヱに論点を絞り考察していく。そして結果的にヤマトタケルがまたしても浮上してくる、お約束パターンだ。

不思議なのは宮下文書にしろホツマツタヱにしろ『レイライン』とは一言も書いてない。あくまで、あとから地図上で確認してみると同線上にあるのだ。これは作為なのか?神業なのか?、偶然の神業ならばそれはそれで興味深いのだが(笑)。

地図①

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 レイラインを見つけた経緯は、ホツマツタヱに記載されている二つのポイント『恵那山』と『酒折宮』をgoogleマップで繋いでみたことによる。

ホツマツタヱによるとアマテラス(男神)の生誕地が『ハラミ山のサカオリ(24文)』。アマテラスの胞衣(えな)を奉じたのが『シナの国ヱナガタケ(28文)』だという。因みに宮下文書他の文献にはそのような記述はなく、ホツマと恵那地方周辺の独自の解釈である。

前記事でも何度か触れたが、下の地図②のをご覧いただきたい。今回もやはりヤマトタケルルートが交差するのだ。

つまり彼らがやっていた事は、歴史改竄の為の祭祀ポイント巡りなのだ。レイラインと拠点神社を作りまくって、旧勢力に対して結界を張っていた。こうして出来たのものが歴史改竄書物ホツマツタヱなわけだ。

地図②

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 酒折宮・恵那山レイライン。

酒折宮と恵那山を線で繋げてみた。多少ズレあり。同名複数社あり。


・氷川女體神社(埼玉県さいたま市緑区)奇稲田姫命・三穂津姫命・大己貴命。

・虎柏神社(東京都青梅市根ヶ布)大年御祖神・惶根神ほか。

・武蔵御嶽神社(東京都青梅市御岳山)櫛真智命・大己貴命・少彦名命・安閑天皇・日本武尊。

・綾広の滝(東京都青梅市養沢)祓戸大神・蔵王権現

・赤井澤神社(東京都西多摩郡桧原村)座生権現・神戸岩

・三頭山(東京都西多摩郡奥多摩町)

・熊野神社(甲州市塩山熊野)伊弉冊尊・速玉男命・事解男命・天忍穂耳尊・瓊瓊杵尊・彦火火出見尊。300mズレ。

・大嶽山那賀都神社遥拝所(山梨県山梨市東後屋敷)大山祇命・大雷神・タカオカミ。

・山梨岡神社(山梨市下石森)伊弉諾尊・速玉男命・事解男命・国常立尊・大國主命・少彦名命。
・天神塚古墳と走湯神社(山梨市上岩下)少彦名命・大國主命。

・走湯神社(山梨県笛吹市春日居)少彦名命・湯山主命。

・石尊神社(山梨県笛吹市春日居)石尊大権現。

・山梨岡神社(山梨県笛吹市春日居)大山祇命・別雷神・タカオカミ・夔ノ神。500mズレ。

・吾妻屋宮(山梨県笛吹市春日居)日本武尊・弟橘姫命。山梨岡神社摂社。500mズレ。

・御室山(山梨県笛吹市春日居)もともとは玉諸神社があった。

・物部神社(山梨県笛吹市石和町)櫛玉𩜙速日命、可美真手命、ほか物部氏遠祖八神。

・天狗神社・山神宮奥宮(山梨県笛吹市石和町)大山祇命・月読尊・稚産霊命・宇気母智命。600mズレ。

・酒折宮(山梨県甲府市酒折)日本武尊。

・玉諸神社遥拝所跡地と月見山(山梨県甲府市酒折)550mズレ。

・甲斐三宮玉諸神社(山梨県甲府市国玉町)国魂大神命。

・八幡神社(山梨県南アルプス市)誉田別命・大物主。

・高尾穂見神社(山梨県南アルプス市高尾)倉稲魂命・稚産霊命・保食大神。

・信濃宮(長野県下伊那郡大鹿村)宗良親王。

・鳩ヶ嶺八幡宮(長野県飯田市八幡)誉田別尊・息長足姫命・竹内宿彌命。

・阿智神社奥宮(長野県下伊那郡阿智村)天八意思兼命・天表春命。

・恵那山(長野県下伊那郡阿智村)

・恵那神社(岐阜県中津川市中津川)伊弉諾命・伊弉册命ほか配祀。

・旧跡血洗池と血洗神社(岐阜県中津川市阿木)天照皇大神。

 

 

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〇氷川女體神社(埼玉県さいたま市緑区)奇稲田姫命・三穂津姫命・大己貴命。

前記事にも書いたが、ホツマツタヱにおいて氷川神社にスサノオを祀り始めたのはヤマトタケルとみている。彼が草薙の剣を持ち出して、スサノオの転生を自称しているのだ。氷川三社の一番東社がこの『氷川女體神社』となる。小野神社や氷川神社とともに『武蔵一宮』を自称している。詳細は下リンクにて↓

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〇虎柏神社(東京都青梅市根ヶ布)大年御祖神・惶根神。

ホツマツタヱ比定『トラカシハジンジャ』(39文)。東征後の帰途、トラカシハという武将がヤマトタケルの落とした鐙(あぶみ)を榊の枝にさして返上し褒められたそうだ。東京都調布市にも論社がある。

 

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〇武蔵御嶽神社(東京都青梅市御岳山)櫛真智命・大己貴命・少彦名命・安閑天皇・日本武尊。

御嶽山もヤマトタケルによる狼信仰で有名。蔵王権現=ヤマトタケルとも解釈される。全部とは言わないが『嶽』や『岳』や『建』はヤマトタケルを暗示させているのかなとも思える。

 

〇三頭山(東京都西多摩郡奥多摩町)

『神津島伊豆山レイライン』とのクロスポイント。ヤマトタケルがこの地域で祀る『三神』とは三峯と思われるが、この三頭山の可能性もあるか?。

 

 

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〇大嶽山那賀都神社遥拝所(山梨県山梨市東後屋敷)大山祇命・大雷神・タカオカミ。

15.7キロも離れた那賀都神社(山梨県山梨市三富上釜口)の遥拝所『大嶽山本殿』。社伝によるとヤマトタケルの伝承を自称する関係社だが、その遥拝所がなんとこのレイライン上にあるのだ。 県指定有形文化財。

ただし宮下文書にもホツマツタヱにも記載はない。山間部の三富上釜口にある本拠地は境内に、政治家ポスターを貼るセンスのない神社。政教分離…。

 

 

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〇御室山周辺(甲府盆地北東部)

このあたりは後記事にて紹介する。同名社が複数ある地域なのでご注意。前記事にも書いたが論社というのはどちらかが大切なのではない、両方機能しなければならない時がある。武蔵国『出雲祝神社』『阿豆佐味天神社』のように複数ある論社がレイラインを形成している場合もあるのだ。

※上写真は山梨岡神社(山梨県笛吹市春日居)と、走湯神社(山梨県笛吹市春日居)と、石尊神社(山梨県笛吹市春日居)。

 

 地図①『酒折宮』と『坂下宮』は違うようだ。直線約25キロ離れている。

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地図②徳川家康埋葬地による高天原比定地をすると、富士吉田市となる。

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〇酒折宮(山梨県甲府市酒折)日本武尊。

まず、謝罪訂正。

宮下文書においての『坂下(サカオリ)』はもともと富士吉田周辺にあった。ホツマツタヱ記載の『サカオリ(酒折)』は違う。ヤマトタケルは御室山(月見山)ではなく、高天原(富士吉田市周辺)を拠点にしていた。今まで記事にて混同してしまった、ごめんなさい。

 

まず『酒折』とは記紀、ホツマツタヱ、に共通する宮。どの文献も東征の際のヤマトタケルの行宮として記載されている。かつては御室山中腹にあったようだ。それが現在の山梨県甲府市酒折・中央本線『酒折駅』近くに変わってきた。

ホツマツタヱ独自の記載として、アマテラス(男神)の生誕の地という記載がある。そしてアマテラスが初めて宮をおいた場所、のちにニニギがハラアサマ宮として建て替える。私はホツマツタヱによる高天ヶ原は山梨県甲府市の甲府城や市街地と認識している。つまり宮下文書に登場している、ヤマトタケル愛娘・福地姫とアマテラスを投影させている事がわかる。

次に宮下文書『坂下(サカオリ)宮』、どうやらホツマツタヱの『サカオリ』とは別と考えた方がよい。そもそもサカオリ宮は『坂下宮』と表記し、『阿田都山』近く、現在の富士吉田市・小室浅間神社(下浅間)や福地八幡神社付近か?。宮下文書比定、高天原の中心部である。高天原の場所特定には徳川家康の埋葬地が証明している。

 

坂下(サカオリ)とは富士山朝、中心『阿祖山太神宮』の祖佐男命75世孫宮守司長・福地記太夫が美世受媛と娘・福地媛の擁護のための新宮を建てる。美夜媛は天別天之火明命60世の孫、尾羽張源大夫穂明男命の長男の妹。

ここに至るまでに、富士朝を担ぎ上げた東国勢力に、何度も襲われた東征一行。しかし福地記太夫は美夜媛の伯母の中島根媛と結婚しており、美夜媛も安心して出産子育てできたであろう。ヤマトタケルは富士朝を事実上制圧し、坂下宮を拠点として、妻子を残して更に東征する。

尚、美夜媛の産んだ福地媛と長田王は紀記には登場しない。富士朝の正統性を消したのだと思われる。

 

しかしこれはどうしたことか?。『坂下』と『酒折』、何故場所がこんなにも離れている場所にあるのか?。

高天原は後世に延暦噴火の際に、この近辺は溶岩熱泥で火の海となったハズである。福地山小室七廟惣名先現太神宮も相模の寒川神社などに、一部機能移転させているのだ。坂下宮も坂上田村麻呂あたりが、遷座させたのか?。

宮下文書においては、『延暦大噴火の際に難を、甲斐国の八代郡と山梨郡との間の中山に避けた』とある。甲府盆地北部に、玉緒神社や神部神社や山梨岡神社や石尊神社や走湯神社や甲斐奈神社…など複数同名社が多いのは、災害時の混乱の影響もあるのではないか?。サカオリもおそらくこのときに混同されたのか?。

ホツマツタヱにおいてヤマトタケルは富士王朝に来ているが、サカオリの場所特定まではされていない。むしろスワのサカオリとかスルガ宮と混同され誤魔化されている感がある(笑)。酒折宮自体、複数あったのではないかという説もある。高天ヶ原(富士吉田市)から視点を意図的にズラし酒折宮(甲府市酒折)に主眼をおかせた様にも見える。ホツマツタヱにしろ記紀にしろ高天原の具体的場所記載までは伏せたのではないか。

また酒折宮Wikipediaによると、ヤマトタケルは行く末はここ(酒折)に鎮座しようといっていたという。ヤマトタケルは倉野之坂や碓日坂など『坂』に関する祭祀に関する神社という。これって『八坂』スサノオに関する祀りではないか…?。

 

 


〇阿智神社奥宮(長野県下伊那郡阿智村)天八意思兼命・天表春命。
戸隠神社と御祭神が同じという興味深い神社。先代旧事本紀によると天八意思兼命が天降りした場所。ホツマツタヱにによると病弱なアメノオシホミミを世話したアチヒコ(思兼命)の死亡地。宮下文書においてはオモイカネは神代の神ではない、神武天皇時代の大嘗祭に登場してくる『思兼堅石彦命』?とも思える。思兼堅石彦命の出自は不明。

天表春命とは宮下文書比定『可美真手命(ウマシマジ)』のこと。ウマシマジは物部氏祖ではなく蘇我系統『祖家(そが)』出身。

つまりオモイカネもウワハルも神武天皇と同時代の人物。

その阿智周辺『神坂峠』にもヤマトタケル東征の痕跡が残る。住吉三神を祀る『神坂神社』に自らが相殿されている。『酒折』と同様に、ココにも『サカ』がつくなあ…(笑)。阿祖北出雲の『坂』の神を退治した痕跡なのだろうか?。ヤサカ。。。八坂。。。

 

 

〇恵那山と恵那神社(長野県下伊那郡と岐阜県岐阜県中津川市境)

恵那山は日本の中央構造帯に位置し、パワースポットとしても知られる。東に阿智神社、西に恵那神社がある。神仏習合の折、恵那権現とも称した。

ホツマツタヱによると、『酒折宮』にて誕生したアマテラス(男神)の胞衣(えな)を埋めた場所。アマテルは出産後もしばらくは、胞衣に包まれていたそうだ。

 

 

〇旧跡血洗池と血洗神社(岐阜県中津川市阿木)天照皇大神。

ホツマツタヱにによるとアマテラスの胞衣をオオヤマツミに命じ、恵那山に奉じた。胞衣埋める際、恵那山麓の『血洗池』で洗ったという伝承がある。宮下文書ではアマテラスの誕生時に甥っ子オオヤマツミはこの世に存在しなはずであるが…。

現在は摂社にオオヤマツミが祀られている。旧跡血洗池は土砂の流入で水が枯れた。

神社創建は不詳だが、やはりこの地も、ヤマトタケルのルートであるわけだ。

 

三嶋大社同様に三輪氏勢力の乗っ取りか?。 父の元たどり着けなかった疲労困憊の息子。

サカオリは当初から、本当に複数あったのだろうか?。

個人的見解としては、景行年間には宮下文書『坂下宮』とは別の、なにか重要施設があったのではないかと考える。というのもこの御室山(月見山)周辺が古墳や遺跡が多いのだ。数々の重要施設の一つを、後世にサカオリとして混同されたのではないかと。いまのところ遷座の経緯は把握出来ていない。

このブログを読んでいる方ならわかるとおもうが、蘇我系統=物部系統ウマシマジの捻れ現象がこの地にも見られる。ホツマツタエの成立させた大物主を祀る三輪氏族がこの地に巨大カラクリを残したようだ。詳細は後記事にて。

※因みに、何度もいうが宮下文書において三輪氏族と大物主は別系統。大物主はアメノコヤネの子孫であり、中臣鎌足(のちの藤原氏族)の祖先である。

 

そして最後にこのレイライン、実は未完成なのではないかとも思うのだ。

宮下文書によるとヤマトタケルは、足を怪我して滋賀県米原市『伊吹山』を越えることができず、伊勢路経由で大和入りを試みた。急遽コース変更せざる得なかったわけで、結果的に彼は伊勢路『能褒野墓』に埋葬される。

彼の進行方向と思われる方角には、最終的に滋賀県大津市の近江一宮『建部大社』や京都市左京区の『河合神社』に行きつく。しかし不慮の事故から真相はわからない。

 

晩年の12代景行天皇は大津で過ごしたともいわれ、息子ヤマトタケルを偲んで『建部神社』を創建した。もしかしたら、大津あたりで会う約束をしていたのかもしれない。

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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