2019,12,21
『神社めぐり』シリーズの大国魂神社②としての記事として書いたが、これは全国の国魂系神社に関係する事である。全国の人々に伝えたい内容だ。皆さんも、ちょうど初詣シーズンであるし、身近な神社をいろいろ考えてみてはどうだろうか…。
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大国魂神社の影の主役?スクナビコナ。
東京都府中市にある武蔵総社『大國魂神社』。
前記事より新編武蔵風土記稿要約すると。12代景行時代、武蔵国小川郷小野里から、里人が私的にオオクニヌシの祠を建てたのが、大国魂神社の原型。その後13代成務天皇の時代、兄多毛比命が、国府を開き、大己貴尊に素盞嗚尊等の五神を配して、これを『六所宮』と称した。六神とは大己貴尊・少彦名尊・事代主命・健御名方尊・武甕槌命・経津主尊という。
かつてはこの地にもスクナビコナが御祭神として祀られていたようだが…、実は現在も祀られている。東京競馬場への天神坂沿い京所公会堂、近隣関係社の日吉神社境内に『天神社』がある。大国魂神社HPによると、日吉神社自体の御祭神は不明、何故か摂社天神社のみ『スクナビコナ』と公表されている。何でこの日吉神社の御祭神は伏せているのであろうか?、そちらの方も気になるが…。
今回はあくまで、このスクナビコナの謎を追う。
そしてオオクニヌシとスクナビコナの悲しい関係が見えてきたのだ。
〇大国魂神社・武蔵総社(東京都府中市)
~御祭神~
・大国魂大神・オオクニヌシと解釈されている。
・御霊大神
・国内諸神・六社宮
大国魂神社関係社『日吉神社・天神社』スクナビコナ
日吉神社の御祭神は不明なのに、なぜか摂社天神社のみ祭神公表されている。
~13代・成務天皇御宇の御祭神~
大己貴尊・少彦名尊・事代主命・健御名方尊・武甕槌命・経津主尊
三種神器の玉のヒントとも思われるのが大国魂神社の国魂神。大国魂神社には二つ三つタマの要素が終結して、それぞれ意味合いを持たせている。いや、もともと内包されている魂のいろいろな側面を見せているというべきか…。特に夏至レイライン上にある大國魂神社では強調された意味を持つであろう(妄想爆発)。
そのうち国魂とは何か?これは諸説ある。三宮玉諸神社においては、国魂=国内諸神を指しているという。その土地の神。甲斐や武蔵や…歴史は国ごとに違うのは当然といえる。
また宮下文書に登場する、国家防衛のために命を散らした神々を見てみると。天之手長男命の次男『事勇男命』の諡は高御国魂命。つまり国魂とは日本国のために精魂尽くした神とも解釈できそうなのだ。そしてスクナビコナの諡が『大国御魂命』。以下『国魂神』関係神社である。
またスクナビコナ=古天神とされる理由もここにあるのか?。東京都調布市『布多天神社』や台東区上野公園『五條天神社』などは、どちらも菅原道真合祀以前にスクナビコナを天神として祀っていた。しかも五條天神は国魂神を祀る甲斐三宮・玉諸神社(甲府市)すぐ西にある。国のために尽力したが故に、蔑ろにされた祟りを恐れたのではないかと。やがてこの天神=祟り神の意味合いは、菅原道真公に置き変えられていった。スクナビコナも菅原道真も、頭脳明晰で、国に貢献し、居場所を失い、祟りが怖い存在。似ているといえば似ている。
~全国の国魂系神社~
・大国魂神社『大国魂大神』
・玉諸神社『国魂大神命』
・北海道神宮『大国魂命』
・大和神社『倭大国魂神』
・尾張大国霊神社『尾張大国霊神(大国御魂神)』
・伊勢神宮『度会大国玉比売神社』など。
※甲斐の玉諸神社は論社(甲州市)があるので注意。
これら神社にはオオクニヌシかスクナビコナが何らかの形で関与している。国魂系神社に関わらずこの二柱のコンビネーションは、全国に見られる。記紀や風土記ではオオクニヌシとスクナビコナは良きビジネスパートナーとして描かれている。そして二柱が国造りを終えると、オオクニヌシは出雲に残され、スクナビコナは常世に消えてしまう。
これはオオクニヌシには居場所があったということか…?。
宮下文書系図において、このオオクニヌシとスクナビコナはクニサツチの孫で、従兄弟同士になる。またスクナビコナはオオクニヌシの妹『武彌雄毘女』を娶り、その子『久延仁毘古』はオオクニヌシの娘を娶る、かなりの親近婚家系である。しかしその他では共通項が、どうしても見えてこない。オオクニヌシは全国行脚して職業指導をしていた教育大臣労働大臣のような存在。一方でスクナビコナは、コトシロヌシ兄で、兄弟でニニギ軍参謀として尽くした。
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宮下文書曰く『体は小さかったが、生まれ持った才能があり、知略にも長けていた。諸々の国を統治し、常世の国に渡って、大いに手柄を立て、また外寇親征の役に瓊々杵尊に従い、大物主命事代主命とともに軍議に参加して大功を建てたことにより、南西国に於ける総司令頭長の家と定められた。』
彼は『政権戦略ブレイン』のイメージを受ける。常世については後述する。因みに宮下文書においての大物主は右臣、藤原物部系統。オオクニヌシとは別神なので注意。
『外寇親征の役』後、スクナビコナが拠点としたのが尾張国府宮。
『子孫一存を南西国に於ける海々までの総司令頭長の家と定めた。命も尾治田の中島の里に宮を建てて住んだ。これを国府の宮という。』
比定されるべきは愛知県稲沢市国府宮『尾張大国霊神社』であろう。
またスクナビコナ妃・武彌雄毘女は大国主の妹。死後何故か、伊勢国『度会原』に祀られたという。これは三重県伊勢市岡本町『度会大国玉比売神社』に、ほぼ間違いないであろう。御子の久延仁毘古は中島の里国府の宮にて死去、諡は『大御魂命』。
※因みに。宮下文書によると、10代祟神天皇が、飢饉や疫病、盗賊蜂起を背景に、笠縫の里に祭られている天照大御神の神前に於いて『大国魂神祭』を行わせたとある。日本は天然痘などの疫病に悩ませられてきた。大国魂神祭がスクナビコナを指しているのかは不明。
…『常世』とは一体なんだ?。
常世とは、現代人の感覚では『普遍性』『永久』や『隠世』『幽世』を意味し、対義語が『現世』という。
茨城県『大洗磯前神社』に因み、日本文徳天皇実録によると。大洗沖にスクナビコナが顕現したという『われは大奈母知(オオナムチ)・少比古奈命(スクナビコナ)。昔、この国を造り終えて、東の海に去ったが、今人々を救うために再び帰ってきた』と記載されている。そしてスクナビコナが旅立った常世とは、やはり東の海に存在するらしい。
古事記によると彼は、カミムスビの子、波の彼方より来訪しオオクニヌシの国造りに参加する。二柱は対であることが強調されている。国造りのあと、パートナーであったスクナビコナは常世に渡ったとある。日本書紀においては淡島(粟島)から、粟茎に弾かれ常世に渡ったという記載があることから、粟島大明神として全国に祀られている(諸説あり)。
『 波の彼方』という記載があるとおり、古事記の感覚では常世=『外国』『海外』なのだろうか?。恐らくは戦術から薬学まで、かなり精通して、国外知識を披露していたのではないかと。お陰でネット界隈ではスクナビコナ=大陸人という、妙な誤解を生んでいるようだ。スクナビコナは歴々、日本由来である(笑)。
宮下文書によると『常世』へ行って、手柄を立てて帰って来た訳である。これも海外で経験を積んできた博学ということか?。ここのところが非常に重要になると思うのだが、自分の古文読解力のなさを痛感する(涙)。
このように、もともとスクナビコナは『外寇親征の役』の参謀、軍神イメージが強かった。しかし記紀やホツマツタヱは、国内で激増する渡来系統への配慮から、神話で渡来系と敵対した軍記を、語るのをやめてしまった背景がある。国防の祖ニニギですら農業神にされて、コトシロヌシは釣り好きというイメージをつけられてしまったわけだ。知略に長けたスクナビコナ伝承を、もっと温和な神にできないものか?と、工業や農業、薬学の専門神と、智慧を司る神になったのではないだろうか。一般的にはオオクニヌシもスクナビコナも『治癒』『薬』に関係している神、とくにスクナビコナは静岡県熱海市『湯前神社』など温泉地に祀られている傾向がある。
すなわち常世とは戦や軍よりも、日常的な社会に溶け込んだ彼の様子を指しているのかとも思える。本来の軍神としての居場所がなくなり、オオクニヌシのように渡来系出雲神として迎合されることもできない。…居場所を失ってしまったのだ。
ウガヤ朝の開拓マインド、健磐龍命。
残念ながら、今のところ国魂神と神器『玉』の関係がわからない。この関係性になにか重大なヒントがありそうなのだが…。
その代わりといってはなんだが。宮下文書を読んで、オオクニヌシとスクナビコナを対として強調し、並祀する理由がなんとなくわかってきた。
結局、この二柱を並び祀る意味とはなんなのか?。どちらも工業、農業、薬学、開拓、国造には、重要な存在であるのは理解できたと思う。しかし、前述したとおり『宮下文書的』に限って言えば、二柱揃って祀る要素はない。類似でも対峙でもない、ましてビジネスパートナーでもない。親族は限りなく近親婚だが…。オオクニヌシとスクナビコナは『対』と成りうる共通項が何処かあるはずだが、接点が殆んど見受けられない。
ただ唯一の二柱の鍵となりそうな人物はいる、それこそが『健磐龍命』である。彼は両柱の共通の孫なのだ。
Wikipedia健磐龍命(阿蘇都毘古)より。諸説あるが初代神武天皇の孫であり、2代綏靖天皇の子あるいはもっと子孫という説がある。
日本書紀によると12代景行天皇と阿蘇都彦(健磐龍命)のやり取りが記載されている。
景行天皇の九州巡幸中に阿蘇の地に入るが、そこは広い荒野で人影がない。天皇は尋ねた『是国に人有りや。』、すると阿蘇都彦と阿蘇都媛の神霊?が人となり現れ、『吾二人在り。何ぞ人無らんや。』といった。その国は阿蘇と命名されたという。
文字通り阿蘇国の国祖である。
※因みに高照毘女の幼名が日吉毘女命という。アメノオシホミミの幼名も日吉毘古尊。
宮下文書においては、彼はウガヤ朝創建の立役者。富士朝の命で、九州平定に派遣された、神武天皇より遥か昔の話である。
彼はヒコホホデミの御子ウガヤフキアエズが九州遷都する際に、先遣隊『海軍総大将』として戦い、夫婦共に三十代前半若くして戦死した。大活躍したようだ。
『是より先、別に阿曾武命を海軍総大将として、賊の軍船を攻めた。命は婦神の海那毘女命と共に、我軍勢を率いて大賊数万の軍船と戦い、巧に我軍は船を駆って齊(ヒト)しく焼木を投げ打って敵船を焼き尽くした。(中略)後、海軍総大将阿曾武命、海那毘女命二柱を、切枝間(霧島)山の西の大山に葬った。その諱に縁んで、阿曾山と名づける』
妃『海那毘女命』は栄日子(エビス)玄孫、豊玉彦命の三女。残念ながら御子がいなかったようだ。後継は彼の叔父、知倉王命(スクナビコナ次男)とその御子・玉屋命に託され、代々子孫が継承した。つまりウガヤ朝を導いた英雄神、ウガヤ開拓神はスクナビコナとオオクニヌシの両血筋ということになる。
以上を踏まえて大国魂神を考えてみると。
開拓者精神を祀る、北海道神宮(札幌市中央区)を見てみよう。
~御祭神~
・大国魂神
・大那牟遅神
・少彦名神
・明治天皇
御覧のように大国魂神は、オオクニヌシでもスクナビコナでもない別神である。大国魂神は開拓者『健磐龍命』を指しているようにみえないか…?。いやいや開拓者マインドそのものを御魂として祀るのか?。…まだまだ大国魂神の謎は多い(涙)。
ついでと言ってはなんだが…、健磐龍命の神社を紹介しておく。
東京都羽村市の多摩川上流に『阿蘇神社』がある(上写真)。ちょうど多摩川と玉川上水分岐点畔にある、水の美しい神社である。933年平将門が社殿を造営した『阿蘇神社』がある。940年将門鎮魂の為、藤原秀郷が修復、よほど大切な神社らしい。前記事でも触れたが将門はアヒル草文字奉納文を伊勢に奉納していたり、かなり古神道に精通していたとみる。その上で『新皇』を自称していたわけで、単なる出しゃばりとは思えないのだ。朝廷も恐れていた要注意人物だったのではないかと。つい最近まで、何故こんな多摩川畔に九州神を祀るのか?、しかも将門?と気に留めていたのだが…。最近やっと意味が解ってきた(笑)。
神社は多摩川真名井レイライン上であり、大国魂神社関係社『瀧神社』と並んでいる。瀧神社にはタマヨリヒメが祀られている。
〇阿蘇神社(東京都羽村市)
~御祭神~(阿蘇十二神)
・健磐龍命
・阿蘇都媛命
・速瓶玉命
・国竜神
・比味御子神
・彦御子神
・和歌比味神
・新彦神
・神比味神
・若彦神
・弥比味神
・金凝神
オオクニヌシとスクナビコナを並祀する本当の理由。
とりあえず、大国魂神の正体は置いておいて…。まとめると。
前述したが、富士山高千穂峰レイライン上にあるが故に、『大国魂神社』の役割は大きく二つ三つあると考える。
ひとつは前記事にて述べた、瀬織津姫。夏至の太陽と富士山のサクナダリ効果である。これが富士山高千穂峰レイラインの古代からの本来の利用方法である。
もうひとつは何か…?。これは欠史鎮魂する目的で、未開地であった九州でのウガヤ開拓精神の鎮魂とも言える。
これら欠史をひとまとめに祀る行為を、『国魂』と称したのかもしれない。ウガヤ朝は12代景行天皇とホツマツタヱにより消滅させられた。そのウガヤ妃・多摩夜里毘女51柱の鎮魂祭が『魂(たま)』であり、武蔵国『多摩(たま)』とも思える。この大国魂神社の古来からの役割の一つは、夏至レイライン上の富士朝・ウガヤ朝歴代天皇や英霊の御霊・御魂を、『多摩』の地に集積しているのかなあ…と(勝手に妄想)。
因みに、この役割を西国で担っているのが『賀茂別雷神社』と『賀茂御祖神社』かもしれない。
全国300社以上の『賀茂神社』正体解明。富士朝ウガヤ朝・日本最大級の欠史鎮魂神社。 - セキホツ熊の謎を追え!
オオクニヌシとスクナビコナを並祀するということは、間接的に九州黙示録、黙殺された開拓神の『供養』とも思える。現状の日本史では、彼ら子孫が命がけで導いたウガヤ朝が、歴史上反故されているのだ。無論、富士朝も反故にされている。その二つの拠点レイライン上に大國魂神社が存在している。無関係ではあるまい。
すなわち、大国魂神社は真実を隠すための神社である。
影でスクナビコナを祀る理由とは、二大朝、富士朝ウガヤ朝欠史鎮魂の為ではないかと妄想する。
神社で平和を祈るということの意味
大国魂神社は私にとって神社好きになるきっかけの一社で、初詣に通い、くらやみ祭りの思い出もある。神社に親しみをもっていた私にとっては、この記事内容はかなり受け入れがたい現実である。これに気づいて、しばらくは放心状態に陥った(苦笑)。
欠史にされた時代の悲痛な叫びが聞こえる。楽しかった思いも、苦しかった思いも、現代人に『無かったこと』にされているのだ。その亡者の犠牲の上に、私たちが胡座をかいている。そのことになぜ気づかなかった…。
大国魂神社だけではない、伊勢・出雲・宇佐・賀茂・大神・伊豆山・三嶋・氷川…。明治神宮も靖国神社も同じこと。この先も、神社は真実を『無かったこと』を祈願するための存在。あぁ私はそんな神社に『日本が平和でありますように』とお願いしていたのだ…、平和ボケで、厚かましい、無知もいいところである(笑)。我よしの平和を、勝手に思い描いていただけだ。『どうかこのまま不要な時代は閉ざされていてください…』と。結局、究極平等な平和とは、いろいろ不都合な真実を『無かったこと』にする事ではないか?。
そしてスサノオもコトシロヌシもカモサワヒメもタマノオヤもイワナガヒメも、『無かったこと』にされている被害者たちなのだ。なのに後世、令和時代の私たちは…もっと幸せになりたい…もっとお金儲けしたいとお願いしている。神様たちにとって、こんなに悔しく、虚しいことはないであろう。
全国的知名度が残るオオクニヌシも、現在不自由な状況にあると想像している。出雲ではなく、かつての本拠地である遠州一宮・小國神社奥宮『奥磐戸神社』にて、岩戸閉めされているとみる(妄想)。
歴史とは隠蔽改竄の繰り返し。むしろスクナビコナとオオクニヌシは我々に切望しているのではないか…?、『人間よ、はよ孫に気づいてあげてくれないか…』と。
※地図はクラフトマップ使用。