セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

二つの神話からの賀茂氏正体解明、葛城山は伊豆三嶋のパラレルワールド?

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偶然見つけた奥多摩湖カモサワにある古社、賀茂神社(山梨県北都留郡丹波山村鴨沢)。


2020,3,15

 

全国300社以上の『賀茂神社』正体解明。富士朝ウガヤ朝・日本最大級の欠史鎮魂神社。 - セキホツ熊の謎を追え!

<レイラインの美学⑭>ウガヤ朝とタマヨリヒメをニニギが繋ぐ、欠史鎮魂のための『賀茂レイライン』。 - セキホツ熊の謎を追え!

前記事より『賀茂氏』の宮下文書とホツマツタヱによる考察している。Wikipedia賀茂氏には天神系と地祇系があるらしいのだが…どうやらこの説自体、根本的に見直しが必要のようだ。

今回は賀茂氏にとって、重要な手掛かりになりそうな二つの神話を紹介する。

①アメノワカヒコ葬儀でのアジスキタカヒコネ

②ヒトコトヌシと21代雄略天皇の関係

 

①アメノワカヒコとアジスキタカヒコネのすり替わり神話?

まず、アマクニタマとアメノワカヒコとアジスキタカヒコネの関係をホツマツタヱで説明する。似た神話は記紀にも記載されており、各所違いもあるので注意。

オオナムチ勢力拡大に警戒心をもった中央政府高天原は、お目付け役を派遣する。はじめはアメノホヒが出雲へ遣わされたが、オオナムチに懐柔され高天原に戻らなかった。その後に遣わされたアメノワカヒコも戻らなくなり、高天原から放たれたタカキネの矢に射られて、死去する。

アメノワカヒコの葬儀は琵琶湖東岸多賀大社付近で行われ、知人であるアジスキタカヒコネも参列する。アメノワカヒコの父アマクニタマは、参列したアジスキタカヒコネをアメノワカヒコの生き返りだと泣き寄る。死者と見間違えらたアジスキタカヒコネは憤慨するも、アマクニタマの娘シタテルヒメに和歌で宥められ、教養ある二人は互いに惹かれる。こうして二柱は結婚、『カモ糸(赤い糸)』で結ばれたとしてカモ氏を称していく。これがホツマツタヱにおけるカモ氏の誕生経緯である。…あれ?賀茂氏の祖は前記事に登場したカモタケツミではないのか?。

つまり賀茂氏の始祖はワダツミ系統のカモタケツミが天神系賀茂氏祖?

アジスキタカヒコネが地祇系賀茂氏祖?と、とりあえず考えてほしい。

…なるほど、賀茂神社は夫婦関係を意味する神社ということか?。后神妃神を祀る理由も頷ける。

 

~ホツマツタヱ(十文)~

 

あまさがる ひなづめのいは

たたせとひ しかはかたふち

かたふちに あみはりわたし

めろよしに よしよりこねい

しかはかたふち

 

このうたは  のちのゑにしの

あふうすの かもゐとむすぶ

ひなぶりはこれ

 

 

宮下文書に於いてアマクニタマ・アメノワカヒコ・賀茂氏や、出雲『国譲り』は記載がない。しかし、中国地方は渡来人を監視していた特定地域であった。これらは宮下文書に於ける、渡来人監視体制が弱体化していった経緯を暗示ではないかとみる。八史八代のうちに、中央政権から連絡が取れない国造が出てきたのではないかと。即ち、国造として周辺国から監視をしていたスサノオ子孫・大物主子孫・ウマシマジ子孫・オオクニヌシ子孫に渡来人に対する変化が芽生えていったのだ。結果ホツマツタヱには、アメノホヒやアメノワカヒコのように『音信不通』の描写がとられた。
Wikipediaによると、天稚彦と阿遅鉏高日子根神に酷似している件から、もともと同一神であったとする説もあり。しかし個人的に云わせていただくと、アジスキタカヒコネ勢力が、富士朝勢力を中国地方渡来人に乗っ取られていく様がみえるようだ(笑)。

ここでのキーワードはタカテルヒメシタテルヒメである。

・ホツマツタヱにおいてのタカテルヒメとシタテルヒメは、ヒルコに支えた二柱。どちらもヒルコに琴や和歌を伝授され、ヒルコに因む名を贈られている。アメノワカヒコ妃が、アジスキタカヒコネの妹がタカテルヒメ。

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・宮下文書においてのタカテルヒメとシタテルヒメは、傷心のコノハナサクヤを心配して富士山帰還中お供している。コノハナサクヤが青木が原火口にて自殺後は、ニニギの三皇子の養育を任される。さらにコトシロヌシとタカテルヒメ夫婦はニニギ衰弱死の際、その責を感じ殉死。シタテルヒメ(下照毘女)というのは大国主の娘、且つスクナビコナの子『久延仁毘古』の妃である。この夫婦の息子がウガヤ朝開拓の英雄、タケイワタツ(健磐龍命)である。

タカテルヒメは富士朝の象徴神カモサワヒメを生む。

シタテルヒメはウガヤ朝の象徴神タケイワタツを生む。

 

そしてアマクニタマ、これはおそらく古天神スクナビコナの諱『大国御魂命』に肖ったものであろう。即ちこれは琵琶湖東岸『沙沙貴神社』周辺のスクナビコナ信仰勢力であり、スクナビコナはコトシロヌシの実兄である。

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 これは、あくまで私の中の妄想だが。ホツマツタヱにおけるこの神話描写は、単に伊吹山から高千穂峰まで繋ぐ『下賀茂レイライン』周辺の神々を繋げたフィクションではないかと。

 <レイラインの美学⑭>ウガヤ朝とタマヨリヒメをニニギが繋ぐ、欠史鎮魂のための『賀茂レイライン』。 - セキホツ熊の謎を追え!

・カナヤマヒコ=金山毘古命(美濃南宮大社)の肖り

・アマクニタマ=スクナビコナ(琵琶湖東岸沙沙貴神社)の肖り

・アメノワカヒコ=コトシロヌシの肖り???

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出雲国譲り神話とスサノオ地祇系統とは、宮下文書夫婦神をそれぞれ引き離し、ガラガラポンと異なるカップリングを誕生させているのだ。これがホツマツタヱ流歴史改竄テクニック『妹背の道』なのか…。

ホツマツタヱにはこの他にも『肖り』神が複数存在する。特にコトシロヌシの肖りカツラギヒトコトヌシもまた別神として登場しているほか、地祇系の役職名『事代主』としてオオクニヌシ(クシヒコ)はじめ複数神が存在する。ホツマ版大国主(クシヒコ)は、宮下文書版オオクニヌシとコトシロヌシを足して二で割ったイメージか?。

さらにはホツマは、クシヒコ(大国主)とミホツヒメ(出雲大神)を結婚させて、事実上『出雲』の代名詞が阿祖北→丹波一宮→中国地方に移されてしまった。

こうしてコトシロヌシ信仰はアジスキタカヒコネ勢力に取り込まれたとみる。しかし、アジスキタカヒコネも、またホツマ編集者に利用されている感が否めない。

宮下文書においては、地祇系とかいうカテゴリーは存在しなかった。かといって天神系としてアジスキタカヒコネを祀る理由もない。アジスキタカヒコネの子供が単に『高加茂王命』という名前なだけだ。そう…単にカモを名乗っているだけで、今のところ天神系も地祇系なんの接点もないのである。

…あまりに面倒臭いので、賀茂氏なんていなかったことにしたいのが本音である(笑)。…というかその可能性が高い。

 結論が出ないのは心苦しいが、賀茂氏族を特定するのは、ものすごい骨の折れる作業なのがおわかりいただけるだろう。スサノオの地祇系統『賀茂氏』とは、どの家系図をベースにした嘘なのかが見えてこない。宮下文書には地祇系賀茂氏『役小角』が登場するが、なんとも残念…出自がでてこない…(泣)。この地祇系賀茂氏を宮下文書で論ずれば、藤原物部系統神もいるし、蘇我大伴系統神もいる、もはやカオスである。

前記事でも紹介した、『鴨王』として知られる『天日方奇日方命』、Wikipediaでは三輪氏・地祇系賀茂氏の祖とされているが、宮下文書では速玉緒命の二男『速玉山田命』の事である。即ち『大物主』同様、藤原物部系統とみる。先代旧事本紀によれば、コトシロヌシと活玉依姫(三島溝樴姫)の子が天日方奇日方命。もう滅茶苦茶である。

おそらく神武東征後、中国地方渡来人を見張っていた富士朝勢力を出鱈目に嘘家系図で繋げたものであって、矛盾だらけなのは断言する。

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※因みに北阿祖『出雲』の他に、中国地方にも出雲の名称がもともとあったのでご注意。宮下文書クニトコタチとクニサツチの定めた十八州にて名称だけ確認できる。『陰陽波(イナバ)の小名は、田場(丹波)・田路場・北久木・出雲・針美・吉備・淡木(安芸?)・淡長門(穴門)の八道とする』

出雲とはもともと『悪雲吹き出してくる方向(祖佐記)』という意味なので、地方に複数存在していたのかもしれない。

吉備も吉備氏(藤原物部系統)登場よりも先に、地名があったようだ。


②葛城山信仰とコトシロヌシ信仰

大和国の葛城地方は、上記のコトシロヌシやアジスキタカヒコネの矛盾を強く残している地域だ。一言主Wikipediaより。ホツマツタヱではスサノオ地祇系として登場、葛城一言主神社の御祭神。宮下文書に於けるコトシロヌシと思われ、カモサワヒメ父神にあたる。

 

◯葛城一言主神社(奈良県御所市森脇)

~御祭神~

・葛城之一言主大神

・幼武尊(21代雄略天皇)

※明治期の『神社明細帳』では事代主命・幼武尊の2柱とされる。

 

『古事記』(712年)の記述に登場する。雄略天皇が鹿狩りのため大和国葛城山へ登る。すると、天皇一行とそっくりな神々一行に遭遇する。

一行曰く『吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり』。天皇一行は官吏たちの着ている衣服、一切合切を脱ぎ、一言主神に献上。狩りをせず出戻りする。

 その後、に成立した『日本書紀』(720年)では、一言主の立場が微妙に変化する。一言主一行と天皇一行、対等の立場で狩りを共にしたというのだ。

さらに『続日本紀』(797年)では、一言主が天皇と獲物を争ったため、天皇が怒りに土佐国に流した。これはおそらく、下賀茂レイライン上の土佐一宮・土佐神社と思われる。以降、コトシロヌシは鳴門周辺で淡路島オノコロ島や西宮神社のヒルコ(エビス)信仰と結び付き、現代のエビス神とされている。もともとヒルコ(エビス)は三嶋大社近くの『伊豆淡島』の発祥で、伊豆地域においても混同されやすい印象がある。

 

このように、古事記から続日本紀の描写変遷は、高鴨神『一言主』を祀る賀茂氏の地位が低下していくのを意味しているという。とともにコトシロヌシ信仰がかつては巨大であったことも推測できる。その後『日本霊異記』(822年)では、一言主は役行者(賀茂氏の一族)にこき使われる程、落ちぶれたという…。一言主は腹いせに朝廷に讒言したため、伊豆国に流されたという。



◯高鴨神社(奈良県御所市鴨神)

~御祭神~

・阿遅志貴高日子根命

配祀

・下照比売命

・天稚彦命(アメノワカヒコ)

事代主命

 

賀茂氏拠点神社として知られるもう一つの神社が、奈良県御所市鴨神にある『高鴨神社』。一言主伝承で知られる大和国『葛城山』の南に存在する。こちらの神社はアジスキタカヒコネとシタテルヒメ、アメノワカヒコ、コトシロヌシ等を主・配祭神とし、全国賀茂神社総社とされている。

 

京都賀茂神社(上賀茂と下賀茂)と貴船神社は天神系賀茂氏、富士ウガヤの両朝の象徴的妃を、もっとグローバルに『国祖』として祀っていたのが解る。カモサワヒメ(別雷命)、トヨタマヒメ、タマヨリヒメ、イワナガヒメといった、歴代の皇后あるいは、妃が纏わっているのが京都『賀茂』の特色なのだ。宛ら妃神たちの聖地。

他方で高鴨神社アジスキタカヒコネは、ホツマツタヱにおいては地祇系賀茂氏、宮下文書においては土佐の国造。地方色が強いということは、特定氏族色が強いということ。アジスキタカヒコネの子『高加茂王命』が継承する。宮下文書において、アジスキタカヒコネ出自は、蘇我大伴系統の派生となる。

 

しかし何度も言うが、スサノオ地祇系統は存在しなかった。コトシロヌシもスクナビコナも地祇ではなく天神として祀られていた形跡があるし、アジスキタカヒコネはオオナムチの子供ではない。別雷命カモサワヒメともタマヨリヒメとも家系図的に別系統である。もともと宮下文書版アメノコヤネ(藤原物部系統)が加茂も名乗っていた時期もあった。結局、『カモ』とは富士朝の象徴的な言葉。後世『カモ』を称する氏族が、いろいろな系統から出現する理由はこの辺なのかなと推測。賀茂氏を特定するには富士朝加茂山の存在を知らなければ、まず不可能とみる。

鴨神信仰に見え隠れする笛吹連

もともと葛城周辺は、神武東征後、富士ウガヤ両朝の賀茂氏国造の地だった、そこに後世の古墳時代、葛城氏勢力が栄えたとみる。葛城山もかつては『天神山』『鴨山』と呼ばれていた。天神も鴨山もコトシロヌシのことであり、三嶋大社同様に、カモサワヒメ(別雷命)がコトシロヌシに祭神変更された可能性もある。即ち、別雷命ことカモサワヒメ鎮魂の為に、父神コトシロヌシが担ぎ上げられている可能性もあるということだ。というのも、大和国周辺にもカモサワヒメの気配がある。例えば…。

 

〇畝尾都多本神社(奈良県橿原市)

~御祭神~

・泣沢女神

※御神体は天香久山の北西麓畝傍から湧く井戸。

神名帳考証・神名帳注釈。寒川神社祭神『澤女神(ナキサワメ)』

宮下文書的に解釈すれば、天香山命=天香護山命は、外寇親征の役後の事代主親族の唯一の生き残り、カモサワヒメの兄である。そしてナキサワメ=寒川毘女命のこと、即ちカモサワヒメのことである。

 

〇『葛木坐火雷神社』(奈良県葛城市笛吹)、通称『笛吹神社』

~御祭神~

・火雷大神

・天香山命

※もともとは火雷神社と笛吹神社が合祀されたとの説もある。

『笛吹神社』は笛師による笛吹連の祖『建多析(たけたおり)命?』あるいは『健多乎利命?』が信仰していたという。旧事本紀・尾張氏系譜には健多乎利命は火明命の6世孫とされ、その子『櫂子』が崇神時代に天磐笛を賞賜され笛吹連祖となる。笛吹神社宮司は笛吹連末裔の持田氏が世襲したという。宮下文書において天別天之火明命はヒコホホデミとトヨタマヒメの子で、ウガヤフキアエズの兄弟。

前記事でも述べたが、カモサワヒメ(別雷命)は良く『大雷神』とされ、雷神として胡麻化されている感があるのだ。個人的に大山阿夫利神社(神奈川県伊勢原市)の『大雷神』は、大天狗とも呼ばれ、カモサワヒメ(別雷命)ではないかと妄想している。天狗は、オオヤマツミとツクヨミを祀る天狗神社(山梨県笛吹市)など富士朝の隠語のような使い方をされる。

また、山梨県笛吹市にある『山梨岡神社』の御祭神は、大山阿夫利神社と酷似した三神、うち大雷神は『別雷神』と表記される。

因みに山梨県における笛吹という地名は、京より父を尋ねてきた『笛吹権三郎』由来だが、彼が笛吹連と関係かは不明である。個人的には火明命子孫『笛吹連』に由来していると妄想している。

※まんが日本昔話253話『笛吹川』。

<レイラインの美学⑬>鎌倉幕府と御室山の繋がりにみる御霊大神。三浦半島は富士朝のお膝元であった。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

賀茂氏の神々を祀る『葛城山』の謎。

やはり16代仁徳天皇の代から。日本の大きな政変があったのだろう。河内王朝や葛城王朝、武内宿彌子孫・葛城襲津彦などのキーワードが挙がる。一般的には葛城氏は武内宿彌や蘇我氏とも関係があるといわれる。

16代仁徳天皇は葛城氏祖『葛城襲津彦』の娘 ・磐之媛命を皇后とし、全国的に八幡系若宮神社で祀られている。関東では鶴岡八幡宮『若宮』が知られる。宮下文書によると、兄・大山守皇子と富士朝に勝利したことにより、我こそが15代応神天皇の正当なる後継と主張していたのであろう。仁徳天皇后『磐之媛命』も何処と無くイワナガヒメを彷彿とさせる。

宮下文書においても仁徳天皇と兄・大山守皇子との戦争があり、不穏な情勢であった。残念ながら宮下文書での西国情勢は、仁徳天皇以降~平安時代まで途絶える。

Wikipediaによるとカツラギという地名の由来は、神武天皇が、葛で編んだ網で土蜘蛛を捕らえた為とする。これが大和国葛城山において山岳信仰になったと思われる。すでに葛城襲津彦よりも先に、地名があったことになる。

ホツマツタヱに登場する、カツラギ山(葛城山)の場所は特定できていない。一説には秋田県の『鳥海山』とのこと。アマテルの祖父トヨケが世継社をつくり、後継者誕生を祈り8000回禊した山といわれる。葛城襲津彦が未だ存在していないホツマツタヱ成立時代、既にカツラギという名の神々しさがあったことになる。

 

さて、実は伊豆にも葛城山があるのをご存知だろうか?。

三嶋大社の南方12㎞、静岡県伊豆の国市である。そして前述した、三輪氏子孫である役小角が配流されたという伊豆国。ホツマツタヱでは10代崇神~12代景行年間までに三嶋大社は、三輪氏支配下に置かれていたとみる。ミシマミゾクイやツミハという三輪氏祖に起源がある事にされており、このころには御祭神がカモサワヒメから父神コトシロヌシに修正されたのだろう。

Wikipediaによると役小角は三輪氏系(地祇系)の葛城流賀茂氏、大和国・河内国に多く分布していた氏族出自。加茂役君、賀茂役君などと呼ばれ、役民を管掌した一族のために『役』を名乗る。三嶋大社では三輪氏族として繋がりがあり、静岡県熱海市『伊豆山神社』や静岡県御殿場市『青龍寺』(下写真↓)などにも痕跡を残している。宮下文書にも、彼の大蜘蛛退治(篠垣塚・小篠明神)の記述が記載されており、富士朝でも有名人であったようだ。一般的には、役小角は配流されたことになっているのだが、伊豆国とは八幡神や別雷命発祥の地と考えている。単に流刑地ではなく、宗教家にしてみれば日本屈指の聖地でもあるわけで、私が小角であるならば大喜びである(笑)。

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伊豆国三嶋大社・加茂澤毘女にトコトコついてくる瀬織津姫の不思議①。 - セキホツ熊の謎を追え!

伊豆『葛城山』と『葛城神社』周辺には駒形古墳群がある。奈良県御所市の葛城山の麓にも駒形大重神社がある。葛城神社は延喜式内社・倭文神社論者であり、もともとは天御中主命か倭文神を祀っていたとのこと。現在は北東山麓の小坂神社(伊豆の国市小坂)へ周辺神社17社とともに合祀されている。山頂にある新生『葛城神社』はロープウェイ会社が建造し、御祭神は織姫としてタクハタチヂヒメ。葛城倭文座に因んだ神社とのこと。葛城勢力が伊豆国に感心があったことが伺える。

またこの葛城山は、富士山と伊豆淡島(エビス拠点)を一望出来る。

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静岡県伊豆の国市『小坂神社』。葛城山葛城神社はじめ十七社合祀している。

ここでいつもの興味本位で、この伊豆葛城山と三嶋大社をレイラインで結んでみた。

すると…なんとつながってしまったのだ(笑)。前記事にて御正体山(山梨県都留市)と富士朝加茂山は関係ありそうだと書いたのを覚えているだろうか?(富士朝加茂山とはツクヨミの陵墓)。この加茂山の所在地は不明であり、まあ殆ど妄想なのだが…。

そしてその先にはツクヨミ(大月留男命)に因むと思われる大月市中心部へ繋がる。富士朝高天原(富士吉田市)から離れた大月市内にもなにか大きな拠点があったのだろうか?。その先は関東屈指の霊場『三峰神社』。

 

~三嶋-御正体山・ツクヨミレイライン~

・三峯神社奥宮(埼玉県秩父市三峰)

・大月市街地(山梨県大月市)

・三嶋神社(山梨県都留市田野倉)

・三輪神社(山梨県都留市大野)

・瑞乃木神社(山梨県都留市大野)弘法大師伝承あり。

・御正体山・峰宮跡(山梨県都留市大野)妙心入定の地。

・龍澤寺(静岡県三島市沢地)武蔵国にて弘法大師創建御移説あり。

・三嶋大社(静岡県三島市大宮町) 

・葛城神社跡地(静岡県伊豆の国市小坂)倭文神社論社。現在、小坂神社合祀。

・波夜多麻和氣命神社(静岡県下田市相玉)伊豆山同様に波夜多麻和氣命神社論社。

・走湯神社(静岡県下田市大賀茂)波夜志命神社論社、北600mから遷座。

・龍宮窟龍宮神社(静岡県下田市田牛)

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 ※因みに宮下文書によると。アマテラスとツクヨミは対関係。

・姉アマテラス=諱・大日留女尊

・弟ツクヨミ=諱・大月留男尊
うーん。これは何を意味するのか。賀茂氏やヒトコトヌシに関わる『葛城山』…。富士朝『加茂山』周辺と思われる『御正体山』…と考えれば、もともと葛城山は伊豆のほうが本家なんじゃないのか?とも思えてくるのだ…(妄想)。

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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