セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

速川祓戸四柱にカモサワヒメの残像、日向にて別雷神がニニギに改竄された本当の理由。

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穢れは川の流れのように浄化される?。

2020,6,13

夏至の日を前にして、面白いことがわかってきた。以前紹介した日月神示『ヒムカ』の続報となる。

<レイラインの美学③>日月神示ヒムカの役割、瀬織津姫死亡説と天照大神と木花咲耶姫の本当の関係。 - セキホツ熊の謎を追え!

前記事にて紹介した瀬織津姫死亡説がある宮崎県西都市『速川神社』、ホツマツタヱ38文によると、なんと瀬織津姫を祀る以前は、別雷神を祀る聖地であった。別雷命=カモサワヒメ=寒川比女命これが瀬織津姫に近い存在か否か…。これが宮下文書記述を裏付ける重要な証拠になりそうだ。

 

祓戸四柱とは…。

まず祓戸四柱の説明をしておくと。

・瀬織津姫命

・速秋津姫命(速開都姫)

・気吹戸主命(伊吹戸主)

・速佐須良姫命

 

禊を得意とする神々、「大祓詞」には、四神の連携プレーにより穢れを浄化する仕組みが記されている。

 

①瀬織津姫が もろもろの禍事・罪・穢れを速川に流す。

②速開都姫は河口や海底でそれらを飲み込む。

③気吹戸主は飲み込んだものを、 根の国・底の国に息吹を放つ。

④速佐須良姫は根の国・底の国に持ち込まれたものをさすらって消す。

 

穢れは、伊吹山の琵琶湖から滋賀県『佐久奈度(さくなど)神社』へ。宇治川~淀川そして、鳴門の渦潮にて海底へと流され、沈められる。このように関西圏では古来から大きな浄化システムが構築されていたのであろうかと妄想…。

 

◯佐久奈度神社(滋賀県大津市大石中)

~御祭神~

・瀬織津姫命

・速秋津姫命

・気吹戸主命

・速佐須良姫命

伊勢参りをする前の祓所とされた。

 

◯橋姫神社(京都府宇治市宇治蓮華)

~御祭神~

・橋姫あるいは瀬織津媛

『宇治の橋姫』伝承地

 

◯鳴神社(和歌山県和歌山市鳴神)

~御祭神~

・天太玉命

・速秋津彦命

・速秋津姫

日前神宮すぐ東

 

◯由良湊神社(兵庫県洲本市由良)

~御祭神~

・速秋津日子神

・速秋津日売神

・品陀和気尊

 

残念ながらど四柱とも宮下文書には登場せず、記紀にも速秋津姫以外登場しない。では、この四柱とは、宮下文書では誰比定なのか?。

 

・瀬織津姫はこれまで何度も述べたが、アマテラスやコノハナサクヤやカモサワヒメや月桜田毘女に限らず、富士朝の女神の名代的な役割にもなっていると思う。いろいろな存在が内包されているとみる…。

・気吹戸主は、ホツマツタヱにおけるツクヨミの子。宮下文書には登場しないが、強引に比べてみると、ツクヨミの子・オオヤマツミか、その親族なのではないかとみる。

・速佐須良姫は、一般的にはスセリヒメに比定されてはいるが、私はイワナガヒメに間違いないと思う。ホツマツタヱにおけるサスラヒメは、ヤマタノオロチ(ハヤコ)であり、イワナガヒメに転生したと明記されている。ハヤサスラヒメはハヤコ、モチサスラヒメはハヤコの姉モチコ。

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上写真は、伊豆国賀茂郡『佐々原比咩命神社』式内社、静岡県賀茂郡河津町笹原『姫宮神社』の地元神として笹原姫(ササワラヒメ)という存在がおり、宮下文書比定の伊豆大神イワナガヒメを彷彿とさせるのだ。

 

四柱で記紀に登場しているのは、速秋津姫命のみだが、私が一番が一番特定しがたい存在でもある。本居宣長によると、速秋津姫=伊豆能女(いづのめ)であり、古事記によるとイザナミ・イザナミの御子、ホツマツタヱによるとアマテル十二妃の一人とかなり上位の御神霊とみられる。はじめは単純に同名のヨロヅハタアキツヒメ(栲幡千々姫命)かな?と思ったが、ホツマツタヱ12文ではアマガツをめぐり、それぞれ別神としての交流が描写されている。ほんと、…かなり特定が難しい。

ただ最近個人的に思うのは、実はこの神様…、カモサワヒメの要素も内包しているのではないだろうかと…。

 

愛知県豊橋市嵩山町字浅間下にある『浅間神社』は、山塊の三宮構成になっており、頭浅間(大山社)・腹浅間(原川社)・足浅間(富士社)にわかれている。

大山社・大山祇命

原川社・木花咲耶姫命

富士社・秋津姫命

問題は、最後の富士社の御祭神、『秋津姫命』という存在である。これが速秋津姫命か萬幡秋津姫命を指しているのかはわからないが、もしこれが速秋津姫命で、さらにコノハナサクヤを中心とする親子関係を示しているのであれば、秋津姫命=カモサワヒメとなるわけだが…。これだけでは…証明は難しいところである(涙)。

ただ周辺豊川流域に、富士山高千穂峰『夏至レイライン』が通っており、周辺には賀茂別雷命を祀る『賀茂神社』(愛知県豊橋市賀茂町)がある。また宮下文書比定のオオクニヌシ拠点でもあり、後世に権力をもったオオクニヌシ子孫『三輪氏』が聖地化した可能性もある。

宮下文書現代訳にも関係した、前田豊氏の著書『徐福と日本神話の神々』によると、この豊橋市内の賀茂神社も浅間神社も『富士王宮』と呼ばれていて、徐福子孫の影響が強いらしい。前田氏は高天原は愛知県『東三河』にあったと論じており、富士朝の機能があったのではないかとしている。

つまり後世の徳川家康にも関係してくるのだろうか?。

いずれにしても夏至レイライン上にあり、富士朝信仰の強い土地ではあったようだ…。

 

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水神を祀る大井川神社(静岡県島田市大井町)にも祓戸神社がある。

祓戸神に内包される水神・女神たち。

ここで私の宮下文書比定(仮定)を整理すると

瀬織津姫命  富士朝女神?

速秋津姫命  カモサワヒメ・別雷命?

気吹戸主命 ツクヨミ御子、 オオヤマツミあるいはその親族?

速佐須良姫命  イワナガヒメ・ヤマタノオロチ?



~宮下文書登場カモサワヒメとは~

・オオヤマツミ(寒川比古命)妃

・コトシロヌシ娘

・イワナガヒメ母

・コノハナサクヤ母

・三嶋神

・別雷命

・寒川比女命

 

~カモサワヒメに類似した女神~

・大雷神あるいは雷神

・ナキサワメ(神名帳考証・注釈によると寒川神社御祭神は『澤女神』)

・カヤノヒメ(記紀におけるオオヤマツミ妃)

・ミシマミゾクイヒメ

・伊豆能女(伊豆之売)?

・三嶋神の一部?

・瀬織津姫の一部?

・速秋津姫の一部?

 

…と、かなりの信仰範囲が浮き彫りとなる。

つまり瀬織津姫以外の四柱は家族かもしれない。そしてよくカップリングで祀られる速秋津比古も、その正体はオオヤマツミ、またはその親族ではないかと。

また駿河一宮・本宮浅間大社の湧玉池『鳴雷神』、伊予一宮・大山祇神社摂社『雷神』や、石尊権現・山梨岡神社・大山阿夫利神社・二岡神社の系統に祀られている『大雷神』あるいは『雷神』『別雷神』は、それぞれカモサワヒメの可能性が高い。

なぜ同神が、複数の神にイメージが投影されるのか?。後世にカモサワヒメの存在をまったく知らない人々が、瀬織津姫と速秋津姫に混同させた側面もあるのではないかと思う。イメージ的にこの二柱は重複している部分が多いかと。イワナガヒメも瀬織津姫と混同されている部分があり、岩手県遠野周辺では瀬織津姫信仰が多く、『伊豆権現』『伊豆大神』と呼ばれており、宮下文書における伊豆大神はイワナガヒメに比定される。

 

信仰には地域や人々の想いが絡むから、別神が同神に祭られつづける可能性は多分にある。これはなにも日本だけの問題ではなく、インド伝来の仏教も、地天など複数地域の地母神と結びついて拡大されたわけだ。

10代崇神~12代景行天皇のころに成立した、宗像三神や瀬織津姫や菊理姫という新しい女神たちは、富士朝の古代女神をすり替える目的もあったのかもしれない…。

ただ、宮下文書におけるキクリヒメは本来コノハナサクヤのこと、厳密にいうと阿田都毘女尊・菊里毘女尊、諡・木花咲夜毘女尊。即ち、新しい女神でも、そもそも神代の神々をモデルにしていた可能性も捨てきれない。

私みたく厳密に神々を分析しようとするのは、もはや不可能なのではないか?と思うことをやっている訳だ(笑)。まあ歴史を紐解くことは、必要と思うが…。

 

これらを踏まえた上で、『日向対馬レイライン』を紹介する。

前記事で紹介した瀬織津姫死亡説が残されている宮崎県西都市『速川神社』周辺で、富士山高千穂峰レイラインのクロスポイント『西都原古墳群』『三宅神社』付近である。

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~日向対馬レイライン~

・三宅神社(宮崎県西都市大字三宅・ニニギ天孫降臨伝承)

・速川神社(祓戸四柱)

・速秋津姫神社(速秋津姫)

・気吹戸主神社(気吹戸年)

・銀鏡神社(磐長姫・大山祇命)の御神体『龍房山』

・九州王朝都説・三潴郡(三嶋神社多数あり)

・恋木神社・月読神社(筑後市水田)

・木本宮(福岡県三潴郡・ナキサワメ)

・田手神社(撞賢木厳之御魂向津媛命)

・吉野ヶ里遺跡

・雷山千如寺大悲王院雷神社(福岡県糸島市雷山・水火雷電神ニニギ)

・糸島(魏誌倭人伝・伊都国比定)

・対馬

 

このレイラインは、最終的に佐賀県吉野ヶ里遺跡や糸島市雷山千如寺大悲王院を経て、対馬に到達する。

こうしてみると、九州にも富士朝信仰の痕跡がかなり残っているのがわかる。

前記事にも書いたが、ホツマツタヱ版ツクヨミが誕生したのはこの筑紫オトタチバナのアワキ宮であり、イヨツヒコの娘イヨツ姫を娶り、イフキヌシ(伊吹戸主命)の父親である。伊予というのは宮下文書版オオヤマツミの死亡地、伊予一宮・大山祇神社周辺を暗示しているのであろう。また宮下文書版ツクヨミは富士朝の象徴であり、オオヤマツミの父親である。

即ち、古代から肥沃な筑紫平野は、富士朝信仰が盛んであったということだ。

雷山千如寺大悲王院のとなりにある雷神社(福岡県糸島市雷山)には、水火雷電神ニニギが祀られている。ニニギは伊豆山神社(静岡県熱海市伊豆山)の『雷電童子』のように、雷神としての属性イメージが強く、ホツマツタヱにおいての別雷命を彷彿とさせる。しかし雷山には雨乞いの伝承が多くある点から、石尊権現、阿夫利神社(あめふり神社とも呼ばれる)と類似性も感じられる。やはり雷山の本懐は、宮下文書版『別雷命』ことカモサワヒメではないかと…。



万葉集によると『大君は神にしませば水鳥のすだく水沼を都となしつ』

歌人不明の歌に、『三潴(みづま)郡』(現在の福岡県筑後市~久留米市)に九州王朝の都があったといわれる。16代仁徳天皇の御宇に、玉垂命がこの付近に勢力を持っていた伝承がある(諸説あり)。高良山と絡んで古代勢力伝承が語られている土地であり、付近には三嶋・大雷系統の神社が多く、月読神社も二社ある。宮下文書が大好きな私に言わせると、この土地は富士朝の匂いがプンプンする。三潴(みづま)も何処となく『三嶋の妻』のような名だが…(こじつけ)。

近くには高良大社(福岡県久留米市御井町)があり、一般的には高良玉垂=武内宿彌=蘇我祖=百済渡来系との説が有力である。個人的に高良大社の『高良』というのは宮下文書比定『高御久良神社』、富士朝による15代応神天皇信仰と関係しているのではないかとみている。15代応神天皇の子・大山守皇子とその弟・隼總別王は富士朝宮下家に婿入りして、兄弟である聖帝・16代仁徳天皇と対立。大山守軍が福地川の戦いにて敗戦し、富士朝が衰退する一因となる。

この仁徳天皇の御宇から『空白の四世紀』が始まり、各地で大きな変化が起きていたのではないだろうか?。そして富士朝の蘇我氏をはじめて、西国天皇勢力に都合の悪い富士朝史は『渡来系』として葬られていないだろうか? 。そもそも蘇我氏=祖家、渡来系ではない…先住民富士朝臣家。

この辺、毎回説明しないといけないので、もどかしいところではある。

富士朝と関係が深い徐福勢力は、渡来系に違いないが…。

 

日向は賀茂別雷命の聖地であった。

ホツマツタヱ38文曰く。

その昔ニニギが日の山(富士山)の方角から登る朝日をみて、東国に残るコノハナサクヤを懐かしんだという地域。即ち、ここから高千穂峰と富士山が夏至方向のレイライン上で重なる場所であり、これが日向(ヒムカ)の語源ともなっている。歴代ウガヤ朝の王たちが富士朝カモサワヒメを拝むとしたら、打って付けの場所ということだ。

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同38文では、ニニギは完全に別雷命と解釈されており、この児湯縣(宮崎県児湯郡)も別雷命の聖地であったという。12代景行天皇も巡幸の際に立ち寄り、夏至レイライン上に祀られたとされるニニギとコノハナサクヤ、懐古ロマンに想いをはせ、ホツマ版の別雷命ニニギの偉業を称えた。

景行天皇は現在、『高屋神社』(宮崎県西都市大字岩爪)や夏至レイライン上の武蔵一宮『小野神社・日代社』(東京都多摩市一宮)にも祀られている。



~ホツマツタヱ38文~

      そなやよひそふ

こゆがたの にものにみゆき

きおのぞみ むかしおほして

のたまふは みをやあまきみ

たかちほの みねにのほりて

ひのやまの あさひにいなみ

つまむかひ かみしもめくむ

かみとなる くにのなもこれ

かはかみお あまねくてらす

もはしもの あおひとくさお

めぐまんと なるかみのあめ

よきほとに わけてみぞろの

うるほひに たみにぎはせる

いさおしは かもわけつち

かんこころ かくぞおぼして

かみまつり みやこのそらお

なかむみうたに

 

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ここで、景行天皇の懐古ロマンをぶち壊すようなことを言うが…。

宮下文書によると、ニニギもコノハナサクヤもヒコホホデミも日向国との直接的関係はない。あくまで富士朝継承勢力・歴代ウガヤ朝『祖神』としての立ち位置で祀られているとみる。

何度も言うが、宮下文書において別雷命とはカモサワヒメのことであり、オオヤマツミこと寒川比古命の妃・寒川比女命のことである。そして驚いたのは、この2つ文献を裏付けるごとく、速川神社すぐ西隣には宮崎県西都市『大字寒川』という地名が残されているのだ。もしこの地に別雷命が祀られていたとしたら、宮下文書の記載どおり別雷命=寒川毘女命、重要な手がかりとなるかもしれない。

さらに興味深いのは、このレイライン沿いに流れる一ツ瀬川と国道219号『ひむか神話街道』に祓戸四柱神社が大々的に祀られている点だ。

 

〇速川神社(宮崎県西都市南方鳥巣)

~御祭神~

・瀬織津比咩命

・速開津比咩命

・気吹戸主命

・速佐須良比咩命

創建不詳。社伝には、一ツ瀬川は急流に足を取られた瀬織津姫の死亡地説がある。伝承にはニニギが登場し、瀬織津姫は旅の伴者の一人であったとされる。ニニギが悲しんで祠を建てたという。

明治39年一時的に南方神社境内社として祀られるも、大正14年に現在地に御移、昭和46年宗教法人速川神社として独立。西に『寒川』という地名が残る。

 

 

〇速開都比売神社(宮崎県西都市大字片内字湯之内)

~御祭神~

・祓戸大神

・伊勢大神

・猿田彦大神

・天細女大神



〇伊吹戸主神社(宮崎県西都市大字片内字湯之内)

~御祭神~

・伊吹戸主命?



〇銀鏡(しろみ)神社(宮崎県西都市大字銀鏡)

~御祭神~

・岩長姫尊

・大山祇尊

・懐良親王

南東の龍房山にある鏡(鏡山)を御神体とする。



これは、宮下文書に記述されている別雷命=寒川比女命=カモサワヒメの証明になり、日向(ヒムカ)に祀られていたのは本来、コノハナサクヤの母カモサワヒメであった可能性が出てきた…。

 周辺には別雷命が祀られている神社がない。小さい神社を探せばあるのかもしれないが…、別雷命の代わりとしてニニギ・コノハナサクヤ・オオヤマツミを祀る神社が多い印象を受ける。そして日向伊東氏の影響からか伊豆大神イワナガヒメを祀る社もかなりある。それらはこの別雷命信仰が、コノハナサクヤ・イワナガヒメ信仰や祓戸四柱信仰にすり替えられているからではないだろうか?。

 

 

宮下文書曰く。

ウガヤ朝創建時代、本営を富士山天都から霧島山へ遷し、神都と称した。宮造りのエキスパート集団、オオヤマツミファミリーである奥山住命・倉山住命・繁山住命・葉山住命・原山住命・外山住命が派遣され、初代ウガヤ王宮建造に関わった。彼らはツクヨミの御子であり、『外寇親征の役』の際に伊予で死んだ寒川毘古命(オオヤマツミ)の弟たちにあたる。

宮はまだ屋根ができないうちに皇子が入りしたので、初代皇子の諱を『鵜茅葺不合(ウガヤフキアエズ)尊』、后を『多摩夜里毘女(タマヨリヒメ)尊』とよび、その後継承し51代続く。彼らオオヤマツミファミリーは宮が出来ると東国富士朝へ撤収したわけだが、富士朝コノハナサクヤや母神カモサワヒメの信仰は、日向国に残され信仰されつづけた可能性もある。

偽書のススメ: 富士王朝とウガヤ王朝の関係、レイラインが繋ぐ歴史の真実。 - セキホツ熊の謎を追え!

日向二宮・都萬神社(宮崎県西都市大字妻)には、ニニギとコノハナサクヤが新婚生活を送ったとされる伝承がある。『都萬(つま)』というのは魏誌倭人伝『投馬(とうま)国』との説もあり、個人的にはオオヤマツミの妻・カモサワヒメとも思えるのだが…(願望)。都萬神社は伊豆国伊東氏が九州日向に流れ崇敬していた社であり、イワナガヒメの摂社はあるが、残念ながら三嶋社や賀茂社はない…。

また古代日向国府比定地といわれる『三宅神社』(宮崎県西都市大字三宅)には、九州版ニニギ天孫降臨に因む神々が祀られており、配殿相殿、ニニギ天孫降臨供奉アメノコヤネやフトダマやタマノオヤやイシコリドメなど、合祀、摂社併せると84柱???の御神霊を祀るスゴイ神社である。ネットで調べても詳細リストが出てこなかったが、もしかしたら別雷命カモサワヒメも祀られている可能性がある。

余談だが、三宅という地名はもしかしたら『宮下(みやけ)』が発祥ではないだろうか?。付近には『大字寒川』の地名も残されているので、何かしら富士朝の関与があったのかもしれない(妄想)。伊豆諸島の三宅島はかつて『宮下(みやけ)島』とよばれていた。鎮西八郎為朝こと源為朝に従う宮下家子孫・深須二郎清国が、ともに流罪にされた土地であった。

よく『三宅連』の祖先タジマモリは、アメノヒボコら新羅渡来系と言われているが、…個人的には富士朝と関係があるのではないかともおもえてしまう。タジマモリの娘が有名な日本武尊の妃、オトタチバナヒメで…、ホツマツタヱにおいてツクヨミが生まれた地名が筑紫オトタチバナである(笑)。

これ徐福子孫じゃないかと…、個人的に妄想している。

因みに『筑前国風土記』逸文では、前述した伊都国にもアメノヒボコ末裔が統治していたという、奇遇だな…。このように富士朝を研究するには、蘇我氏など、まず渡来系氏族への偏見を捨て、洗いざらい探らねばならないので要注意である。

 

 

雷神の正体は誰?

ホツマツタヱが、なぜニニギを別雷命としたのだろうか?。

その謎を解くヒントがこの日向にあるような気がするのだ。12代景行天皇はこの地で、ニニギの新しい天孫降臨神話創作のために、別雷命『カモサワヒメ』とイワナガヒメを悪役にして、史上から消したと解釈するのが自然であろう。まあ、天孫ニニギが望んだことではない…、我々人間が勝手にいっていることだ。天孫ニニギにとっても、嫁母に対して複雑な心境であろう。

そして一ツ瀬川の『祓戸四柱』信仰は、このカモサワヒメ聖地に関係していたとみる。これが祓戸四柱に、同じ水神属性をもつカモサワヒメが内包されているのではないかと思う理由の一つだ。

もちろん、地域によりいろいろなケースがあると思うし、断言はできないが…、それだけこの国が複雑な宗教事情を重ねてきたということだろう。

祓戸四柱はそのよい事例を示してくれているのかもしれない。

 

 

…そして、どう逃れても、我が家はカモサワヒメの監視下にあるようだ(笑)。

奇しくも、福岡県久留米市『三潴』は我が祖先が一度滅んだ土地である。

私の祖父は上京して相模一宮・寒川神社を崇敬しており、両親は今、カモサワヒメのお膝元伊豆国にいる…。いつどこへ逃げても、カモサワヒメの影が我が家にチラついてくる…。

果たしてこの『雷さま』、私を見張っているのか…?、守っているのか…?

 

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※地図はクラフトマップ使用。www.craftmap.box-i.net