2020,8,16
いま、振り返れば…。
・仁科安曇野
・龍蛇神信仰と出雲
・熱海伊豆山
・タマノオヤと八幡
・小野神社と小野氏
・夏至レイラインと瀬織津姫
…今までバラバラだと思ってきた課題が、結局は繋がってしまうことに気づいた。ぐるぐる回され、スタート地点の『小野神社』へと帰ってきた感がある。
※因みに当ブログでは、宮下文書ベースで考察しており、個人的には八幡神=タマノオヤ、その妃・宇佐比売=イワナガヒメと考えている(詳細は下リンクより↓)。
再考察:熱海日金山にて思うこと。もし八幡神がタマノオヤではなく、宇佐見だったらどうしようと思う件…(今さら感) - セキホツ熊の謎を追え!
<まとめ+追記>八幡神と比売大神イトウの正体わかった!宇佐神宮・伊豆山神社・天孫降臨・八王子権現のまとめ。 - セキホツ熊の謎を追え!
宇都志日金折命=タマノオヤ御子の波紋が増大する。
これは前記事にて述べた、鈴木貞一著書『日本古代文書の謎』に基づいた考察となる。
これ、結構波紋を呼ぶ問題になるのがお分かりだろうか?。つまり阿曇氏=ワダツミ系統ではない可能性が出てきたので、ワダツミ子孫『小野氏』についても再考察が必要となってきたわけだ。
もともと和邇氏・小野氏には二つの通説があった。
・5代孝昭天皇の子、天足彦国押人からの皇別。
・ワダツミ系統、綿津見豊玉彦命の子、宇都志日金折命を祖とする安曇(阿曇)氏の末裔。
これまでの考察は、Wikipedia和邇氏に基づいて、5代孝昭天皇の皇子である天足彦国押人命子孫の和邇氏を祖と準拠してきた。その上で宮下文書を解析して、孝昭天皇の皇后・世襲足媛が蘇我政吏の第五女であったことが判明した。故に、後世の小野氏族というのは外祖父蘇我氏の皇族スタートが浮き彫りとなり、このブログでも御祭神シタハルを軸に小野神社を『蘇我色』の強調した社として紹介してきた。
今回は、この辺を変更せざるえないようだ…。
聖蹟桜ヶ丘・武蔵一宮小野神社の謎①ほのかに感じる桜の女神ホノコ様と春日族たち。 - セキホツ熊の謎を追え!
春日蘇我氏族が武蔵国で大繁栄、藤原氏への復讐を果す。ウワハルとシタハルの正体。 - セキホツ熊の謎を追え!
結論から言うと、海人こと和邇氏小野氏の背後には阿曇族の影がちらついているのだ。もう、お察しいただけるだろうが、宮下文書的見解を加えると、宇都志日金折命=タマノオヤ子孫の可能性がでてきた。
即ち、小野氏とはタマノオヤ・イワナガヒメ八幡氏族の可能性がある。つまり…、ワダツミ子孫の中にタマノオヤ子孫が隠れてしまっている…状態。
まあこの説、正直自信はない…、だけど、そういう見方も出てくるというお話(笑)。仮にもし本当であれば、小野氏女系の子孫である私にも、カモサワヒメやイワナガヒメの遺伝子が入っている可能性がゼロではない…と。
※上写真は若宮愛宕神社境内『小野稲荷』(東京都日野市高幡)の由緒書。
和邇氏小野氏とは(再考察)。
和邇氏春日一族とは、すなわち春日族とは蘇我氏ではなく和邇氏を指すものであろう。
Wikipediaによると和邇氏族は5代孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命(天押帯日子命)から派生したというが、この天足彦国押人命は実在性に乏しく、実際は天足彦国押人命の子とされる和邇日子押人命が祖で、さらには綿津見豊玉彦命に起源があるともいわれる。『和邇』とは鰐トーテム、龍蛇神、鰐信仰の海人族の安曇氏と同族、さらに太陽信仰を持つ氏族とされる。
6世紀頃に彼らが、春日氏、小野氏、粟田氏、柿本氏、大宅氏、櫟井氏など別姓を称するころから和珥春日氏が和珥氏の母体となり、和珥春日氏→春日氏に改め、現在の奈良県天理市和邇町周辺を拠点とした。 しかし後に蘇我氏が勢力拡大し春日地方を浸食し始めると、春日氏は急速に勢力衰退する。もともと『朱』の原料である硫化水銀の採掘を生業にしており、水銀の原料を朱砂を『丹』といい、この原材料を『丹生』の地にて取り尽くし移住したとの説もある。その一方で柿本氏、粟田氏、大宅氏などが他分野にて台頭し始める。
こうして小野氏は、近江国滋賀郡小野村(現在の滋賀県大津市内)を本拠地とした。
滋賀県には琵琶湖へ安曇川が流れており、現在でも『和邇』や『小野』という地名が残されており、小野神社(滋賀県大津市小野)や小野篁神社や小野道風神社も祀られる。小野神社の御祭神は小野氏祖である天足彦國押人命。奇しくも、この大津の小野の地が、伊豆大神イワナガヒメの墓陵『伊豆山神社』と『三嶋大社』のレイラインの延長線上にある。
※多少ズレあり。
~小野氏伊豆レイライン~
・熱海身代り不動尊(静岡県熱海市伊豆山)
・伊豆山神社白山神社(静岡県熱海市伊豆山)伊豆大神奇魂?菊理媛命?
・三嶋大社(静岡県三島市)カモサワヒメ陵墓?
・三嶋大社若宮神社(静岡県三島市大宮町)物忌奈之命・八幡三神
・二宮浅間神社(静岡県三島市芝本町)木花開耶姫命・波布比売命
・四宮廣瀬神社(三島市楽寿園内)不明、ウカノミタマ?或いは三嶋溝杙姫?瀬織津姫?
・愛鷹神社(静岡県沼津市東沢田)不明?周辺に愛鷹神社は複数あるので注意。
・龍王神社(龍神社)八大龍王として瀬折津姫命・速秋津姫命・ワダツミ神・水速女命・富士沼宇胡龍神ほか。
・御器所八幡宮(愛知県名古屋市昭和区)品陀和気命・五男三女神・弥都波能売命ほか。
・旛置神社(岐阜県海津市)不明
・旛置八幡神社(岐阜県海津市)品陀和気命
・活津彦根神社(滋賀県近江八幡市)記紀由来のアマテラス四子の活津彦根命。玉から生まれたとされる。
・日牟禮八幡宮(滋賀県近江八幡市)1.38㎞大きくズレあり。
・小野神社(滋賀県大津市小野)天足彦國押人命・米餅搗大使主
・神籬(ひもろぎ)宮(兵庫県多可郡多可町)天魂之大神・九頭竜之大神・八幡三神
・別府八幡宮(島根県邑智郡)769年宇佐神宮の道鏡事件と関係あり
・水上神社(島根県大田市水上町)上津綿津美神 上筒男神
・水上神社(島根県大田市温泉津町西田)上津綿津美神 上筒男神
※祓戸神と関係あり、水上山?に鎮座していた。
そして琵琶湖は12代景行天皇所縁の地、さらにホツマ全巻親写本が発見された地(滋賀県高島市安曇川町の日吉神社)、そして未だホツマツタヱ神話体系が色濃く残されている地である。琵琶湖東対岸は『野州』という地名がのこり、かつてヤマタノオロチと化したハヤコは『浸かり天引き』の祀りを行いヤスカタ神となったことを彷彿とさせる。現在、野州北側には13代成務天皇と武内宿彌由来の『日牟禮八幡宮』が存在する。はじめはオオクニヌシを祀っていたが15代応神天皇から八幡神の祠『日群之社八幡宮』を祀り始めたという。
阿曇氏・穂高氏とは。
このように和邇氏は5代孝昭天皇の皇別スタートとみられているが、安曇(阿曇)氏派生説もある。その場合、宇都志日金折命(穂高見命)を祖とし、和邇氏、小野氏、穂高氏の祖となる。一般的には宇都志日金折命は、豊玉彦命(ワダツミ系統)の子孫とされているので注意。
ここで前述した異説を紹介すると、宮下文書研究家・鈴木貞一氏は『日本古代文書の謎』で、宇都志日金折命とはタマノオヤの『御子』であり、現在の玉祖神社(山口県防府市)の一座不詳の御正体であると推測している。
宮下文書によると、ヒコホホデミ西征時、戦後タマノオヤ元帥の陵墓『穴門の宮』を宇都志日金折に託すとある。文脈から察するに私も鈴木氏に同意、ごく自然な解釈だと思う。宇都志日金折命が玉祖神社をヒコホホデミから託されたのは、彼がタマノオヤ御子だからで、子が親を祀り、親の『宮』を託されるのは当然の成り行きであろう。そして名に示す『日金』とは、母神である伊豆大神イワナガヒメの埋葬地、熱海十国峠こと『日金山』を指しているとみる。
さらには宇都志日金折命は『穂高見命』と同神とする説があり、これを阿曇氏同族の穂高氏が信濃三宮『穂高神社』で祀っていた。ただ、なぜ九州の神々を『日本アルプスの総鎮守』として祀っていたのだろうか?。さらには、なぜ安曇野でなければならなかったのか?。
このあたりを、いつものようにレイラインで考えてみると。
◯穂高神社(長野県安曇野市)上写真より↑
~御祭神~
・穂高見命(宇都志日金拆命、綿津見命の子と解釈されている)
・綿津見命(安曇氏の祖と解釈されている)
・瓊々杵命
・天照大御神
・安曇連比羅夫命(飛鳥時代の阿曇氏、信州安曇野との接点は不明)
・信濃中将
~Aライン~
穂高神社里宮(長野県安曇野市)
日抱神社(岐阜県高山市丹生川町)
日輪神社(岐阜県高山市丹生川町)
伊太祁曽神社(岐阜県高山市丹生川付近の複数)
櫻山八幡宮(岐阜県高山市桜山)和珥氏祖・難波根子武振熊命由来
周防一宮・玉祖神社(山口県防府市)
筑前一宮・筥崎八幡宮(福岡県福岡市東区箱崎)
高祖神社(福岡県糸島市高祖)
~Bライン~
穂高神社里宮(長野県安曇野市)
穂高神社奥宮(長野県松本市安曇上高地)
池俣日抱宮(岐阜県高山市丹生川)
乗鞍神社(岐阜県高山市丹生川)
飛騨一宮・水無神社(岐阜県高山市一之宮)
宇佐神宮(大分県宇佐市)
前記事にてワダツミ系統の痕跡として紹介していた、岐阜県高山市丹生川の『伊太祁曽神社』群。ワダツミ系統と宇都志日金折系統、どちらも宇佐八幡神や五十猛命をまつる氏族であり、行動も祭祀上も似てくるのは仕方がない事かもしれない。これはワダツミ子孫の中にタマノオヤ子孫が隠れてしまっている状態であり…、両勢力が『同族』と誤認されるのも無理はない。
小野神社と宇佐八幡とは。
小野氏族は謎が多い。
例えば、平安初期『小野篁』という人物は、中央と地方のトラブル解決人のような役割で、そのうえ反骨精神から野狂と称されたアウトローでもある。両者からのせめぎ合いの結果、無理難題を押し付けられてきた節があり、氏族としての行動には矛盾を抱えていたのだろう。つまり、小野氏のポリシーを理屈で読み解くことは困難であり、全国の小野関係社を見ても地域差や特異性が伺える。
前記事にて紹介しているが、西日本では高千穂峰~宇佐~玉祖レイラインの先に現れたのは島根県益田市『小野神社』、小野氏祖とみられる小野天大神之多初阿豆委居命を祀る。
一年前に下の地図を作成したときは、『ああ、島根県にも小野神社というのがあるのか…、おもしろいなあ~』くらいにしか考えていなかったのだが(笑)。今考えてみれば、宇都志日金折はヒコホホデミから父親の『玉祖神社』を託され、その子孫が小野氏族と考えるとこのレイラインの重大な意味合いが見えてくるであろう。これは正にタマノオヤ親族のレイラインとなる。
◯小野神社(島根県益田市戸田町)
~御祭神~
・小野天大神之多初阿豆委居命
~配祀~
・日本武尊
・應神天皇
・神功皇后
・比賣大神
・須佐之男命
・武内宿禰
・手足少彦名神
・彌都波能賣神
・金山彦神
・倉稻魂神
・猿田彦神
・宮比神
・大年神
・御年神
・若年神
・事代主神
・綿津見神
・大己貴神
・天射若子神
※59代宇多天皇891年の創建の延喜式内社。『小野天大神之多初阿豆委居命神社』とも呼ばれる。
春日族小野族と柿本族が、当地『小野郷』を開拓。明治四十年の『神社整理令』にて当社境内狭隘のため、村社八幡宮の鎮座地に遷座・合祀され、通称は『八幡さま』ともいう。八幡社の土地を借り遷座した都合上たまたまかもしれないが、彼らの祖先を考えれば意味深ではある。
神紋は『目結紋』で、前記事で紹介した大阪御霊神社の瀬織津姫を勧請し祀っていた亀井氏津和野藩主亀井茲監公主の家紋とみられる。慶応3年、式内社小野天大神之多初阿豆委居命神社として、亀井氏が再興している。
<まとめ>鎌倉権五郎景政『御霊大神』と瀬織津姫の偶然の出会いを検証。 - セキホツ熊の謎を追え!
小野氏のもつ『太陽信仰』と『龍蛇信仰』とは。
さて、小野氏族の武蔵国内情勢に注目すると…。
東京都多摩市の武蔵一宮『小野神社』にも、天押帯日子命(小野氏祖)を境内に祀っていたという説あり。但し『三代実録』『延喜式』などによると、918年小野篁曽孫の小野利春が、武蔵国司に着任する前から小野神社は存在していたし、さらに『小野郷』という地名も先行して存在していた。彼らの関連性がうまく辿れないために、小野氏族横山氏も後世仮冒説が根強い。なお横山氏は『八幡八雲神社』や『梶原八幡神社』への関与からみて、基本は八幡信仰氏族のようだ。そして、この地は彼らが衰退した後世に『八王子』と呼ばれる。
ただ彼らは『夏至レイライン』に関心が強くあって、人見浅間神社(小野子孫人見氏)、小野神社(小野氏祖を祀る形跡あり)、相原八幡宮(小野子孫横山氏)の神社に関与している。この夏至レイライン上にへの執着ぶりを見れば仮冒だなんて考える必要ないだろう(笑)。これが宇都志日金折子孫のもう一つの特性、『太陽信仰』なのであろう。
さらに夏至レイラインには小野大神・瀬織津姫が祀られており、梓水大神・瀬織津姫を祀る氏族とダブるわけだ。
タマノオヤとイワナガヒメの現状から考えて、当然彼らは、二柱の子孫である事を隠さねばならなくなった。そして隠すが如く、太陽信仰として瀬織津姫を祀りだした…。
こういう点が、私が瀬織津姫に、伊豆大神イワナガヒメの痕跡を感じる理由なのかもしれない。
さらに小野大神・瀬織津姫を解くヒントが、安曇野にはあるハズだ。
<レイラインの美学③>日月神示ヒムカの役割、瀬織津姫死亡説と天照大神と木花咲耶姫の本当の関係。 - セキホツ熊の謎を追え!
<神社めぐり>大國魂神社①最強サクナダリ神社に、瀬織津姫が祀られている可能性。 - セキホツ熊の謎を追え!
小野氏族は瀬織津姫を祀る一方、後世には瀬織津姫の天敵『九頭竜神社』にて九頭竜大神を祭っていた、これが彼らのもう一つの側面『龍蛇信仰』であろう。南北朝時代1336年、小野氏横山氏子孫の中村数馬守小野氏経が南朝方につき、南朝守護神『九頭竜大神』を氏神として祀る。しかし引っかかるのが、この南朝=九頭竜というイメージは一体何処から来たのであろうか?、ネットで調べてみたがこの数馬九頭竜神社の由緒ぐらいしか出てこない。一部では天河大弁財天=九頭竜という記事もあるが…。宮下文書によれば南朝は富士朝と組しているハズであろうし、さらにはこのタジカラヲと九頭竜大神の並祀は、ホツマツタヱ神話体系と信州戸隠神社を彷彿とさせるのだ。
〇九頭竜神社(東京都西多摩郡檜原村数馬)
~御祭神~
・九頭竜大神
・天手力男命
それにしても『龍蛇神』については再考察を強いられそうで、戸隠出雲ではスサノオを封じ込めているようにも見えたが、判断は難しい。
※因みに、以前紹介したネタだが、いまとなってその重要性に気づいたことがある。都内、阿豆佐味天(東京都西多摩郡瑞穂町)と同名論社(立川市砂川町)が、小野神社(東京都府中市論社)に対しレイラインを形成し、これもアズサ=アタミ=アズミ=阿曇氏が関係しているようだ。社伝によれば、寛平4年(892年)桓武平氏の祖・高望王が創建とあり、御祭神的にも小野氏とは全く無縁に見えるのだが。やはりこのアズサ=小野氏祖と考えると合点がいく…。
以前記事で、氷川神社は『剣』、大國魂神社は『玉』、寒川神社は『鏡』のイメージがすると述べた事を覚えているだろうか?。
まあ半分冗談で書いたのだが(笑)…、今回は夏至レイライン上の『多摩』にある『玉』のイメージを実感している。宮下文書に記載されている、高千穂峰のウガヤ妃・多摩夜里毘女(タマヨリヒメ)との関連性から、武蔵国多摩においてはやはり『玉(タマ)』が祭祀上のテーマとなっていることを再確認できたかな…と。『玉』『太眞』『多摩』『魂』…、その意味するところは鈴木貞一氏曰く『真実』『誠実』を意味しているという。
偽書のススメ: 富士王朝とウガヤ王朝の関係、レイラインが繋ぐ歴史の真実。 - セキホツ熊の謎を追え!
すなわち阿祖山太神宮にて三種の神器『玉』を司ってきた、玉神タマノオヤの子孫らが守ってきた地でもあるとみる。
※因みに、宮下文書に『多摩』は言及されていない。
※因みに、富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市宮町)の大宮司を継承する社家『富士氏』の始祖は、和邇部豊麿と伝えられている。
※因みに安積(あさか)氏とは、様々あるが藤原南家伊東氏の支流。阿曇氏とは別氏族。
※因みに宮下文書的には、天太眞祖命と櫛明玉命と天明玉命は同名別神となる。
・天明玉命(豊玉彦命51世孫)
・櫛明玉命(櫛明手長命46世孫)
現代では、これら天太眞祖命(タマノオヤ)同神と認識されてはいるが別神。ただ、現代に置き換えたときに、単一祀られるだけの活躍をしているとも思えず。タマノオヤの概念に淘汰された同神とみて差し支えないであろう。
※地図はクラフトマップ使用。