セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

タマノオヤ子孫による瀬織津姫信仰② 武蔵国にあるタマノオヤの痕跡、日野の新撰組が祀っていた?。

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2020,9,20

日野にあるタマノオヤの気配。

①の続き。

タマノオヤ子孫による瀬織津姫信仰①、日前神宮と日祀部日奉氏はタマと太陽信仰を紐解くカギ。 - セキホツ熊の謎を追え!

ということで、今回は日野の神社をめぐってみる。まずは日野市の中心的神社、産土神であり、新撰組所縁の神社『日野八坂神社』へ。

◯八坂神社(東京都日野市日野本町)

~御祭神~

・素盞嗚尊

~相殿神~

・櫛御気野御命

・倉稲魂命

・大山咋命

~境内社~

・八幡社(応神天皇)

※カトリック教会のような重厚なホール状の覆殿内部に、寛政12年再建された伝統的な本殿あり。とてもユニークな神社。

創建不明、元々は多摩川土淵で牛頭天王の像を発見し祀ったとされる、通称天王さま。

そして相殿されている『櫛御気野御命(くしみけぬのみこと)』は熊野大社に祀られている熊野神一柱で、別名『家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)』または『家津御子神(けつみこのかみ)』と同神と言われる。

家都美御子大神の『家都美』とは家基都ではないかとみられ、神代より富士高天原阿祖山太神宮一帯の古名、阿祖山太神宮司頭長を勤めていたタマノオヤにこそ相応しい神名かもしれない。宮下文書研究家・鈴木貞一氏によるとこの神が、タマノオヤと同神としている。

 

~『熊野神』鈴木貞一氏説~

・家都御子神=玉祖命

・速玉神=宇佐見命

・夫須美神=久住比古命(クマノクスヒコ)

・宇都志日金折命=玉祖命御子

 

個人的には、速玉神とは藤原物部系統の祖神で、速玉山田の父『速玉之緒命』。夫須美(フスミ)がウサミとクマノクスヒコの掛け合わせと感じているが、家都御子神=玉祖命というのはあり得ると感じる。

一般的には、後世熊野に発生するスサノオ信仰の一部と見られているが、孫にあたる八王子一柱タマノオヤの肩代わり的な性質を持つと思われ、ここにも五頭天王と八王子権現のイメージが隠れている。午頭と八王子信仰を隠れ蓑にし、八王子一柱タマノオヤ信仰が生きている神社なのではないかと…。

当地日奉氏の繁栄を考えれば、日野の御鎮守はスサノオではなくタマノオヤのような気もするし、これは小野氏族横山氏が祀っていた八王子の『八幡八雲神社』(東京都八王子市元横山町)にも言えること。このように宮下文書における『牛頭八王子』信仰と『熊野』と『日前宮』と『宇佐』の歴史的接点が理解できていれば、自ずと隠されている御祭神も見えてくる。

『八幡』『八雲』『八王子権現』の奇妙な共通点 その①娘よ、子供は八子産みなさい。 - セキホツ熊の謎を追え!

 ところで、このタマノオヤ御神体の出処は何処なのであろうか?。…やはりこの日野周辺には武蔵七党西党・日奉氏子孫が多いので、日奉氏の玉造祖神として祀られていたとしてもおかしくはないであろう。

 

◯日野宮神社(東京都日野市栄町)

~御祭神~

・天御中主尊

・高魂尊

・日奉宗頼

・日奉宗忠

この社は御鎮守八坂神社から700mほど北西にあり、日奉氏が祖神を祀ったとされる日野の語源となった神社。 日奉氏は大伴氏同様にタカミムスビ子孫とされるが、前述どおり、タカミムスビ子孫というのはあまりにも大雑把というか…宮下文書に言わせれば、我々日本人の半分以上はタカミムスビの子孫であろうに…。

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前記事どおり、日奉氏は日野に土着した。
その子孫は平安末期、武蔵国府の西側に勢力を拡げたので武蔵七党『西党』と呼ばれ、平山氏、小川氏、立川氏、由井氏、二宮氏、川口氏などの姓を称し、武蔵国の中心である小野郷(一宮周辺)~小川郷(二宮周辺)を領地とし、すぐ隣の八王子地域のタマノオヤ氏族・小野氏族横山氏とは親しい関係だった。

 

…この神社では思い出がある。

当社は団地のど真ん中にあり、参拝者は周囲の視線に躊躇してしまうかもしれない…。というのも最近の多摩地区の神社はお賽銭泥棒やホームレスの侵入が多発しているらしく、それゆえパトカーの町内巡回が増加しており、いつ神社周辺で職務質問されてもおかしくはない状況なのだ。境内を清掃していた神社関係者?のおじさんが、熊オッサンのことを不思議そうにじーっと見ていたので、怪しまれないように『あ…日野市の歴史に興味があるんですよ』と言った(笑)、…世知辛い神社めぐりである。

すると、おじさんは地元として嬉しかったのか、『いいもんみせてあげる』『こっちおいで』と私を拝殿に招きいれてくれた。

拝殿内部はちょっとした集会所みたいになっており、入っていいのか躊躇していると、手慣れた手つきで戸棚の大きな金庫をあけ、立派な観音菩薩の木像を見せてくれた。『伝虚空蔵菩薩像』、江戸時代造立の日野市有形民俗文化財という。これだけ立派な仏像を間近で見たのは生まれて初めてだったかもしれない。

所詮は世知辛い神社めぐり…と嘆いた自分がとても恥ずかしい(泣)。正直木像よりも、おじさんの親切がとてもうれしかったし、神社巡りで良いことがあると通常の二~三倍は嬉しいものだ。

あれから2~3年たつのだが…後で判明したのだが、Wikipediaによるとこの木像を見に、わざわざ2度にわたって秋篠宮文仁親王が来訪されているという…。

え?、私は一体なにをみたのだろう?もっとよく拝んでおけばよかった…(笑)。

 

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平山八幡神社から正対してみえる、平山城址公園『平山季重神社』。

◯平山八幡神社(東京都日野市西平山)

~御祭神(二説あり?)~

・誉田別命説あり。

・イザナギ・イザナミ説あり。

若宮八幡や正八幡と称し、文治年間(1185~1190)当地を領した平山氏が、『鶴岡八幡宮』を勧請し、平山の鎮守とした。平山氏は上記日奉氏の末裔であり、一ノ谷の戦いで名をはせた平山季重らがいる。

1184年一ノ谷の戦い、1185年屋島や壇之浦にて義経軍につき大活躍、しかし戦後、後白河法皇によって右衛門尉に任ぜられたが、鎌倉方の了解なく天皇方の恩賞をとるとは何事だと。頼朝曰く『平山季重、顔はふわふわとして、とんでもない任官である』と…(苦笑)。その後、筑前国三笠郡原田荘の地頭職獲得、現在でも九州筑前には平山姓は相当数いるという。

1189年には頼朝方につき、義経討伐に参戦、これも功績をあげ鎌倉幕府元老に取り立てられる。

1207年平山季重が創建したといわれる『小宮神社』(あきる野市草花)があり、御祭神はイザナギであるが、新編武蔵風土記稿によると本地文殊の木像を神體としていたという。小野神社や大國魂神社の『小野大神』本地・文殊菩薩と共通し、埼玉県秩父郡『伊豆沢』にある文殊堂とも一致する。個人的には、この文殊菩薩こそが小野大神・瀬織津姫の本地垂迹ではないかとみている。

1213年『和田合戦』では前述した横山氏に加担し、鎌倉方に敗れ衰退。現在の八王子元横山を拠点とする小野氏族横山氏を同じタマノオヤ信仰者と見れば、親密であったことも合点がゆく…。

1221年承久の乱で活躍で汚名挽回し再起した。

 

そして平山氏が没落した天正18年(1590年)、徳川家康が関東各地巡視の折、当社にも立ち寄り『軍配団扇』を寄進。また三代将軍家光より『日月紋章入軍配』を、天海僧正の筆による『白旗』(後述)、藤原家?より『青銅鏡』を賜る。新編武蔵風土記稿曰く『…これは深く社内にひめおきて、たやすく人のみることをゆるさずと云…』、この小さな八幡社は何故か破格の扱いだったワケだ。

一体何があったのか?。

個人的に、『日・月』とは宮下文書に登場するタマノオヤとイワナガヒメの象徴であるとみている。伊豆大神を本懐とする伊豆山神社・結明神社に祀られる『日精・月精』も同義とみており、伊豆山神社社伝によると二柱は富士山にて神上るという。

『日』タマノオヤ=アマテラスの義理の孫

『月』イワナガヒメ=ツクヨミの孫

f:id:sekihotu:20190525201857p:plainある日平山八幡神社にて、たまたま神社役員で研究家(?)のKさんに貴重なお話が聞けた。

まず御祭神については、地域合祀が多すぎて詳細はわからなくなっているとのこと。ただ鶴岡八幡勧承をベースにしており、周囲には八幡という地名が既にあったとのこと。

徳川家康からの軍配の歴史的価値は高く、金箔を削って真贋を確かめていた形跡があるという。八王子の寺社に一時的に流れていたようだが、明治時代の廃仏毀釈をきっかけに返却された。徳川家康は一般的には清和源氏子孫を名乗っており、源氏の氏神八幡神を崇敬していたのだろうとのこと。

ただ、天海僧正の筆による『白旗』は本人ではないことが判明したという。

最後に、『なんで徳川幕府は神社に口止めしたのですか?』と質問すると、周辺神社の嫉妬を買うからであろうとのこと…。しかし、具体的に何が嫉妬を買うのかが知りたいのだが…。この地に、隠されるべきものがあったということなのだろうか…?。

 

というのも、2014年にこの神社のすぐ北裏手JR豊田電車庫近くから、平安時代の大規模遺跡が発掘されたとのこと。Kさん曰く都内最大級の四面庇建物跡で、これほど大規模なものは東京都府中市で見つかった武蔵国府正殿以外ないとのこと。

あとで日野市ホームページで確認してみると、陸奥国多賀城中枢施設に匹敵する規模らしく、地域の何かの拠点があったのではないかとも言われる。建造物の詳しい用途は不明とのこと。因みに、八王子市内の多摩丘陵には南多摩窯跡群など、瓦窯跡が多く発見され、一の宮落川遺跡には古墳時代から4世紀後半から12世紀断続的に、の渡来系の高度な先進技術をもつ集団が居住していた。

多摩地域においても、国分寺や真慈悲寺といった大型建築物の建造は可能であろう。

 

これが源頼朝がフワフワに激怒した理由なのか?(笑)。

これが徳川家康がコソコソしていた理由なのか?(笑)。

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日奉氏祖を祀る?『平山季重神社(日奉神社)』(東京都日野市平山)

なお、鳥居から真っ正面に見える平山城址公園内に、『平山季重神社』がある。浅川を挟んで平山八幡神社と正対しているため、鳥居を背にしている面白い構造の社だ。平山氏子孫が平山季重を祀っていたということになっているが、日野市観光協会HPによると古くは『日奉明神社』といい、現在でも『日奉神社』とも呼ばれ、平山季重自身が日奉氏祖先を祀っていたとの説も有力であるという。

この場合の『祖神』とはどなたであろうか…?、Kさんに訊くのを忘れていてかなり後悔している…。タカミムスビか?、日祀部や日前宮のイシコリドメということか?。

ただ、徳川幕府の『日月軍配』『白旗』と『口止め』という破格の対応を振り返れば、日祀部の玉神、八幡神タマノオヤの可能性もあるのではないか?…と妄想している。

熊オッサン伊豆山の強運お守りを携え、 『タマノオヤさまとイワナガヒメさまが結ばれますように』と伝えた…。

数分間、ぱらぱらと祓いの雨が降った…。

 

日野市平山遺跡~国分寺レイライン。

さっそく家に帰り、Googleマップで富士山と平山八幡近くの『平山遺跡』をレイラインで繋いでみた。すると、なんと武蔵国分寺『薬師堂』とすぐ隣『元町八幡神社』を通る…、ここには摂社として瀬織津姫ら『祓戸四柱』が祀られているではないか。

◯元町八幡神社(東京都国分寺市西元町)

~御祭神~

・誉田別尊

~摂社~

・祓戸社

・榛名社

※国分寺村鎮守。国分寺八幡ともいわれる。

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『元町八幡神社』(東京都国分寺市西元町)と祓戸社・榛名社。

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前記事でも書いたが『日月神示』での祓戸神とは、人々の病を治し、神様と人間が出会える方へ導く役割がありそうなのだ。富士山高千穂峰レイラインの『人見稲荷神社』や『井草八幡宮』にも摂社として祓戸四柱が祀られている。また『榛名神』も多摩地区には多く、日月神示に登場しているので密かに気になっている。

※瀬織津姫には、地域により多種多様の役割があるようにも思う。

<レイラインの美学③>日月神示ヒムカの役割、瀬織津姫死亡説と天照大神と木花咲耶姫の本当の関係。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

前述した日の出マップによると、富士山からのレイラインは夏至頃6/20前後、おおよそ日野市役所くらいまで北上する。そして6/8頃と7/5頃に、『武蔵国分寺』(国分寺市西元町)と『打越八幡社』(八王子市打越)と『土方歳三生誕地』(日野市石田)へと繋がり、最終的には茨城県行方市『玉造』方面へと伸びる。(仮)夏至レイラインのズレはひとまず置いて、その平均値がおおよそ現在の日野市域内にあるのは確かなようだ。

そういえば…、富士高千穂峰レイライン上人見街道沿いには『近藤勇生家跡』(調布市野水)があったなぁ。こうしてみると太陽信仰と新撰組とは意外と縁深いのかもしれない。『多摩の田舎侍』こと彼らもまた…軍神タマノオヤに肖った東征者なのだろうか?。

またレイライン上の『打越八幡神社』(東京都八王子市打越町)には、鶴岡八幡宮の『土』を入れた上に創建され、これも興味深い神社である。

さらに、レイライン上の閑静な住宅街に小さい『小野神社』(東京都日野市万願寺)があるんだが…、これはどういうことか?。現場に見に行ったところ、普通のご自宅の神社らしく…、さすがにインターホンを押して訊ねる勇気はなかった。ネット複数情報では確かに『小野神社』という名称らしい(下写真↓)。現場は高幡金剛寺末寺『安養寺』と『八幡大神社』があり、日奉氏由井氏が拠点としていた地域だが…、なんでこんなところに小野神社があるのか?と…思わず立ち尽くしてしまった。

…やはり思うに、日野市百草園の幻しの源氏祈願所『真慈悲寺』といい、一の宮落川遺跡といい、太陽信仰の聖地なのではないかと思えてしまう。

今後もタマノオヤ子孫の調査続行する…。f:id:sekihotu:20200912161456j:plain

 

※記事訂正

日の出マップはメルカトル図法のデータらしく、あくまで朝日の『方角』を調べるツールらしい。遠方のレイライン計測には不向きということが判明した。

グーグルマップでのレイラインは放物線を描くのに対し、日の出マップのレイラインはいつも直線。遠方に行くほど誤差が大きくなるのでおかしいと思っていた(泣)。

これにより記事内容には大筋違いはないが、日の出マップで計測した『日付』はズレがでる、その辺は目安で見ていただきたい。ブログで紹介した各レイラインはグーグルマップの線引き機能を基準にしているので問題ない(あくまで日付のみの注意)。

私が白地図に表記し作成した画像は、当然ズレがあります。

初歩的なミスでした。ごめんなさい。

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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