セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

坂上田村麿が本州重心点へ行った本当の理由、富士噴火鎮魂『富士山重心点レイライン』。

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龍神さん


2020,10,24

『本州重心点』。戸隠山から南西15キロほど長野県小川村鬼無里、安曇野の北アルプスが一望できる絶景の山里。

宮下文書版出雲は何処か?。古史古伝研究家の佐治芳彦氏は『戸隠山』断言しているのであるが、内心私はまだ迷っている…(いまさら感)。

そうさせるのが当地域の存在感である。

ヤマトタケルや坂上田村麿東の征祈願の痕跡もあり、さらに記紀編纂の天武天皇が遷都を計画。さらに源頼朝が三重塔を建立していた経緯もある。

一体、この地はなんなんだ!?。

 

『重心点』坂上田村麻呂、訪問理由は根本的に異なる。

前記事にて、この本州重心点を通る『スサノオ重心点レイライン』と『仁科レイライン』の2本を紹介した。仁科レイラインは重心点に近づけるために講堂跡→戸隠山へ1.2キロ北西へ座標修正、クロスポイントは本州重心点と高山寺、少しズレが生じるので注意。

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で。今回調べていくうちに3本目の『重心点レイライン』を発見、こちらはどうやら富士貞観噴火頃(貞観6年864〜貞観8年866)の坂上田村麿とイワナガヒメが関与していそうなのだ。

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ヤマトタケルと坂上田村麻呂、この地域の訪問理由は根本的に異なる。

ヤマトタケルは叢雲の剣をもち、スサノオ転生を自称していた(ホツマツタヱ40文)。しかしその正体は、神武時代からの中国地方渡来人の免罪と待遇改善のため、信州出雲の『法の番人スサノオ』を封じ込め、岩戸隠しした張本人とみる。出雲臣エタモヒらにより武蔵国氷川神社へ遷座させたとみる。

坂上田村麿は、800年延暦〜866年貞観噴火にて富士朝を相模国寒川神社へ避難させ、富士山鎮魂の為にきたとみる。オオヤマツミファミリー、カモサワヒメ、イワナガヒメ、コノハナサクヤらの御神力で終止させたいと、祈願したのではないか?。そして富士山八ヶ岳のレイラインをこの本州重心点に結びつけた。

さらに20〜30キロほど西、安曇野地区の『八面大王』を田村麿が成敗した伝承あり、これが旧安曇族ではないかという説もある。この2つの両地域は後世、どちらも清和源氏小笠原氏(庶流の大日方氏)が統治している。

 田村麿鎮魂のレイライン。以降いつものように、このレイライン南から北へ説明していく。 

宮下文書版・ツクヨミ系統子孫のレイライン

〜富士山重心点レイライン〜

・伊豆三宮・楊原神社(静岡県沼津市下香貫宮脇)

・玉作神社(静岡県沼津市黒瀬町)

・桃澤神社奥宮(静岡県沼津市青野)

・富士山(山梨県静岡県境)

・八ヶ岳天女山・八嶽神社祠(山梨県北杜市天女山登山道中)

・八ヶ岳(長野県諏訪郡原村立沢)

・蓼科神社奥社(長野県北佐久郡立科町)

・高山寺三重塔(長野県上水郡小川村)

・本州重心点(長野県上水郡小川村)

・瀬戸川神社(長野県上水郡小川村)

・鬼無里加茂神社(長野県長野市鬼無里東京)

・文殊の瀧と文殊堂(長野県長野市鬼無里)

・黒姫山(新潟県糸魚川市田海)

・青澤神社(新潟県糸魚川市青海)

 

後述するが、このレイライン、以下3柱がテーマとなるのでご注意いただきたい。

・タケミナカタ

・イワナガヒメ

・ヌナカワヒメ

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◯伊豆三宮・楊原神社(静岡県沼津市下香貫宮脇)

〜御祭神〜

・大山祇命

・石長姫命

・木花開耶姫命

戦国時代に、現在地より東から500m遷座。

創建不明『日本三代実録』によると、延暦噴火後の貞観元年神階五位上『延喜式』名神大社に列する。少なくとも延暦〜貞観噴火時代の影響は受けている社。

加茂喜三氏『日本の神朝時代』によると、外寇親征の際、オオヤマツミが遠征に出航した古跡とのこと。境内にはオオヤマツミ夫妻とコノハナサクヤの木造が安置されおり、カモサワヒメが祀られていた形跡もあるそうだ。

かつてはカモサワヒメの墓陵『三嶋大社』摂社として楊原神社があり、三島から沼津の社殿を遥拝できるようになっていたという。現在は三島市北田町に独立した社となり、三嶋神コトシロヌシとオオヤマツミを祀っている。

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◯玉作神社(静岡県沼津市黒瀬町)

〜御祭神〜

・玉祖命 

・水波廼女神(ミズハノメ)

伊豆国式内社・玉作水神社の論社、玉造連の聖地の一つ。前記事で紹介したとおりタマノオヤの妃がイワナガヒメ、安曇族祖先の宇都志日金折命は子神の可能性あり。彼らは伊豆大神イワナガヒメを祀ることができなくなり、同じ伊豆大神『瀬織津姫』を祀りはじめたのではないかとみている(下リンクより)。この神社も、かつては水神ミズハノメではなく瀬織津姫を祀っていたという説もあり。

個人的に、ここで彼らが本当に祀りたいのは伊豆大神イワナガヒメではないかと妄想。

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◯桃澤神社奥宮(静岡県沼津市青野)

〜里宮御祭神〜

・建御名方神

・瓊瓊杵命

・木花咲耶姫命

愛鷹(あしたか)明神とも呼ばれる。宮下文書に愛鷹信仰についての記述はないが、宮下文書版コノハナサクヤの富士山噴火神話を踏襲したものではないかと見ている。『甲斐古蹟考』によるとオオヤマツミが愛娘コノハナサクヤと散歩された山とのこと。

この社のポイントは、タケミナカタが祀られているところに注目。

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◯八ヶ岳天女山・八嶽神社(天女山登山道中)

Googleマップには表記されず、登山道に八嶽神社の小さな祠あり。なお、里宮は少し離れた山梨県北杜市大泉西井出にある。もともとはタケミナカタの社であったが、天正3年八嶽の神霊を合祀した。八嶽(やつがたけ)権現としてイワナガヒメを祀るとみる。ここでもタケミナカタが祀られていることに注目。八ヶ岳には天女伝説あり。

〜里宮御祭神〜

・建御名方命

・石長姫命

・罔象女神

 

◯八ヶ岳・檜峰神社(山梨県北杜市大泉町谷戸)

〜御祭神〜

・八雷神

・磐長姫命

八ヶ岳の富士山寄り、『権現岳』山頂にある小さな祠。このレイライン発見のきっかけは、ヤマレコHPのpasocomさんの投稿記事より。八ヶ岳檜峰神社が貞観噴火と関係あるのではないかという記事であった。背景にあるのは山梨県に伝わる、富士山と八ヶ岳の『背くらべ』という対立神話があるという。

https://www.yamareco.com/modules/diary/21844-detail-75206

ここもやはり、噴火後貞観10年の『日本三代実録』従五位下とされる。西国天皇勢力が、甲斐国司に浅間神への鎮謝を命じたという。

山の名前『権現』というのは山頂にある金毘羅大権現の石碑からとみるが、明治時代には薬師岳と呼ばれており、スクナビコナ=薬師如来、スクナビコナを祀る山梨県笛吹市神座山山麓の同名社『檜峯神社』とも関係がありそうだ。

気になるのは、八雷神というのは八ヶ岳の由来という説もあるが、『雷神』の一柱だろうか?。だとしたら、別雷命カモサワヒメの可能性もあると思う。個人的に思うのが、四州の山々を統括していた富士朝ツクヨミ版・八王子と関係しているのではないかと…。

宮下文書研究家の加茂喜三氏は、『八王子=オオヤマツミの八柱兄弟』と断言しているが、紅一点の月結毘女命をカウントすると9子である。そして五男三女を構成していないし、スサノオと直接的絡みがない。後述するが以下の理由で、私は牛頭八王子権現とは違う『八王子』と判断している。

 

◯蓼科神社奥社(長野県北佐久郡立科町)

〜里宮御祭神〜

・高皇産霊神

・大己貴命

・木花咲耶姫命

〜奥社御祭神〜

・高皇産霊神

・倉稲魂神

・水分神

・保食神

・木花咲耶姫命

・稚産霊神

※奥社は『八柱御子』という説あり。

 

創建不詳だが、奥宮がヤマトタケル東征に由来するとされ、後旧記によると坂上田村麿が社殿修造している。

明治神社誌料によると奥社は立科八王子権現に由来し、高井明神ともいう。

 

◯高山寺三重塔(長野県上水郡小川村)

本州重心点1キロ半南、808年坂上田村麿が戦勝祈願し、弘法大師自刻の聖観音菩薩像を安置、富士朝崇敬者の源頼朝により三重塔寄進(1195年)。現在三重塔は県宝に指定されている。この土地絶対なにかあるだろう(笑)。

 

◯瀬戸川神社(長野県上水郡小川村)

〜御祭神〜

・大山祇命

・底筒男命

・中筒男命

・表筒男命

・天照大御神

・建御名方命

・猿田彦命

ネット上の情報は少ない。

長野県神社庁HPによると、創建不詳、坂上田村麿東征の祈願された場所、後世で真田氏らに祟敬された。

この神社がもともとは、本州の重心点真上に建てられており、武蔵三宮『氷川神社』を起点とするスサノオ重心レイラインとの合流点となる。しかし現在は、北に600メートルほど遷座させられており、社跡には『本州のへそ』なる休憩所があるのみ。

もともとは『三島社』と呼ばれておりカモサワヒメを強く感じる地域だ、レイライン北にある鬼無里『加茂神社』にそのルーツがあるのかもしれない。

小川町周辺の拠点神社・『小川神社』の御祭神からも察するとおり、三嶋神コトシロヌシとタケミナカタを祀る社が多いようだ。というか…このあたり山間部人口比からみても、寺社密集地帯神社多すぎ。

小川荘(小河荘)はもともと戸隠顕光寺が鳥羽院に寄進した皇室荘園で、そのあと清和源氏子孫水野氏族小河氏が管理していたようだ。これが現在の小川村の由来ともなる。

 

◯加茂神社(長野県長野市鬼無里東京)

〜御祭神〜

・別雷命(建御雷命という説あり)

・建御名方命

・天思兼命

地名が『東京』。鬼無里は大きな湖があったらしく『水無瀬』とも呼ばれた。

天武13年(684年)創建。やはりここにもヤマトタケル東征伝説があったようで、白鹿を撃った時の石弓を収め、加茂大神の祠を祀ったという。後世その加茂神の宮を天武天皇が創建した形だ。

鬼無里には、秘められた信じ難い伝説がたくさんあり、その中に『遷都伝説』なるものがある。日本書紀天武天皇13年の条によると鬼無里と都にする計画が持ち上がったらしく、この加茂神社も天武天皇が三野王を遣わし新都の鎮守として創造したという。そのときの名残りが、鬼無里地名の『東京』『西京』『二条』『三条』『四条』『五条』と地名にのこっているという。

ただし、この地域には鬼が住んでおり、天武の遷都計画を知った鬼が一夜で山を築き妨害したとのこと。

684年時代背景を調べてみると、南海トラフ巨大地震『白鳳地震』が発生し、西日本太平洋沿岸が被災している。さらに翌685年現在の県境『浅間山』(諸説あり)が噴火しているので、これが遷都が中止された要因かもしれない。山を築いた鬼伝説とはこの天災のこのことか?。

そもそも天武天皇は、記紀編纂を命じた(681年)張本人。歴史改竄の祟りを恐れて、誰よりも神経質になっていたのかもしれない。

それにしてもこの地域、古来からこの山里には人の出入りが多く、権力者からパワースポットとしてみなされていたことはわかる。

 

※因みに、他説では、明治15年『鬼無里村神社調』によると、この加茂社の御祭神はタケミカヅチとタマヨリヒメで、信濃祖神としてオモイカネが合祀されたという。御祭神については諸説あり不明瞭、wikipediaなどでは別雷命とされる。ここにもタケミナカタが祀られていることに注目。

※因みに、ここで説明をしておくと。宮下文書では別雷命=寒川毘女=三嶋神=カモサワヒメ、コトシロヌシ娘、オオヤマツミ妃、イワナガヒメとコノハナサクヤ母である。つまり現在の『三嶋神』とは、カモサワヒメの父と夫の並祀のことにされたわけだ。

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◯文殊の瀧・文殊堂(長野県長野市鬼無里)

日本三大文殊(諸説あり)。木曽義仲の守護仏で、弘法大師作の大聖智恵文殊堂が安置されている。

前記事でも述べたが、伊豆権現が祀られている地域遠野『倭文神社』(岩手県遠野市土渕)では明治期まで文殊様と呼ばれており、現在は瀬織津姫が祀られている。これはかつて文殊菩薩=小野大神と呼んでいた武蔵一宮『小野神社』に近い状況であり、瀬織津姫の本地垂迹の一つが文殊菩薩だと推測している。

また埼玉県秩父郡小鹿町伊豆沢にも『文殊堂』があり、伊豆を意識している。すぐ隣には『諏訪神社』がある。

瀬織津姫にも、アマテラス・月桜田毘女・カモサワヒメ・イワナガヒメら富士朝女神が地域により内包されているとみている。

宮下文書における瀬織津姫の正体①瀬織津姫の意味とは? - セキホツ熊の謎を追え!

 

◯黒姫山(新潟県糸魚川市田海)

ここはかつて、ヌナカワヒメの居住地であった。

日本海側には黒姫山が3ヶ所ほどあり、戸隠神社近くの長野県野尻『黒姫山』ではないので注意。山頂には多賀明神の祠があり。北に3キロほどの糸魚川市青海付近にはヌナカワヒメを祀る『青澤神社』がある。

前記事で紹介した古事記ではヌナカワヒメは、出雲神オオクニヌシの妃、出雲神タケミナカタの母にあたる。糸魚川市黒姫山の洞穴『福来口』に住んでいた姫川の水神、あるいは翡翠を採掘していたヌナカワ族の祖先とされ、そしてもちろん糸魚川市の愉快なマスコットキャラクター『ぬーな』ちゃんである。

 

前記事の宮下文書によると、2代綏靖天皇カムヌナカワミミノミコトは、兄タギシミミを諏訪上宮に追放したと記載されている。

個人的にヌナカワヒメは、諏訪における2代綏靖天皇カムヌナカワミミの影響力を示そうとした後世の付会創作神ではないかみている。ただ何をモデルにしたかといえば、やはり安曇野安曇族と信州出雲勢力のバックボーン示唆ではないかとみる。『ヌナカワ』の名の一致も偶然にしては出来すぎているし、宮下文書版タケミナカタは明らかにヌナカワヒメと時代錯誤の人物となる。西国天皇勢力が古事記編纂にあたり、この諏訪勢力と安曇勢力の強固な結びつきを示す為につくった架空の家系図なのではないかと。この二勢力を繋ぎとめる存在として、タケミナカタは安曇と出雲と諏訪の『付会の子』として政略的な利用をされ続けているのかもしれない。

この太平洋と日本海のレイラインの橋渡しは、諏訪神の重要な『ご役』なのではないかと。

 安曇族は、528年九州筑紫国造『磐井の乱』により、居場所を失い信州安曇野に逃げ込んできたという説があり。そして翡翠を採掘していたあたり、安曇族祖先の『玉神』のタマノオヤと伊豆大神イワナガヒメの子孫の影響が大きいとみる。

個人的には、このヌナカワヒメとイワナガヒメの影がダブって見えて仕方がない。同神とまでは言わないが、おそらくは同じ安曇族を彷彿とさせる存在なのであろう。

 

ここで一つ例にすると、安曇族の象徴の一つ『梓水神社』の現在の御祭神は瀬織津姫ではなく、何故かタケミナカタなのだ。社伝によると、諏訪大社と梓水神社御池は地下で龍神とつながっており、これは諏訪方にも梓水方にも共通する伝承になっている。また瀬織津姫の神社で有名な兵庫県西宮市大社町の『廣田神社』、第三脇殿御神もタケミナカタが祀られている。

つまり安曇野の研究には、このタケミナカタヌナカワヒメ瀬織津姫イワナガヒメの四柱に注視していく必要がありそうだ。 

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諏訪へと繋がるという、『梓水神社御池』(長野県松本市安曇宮の原)。

~まとめ~

つまり伊豆大神=八嶽権現≒梓水大神?、イワナガヒメは富士山噴火の鎮魂させた女神なのだ。イワナガヒメ単一を祀る、『大室山浅間神社』(静岡県伊東市)になぜ八ヶ岳地蔵がある理由も想像出来る訳だ。

坂上田村麿。

彼は富士朝にとっても、西国天皇勢力にとっても、富士朝を噴火や騒動から守った英雄。しかし動機が『富士朝を守ること』なので、富士山が抹消されゆく今、正確に語り継がれることが難しい人物にされてしまった。彼はサルタヒコの末裔(秦氏族羽田氏も入っている可能性あり)、富士朝を避難させた理由は十分にある。しかし世間的には朝鮮渡来系子孫とされ、各地に妖怪やモンスターを相手にした、史実を曲げた奇っ怪な田村麿英雄譚が残されていったのだろう。

そして安曇野伝説の鬼『八面大王』を成敗したのは田村麿なのだろうか?、本当に安曇族だったのだろうか?気になるところ。

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本当の出雲ってどんな処?、頼みの綱はやはり日月神示?。

前述とおり、宮下文書の出雲の場所は『阿祖北の山陰』、具体的なの地域までの記載はされていない。

 

『悪雲が吹き出してくる方角にあたることから、出雲国と名付けた(祖佐記)』

 

そもそも宮下文書版出雲とは、警察+裁判所のような機関、各地の罪人を収監教育していたという。富士朝の哲学では悪人はできる限り更生させるというもので、それをアマテラスに命じられたのが牛頭天王スサノオであった。実にアメノオシホミミの八王子一柱ニニギも更生させられており、『牛頭八王子権現』の始まりとみる。

ただ、悪人を真っ当にしたいのであれば、そんな不吉な場所には収監しないであろう。個人的に思うのは、悪人を善人にできるほどの聖地であったということ(妄想)。だからこそ天武天皇が、遥々遷都しようとまで考えたのであろう。そしてこの重心点を構成する3本のレイライン、からもヒントを得た。

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話は変わるが。

 日月神示には『あ』と『わ』と『や』という意味不明な言葉がでてくるが、基本的な祭祀要素としてよく語られている。この『あ』『わ』『や』とはなにか?、ホツマツタヱ読者なら心当たりがあるハズ。

ホツマツタヱは3部構成で、それぞれ天の巻・地の巻・人の巻でわかれている。それぞれの読み方が、

『天』の巻=『あ』のひまき

『地』の巻=『わ』のひまき

『人』の巻=『や』のひまき

 

△宮下文書的の知識を加えると。

『天』=伊勢神宮のアマテラス?

『地』=富士朝の象徴ツクヨミ・オオヤマツミ?

『人』=人界の法の番人、氷川神社のスサノオ?

 

△つまり地図の3本レイラインとは。

『天』=伊勢神宮『伊勢重心点レイライン』

『地』=富士山『富士山重心点レイライン』

『人』=氷川神社『氷川重心点レイライン』



〜紫金之巻 第14帖(976帖)〜

 

現実の事のみで処理してはならん

常に永遠の立場に立って

処理せよと申してあろうがな

生きることは死に向かって進むこと

マコトに生きる大道に目覚めてくれよ

神示を初めから読めば何事もありやかぞ

奥山はあってはならん

無くてはならん存在であるぞ

善人の住む処は

悪人の休む処と申してあろう

奥山は神、幽、現の三界と通じる処

八尋(やひろ)殿の左と右に宮が建つ

奥にも一つ



つまりこの重心点は、三貴神の接点ということか?。源頼朝の三重塔…。

『善人の住むところは、悪人の休むところ』とは人を更生させる信州出雲の事か?。

どちらにせよこの『戸隠』+『本州重心点』というのは、かなり重要な地域とみる。

今後も注目してゆく。

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※地図はクラフトマップ使用。www.craftmap.box-i.net