セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<前記事補足>加茂喜三氏の神子元島レイラインと、愛鷹山信仰補足、楊原神社補足。

 

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山神社アピールが凄い、静岡県沼津市下香貫『大朝神社境内・山神社』


2020,11,7

最近、休日は図書館に通っているのでブログが休みがちになる、ゴメンナサイ。

静岡県内の図書館へ行ってきた。館内の閲覧パソコンで検索してみると、なんと加茂喜三(カモキゾウ)氏の本が複数所蔵されていて驚いた。

加茂喜三氏は2009年ころ他界されたが、富士山周辺遺跡研究の第一人者としてよく知られる存在。書籍は現在高騰しており、ビンボー人の私には全く手が出せない状態(泣)。私も名前は存じ上げていたが、閲覧できたのはごく最近である。県内の富士市や草薙の図書館なら割と所蔵してある。今回は閲覧の機会がありいろいろ調べてきた。

以下は『富士重心点レイライン』の前記事を補足する記事になる。以降、加茂氏が述べている点を補足していきたい。

坂上田村麿が本州重心点へ行った本当の理由、富士噴火鎮魂『富士山重心点レイライン』。 - セキホツ熊の謎を追え!




加茂喜三氏曰く、伊豆は日本創造、日本開闢の聖地。

加茂氏の著書に『ヒミコの故郷』という本がある。タイトルに魅かれ閲覧してみたものの、本自体難解で、少々飛躍しすぎな感が否めない。まあこの本自体が難解だが、なんとなく気になるレイラインが登場していたので紹介しておく。

九州『伊都国』の長は伊都都彦で伊豆の日子、卑弥呼も伊豆に関係があるという。古来祭祀的始まりの地が静岡県下田市『神子元島』で、ヒミコも関係があるのではないかと論じてる。詳細は著書にて。

神子元島という無人島は、出雲大社と比叡山のレイライン上にあるという。試しにGoogleマップで出雲大社と神子元島を繋いで見てみた。すると比叡山は掠りもせず、出雲大神宮賀茂御祖神社を通るのだ(笑)。宮下文書的に出雲大神宮はクニトコタチとミホツヒメの大きな拠点の一つ。これは偶然なのか、新たな発見なのか、レイライン的にはスゴイのだが、氏がいう的を得てないので複雑な心境、どうリアクションしてよいのか迷っている。

氏は富士山〜愛鷹山〜天城山は、『冬至の太陽の登る方向』というのだが。前記事でも書いたが、富士山起点の冬至の日の出の方向は、箱根神山なのだ。そして神子元島をとおるというのだか、Googleマップでは通らない。

また下田富士は、伊豆大神イワナガヒメがつくったとする伝承があるようだ。

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この本で加茂喜三氏の言及はないものの、このレイラインは、富士山と愛鷹山を結ぶと楊原神社旧跡と八ヶ岳を通過する。天城山は微妙にズレる。『本州重心点』へと到達するのは事実だ。

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そして、私が作成した地図で赤線を神子元島付近まで延長すると、赤線『富士重心点レイライン』ピンク線『伊勢重心点レイライン』がちょうど二等辺三角形に見えてくる。青線『氷川重心点レイライン』はとりあえず置いておいて、重心点レイラインもアマテラスとツクヨミの二等辺三角形を描く。氏曰く、二等辺三角形は日月、夏至冬至、男女、陰陽の関係ではないかと。

個人的にこれも気になる。

分かり次第、また記事にしていく。



愛鷹山(あしたかやま)

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駿河に存在する山塊。宮下文書においての住留賀野(駿河)は、タカミムスビ先住民が渡来してきた過程で、現在の『高天原』(現在の富士吉田市大明見〜山中湖周辺)へ入植の足掛りとなる前拠点もなった。宮下文書曰く、3004日滞在していたという。

語源は『阿始ノ岳』、つまり『豊阿始原(トヨアシハラ)』の阿始と同義。また駿河湾一帯は浮島ヶ沼と呼ばれ葦(あし)の群生地でもあったはずだ。富士先住民にとって富士高天原よりも古い遺跡群が残されている地域となる。

また『竹取物語』に登場する翁は『愛鷹明神』、媼は『犬飼明神』とある。のち愛鷹明神となる下総国寒川神社の神主が、安曇系統犬養氏で、平将門の母方にあたるという。日月神示と麻賀多神社の記事でも書いたが、そもそも下総玉造というのは富士朝とつながりが深かった。これは加茂氏のみでなくよく聞く話であり、『かぐや姫』というのは月の王朝=富士朝を暗示した存在ではないかと。

〈神社めぐり麻賀多神社①〉宮下文書✕日月神示で考えてみよう!、富士山と鳴門の仕組み、祓戸四柱ヒムカの関係性。 - セキホツ熊の謎を追え!

〈神社めぐり麻賀多神社②〉日月神示に富士王朝の影、麻賀多神社神官『太田家』は応神天皇末裔?。 - セキホツ熊の謎を追え!

なるほど、平将門のバックボーンとしての富士朝の存在、将門が関与した御殿場『二岡神社』や『火雷神社』との繋がりが見えてきた。因みに、前記事でも紹介した下総寒川神社と相模寒川神社のレイラインは愛鷹山をとおり、伊勢摂社『御船神社』を通る。

そしてかぐや姫伝承もやはり月の王朝こと、富士朝を偲んだ昔話であったようだ。これ以上書くと話が逸れるので(笑)、愛鷹山・かぐや姫・将門はいつか別の記事にしたい。

 

伊豆三宮・楊原神社(やなぎはらじんじゃ)

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静岡県沼津市下香貫『楊原神社』

式内社(名神大社)で旧社格は郷社、現在地の東南東500mに鎮座していた。

◯楊原神社(静岡県沼津市下香貫)

〜御祭神〜

・大山祇命 

〜配祀神〜

・石長姫命 

・木花開耶姫命

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◯山宮・大朝神社(静岡県沼津市下香貫)

〜御祭神〜

・大日孁命

ニニギ外寇親征の役の折、オオヤマツミがコノハナサクヤを追いかけて愛媛伊予へ出港された土地という。かつての駿河湾は浮島ヶ沼といい海中の湿地帯が複雑に入り組んで、小さな島も無数にあったと見られる。沼津周辺は『下香貫八重』という地名が残っており、氏曰くここで積羽八重事代主は生まれ育ったという。この地で亡くなった娘カモサワヒメの為に、三嶋大社を創建したのも彼だという(加茂氏が述べているが、神皇紀現代訳には記載がない)。

一般的にはコトシロヌシ妃はミシマミゾクイヒメといわれ、ミシマに縁が深いとみる。宮下文書においての妃はタカテルヒメ。

前記事にも書いているが社伝の木像が三体ある。

氏の著書『日本の神皇時代』ではオオヤマツミ夫妻、コノハナサクヤとしていたが、古い記録にはイワナガヒメとコノハナサクヤを左右に並立した古像もあったという。つまりここは、オオヤマツミファミリーを祀るための大社であったようだ。

現在『大朝神社』がある牛臥山は、かつては海に浮かぶ小島で、山宮があるために山宮山とも称される。

御祭神は大日孁命(アマテラス)であるが、もともとの御祭神がイワナガヒメだったようだ。古来から奥宮ではなく姉妹神社として往来があり、例祭も一日早く行われた。境内社には『木ノ宮神社』があり、これはコノハナサクヤではなく来宮神・杉牟別命(杉鉾別命のことか?)ではないかと。川津来宮神社(杉鉾別命)神社には姫宮遺跡があり、ササラヒメを祀ていた。ササラヒメ=伊豆大神イワナガヒメと考えると、自ずと安曇族との関係が見えてくるのだ。

来宮神社の五十猛命も、後付で祀られている可能性が出てきた。

 

 

 

 

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※地図はクラフトマップ使用。www.craftmap.box-i.net