セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<偽書のススメ10>なんでみんな宮下文書の解釈が違うのか?、考えてみよう!!。

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2020,11,8
今回は皆さんに宮下文書の解釈についてお話する。宮下文書への理解が深まると思う。

 

加茂喜三氏と解釈の違い。

結論からいうと、私が愛読している神奈川徐福研究会『神皇紀』現代訳と、記載内容がかなり違う印象を受けた。未収録の箇所があるのだろうか?。例えば、コノハナサクヤが、無戸ノ室で三皇子を産むシーンも結構違う。牛頭八王子権現に対する見解も違う。同じ文献を読んで、何故ここまで解釈が違うんだ…?と落胆するほどだった。

 

〜具体例〜

△加茂氏曰く、6代孝安天皇皇后押媛、孝昭天皇皇子・天足彦国人押命の娘としている(wikipediaと同じ)

▲神皇紀現代訳曰く、6代孝安天皇皇后押日媛命、蘇我系統蘇日政我の2女としている。

 

これでいうと私の前記事、藤原蘇我両臣システムという妄想は音をたてて崩れ去ることになる(笑)。

<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった。中臣・物部・藤原編。 - セキホツ熊の謎を追え!

<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった②。中臣・蘇我・大伴編 - セキホツ熊の謎を追え!

 

氏曰く、ウガヤ朝と、初代神武〜4代懿徳天皇は富士朝から皇后を迎えたとのこと。個人的には、ウガヤ朝の皇后系譜に関しては難解すぎるので解析を諦めた(苦笑)。

しかし神武以降の后が富士朝出身者?、え…、どこにそんなこと書いてあるんだ?。いや、どっちが正しいんだ???。

これに関しては、私は▲神皇紀現代訳の方を信じている。加茂氏は、単に藤原物部系統・蘇我大伴系統の概念は触れているが、右臣・左臣近親婚システムの全貌を把握していないとも思えるし、少なくとも欠史八代~10代崇神天皇の代まではこのシステムは生きていたと判断している。このように私自身、加茂氏や佐治氏は参考にしつつ同意できないところが随所にあるのだ。

まあ、失礼ながら私が言いたいのは一研究者に囚われるのではなく、いろいろな人を参考にすべきなのかなと…今更ながら痛感した次第。ただ宮下文書の場合、比較できるほど研究者もいないのが現状、特に岩間解釈本などの書籍は高騰し、お金がない人は入手できない。

うーん…。

 

なんで、こんなにも解釈が異なるのか?

佐治芳彦氏の見解では、これは時代背景にもよりそうなのだ。

2大解釈と言われる、『三輪解釈本』と『岩間解釈本』にも結構食い違いがあるという。

・三輪義煕『神皇紀』

・岩間尹『開闢神代暦代記』

例えば、アマテラスが何故『天之岩戸』に隠れたか。

岩間解釈本では、大陸からやってきたアマテラスの二従兄弟にあたるスサノオ(多加王)が、アマテラスに強引に求婚し、その嫌悪感から岩戸へ引きこもる事態に陥った。怒ったオオクニヌシとタヂカラヲがスサノオを捉えて、処刑する代わりに弟としての『誓約(うけい)』をさせたという。すなわち、アマテラスを女性ではなく、先輩として見ろということ。しかし残念ながら三輪本では『省略』されているという。…ん?省略ということは、原本には書かれているようだ。佐治氏は原本を取材している。

こうしてみると、宮下文書がいかに単純明快で現実的で、人間性あふれる描写なのかがわかると思う。記紀の『誓約の子』の描写は難解すぎるし、意味不明としか言えなかった。

f:id:sekihotu:20201022221957p:plain因みに『天之岩戸』はどこか?、宮下文書には具体的に図示されているという。加茂氏によると現在の大明見山神社付近、富士吉田市大明見『不動ノ湯』の近く西北西?の山中という。氏曰く、『杓子山と鳥居地峠を結ぶ線を底辺にした正三角形の頂点をなすあたり』。


 

また何故、コノハナサクヤがニニギに貞操を疑われ自殺したのか?。

岩間解釈本によると、『外寇親征の役』の際、コノハナサクヤが敵軍の捕虜となったからで、敵軍の子供を身籠ったと誤解されたようだ。てっきり、若い男女の痴話喧嘩から衝動的に自殺にしたのかと思っていたが、理由がわかれば深い同情の余地が生まれてくる。日本を守るための戦争で、コノハナサクヤ(加茂氏曰く43歳?)はその犠牲となってしまった。

また、加茂氏によると、コノハナサクヤを心配して追ってきたアメノコヤネらに対して、私の無実は証明されたといい放ち、三子を残し、大鹿に跨り、富士火口に飛び込んだという。

 

なるほどそれが判れば、ニニギがPTSDで衰弱死した理由も見えてくる。おそらくニニギは、コノハナサクヤを戦地に連れて行ったことを死ぬほど後悔した筈だ。夫婦喧嘩の理由がイマイチわからなかったが、これも三輪本では書けなかったのだろうか?。後世に、女子が戦場に出ることを禁じられた直接的理由になりうる。

宮下文書の古代の戦争は、長期戦必至となるため、男女運命を共にし女性も参加していた。しかしコノハナサクヤの死後、ニニギは一旦富士高天原に帰還、『三種神器』を携えて、妻なしで再び外寇戦地に赴く。これが宮下文書での三種神器の事実上の始まりであり、ニニギは辛くも外寇戦に勝利できた。

前記事でも書いたが。三種神器とは女性の創造性、戦地に出られない女性たちの御守にしたのではないかと。コノハナサクヤの祖母『月桜田毘女』、母『カモサワヒメ』、姉『イワナガヒメ』、父『オオヤマツミ』という、三種神器をコンセプトにした祓戸四柱の神力を御守に込め、夫ニニギに持たせたのが創始ではないかと。つまり、祓戸四柱とは死んだコノハナサクヤの親族ということになる(詳細は前記事リンクより↓)。

〈神社めぐり麻賀多神社①〉宮下文書✕日月神示で考えてみよう!、富士山と鳴門の仕組み、祓戸四柱ヒムカの関係性。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

但し、コノハナサクヤが自殺した時点で、イワナガヒメがご存命かは不明。イワナガヒメは伊豆山で早世しているはずで、四柱ともに神上っていた可能性が高い。

 

・『鏡』=瀬織津姫?=月桜田毘女?

・『剣』=速開都姫?=カモサワヒメ?

・『男神伝授の媒体』?=気吹戸主=オオヤマツミ?

・『玉』=速佐須良姫?=イワナガヒメ?

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話が逸れたが(笑)、上の二例は、解釈された時代背景にもよる。

・三輪義煕『神皇紀』=大正時代

・岩間尹『開闢神代暦代記』=昭和43年

三輪氏は皇国史観から言葉を選ぶ必要があり、アマテラスやコノハナサクヤら皇祖を性的に見ることが世間的に許されず、必要最低限、ギリギリ精一杯の言葉で表現した。一方、三浦氏族末裔の岩戸氏は戦後・民主主義時代に書かれたものだ。
かと言って、三輪解釈本が劣っているわけではない、選りすぐりの洗練された言葉で表現されているという事だろう。それに歴史が古い分、宮下家屋根裏で発見された当時のコンディションで解読作業ができた可能性が高い。

私がもっている神奈川徐福研究会現代訳は、三輪解釈を元にしている。

佐治氏によると、この宮下文書は保管過程で破棄・焚書された箇所も多いいが、年代は不明だがコピー『異本』が存在するという噂がある。厳密に言うと宮下文書以外の富士古文書。それを大元教幹部出身のとある団体が入手していて、出口王仁三郎にみせていたという(おそらく伊豆山近くのあの団体だろうか)。その証拠に『九鬼文書』登場の元始神母止津和太良世乃大神と宮下文書天之世の神々が、重複している箇所があるという。

もし、この異本を解釈した人間がいたとしたら、やはり宮下文書三輪本とは、似て非なる神話が登場することであろう。佐治氏曰く『傍証には事欠かない』文献となる。

加茂氏も佐治氏も、宮下文書こと富士古文書を、宮下家に直接取材している人物だ。彼らの取材で原書に書いてあるのかもしれないし、いい加減なことは書かないと。その複写版にしか書いていない内容もあるのかもしれない。

そうなると私は現物も見てないし、漢文苦手すぎて読めない(泣)。私の虎の巻『三輪本現代訳』ではわからないこともたくさん出てきそうだ。

 

このように宮下文書研究には、まだまだハードルがあるということだろう、研究家の解釈によりこんなに見解が違うんだなと。なにより素人研究の限界を感じる。

まあ、どちらの見解も柔軟に取り上げて行くしかないのだろうな〜、きっとこの若輩者ブログの読者さんも日頃から痛感していることだろう。

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山梨県富士吉田町大明見『金山神社』

上写真は、宮下文書曰く阿祖山太神宮・七廟の『金山神社』、ニニギとコノハナサクヤが祀られていると思われる。仁人木尊、諱・金山男尊、イシコリドメが富士火口から掘り当てたコノハナサクヤの霊石と共に、御遺骨を『御座野原南の金山の峰の陵』に祀ったとある。

※因みに宮下文書登場の、金劔清(諱・金山毘古命)とは別神なので注意。

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※地図はクラフトマップ使用。www.craftmap.box-i.net