セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

2周年目の建国記念日。

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2021,2,11

建国記念日2周年 

クマっ子クラブあ・つ・ま・れ~!(´(ェ)`)

一回言ってみたかっただけス…ゴメンナサイ(他意はありません)。

 

いつも読んで頂いてありがとうございます。

2年が過ぎました、3年目ですm(_ _)m。

正直、拙い文章のド素人のオッサンが、よく続いたなあ〜と自分でも驚いています。

平日は仕事、土日はブログと資料集めと神社巡り、正直ボッチでやっています。関東近県をバイクで巡って、世の中を見直すいい機会にもなった気がします。

 

そして最近じゃ、神社めぐりも辛いものがあります。

 

ナラ枯れした野山、、、。

朽ちていく寺社、、、。

過疎化して閑散とした駅前通り、、、地方の衰退は想像以上だった。

文明が、大自然に没していくのは摂理なのかもしれないけれど…。わたしたちにとって結局、日本人が一体何者なのか?何もわからず終わってしまっていいのだろうか?。

謎が謎のままで終わるのか…?。

今後も、ネタが続く限り続けます。

 

日向国・寒川について。

今回は、限界集落に絡んだお話を少ししたい。

 以前、ブログで紹介したGoogleマップ上、宮崎県西都市『速川神社』『速開都比売神社』の近くに、『大字寒川』という地名があるとお話したの覚えているだろうか?。

実はここ、つい最近1989年まで『寒川集落』という林業を主体とした山村が存在しており、限界集落として廃村されたという。廃墟マニアの中では有名な存在らしく、youtubeにドキュメンタリー映画『寒川』や、現在の映像かアップロードされているので、興味のある方は見て欲しい。ドキュメンタリーを見たあとで廃墟映像をみると、もう村中がジャングルの様になっており驚かされる。

そして、集落には1597年創建した『寒川天神社』という神社があり、『大山積神誕生所』の伝承があったとのこと。これは寒川神=オオヤマツミを裏付けとも言えそうだ。

 

◯寒川天神社(宮崎県西都市大字寒川)

〜御祭神〜

・大山祇神

・天穂日命

・菅原道真公

 

現在、この天神社が元村人たちにとって、どう機能しているのかは不明であるが、『無格社』として地元のボランティア清掃活動を受けているとのこと。しかし山間部の事なので、お宮の体をとどめていらるのも時間の問題であろう。

 

加茂喜三氏によると、寒川=寒河=サンカ。

『山の民』はどういう部族かは不明な点が多いが、加茂氏的に言えば、彼らは遥か東国・富士朝を信仰していたのではないかとみられる。サンカが自らの拠点を明かすのも珍しいが、それが残っていたのも珍しい。オオヤマツミ生誕地伝承があるのであれば、実態として古来から聖地として存在していたのではないかとみる。個人的に言えば、日向総社・三宅神社や富士山高千穂峰レイラインに近い地点なので、ウガヤ朝時代からあってもおかしくはない(妄想)。

いずれにしても、富士朝研究者にとって貴重な研究対象を失ったということであろう。

考えてみれば、山の神を祀る『山の民』や『山の神社』は山間部に多いわけで…、山の民が日本で一番の謎なわけだ…。また、民俗学者たちがサンカを研究するとヤバいといわれる理由は、サンカが秘密を持っていることもあるが、それ以上に富士朝を知られて困る人々が国の上層部にいるという事だろう。

今後もこういった廃村は増えるだろう。

 

また寒川神社近くにある『速開都比売神社』の御祭神は、速開都比売命。以前個人的な推測として、カモサワヒメ(寒川比女・別雷命・三嶋神・鳴雷神・ナキサワメ)ではないか?と述べていたわけだが…。やはり、調べれば調べるほどそう思えてならない。

オオヤマツミの妃、イワナガヒメとコノハナサクヤの母神。富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)境内の水屋神社に、水神として鳴雷神が祀られているが、これもおそらくはカモサワヒメであろう。

加茂喜三氏によれば、934年東大寺西塔が落雷により炎上した際、『近々、東国に変乱が起こる』と風説が起きたという。即ち、雷神=東国神という認識が西国天皇勢力にはすでにあったということだ。こうして平将門が『火雷神』を旗印に、承平天慶の乱が勃発した。

 

例えば、紀伊一宮・日前神宮(和歌山県和歌山市秋月)の近くに、『鳴神社』がある。

 ◯『鳴神社』(和歌山市鳴神)

〜御祭神〜

・速秋津彦命

・速秋津姫命 

・天太玉命 

〜摂社〜

・堅真音神社

神吾田鹿葦津姫命 (木花咲耶姫命)

・香都知神社

軻遇突知命 

 

水神であり、雷神である。調べれば調べるほど、カモサワヒメの信仰の大きさに驚かされる。おそらく平安時代の『記紀』や『延喜式』成立以前は、富士朝神としてコノハナサクヤ以上に全国で信仰されていたのではないだろうか?、一部は、瀬織津姫系神社としても残っているとみる。

 

ブログに星をつけてくださいました読書の皆さんありがとうございます。お礼が言えませんでしたが、辛いときにたいへん支えになりました。

神社でいろいろ教えてくださった皆さんありがとうございますm(__)m。