セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

〈神社めぐり〉山梨岡神社から大蔵経寺山へ、レイライン上の謎の磐座にいってきた。

大蔵経寺山を背景にした『山梨岡神社』(山梨県笛吹市春日居町鎮目)
山の向こう側には何があるのか?。


2022,7,3

突然、神社巡りに行きたくなったので…、大蔵経寺山(御室山)へいってみた。




前記事のおさらい。

『神部神社レイライン』。筑波山から大和国三輪山・葛城山を結ぶ線上に大蔵経寺山こと『御室山』があり、ドンピシャでとある『磐座』を通ることが判明した。今回はどうしてもこの磐座が見たくて…、予告もなしに行ってきた。今回の神社巡りでもいろいろわかってきたのでご報告…。

(´(ェ)`)

 

実は以前、大蔵経寺山中腹の『山神宮』までいったのだが、本殿をぐるり回った登山道がメチャクチャ岩だらけだったために『コリャあかん』と、逃げ出してきた。以降、山登りをスニーカーで行くのを止めた。

でもいま考えれば…正解だったかも。なぜならそのルートに例の『磐座』を見ることはできなかった。もしあの時、大蔵経寺山に登頂して達成感を感じてしまったら…、また登ろうなんて気持ちには絶対にならなかったろう(苦笑)。あの時の御室山の知識では、レイライン上の磐座の意味も気づかなかっただろう…。

ま、ポジティブめに考えて…(´(ェ)`)

~目次~

 



<レイラインの美学⑱>甲斐御室山を指し示していたミワとカモ、三輪山と葛城山。 - セキホツ熊の謎を追え!

<神部レイライン②>尾張氏が大和国でカモ信仰をする、『伊都之尾羽張』の謎。 - セキホツ熊の謎を追え!


山梨岡神社。

 

まずは大蔵経寺山のご鎮守とみられる、山麓の山梨岡神社へご挨拶へ向かった。後述するが…。この地域の雨神・雷神・雨乞い信仰を担っていたのが、この山梨岡神社であった。鳥居は勝沼『大善寺』との宗教紛争にて焼失しているが...、現在も瓦屋根を保っており、非常に時代と上品さを感じる。

延喜式式内社で、創建時は大蔵経寺山の山上にあったとされる。

 

◯『山梨岡神社』( 山梨県笛吹市春日居町鎮目)

〜主祭神〜

  • 大山祇神
  • 別雷神
  • 高龗神
  • 夔ノ神?(水神であり雷神)

 

境内由緒を要約すると…、10代崇神天皇時代創建で、 延喜式神名帳に載る古社。国内の疫病・天災が多かった為に、勅命により御室山頂創祀され、13代成務天皇時代に麓に神戸を移し『甲斐ヶ根山梨岡神社』を称した。これが現在の 『やまなし』県の 語源となる。鎮目という大字地名は、往古軍団の駐屯地という意味。

また相模国大山〜寒川〜鎌倉までのレイラインを形成しており、笛吹市内に多く点在している『石尊信仰』(阿夫利信仰)との関連性も指摘されている。宮下文書研究者・鈴木貞一氏はオオヤマツミ=オオヤマクイ同神を論じており、こうしてみると『火雷天神』にも関連性がありそうだ。

 

〜相模国・大山阿夫利三神〜

本社・大山祇神=オオヤマクイと同神?

奥社・大雷神=別雷命と同神?

前社・高龗神=貴船大神

 

ただ気になるのは…、かつては『日光権現』とも呼ばれていたようで、これって…やはり空海由来の日光二荒山神社・田心姫命と関係あるんじゃないの?…と妄想してしまう。いろいろと妄想がでてくる神社なのだ。

 

※宮下文書版カモサワヒメ=別雷命=寒川毘女命=三嶋神、個人的にはオオクニヌシ妃の、田心姫命も関係あるのではないかとみている。

※また境外摂社『吾妻屋宮』は新治〜酒折宮〜熱田神宮のレイライン上に存在する、ヤマトタケルとオトタチバナを祀る神社。宮下文書では美夜受姫を側女と記載しており、オトタチバナを大妃橘姫(オトタチバナ)と称している。つまり…仲哀天皇を産んだ宮下文書版オトタチバナが正妻だった可能性が高い。

 

 

 

 

物部神社

次に、大蔵経寺山の登山口にある古社『物部神社』を参拝。これも延喜式式内社で、論社は多いが、当初は御室山にあったとされる。平安時代の『一宮浅間神社』(山梨県笛吹市)の登場以前の甲斐一宮であり、自称、甲斐国随一の社であり最古の社。

 

◯『物部神社』( 山梨県笛吹市石和町松本)

〜御祭神・物部氏祖十神〜

  • 櫛玉饒早日命
  • 可美真手命
  • 宇麻志麻治命
  • 味饒日命
  • 大椋麻桙命
  • 大新川命
  • 彦湯支命
  • 大木食命
  • 伊香色雄命
  • 十千根命

 

 

境内由緒書によると…

『往古は山梨の郷御室山に鎮座したが後世此の地にし祀る。現在御室山に旧蹟があり、古今集にも「神垣の御室の山の榊葉は神の御前に茂り合いけり」と詠じてある。』

『醍醐天皇が延喜の制度を施行された折一の宮として国幣に預り本国屈指の 名社のみならず、此の地方の鎮守神として古来より上下の信仰厚く、文化の中心となり、古代の石器土器類が発掘された…』

※宮下文書にはニギハヤヒは登場せず。ウマシマジは物部祖神ではなく、蘇我大伴系統『祖家』の系統となる。

 

落書きがされているが、落書きが正解。
物部神社の右ではなく、左側を通って登山口へ行くので注意。




いよいよ磐座へ。

登山と言っても標高700メートルほど、山腹までは林道。もちろん…登っている最中は汗だくで、決して楽とは思わなかったが…、後々振り返るとかなり有意義な登山であった。

(´(ェ)`)

ただ他の方のネット情報を総合しても、山神宮経由からの直進的な登山道はかなり過酷らしく、初心者の方は蛇行したメイン登山道をオススメする。2022年夏現在、ヤマビルは見てない。

(´(ェ)`)

 

林道を抜けて、尾根道に到達。

前記事でも紹介したが、wikipedia山梨岡神社によると『御室山』という名称は山域でも限定的な使用のようで、大蔵経寺山山頂から東に張り出した尾根筋だけを指しているとの説もある(諸説あり)。その東側山麓に『山梨岡神社』が存在しているわけだ。

東側尾根道を歩いていると、突然岩場となり、突如として、2つの大きな磐座が眼前に飛び込んでくる。磐座の上には小さな石祠がある。

針葉樹林と広葉樹林の狭間に、御室山磐座がある。



どうやらこれが、グーグルマップ上に表記された『神の石』?のようだ。前述のように『神部神社レイライン上』にドンピシャで存在しているのだ。

しかし誰がなんのために…、いやそもそも、なんでここにあった延喜式の3〜4つの神社は麓に追い出されたのだろうか?。この磐座も神仏習合の影響なのだろうか…。

さらに、ふと周囲の不自然さに気づいたのだが…。この尾道、北斜面はブナ林、南斜面はスギ林となっている。はじめは、そういう生態系なのと思ったのだが…。どうやら、北斜面は近年植林されたようで、山腹まで伸びた林道はこの作業道だったと推測する。

ただ自然界にはそういう山も実在しており、東京都八王子市の高尾山薬王院のように、参道を挟んで広葉樹と針葉樹が隔てられている場所もある。それは本州における北生態系南限と南生態系北限の境界線を意味しており、大蔵経寺山も緯度的には高尾山とほぼ同じ。自然現象だとしてもおかしくはない。

※wikipedia大蔵経寺山によると、2008年年末~2009年年始にかけて大規模な山火事が発生したようだ。その後の植林されたのかな…???。

 

磐座の上に石祠が存在しているということは、神道的祭祀に基づく存在なのだろうか…。新興宗教の可能性もあるだろう…。ま、せっかくなので東西がレイラインで結ばれるようなイメージで、『ひふみ祝詞』を奏上してきた。日月神示によると、ひふみ祝詞を唱えていれば、そのうち岩戸が開けるようになるそうだ…。素人オッサンには、言葉の意味は未だによくわからない。

と、その参拝のタイミングで…ゴロゴロゴロと、『青天の霹靂』が3回ほど起こった。静岡県御殿場市の二岡神社でも経験がある。まさかの雷神さま…?、え…なんか俺悪いことしちゃったのかなと…青空を仰いだ。

 

磐座の間に小さな祠がある

 

山腹にある展望台から甲府盆地を眺めると、周辺はカンカン照りの灼熱下なのに、東側からみるみる積乱雲が発生して、富士朝富士吉田方面へ流れていった。その時点で、富士吉田市の一時間天気予報をググってみたら、雷警報と傘マークがついていた。(マジで)。

 

富士吉田市『お前のせいか…』

熊オッサン『知らないお(´(ェ)`)』







 

石和八幡宮

大蔵経寺山の続き。

東尾根道を戻りつつ、途中から山神宮方面へスイッチして、奥宮『天狗社』を参拝。そのまま参道を降りて、麓の里宮『山神宮』に辿り着いた。ここに来たのも2回目となる、おそらくは土蔵を改築したのか?、のどかな風景の神社で落ち着く。休憩時間込み、山梨岡神社から全工程3時間半くらいで回れる。その後石和温泉市街地へ向かい『石和八幡宮』を参拝。ここは物部神社論社であり、アズミ族和邇氏の八幡宮でもある。



◯『石和八幡宮』

〜主祭神〜

  • 天足彦国押人命(アズミ族和邇氏祖)
  • 日売大神 (宇佐比売大神?)
  • 稚城瓊入彦命(景行天皇皇弟)

 

〜摂社末社~

  • 和邇臣麿命
  • 高良大明神

ほか

安曇族和邇氏族の八幡宮。山梨県笛吹市石和町『石和八幡宮』



神社由緒書によると。

12代景行天皇の御弟・稚城入彦命が、東国視察の折に行宮を建てた場所だという。随行していた和臣氏和邇臣麿命は、アズミ族祖の天足彦国押人命の御霊を氏神として合祀した。もしかして…山梨県笛吹市『春日居』町の地名は、この大和国和邇氏・春日氏からきているのだろうか???。なるほど…春日居町周辺には、タマノオヤ・イワナガヒメ本貫地伊豆熱海由来の『走湯神社』が2つ、どことなく伊豆の匂いがする。古墳が多い…。また延喜式山梨郡神部神社の論社に『賀茂春日神社』(笛吹市春日居町加茂)があり、もともとは並んでいたニ社であったが、カモ神と春日神の合社とされた。

 

平安時代、清和源氏武田信光は甲斐石和を領して石和を本貫とし、石和五郎信光を称した。1192年(建久3年) 鶴ケ岡八幡宮を勧請し『石和八幡宮』とし甲斐源氏の総鎮守と定めた。また信光の鎌倉幕府への貢献が認められ、 将軍・源頼朝から五百貫の寄進と 和歌の奉納があったという。以降、甲斐武田氏に崇敬されてきた。

1582年(天正10年) 織田軍による甲州征伐により、消失。翌年徳川家康が再建し、九ケ村に十八石の神領を献じてられた。赤の朱塗りの拝殿には、かつてアズミ族小野氏祖を祀っていたともいわれる…、どことなく武蔵一宮小野神社を彷彿とさせる。

 

またwikipedia石和八幡宮によると、『甲斐国社記・寺記』曰く、成務天皇5年に『物部神社』の社号を賜ったという。朝廷からたびたび祈祷の勅命が下った。おそらくは西国天皇勢力側における、甲斐国の鎮守神という位置づけなのであろう。山梨県甲府市宮町の『府中八幡宮(甲斐惣社八幡宮)』は、武田信虎により当社から勧請されている。

 

※因みに、通説アズミ族祖とされる宇宮下文書版宇都志日金拆命は、宮下文書研究者鈴木貞一氏によると、タマノオヤとイワナガヒメの御子ではないかと述べている。タマノオヤの死亡比定地『穴門の宮』、山口県防府市大字大崎『玉祖神社』の不祥一座とは、この宇都志日金命ではないかと推測している。かつてこの地域は『佐波(サバ)国』といった。このブログでは、富士朝二代目大宮司タマノオヤ≒古代八幡神ではないかと見ている。

 



 

なんで熊オッサンが、甲府盆地東側で神社巡りをすると、雨が降るのか???わかった。

前記事で、熊オッサンが甲府盆地(とくに東側)で神社巡りをすると、高確率で雨が降ると嘆いたわけだが…。個人的には…山梨岡神社カモサワヒメさまが、てっきり私にピンポイントで意地悪をしていると思っていたのだが…(苦笑)。

 

ちょっと…違うようだ。

2日の天気予報は、晴れのち曇りだった。関東各地でうだる暑さと裏腹に、土砂降りやひょうが降り、大荒れの天気となった。甲府盆地では雨は降らなかったものの、たちまち雷鳴轟く積乱雲ご立ち込め、盆地の東側の笹子峠方面では雨が降っているように見えた。奇しくもその雲は、富士朝を目指し富士吉田市方面へ南下、東〜南側は雷鳴とともにドス黒い雲に覆われていた。

個人的に、以前からこのような現象を2〜3回経験しており、バイクで笹子峠とトンネルを超えたあたりで土砂降りを経験したことがある。もうメチャクチャ泣きそうになった。奇しくも…山梨岡神社の鳥居を燃やした『大善寺』(山梨県甲州市勝沼町勝沼)の方角ともなる。

2日もその後、甲斐二宮『美和神社』(笛吹市御坂町二之宮)へ足を延ばしたのだが。。。どんどん空が暗くなって今にも降りそうになった。最近御祭神の大物主命さまにはお世話になっていたのでご挨拶をと思っていたのだが、柏手を打ったタイミングで背後でズドーンと落雷した。

結局雨は降らなかったのだが、なんでいつも悪天候になるんだと。。。そもそも俺が何か悪い事でもしているのか?と、この国の平和を願っているし、そのための行動はしていると…。休日の『神社めぐり』ぐらいゆっくりさせてくれと、ちょっと一人の人間としてムシャクシャしていた(苦笑)。

しかし、記事を書いている『今』になって初めてきづいたのだ。

 

『…多加王(スサノオ)を警護して阿祖北の山陰の奥谷に追放した。この地は不ニ山の悪雲はが吹き出してくる方角にあたることから、出雲国と名づけた。(祖佐記)』

三輪本現代訳『神皇紀』p54引用

※宮下文書古地図では、阿祖北とは富士山より北、越または飛太野を指す。



結局この甲府盆地東側というのは、太古の昔から、悪雲垂れ込める方角なのだ。宮下文書曰く、高天原へ悪雲垂れ込める方角を『出雲』と呼んだという。すなわちその方角を辿れば、スサノオが悪神を改心するための、警察+裁判機構『天獄』こと、信州出雲が存在していたハズ…。そして、それは推測するに、雲の方角である飯縄山や戸隠山だったのではないかと。そして山梨岡神社というのは、そのドンピシャの中継地点なのだ!。

 

~戸隠三嶋レイライン~

  • 戸隠山
  • 鏡池
  • 上田城
  • 信濃国国分寺
  • 黒富士
  • 山梨岡神社(笛吹市)
  • 甲斐二宮・美和神社
  • 酒折天神社
  • 貴船神社(河口湖町長浜)
  • 新屋山神社奥宮
  • 須山浅間神社
  • 三嶋大社

今思えば、雨乞いの神・別雷命であり三嶋神である、カモサワヒメさま的にはそれを私に身を持って気付かせるための、アピールだったのかもしれない。出雲の悪神の悪雲を祓い、浄化していたのもこのレイラインなのか...、そしてはやく私に気づきなさい』と。。。

ま、ポジティブめに考えて…(´(ェ)`)

前記事でもチラり書いたのだが、結局戸隠山の九頭竜大神という存在も、カモサワヒメとどこかで繋がっているのかもなと(妄想)。結局、ホツマツタヱ版ヤマタノオロチの転生がイワナガヒメであれば、その姉・九頭竜という存在もイワナガヒメの家族の可能性もあるわけだ。因みに、宮下文書版イワナガヒメの母親がカモサワヒメに比定される。



この日もみるみる悪雲が立ち込め、雷鳴がやまなかった。山梨県笛吹市石和ちかくのガソリンスタンドのおばちゃんが話していたが、雨雲が盆地東側の遠くに見えても、石和から西側では振らないことも多々ある…という。2日の天気も甲斐盆地の大半の地域は晴れていた。今思えば。なるほどそうだったのか~と…、青天の霹靂に、目からウロコ…だった(苦笑)。

まあやはり、実際現地に行かないとわからないことも沢山あるようで…、関東近県で金銭的に可能な限りは、これからも神社めぐりをつづけたいかなと。

いろいろ不満ばかりいって、申し訳ございませんでした

(´(ェ)`)

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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