セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<検証>甲府盆地東側は、ホントに宮下文書版出雲『悪雲』の通り道なのだろうか?。

午前中の大蔵経寺山、すがすがしい晴天のハズだったのだが…。

午後15時笛吹川から大蔵山経寺山を望む。少雨の甲府盆地に雷鳴轟く。
悪雲は富士吉田市方面へ流れていった。

2022,7,10

今回、フォントが統一できません、御迷惑をおかけします(後述)。

 

 

『…多加王(スサノオ)を警護して阿祖北の山陰の奥谷に追放した。この地は不ニ山の悪雲はが吹き出してくる方角にあたることから、出雲国と名づけた。(祖佐記)』

三輪本現代訳『神皇紀』p54引用

※宮下文書古地図では、阿祖北とは富士山より北、越または飛太野を指す。宮下文書三輪本現代訳には、オリジナル出雲の具体的所在地について記載がなく、私も便宜上『信州出雲』と呼んでいるに過ぎない。ただ、加茂喜三氏をはじめ複数の研究者が『戸隠』で一致している。

事の発端は、上記の宮下文書記載『出雲』の由来ともなる、高天原に悪雲を運ぶ方角はどこなのか?という疑問。これはあくまで『悪雲』であり、『雨雲』とは書いていないかと...。今回はお天気ブログ要素が高いので注意。

相変わらずマニアックなブログである(´(ェ)`)

 

 

山梨県笛吹市春日居町鎮目『山梨岡神社』は、戸隠山と三嶋大社のレイライン上。

~目次~

 

〈神社めぐり〉山梨岡神社から大蔵経寺山へ、レイライン上の謎の磐座にいってきた。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

山梨県甲府甲府盆地の唐突の雨

個人的にも、甲府盆地に神社巡りをするたび雲が湧いてくる印象を受けていたので、気になっていた。これではまるで、東から悪雲を運んできた雨男ではないかと。そのうち山梨県から熊よけバリケードで入場規制をかけられるのではないかと。これ以上、雨男の嫌疑をかけられる訳にはいかないのである。

そこで、ちょっと山梨県内の降水量を調べてみた。結論から言えばそんなに多くない、ただ今回のように、甲府盆地に吹き込んだ北風が、そのまま富士五湖に吹き込んで気候変動をもたらす可能性はありそうかなと。。。。

山梨県内は基本的に内陸性気候だが、甲府盆地(多雨地域)と富士五湖・富士川流域(笛吹川合流地から南のこと)が混在しており、降水量は甲府盆地で1000㎜、多雨地域はその2倍にもなる。山梨県森林環境部のサイト(甲府地方気象台甲府観測所データ)によると、甲府地方は少雨。日照時間が長いという結論となる。

 

 

▲甲府盆地(少雨地域)

▲富士五湖・富士川流域(多雨地域)

 

~甲府盆地の周辺環境~

  • 南側『富士山』
  • 西側『南アルプス』
  • 北西『八ヶ岳』
  • 北『大蔵経寺山(御室山)』『金峰山』
  • 北東『秩父山地』

 

甲府盆地の西側は、3000m級南アルプスに隔たれている為、偏西風が西から雲を押し上げ、東の下降気流は山から勢いよく甲府盆地になだれ込む。その時に甲府盆地に発生しそうな雨雲をはねつけ、盆地内は晴天が続く。前記事で述べた石和温泉から西側が少雨なのはこれが原因。但し盆地内西南部の富士川と笛吹川合流ポイントから南(市川郷一宮浅間神社付近)は、太平洋側からの気候に影響されやすく、多雨地域に属するので注意。

このように、偏西風からの直接的雨雲はブロックされ、冬の季節風も北西から入り込む。八ヶ岳から侵入してくるため、『八ヶ岳おろし』と呼ばれる。

また南には、富士山があり温暖な南風をブロック。このために富士山北麓地方は、避暑地にもなっている。

となると、残るは北からの影響となるわけだ。

 

あくまで素人オッサンの推測だが…。

考えられるのが、少雨地域甲府盆地からの北風が、多雨地域である富士朝高天原に流れ着くとき、『悪雲』を形成する可能性があるのではないかと…。ただそれは、いつもというわけではなく、条件がある程度揃ってからのお話。基本的に日本全国の天気は偏西風に沿った西からの気候変動をとるので、北からの影響は少ないと思われる。

今回は残念ながら、ネット上で甲府盆地の北~東側に関する情報は少なかった。



少雨地域の甲府盆地に、唐突に現れる北からの気候変動…。これは、人々は珍しいがゆえに信仰心を持ったのかもしれない(妄想)。715m大蔵経寺山南麓には、天気を司る雷神であり水神『山梨岡神社』、山岳信仰の2599m『金峰山』があり。また、甲州市塩山竹森『玉諸神社』に氏子として深く関わっている雨宮氏の『雨』も気になるところ。周辺に多い大山阿夫利神や石尊権現同様に、雨乞いや、天気そのものを神格化している傾向がある。

※ただ、神道は基本的に御祖霊信仰の発祥、富士朝先住民たち阿族の祖先『阿祖』を祭り始めたのが『阿祖山太神宮』。富士山御祖の歴史から目を逸らさせるために、雨神として、アニミズムとして、誤魔化さなければならなかった政治的背景も見逃してはならないが…。

 

塩山竹森『玉諸神社・奥宮』参拝の時も、土砂降りを覚悟していたのだが。。。
結果的に、塩山駅までポツンと肌にあたる程度であった。

正確には憶えていないが…、甲府盆地での神社巡りは、かれこれ7回くらいとなる。その中で、最近の天候が変わりやすいことも要因としてあるだろう。まあ、たまたま熊オッサンが、雨や雷を経験する可能性が多かったのかなと。玉諸神社や今回の大蔵経寺山を登っていた時は、天気が急変しても、『暗くなった』『降りそうで降らなかった』とかのレベルであったわけだ。トータルで土砂降りを経験したのは、2回くらい。オッサンの気のせいレベルだったことは認めざる得ない。。。

ゴメンナサイm(__)m。

今回も悪雲をもたらしてしまったようであるが、甲府盆地内は降らなかった。厳密には雲が湧くが、悪雲≒雨雲とは限らないのではないかと...。

山梨岡神社は高天原から戸隠山へレイライン上、中継ポイントにもみえるわけで、この悪雲の解明が『信州出雲』所在地特定への突破口に繋がるのかもしれないと思っている。

(´(ェ)`)

 

では改めて考えるに...。大蔵経寺山磐座での晴天の霹靂、美和神社参拝時のタイミングでの雷鳴は果たして何だったのか?。まあ熊オッサンにとっては、偶然程恐ろしいものはないのだが。個人的には、雷様の何かしらのメッセージだと思っている(苦笑)。

凶変がある時は鳴動して里人に告げる謎山。幻しの甲府盆地『底大湖』と国玉大明神『御室山』の繋がり。 - セキホツ熊の謎を追え!

<神社めぐり>玉諸神社奥宮、明治初年に消えた2m水晶御神体の行方?、鉄道王の雨宮敬次郎飛躍の奇跡。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

 

 

 

 

 

山梨岡神社は、『日光権現』と呼ばれていた。

話は変わり、山梨岡神社について気づいたことを追記する。Wikipedia山梨岡神社によると、近世以降は日光権現・山梨権現・山梨明神と呼ばれていたようだが...。今回はこの『日光権現』に着目してみたい。ここでまた、カモサワヒメ≒田心姫命が改めて重なって見えてくるのだ。

 

~宮下文書・加茂澤毘女とは~

  • 別雷命
  • 寒川毘女命
  • 三嶋神
  • コトシロヌシ娘
  • オオヤマツミ妃
  • コノハナサクヤヒメ母
  • イワナガヒメ母
  • 雷神または大雷神???
  • 宗像三女神・田心姫命???

 

ご存知のように、日光権現とは日光二荒山神社の御祭神・田心姫命(日本書紀名:たごりひめ)を指していると思われる。言わずもがな、私の推定ご先祖さま武藤少弐氏にも、宗像氏族との婚姻関係があり、世界遺産の禁足地『宗像大社・沖津宮』の御祭神である。

地元九州でもあまり知られていないが、元寇で死んだ多くは、鎌倉幕府から命じられ派遣された東国侍たちでもあるのだ。元寇総大将の家祖、太宰少弐武藤資頼は、武蔵国にて小野大神瀬織津姫を崇敬し、1232年(貞永元年)富士山と夏至の方角に人見稲荷神社を創建した。宮下文書曰く1252年(建長4年)、祈願使の武藤左衛門尉景時なる人物が、鎌倉時代に富士朝に将軍家代参をして、御剣と神馬を奉納している。つまり彼らの信仰的背景には、常に富士山信仰があった。

もし仮に、宗像三女神=富士朝神だとすると、元寇氏族の武藤少弐氏とカモサワヒメが繋がりが見えてくる…。そもそも縄文時代ニニギ時代以降、愛国心を燃やして、この国の独立自治権を死守してきた死闘の地『玄界灘』に、渡来系海洋民族の海神を祀るだろうか?。根本的な歴史の見直しが必要だ。

 

 

宮下氏族都賀氏の拠点であった下野国都賀郡寒川郷に流れる『思川』流域には、日光権現を背景に田心姫命信仰が多く点在している。この『思』とは田+心、つまり田心姫命から命名されていると云われている。ここから別雷命=寒川毘女命≒田心姫命なのではないか?と推測してきたわけだ。

その根源と思われる日光二荒山神社、オオクニヌシと田心姫命のカップリングこそが、富士朝初代大宮司オオクニヌシ(ミワ)と副宮司オオヤマツミ(カモ)の、ミワ+カモの超強引なホツマツタヱ合体系図を暗示しているのではないかと…。

そしてミワ+カモの子孫であるオオタタネコがホツマツタヱを編集し、さらに子孫が、『神部氏族』となる。

 

オオタタネコが賀茂氏族であれば、日光権現に着目した徳川家康も同族の可能性も頷ける。松平氏は、三河賀茂郡松平郷の加茂明神神官という説もあり(清和源氏新田氏族など諸説あり)。宮下文書における遠州(遠久見)の国祖が、遠江国一宮『小国神社』のオオクニヌシなのだ。オオクニヌシと田心姫命に執着していた、徳川家の本性もなんとなくだが…浮き彫りとなる。

※ただ諸説あり、徳川家出自松平氏については、本人たちもよくわからないのが正解だとも云われている。

 

春日居地区で笛吹川と合流する『重川』、写真左側が大蔵経寺山『御室山』。

下野国寒川郷との共通点『おもかわ』?

今回、着目したのが、甲府盆地の『重川(おもかわ)』。笛吹川との合流ポイントには別雷命を祀る春日居町『賀茂春日神社』があり、流域には山梨市下石森には『山梨岡神社論社』がある。上流域で文殊川と分岐して甲州市塩山上萩原『神部神社』がある。名前もどこか下野国下都賀郡寒川郷を流れる『思川(おもいがわ)』を彷彿とさせ…、前記事で紹介した富士朝氏族『古屋氏族』拠点・連方屋敷跡にも近い。

◯『賀茂春日神社』(山梨県笛吹市春日居町加茂)

~御祭神~

  • 別雷命
  • 玉依姫命
  • 神武天皇
  • 天兒屋根命(宮下文書曰く古屋氏祖)
  • 武甕槌命
  • 經津主命



当社は、おおよそ笛吹川と重川合流地点から北に存在する。延喜式内社 甲斐國山梨郡『神部神社』論社。540年欽明天皇時代、春日神社は、698年文武天皇時代に、別社として並び創建している。和邇氏族春日氏派生の山上臣・山上億良、そのさらに孫・甲斐守山上船主が、山背国から賀茂明神を勧請した。やはり石和八幡宮同様に、笛吹市『春日居町』という周辺地名は、大和国の和邇氏族春日氏と関係がありそうだ。

境内由緒書によると、八幡太郎義家が東征祈願し、賀茂次郎義綱が東征中当社で元服したという記載もあるようだが…。宮下文書三輪本現代訳p213には、『加茂明神』と記載されており、山城国の事と思われる。ただ源頼義一行は、富士朝にしばらく駐屯して、頼義は宮下氏族大森頼親の烏帽子親を担っている。この地域にも来ていてもおかしくはないだろう。

 1517年笛吹川が氾濫し、再建する際に二社を合社とした、1582年(天正10年)織田信長による甲州征伐の兵火で焼失するも、徳川家康により再建、貫文・朱印を賜る。

さらに宮下文書版アメノコヤネ子孫古屋氏族の拠点・連方屋敷地区も重川に沿って近いために、春日神アメノコヤネが祀られたのではないだろうか?。宮下文書延暦火山にて寒川に避難した、社家惣取扱役・古屋半太夫春信はアメノコヤネの遠孫と記載されており、アメノコヤネ『児屋』→『古屋』と思われる。

802年延暦火山後に、富士朝から避難してきた富士朝副司家の福地又八良元宮麿が、『この地の豪族』の古屋彦九良の養子となった。以降、古屋氏族は多岐にわたり、山梨県各地へ拡散されたと思われる。以後、古屋元太夫と称して富士朝副司に復帰、平安後期まで古屋氏族がその職を継いでいる。もともとこの地域も、富士朝色が強かったのではないかと…。

※ただ一般的に古屋氏族は、塩海宿禰や、平姓鎌倉氏族の子孫とされているので注意(諸説あり)。



ここでちょっと興味深いのは、賀茂神に並んで神武天皇が祀られていることだ。本来であれば、賀茂三神・賀茂建角身命のはずで、そもそも宮下文書には賀茂建角身命は登場しないのだ…。賀茂建角身命と神武天皇は、なにか関係しているのだろうか?。重川に沿って大菩薩ラインを東京都方面へ行くと、鴨沢にある『加茂神社』(山梨県北都留郡丹波山村鴨沢)があり、そこの御祭神も別雷命と神武天皇なのだ。この地域の特性なのだろうか?。

 

〜宮下文書における時代区分~

  • 別雷命=高天原天神七代
  • 多摩夜里毘女(玉依姫)=ウガヤフキアエズ朝51代
  • 神武天皇=後紀人皇・大和朝?

 

周辺に見え隠れする、大山阿夫利(石尊)信仰の大雷神。

最後に雷神について少しだけ触れたい。

重川を東に行くと山梨県連方屋敷地区を通り、ここでは大山阿夫利神と石尊信仰が気になるところ。前記事でも述べてきたが、果たしてカモサワヒメ=別雷命≒雷神なのだろうか?。

 

◯『大嶽山本殿』(山梨県山梨市東後屋敷)

~御祭神~

  • 不明

◯『大嶽山那賀都神社』(山梨県山梨市三富上釜口)

~御祭神~

 

  • 大山祇神
  • 大雷神
  • 高龗神

 

古屋氏族のこの地域と大嶽山那賀都神社の関係は不明であるが、大嶽山別当であった天台宗・光福寺西に、遥拝所として『大嶽山本殿』を創建。1741年以降、山梨県笛吹市境川町寺尾『諏訪南宮神社』から御移したという。桧皮葺き・一間社流造、山梨県の文化財指定をされている。

また『大嶽山那賀都神社』はヤマトタケル史跡『国司ヶ岳・天狗尾根』を遥拝する神社で、役行者の修験道場であったという。この神社も大山阿夫利三神・大雷神を祭祀しており、カモサワヒメと関係が問われそうだが…。

 

 

おまけ・甲府盆地の悪雲ギャラリー

これは今年四月下旬の時の写真、甲府盆地東側の甲州市塩山方面を龍神が這いつくばり、蛇行する雲。

この日は降らなかったが、怪しい雲だなと。。。しばらく見ていた。

今月2日には晴天の霹靂、みるみる積乱雲が大きくなったので驚いた。
13時半頃、大蔵経寺山『山神宮』から下山直後の東側空、石和温泉駅付近。

やはり、雨乞いをしていると思われたのか。。。

 

おわりに…。

本当ならば今回、別記事を用意していたのですが。

選挙前にして大事件もおこり、タイミング的にはヤバそうな内容なので諦めました。歴史改竄というのは昔話ではなく、現在の政治問題にも直結しますので。。。伊豆山の問題も同様でしょうね。

急遽、別記事を作成しましたが、今度はフォントが調整つかなくてゴメンナサイ。googleドキュメントの方か、はてなブログの入力ページの操作設定が変更されたのかな?。今まではふつうに出来ていたことなんですが、何を変更されたのか?、急に変えられてしまったのでよくわかりません。。。後で修正するかもしれません。

 

今日は、色々試しているうちに疲れてしまいましたm(__)m。

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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