セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

4周年目の建国記念日。熊オッサンと三島の思い出。

桜川沿い神池の御島に祓戸四柱を祀る『祓所神社』(静岡県三島市大宮町)



2023,2,11,

4周年目の建国記念の日

当ブログにおける建国記念の日と夏至の日は、熊オッサンが随想録でお話しをするコーナー。今回は熊オッサンと三嶋大社の思い出についてお話しする。

(´(ェ)`)



あれは、2017年3月ころ(正直記憶が曖昧でゴメンナサイ)

 

両親が20年以上伊豆半島に住んでいた。熊オッサンも、東京から何度も遊びに行っていたのだが、せっかくならどこか近場で旅行気分を味わおうか?という話となった。そこで、三島市内の三嶋大社+源兵衛川沿いの湧水めぐりへ行くことになった。

三島は富士山からの湧水の観光地として知られる。両親は三嶋大社周辺に土地勘があるらしく、足早に人混みをかき分け裏路地を歩いてゆく。熊オッサンは、伊豆半島には幼少から馴染みがあるのだが、三島中心部は多分これが初めてだったと記憶している。せっかちな父の背中を疎ましく思いつつ、ゆっくり観光させてくれよと追いかけることで精一杯だった。

ゼエゼエ(´(ェ)`)。

 

三嶋大社へは、湧水がきれいな桜川沿いの西口から入った。そこの鳥居のすぐ近くに、いきなり魔法使いの家のようなお社があったのを鮮烈に覚えている。なんだこれは…と。

なにが魔法使いかと言うと、神池に囲まれているのだが、その水位が驚異的に高い。普通の池は地面から水面からまで傾斜があるものだが…、このお社は表面張力の上に乗っかっている感覚を受ける。あとあと調べて知ったのだが、これが境内社『祓所神社』であった(表紙写真)。さすがは湧水の町の水神さま、このお社だけでインパクト絶大であった。



両親はあまり神社の風情には興味を示さないらしく、スタコラサッサといきなり拝殿前の行列に並んだ。三嶋大社は平日でも行列ができるほど、観光客のみならず地域にも愛されている伊豆国を代表するお社である。人々の活気もあって、神聖なイメージを覚えた。

熊オッサンは、参拝自体に興味がないのは以前もお話したわけだが。正直、神社巡りは大好きだけど、お祈りまで頭が回らないというのが正直なところ(苦笑)。ただ今回は、なんとなく所信表明というか…、自分が進むべき方向性を考えてみようかなと…。そう思わせてくれる神社でもあった。



『もしよろしければ、神道がどういうものなのか教えてください…』

(´(ェ)`)

 

気づいたら、こんなおかしいお願い事をしてしまっていた。あとあと、なんでこんな事言ってしまったのか、自問自答を繰り返していたのだが…。アルバムの記録から振り返ると、熊オッサンはこの2017年に安いバイクを購入して、始めは東京多摩地区周辺から実質的な神社巡りを開始している。結局、熊オッサンが神社めぐりに対して思っている日頃の疑問を、シンプルに要約するとこの一言に尽きると思う。わからないのならわかる存在に聞いてみればよい…。ダメ元でも、教えてくれるかもしれないと…。

(´(ェ)`)






宮下文書を受け入れる事ができたのは、三島溶岩流の記述があったから。

 

…奇しくもこの一年後、神奈川県徐福研究会宮下文書三輪本現代訳『神皇紀』の存在を知る。熊オッサンが子供の頃1980年代は、雑誌ムーを始めオカルト的な古代史ブームがあり、宮下文書はその筆頭に語られることが多かった。後日『富士山』というキーワードがなんか無性に気になり始めてきて、この現代訳を購入してみた。現在はAmazonの中古で、4万ちかいプレ値がついている…。

 

宮下文書現代訳には、三島市の伝承のとおり、富士山の溶岩流が市内中心部まで流れ込んでいた史実がしっかり記されていた。実際に三島駅前通りには、一万年以上前の溶岩流の残骸が残っている。これら三島を始め伊豆半島の予備知識があった故に、宮下文書記述をすんなり受け入れられた側面もある。

さらに三島に本来祀られていた、加茂沢毘女命という女神の存在を知った。例えば…静岡県賀茂(かも)郡は伊豆半島南部にある地名で、これは現在の伊豆半島三分の一の面積である。なのでこの御神名も割りとすんなり受け止められた。

 

そして素人ながらこの重大性に気づいたので、誰かに伝えなければと考え始めた。2019年ブログを開設した。ま、四年たってもこの重大性があまりみなさんに伝わっていないようだが…(苦笑)。力不足も感じている。

最近は、この記事を伝わるべく人に伝わればいいのかな?程度に思っている…。

(´(ェ)`)





静岡県三島市一番町『白瀧観音堂』





カモサワヒメとは?

コトシロヌシ娘、オオヤマツミ妃、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの母神であり、別名、寒川毘女であり、『別雷ノ神』という。

 

宮下文書研究家・加茂喜三氏『日本の神朝時代』p235とp250を引用すると。

カモサワヒメは、富士高天原加茂山の麓で育ったという。三嶋大社は、父コトシロヌシがニニギの勅許を得て、亡き娘のために創建。オオヤマツミとカモサワヒメ第二子加茂山雄命が宮守となり世襲し、伊豆一円は『加茂ノ国』とよばれていた。素朴な疑問として、この加茂喜三先生はこの系統の御子孫なのだろうか???。また800年延暦噴火の折、富士山大噴火の絵図には三島大神として、『加茂沢媛命ノ御塚ノ社』と書いてあるそうだ。

※因み、加茂喜三氏はこれを西国で繁栄した賀茂氏族の繁栄と同一視している。しかし熊オッサン的には、神武東征時、富士朝からヤタガラスの神令を授かったウガヤ皇別高座日多命と関係があるのかな?とみている。また別記事で説明する。

 

当ブログで深く調べてゆくうちに、空海が日光二荒山神社別宮で降臨させた、宗像三女神田心姫命と同神ではないかという疑惑が浮上してきた。加茂神社神官家系の徳川家康が憧れた葵(あふひ)紋は彼女に由来する。ま、イマイチ凄さがわからない方のために、陰謀論的にわかりやすくいうと…。裏天皇といわれる秘密結社ヤタガラスが信仰する、賀茂別雷命と同神と思われる。

 

知れば知るほど信仰の巨大さと畏敬の念に圧倒される女神だった。なんでこんなに歴代権力者たちに恐れられていた神が、今この国で名前を全く知られていないんだろうと…。

ま、いたずらにみなさん怖がらせて先入観を作るのもどうかと思うので…。ごくシンプルに言えば、我々日本人の多くが遺伝的影響を受けた、みなさんを見守ってらっしゃる大祖母さまである。

(´(ェ)`)






暇人オッサンがやるべき事をみつけた神社?

よりによってとんでもない場所で、とんでもないお願い事をしてしまった。しらなかったとはいえ、あとあとゾワゾワときた。しかし、三嶋神は、私の父方も母方もたいへんお世話になった御神霊のようでもある。そのような場所に家族3人ならんで参拝できたのも、なにか御縁を感じている。さらになにかお役に立てるのなら応えたいとおもった。

こうして、小野神社や伊豆山神社とも、当ブログ開設の理由の一つになった。当ブログでは熊オッサンの勘違いは多いと思うが…、言葉と行動に表して行きたい。ただ、今考えてみると、ここにも伊豆と月の三女神の影がチラついて見えるのだが…。気のせいだろうか。

 

三嶋さまありがとうございます。

伊豆と月の神様ありがとうございます。






さて、この三嶋大社でお願いした事が、いまも叶っているのか?、叶っていないのか?。それとも…素人オッサンの壮大な勘違いなのか?。これは読者の皆さんにも賛否両論ありそうだが。ただ言えることは、このブログで素人オッサンのみつけたレイラインやシンクロニシティの数々が、オッサンの実力ではないことは薄々承知していた。ではなんなんだ?と言われるかもしれないが…、見えない存在のサポートがあったのかなと。ま、どう回答しても自惚れのように聞こえるかもしれないが…。

(´(ェ)`)

まだ宮下文書が世間的には認められなくとも、貴重な体験をさせて頂いたと思っている。この思い出が、当ブログを続けられてきた大きな要因となっている。



桜川のカモさま