2023,3,19
前記事の続き。
そもそも宗像三女神を特集していたハズが、八幡神…、ヨドヒメ…、いつの間にか熊野神になっていた…。それだけ伊豆神が現代神道の根幹を成しており、相互に関係することなのだろうか…。
今回のテーマは、熊野神です!m(_ _)m
~目次~
玉祖命と応神天皇のシンクロニシティ①、安曇族の衰退が新しい八幡信仰を生んだ。 - セキホツ熊の謎を追え!
玉祖命と応神天皇のシンクロニシティ②、 天比理刀咩命・淀姫・豊姫はウサミ妃?。 - セキホツ熊の謎を追え!
最強軍神ウサミ妃・小幡毘女命の実力?①、東の天比理刀咩命を崇拝した軍師たち。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈緊急続報〉熊野神とイザナギ・イザナミ・スサノオ・天比理刀売命の関係解明?。 - セキホツ熊の謎を追え!
<まとめ+追記>八幡神と比売大神イトウの正体わかった!宇佐神宮・伊豆山神社・天孫降臨・八王子権現のまとめ。 - セキホツ熊の謎を追え!
関西圏に巨大レイライン現る。
ここまでを整理すると…。
宮下文書における神代では、八幡信仰と熊野信仰の親子的な成立が垣間見れる。さらにヨドヒメ(トヨヒメ)が八幡神+熊野神の家族的な関係ではないだろうか ?という疑問が急浮上してきた。一方の関西圏では、京都男山『石清水八幡宮』の八幡祭祀と、淀川『與杼神社』の水神祭祀の関係が何かありそうだなぁ…と。素人オッサンが勝手に怪しんでいたわけだが…。
…スゴイのでた!(´(ェ)`)
関西圏の名所を連ねた特大レイライン。名所が非常に多いだけにもうご存知の方もおられるのかもしれないが…、関西圏の根幹を成すラインの一つと見てよいだろう。このレイライン上の要所の一つとして、石清水八幡宮と與杼神社は並んでいる。なにか…各神社の御祭神同士の関係が問われそうだ。
〜日前比叡山レイライン〜
- 清水寺(新潟県佐渡市石名)
- 熊野神社(新潟県佐渡市石名)
- 御禮智神社(新潟県佐渡市北田野浦 国常立尊)
- 鉛練比古神社奥宮(滋賀県長浜市余呉町)
- 鉛練比古神社(アメノヒボコ伝承)
- 須賀神社(滋賀県長浜市西浅井町)浅井姫
- 鎌足神社(滋賀県高島市新旭町)
- 阿曇比羅夫の墓(滋賀県高島市新旭町)
- 安曇川河口付近
- 国狭槌神社(滋賀県高島市安曇川町)
- 比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本本町)
- 月吉大明神(京都市左京区一乗寺)
- 熊野若王子神社(京都市左京区若王子町)
- 日向大神宮(京都市山科区)
- 将軍塚青龍殿(桓武天皇由縁)
- 清水寺(京都市東山区)
- 新日吉神宮(京都市東山区)
- 智積院(京都市東山区)
- 新熊野神社(京都市東山区)
- 式内社真幡寸神社跡(若宮宮)
- 城南宮(京都市伏見区)
- 真幡寸神社(城南宮境内)
- 與杼神社御旅所(京都市伏見区淀大下津町)
- 石清水八幡宮(京都府八幡市八幡高坊)
- 和氣神社(京都府八幡市西山和気)
- 交野天神社(大阪府枚方市楠葉丘)
- 片埜神社(大阪府枚方市牧野阪)
- 意賀美神社(大阪府枚方市上之町)
- 八剱神社(大阪市城東区)
- 三光神社(武内宿禰末裔・神職武川氏)
- 四天王寺(大阪市天王寺区四天王寺500mズレ)
- 久保神社(四天王寺七宮・熊野大神相殿)
- 阿倍王子神社(大阪市阿倍野区)
- 安倍晴明生誕地伝承
- 帝塚山古墳(大伴金村埋葬伝承あり)
- 住吉大社(大阪府大阪市住吉区住吉)
- 開口神社(住吉大社・奥の院)
- 岸城神社(牛頭天王・八幡神『御宮』、だんじり祭り)
- 金熊寺(泉南市 役小角伝承)
- 日前神宮・国懸神宮(和歌山市秋月)
- 玉津島神社(和歌山市和歌浦中)
- 鹽竈神社(祓戸大神四座)
- 和歌浦天満宮(和歌山市和歌浦西)
- 紀州東照宮(和歌山市和歌浦西・別当寺は天海)
なぜ京都男山と伊勢神宮が、神代の阿祖山太神宮から、天慶2年(939年)日本人の二所宗廟として重視されてきた。なぜ淀川に與杼神社ヨドヒメを祀るのか?。
ホツマツタヱにおける富士山の見立『比叡山』を起点としたレイラインで、八幡信仰+熊野信仰の拠点スポットがゾロゾロ出てくる。興味深いのは、宮下文書版タマノオヤやウサミの西征の進軍ルートや、安曇族の拡散状況と関係してくるようなのだ。さらに日前宮と住吉大社を崇敬した武内宿禰と、その子孫紀氏の影響力を強く感じるラインともなる。宮下文書記述の信憑性を上げてくれる事になるかもしれない。
熊野とは富士朝の総社?(宮下文書おさらい)
前記事のおさらい。宮下文書三輪本現代訳神皇紀p71〜72によると…。
大陸人襲来の『外寇親征の役』の折、神皇ニニギは辛くも勝利するものの妃コノハナサクヤヒメを失い再起不能に陥った。そこで弟であり、富士朝阿祖山太神宮2代目大宮司・タマノオヤが、本拠地伊豆半島から西国平定の旅に出発する。これにタマノオヤの子ウサミと藤原物部系統祖・大物主命の弟イシコリドメが随伴した。この時点でタマノオヤ妃イワナガヒメが死去、ウサミは妃・小幡毘女を娶っており、その孫クマノクスヒコがどこで生まれたのかは不明。
〜タマノオヤ親子進軍ルート〜
①伊豆半島(熱海伊豆山と伊東市大原)
↓
②日高野原(おそらく名草宮、日野前宮)
↓
③住居国(摂津国住之江?、周防国の語源たる『住防の宮』説あり)
↓
④周防国(穴門の宮・周防一宮玉祖神社)
※宮下文書版住居は周防(住防)の可能性あり、上地図経路はあくまで熊オッサンの推測なので注意。
タマノオヤが死去すると、ウサミは富士朝からの若き神皇ヒコホホデミ本陣と合流し、四国〜九州の西南地方諸々の洲国を平定した。このとき宮下文書には記載されていないものの、前線基地『穴門の宮』を足掛かりとして、対岸となる豊国宇佐も関係していたのでは?と容易に想像できるわけだ。
※因みに、熊オッサン的に住居国は、摂津国住之江のことだと解釈していたのだが…。宮下文書研究家・鈴木貞一氏は周防(すおう)国の語源ではないか?と推測している。宮下文書三輪本現代訳における周防は、先達ニニギ外寇の役における第一前線基地で、現にp74では『穴門の住防(すぼう?)の宮』という言葉が一部出てくる。
こうして、穴門の宮をアズミ族祖・宇都志日金命に守護させ、ウサミらに長久佐宮(日前神宮)を守らせ、ヒコホホデミらは富士朝へと帰還した。長久佐宮(のちの名草宮)にて、タマノオヤ家臣イシコリドメが死去すると、その御子・大力雄命にタマノオヤ三女・玉毘女命を嫁がせ『日野前宮』称し継承した。これが現在の紀伊一宮の日前神宮・国懸神宮に比定される。
一方ウサミは、西方諸々の州国を『久眞(くま)なく治まった』ので、木々が生い茂る紀州の久眞野山の麓に宮を造営して住み着いた。さらに自らの天祖となる、イザナギ・イザナミ・アマテラス・アメノオシホミミの御神霊を高天原家基都より勧請し、家基都の御子である大宮司タマノオヤを合祀した。これが熊野本宮大社・家都美御子大神と推測する。
〜熊野三山〜
- 熊野本宮大社(家都美御子大神)
- 熊野速玉大社(速玉大神・夫須美大神)
- 熊野那智大社(夫須美大神または事解男命)
〜熊野三神〜
- 家都御子神=タマノオヤ
- 速玉神=ウサミ(子)
- 夫須美神=クマノクスヒコ(孫)
※鈴木貞一著『日本古代文書の謎』p76参照
※イザナギの唾から生まれた速玉男命。次に掃きはらって生まれた神が泉津(よもつ)事解之男。すなわち泉津の『泉』とは、速玉姫命を祀る常陸国『泉神社』同様に、伊豆の可能性もありそうだ。夫須美大神≒事解男命で同神の可能性もあり。
これが後世の神武東征時に、賊軍を倒した野生の熊に肖り『熊野』と改称されることになる。『日前(ひのくま)神宮』もこれに準じる語源と思われる。また紀国信仰は、ウサミの故郷伊豆半島へ凱旋し、紀の宮=来宮(きのみや)信仰へと転移していった。これが伊東市八幡野『八幡宮来宮神社』ではないかとみている。熱海市『伊豆山神社』の近くにある来宮神社も、もともとは伊豆山の地主神・白道明神という説があり。熊野信仰は根源的にはウサミ母神で、熱海日金山(伊豆山)に埋葬されたイワナガヒメに回帰していた可能性あり…?。
〜八幡三神(三神揃って八幡大神)〜
- 誉田別尊(応神天皇)
- 神功皇后(応神天皇の母神)
- 比売神(宗像三女神)
すなわち熊野三山とは、富士朝の正統たる大宮司親子3代が創始した、西国平定と富士朝祭祀のシンボルと言えよう。後世、訳あって富士朝と断絶状態にあった西国天皇勢力にとっては、熊野こそが富士朝の窓口的な、総社的特性をもっていた。
最近よく思う妄想なのだが…。
全国八幡神社と熊野神社の共通神紋『三つ巴』。。。このタマノオヤ親子三世代とダブって見えてくるのは私だけであろうか?。すなわちそれを継承した八幡大神(八幡三神)にも、軍神・皇祖神・子育て・親子信仰的な要素が謳われるわけだが…。八幡大神とは、当初から『三神』揃っていたのでは?…と(妄想)。
(´(ェ)`)
京都三熊野のライン
まず比叡山日前神宮ラインの特色を言えば、やはり熊野色が強い。
なぜこれほどまでに西国天皇勢力が、熊野信仰に傾倒したのかと言えば…。歴史改竄と三種神器保持を優先したため富士朝詣が途絶えてしまった天皇家にとっても、やはり政治的な禍事と穢の浄化、怨霊と祟を鎮めるためには、富士朝神とコンタクトせざるえなかった。
神道=御祖霊信仰は日本人の遺伝子そのものであり、西国天皇勢力がどう足掻いたとしても富士山の呪縛からは逃れられないワケだ。では、その富士朝御祖霊に繋がりやすい聖地はどこか?。西国では、正統たる富士朝大宮司タマノオヤ親子が残した熊野だったと信じられていたのだろう。現に地図上では、熊野那智大社~熊野速玉大社~筑波山、そして天之速玉姫命を祀る『泉神社』のレイライン上に富士朝家基都『阿祖山太神宮・古宮』がドンピシャで存在する。
例えば、熊野三山や山城国賀茂別雷神社に残るヤタガラス伝承とは、宮下文書における神武東征時の富士朝の神勅を示すもの。もっと言えば…その神勅を西国へ運ぶ者を意味すると思われる。つまり伊豆神たちが主体となり創始した、八幡と熊野を信仰する事自体が、暗に富士朝を意識してのことなのだ。
さらに平安末期〜鎌倉時代になると、74代鳥羽上皇、77代後白河法皇、82代後鳥羽上皇などが熊野三山に足繁く参拝し、街道沿いの寺社にもその経済波及効果は広まっていた。
京都の熊野若王子神社は、熊野詣を行うにあたり参拝する『京都三熊野』があり、修験者は熊野若王子神社などで身を浄める出発地点となる。これら三社は平安神宮やスサノオ祇園八坂神社を囲うようにして、それぞれ熊野三山に対応した神社の拠点構造となっている。その三角形を形成する一辺が、なんと…このレイラインの一部を形成している(苦笑)。
〜京都三熊野神社〜
- 新熊野神社 熊野本宮大社
- 熊野神社 熊野速玉大社。
- 熊野若王子神社 熊野那智大社。
◯『新(いま)熊野神社』(東山区今熊野)
〜御祭神〜
- 熊野牟須美命(イザナミと解釈される)
◯『京都熊野神社』(左京区聖護院山王町)
〜御祭神〜
- 伊弉冉尊
- 伊弉諾尊
- 天照大神
- 速玉男尊
- 事解男尊
◯『熊野若王子神社』(左京区若王子町)
〜御祭神〜
- 国常立神
- 伊佐那岐神
- 伊佐那美神
- 天照皇大神
※通説の若一王子は、アマテラスまたはニニギの別名とされている。
また新熊野神社から800mほど東南には『今熊野観音』がある。807年(大同2年)に、空海が老人の姿をした熊野権現に十一面観音菩薩を託されたという。桓武天皇崩御後の同年には古語拾遺が編纂され、坂上田村麿・最澄・空海らによって各地で富士鎮火祭が行われいる。坂上田村麿はその北にある清水寺の建立に尽力しており、おそらくは800年からの延暦噴火鎮魂の一貫なのではないかとみている…。平安時代後期にはこの地を『今熊野』と称した。白河法皇の時代に今熊野修験の中心地として栄えた。
また比叡山日前神宮レイライン上に存在する『阿倍王子神社』は、九十九王子の一つ。12~13世紀にかけて熊野古道沿いに存在していた神社のうち、皇族たちの熊野詣の先達・守護を担う熊野修験を中心として組織のこと。とくに阿倍王子神社は、陰陽師・安倍晴明の生誕地伝承でも有名である。
※中世には、熊野詣ルートにレイライン上の日前宮名草周辺も含まれていたようだ。
天台宗・将軍塚青龍殿
wikipediaによると。将軍塚は古墳時代の円墳3基からなる古墳群。50代桓武天皇が平安京からの遷都を禁じていたのは有名だが、末代まで王城を守護する祈願として造営された塚。鎌倉時代、桓武天皇の腹心であった富士朝神官家系であった坂上田村麻呂の塚が習合され『将軍塚』と呼ばれるようになった。
『田邑麻呂伝記』によると、国家に非常時があれば塚墓はあたかも鼓を打ち、雷電が鳴ると伝わる。因みに来宮神社ホームページによると、田村麿は東征の折に、熱海伊豆山ちかくの前述『来宮神社』にて戦勝祈願しており、東北地方など各地に拡散させたという。
熊野三山レイラインとのクロスポイントあり。
前記事でも述べたが、熊野三山レイラインとのクロスポイントをご紹介。
◯『岸城神社』(大阪府岸和田市岸城町)
〜御祭神〜
- 天照皇大神(元・岸和田村の産土神)
- 素戔嗚尊
- 品陀別命
だんじり祭りで有名な『岸城神社』。もともとは伊勢内宮アマテラスを産土神として祀る社であったが、レイラインの東北側の祇園八坂神社より牛頭天王(スサノオ)を勧請した。慶長年間には豊臣秀吉の家臣・小出秀政が、レイラインの東北側となる石清水八幡宮から八幡神を、祇園八坂から牛頭天王と合祀し『御宮』と称していた。これが熊野那智大社~熊野本宮大社のレイライン延長線上にある。
時代は飛んで江戸時代。徳川家康の側近・南光坊天海は、富士朝氏族三浦氏族蘆名氏の出自。もしこれが本当であれば、江戸幕府は富士朝祭祀にかなり精通していた可能性あり。言わずもがな比叡山は、ホツマツタヱにおける富士山の見立。天海は家康の参謀として慶長12年(1607年)に比叡山探題執行を命ぜられ、先に織田信長が焼失させた延暦寺再興に尽力している。
その比叡山からのレイライン上に、1621年(元和7年)『紀州東照宮』が建てられたわけで...、これも彼の発案だったのだろうか?。別当寺の天台宗天曜寺は、初代別当にその天海が就任している。明治時代の廃仏毀釈により天曜寺は廃寺、跡地に初代紀州藩主徳川頼宣を祀る南龍神社が創建されたが、現在は紀州東照宮に合祀されている。因みに、レイライン上の紀伊一宮『日前神宮』は1585年(天正13年)に豊臣秀吉に攻め込まれ、社領が没収されているが、徳川頼宣により再興された経緯がある。
◯『玉津島神社』(和歌山県和歌山市和歌浦中)
〜御祭神〜
- 稚日女尊
- 息長足姫尊
- 衣通姫尊
紀州東照宮のすぐ東にあるのが『玉津島神社』。
比叡山日前神宮レイライン上にある住吉大社だが、『廿二社本縁』によると住吉大社の御祭神を筒男三神と玉津島明神(衣通姫?)とする説がある。紀伊国で広く信仰されていた玉津島姫と同一視され和歌三神の一柱とされる。このあたりは次回『住吉大社』でも触れる予定。
さらにこれが熊野速玉大社〜熊野本宮大社〜出雲熊野大社へのレイラインがクロスポイントともなっており、熊野信仰的に大きな聖地にも見えてくる。
次回は本記事の続き、このレイラインを比叡山・日前神宮・住吉大社・武内宿禰・ホツマツタヱの視点などで深掘りしていく(あくまで予定ですm(__)m)。
今熊の『呼ばわれ山』とは?
因みに…、京都の今熊野で思い出したのが『今熊神社』(東京都八王子市)。確認してみるとやはりというか...、那智大社〜速玉大社〜富士朝〜筑波山へのライン上に存在していた。27代安閑天皇の妃が行方不明になった折、当社へ勅使を派遣して祈願したところ無事戻った。以降『呼ばわり山』と呼ばれ、人探しのご利益となった。富士朝神ツクヨミと熊野神スサノオを祀る点も興味深い。八王子はスサノオとタマノオヤの痕跡を強く感じる地域だ。
※地図はクラフトマップ使用。