2020,4,22
…今回は事情がありまして皆神山を特集します。
去年8月に行った出速雄命『伊豆毛神社』『皆神山』別解釈記事になります。
伊豆…伊豆毛…。いづはやお…。鎮座されていると思われるスサノオはタマノオヤの代理なのか?…。去年の8月に参拝したときには、鈍い熊オッサンは全く気づかなかったのだが、今更ながらジワジワ気付いた点があるのでご紹介を。
ここにも熊野神タマノオヤの影が...。
(´(ェ)`)
~目次~
- 出速雄(いづはやお)命=タマノオヤ説浮上???。
- アズミ族聖地と出速雄命。
- そもそも、なんで皆神山に熊野系神社があるのか?。
- この地域にチラつく富士朝色。
- 熊野信仰のイザナギ・イザナミは誰の代理か?
- おわりに
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出速雄(いづはやお)命=タマノオヤ説浮上???。
前記事では、記紀版熊野神スサノオは、宮下文書版熊野神タマノオヤの代理神的な役割もあるのではないか?と推測した。宮下文書版タマノオヤはスサノオ娘タクハタチヂヒメの産んだ八王子の一柱であり、個人的にはこれが八+幡=八幡の由来なのではないか?と睨んでいる。つまりタマノオヤにとってスサノオは身内。そもそも牛頭天王+八王子権現とは、このタクハタチヂヒメの八王子をスサノオが教育して育てた意味合いもありそうだ。
※厳密にいうと宮下文書三輪本現代訳では、ニニギ以外にスサノオに教育された記載は出てこないので注意。
一般的に、熊野神の代表である家都美御子大神(熊野本宮)と、櫛御気野命(出雲熊野大社)はスサノオと解釈されている。
前記事でも示したとおり…。信州出雲に関連すると思われる『伊豆毛神社』の御祭神は出速雄命。神社由緒書きによると…これはスサノオと解釈されており、皆神山の熊野系神社『熊野出速雄神社』の御祭神でもある。このスサノオをタマノオヤの代理神と考えれば...。
つまり結論から言えば、出速雄命=熊野神タマノオヤの可能性はないだろうか?ということだ。
アズミ族聖地と出速雄命。
宮下文書を御存じない方もおられるので説明すると…。
この地域は宮下文書版におけるオリジナル出雲『信州出雲』があったとされる(おそらくは戸隠神社付近)。宮下文書版スサノオ族の本貫地であった。
出速雄命は宮下文書には登場しない。一般的に出速雄命は、諏訪神タケミナカタの家族神、当地方開拓の祖と解釈されている。宮下文書におけるこの信州出雲地域は、もともとスサノオ子孫の所領であり、神武天皇東征において、子孫のスサノオ55世孫・出雲大主・出雲大神主命が、北越惣国の元帥として信州→越→但馬・針間へ進軍して白木人(新羅人?)を壊滅させる大活躍をした。その論功行賞において、信州から中国地方へ国替えが発生した結果、終戦時からスサノオ祭祀と出雲名称も、信州から段階的に移転していったとみる。宮下文書では中夫・出雲大神主命は出雲・尾木(隠岐)の国造に任命されたと記載されており、既に中国地方は『出雲』と呼ばれていたようだ。
信州から中国地方出雲へ国替えが発生した結果、信州地久間(ちくま)地区には諏訪湖よりタケミナカタ子孫が入植してきた。
背景としては神武天皇第二皇子・タギシミミが東海十二道総国造頭および元帥に就任し『諏訪の宮』に入った模様。タケミナカタ勢力はタケミナカタ53世孫諏訪建勇命が諏訪・志奈野国造となり、親族は北の小国志奈野・地久間の国造となっている。その後BC582年、このタギシミミは2代綏靖天皇暗殺の容疑で処刑され、タケミナカタ勢力の一部がは諏訪の宮へ回帰の流れもあったのかもしれない。
いずれにしても信州出雲に残ったスサノオ祭祀と諏訪タケミナカタ祭祀は融合したとみられ、どこかで婚姻関係もあったのかもしれない。これが信州広域にみられるタケミナカタとヤサカトメのカップリング祭祀の始まりと思われる。
※因みに、タケミナカタと解釈されているミホススミも、宮下文書版スサノオの娘ミホツヒメと関係があるのではないかとみている。
さらには、この千曲川流域には第三極ともいえるタマノオヤ子孫アズミ族の痕跡もチラついているのだ。
千曲川水系には一級河川『犀川(さいがわ)』が流れており、この上流部がアズミ族拠点とされる『梓川(あずさがわ)』。梓水大神・瀬織津姫命の神社が点在している。下流域『氷鉋斗賣神社』には宇都志日金拆命(穂高見命)が祀られており、宮下文書研究家・鈴木貞一氏によるとタマノオヤの御子ではないかと推測される。すなわちアズミ族は宮下文書版タマノオヤ・イワナガヒメ子孫の可能性がある。
豊野の伊豆毛神社、豊栄の皆神山、どことなく豊国(宇佐神宮)のイメージも付き纏う。宮下文書版神武時代の宇佐の水門の所在地が『築市島豊野』と表記する。
そもそも、なんで皆神山に熊野系神社があるのか?。
...結論から言えば、皆神山は熊野というより、富士山信仰が強いと思われる。境内社侍従神社にはオオゲツヒメが祀られており、最上部には富士浅間神社(コノハナサクヤヒメ)が祀られている。
タマノオヤは富士朝阿祖山太神宮の2代目大宮司であり、彼の御子ウサミが創建した熊野信仰とは、西国にて富士朝神勅を賜る祈願所のような性質があった。政略的に富士朝の所在地が隠蔽されても、富士朝神獣ヤタガラスの結ぶ熊野系神社だけは全国に残された。つまり日本国唯一無二の宗廟を誰も知らなくとも、全国熊野信仰をすれば富士朝神と繋がることが出来、恩恵を受けられると解釈されたのだろう。
◯『熊野出速雄神社』(長野県長野市松代町豊栄)
〜御祭神〜
- 出速雄命(スサノオ?タマノオヤ?)
- 伊邪那岐尊
- 伊邪那美尊
- 速玉男命(宮下文書版ウサミ?)
- 豫母都事解之男命(宮下文書版クマノクスヒコ?)
〜配祀〜
- 舒明天皇
- 古人大兄皇子
〜侍従神社〜
- 侍従大神・大宜都比賣大神
〜富士浅間神社〜
- 木花咲耶姫命
ほか
※因みに本ブログでは、オオゲツヒメ(大宜都比賣大神)=ツクヨミ妃月桜田毘女(富士朝統括神・大月留男命=ツクヨミ)ではないかとみている。鎌倉時代より和歌山県伊都郡『丹生都比賣神社』にも祀られている。
オオゲツ=大月。瀬織津姫命のモデルのうちの一柱ではないか?ともみている…。
〜宮下文書研究家鈴木貞一氏推測〜
熊野本宮・家都美御子大神=タマノオヤ
速玉大社・熊野速玉大神=ウサミ
那智大社・熊野夫須美大神=クマノクスヒコ
※熊野夫須美大神=泉津事解之男命説がある。
熊オッサンが問題にしたいのは、なんで皆神山に熊野系神社があるのか?。更に言えば、なんで主祭神が熊野神を差し置いて、諏訪神・出速雄命でなくてはならないのか?と…。ここで前記事を思い出していただきたいのが、スサノオにはタマノオヤの代理神性があること…。よく考えてみれば、中国地方出雲一宮は二社存在し、出雲大社とともに…出雲熊野大社であること。この地域に勢力を張っていたホツマツタヱ版イワナガヒメは、悪神ヤマタノオロチの転生であること。この神社もタマノオヤ信仰と関係があるのではないかと…。
もしスサノオが、タマノオヤの代理神的な役割も併せ持つとしたら…。西国天皇勢力が富士朝御神霊信仰を誤魔化しきれなくなったゆえに、別神としてスリ替え、真相から目を逸らす政略もあったのではないだろうか?と。
悪く言えば、御祭神のスリ替えなのだが…。
〜タマノオヤの代理神(推測)〜
- スサノオ?
- ニニギ?
- 五十猛命?
- 応神天皇?
~宮下文書には登場しない神~
- 饒速日命?
- 八島士奴美神?(妻コノハナチルヒメ)
さらに出早雄命の別表記が、伊豆早雄命(いずはやおのみこと)という点も興味深い。タマノオヤ家族神の本貫地は伊豆国、豊野町『伊豆毛神社』といい、ここにも伊豆が絡んでくるわけだ。
この地域にチラつく富士朝色。
宮下文書によると、古来よりこの信州は富士朝の連携が強く、阿族たちの警察・裁判所のような機関『天獄』があった場所である(出雲は戸隠神社周辺とみられる)。周辺には皇足穂吉田大御神宮など富士朝大宮司宮下家の気配もあり、富士朝神官家系・農作及び祭典副司長の子であった坂上苅田麿の所領(蝦夷征伐の折に、科野国の高井・水内の二郡を賜う・長野原の吉田岡に館)であった。その後、陸奥国苅田郡から田村郡に館を遷し、781年長子田村麿と共に再び蝦夷を平定し、苅田麿は水内郡の館に戻って隠居していたようだ。安曇野八面大王伝承や上水内郡小川村瀬戸川神社などに坂上田村麿伝承が間間見られるのは当然で、坂上家は地元人であったわけだ(苦笑)。
※通説、坂上田村麿は渡来系氏族『東漢氏』とされているので注意。
すぐ近くが、戦国時代激戦地で有名な『川中島の戦い』古戦場跡。
武田氏の出自は未だ謎だが。。。甲斐武田軍の戦国最強を誇る騎馬隊は、室町期に陥落した富士朝の騎馬隊残党を結集させたなどという説もある。また他方で、上杉謙信は富士朝氏族鎌倉氏流・長尾氏の出自。何かしらの形で富士朝氏族の遺伝子を持っていたとみている。富士朝所縁の二大勢力が古代出雲である戸隠山・飯縄山の往来・権益を廻って対立をするのは、ある意味当たり前なのだろう。二大大名が敵に塩を送ったり、さらにはお互いを認め合っていた良きライバル関係であったのも...頷ける話だ。
織田信長の1571年『比叡山焼き討ち』にも言える事だが、戦国武将にとっては重要寺社を敵に渡すぐらいなら燃やした方が得策であった。それは無神論者だからではなく、その神が敵軍を勝利に導く可能性があるからで、誰よりも神の恐ろしさを知っているが故だった。ただ秀吉の場合は、日前宮も伊豆山も破壊しつくして『新八幡』を自称していた訳で。。。宮下文書の見地からみると、ちょっと破天荒すぎと思うのだが。。。
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この出速雄命は皆神山・熊野出速雄神社の御祭神にもなっている。スサノオの分霊を称する出口王仁三郎が、幽体離脱(霊体)で参拝した有名なパワースポット。ところで『世界の中心山脈の十字形せる...』とは一体何だったのだろう。
これぞ皆神山の不思議というべきなのが…境内社『侍従神社』(侍従大神 大宜都比賣大神)。事前に調べていかない参拝者は、これが本殿と見まごうこと請け合い。熊野出速雄神社はその後方となりに、ひとまわり小さな社殿となっている。どこか『麻賀多神社』と後方の境内社『天日津久神社』のイメージに似ているかもしれない。
熊野信仰のイザナギ・イザナミは誰の代理か?
因みに熊野神に、イワナガヒメや小幡毘女命の代理性はないのだろうか?。
宮下文書版イワナガヒメはタマノオヤの妃、イザナギ・イザナミの曽孫に当たる。イワナガの由来は、曾祖父母イザナギ・イザナミの陵墓『小室の日向の阿田都山の西尾根の岩長峰』に由来するとみるのが自然であろう。両神が熊野神として祀られている理由の一つではないかとみている。最近まで静岡県熱海市伊豆山『伊豆山神社』の御祭神には、このイザナギ・イザナミ両神の姿があった。現在はアメノオシホミミ・タクハタチヂ・ニニギに変更されている。あくまで推測の域はでないが、ここにもイザナギイザナミのイワナガヒメの代理性が見え隠れしていそうだ。
私が強調したいのがこの御祭神の代理性、例えば伊豆一宮三嶋大社のオオヤマツミもコトシロヌシも、家族神カモサワヒメの代理神であろう。スサノオ然り、五十猛命然り…。かつての血縁者代表イザナギやイザナミも、曽孫夫婦の不遇な待遇に複雑な想いもあるのかもしれない。
現状、宮下文書版熊野神が伏せられる一方で、彼らの代理神として親族神が利用されている節がありそうだ。
おわりに
今回読者のみなさんは、紀伊一宮三社の記事を期待していたかもしれませんが。ちょっと武内宿禰出自と富士朝の関係について調べているうちに、難問が出てきてしまいまして。急遽記事を差し替えました。
宮下文書研究家加茂喜三氏説と宮下文書三輪本現代訳がかなり食い違うことに気づきました。具体的にいうと、前記事では加茂喜三説・出雲族サルタヒコ子孫説でご紹介したのですが…、三輪本では辻褄が合わない部分があるので…。
当ブログ記事も訂正しなくてはならない箇所がありそうですね。。。やはり武内宿禰は謎多き人物、この時代に関していえば、宮下文書も西国朝廷に操作されている可能性があるのかもしれません。まあ完璧な歴史家も書物もないでしょうが。。。
てなわけで、急遽記事を書くのを諦めて…新しい記事に差し替えました。いつになるかは分かりませんが、しばらく時間をいただけたらなぁと思います。
夕方ごろフライングで編集途中でアップしてしまいました、登録している読者の方ゴメンナサイ。
(´(ェ)`)
ゴールデンウィークは、また仕事とプライベートでまた忙しくなりそうです。休みがちになりますのでご了承ください。また活動報告いたします。
m(__)m
※地図はクラフトマップ使用。