セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

〈日月神示✕宮下文書〉日月の統合?、クニトコタチ男系とクニサツチ女系遺伝子の関係。



 

 

 

2024,6,24

毎年夏至は熊オッサンがフリーテーマでおしゃべりするコーナーなのだが…。ちょっといろいろ私用が重なりまして、記事が夏至に間に合わなかったです。

 

前の記事続き…。

日月神示の麻賀多神社とは、勾玉(まがたま)を祀る神社であり、富士古文書宮下文書における勾玉とは、日+月をかけ合わせたシンボルであることをご紹介した。ここから日月神示が、我々子孫に何をさせたいのかが見えて来そうなのだ…。

ではその勾玉で現代日本人は、なにをどうすればよいのか?。熊オッサンなりにいろいろ考えたのだが…。つまるところ『日』と『月』の統合なのではないか?と。

今回はここからさらに拡大解釈が見えてきたのでご報告を…。日本の大元の神々の目的はやっぱりこれかと思える内容。

富士は晴れたり日本晴れ(´(ェ)`)

 

 

~目次~

 



日月神示×出口王仁三郎生誕地、成田山×平将門、月読命×瀬織津姫のレイライン。 - セキホツ熊の謎を追え!

 



 

日月とは、四季島統治を暗示している?。

宮下文書を簡単におさらいすると…。

日本の創世の年代は不明であるが、クニトコタチとクニサツチ兄弟が、富士山を探すために海外から日本列島へと渡来してきた。父タカミムスビの言い付け通り、日本を四等分して2州づつ統治した。宮下文書はこれを四季島統治と呼んでいる。

 

〜四季島統治の拠点〜

▲クニトコタチ田場山の桑田宮(丹波出雲)

▲クニサツチ富士朝高天原(富士吉田)



〜宮下文書皇家の御紋章(現代訳p60)〜

▲天つ日嗣の紋章=日輪に十六筋の光明

▲代々の神后の紋章=月輪に五三の雲

※天之御中主大御神(天之御中世火高見神十五代系譜)より、神祖神宗を経て伝わる紋章。

 

 






まずクニトコタチ男系とは…。

日輪を紋章とする神皇の継承家系。

豊受大神クニトコタチ夫妻の家系は受難が続く。御子のトヨクムヌ(豊斟渟尊)が早世し、御孫のマゴコロタケル(諱・阿和武男命)と妻・松島毘女命は子宝に恵まれなかった。夫妻は、高天原の神祖神宗に祈ったあとアメノオシホミミを誕生させるも、入れ替わるごとく早世してしまう。

ここで人々は、始祖タカミムスビの東西二極体制の遺言を、なんとかして継続できないかと議論したようだ。とくにクニトコタチの男系遺伝子をなんとか守り、繋ぎ止めたいと…。

 

幼いアメノオシホミミは神皇アマテラスの未婚養子に迎えられ、スサノオ長女タクハタチヂヒメを娶る。その御子ニニギ以降はヒコホホデミ・ウガヤフキアエズと…、日本の皇家として君臨してゆく。つまり当初からの計画変更を余儀なくされ、クニトコタチ男系を唯一無二の神皇と定めた。そこでクニサツチ女系を妃として、神都高天原からの全国統治を目指した。

ここから四季島統治新体制が始まったとみていい。

※この遺伝子継承が、現代までの長い歴史の中で途切れている可能性は誰にも否定できない。ただ令和時代の女性天皇問題にとっては必要な議論となりそうだ。

 

(´(ェ)`)




一方でクニサツチ女系とは…。

月輪に五三の雲を紋章とする加茂山の女神たち。

宇宙峰加茂山に祀られた月桜田毘女命をはじめとする系統。当ブログでは瀬織津姫たち祓戸四柱は、この女系遺伝子継承を模しているのではないか?と見ている。縄文時代には、考古学的にも母系的な部族社会が確認されているという。

 

クニサツチの嫡男ウビチニの長女・月桜田毘女命が、クニサツチ御子イザナギの後継ツクヨミに嫁ぎ、オオヤマツミを産んだ。因みに前述アメノオシホミミ実母である松島毘女命は、月桜田毘女命の妹。つまり神皇アメノオシホミミの段階で、既にクニサツチ女系遺伝子は入っている。

またクニサツチ次男がオオトノヂ、さらにその次女がタカテルヒメで、クニサツチ三男オモダルの次男コトシロヌシに嫁ぎ、生まれた娘がカモサワヒメ。オオヤマツミに嫁ぎ、イワナガヒメとコノハナサクヤヒメを生む。ここから高千穂峰のウガヤフキアエズ朝への流れとなる。

カモ神の特性は諸説あるがその起源はあくまで、ツクヨミ夫妻を埋葬し、オオヤマツミ夫妻を祭祀した富士朝宇宙湖畔『加茂山』だと思われる。京都賀茂川を通じて上流・賀茂別雷神社カモサワヒメ→下流・賀茂御祖神社河合神社タマヨリヒメの繋がりも、辻褄が合うだろう。

このように縄文神道では、男女、ヒメヒコ、火水の繋がりを、日月に擬えていたようだ。もっといえばその根幹は、クニトコタチとクニサツチによる四季島統治を示している。これがいつしか、日本全体的に男系重視の傾向となった。

 

 

 






スサノオの血が合流した八王子、改革を期待された新世代だった?

 

世代別の役割を辿るとわかりやすい…。

(´(ェ)`)

 

アマテラス・ツクヨミ・月桜田毘女命・マゴコロタケル・コトシロヌシ・タカテルヒメ・オオクニヌシ・サルタヒコ・スサノオらは同世代。さらに従兄弟同士(スサノオは朝鮮半島から来たはとこ)となる。おそらくはこの新しい四季島統治の発案者たち。とりわけアマテラスとツクヨミが計画主導したと想像できる…。まさに神代の日月神示???、事実上の遺伝子改革のスタートだった。となると、天孫ニニギとコノハナサクヤヒメの神皇婚姻、タマノオヤとイワナガヒメの大宮司婚姻は、その計画実行者であったわけだ。即ちアマテラスたちが改革した特別なカップルだった…。

富士朝ニニギは『長日向の大御宮(日向の小室)』から、阿族家系のもと『家基都』に名称を変更し、高天原の住人がこぞって新体制へ臨んでいた。その根拠としてニニギは、クニトコタチとクニサツチの四季島統治を解体リセットしているのだ。つまり本来クニトコタチとクニサツチの別々の管轄であるのに、何故それを反故できたのか?。後の『外寇親征の役』の論功行賞として十七軍神に分け与えることができたのか?。

その条件こそが、ニニギ(クニトコタチ玄孫)とコノハナサクヤヒメ(クニサツチ玄孫)の婚姻であり、事実上四季島統治は領土ではなく、遺伝子という形へ変化したのだ。



〜神皇〜

▲ニニギ(アマテラス義理孫クニトコタチ男系)

▲コノハナサクヤ(ツクヨミ孫クニサツチ女系)

 

〜富士朝2代目大宮司〜

▲タマノオヤ(アマテラス義理孫クニトコタチ男系)

▲イワナガヒメ(ツクヨミ孫クニサツチ女系)





〜宮下文書版皇子五人女三人(現代訳p62)〜

▲天日子火瓊々杵尊(新しい神皇)

▲太眞祖命(太神宮2代大宮司・伊豆国を賜る)

▲太八重美命(左守大神フトダマ妃、ウサミ妃小幡毘女命の母神、蘇我大伴氏祖)

▲天母岬毘女命(右守大神アメノコヤネ妃、のちの藤原物部氏祖)

※八王子あとの四柱は不明。



 

結果的にみても、彼らが天孫降臨比定の活躍を見せていることが判る。世間的にも天孫降臨伝承は、ニニギとニギハヤヒの2つあると言われている。

さらに、右臣アメノコヤネと左臣フトダマもこの八王子を娶っていることにも注目。タクハタチヂヒメの八王子、略して八幡???。八幡信仰や牛頭天王+八王子権現の本来の意義は、この新神皇改革に起因しているとみている…。

 







 








神社によくある日月の灯篭にはどんな意味があるのか。
千葉県鴨川市成川『加茂神社』。




二柱のアキツヒメは偶然か?。

 

アメノオシホミミは苦難の末に残されたクニトコタチ男系遺伝子。

そこに朝鮮半島から渡来したアマテラスのはとこ、スサノオの娘タクハタチヂヒメが嫁入りし八王子神ニニギ・タマノオヤが誕生した。民を気にかけて慕われていたようで、藤と獣毛を蓮糸で縫い上げた衣類を考案した。アメノオシホミミと同日に崩御し諡が『萬機秋津毘女尊』

こうしてクニトコタチ・クニサツチら七王子を上回る、タクハタチヂヒメ八王子兄弟に、子孫繁栄の期待が込められた。

 

〜二柱のアキツヒメ???〜

▲タクハタチヂヒメ=萬機秋津毘女尊

▲カモサワヒメ       ≒速開都姫命???

※宮下文書版アキツ州とは日本国の別名のこと。

 

 

さらに注目すべきは、二柱のアキツヒメが産んだ王子王女のカップルであることだ。これは偶然なのか?。もう一方コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの母神が、カモサワヒメ=三嶋神=寒川毘女命=別雷命。当ブログでは太神宮門前を流れる高天原加茂山の宮守川を模した『速開都姫命』のモデルではないかと考える。ホツマツタヱ12文中の速開都姫命が、稚児人形アマガツをタクハタチヂヒメに贈るという件が確認できる。タクハタチヂヒメの御子ニニキネのハタレを生前から払っていたという。これはこの日月のカップリングを暗示しているのではないかと…。

 

 

 

 











ニニギの苦悩まで見える?。



宮下文書は矛盾が少ない故に深掘り考察もできる。

今回は、クニトコタチとクニサツチ皇家子孫のニニギ夫妻に、国民(八百万の神々のこと)からの多大なるプレッシャーがかかっていたことも見えてきた。

 

ニニギは大陸勢力の侵攻『外寇親征の役』において、苦戦しつつも命がけで日本を守った。ニニギは英霊であり国防の祖。しかし夫婦喧嘩をして、まだ若い神后コノハナサクヤヒメは富士山火口に投身自殺した。英雄ニニギの悪い面だけが阿族社会に広まり、日本国民八百万神から大バッシングを受けた。

しかしなぜ必要以上に自暴自棄となり、衰弱死せざる得なかったのだろうか?。このあたりは謎が多いのだが。

背景の一つとして...、国民の新神皇への過度なプレッシャーがあったのだろう。阿族社会が、この新制度への期待も大きかっただけに、落胆も大きかった。権力者の孤独の始まりでもあった。












ヒメヒコ崩壊と肥大化した日本人のカルマ。



後世のホツマツタヱは、死別した皇祖ニニギとコノハナサクヤヒメを美化して無理やり結ばせた。ホツマ版イワナガヒメは不細工であった故に、ニニギが婚姻を破棄した。その際に皇別神タマノオヤとイワナガヒメの婚姻を引き裂いて、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの対立を作り上げてしまった。これは世間的にあまりにも有名なお話。

しかし宮下文書では、もともとイワナガヒメはタマノオヤの妃であったわけで、富士朝二代目大宮司タマノオヤ西征伝承が忽然と消去されていることが読み解ける。皇別神は皇位継承権的に危険視されるが、当ブログではタマノオヤ=八幡神ではないかと見ている。後世に15代応神天皇に変更された理由にも頷ける。

さらには皇祖ニニギの子孫である、全51代神皇ウガヤフキアエズと全51代皇后タマヨリヒメ(多摩夜里毘女尊)を歴史ごとごっそりなき者にしてしまった。拠り所をなくしたウガヤ時代の御祖霊・神霊はどこを彷徨っているのかわからない。これを日本国のカルマと言わずしてなんとするのか?。

 

例えば日本各地に残る七夕伝承は、特定の人物の逸話というよりは、家系図を切り裂かれた全国各地の男神・女神の不遇の祭祀的扱いを体現しているのではないか?と思える。これは皇祖神のみに拘らず、全国の神々も夫婦バラバラにされてきたようだ。宮下文書視点から現代神道を考察するに、記紀ベースの世の中ではこれが全く履行できていないことがわかる。つまり現代社会は神が人間に関与して、助けたくとも、神力が抑制されてしまう世なのではないかと…。是正が必要かと。

 

何度も述べて恐縮だが…(´(ェ)`)。

これは良いとか悪いとかの議論ではない。先人達の戦局や差し迫った利害を考えれば、歴史改竄は日本人を纏めるために仕方がなかった面もある。人間はウソを付かなければ政治ができない。これが人間の統治能力の限界なわけで、生きるためにそうせざる得なかった。仕方がなかったからこそのカルマなのだ。先祖やカルマを卑下する必要はまったくない。

それを後世の我々が問題解決を託されており、誰かがやらなければ来世・子孫へ繰り越しとなる。偶然にも、この令和の時代、皇家存亡の危機にあるわけだ。これも御祖霊からのカルマの問いかけと思えてしまう。

しかし神道というのは御祖霊崇拝、言い換えれば遺伝子を軸とする信仰。そこに古事記や日本書紀などによる欠史があっては意味がないのだ。さらに加茂山の女系の神々の存在が曖昧になっており、全ての遺伝子に感謝をすることができていない。

日月、クニトコタチとクニサツチ、アマテラス子孫とツクヨミ子孫、ニニギとコノハナサクヤ、タマノオヤとイワナガヒメの祭祀を整えるということ。これはつまり日本人の男系・女系の遺伝子を整えることと同義なのだ。



そして麻賀多神社は、クニトコタチ拠点『丹波』レイラインクニサツチ拠点『富士山』レイラインのクロスポイントとなる。まさに日と月の四季島統治の統合ポイントに相応しい。

日月神示×出口王仁三郎生誕地、成田山×平将門、月読命×瀬織津姫のレイライン。 - セキホツ熊の謎を追え!









日月統合、キープレーヤーは瀬織津姫命?




この日月の統合に重要な役割を持っているのが、ズバリ瀬織津姫命ではないか?。

アマテラス男系『日嗣』とツクヨミ女系『加茂山』日月の原点回帰が重要。そのキープレイヤーの一柱が、宮下文書版ツクヨミ妃である月桜田毘女命であり、世間的に知られるアマテラス荒魂瀬織津姫命と同神と思われる。宮下文書に登場するツクヨミ妃が、クニサツチ嫡男の長女・月桜田毘女命。アマテラスと月桜田毘女命とは従姉妹同士にもあたり、アマテラス埋葬地の宇宙湖畔『宇宙峰南裾野の出崎島』はツクヨミ夫妻陵墓加茂山に近い。

瀬織津姫命は、ホツマツタヱにおける日に向かう女神『向津姫命』、月と水神要素を持つ謎の女神。多くの日本人の母神とも言えそうだ。

 

つまり...。

伊勢神宮にも祀られていたアマテラスとアマテラス荒魂の関係とは、クニトコタチ男系義母とクニサツチ女系を示唆していることになる。ホツマツタヱ時代ではこの男女遺伝子の並祀形態を維持しつつ、先述の複雑な系譜を簡略化するために、女神アマテラス→男神アマテルとなった様に思われる。

また日月神示の舞台『麻賀多神社』は、台方里宮と船形奥宮ともに境内に祓戸四柱が祀られているところも興味深い。

 

 

 

 

 

近況

前記事が終わった直後、知人に東京スカイツリーに誘われた。チケットが一枚余ったので一緒に行かないと。あまりにも偶然すぎてびっくりしたが、二つ返事でお供させていただいた。知人はこのブログの事を知らないので、これもシンクロニシティなのかな...と。

当ブログのサーバーに、新ピクチャから直接投稿できなくなりました。熊オッサンは機械音痴のうえ、二万枚の画像をフォルダから選んで投稿するとすごい手間かかるし、根本的にそろそろパソコン内のデータ整理しないとダメみたい。しばらく休みがちになるかもしれません。日頃のはてなブログへの不満もあり、どこかでブログを移植できないか思案中。

(´(ェ)`)

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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