セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

石見安曇族と柿本人麻呂と、水底の女神・速佐須良姫を結ぶ『鴨山×鴨川レイライン』①

和歌山県和歌山市和歌浦『塩竈神社』、
和歌の聖地『玉津島神社』の祓所として、塩槌翁尊と祓戸大神四座を祀る。




2024,7,14

景勝地の和歌山玉津島にて、祭祀と和歌に関心をもった。

和歌には日本の隠された歴史が眠っているのではないか?と、そんなインスピレーションを得た。そのあと書店で梅原猛著『水底の歌』という本を購入した。しかしかなりブ厚い上下巻なので、読むのに結構手間取ってしまった(まだ途中です)。

当記事は柿本人麻呂死亡比定地から始まる、鴨山と安曇族和邇氏祖神『いつき三女神』のレイライン考察。一回目は彼が安曇族である証明?と、中国地方の歴史的背景をまとめてみた。

(´(ェ)`)



~目次~

日月神示×出口王仁三郎生誕地、成田山×平将門、月読命×瀬織津姫のレイライン。 - セキホツ熊の謎を追え!

東西『小野神社』と天足彦国押人命、武蔵国蘇我大伴と小野氏族の関係とは? - セキホツ熊の謎を追え!

〈日月神示✕宮下文書〉日月の統合?、クニトコタチ男系とクニサツチ女系遺伝子の関係。 - セキホツ熊の謎を追え!








有名歌人にチラつく富士朝縄文精神?。

 

和歌は単なる嗜好にとどまらず、日本特有の言霊信仰の世界であり、言語の配列によりシャーマニズムにまで及んでいたという説もある。宮廷歌人の柿本人麻呂は、皇族らが他界するごとに多く挽歌を依頼されていたようだ。

 

▲『敷島(しきしま)の 大和の国は 言霊の 佐くる国ぞ 真福くありこそ』

▲『天の海にの波立ち の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ』

 

『敷島』は大和にかかる枕詞として使用される。これは宮下文書におけるクニトコタチ・クニサツチ『四季島統治』を彷彿とさせる。『雲の波立ち…』は七夕伝承の歌とも解釈され、男神が月の舟を漕いで、女神へ会いに行く様子を感じさせる。



▲『鴨山(かもやま)の 岩根しまける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ 』

▼現代訳:鴨山を死枕にしようとしている私、妹(妻のこと)は何も知らないで待ち続けるだろう。

 

で、今回のきっかけはこの一句、全国カモ山研究的に見過ごすわけにはいかなかった。カモ氏は有名だし、カモ山は全国に散見されており然程珍しい地名でもないだろう、ただその根源を辿れば唯一無二の存在、富士朝高天原『加茂山』しかないだろう。ツクヨミと妃・月桜田毘女命の陵墓で、月輪と五三のを紋章とする皇族女系の家系全体を意味する(前記事参照)。かつての加茂山からの宮守川下流に阿祖山太神宮があり、タマノオヤが2代目大宮司に就任していた。その妃が伊豆大神イワナガヒメだった。

 

 

◯伊豆神+月神=いつき???、祓戸四柱と宗像三女神の原型か?。

 

 

〈加茂山解明①〉祓戸四柱浄化システム、阿祖山太神宮の宮守川の流れの見立か? - セキホツ熊の謎を追え!

〈加茂山解明②〉大祓詞・寒川・相模湾の役割、真相を底根へ流す歴史封じの呪法だった?。 - セキホツ熊の謎を追え!

〈加茂山解明③ 〉トヨタマヒメの加茂山の悲劇と、賀茂建角身のタケダの共通点。 - セキホツ熊の謎を追え!



宮下文書記載から彼の生きた7〜8世紀を読み解くに。当時の権力者藤原鎌足の御子・中臣藤原物部麿(不比等の推測される?)ですら、自らの出自を正確に把握できていなかった時代である。しかしながら、シキ島といい、カモ山といい、富士朝神道の用語が散見される。これは何を意味するのか?。

さらに下級官人といわれる山部赤人は富士山を堂々と歌い、『天地開闢のころから』『日も月も隠れる』『神の山』と認めている。万葉集には11首富士山の歌が確認される。それが縄文人だろうが西国人だろうが東北人だろうが、天皇だろうが下級官人だろうが、富士山を見れば誰だってその異常な神々しさに気付けるハズだ。むしろ政治的にはそれをどうやって回避しつづけることができたのであろうか?。意図した言論統制でもなければ不可能であろう。

結局...当時の僧侶や官人クラスは、富士朝知識をある程度知っていた可能性はある。しかしながら公の場で公言することは憚られた。それを宴レベルに落とし込むことによってのみ表現を許された。とくに歌は言霊となり斎場などにこだました。参列者の同情や、場の雰囲気を的確に捉えつつ拡散することが出来た。主催者にとっての和歌は、暗黙のうちに効率よく共感を呼び込むことができるツールでもあった。

これは政治的古文書で富士山の痕跡が抹消されたとしても、芸術として残っている可能性を示しているのではないか?。

 

うまく言えないが、忘年会は無礼講みたいな。。。(´(ェ)`)

社会風刺が、漫画やアニメなら許されるみたいな。。。(´(ェ)`)

後述するが、江戸期の歌舞伎十八番・暫南総里見八犬伝は、富士朝へのオマージュではないかと捉えている。

 




 



柿本人麻呂はタマノオヤ安曇族末裔?。

 

 

ここで簡単に安曇族の祖神をおさらいすると、諸説あるが、当ブログでは宇都志日金命ではないかとみている。和邇臣春日臣小野臣は諸説あるが、概ね上記の5代孝昭天皇後裔説が主流となる。wikipedia上ではあくまで、孝昭天皇皇子・天足彦国押人命流説が強調されている。ただ前記事で示したように、宮下文書記述から孝昭皇子説を読み解くと、その不自然さが露呈する。故に当ブログでは、宇都志日金拆命安曇族末裔説を採用してゆく。

 

 

※上は宮下文書系図、安曇族とワダツミ系統が別系統なのに注目。

 

神代富士高天原ニニギ朝から、大宮司タマノオヤに西国平定が託された。宮下文書の記載は少ないのだが、最終的に彼の御子ウサミが『くまなく』平定して熊野信仰の礎となった。当ブログではウサミ軍は、豊前一宮・宇佐神宮あたりまで到達したと推測する。父タマノオヤは周防一宮玉祖神社付近で死去、宮はヒコホホデミ朝から宇都志日金命が祖の守護を任されたと記されている。神武東征論功行賞(三輪本現代訳p132)では、タマノオヤ53世孫・日鷲気留木彦命が穴門摂津の県令となっているのが確認できる。

宮下文書研究家鈴木貞一著『日本古代文書の謎(p75)』で、宇都志日金命はニニギ弟タマノオヤの御子ではないかと推測。玉祖神社にはタマノオヤ死亡地伝承が残っており、不明一座(延喜式神名帳不明二座)も彼ではないか?と述べている。神道が祖霊信仰である特性上、その身内が宮守護を継承するのは自然なことだろう。

宮下文書版タマノオヤの本貫地は伊豆国熱海周辺。イワナガヒメは早世で熱海日金山(現在の十国峠)に埋葬された。これが宇都志日金の名前の由来であろう。一般的にも熱海(あたみ)は、アズミや同族アタ族の影響が強いと言われている

 

◯『小野神社』(滋賀県大津市小野)

〜御祭神〜

  • 天足彦国押人命
  • 米餅搗大使主命

〜小野篁神社〜

  • 小野篁

 

 

◯『小野神社(または小野天神之多初阿豆委居命神社)』(島根県益田市戸田)

〜御祭神〜

  • 小野天大神之多初阿豆委居命

※石見国式内社。ほか13?、または19?柱

 

〜和邇臣春日臣小野臣出自の諸説〜

▲宇都志日金拆命、安曇族初期分岐氏族

▲5代孝昭皇子、天足彦国押人命

▲30代敏達皇子、春日皇子

 

 

次に柿本臣であるが。。。

wikipedia柿本人麻呂によると、柿本人麻呂は柿本臣で、5代孝昭天皇後裔を称する和邇臣→春日臣→柿本臣(小野臣の支流)となる。ただ彼の出自・官途についてはよく分かっていない。彼の生誕地として挙がるのが島根県益田市戸田『戸田柿本神社』付近。戸田柿本神社の北西1kmには、石見国『小野神社(小野天神之多初阿豆委居命神社)』がある。

小野神社は石見国式内社、891年(寛平3年)菅原道真を重要視した59代宇多天皇時代の創建。もともとは大和国より春日臣小野臣がこの小野郷を開拓して、祖先を祀ったことに起因する。かつては八幡宮と呼ばれていた時代もあった。御祭神は小野氏族の祖神とおもわれる小野天大神之多初阿豆委居命。阿豆は伊豆+安曇(阿曇)の繋がりを彷彿とさせる。

※因みに、武蔵一宮小野神社(東京都府中市)も、谷保天満宮(東京都国立市谷保)を介して、2つの阿豆佐味天神社(東京都立川市と西多摩郡瑞穂町の二社)とレイラインを形成している。小野氏族はやはり安曇族?と感じる理由の一つとなっている。

 

〜宇佐・玉祖レイライン〜

  • 高千穂峰
  • 弊立神宮
  • くじゅう連山
  • 豊前一宮宇佐神宮
  • 周防一宮玉祖神社
  • 戸田柿本神社(2kmズレ)
  • 小野神社(2kmズレ)

 

これがなんと…、高千穂峰ウガヤフキアエズ〜宇佐神宮〜玉祖神社からのライン付近にある。

(´(ェ)`)

 

 

 

 





 

もともと根の国は、熊野神とヤマタノオロチの土地であった?。

宮下文書版中国地方出雲は記載が少なく歴史的空白地帯となっている。ただホツマ的に、ヤマタノオロチ=イワナガヒメの方程式を当てはめると、この地域にタマノオヤ・イワナガヒメ末裔勢力がいた可能性が濃厚となるわけだ。そこでカギになりそうなのが出雲一宮・熊野大社となる。

創建は神代に遡り、当地にて出雲大社よりも古い歴史を持つとされる(諸説あり)。Wikipediaによるとあくまで起源は当社で、この地域の村人(往古出雲民族)が移住して、出雲熊野大社から勧請させたのが紀伊国熊野本宮という。まあ順序としては明らかに逆なのだが。。。ここで強調しておきたいのが、丹波一宮出雲大神宮にも紀伊国熊野本宮にも元宮社伝があるのにもかかわらず、なんでオオクニヌシ出雲王朝論者はこれを無視することが出来るのかと。

 

不思議だね(´(ェ)`)

 

◯『出雲一宮・熊野大社』(島根県松江市八雲町熊野)

~御祭神~

  • 熊野大神櫛御気野命(スサノオと解釈)

 

〜鈴木貞一氏推論、宮下文書版・熊野三神〜

▲タマノオヤ(家津美御子大神)

▲御子ウサミ(速玉神)

▲御孫クマノクスヒコ(夫須美神)

※当ブログでは櫛御気野命もタマノオヤと、古代八幡神はタマノオヤファミリーの複数神とみている。何れも富士朝大宮司を介した阿祖山太神宮信仰であろう。後世に八幡神社に15代応神天皇を祀るのは、大山守皇子以降の宮下家が彼の子孫だからだろう。

 

 

まず宮下文書的解釈だが...。

熊野大社→大山(伯耆富士)→富士山はレイラインが形成されている。宮下文書版熊野神はタマノオヤ(家津美御子大神)と三代親子のことである。三つ巴紋とヤタガラス章の熊野信仰とは富士山祖霊と直結する信仰。タマノオヤは2代目富士朝大宮司、西国人にとっては高天原阿祖山太神宮の窓口的信仰なりそうだ。Googleマップ上でも山間部の隅々まで小さな熊野社が点在することが確認できる。つまり古代中国地方にも富士朝信仰があったわけで、とくにタマノオヤ西征後から広く布教されたと思われる。

これが本来の中国地方出雲の姿だった。

神武東征後になると、スサノオ55世孫・出雲大神主命が信州出雲より出雲・尾木を賜り実質的国替をしている。そこへ丹波一宮出雲大神宮出雲大神ミホツヒメ信仰と、丹波国造オオクニヌシ54世孫・丹馬但波命の丹波勢力が融合。そしてホツマツタヱ成立を経て、スサノオ=熊野神として『家津美御子大神』や『櫛御気野命』と混同され始めたのであろう。

※Wikipedia丹波一宮出雲大神宮によると出雲大社の勧請元説があり、江戸時代まで出雲の神といえば当社(京都亀岡)だったという。

 

 

〜宮下文書時系列〜

①伊豆山神社、日金山イワナガヒメ埋葬地

②宇佐神宮、タマノオヤとウサミ西征の関係地?

※神代スサノオは信州出雲を拠点としていた。

 

 



次にホツマツタヱの解釈だが...。

ホツマツタヱ版アマテル十二妃・速佐須良比売ハヤコは、アマテルとの間に宗像三女神を生む。しかしスサノオと不倫関係となり、宇佐神宮を脱走して根の国(出雲)へ逃れ、悪神ヤマタノオロチと変化した。これを偶然通りがかったスサノオに、彼の経歴の汚名挽回のチャンスとして退治される。

ハヤコ死後はなぜかイワナガヒメへ転生し伊豆半島に登場する。伊豆崎の仮宮(伊豆山神社比定)にて、意地悪な母神(三嶋神カモサワヒメを暗示)との策略により、妹コノハナサクヤヒメを差し置いてニニキネ(ニニギ)に求婚する運びとなる。

このようにホツマツタヱ記載は、宮下文書におけるタマノオヤ・イワナガヒメ末裔勢力の歴史的足取りを示唆しているといえそうだ。ヤマタノオロチ=イワナガヒメの方程式を適用すれば、イワナガヒメ末裔『安曇族』を暗示させているのではないかと…。中国地方出雲スサノオのヤマタノオロチ退治伝説は、単にヤマタノオロチ(ウガヤ時代旧勢力)とスサノオ(神武東征以降の新勢力)の権限移譲した叙事詩にも見える。

宮下文書記載がない部分を、ホツマツタヱから解釈すると、中国地方の安曇族の痕跡が浮き彫りになるわけだ。

 

〜ホツマツタヱ時系列〜

①宇佐神宮、速佐須良比売ハヤコ脱走

②根の国、悪神ヤマタノオロチに変身

③伊豆崎の仮宮、イワナガヒメに転生





例えば、人麻呂終焉の地の一つで、延喜式内・櫛代賀姫神社がある島根県益田市は、和邇氏同族となる櫛代族の開拓した土地と伝えられる。彼らの本貫地は紀ノ川北岸、和泉葛城山のある和泉国で、瀬戸内海側経由して北上してきたという。その際祖霊を和泉国から杜山へ分霊、それを806年(大同元年)現在地へ奉斎し、江戸時代までは浜八幡宮と称していた。一方の和泉葛城山や紀の川沿いには、奇しくも根の国の八大竜王・九頭竜神の信仰が点在しているわけだ。

このルートを辿ると、宮下文書版タマノオヤファミリーの西征ルートと深い関係があることがわかる。大まかにみても『丹生都比売神社』『玉祖神社』も近い。彦武宇志命の末裔とされるが、これも宇都志日金命に似た名前なのが興味深い。

 

 

〜石見国櫛代族のルーツ〜

▼和泉葛城山

▼瀬戸内海

▼島根県益田市

 

 

また先に述べた、タマノオヤ53世孫・日鷲気留木彦命が穴門摂津の県令となっているのが確認できる件だが。これって忌部氏祖フトダマに従う四柱のうち、さらに安房神社相殿の忌部五部神として櫛明玉命(タマノオヤ)とともに祀られる、天日鷲命と関係ないだろうか?。

島根県浜田市三隅町の式内社『大麻山神社』の御祭神が天日鷲命である。神宮寺尊勝寺は西の高野山と呼ばれ、伊豆山走湯権現を配祀していたという。フトダマと御子・小幡毘女と、そして丹生都姫と、穴門国と紀伊国との接点にもなりそうだ。

 

 

 

 

 

出雲神話、ワニとサメの仕組み。

 

次に中国地方安曇族の実態に迫る。

前記事でも述べたが、日本海への対馬海流というのは日本における大動脈であった。西→東の航路では、太平洋ルートより利便性は高かったとみられる。そこには海人安曇族がいた。

宮下文書版信州出雲『天獄』は、1000日おきに九州ウガヤフキアエズ朝から天つ神たちを迎えた。さらに全国国つ神たちが比定地信州戸隠に合流して、全国罪人の処遇を話し合う重要会議があった。こうして日本海の越国出雲崎→千曲川→信州戸隠への交易ルートが確立された。つまり地理的にみれば中国地方出雲とは、信州出雲への航路上の寄港地に過ぎず、これがウガヤフキアエズ初代から51代続いた。だとすれば、日本海ルートには信州出雲文化と海人族が交わる要衝が多かったハズだ。それが志賀島志賀海神社・滋賀県小野神社・信州安曇野・石見国小野郷戸田という拠点ではないかと。

 

 

 

神話として有名なのがオオクニヌシの『因幡の白兎』であろう。この白兎をボロボロになるまで襲撃したワニについては諸説あり。ワニはサメであると解釈されており、石見国日祖の洞門には影ワニという別伝承もある(後述)。古事記ではトヨタマヒメ=八尋和邇としており、サメは海の神とも見られていたようだ。

加藤謙吉によれば白兎と鰐鮫(ワニザメ)の神話も、暗に海人安曇族和邇(ワニ)臣を暗示していたと述べている。逆説的に考えると和邇族の語源が、ワニザメから来ている場合も考えなければならない。『肥前国風土記』の肥前一宮・與止日女神社伝承によると、海の神『鰐魚』が小魚を従えて川を遡上し世田姫(ヨドヒメ)のもとへ通う説話があるという。これは暗に『川上さま』を崇敬していた和邇族の語源とも捉えることが出来そうだ。ただ同時に、このあたりからヨドヒメ≒トヨタマヒメ、ワダツミ系=安曇族の混同が始まったのかなとも思う。

 

だとすれば、なんで世間の歴史家たちはこれをサメだとして、ワニとして譲らないのか?。どうやらそこには、断固としてワニ=和邇族であってはならない事情もありそうなのだ。

簡単にいうと、まず史上にワニ族という存在が現れて、そのあとにオオクニヌシ神話が創作されたわけだ(少なくとも12代景行天皇時代よりあと)。さらに528年『磐井の乱』以降、安曇族は政治的に失脚して、弾圧された地域もあるだろう。こうした複雑な背景が、ワニが先か?、オオクニヌシが先か?、という論点を生んだ。中国地方でオオクニヌシやスサノオよりも、安曇族ワニを語らないほうが不自然なのに…。

オオクニヌシ出雲王朝論者や記紀論者にとっては、5代孝昭天皇皇子派生説が崩れる故に、ワニがサメと足らしめている理由となる。こうしてみると…ウソがウソを、おおきな虚構がバレないように別の虚構で堰き止めているのがわかる。

(´(ェ)`)

 

 





 

 

柿本人麻呂にチラつく加茂山『いつきの三女神』。

 

奇しくも石見国安曇族の活動領域は、石見国の一宮→二宮→三宮が一つのライン上で結ばれる。さらに富士朝加茂山『いつきの女神』にも強力に守られているようだ。柿本人麻呂死亡比定地『鴨山』も、伊豆一宮三嶋大社と、伊豆山本宮とレイラインで結ばれ、最終的には円仁慈覚大師が創建した安房鴨川弁天島『厳島神社』へ到達するのだ。奇しくもここで、武蔵一宮小野神社~善光寺~戸隠奥社~能登見附島ラインのクロスポイントとなる。

瀬織津姫と九頭竜神を繋ぐ?。オモイカネ兄弟の天表春命・天下春命レイライン。 - セキホツ熊の謎を追え!



〜賣布・田島レイライン〜

  • 久良彌神社(式内社、闇見国の総社)
  • 推惠神社(日御碕神社68代宮司・小野尊俊)※和邇氏小野氏族とは別系統?
  • 賣布神社(祓戸四柱・速秋津比売神)
  • 玉造温泉玉湯川河口
  • 布宇神社(式内社、元寇と関係あり)
  • 布須神社(式内社、ヤマタノオロチ退治の神蹟)
  • 阿吾神社(式内社、ヒコホホデミ・豊玉姫命)
  • 市森神社(式内社、阿陀加夜怒志多伎吉比売命)
  • 富能加神社(式内社、肥長比売命?を祀る、もともと小野神社社地)
  • 伊秩神社(クニサツチ)
  • 石見一宮・物部神社(宮下文書版ウマシマジは蘇我系統)
  • 石見銀山
  • 熊野山岩瀧寺(806年、空海が権現堂建立)
  • 八重山神社(スサノオ伝承あり)
  • 江の川・人麻呂渡し
  • 人丸神社(柿本人麻呂)
  • 夜須神社(式内社、八幡神、宗像三女神)
  • 石見二宮・多鳩神社(事代主命、国常立尊)
  • 石見三宮・大祭天石門彦神社(1.3㌔ズレ)
  • 鴨島跡地(柿本人麻呂死亡比定地、3.6㌔沖)
  • 小野神社(石見国式内社1.7㌔ズレ)
  • 戸田柿本神社(柿本人麻呂生誕地、2.5㌔ズレ)
  • 衣毘須神社(山陰のモンサンミッシェル?)
  • 松崎八幡宮(650年、須佐の地に宇佐八幡勧請)
  • 御山神社(神宮山麓、雨蔵山雨熊大権現社)
  • 宇田八幡宮(伊豆の土肥実平が宇佐八幡勧請?)
  • 小野神社(下関市豊浦3.0㌔ズレ、旧山王宮)
  • 小野小町の墓?
  • 福徳稲荷神社(1971年創建、景行天皇景勝地)
  • 宗像大社中津宮(宗像市大島、湍津姫神)
  • 田島神社(宗像大社元宮説)




 

 

〜カモカモカモ・レイライン(´(ェ)`)〜

 

武蔵一宮小野神社✕戸隠奥社ラインのクロスポイント

鴨川弁天島厳島神社(慈覚大師由来)

真言宗智山派金剛院(慈覚大師由来)

浅間神社麓、石見堂?

富山(里見八犬士終焉の地、富士山のこと?)

伏姫籠穴(南総里見八犬伝舞台)

結明神本社(伊豆山日精月精)

伊豆山崩落事故現場(2021年7月)

伊豆山本宮

日金山東光寺

十国峠(宮下文書版イワナガヒメ陵)

函南・火雷神社

三嶋大社(イワナガヒメ母、別雷命陵)

高尾山古墳熊野神社(東国最古?前方後方墳)

龍王神社(八大龍王として瀬折津姫命ら八柱)

名古屋総鎮守若宮八幡社

真宗大谷派名古屋別院

多度大社多度山

安土桃山城跡

活津彦根神社

姨綺耶山長命寺(武内宿禰由来、聖徳太子開基)

小野神社(和邇川)

小野篁神社(和邇川)

和邇川河口

京都鴨川の源流

大森賀茂神社(式内社、賀茂神、瀬織津姫命)

大石見神社(大倉山の大国主の蘇生伝承)

三瓶山(国引き神話に登場、別名は佐比売山)

鴨山(湯抱鴨山公園、柿本人麻呂死亡比定地)

石見銀山清水寺跡

佐毘賣山神社(益田市同名式内社からの勧請)

水上神社(石見国式内社、八幡宮を称する)

霹靂神社(別雷命・玉依姫)

龍御前神社

櫛島(龍御前神社天降る神楽神事)

日祖の洞門(影ワニ伝承)

 




 

解明の鍵は祓戸四柱?。

 

 

宮下文書版伊豆国北部は、欠史八代時代?までにオオヤマツミ57世孫・加茂沢雄命が領しており、加茂国と呼ばれいた(三輪本現代訳p183)。その痕跡は半島の広域に残っている。静岡県賀茂郡河津町笹原『姫宮神社』には、伊豆国河津の開闢神として笹原姫=佐々原比咩命(ささわら姫)が祀られている。速佐須良比売と同神ではないか?とも指摘される。また静岡県熱海日金町の隣にも笹良ヶ台という地名がある。

ホツマ版日本海側越国〜中国地方に及ぶ広範囲を『根の国』と呼ぶ。根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う神。これこそが、大祓拝詞に登場してくる速佐須良比売の拠り所『根の国』とリンクしているのではないかとみる…。

これが柿本人麻呂が述べていた『鴨山』『岩』『根』なのではないかと。



 

〜宮下文書加茂山の宗像三女神✕祓戸四柱(推定)〜

▲瀬織津姫命=湍津姫命=月桜田毘女命?

▲速開都姫命=田心姫命=加茂澤毘女命?(別雷命)?

▲気吹戸主神=大山祇命?

▲速佐須良姫命=市杵島姫命=岩長毘女命?

※宮下文書版カモサワヒメ=三嶋神、別雷命、寒川毘女命のこと。コトシロヌシ娘・オオヤマツミ妃・イワナガヒメとコノハナサクヤの母。

 

次回は彼の心情的な面にも迫ってみたい。

賀茂真淵によると大祓詞成立は、38代天智・40代天武朝説。本居宣長は42代文武天皇朝説を唱えている。いずれにせよ柿本人麻呂の仕えた天武・持統・文武とおおよそ符合する。一族の祖神イワナガヒメを祓戸四柱の水底の女神とされてしまった、柿本人麻呂らの胸中が垣間見れるだろう。

そして、今回何故『速佐須良比売命』をクローズアップしたかといえば、日月神示『鳴門の仕組み』の解明に不可欠だからである。

つづく(´(ェ)`)。

 

 

 

 

 

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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