棲
2024,8,18
富士は晴れたり日本晴れ(´(ェ)`)
思うところがあって、麻賀多神社と鴨川松島へ行ってきました。まさか1年もたたないで安房鴨川を訪れるとは…。やり残したというか、これまで沢山の考えを整理する必要がありました…。
アズミとはなんなのか?、アズサとはなんなのか?。マゴコロタケルとは?。そして伊勢祭祀と妹背とは…?。さらに…日月神示発祥地の麻賀多神社には、一体誰が祀られているのか?。そしてなんで熊オッサンはこんなにも安房国に惹かれるのか?。
ぜ〜んぶ一纏めにわかってきました。
しかもレイラインで芋づる式(´(ェ)`)。
あくまで素人オッサンの見解なのでご了承ください。予定しておりました柿本人麻呂妹背考はまたいつか別記事でご紹介します。
m(_ _)m
~目次~
- アワ・アズサ・アズミの共通点。
- マゴコロタケル夫妻とは?
- ワカヒルメ≒マゴコロヒメ説浮上?
- ワクムスビ=マゴコロタケルの可能性?。
- 麻賀多神社の御祭神の正体?
- 〈おまけ〉玉津島の妹背山が熊オッサンを導いてくれた?
日月神示×出口王仁三郎生誕地、成田山×平将門、月読命×瀬織津姫のレイライン。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈日月神示✕宮下文書〉日月の統合?、クニトコタチ男系とクニサツチ女系遺伝子の関係。 - セキホツ熊の謎を追え!
石見安曇族と柿本人麻呂と、水底の女神・速佐須良姫を結ぶ『鴨山×鴨川レイライン』① - セキホツ熊の謎を追え!
〈宮下文書〉妹と伊勢の語源?、ホツマツタヱ『妹背の道』から紐解く伊勢神宮の日月祭祀。 - セキホツ熊の謎を追え!
アワ・アズサ・アズミの共通点。
神代の四季島統治時代。
クニトコタチの御子トヨクムヌは、西国淡路島を拠点として早世した。残された后神(白瀧毘女尊)と幼い御子マゴコロタケルは東国へ移動、おそらくは東国クニサツチ勢力に保護されたようだ。御子はウイジニ九女・松島毘女命を娶り、彼女の地元?関東平野に移る。こうして義父ウイジニの拠点東洲東部の房総半島を拠点とした。
三輪本現代訳巻末地図によると、この地域は淡津佐(アヅサ)とよばれており、現在のおおよそ千葉県全域〜埼玉県東北部に比定される。北部利根川に沿って突出しており、渡良瀬川分岐点(下野国寒川郷)付近まで到達していた。縄文海進では、東京湾からさいたま市付近まで内海が深く入りくんでおり、武蔵三宮氷川神社は武佐志ではなく淡津佐国内に位置していた。
〜皇祖マゴコロタケル・マゴコロヒメ〜
▲諡・真心武命(諱・阿和武男命)
▲諡・真心合比女命(諱・松島比女命)
※松島毘女命はツクヨミ妃・月桜田毘女命の実妹。
神武天皇時代に上富佐(不佐上)と下富佐(不佐下)に分離し、いつの頃から上総と下総と二国で扱われるようになった。総国はフサと同音で古語の『麻』の意味という説もあり、現在も利根川沿いに布佐という地名が僅かに残る。また日本書紀版景行天皇が淡水門を渡ったと記載しており、これが現在の東京湾への浦賀水道に比定される(諸説あり)。おそらくはこれがヤマトタケルが目指したアガツマ→アズマに変遷していったと思われる。
そして口語拾遺によるとこの神武天皇時代、天富命が天日鷲命孫を連れて、大和→阿波→安房へやってくる。これが通説安房忌部の始まりとされる。
しかしながら宮下文書では、淡路島・阿波国・安房国は、阿波+安房忌部の登場以前の遥か神代から、地主神同士の親子関係にあったことが確認される。そもそも宮下文書的に解析すると、左臣フトダマ系統と皇別タマノオヤ系統が混在しているのは明らか。忌部氏は根底から再考察が必要だろう。
別記事にて…(´(ェ)`)
前記事で紹介したように、国祖クニサツチ一行が能登半島に上陸して、本州日本海側を探索しつつ彷徨った。そしてはじめて富士山を視認して『あそこへ飛んでいきたい』と漏らしたのが、この飛太伊の飛太山(乗鞍岳か?)と思われる。注目すべきはその飛んでいきたい方角へ、能登半島→安曇野梓川と北アルプス飛騨山脈乗鞍岳(古名・安房山または位山)→房総半島とレイラインが形成されていることだ。だとすれば、安房祭祀と信州安曇野祭祀が連動している可能性はないだろうか?。
東京人にとってアズサといえばJR特急『あずさ』号で、そこから信州安曇野梓川(長野県松本市~上高地)を連想させるが...。これが縄文時代であればむしろ逆方向。レイラインの方位的に解析すると、小野神社~梓水神社、小野神社別宮~阿豆佐味天神社などから房総半島を目指しているのが確認できる。さらにその祭祀的キープレイヤーとなるのが、小野大神や梓水大神である瀬織津姫命なのだ(後述)。そして小野神社と梓水神社に関与していたのが、タマノオヤ安曇族末裔ということになる。
※現在の梓水神社御祭神はタケミナカタなので注意。ただ本来は梓川の水神と考えられており、梓川流域には瀬織津姫が多く祀られる。かつては瀬織津姫説あり。
※※本ブログでは小野氏族をタマノオヤ安曇族末裔と解釈している。
前記事で、小野神社と梓水神社が熊オッサンにとって特別な思い出の地であることは述べたが…。ここまで偶然がかさなると意図されたものとしか思えない。
まさかここでも熊オッサンの大冒険がレイラインで結ばれていたとはな〜
(´(ェ)`)
マゴコロタケル夫妻とは?
御子ゴコロタケルには御子が生まれなかった。
夫は自暴自棄となり、居住地を『阿和礼住→憐れな者が住む場所』と名付けた。具体的な地名は記載がないが、もともと阿和・淡路・阿波はほとんど同義であったわけで、地主神自身に安房(あわ)の一因があると思われる。そして夫妻は切なる思いを抱いて、安房から富士山を遥拝していたことになる…。
それは容易に想像できることだろう。
そして遂には、夫妻は富士朝高天原に出向き、自らの命と引き換えに御子を授かる祈願をした。当時の阿祖山太神宮初代大宮司はオオクニヌシであり、見事無事に御子アメノオシホミミを授かった。
〜三輪本現代訳『神皇紀』p48〜
『吾が子一神とてなし、子の無いものこそ、世に阿和礼なものはないであろうと涙を流して泣いておられた。故にその止まられた地を阿和礼住(アワレス)という。後に、高天原に止まり神祖神宗を祀られ、阿祖山太神宮に一命を捧げて祈願されると、十〆七日にして一男子が誕生された。御夫婦は、共に俄になくなられた。』
記載はこれだけ。
しかし…なんでこのタイミングで夫妻揃って死を迎えたのだろうか?。やはり富士朝側より自決を迫られたのだろうか?。それとも単なる自然死か???。いずれにせよマゴコロタケル夫妻は皇祖神であり、西国天皇勢力にとっても史上最大の事件だったことは言うまでもない。
だとすれば...、後世のフトダマ子孫(安房忌部)やタマノオヤ子孫(安曇系?)は朝廷の勅願があって、この重要祭祀を任されていたのではないだろうか?。さらにその皇家の子孫繁栄の信仰は、形を変えつつも比定神をもって、いまも何らかの形で祭祀し続けているハズだと。それが遺伝子・祖霊信仰の強い神道であれば尚更である。
ホツマツタヱのあわうたとかも、いろいろと調べ直す必要がありそうだな。
(´(ェ)`)
ワカヒルメ≒マゴコロヒメ説浮上?
ココからはさらに、素人オッサンの憶測が強くなるのでご了承ください。
m(__)m
結論から言えば松島毘女命ことマゴコロヒメとは、ワカヒルメではないか?と思っている。
(´(ェ)`)
ワカヒルメとは、宮下文書には登場せず。
稚日霊尊または稚日女尊と表記され、摂津国生田神社・紀伊国玉津島神社・志摩国伊射波神社の御祭神である。wikipedia生田神社によると、アマテラスと同一視されており和魂とも幼名ともいわれる。妹ともされる。紀伊一宮丹生都姫神社では、浜降り神事で玉津島神社へ神輿が渡御する経緯があり、御祭神が同一視されることがある。
ホツマツタヱでは、ワカヒメ(ホツマツタヱでは女神ヒルコ=タカテルヒメ=シタテルヒメ、みんな同一神)とも呼ばれる。男神アマテルの姉にあたる。
本ブログでは宮下文書版男神ヱビスが、男神コトシロヌシと女神ヒルコと混同されていると推測してきたわけだが…。紀伊国玉津島や淡津佐国麻賀多神社に祀られる理由がイマイチよくわからなかったのだ…。
それに…
やっぱり女神だなと…(´(ェ)`)
ゴメンナサイ女神でしたm(_ _)m
◯記紀版ワカヒルメ
『日本書紀』において、高天原斎服殿にて神衣を織っていた折、スサノオが皮を逆剥ぎにされた馬を投げ込んだ。彼女は機から落ち、持っていた梭(ひ)で身体を刺し死去する。この事件を受けてアマテラスは天岩戸に引き籠る。
『古事記』では神名は伏せられているが、天の服織女が梭で女陰(ほと)を傷つけて死んだとされている。
この斎服殿や服織女の記述からも、ワカヒルメが七夕信仰とリンクしているのではないかという説あり。忌部氏に関係する天棚機姫神(アメノタナバタヒメ)がこれらの織姫の総称?とする説もある。このあたりはまた別記事でご紹介する(予定)。
◯ホツマツタヱ七文ワカヒルメ
記紀の元ネタとして知られるのがホツマツタヱであり、多くのヒントが残されていそうだ。
まずソサノヲ暴動事件の被害者比定がワカサクラ姫ハナコとなる。アマテル十二妃南局の内侍であり、瀬織津姫ホノコの妹神にあたる。ワカサクラヒメはソサノヲと九頭竜モチコとの不倫関係を知り、姉神の瀬織津姫ホノコに密告した。その後たまたま斎衣殿で神御衣を織っていた折に、ソサノヲに斑の馬(太駒)を投げ込まれ圧死させられる。
ソサノヲはこれらの千座の罪から死罪が決定するものの、瀬織津姫の慎みにより助命され、四百座に減刑された。
〜ホツマツタヱ7文〜
まだととかねば
ころすとき むかつひめより
さおしかに うけものゐのり
よみかえす はなごのよもさ
うくのゐは さがおあかせよ
訳『ソサノヲを責めても、ワカサクラヒメハナコが浮かばれるものではない。ソサノヲが回生と償いをすることでハナコの恨みを解き、天へ召させる』
このとき瀬織津姫ホノコは意味深で不思議なことをいっている...。うけ(活)ものに祈り、蘇らす (蘇生させます)...???。諸説あるが意味は解っていない。
処刑を免れ、放浪の旅に向かうソサノヲは、最後に慕っていた姉神ワカヒルメに謁見する。しかしそれを姉は、弟が自国を奪いに来たと解釈して警戒感を露わにする。そんな姉に向かってソサノヲは次のような旨を宣言している。ここでもまた出生がテーマとなっている点に注目。
訳『オレは流浪の罪で旅に出る。根の国で妻を娶るだろう。子どもが女ならばオレは汚れているのだろう。男だったら清らかなこころが証明されるだろう…』
さらに…ここで六甲山と廣田神社に瀬織津姫、生田神社にワカヒルメが祀られた経緯を振り返ってみよう
〜ホツマツタヱ28文〜
またきさき ひろたにゆきて
わかひめと ともにゐこころ
まもるべし われはとよけと
をせおもる ゐせのみちなり
…
。
訳『…また后(瀬織津姫ホノコ)、ヒロタにゆきてワカヒメ(ヒルコ=ワカヒルメ)とともにヰココロ(妹心)守るべし、我はトヨケ(豊受大神)と背(妹背のおせ)を守る、妹背(いせ)の道なり…』
あらためて、瀬織津姫とワカヒルメとは、ヰココロ(妹心)の姉妹関係にあることに気付くわけだ…。妹背を語源としている伊勢祭祀においても瀬織津姫命はかつて内宮第一別宮荒祭宮祭神に祀られており、廣田神社御祭神の天照大神荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)と同神と解釈される。即ち、アマテラス妹ワカヒルメと、瀬織津姫妹ワカサクラヒメのシルエットが重なってみえるわけだ。そして注目すべきは...、ホツマ版アメノオシホミミの養母が、なぜかワカヒルメとなっている点だ!!。ホツマ版アメノオシホミミはアマテルと瀬織津姫ホノコの御子であるハズなのだが、まるで宮下文書版の親子関係を匂わせているかのようだ。これら宮下文書系譜に当てはめると、当ブログでは瀬織津姫=ツクヨミ妃『月桜田毘女命』と比定できる。富士朝統括者クニサツチ長男ウイジニの長女で、諱・葦津毘女命。その妹とは誰なのか?。アメノオシホミミの実母たるマゴコロヒメこと、九女・松島毘女命に他ならないのだ。
〜ホツマ妹背の道、宮下文書解釈?〜
▲アマテル (監督者?、最高神アマテラス)
▲トヨケ (クニトコタチ男系男遺伝子)
▲ワカヒルメ(松島毘女命?男系女遺伝子)
▲瀬織津姫 (月桜田毘女命?女系女遺伝子)
〜妹がキーワード〜
▲アマテラスの妹=ワカヒルメ
▲瀬織津姫の妹=ワカサクラヒメ
▲月桜田毘女命の妹=松島毘女命マゴコロヒメ
つまり『妹背の道』とは、宮下文書解釈のアマテラスとクニトコタチをメインとして、男系祖マゴコロヒメ✕女系祖月桜田毘女命を配祀した雛形。最高神アマテラスは、この婚姻計画の監督的意味合いもあるのだろう。
これが伊勢祭祀の本当の姿。
確かにホツマツタヱは伊勢祭祀の指針であり、妹背の道を知らずして伊勢は語れないというのはホントのところで…。朝廷はこれに託つけて、臣民の目から富士山を逸らす政策をとっていた。だからその背景を読み解くには、宮下文書の知識が必須となる仕組みだ。
(´(ェ)`)
ワクムスビ=マゴコロタケルの可能性?。
ではマゴコロタケル比定とは?。
ネット上にてマゴコロタケルの情報は皆無だ。ただおそらくはホツマツタヱ・記紀におけるアワナギではないかと推測している。
古事記比定では沫那藝神(あわなぎ)、日本書紀比定では沫蕩(あわなぎ)尊。日本書紀によると、クニトコタチ子孫の天万尊の御子であり、イザナギ父神とされる。ホツマツタヱによると、根国三州を治めていたイザナギとココリヒメの父神。
現在アワナギを祀る神社は非常に少ないが、福島県田村郡三春町 『沫蕩神社』の近くには桜川が流れており、その上流に瀬織津姫命を祀る『関場神社』がある。
個人的には、ワクムスビもあり得ると思っている。
ワクムスビも宮下文書には登場せず。古事記における和久産巣日神、日本書紀における稚産霊と表記される。タカミムスビとカミムスビと同じく『皇祖のムスビ』を強調している点にも注目、阿族の根源神を表しているのではないかと思われる…。
古事記では、カグツチを生んだイザナミは女陰(ほと)を火傷させ病に伏せる。その尿からミヅハノメが生まれ、ワクムスビが続いた。ここでも女陰と出生をテーマにした御神霊と推察できそうだ。
また食物(ウケ)の神でトヨウケヒメの父神にあたる。本来であれば、クニトコタチ夫妻はマゴコロタケルの祖父母。
それがなぜトヨウケヒメがワクムスビの御子とされてしまっているのか?。
宮下文書における豊受大神とは丹波国クニトコタチ夫妻のこと。伊勢神道でも外宮祭神を天御中主神や国常立尊としており、内宮より格上と主張してきた歴史がある。しかしながら記紀版クニトコタチとは、イザナギイザナミ国生み以前の『独神』の分類となるわけで矛盾が生じることになる。これを外宮社伝によるとアマテラスは丹波国比治の真奈井にいる御饌の神を侍女のように外宮に呼び寄せたと言い訳している。あくまでアマテラスより、格下である政治的事情があったようだ。それ伴いトヨウケヒメという新しい女神が誕生させる必要があったのではないかと…。
前述のようにマゴコロタケル事件そのものが、伊勢祭祀を誕生させた発端と考えれば、ワクムスビがトヨウケヒメを誕生させたというロジックが成り立つ。ワクムスビはトヨウケヒメの父神であると、序列が逆転しているのはこのあたりではないだろうか?。
※因みに、日本書紀版神世七代に多い夫婦の概念を持たない『独神』は、歴史改竄に伴った附会とみられる。記紀的には、男女の概念を生んだのはイザナギ・イザナミとされている。いつの頃からか富士朝のカップリング祭祀は、火神と水神祭祀は別々にされるようになった。
麻賀多神社の御祭神の正体?
もうお気づきの方もおられると思うが、ワクムスビとワカヒルメというコンビネーションは日月神示発祥地・麻賀多神社の御祭神なのだ。もともとは印旛国における伊勢の遥拝所であった点にも注目。前述のようにワクムスビ=マゴコロタケル?の存在が、妹背の道と伊勢祭祀を成立させたことを暗示させているのかもしれない。
さらに、前記事て紹介したクニトコタチ本拠地レイラインとクニサツチ本拠地レイラインのクロスポイントとなる。前記事では、宮下文書における勾玉が日輪と月輪をモチーフにしていることをご紹介したが…。ここからアマテラスとツクヨミが主導した、マゴコロタケル夫妻に端を発した神皇改革、クニトコタチ男系とクニサツチ女系の統合であることを再確認させてくれる。詳細は下リンクより↓。
〈日月神示✕宮下文書〉日月の統合?、クニトコタチ男系とクニサツチ女系遺伝子の関係。 - セキホツ熊の謎を追え!
◯本宮『麻賀多神社』(千葉県成田市台方)
〜御祭神〜
▲麻賀多神社本宮(ワクムスビ)
※本宮摂社として天日津久神社
◯奥宮手黒社『麻賀多神社』(千葉県成田市船形)
〜御祭神〜
▲麻賀多神社奥宮(ワカヒルメ)
※ネット情報によっては、本宮ワクムスビも祀られているらしいが...。
※※本宮奥宮の共通点として、どちらも摂社祓戸社に祓戸四柱を祀る点に注目。
12代景行天皇42年、杉の幹に鏡を懸け、インバノクニタマオキツカガミと崇めて祀る。前述のように当初は伊勢の遥拝所であったようだ。神社近くには八代玉作遺跡があり、玉造の地名どおり管玉や工房が発掘されている。
※12代景行天皇は、ヤマトタケルを東征させ富士朝を弾圧、ホツマツタヱの編纂を命じた人物ともいわれる。
15代応神天皇20年、神八井耳命8世孫の印旛国造・伊都許利命が社殿を造営、その鏡を神体としてワカヒルメを祀った。さらに杉の木の下から7つの玉を掘り出し、それを神体としてワクムスビを併せ祀った。この掘り出したマガタマが転じて麻賀多(マカタ)大神となった。
※応神天皇は富士朝回帰を試みた人物、宮下家祖。
また注目すべきは、麻賀多神社と武蔵一宮小野神社の共通点として、『太田家』が宮司を継承してきた点。これは応神天皇根鳥皇子25世孫・太田真長の子孫、室町時代に武蔵一宮小野神社を崇敬していた太田道灌の同族ではないだろうかと推測する。自ずと両社ともに富士朝色が強かったのではないか?と…。その証明になるかは不明だが、両社レイライン上には太田道灌創建や親族に因んだ社が多い。
宮下文書古代神道での各地の祭祀順位を考えると…、まず神代からの地主神やニニギ勅定十七歳軍神などを優先させている節がある。それに沿って男神女神、火神水神、ヒメヒコ双神祭祀となる。だとすると…淡津佐国内の麻賀多神社にて、地主神マゴコロタケル夫妻が祀られていたのは、ごく自然な状況だったと思える。
(´(ェ)`)
〈おまけ〉玉津島の妹背山が熊オッサンを導いてくれた?
考えてみれば...。
今回の記事のきっかけは今年GWの紀伊国玉津島神社にあった。御祭神ワカヒルメから、なんとなく和歌のインスピレーションを得たことに始まる。熊オッサンは霊感とかチャネリング能力はないのだが...、ただなんとなく和歌浦の語源である和歌が気になっていた。それしかいいようがなかった。
半信半疑のまま柿本人麻呂死亡地『鴨山』を調べてみようと思った。まず鴨山が安房鴨川とレイラインで結ばれていることを知ることになる。そして『妹背』を調べるきっかけともなった。さらに今回はワクムスビとワカヒルメを調べるきかっけともなった。そして今回は麻賀多神社と鴨川松島『弁天島』を旅行してきた。
2024年1月1日の能登半島地震からここまで、旅行とインスピレーションと記事進行がすべて連動していたことに気付かされるわけだ。
ま、偶然なんだろうけどね…(´(ェ)`)
2024年8月10日麻賀多神社参拝。あとから調べてみたらこの日は旧暦の七夕だった…。
熊オッサンはカレンダー通り仕事をしており土日祝しか旅行はできないのだが、これもシンクロニシティなのか?。熊オッサンの誕生日はライオンズゲート前日8月7日、おおよそ旧暦の七夕。私の父は陶芸を趣味にしており、私の母は機織りを趣味にしており、子供の頃から織り機や糸紡ぎの独特なビートを聴かされて育ってきた。
ま、偶然なんだろうけどね…(´(ェ)`)
日月神示に『立秋過ぎたら訪ねて参れ』との旨あり、熊オッサンは毎年8月7日か8日以降に麻賀多神社へと参拝するようにしている。今回で多分7回目。
まずは『見守ってくださってありがとうございます、皆さんのおかげでここまでたどりつきました』と…御礼を申し上げる。このときは他の人がなんと言おうと、私にとってこれが一番シックリくるご挨拶であった。うまく説明できないが、ここまでの記事と偶然の連続は、素人オッサンだけでは絶対無理...。もうそれは痛感していた。神の仕組みというのは偶然と必然のらせん構造、本当によくできていると...。今回の参拝はまた一段と独自補正がかかっており、その御祭神の正体をマゴコロタケル夫妻ではないかと勝手にドキドキしながら参拝してしまった。だからこそより一層涙溢れる参拝となってしまった。
なんという因果だろう...、これが日月神示曰く『元の世からのしくみ』なのか?。これほど夫妻に相応しい神社は無いだろう?。
夫妻は…。なんのために出会ったのですか?、なんのための悲劇だったのですか?、それがなんの因果で、こんな結末となってしまっているのか?。あの世でその答えを知ることが出来たのでしょうか?。あなたがたはどんな気持ちで待ちつづけてきたのですか?。目の前の現代日本人を、逞しく、頼もしく、勇ましく感じているのでしょうか?。
いやもしかしたら、夫妻の正体を知る者の到来を待ちつづける事こそが、彼らの『答え』だったのかもしれない。最近よく思うのだが、日月神示の元の世の神々の御役・本分とは、彼らが残してきた遺伝子を見守ることにあったのではないかと。だから夫妻にとっての答えは、未だ未だ人間の側にあるということ。クニトコタチさまもクニサツチさまも、その答えはいつか子孫と共に分かち合うつもりなのではないかと。
そして、この世が終わっても魂の探求は続くということ...。
熊オッサンの旅はまだ始まったばかりである(´(ェ)`)
※地図はクラフトマップ使用。