2024,11,10
先週の連休は常陸国へ行ってきました。そこに至るまで紆余曲折あったのですが…、決意したのはほんの3日前。きっかけはグーグルマップで、偶然マゴコロ夫妻神らしき痕跡を見つけてしまった…。しかもこれがレイラインとなっている…。
熊『筑波山か…』
熊『楽しそうだなぁ〜』
声『じゃろ?』
北関東は宮下氏族吉田家ゆかりの地でもあり、謎の神社がいっぱいあります。ついでに茨城県内水戸・大洗・新治をグルっと回ってきたので、機会があればご紹介します(別記事)。個人的には2018年にバイクで筑波山と桜川周辺を参拝していたのですが…。今回は筑波山登山が目的、しかも東南〜西北へ縦断したかったので、東京から始発電車とバス・徒歩でめぐりました。
というか歩いてヘトヘトになるの好き...。
コスパというか、こんな一日使った贅沢はないと思うんだよね。
ま理解されないですけどね~(´(ェ)`)
~目次~
- 筑波山と男神女神信仰
- 宮下文書における常陸筑波。
- 宮下文書版イザナギとイザナミ
- ホツマツタヱ版筑波山と、イザナギ・イザナミ。
- 和歌の神ワカヒルメ、五七調・陰陽調和の意味。
- 妹背とヒルコの伝承とは、やはりクニトコタチ男系とマゴコロ夫妻事件を隠すため?
- 筑波山に呼応する、ワカヒルメとワクムスビの陰陽調和レイライン?。
〈東国祖家大国〉瀬織津姫・稚日女命・丹生都姫も祖家女系だった?。忌部は隠蔽された皇族史を祀っていた。 - セキホツ熊の謎を追え!
日本武尊『吾嬬惣国』伝承、弟橘媛と封印したマゴコロタケル夫妻への手向けだった?。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈日月神示✕宮下文書〉淡津佐地主神マゴコロタケル夫妻と、麻賀多神社の御祭神の真相。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈宮下文書〉妹と伊勢の語源?、ホツマツタヱ『妹背の道』から紐解く伊勢神宮の日月祭祀。 - セキホツ熊の謎を追え!
筑波山と男神女神信仰
筑波山は『西の富士、東の筑波』と称され、最も標高が低い百名山として知られる。wikipedia筑波山によると、開山以来結界?が張られており、山中の万物が御神体。筑波山は西峰・東峰からなる双耳峰であり、男体山は禁足地、女体山は開放地という特性があった。
常陸国風土記によると、ホツマツタヱが編纂され始めた10代崇神天皇時代まで、当地を紀の国(きのくに)と称しており、筑箪命(つくはのみこと)を国造に派遣している。
◯筑波山神社(茨城県つくば市筑波)
〜御祭神〜
- 伊弉諾尊
- 伊弉冊尊
〜摂社〜
- 稲村神社(天照大御神)
- 安座常神社(素盞鳴尊)
- 小原木神社(月読尊)
- 渡神社(蛭子命)
※記紀におけるイザナギ・イザナミ家族神
〜筑波山神社御祭神〜
▲男体山:筑波男ノ神(イザナギと解釈される)
▲女体山:筑波女ノ神(イザナミと解釈される)
・六国史曰く筑波男神・筑波女神。
・神祇宝典曰く、一社者日本武尊、一社者弟橘比売也、俗に陰陽二柱尊。
・常陸国二十八社考と筑波山神社明細調書曰く、伊弉諾尊在陽峯・伊弉冉尊在陰峯。
・神名帳考証曰く、陽峯埴山彦神・陰峯埴山姫神。
社伝筑波山縁起によると、国産みの際、イザナギイザナミが誕生させたオノゴロ島にあたるという。つまり祭祀的には、淡路島と近いということではないだろうか?と。通説オノゴロ島比定地は諸説あるが、暗に淡路島発祥のクニトコタチ男系の存在を示唆していそうだ。
調査中(´(ェ)`)
現在六国史に基づき、イザナギとイザナミを祭祀している。これはかつて山麓にあった筑波総社『六所皇大神宮(靈跡)』の影響もあるのではないだろうか?。というのもこの総社には神武天皇時代創建、イザナギ・イザナミの2座、アマテラス・スサノオ・ツクヨミ・ヒルコの4座の家族神が揃って祀られていた。これらは現在の筑波山神社摂社の御祭神と合致している。時系列的に言うと、もともと神武朝時代に筑波山麓に六所皇大神宮があり、富士朝太神宮の名代として、イザナギ・イザナミが祀られていたのはその影響もあるのではないかと...。
801年(大同元年)には坂上田村麿が宝剣や神鏡を六所皇大神宮に奉納しており、これもやはり800年富士山の延暦噴火鎮魂祭祀と見るほうが妥当だろう。
明治時代に全国神社統廃合が進み、当初は廃社。神霊は南の13代成務時代創建、ワクムスビを主祭神とする『蠶影神社』に遷座合祀された。
蠶影神社については後述します。
(´(ェ)`)
宮下文書における常陸筑波。
宮下文書三輪本現代訳では筑波山の関連記載は無し。しかしこの東国(東洲)は高天原天神七代時代ウイジニ・スイジニの管理下のハズである。月桜田毘女命や松島毘女命の親神であり、関東平野のどこかに拠点を持っていたとみている。個人的には、櫻川磯部稲村神社から流れた桜川河口が気になっており、かつては縄文海進は筑波山の南麓付近まで内海(現在の霞ヶ浦)が迫っていたようだ。
調査中(´(ェ)`)
〜クニサツチ第一王子〜
▲泥土煮尊(ウイジニ、日本比古尊)
▲大原比女尊(スイジニ)
〜御子〜
△嫡男・火之燿土命(ホノカグツチ)
△一女・葦津毘女命(ツクヨミ妃・月桜田毘女命)
△九女・松島比女命(真心合比女尊)
※ウイジニ・スイジニは長寿だったらしく、晩年は富士朝に戻っていた可能性あり。それぞれウイジニ123030日、スイジニ151000日生きて、富士朝小室山に埋葬されたという。
その後ニニギ外寇親征の役の論功行賞により、祖家系統タケミカヅチ勢力に統治されており、これが全51代ウガヤフキアエズ時代を経て、12代景行時代ヤマトタケル東征まで続いたとみている。
またヤマトタケル一行が新治(ニハリ)を目指していたことは明らか。ただこの新治比定地は諸説あり。16代仁徳時代以降は『吾嬬惣国』として東西は分断統治されており、富士朝2代宮下源太夫明政の第三王子・吉田三摩古彦が日太地国造となった。宮下氏族吉田家『那珂氏』の祖先である。後世平安期に栄えた佐竹氏も富士朝色が強かったのでは?とみている。
宮下文書版イザナギとイザナミ
宮下文書版イザナギとイザナミは、クニサツチ系男系とクニトコタチ女系の婚姻であり、高天原後継者であった。クニトコタチ御子は二柱しかおらず、娘である白山比女尊(イザナミ)は、クニトコタチ第一拠点であった淡路島付近で生まれた可能性あり。副元帥として阿祖北地方を巡狩しつつ治めていた。彼女の崩御後に、阿祖北石川の『白山比咩神社』が創建されたのはこのため。おそらくクニトコタチ女系遺伝子菊理比売命(ククリヒメ)に比定される。
〜宮下文書版イザナギ・イザナミ〜
▲イザナギ=クニサツチ男系御子
▲イザナミ=クニトコタチ女系御子、白山比女尊
それから、クニサツチ第五王子イザナギと婚姻し西洲(詳細不明)を治めた。ここで、先代クニサツチ夫妻の富士朝を継承する運びとなったのであろう。クニサツチ夫妻が全国巡幸をしたことを習って、四方州々で国を興し四海を平定した。このようにイザナギ・イザナミの痕跡は全国にあってもおかしくはない。
巡幸を終えた夫妻は富士朝高天原に帰還し、日向の小室(山梨県富士吉田市、北東本宮小室浅間神社・古宮付近)に戻り、アマテラス・ヱビス・ツクヨミを生んだ。
夫妻は富士朝祭祀に関しては草分け的存在。高天原日向の大御宮を拠点として、夜ごとに火を焚き祖霊を弔い祀ったことから崩御後に高燈大神と称された。それを長女アマテラスが継承、阿祖山太神宮を創建し、祭祀として昇華させた。
後世にイザナギ曾孫イワナガヒメ婿にあたる、2代大宮司タマノオヤら家族神が、富士朝祭祀の遙拝所として熊野三山を創建した。どうやらホツマ成立頃にはタマノオヤ子孫が衰退をしてたようだ。その痕跡を隠すため熊野信仰イザナギ・イザナミ・スサノオを祀るように変更されてしまっていることになる。
※那智大社・速玉大社から、阿祖山太神宮古宮と筑波山女体山御本殿にドンピシャ。
※※熊野本宮・速玉大社からは、紀州東照宮・和歌浦玉津島~淡路島~出雲一宮熊野大社へレイラインを形成する。
では熊野神として、イザナギ・イザナミを祀る意味とは?。
それは富士山御祖霊祭祀と全く同義なのだ。
前述の『六所皇大神宮(靈跡)』とは、神武時代創建当時は、阿族御祖霊祭祀の名代として富士朝祭祀創始者イザナギ・イザナミを祀っていたとみられる。その理由も上記レイラインにも示されている気がする。前述したように筑波山麓は紀の国とよばれていたわけで...、山麓にある小沢熊野神社由緒書きによると、中世から熊野信仰が盛んで、在地修験者が有力者を紀州熊野詣へ募っていたという。
ホツマツタヱ版筑波山と、イザナギ・イザナミ。
近年発見されたホツマツタヱ完本により古代史解釈が飛躍的に進んだ。
ホツマツタヱ2文によると、イザナギ・イザナミ夫妻は、ツクバにイサ宮を建てたとある。そしてなんと長女?ヒルコ(ワカヒルメ)はこの地で生まれたと明記されているのだ!!!。
(´(ェ)`)
〜ホツマ版イザナギ・イザナミ〜
▲イザナギ=アワナギ長男。ウヒチニ・スヒチ曾孫、ココリ姫(ククリヒメ)弟。
▲イザナミ=トヨケ娘(宮下文書と同じ)
しかしココリ姫とは別神と解釈されている。
※興味深いことにイザナギは、根の国を治めたアワナギの息子でありウビチニ・スビチニの孫、越の国(根の国)で生まれたのではないかとみている…。さらに最終的には淡路島アワヂの宮にて神上がる。
※ホツマ版ウヒチニ・スヒチ=宮下文書版ウイジニ・スイジニ
ホツマツタヱにおける神朝拠点は『移動式』。遊牧民式に各地を移動させながら開拓をしている。一般的に古代縄文人は、定住を基礎としながら狩猟・漁・開拓をしてきたわけで、なぜこのような遷宮の政治形態がまかり通るのかは謎。
思うに、ホツマツタヱ史観は富士朝〜ウガヤフキアエズ全51代をゴッソリ欠史にしているわけで、彼らは約2600年以上にわたる歴史的空白を、各地に残る開拓痕と結びつける必要があったわけだ。つまりは後世の権力者のご都合主義、辻褄合わせ、政治的策略でもあるのだろう。
ただホツマツタヱの深読みの仕方として…。実際イザナギらが実際関与したわけではなく、ホツマツタヱが編纂された景行年間?までに、下記拠点が興亡したくらいに考えていればいいと思う…(苦笑)。
〜ホツマツタヱのありえない遷宮史〜
- イザナギ→多賀大社・筑波山・淡路島
- アマテラス→富士山・伊勢・籠
- アメノオシホミミ→日高見・多賀・箱根
- ニニキネ→滋賀・筑波新治・二荒山・高千穂峰
- クシタマホノアカリ→大和飛鳥
- ヒコホホデミ→宇都宮・大津・敦賀・鹿児島・阿蘇・筑紫
社伝筑波山縁起によると、国産みの際の両神が誕生させたオノゴロ島≒筑波山にあたるという。唐突すぎる内容だが、これは一体何を意味しているのか?。個人的には、マゴコロ夫妻を指しているように思えるのだ。
記紀における『オノゴロ島』は諸説あり、比定地は淡路島や伊弉諾神宮の周辺にあったとされる。本居宣長『古事記伝』曰く、淡路島北端にある絵島と見立てている。近くには『岩樟神社』がありイザナギ・イザナミ・ヒルコ三柱が祭られる。約2000万年前の砂岩層が露出した岩盤を持つ。
そもそも宮下文書版淡路島とは、クニトコタチと、その御子トヨクムヌの歴史があったわけで、そのさらに御子がマゴコロタケル(阿和武命)が東国安房(あわ)国へ拠点を移した。これらを欠史にするために、通説記紀ではイザナギ・イザナミ名代に置き換えられた。何故ならば、祖霊祭祀を保ちつつ、この壮大な史実だけを一気に歪める必要があったからだ。
現在、伊弉諾神宮に両神が祀っている理由は、隠された西国クニトコタチ男系淡路島発の歴史を、東国クニサツチ女系マゴコロアイヒメと絡めて、クニトコタチ・クニサツチの御子夫婦としての名代守護が必要なのだろう。
和歌の神ワカヒルメ、五七調・陰陽調和の意味。
wikipedia筑波山神社のように、御神体の山を陰陽祭祀として捉えているのであれば、ホツマツタヱの影響が色濃く残っているの可能性が大きい。それもそのハズで…、ホツマ版イザナギとイザナミは陰陽を調える神として語られているのだ。
〜五七調『アワのうた』〜
アカハマナ イキヒニミウク
フヌムエケ ヘネメオコホノ
モトロソヨ ヲテレセヱツル
スユンチリ シヰタラサヤワ
※調律のうた。子供教育に用いられた、言語教育をしつつ自然との調和を増進させるという。
ご存知のようにホツマツタヱは五・七調の連歌で綴られており、この陰陽の節をうまく調整すれば万物は整う。両神のこのようなたゆまぬ努力があったからこそ、最高太陽神アマテルが誕生したというのだ。
それまでには幾多の試練があった。3文によると、まず夫妻はヤヒロ殿(オノコロ)の中柱を巡って初子を身籠った。しかしこの陰陽の節を狂わせてしまったがために、このヒヨルコは未熟児(不具の子)となり死産してしまったという。遺体は葦船に乗せて海へ流し、そこは淡路の宮と言われた。ヒヨルコは死産であった故に子の数には含まれておらず、おそらく記紀ヒルコはヒヨルコとも混同されていると思われる。
~ホツマツタヱ3文~
うはひはらめど
つきみてす ゑなやふれうむ
ひよるこの あはとながるる
これもまた このかすならず
あしふねに ながすあはやち
~同3文~
このふたはしら
うむとのは あまのはらみと
つくばやま あはちつきみす
くまのなりけり
〜イザナギ・イザナミの生んだ神々〜
- 天の孕み…アマテル
- 筑波山…ヒルコ=ワカヒルメ
- 淡路島…ヒヨルコ
- 筑紫つきすみの宮ツクヨミ
- 熊野…スサノオ
次にこれとは別の子でヒルコが誕生した。ヒヨルコは死産のため人の子として含まれず、記載によってはヒルコを初子と解釈している。この生誕地がなんと、両神新婚生活の地である筑波の『イサの宮』なのだ。別名ワカ姫、ワカヒルメである。筑波山麓桜川は、ホツマツタヱではイサ川と呼ばれていたという。また後世にワカヒルメを祀る志摩一宮『伊射波(イザワ)神社』も、筑波山イサ宮を彷彿とさせるネーミングである。
しかしイザナギ42歳、イザナミ33歳という陽陰の節に当たり、娘に汚穢が障るのではないか?と危惧された。ホツマツタヱ曰くこれが厄年の起源だという。泣く泣く…幼い我が子をイワクス船に乗せて流すことになる。両神からは事前に申し合わせていたようで、カナサキの夫妻に拾われて。西国の西殿(兵庫県西宮市社家町『西宮神社』比定)で育てられる。
~ホツマツタヱ4文~
いさなぎは あめおしらする
うつのこお うまんおもひの
ますかがみ まてにひるつき
なつらえて かみなりいでん
ことをこひ
陰陽と五七調を調えることで万物はうまくいく。これらの不幸を乗り越えてようやくアマテラス(男神版)誕生へ。両神はあらためてハラミ山(富士山)で男子の誕生を祈願する。両手に持ったマス鏡を日と月の『陰陽の節』に擬えて、天を治めるほどの日嗣を待ち望んだ。こうして生まれたのが男神アマテラスであった。
この辺りは、宮下文書版マゴコロ夫妻が富士山に出向いて、太神宮御祖霊と対面して、あらためて子宝を祈願し直した記載を彷彿とさせる。夫妻が陰陽の調和に気づき、整えたのだ。
そもそも宮下文書には、女神ヒルコもヒヨルコも登場しない。そしてホツマツタヱ版ヒルコとは、和歌の語源たるワカヒメ・ワカヒルメのことなのだ。記紀ではアマテラスが女神に再修正され、姉神二柱が同一視され、附会と統合が繰り返されたと思われる。いつしかワカヒルメは、五七調を調える和歌の権化と解釈されていった。そう考えると和歌山県和歌浦『玉津島神社』と、伊勢の根幹『妹背の道』が歌人から愛されることになったのも合点がゆくであろう。
(´(ェ)`)
妹背とヒルコの伝承とは、やはりクニトコタチ男系とマゴコロ夫妻事件を隠すため?
結局この記紀版ヒルコの出産をテーマとした神話は、一体何が言いたいのだろうか?。回りくどい神話のようだが、宮下文書に比定すると、淡路島から端を発した世継ぎ問題『マゴコロ夫妻事件』を想起させるのではないかと…。
ここでマゴコロ夫妻事件をおさらいすると…。
淡津佐国クニトコタチ孫マゴコロタケルに御子が産まれず、富士朝阿祖山太神宮へ祈願、苦難の末に御子アメノオシホミミを授かった。無事出産後、夫妻はなぜか揃って命を落とした(死因不明)。遺児アメノオシホミミは女神アマテラスの養子となったと推測する。
すなわち誕生の苦労を一身に受けたホツマ版ワカヒルメに、出産の苦労を重ねた宮下文書版マゴコロアイヒメが投影されている。
〜ワカヒルメとは〜
- ヒルコ
- ワカヒルメ
- 宮下文書版マゴコロアイヒメ
- 瀬織津姫命の義姉・ワカヒメ
- 瀬織津姫命の妹・ワカザクラヒメ+地返しの玉?
- 月桜田毘女命の妹・松島毘女命。
- 西宮ヱビス信仰も???
〜ワカヒルメを祀る社〜
- 玉津島神社
- 生田神社
- 伊射波神社
- 麻賀多神社(船形奥宮・手黒社)
〜伊勢神宮の原型『妹背の道』〜
▲豊受大神(クニトコタチ皇祖男系男遺伝子)
▲稚日女命(クニサツチ皇祖男系女遺伝子松島毘女命)
▲瀬織津姫命(クニサツチ皇祖女系女遺伝子月桜田毘女命)
▲月神ツクヨミ(クニサツチ皇祖女系男遺伝子)
▲日神アマテラス(岩戸=欠史とされたクニトコタチ男系史の管理者?、真相の開示者???)
〈宮下文書〉妹と伊勢の語源?、ホツマツタヱ『妹背の道』から紐解く伊勢神宮の日月祭祀。 - セキホツ熊の謎を追え!
〜宮下文書の日月の関係〜
▲日の神=クニトコタチ男系
▲月の神=クニサツチ女系
※ウビチニ=ウイジニのこと。
このように筑波から西宮へ流されたヒルコ伝承自体も、二転三転したようだ。絵島に祀られたヒルコは、西宮神社へ流れ蛭子大神=ヱビス信仰と結びついたという伝承もあり。さらにこの西宮神社から勧請された越木岩神社には、女陰をかたどった『甑岩』があり、近年ワカヒルメと書いてあったのが見つかったという…。さらに西宮神社は、瀬織津姫を祀る廣田神社の旧摂社であったようだ。ここにも妹背のコンビネーションが見られるわけだ。結局これはアマテラスの遺言により、瀬織津姫がワカヒメ(ワカヒルメ)とともに『妹背の心』を守るべしと言われた為。これが新しい伊勢神宮の真髄であった。今考えるとこれは…、西国天皇勢力による歴史改竄『妹背の道』を守るべしという意味にも聞こえる。言わずもがなこの妹とは、月桜田毘女命の妹・マゴコロアイヒメである。
しかし真相を知る者にとっては所詮ウソなわけで、そこからさまざまな思惑がせめぎ合いがあり、対立に疲れて落としどころを見つけたのだろう。神道にも様々な解釈が生まれては消えたが、どんな理由であれ人々が祈りを止めることはなかった。
前記事ではヱビス=ヒルコではなかったとして、熊オッサンが記事上謝罪したわけだが…。実は、熊オッサン自体が二転三転してしまっている件。
淡路島の蛭子伝承の如くグルグル。まことに申し訳ありませんm(_ _)m。
厳密に言うと、宮下文書版男神ヱビスを巻き込んで、ホツマツタヱ版ヒルコが誕生したのではないかとみている。通説ヱビスもワカヒルメも、ワダツミ(ワダツミ系忌部氏)の関与が見られるために、同一化された感はある。
…そもそもオノゴロとマゴコロ。…似ているような気もするんだけど。
(´(ェ)`)
筑波山に呼応する、ワカヒルメとワクムスビの陰陽調和レイライン?。
『常陸国風土記』によると。神祖尊(みおやのみこと)が新嘗の日に富士山を訪ねた。しかし富士山の神は新嘗祭で忙しいからと一夜の宿を断った。次に筑波山に宿を乞うと、新嘗祭の多忙にもかかわらず快諾してくれた。以降、富士山は雪に覆われて登山者も少なく険しい山となり。筑波山は歌垣(かがい)が行われ賑やかな山となる。それは近隣から男女が集い、和歌で掛け合い、結ばれる出会いの場所でもあった。
同時に本年の収穫を祝う意味合いもあった。現在の筑波山北麓の歌姫明神は、その歌垣の一部が行われていた場所ともいわれる。
◯『歌姫(うたづめ)明神』(茨城県桜川市真壁町羽鳥)
〜御祭神〜
- 住吉明神
- 菅原道真公
※または稚日女命?
※※創建不詳、なぜワカヒルメが祀られているかもわかっていない。
※ホツマツタヱ版カナサキとは金折命のこと。住吉大社で住吉神を祀り始めた人物で、速開都姫アキ子の父神。筑波から西宮へ流されたヒルコを保護した人物でもある。因みに宮下文書版住吉神とは、ウガヤフキアエズ52代に塗る予定だった五瀬命のこと。初代神武天皇の皇兄にあたる。神武東征にて無念の死を遂げたことに因む。
※※保護されたのがヒロタ(廣田神社)、つまり拾った子という意味。
前記事をおさらいすると…。ワクムスビ・ワカヒルメというのは、日月神示発祥地『麻賀多神社』の御祭神コンビネーションである。そして当ブログでは、このワクムスビ・ワカヒルメはマゴコロタケルとマゴコロアイヒメ比定ではないか?と考えている。
そして今回見つけたレイラインは、なんと…この二柱『蠶影神社』『歌姫明神』が筑波山を挟んで、『麻賀多神社』群とレイラインを形成しているのだ。注目すべきは蠶影神社の祭神表記、和久産巣日神を『稚産霊神(ワカムスビ)』としている点。ワカムスビとワカヒルメであり、この二柱が日月陰陽の夫妻神である確証を得た気がする。
※麻賀多神社は成田市佐倉市に複数あるので注意。
〜マゴコロ夫妻神〜
▲真心武命(阿和武命)
アワナギ?ワクムスビ?ワカムスビ?
▲真心合比女命(松島比女命)
ワカヒルメ?ワカヒメ?ワカザクラヒメ?ヒルコ?
〜筑波麻賀多レイライン〜
- 大内廃寺跡遺跡
- 大前神社(式内社、平将門祈願)
- 大国玉神社(式内社)
- 高久神社(天日鷲命)
- 八柱神社(廃寺の金剛院聖天堂跡)
- 羽鳥天神塚古墳(大野天満宮旧跡地)
- 歌姫明神(ワカヒルメ)
- 筑波男体山御本殿(イザナギ)
- 筑波山神社
- 蠶影神社(蚕影山神社、ワクムスビ)
- JAXA筑波宇宙センター
- 柏田神社(807年大同2年創建)
- 女化神社
- 八坂神社(龍ヶ崎鎮守社)
- 蛟蝄神社 (龍ヶ崎奥の宮)
- 麻賀多神社(ワクムスビ、飯野)
- 麻賀多神社(ワクムスビ、佐倉)
- 麻賀多神社(ワクムスビ、城)
- 皇産霊神社(皇産靈命、佐倉市飯塚)
- 鶴枝八幡神社(平将門射殺の弓を奉納)
- 皇産霊神社(タカミムスビ、いすみ市神置)
※同レイライン上には羽鳥天神塚古墳(大野天満宮旧跡地)があり、歌姫明神は『大生郷天満宮』(茨城県常総市大生郷町)の関係地といわれる。平安時代、この地に赴任した菅原道真の三男景行が、菅原道真の遺骨を埋葬した。遺骨はその後大生郷天満宮に移されたとのことだが、こちらもまた別のレイラインを形成しているのは興味深い…(別記事にて予定)。
声『どうじゃ、ワクワクするじゃろ?』
熊『...』
筑波山北斜面からは男の川と女の川があり、利根川水系桜川へ合流する。その合流ポイント付近に歌姫明神がある。桜川上流には天台宗『月山寺』や鏡神・瀬織津姫命を祀る『櫻川磯部稲村神社』があり、鏡ヶ池を水源とする。ホツマ成立ヤマトタケル東征時代に創建された桜川市真壁町長岡『加波山神社 真壁拝殿』は、神託により天御中主神・日の神・月の神を祀っている。
これを前述ホツマツタヱ4文記述からの解釈と照合すると…。筑波山のイザナギ・イザナミは、陰陽の節を整えるためにマス鏡(瀬織津姫命と桜川)を持って、日神と月神を祀る。筑波山周辺の祭祀はそれを具現化しているフォーメーションとなる。
ただこの壮大な神道体系も、実際ボッチで筑波山を眺めながら、太陽を仰ぎつつフラフラ現地を歩かねば気付かなかったとおもう(苦笑)。
次回は桜川神社めぐり記事を予定(´(ェ)`)
※地図はクラフトマップ使用。