2024,11,24
前記事の続き、2024年11月常陸国筑波山と桜川を巡ってきた。今回はその補足記事のつもりだったのですが…、芋づる式に色々なことがわかってきたので追記します。
そして…実は2018年5月に東国三社を回った折、遠征して桜川市内神社を数社巡っていた。あの時、知識不足の為にわからなかったことがたくさんあった。今になって『なるほどそう言うことだったのか!』と再発見できる旅にもなりました。今回は過去体験談も交えてご紹介します。
桜川の下流域神社から上流域へと説明。
(´(ェ)`)。
〜筑波桜川巡り2024年11月〜
- 蠶影神社(ワクムスビ、総社合祀)
- 飯名神社(ウケモチ)
- 月石水神社(イワナガヒメ)
- 筑波山神社(筑波男ノ神、筑波女ノ神)
- 男体山御本殿(筑波男ノ神)
- 常陸帯神社(長道磐神)
- 女体山御本殿(登山者渋滞につき断念)
- 歌姫明神(ワカヒルメ?)
- 八柱神社(嵯峨大覚寺末寺、金剛院聖天堂跡)
- 雷神社(807年上賀茂合祀、別雷大神)
- 后神社(平将門妻・君の御前)
- 大国玉神社(東に男体宮、西に女体宮)
〜常陸国巡り2018年5月〜
- 蚕霊神社(オオゲツヒメ、金色姫伝承)
- 八巻神社(八幡太郎義家による伊豆山勧請)
- 船宮神社(806年創建、富士朝熊野レイライン)
- 櫻川磯部稲村神社(伊勢内宮荒祭宮・瀬織津姫命)
- 鴨大神御子神主玉神社(別雷命)
- 稲村神社
〜宮下文書版、妹背比定『桜姉妹』?〜
▲月桜田毘女命(ツクヨミ妃)
葦津毘女命、瀬織津姫命?、オオゲツヒメ?
▲マゴコロアイヒメ(マゴコロタケル妃)
松島毘女命、ヒルコ、ワカヒルメ、ワカザクラヒメ、ヱビス信仰の一部?
説明が長くなってしまうので、以降『桜姉妹』として語らせていただきますm(_ _)m。
~目次~
- 常陸国養蚕信仰、オオゲツヒメとワクムスビ。
- 男の川と女の川は、歌姫明神で統合する。
- ホツマと妹背は一体何がやりたかったのか?
- 桜川大国玉神社の男女信仰
- 桜川で荒祭宮『瀬織津姫命』を祀る理由。
- 謡曲『桜川』は常陸国の見立て?
- ウガヤ朝51代を誤魔化すための、日向と常陸の『桜川』入れ替え作業
- 〈年末総決算〉『松島』とはやっぱりあの神様だった?
- 〈おまけ〉東洲ウイジニ・スイジニの拠点はどこか?。
〈妹背解明〉ヒルコ筑波山誕生説と、ワクムスビとワカヒルメの日月神示レイライン。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈日月神示✕宮下文書〉淡津佐地主神マゴコロタケル夫妻と、麻賀多神社の御祭神の真相。 - セキホツ熊の謎を追え!
日本武尊『吾嬬惣国』伝承、弟橘媛と封印したマゴコロタケル夫妻への手向けだった?。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈宮下文書〉妹と伊勢の語源?、ホツマツタヱ『妹背の道』から紐解く伊勢神宮の日月祭祀。 - セキホツ熊の謎を追え!
常陸国養蚕信仰、オオゲツヒメとワクムスビ。
始発電車でたどり着いたのは茨城県つくば市神郡にある蠶影神社(こかげじんじゃ)。13代成務天皇御代創建、筑波国造阿閉色命の創祀。配祀神七柱は1909年(明治42年)筑波総社六所大神宮を合祀。1915年(大正4年)には大貫國神神社(国常立命。無格社)も合祀されているらしい。
◯『蠶影神社』(茨城県つくば市神郡)
〜主祭神〜
- 稚産霊命(ワカムスビと表記)
- 埴山姫命
- 木花開耶媛命
〜配祀神〜
- 筑波男神(イザナギと解釈される)
- 筑波女神(イザナミと解釈される)
- 素盞鳴命
- 月読命
- 蛭子命(ヒルコと解釈される)
- 天照大神
- 生馬命
またワクムスビの境内由緒書表記が『稚産霊命(ワカムスビ)』となっている点も興味深い。個人的にはこれで、ワカヒルメと夫妻であることを確信してしまった…(苦笑)。同時に当ブログの見立てでは、同一社にマゴコロ夫婦揃って祀られていることになる。
このワカ・稚・和歌・若宮・若一王子・王子権現・ホツマ版御歳神というのは、夫妻揃って命を落としたマゴコロタケル・マゴコロアイヒメを彷彿とさせるのだ…。また推測の域を出ないが、だとすると全国若宮系信仰としてマゴコロ夫妻が浮上する…???(別記事にて準備中)。
通称は蚕影山(こかげさん)神社で、その山を子飼山という。コカイはカイコに由来している説あり。全国にある蚕影神社の本宮で、筑波名跡誌によると神郡豊浦が日本養蚕発祥説がある。蚕影山桑林寺はその日本養蚕技術伝来の地を称し、金色姫本地垂迹の蚕影山本尊総本山だったという。ただ豊浦比定地(常陸国三蚕神社)は、いくつかあるので注意。
常陸国に金色姫伝承あり。天竺から養蚕が伝来してきたとのことで、常陸国は日本養蚕発祥地の一つと呼ばれている。このあたりもワカヒルメが織姫・天棚機姫命・天の服織女がダブついてくる要因なのかもしれない。
※因みに宮下文書によると、そもそも神代、タカムスビ系阿族は『天竺』から海を渡って来たと記載あり、詳細不明。
〜常陸国三蚕神社?〜
▲茨城県つくば市神群『蠶影神社』ワクムスビ
▲茨城県日立市川尻町『蚕養神社』ワクムスビ
▲茨城県神栖市日川『蚕霊神社』オオゲツヒメ
江戸時代1803年(享和3年)2月22日、常陸国の小笠原越中守の知行地海岸に、円盤状のうつろ舟(うつぼ舟)が漂着し、赤い髪の蛮女が現れたとの噂があった。後世の柳田國男は常陸国における金色姫信仰の化身ではないか?と推論付けた。
噂の発信もととなった小笠原越中守の知行地・常陸国『はらやどり』浜とは、現在の茨城県神栖市波崎舎利浜に比定される。2代当主小笠原長経は1221年『承久の乱』の功績により阿波国守護に任ぜられた経緯がある(阿波小笠原氏)。1247年宝治合戦ではその長男長村が三浦泰村に味方して敗北した。
1582年(天正10年)武田軍についた仁科氏が衰退(諸説あり)、それに代わるように松本藩主小笠原貞慶が仁科神明宮神領朱印15石を寄進している。以後松本藩主代々の祈願所となっている。ココでも阿波国・安曇野・梓川祭祀の接点が見られる点も興味深い。
富士朝と繋がり深い古豪であった故に、徳川幕府に召し抱えられ各地聖地に貢献したのか?と…推測している。
▲アマテラス諱=大日留女命
▲ツクヨミ諱 =大月留男命
実は個人的に…2018年5月東国三社めぐりの折、茨城県神栖市日川『蚕霊神社』を参拝している。御祭神はオオゲツヒメ、宮下文書比定はツクヨミ(大月留男命)の妃神・月桜田毘女命とみている。すなわち…本ブログでは瀬織津姫命と同神ではないのかとみている。マゴコロアイヒメこと松島比女命(ワカヒルメ比定神)の姉神、妹背のコンビネーションが成立するのが浮き彫りとなる。
(´(ェ)`)
男の川と女の川は、歌姫明神で統合する。
そもそもの計画として、筑波山縦断で桜川をレイラインに沿って歩く予定のために、登りだけケーブルカーを利用させていただきました。後はいつものように無計画に、夕暮れまでに桜川沿いを歩けるところまで歩いてみようと…。
(´(ェ)`)
筑波山を目指す途上、全国でも数少ないイワナガヒメ主祭神社を参拝。社名『月・石・水』は、どこかクニサツチ女系を連想させる。創建不詳ながらイワナガヒメの死亡地説があり、筑波山南麓の男女川(みなのがわ)にある神社。男女川は男体山と女体山の間を流れ、『水無川』ともいい、歌人から愛され歌枕としても用いられる。
筑波山山頂付近はめちゃくちゃ混んでおりました。女体山御本殿参拝は謎の登山者大渋滞だったので諦めざる得なかった。そして不思議なことに、筑波山北斜面にはまったく人影がなく、登山者五〜六人と熊みたいなオッサン一人。南斜面の喧騒はどこへ行ったのか?。
下山中に感じたことは、登山道を浸すほど湧水が豊富であること。それらが集約されて北麓『歌姫明神』付近で桜川→霞ヶ浦→太平洋へ注がれる。新編常陸国誌によると、これら男女の川は筑波山の男神女神信仰が由来しているとのこと。広大な大自然を活用した神道大系で、火水・ヒメヒコ祭祀の行き着くところは、分離世界における『統合』『ワンネス』ではないだろうかと…。
これを体現しているのが筑波山+桜川の神道大系と思われ、歴史改竄のカルマを流し、火水男女の統合を促す鏡を司る、瀬織津姫命の御役なのだろう。
〜ホツマツタヱ4文〜
いさなぎは あめおしらする
うつのこお うまんおもひの
ますかがみ まてにひるつき
なつらえて かみなりいでん
ことをこひ
訳:ホツマツタヱ版イザナギイザナミ両神は、ハラミ山(富士山)にて男子誕生を祈願する。両手に持ったマス鏡を日と月の『陰陽の節』に擬えて、天を治めるほどの日嗣を待ち望んだ。こうして生まれたのがホツマ版豊受大神・孫アマテル(男神アマテラス)であった。
〜桜姉妹の嫁ぎ先〜
▲姉=クニサツチ男系(月神)
▲妹=クニトコタチ男系(日神)
~日月の兄妹婚~
▲兄ニニギ(日嗣)
▲妹コノハナサクヤ(月神)
▲弟タマノオヤ(日神)
▲姉イワナガヒメ(月神)
※結局『日月』とは、クニトコタチとクニサツチ遺伝子であり、桜姉妹の嫁ぎ先も暗示している。
〜喩え〜
- イザナギイザナミの見立て=筑波男女信仰
- マス鏡=鏡を司る鏡神・瀬織津姫命と桜川
- 日神=クニトコタチ男系?
- 月神=クニサツチ女系?
※男神アマテルという存在は、宮下文書におけるクニトコタチ男系と女神アマテラスを隠蔽した神道大系を示している。
ホツマと妹背は一体何がやりたかったのか?
ホツマは一体何がやりたかったのか?。
妹背とはなんなのか?。
結局彼らが究極的に一番やりたかったのは、アマテルをトヨケ(宮下文書における豊受大神クニトコタチ夫妻)の男系直系にしたかったのだ。イザナギイザナミ以前を欠史とする一方で、アマテラスを強引に男神にして、その歴史の補填とした。
さらに宮下文書版クニトコタチ女系とクニサツチ男系の捻れと矛盾を解消する算段もあったのだろう。
彼らは『五七の陰陽』を和歌として整えていれば、嘘もマコトになると考えていた。挙げ句に、歴史改竄と祖霊祭祀の両立は可能だと言い張っていた。ホツマツタヱが一貫して五・七調なのも頷けるだろう…。
※スイジニ=ウビチニ
因みにアマテルの斎名が、ワカヒト。つまり男神アマテラス(アマテル)にはクニトコタチ男系マゴコロタケルの投影もありそうなのだ。ホツマツタヱ版アマテル+瀬織津姫というカップリングは、妹神マゴコロアイヒメにとっては夫に背向けられた関係。シンプルに考えると『妹の背中』という意味か…?
もちろんキープレーヤーは女神アマテラスであろう。歴代権力者たちは、真相の岩戸が開かないようにビクビクしながら懇願していたのだ。これが妹背=伊勢神宮の本当の正体???。
こうしてクニトコタチ男系が欠史とされ、マゴコロ夫妻の名代を、姉で月神の瀬織津姫命が務めることが多くなったとみられる。天皇による政治的カルマのしわ寄せは、神々が担っていることを感じさせる。ツクヨミ夫妻・マゴコロ夫妻と、史上で切り裂かれた桜姉妹の御苦労が垣間見えてきたような気もする…。
(´(ェ)`)
桜川大国玉神社の男女信仰
この神社の気になるところは男神女神信仰であること、往古は鹿島大明神と呼ばれ男体宮と女体宮による二社一対の構図があったという。興味深いのは、それが筑波山からのライン上にあることだろう。
◯大国玉神社(茨城県桜川市大国玉)
〜主祭神〜
- 大国主命
〜配祀神〜
- 武甕槌命
- 別雷命
〜摂社〜
- 青麻神社(後述)
- 后神社
ほか
境内社『后神社』は現在、オオクニヌシ妃・須勢理比女命を祀っている。大國玉神社の400m東南にも后神社(単立社)があるが、祭神は須勢理比女命と共に平将門の妻・君の御前を祀る。後述するがやはりこの地域でも平将門の影響力は強かったようだ。
桜川で荒祭宮『瀬織津姫命』を祀る理由。
前回2018年5月には桜川上流の櫻川磯部稲村神社を参拝している。
111年(景行40年)創建、ヤマトタケル東征で伊勢神宮荒祭宮を勧請したことに始まる。磯部宮・磯部稲村宮・桜川明神・磯部大明神を称した。伊勢内宮別宮『荒祭宮』の現在の御祭神は天照坐皇大御神荒御魂であり、これを多くの文献では瀬織津姫同神としている。つまり由緒書をみた限りでは瀬織津姫命がメインの神社とみて良いだろう…。
そして伊勢の語源ともいわれる『妹背』を語る上でも、重要な神社だと思われる。
(´(ェ)`)
◯『櫻川磯部稲村神社』(茨城県桜川市磯部字稲置)
〜主祭神〜
- 天照皇大神
- 栲幡千々姫命(宮下文書版八王子神ニニギ・タマノオヤ母)
- 瀬織津姫命
- 木花佐久耶姫命(ニニギ妃)
- 天太王命(忌部氏祖)
- 玉依姫命
- 天手力雄命
- 玉柱屋姫命
- 天宇受売命
- 倭姫命(伊勢神宮創建者)
- 天児屋根命
- 日本武尊(当社創建者)
〜神奈川県徐福研究会三輪本現代訳『神皇紀』p156〜
その夜、記太夫は火を焼いて、皇子を慰め奉った。皇子が言われるには、新治、筑波を過ぎて幾夜寝たことであろうかと。記太夫、応えて言うに、これを数えてみると夜は九夜、昼は十日でございますと。
これが宮下文書版ヤマトタケルと7代大宮司・福地記太夫命が、常陸国を目指した一番の理由なのであろう。つまりオトタチバナが恐れていた東北海神の悪神にも関係がありそうだ。そしてこれが酒折連歌の発祥であり、和歌の原型といわれる。
神社周辺を説明すると。
桜川の源流は『鏡ヶ池』といい、古来より枯渇したことがないと伝わる。神社創建者ヤマトタケルがこの池にも由来しており、水面に自らの姿を映したことに由来。付近には、桓武天皇時代796年(延暦15年)創建の『月山寺』がある。下流の岩瀬駅周辺にオオヒルメを祀る『大神宮』なる旧村社があるのが気になるが、詳細はわからなかった。
ご存知のように、ホツマツタヱにおける瀬織津姫命は三種神器『鏡』を司る女神であり、当ブログでは宮下文書版ツクヨミ妃・月桜田毘女命に比定される。
また筑波イサ宮はヒルコの生誕地。ホツマツタヱ版ヒルコは瀬織津姫命の義姉だが、そして当ブログでは瀬織津姫命の妹ワカザクラ姫ハナコの転生ではないかと推測している。7文にスサノオに殺されたワカザクラヒメに対して『むかつひめより さおしかに うけものゐのり よみかえす』と謎の記述があり、瀬織津姫が別神に転生させたのではないか?と見ている。
〜祓戸四柱比定神とは〜
- 瀬織津姫命≒月桜田毘女命?
- 速開都姫命≒カモサワヒメ?
- 気吹戸主神≒オオヤマツミ?
- 速佐須良姫命=イワナガヒメ転生(ホツマによる)
特筆すべきは、桜川全体が祓戸四柱を彷彿とさせるところだ。周辺では雨引山樂法寺には雨乞い信仰があり、雨乞い神・別雷命カモサワヒメを祀る社が多い印象を受ける。先述した八巻神社では伊豆山神(イワナガヒメのハズ)が祀られている。いずれも富士朝加茂山に祀られていた水神女神(クニサツチ女系)と見られる。加茂山→宮守川→阿祖山太神宮古宮の社前を横切る。そこから桂川(旧名寒川)→相模湾へ注がれる。これらの通過点で、宮下文書が部分的に焼却処分させられた事実がある。
前記事では、祓戸四柱の役目として欠史鎮護もあるのではないか?と述べた。それは常陸国桜川の水神祭祀にも言えるのではないかと…。良い悪いはさておき、日本人には過去を水に流す文化があったようだ。
(´(ェ)`)
謡曲『桜川』は常陸国の見立て?
謡曲『桜川』は世阿弥元清の作。常陸・下総の国司になった平将門の子?、あるいは九州相馬国司・平将平(将門の弟)の子?、桜子(桜児)の母子物語。
1438年(永享10年)櫻川磯部稲村神社宮司・磯部祐行が、関東管領足利持氏に花見噺『桜児物語』一巻を献上。これを元ネタとして将軍・足利義教が世阿弥元清に作らせたとされる(諸説あり)。常陸国における平将門の影響力を暗示していると思われ、逆を言えば東国富士朝史を撹乱している側面もあるのかもしれない。
舞台は日向国桜の馬場(現在の宮崎県西都市)と常陸国桜川(現在の茨城県桜川市)。物語には、『ヒムカ』『若君』『稚児』『桜子』などのキーワードが散りばめられており、個人的には桜川の物語や桜姉妹を暗示しているのだろうと確信できた。
※稚児(寺社にて祭礼・法事に参加する子)
※※wikipedia桜川(能)にあらすじあり、YouTubeで検索すると公演動画が出てきます。
これはズバリ、宮下文書版マゴコロ夫妻事件における、月桜田毘女命の妹マゴコロアイヒメと、その御子アメノオシホミミの関係を示唆しているのではないだろうか?。
ホツマツタヱ版アメノオシホミミは、アマテルと瀬織津姫命が生み、その後アマテル姉ヒルコ(ワカヒルメ、ワカザクラヒメの転生?)が育て親となっている。なんでこんな複雑な描かれ方をしているのか?、正直理解に苦しんだが…。結局、皇祖母系をすり替えなければ語れない歴史変更があったことを暗示しているのだ。宮下文書に比定するとやはり…『マゴコロ夫妻事件』としか思えないのだ。
ウガヤ朝51代を誤魔化すための、日向と常陸の『桜川』入れ替え作業
ここで日向の歴史を振り返ってみよう。
一般的に常陸桜川が日向桜川の見立てだと見られるだろうが…むしろ逆だろう。日向桜川が常陸桜川の見立てなのだ。前記事で述べたようにニニギや瀬織津姫の歴史は東国から来ている訳で、すり替えられている痕跡が散見できる。もともと日向国はウガヤフキアエズ朝の聖地であった。しかしホツマ記紀では、その全51代ウガヤフキアエズ2600年以上?を欠史にした代わりに、ニニギ・コノハナサクヤヒメ・イワナガヒメ・ヒコホホデミの歴史を東国から移植しているようだ。
たとえば、ホツマツタヱにおける常陸国新治郡はニニギの開拓拠点ニハリの宮とされている。これに対して?、日向国速川神社には瀬織津姫命に纏わる伝承があり、ニニギ天孫降臨に同行していた瀬織津姫命が一ッ瀬川に足を滑らせて水死してしまったという。悲しんだニニギが祠を立てて弔ったという伝承がある。
また当ブログでは速開都姫命を、宮下文書版コノハナサクヤ母神カモサワヒメ(寒川毘女命)と比定している。一ッ瀬川近くには寒川の地名もあり、山の民サンガの拠点となっており、オオヤマツミの墓所(第90号墳大山祇塚)まである。
このように、実に2000年近くにわたり積み重ねられた歴史改竄&補填の結果なのだ。こうして日向・無戸室・逢初川・高天原…、加茂山祓戸四柱など。東国発祥のモニュメント類がこの地域に多く仕込まれたわけだ。宮下文書の読者視点から言わせていただくと、さながら富士朝テーマパークみたいになっており、千葉県浦安市にシンデレラ城があるようなものである。
(´(ェ)`)
その嘘の歴史の土壌を作ってきたのは、東西を巡幸してホツマツタヱを編纂指揮したと思われる12代景行天皇。記紀以降はニニギ夫妻・ヒコホホデミ夫妻は九州の神として語られるようになった。さらにはイワナガヒメを崇敬しつつ、伊豆半島から日向に流れてきた伊東氏。室町時代富士朝陥落後に作られた謡曲『桜川』もこれを後押ししていたハズである。
◯『都萬(つま)神社』(宮崎県西都市妻)
〜御祭神〜
- 木花開耶姫命
謡曲に登場する日向国コノハナサクヤとは、この日向二宮都萬神社に比定される。
奇しくも、熊オッサンは2023年11月に参拝している。
都萬とは『妻』という地名に因むとも言われ、桜川合流点に『下妻』という地名がある(茨城県下妻市との対比)。総社または二宮論社で日向国式内社4社内でも有力な社。『続日本後紀』によると日向国子湯郡妻神。つまりコノハナサクヤではない可能性も捨てきれないが…。個人的に気になったのは一ツ瀬川河口や桜川周辺に歳神信仰が散見されることだった…。
境外社には桜川に沿って、妻恵美須宮と妻水神宮があり、一ッ瀬川へ注がれる。先述した常磐国桜川大国玉神社『后神社』のように、両地域で妻・母・児がテーマになっている点も興味深い。そもそも都萬神社周辺は高千穂峰~富士山~武蔵一宮小野神社へのレイライン上であり、全体的にはやはり皇祖クニサツチ女系の影響力が強かった地域なのかな?と想像できる。
また桜川→一ッ瀬川→太平洋河口に、宮崎県児湯郡新富町 『下富田神社』がある。神武天皇が幼少時遊行していたために『王子権現』と呼ばれていたという。一般的にこの王子権現とは熊野神若一王子のことなのだが…、次回記事では超重要テーマとなるので憶えておいていただきたい…。
〈年末総決算〉『松島』とはやっぱりあの神様だった?
さて、歌人に愛された日本三景松島(宮城県宮城郡松島町)に祀られている存在とは何なのか?。
三浦半島淡水門沖でオトタチバナが、『東北の悪神海神の祟り(岩間本p266)』を鎮めるために入水自殺をしたわけで、東北の海神と関係がありそうだと思っていたのだが...。やはりマゴコロ夫妻、マゴコロアイヒメ(松島毘女命)とみてよいだろう。
何故かといえば、日本三景松島から桜川磯部稲村神社を経由して三浦半島『海南神社』付近にレイラインを見つけてしまったからだ(苦笑)。しかもご存知のように熊オッサンは、筑波に行く前2024年9月に海南神社参拝しているのだ...。
この松島を見立てたのが安房国鴨川松島で、現在『弁天島』には慈覚大師(円仁)が創建した『厳島神社』がある。熊オッサンは2024年8月に麻賀多神社参拝後一泊した翌日、この鴨川を神社めぐりしている。そしてついさっき、日本三景松島〜鴨川が麻賀多神社を経由して、レイラインとなっている気づいたわけだ(別記事予定)。
そして今回は筑波桜川から水戸付近で一泊して、『大洗磯前神社』で日の出を拝んで、帰りに『水戸八幡神社』『別雷皇太神』『常盤神社』を参拝してきた。
もちろん熊オッサンには計画性など微塵もなく、その都度その都度行きたいところに行っているだけなのだが。どうなってんだこれ???。熊オッサンの足跡がレイラインになっちまっているではないか。
声『ワクワクするじゃろ?』
熊『ちょっと...意味わかんないっス』
〜三浦・筑波・松島レイライン〜
- 松島青龍山瑞巌円福禅寺(慈覚大師の開山)
- 東堂山満福寺(807年坂上田村麿関係)
- 都々古別神社(807年坂上田村麿関係 2kmズレ)
- 吉田八幡神社(807年坂上田村麿関係)
- 三浦杉(三浦義明または三浦大介基安が植えた大杉伝説)
- 櫻川磯部稲村神社(瀬織津姫命)
- 月山寺
- 雨引山樂法寺
- 歌姫明神(ワカヒルメ?)
- 船宮神社
- 葛西神社(宮下氏族葛西氏・宮城を統治)
- 三浦総鎮守海南神社
- 楫の三郎山神社(廃社)
前記事でも触れた、吉田八幡にて三浦大介(一般的には義明を指すという)が植えた杉が大樹となった三浦杉伝承。レイライン上では三浦半島総鎮守へ繋がっていた訳で三浦氏族末裔もさぞビックリだろう...。
やはりレイラインというのは偶然を引き寄せる力があるようだ。
(´(ェ)`)。
〈おまけ〉東洲ウイジニ・スイジニの拠点はどこか?。
前記事で桜川河口が怪しいと述べたことを憶えているだろうか…?。ウイジニ・スイジニの拠点は東洲(岩間本は東国)にあったとされるが...。おそらくはこれは関東平野を指しており、その御子である月桜田毘女命とマゴコロアイヒメも関東出身の可能性が出てくるわけだ。しかし残念ながら、現段階ではそれ以上の特定は難しいだろう…。
前記事では、茨城県土浦市の桜川の河口付近が怪しいと述べたが…。宮下文書のどこかに『土浦』という記載を見たような気がするのだが、お恥ずかしながらどこで見たのかは覚えていない。今必死に現代訳を探している所。ただ神代では縄文海進の影響もあり、霞ケ浦も桜川上流へ迫っていた可能性もあるので注意。
今回はその一つの根拠?となりうる意味深なレイラインをご紹介する。簡単に言うとおおよそ富士朝からの夏至朝日の方角、奇しくもこれが伊勢神宮外宮〜富士朝太神宮〜調神社を貫いている。そしてその東端が、ちょうど霞ヶ浦河口付近『桜川畔』にたどり着くのだ。
〜富士朝夏至レイライン〜
- 青麻神社
- 土浦総鎮守八坂神社
- 桜川畔、桜川河口付近(土浦市)
- JAXA筑波宇宙センター
- 調神社
- 熊オッサン生家(ドンピシャ)
- 雛鶴神社(上野原市)
- 雛鶴神社(都留市)
- 阿祖山太神宮古宮
- 新屋山神社
- 豊川稲荷
- 伊勢神宮外宮
- 皇大神宮別宮瀧原宮(1kmズレ)
- 青島神社(3kmズレ)
- 薩摩一宮枚聞神社(3kmズレ)
◯『調(つき)神社』(埼玉県さいたま市浦和区岸町)
〜御祭神〜
- 天照大御神
- 豊宇気姫命
- 素盞嗚尊
※『日本総国風土記』曰く瀬織津姫命との説あり、ほかにもツクヨミや調玉命と説あり。宮司家が吉田家という。
◯『青麻神社』(茨城県土浦市木田余)
〜御祭神〜
- 天之御中主神
- 天照大御神
- 月読神
※総本社は852年創建の宮城県仙台市宮城野区『青麻神社』、しかし今回茨城県を回ってみて気づいたが…信仰は県内には広く分布している。大国玉神社や水戸八幡宮にも摂社があった。水戸八幡摂社由緒書には『日月星の三光神』と表記されている。
前記事でも述べたが桜川市真壁町『加波山神社 真壁拝殿』の創建も、ヤマトタケルが神託により、天御中主神・日の神・月の神を祀ったことによる。
で、以降個人的なお話で恐縮ですが…(´(ェ)`)
実は熊オッサンの八王子市内の生家が、なんとこのライン上にドンピシャ。当ブログで何度もご紹介した『梶原八幡神社』も数キロの場所になる。さらに某瀬織津姫系レイラインとのクロスポイントになっているのだが…、それを言ってしまうと特定されてしまう…。いま住んでいる方にもご迷惑がかかるので省略。
因みに産まれた産婦人科は八王子市街地で、近くにはコノハナサクヤヒメを祀る『子安神社』がある。境内には葦船社というヒルコの摂社がある…。ただ…生まれてすぐに他市に引っ越してしまった。初宮参りと七五三は父方実家の『富士山高千穂峰〜小野神社レイライン』上にて行っており、八王子の産土神を語る資格があるのかは不明。
いまも牛頭天王と八王子権現には親しみを持っているのは事実…。
(´(ェ)`)
※次回、私用のためちょっとお休みしますm(__)m
※地図はクラフトマップ使用。