セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<緊急続報>埼玉県八潮市中央一丁目交差点陥没事故、上潮とレイラインの交差点か?。

 

 

 

『氷川女體神社』、なんとなく氷川から歩いた。
宮下文書版ミホツヒメは、信州出雲スサノオ娘であり出雲大神と称す。




2025,2,11

当ブログ6周年の建国記念日。毎年、建国記念日と夏至の日にフリーテーマでお話ししております(去年からという説もあり?)。今回はとあるレイラインで、ちょっと気になることが発覚したのでご報告。

2025年1月28日、埼玉県八潮市中央一丁目交差点で、道路が陥没事故が発生した件ですが…。今月に入ってもなかなか復旧活動拠点が進まず、大きなニュースになっております。陰謀論界隈では極秘に掘られた◯◯が露出したなんてお話もあるようです。ま…今回はあくまでマップ上の真実のみお話します。

 

本日のネタ、とくに統一性がありません(´(ェ)`)



~目次~

 






八潮はレイラインの交差点だった?

 

結論から言うと…。

この陥没事故ポイント…、以前ご紹介した氷川3社レイライン上にドンピシャとなる。さらに富士山高千穂峰レイラインクロスポイント八潮立潮止小学校に1キロ程と接近している。



八潮市というのは、かつての大河である元荒川や古利根川が注ぎ込まれた中川に接し、地盤も弱く古来から水害が多かった。八潮市立潮止小学校の『潮止』とはかつて中川で起きた東京湾の上潮時に、逆流した潮が付近まで到達したことを意味している。言い換えると2つのレイラインの接点とは東京湾の潮止なのだ。

氷川三社は、戸隠と本州重心点に近い角度で対面しているためレイラインの斜角が近い。どちらにも掛かっている可能性あり。中山神社〜氷川女體神社付近にて緩やかに交差する。浅間山浅間隠山をそれぞれ貫いている点も興味深い。




〜本州重心点レイライン〜

 

  • 高瀬宮(祭祀遺跡)
  • 高爪神社
  • 瀬戸川神社(オオヤマツミ、坂上田村麿伝承)
  • 本州重心点(日本のへそ、瀬戸川神社旧跡)
  • 稲丘神社里宮?(小川村飯綱山、坂上田村麿伝承)
  • 伊折虫倉神社(山姥伝承)
  • 長野オリンピックスタジアム
  • 象山神社(松代大本営、戦中首都移転計画)
  • 皆神山岩戸神社
  • 浅間山
  • 軽井沢ビル・ゲ◯◯の別荘(諸説あり)
  • 浅間山
  • 碓氷峠(ヤマトタケル伝承)
  • 妙義神社(ヤマトタケル伝承)
  • 上野一宮貫前神社
  • 武蔵五宮金鑚神社奥宮(スサノオ)
  • 波羅伊門神社(瀬織津姫命)
  • 波羅比門神社(瀬織津姫命)
  • 鬼鎮神社(畠山重忠の鬼門除け)
  • 武蔵三宮氷川神社(武蔵一宮比定)
  • 中山神社(境内社アラハバキ神?)
  • 氷川女體神社(武蔵一宮比定)
  • 八潮市中央一丁目交差点(陥没事故現場)

※多少ズレあり。

 

 

 

 

〜戸隠氷川レイライン〜

 

  • 戸隠山戸隠奥社
  • 戸隠奥社参道沿い
  • 浅間隠山
  • 東石清水八幡神社(頼義・義家東征の関係)
  • 武蔵三宮氷川神社(武蔵一宮比定)
  • 中山神社(境内社アラハバキ神?)
  • 氷川女體神社(武蔵一宮比定)
  • 松戸神社(ヤマトタケル伝承)
  • 小山浅間神社(八幡太郎義家公)
  • 旧徳川家『戸定邸』

※多少ズレあり。




特筆すべきは埼玉県嵐山町『鬼鎮神社』。畠山重忠居館菅谷館の艮(うしとら)の方角であり、もともと鬼門除けをしていたことに起源を持つ。御祭神は衝立船戸大神、節分祭での掛け声は『福は内、鬼は内、悪魔外』。つまり鬼=悪と見なしていなかった。通説この畠山氏は秩父平氏として秩父吉田郷を拠点としており、富士朝関係氏族ではないかとみている。

〈日月神示✕宮下文書〉2月2日節分の豆まきに何があったのか?。 - セキホツ熊の謎を追え!

因みに松戸神社と小山浅間神社は去年夏頃に参拝したばかりなのでビックリしている…。千葉県松戸市の語源は、松=待つ。ヤマトタケル東征の折、日本武尊と副将大伴武日が待ち合わせをしたからという。

(´(ェ)`)



また当レイライン上で、DS側の不可解な動きが見られるのも興味深い。長野オリンピックスタジアムとか、軽井沢ビル◯◯◯さんの関連施設?や。神がDS側を見張るために利用させているのか?、それともDS側が人々の目を逸らさせるために活用しているのか?。

日月神示では神々がイシヤなる闇の勢力を見張っているような記述もあり、気になるところではある。

 

(´(ェ)`)



長野県上水内郡小川村高府『本州重心点』
写真中央、赤白のポール地点らしいが...行く勇気はなかった。

 

 

長野県上水内郡小川村瀬戸川、法地という集落『瀬戸川神社』
なんと...もともと重心点にあったという。

 

 

※宮下文書三輪本現代訳p196によると、阿祖山太神宮神官家系・サルタヒコ子孫の農作及び祭典副司長の宮田麿が、忍壁親王の副司に抜擢され蝦夷征伐にて大活躍した。その功績により科野国高井・水内二郡を賜り、長野原吉田岡の坂上の館にて『坂之上』を称した(旧信州出雲神領?)。771年(宝亀二年)北越と西海?の討伐の功績で、陸奥三十四郡を賜り苅田郡苅田(宮城県刈田郡蔵王町付近)に拠点を移して坂上苅田麿を称した。その御子が田村麿であり、長野県鬼無里や安曇野に残る田村麿伝承を裏付けるものである。

因みに通説坂上氏は、渡来系氏族・東漢氏とされている。

 








 

 

氷川神社と信州出雲祭祀?

 

氷川神社は現在実質の武蔵一宮、氷川女體神社もかつては一宮と称していた。氷川神社・中山神社・氷川女體神社を『氷川三社』と呼ぶことがあり、これらが北西の方角へ並んでいることは知られている。

縄文時代の縄文海進ではこの地域は、北関東へ向けて大河が迫っており、そのすぐ畔にあったと思われる。この周辺は見沼と呼ばれており古代から存在していた。宮下文書版神武時代、武佐志国『日加和神社、摂社四社、末社十二社』が確認できる。江戸中期の井沢弥惣兵衛為永らによる大規模干拓事業が行われるまでは大きな湿地帯であった。下野国寒川郷(栃木県小山市寒川周辺)のように、水神祭祀がメインであった可能性もあるだろう。

 

ホツマツタヱ39文によると、12代景行年間にスサノオ転生を称するヤマトタケルにより創建。宮下文書とホツマツタヱを組み合わせて考えると…、宮下文書版信州出雲スサノオを武蔵国へ遷座させた上で、ホツマ版スサノオの浮気相手・九頭竜神モチコを戸隠に封じ込めた経緯が浮き彫りとなる。すなわちホツマツタヱ神道大系に沿った、歴史改竄プロジェクトが見え隠れしている。10代崇神天皇以降歴史改竄の本当の目的、咎(とが)隠す=トガクシという語源があるとみている。

 

〜初代无邪志国造エタモヒの痕跡〜

▲氷川神社(エタモヒの氏神)

▲大國魂神社(境外社坪宮の御祭神)

▲人見稲荷神社(エタモヒの祭祀場?、現在瀬織津姫とシタハルを祀る)



そして13代成務時代の出雲からやって来たといわれる武蔵国出雲族エタモヒは、この2つのレイラインの神社に深く関わっている。当ブログでは、彼らは中国地方から来たのではなく、むしろ信州出雲祭祀に深い結びつきがあったとみている。

 

宮下文書版スサノオは信州出雲戸隠の地主神、ホツマ版シタハルは現在の戸隠神社御祭神オモイカネファミリーの一員。そう考えると、同じ武蔵一宮である氷川神社スサノオ、小野神社シタハル、武蔵四宮秩父神社オモイカネ、信州戸隠神社オモイカネファミリー。つまり信州出雲に対して、武蔵国も似た祭祀陣営を張り巡らせていたのかもしれない。



〜ホツマ版オモイカネファミリー〜

 

▲父神オモイカネ(戸隠中社・秩父)

△母神ワカヒルメ(ヒルコ)

▲タヂカラオ(戸隠奥社)

▲ウワハル(戸隠宝光社)

▲シタハル(小野・かつての秩父?)

 

※宮下文書におけるオモイカネは神武時代の宮中祭祀トップ?。ウワハル=祖家ウマシマジのこと?。シタハルは不明。タヂカラオは稲田毘女命の父、スサノオの義父。つまり宮下文書視点では家族神であるわけがなく、通説の戸隠地主神・九頭竜神のお目付け役とみている。ラインナップから推測するに、やはり祖家系(蘇我・大伴・忌部?)と関わりが深いようだ。

※※因みに人見稲荷神社由緒書ではエタモヒ(兄多毛比命)=武比命と表記されている。甲斐一宮浅間神社社家の古屋家家譜によると、大伴武日には乎多氐命というがいたようだが…。宮下文書版大伴武日はヤマトタケル副将であり、東征後は富士高天原にて東国監視を担った人物。大伴系本貫地紀伊国(諸説あり)では九頭竜信仰が多い。

 

 

いずれにせよ信州出雲『戸隠』解明には、氷川・小野・秩父の広域の観点が必要。前記事でご紹介したように、能登見附島〜戸隠山〜善光寺〜浅間山〜武甲山(秩父総社神奈備山)〜小野神社〜鴨川弁天島はレイラインで結ばれる。その中でも武蔵国出雲族エタモヒが大きなヒントとなりそうだ。

調査中(´(ェ)`)







 

 

 






伊豆国詣

お話は変わりますが。

土日に三嶋大社と伊豆山神社を参拝してきました。熊オッサンにとって小野神社・三嶋大社・伊豆山神社は特別な意味を持つが、最近これらがレイラインで結ばれていることに気がついた。

ええええええええええええそういう事だったのか!

なんか...三女神に踊らされていた感あり(´(ェ)`)

 

今思えば…はじめから小野大神、三嶋神カモサワヒメ、伊豆山神イワナガヒメに導かれていた気もする(苦笑)。そして偶然にも両親がつい最近まで20年間伊東に住んでいたこともあり、伊東や三島、熱海とも縁が深い源頼朝公には親近感がある。

 

武藤資頼(すけより)は頼朝が伊豆国へ配流された1160年(永暦元年)生まれ。伊東祐親娘・八重姫と頼朝との間に生まれた千鶴丸が生きていれば、非常に近い年齢となる。名前も伊東祐親(すけちか)と頼朝(よりとも)を彷彿とさせ、家人として可愛がられた可能性あり。通説では祐親と資頼は頼朝の敵方とされ、このとき三浦義澄に保護されていた時期が重なっている。

頼朝死後は、2代将軍頼家の元服式典にて有職故実の指導をした。都の貴族から一ノ郎党、または鎌倉ノ本体ノ武士と称された、頼朝からの信頼も厚い梶原景時の娘を娶った。そして異例の大出世?をして太宰少弐『少弐氏』となったわけだ。こんな偶然続くのかなと…。

 

こんな事言うと読者の方々に図々しい奴と怒られそうだが。もしかして万が一…と思ってしまうことがある。熊オッサンのご先祖様は不明であるが、周辺で起こった富士山と武蔵国と伊豆国でのシンクロニシティを思えば…尚更。

確実に言えることは北条得宗家と足利将軍家は、頼朝派と富士朝派を隠蔽する為なら何でもした。前記事で述べたように1375年少弐冬資が今川了俊に謀殺された折、島津氏久が今川側に猛抗議をしている。頼朝は妾が多かったことでも有名で、九州に下向させられた島津忠久や大友能直にはそれぞれ頼朝落胤説がある。

その強豪の中で武藤少弐氏が、なぜ鎮西探題四奉行筆頭に立つことができたのだろうかと。対元寇氏族少弐氏宗家は滅亡してしまったが…子孫は敗れても敗れても復活する不思議な魅力がある。



(´(ェ)`)。








 

小国神社前記事の追記。

 

遠江一宮小国神社のレイラインについてもう一本忘れていました、前記事に追記します。

 

〜小国太神宮レイライン〜

 

  • 遠江一宮小国神社
  • 大洞院
  • 新屋山神社
  • 阿祖山太神宮古宮跡
  • 富士宮白糸の滝(熊野神社・瀬織津姫命)
  • 金子十郎家忠館跡(入間市金子、推定宮下氏族)
  • 川越氷川神社(太田道灌伝承)
  • 喜多院
  • 大国玉神社(1kmズレ、大国主命)
  • 桜川磯部稲村神社(1kmズレ、瀬織津姫命)
  • 月山寺
  • 鴨大神御子神主玉神社(1.5kmズレ)
  • 鏡ヶ池(桜川源流)
  • 御岩神社
  • 御岩山(縄文期の祭祀遺跡)
  • 高萩八幡宮(頼義・義家東征の関係)



前記事でも述べたように徳川家康も三嶋神カモサワヒメを崇敬していた節あり。

1608年(慶長13年)家康は早々に秀忠に将軍職を譲り、小国神社と三嶋大社のライン上『駿府城』にて隠居生活をしていた。ただもともとは艮(ウシトラ)の方角3kmに三嶋大社がある柿田川遊水・泉頭城に隠居城を構える計画があったという

奇しくもこれが三嶋大社〜箱根元宮〜大山〜小野神社〜桜川磯部稲村神社へのレイラインとなっており、上記の二本の氷川三社レイラインのクロスポイントにて、3線目としてクロスする。

 

(´(ェ)`)

 

 

 

x始めたんですけど...。

そもそも宮下文書自体がセンシティブな内容なので、いつシャドウバンになってもおかしくはありません。ただいま言える事は、宮下文書研究者が世間的にどういう扱いにされているかを伝えるよい実例かと...。

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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