セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

九頭竜・ヒルコ・ワカサクラヒメは同一神ではないのか?、阿波✕安房あわわ神社レイライン

 

 

もう一つの遠江一宮『事任八幡宮』、この先禁足地。


2025,2,
24

今回は…2018年に奥宮の存在を知りつつも、スケジュールの都合により奥宮を断念した事任八幡宮から始まる。今回2024年12月は本宮山磐座まで参拝させていただきました。

そこからさらに粟ヶ岳の山頂へ、阿波比売(アワヒメ)命を祀る阿波々神社へ足をのばした。

そこで戸隠九頭竜神とヒルコの思わぬ側面を見ることになる。

 

アワワ…(´(ェ)`)

 

 


~目次~

 

 

 

事任八幡宮とは?。

 

事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)の御祭神は己等乃麻知媛命 (ことのまちひめのみこと)、古くは真知乃神(まちのかみ)、己等乃麻知神社と称された。

静岡神社庁ホームページによると、許当麻知神社(ことまち=願い事を待つ)・事任神社(ことのまま=願い事のままに)というのは小国神社側の古名と一致するのだが…。これは遠江国一宮論社ということだろうか?、両社の関係が気になるところ。

奥宮本宮山・磐座には古代祭祀場跡があり13代成務時代の創建とされる。奇しくもこれはホツマツタヱ神道大系が確立した直後であり、ヤマトタケル東征後に出雲族エタモヒが武蔵国造となった時期と重なる。

807年(大同2年)50代桓武天皇勅命にて、坂上田村麿が本宮山(現在の奥宮磐座)から現在地へ遷座させたという。配祀の八幡神は1062年源頼義東征の折に石清水八幡宮から勧請したとのこと。




◯『事任八幡宮』(静岡県掛川市八坂)

 

〜主祭神〜

  • 己等乃麻知媛命 (興台産霊神の妃、天児屋命の母)

 

〜配神〜

  • 息長帯姫命
  • 誉田別命
  • 玉依比売命 

※三柱で八幡大神。

 

〜五社神社〜

  • 天照大神
  • 八意思兼神(戸隠神?)
  • 大国主命(小国神?)
  • 火乃迦具土神(秋葉神?)
  • 東照大権現(徳川家康)

 

 

御祭神はアメノコヤネ母神という説あり。

宮下文書版アメノコヤネはアメノオシホミミ右臣。ニニギ妃コノハナサクヤヒメが無戸室に三皇子を閉じ込めて富士山火口にて自害した折、無戸室の屋根を破壊して三皇子を救出した。天清住命や加茂山彦命を称したのち天兒屋根命の名を賜り改名した。

右臣武部系統・小守主命と、尾茂太留尊の三女・小菊毘女命の間に生まれ、アメノオシホミミ第二女で、ニニギ妹神である天母岬毘女命を娶った。

つまり興台産霊神=小守主命、己等乃麻知媛命=アメノコヤネ母神であるならば、クニサツチ孫にあたる小菊毘女命に比定されるハズだ。ただ遠久見国に祀る理由がわからない…。

wikipediaアメノコヤネによるとオモイカネとも同一視される傾向があるという。向かって左側の境内社『五社神社』にホツマツタヱ版ヒルコの夫であり、戸隠中社祭神オモイカネが祀られているのも興味深い。

※櫛真智命(くしまちのみこと)とも関係があるかもしれない。櫛真智命は宮下文書には登場しないが、アメノコヤネの別名ともされる。





境内御神木、巨木マニア大歓喜。



大晦日前なのだが紅葉がキレイだった。










粟ヶ岳・阿波々神社の阿波比売神とは?

 

次に路線バスに乗り粟ヶ岳へ移動、事任八幡宮が5km北にある粟ヶ岳『阿波々神社』に関係しているのではないか?というネット情報を得た。

ネット上溢れている情報でソースは不明なのだが、当社御祭神・阿波比売(アワヒメ)命は、事任八幡宮の己等乃麻知媛命の和魂であり、天津羽羽(アマツハハ)神が幸魂なのだという。どうやら阿波々(アハハ→アワワ?)神社の語源の可能性もありそうかなと...。もともと粟ヶ岳周辺には夫婦滝・夫滝・女滝・葉滝があり、松葉神社の御祭神がヒルコ。男女の結びつきに見立てた水神祭祀があったと思われる。

宮下文書的視点で阿波神とえば、まずクニトコタチ男系孫・阿波武男命(マゴコロタケル)だろう。そしてクニサツチ女系孫・松島毘女命(マゴコロアイヒメ)が、阿波比売命に比定されるのではないかと推測。つまり当地はマゴコロアイヒメ≒ヒルコ(ワカヒルメ)?の聖地ではないかと...。

(´(ェ)`)

 

 

◯式内社『阿波々(あわわ)神社』(静岡県掛川市初馬)

〜御祭神〜

  • 阿波比売命



△己等乃麻知比売神=荒魂

▲阿波比売神=和魂

▲天津羽羽神=幸魂

※いずれも宮下文書記載なし。

 

※境内にはスサノオ夫妻を祀る『八重垣神社』あり、ここでも阿波比売命とスサノオとのコンビネーションが強調されている感あり。



◯『松葉神社』(静岡県掛川市倉真)

〜御祭神〜

  • 素佐之男尊(津島勧請)
  • 蛭子命(西宮神?)

※創建不詳、社伝では大宝年間(701〜704年)に津島神社から勧請されたとのこと。宮下文書三輪本現代訳p93『津島午頭天皇神社(日本総社)』は、33代ウガヤフキアエズ朝時代に信州出雲から派生されたスサノオを祀る宮。信州出雲谷が陰大社であり、津島神社はその陽総社という位置づけになる。つまりこの地の祭祀テーマには善悪二元性が見え隠れしている(後述)。

鳥居神額には西宮八幡宮の表記もあり、後からホツマ版西宮=ヒルコ信仰が合祀された可能性もある。





〜戸隠事任八幡宮レイライン〜

  • 戸隠山
  • 戸隠九頭竜社(九頭竜神、600mズレ)
  • 鬼女紅葉の岩屋
  • 臥雲院
  • 健御名方富命彦神別神社(式内社論社)
  • 麻績神明宮(伊勢御厨、国指定重要文化財)
  • 高谷神社(東筑摩郡・瀬織津姫命?)
  • 御射神社のこっぱ奥宮(御射春宮秋宮の奥宮)
  • 入山辺大和合神社(古社、御柱祭)
  • 諏訪湖
  • 高遠城址
  • 分杭峠(ゼロ磁場パワースポット?)
  • 中央構造線沿い
  • 信濃宮神社(南朝後醍醐天皇第八王子宗良親王の終焉地)
  • 粟ヶ岳・阿波々神社(アワヒメ)
  • 事任八幡宮・本宮山磐座
  • 大頭竜神社(菊川市加茂、出雲龍神)
  • 應聲教院(円仁開基、桜ヶ池奥の院)



〜戸隠池宮神社レイライン〜

  • 戸隠山
  • 諏訪大社春宮
  • 諏訪湖
  • 諏訪善光寺(元善光寺→善光寺本尊中継地)
  • 守屋神社奥宮(1.2kmズレ)
  • 御所平(南朝宗良親王居住地)
  • 桜ヶ池・池宮神社(敏達天皇時代創建、瀬織津姫命)



 

 



 

 

結局、事任八幡宮本宮山磐座や阿波々神社粟ヶ岳磐座は、東経138.0度線上の戸隠山から諏訪湖を挟んでレイライン上ほぼ南直下にある。上2つのレイラインを合体させて太いラインと見なすことも出来そうだが…。

レイライン上の應聲教院には龍神伝承があり。855年慈覚上人・円仁創建、池宮神社にある桜ヶ池奥の院とされる。1169年この池に龍身入定した皇円(肥後阿闍梨)の菩提を弟子である法然が弔ったとされ、現在池宮神社には瀬織津姫命が祀られており、桜ヶ池主神には皇円阿闍梨大龍神を祀っている。一方で信州善光寺本覚院『阿闍梨池』は、諏訪湖を経由して池宮神社桜ヶ池へと通じているという伝承あり。これは先述した戸隠山→諏訪湖→桜ヶ池ラインを象徴しているのではないだろうか?と…。

そして菊川市加茂の大頭竜神社にも注目、大物主大神・大山咋大神・出雲龍神の三柱を祀る。これも戸隠=オリジナル出雲を暗示しているのであれば辻褄が合う。1574年高天神城落城の折に、武田勝頼軍が大龍院とともに当社を焼き討ちしており記録等が焼失。口伝によると792年(延暦12年)に勧請、1734年(享保19年)正一位を賜っている。

つまり龍神信仰の聖地であり、戸隠山と武蔵一宮小野神社へのレイラインと同様。九頭竜神と瀬織津姫命を結ぶラインともいえそうだ。

 

(´(ェ)`)

 

 

粟ヶ岳磐座群。



岩々から巨木が生えて見える、苔むす巨石マニア大歓喜。






 

 

 

阿波✕安房、アワワと妹背のレイライン。

 

粟ヶ岳は東斜面全体が茶畑となっており電波塔?に占拠されているが、古代からの磐座群もあり。富士山や駿河湾、島田市焼津市の町並みが一望できる。東を望むと大井川を挟んでかつての駿河国となる。

ここで思い出していただきたいのが静岡県藤枝市藤枝『飽波神社』。御祭神が粟島神スクナビコナなのだが…、アメノオシホミミと瀬織津姫命とヒルコ(ワカヒルメ)も祀られている。加えてすぐ300m北にマゴコロタケルに関係しそうな若一王子神社・若王子古墳群が存在する。700m西には鬼岩寺があり、726年行基開基、平安期に空海が当地の鬼を大岩に閉じ込めたという伝承がある。門前市にはツクヨミを祀る『月見里神社』があり、月見里(やまなし)と読むという。

伊勢神宮の語源とも言われる妹背を体現したような、全国的にも非常に稀な祭祀エリアだと思う。

 

(´(ェ)`)




◯『飽波神社』(静岡県藤枝市藤枝)

〜御祭神〜

  • 少彦名命(粟島信仰?)
  • 瀬織津姫命
  • 蛭子命
  • 天忍穂耳命

 

◯『若一王子神社』(300m北)

  • 夫王子者?
  • 天穂日命(アマテルとホツマ版九頭竜の御子、その御子が武日照命=建比良鳥命)
  • 健御熊命(天穂日命御子)

 

 

◯『月見里(やまなし)神社』(700m西)

〜御祭神〜

  • 月読命




〜アワワ妹背レイライン〜

  • 鴨川富士
  • 鴨川・加茂神社
  • 富山・里見八犬伝終焉の地
  • 伏姫籠穴

 

  • 伊東宇佐美・熊野神社
  • 福知山修善寺(807年空海開基)
  • 源範頼の墓
  • 那閉神社(式内社、鍋嶋大明神?)
  • 焼津神社(式内社、日本武尊、大伴武日
  • 飽波神社(瀬織津姫、ヒルコ、アメノオシホミミ)
  • 月見里神社(ツクヨミ)
  • 阿波々神社(アワヒメ)
  • 粟ヶ岳
  • 松葉神社(ヒルコ)
  • 尾崎宮雨櫻神社(上社)
  • 太田郷一藤(武藤少弐氏領)
  • 粟倉城跡(武藤少弐氏領)
  • 粟倉神社(遠江国小国一宮元摂社)
  • 津島神社(曾許乃御立神社摂社)
  • 太刀山愛宕神社奥宮(式内社、磐座)
  • 白山西宮神社
  • 船形山普門寺(豊橋市、行基開基)
  • 松阪神社(合祀が非常に多い)

 

  • 談山神社
  • キトラ古墳
  • 葛城一言主神社(幼武尊?)
  • 檜尾山観心寺
  • 楠木正成首塚
  • 由良湊神社(速開都姫命)
  • 鳴門の渦潮(日月神示記載)
  • 八幡神社(愛媛県新居浜、石清水八幡宮別宮)

 

  • 粟島神社
  • 豊前善光寺(空也開基)
  • 英彦山神宮(アメノオシホミミ)
  • 高住神社(豊日別命?)
  • 荷原 美奈宜神社(式内社)
  • 稲吉老松神社(牽牛社、七夕伝承)
  • 七夕神社(媛社神社、七夕伝承)
  • 大中臣神社
  • 鎮西山城跡(源為朝居城)
  • 吉野ケ里遺跡北側
  • 仁比山神社(円仁伝承)
  • 土器山八天神社
  • 白角折神社(櫛田三所大明神、ヤマトタケル伝承)
  • 金立神社(中宮、徐福伝承)
  • 鍋島家春日御墓所(武藤少弐氏末裔)
  • 肥前一宮與止日女神社(元寇神風伝承、武藤少弐氏)
  • 男女神社
  • 肥前三宮天山神社(岩蔵下社、鍋島藩)
  • 山田神社(大正まで瀬織津姫命合祀?)

 

 

 

 

※これも前記事でご紹介したレイラインと重複しているかもしれない。

 

 

飽波神社・若一王子神社の詳細は次回ご紹介するとして…。

粟ヶ岳展望台から伊豆半島方面をぼんやり眺めていたのだが…。素朴な疑問としてこの方角だと飽波神社と阿波ヶ神社って、阿波国と安房国に繋がるのではないのかと思うようになった。インスピレーションを得てとぼとぼ下山、帰宅後さっそくGoogleマップを確認してみた。

やはりというか…阿波〜安房へのレイラインが形成されているのだ。ライン上には瀬織津姫の飽波神社と、アメノオシホミミの聖地・英彦山神宮、日月神示で有名な鳴門の渦潮も絡んでいる。しかも前記事でご紹介した熊オッサン推定ご先祖様『武藤少弐氏』の関係地で、なぜか遠江武藤氏と肥前少弐氏を結ぶラインになっている(苦笑)。

肝心の阿波々神社というのは、先述した戸隠奥社〜大頭龍神社ラインのクロスポイントとなっているようだ。


シンクロニシティやね(´(ェ)`)

 

 

 

 

 

 

 

 

この日、日暈(ハロ現象)が観測された。

 

皇祖アメノオシホミミの不思議な養育環境。



ホツマツタヱ7文をおさらいすると…。

スサノオは兄神アマテルの北局の后であった九頭竜神モチコと浮気した。内宮の座を奪われた彼女に同情して、瀬織津姫ホノコを『斬ってやる』とまで豪語していたという。

それを偶然聞いてしまったワカサクラ姫ハナコは、当然姉ホノコへ密告した。

これに激怒したスサノオは、斎衣殿で機織りをしていたハナコに太駒(大馬)を投げ込んで殺害してしまった。このときホノコはスサノオの千座を超える咎(とが)を赦すとともに、『活モノ(ウケモノ)に祈ってハナコを蘇生させた』と意味不明な言葉を述べている。

こうして九頭竜モチコは『宇佐の宮』へ配流され、御子アメノホヒはアマテルの元に残された。故に瀬織津姫がアメノホヒを養育しなければならなかった道理は分かる。ただなんで彼女の御子アメノオシホミミを、義姉であるワカ姫ヒルコに託す必要があったのか?。それが最終的には因果応報のように、九頭竜モチコの戸隠山封印に繋がるのだ。

 

 

〜ホツマの不思議な子育て〜

①男神アマテルと九頭竜モチコがアメノホヒを生み、瀬織津姫ホノコが育てる。

②アマテルと瀬織津姫ホノコがアメノオシホミミを生み、ヒルコが育てる。

③オモイカネとヒルコが、タヂカラオ・ウワハル・シタハルを生む。

④タヂカラオが九頭竜モチコを説得し、封印する。

 

 

ここで注目すべきはその御子神たちの養育環境である。

縄文集落が大きな家族の価値観を持っていたことは知られているが…。瀬織津姫ホノコは九頭竜モチコの御子アメノホヒを養育?していたようで、彼女の生んだオシホミミはヒルコが育てている。なんでこんなことをしているんだろう?宮下文書神代にはこんな複雑な家庭環境は存在せず、なにかトリックがあるなと睨んだ。

宮下文書版アメノオシホミミの系譜上の実母は、ウイジニ九女松島毘女命(マゴコロアイヒメ)となる。ただそもそもクニトコタチ男系が子宝に恵まれなかったことに起因しており、皇室のデリケートな問題上、明言を避けている節あり。男子誕生後『御夫妻は、共に俄かになくられた』とだけ淡々と述べられている。

あくまで可能性を言えば、遺伝子的に一番近い姉・月桜田毘女命による代理出産の可能性は否定できないだろう…、それを咎めてマゴコロ夫婦が心中した可能性もある。残されたオシホミミはアマテラスの養子に迎えられており、周辺環境が複雑化するのも頷ける。ホツマツタヱのドタバタ劇は、宮下文書版オシホミミの過酷な成長環境を暗に示しているのではないかと妄想する。

気になるのは宮下文書版オシホミミ夫妻も、后神タクハタチヂヒメと同日崩御しているのだ。これが敬愛する亡き父母の後追いをしていたのか?偶然の一致なのか?は不明。ただ縄文人たちは男女の繋がりを火と水に擬えて、現代人が想像もつかないほどの尊いものとして捉えていた感がある。

 

 

△マゴコロタケル

阿和武男命、アメノオシホミミの実父。ホツマ版アマテラス(男神アマテル、ワカヒト)?ワクムスビ(ワカムスビ)?、宮八幡?、熊野一王子?、七夕伝承彦星?。日月神示ヒツクの神?

 

△マゴコロアイヒメ

女松島毘女命、月桜田毘女の妹、皇祖アメノオシホミミ実母?、ホツマ版ヒルコ(ワカヒルメ、ワカヒメ)、瀬織津姫妹ワカザクラヒメ、玉津島神?、景勝地松島?。棚機姫命(七夕伝承織姫)?。日月神示ヒツクの神?。

※ホツマ版ヒルコは、瀬織津姫の生んだアメノオシホミミを養育する。

 

▲月桜田毘女命

ツクヨミ妃、正哉オオヤマツミ母、松島毘女命の姉。瀬織津姫?、ホツマ版正哉アメノオシホミミの実母、月に帰るかぐや姫?。

オオゲツヒメ?、宗像三女タギツメ?

※ホツマ版瀬織津姫は、アマテラスの内宮、皇祖アメノオシホミミを生む。

 

 

 

 

※系図の補足

もともと兄クニトコタチと弟クニサツチが全国を二分して四季島統治をしていた。しかしクニトコタチの家系が子宝に恵まれないために、富士朝アマテラスのもとで四季島統治を再編して神皇システムを統合する流れとなる。

この直接的きっかけとなったのが阿波国に生まれ、安房国へ移住したマゴコロタケルの後継者問題であった。

 

 

 


※※系図の補足

彼らの子孫である10代崇神~12代景行天皇勢力が中央集権制を促進、複雑化した旧勢力の既得権益を整理統合するために正史を簡略化。このとき神系譜を大幅にリストラ修正した。ただヒルコ・ワカヒルメ・瀬織津姫・九頭竜神ら多くの神々が登場したのもこの時期とみられる。これがホツマツタヱ神道体系であり、世間で言われている出雲地祇系つまり国津神の『国譲り』のことである。






 

 

 

 

 

 

参拝後...なんか晴れた(苦笑)

 

九頭竜神・ヒルコ・ワカサクラヒメ...同一神ではないのか?。

 

...何言っちゃってるんだコイツ?とお思いだろうが。割とマジである。

ここまで読むとみなさんもそろそろお気づきではないかと。ホツマツタヱにおけるヒルコ・ワカサクラヒメ・九頭竜神がダブっているということを...。もっというと宮下文書版九女松島毘女命(マゴコロアイヒメ)ではないかと。

 

九頭竜神≒ヒルコ≒ワカサクラ姫≒マゴコロアイヒメ???

 

実はこのシンクロニシティに気づいたのが、辰年2024年の夏頃…。年末12月に数馬九頭竜神社と正一位岩走神社を参拝したときにやっぱりなと実感した。戸隠神社九頭竜神はタヂカラオに見張られおり、小野神社瀬織津姫命はシタハルに見張られている。

共通項はどちらもホツマ版オモイカネ・ヒルコ家族神。これを宮下文書視点で解析すれば...オモイカネは神武時代神官?、タヂカラオは神代信州出雲、ウワハルは神武時代ウマシマジ比定?なので時代はバラバラ。彼らが家族神であるわけがない。ただ宮下文書版祖家(蘇我大伴系統)という共通項が浮き彫りとなるのだ。

 

◯『九頭龍神社』(東京都西多摩郡檜原村数馬)

~御祭神~

  • 九頭龍大神
  • 天手力男命(戸隠勧請)

◯『正一位岩走神社』(東京都あきる野市伊奈

〜御祭神〜

  • 手力男命(戸隠勧請)
  • 稚日女尊
  • 棚機姫命

※数馬九頭龍神社の秋川18km下流域にある。信濃國伊那郡から武蔵国への移住者たちが創建。伊那郡では毎年8月7日(旧暦7月7日ころ)桜井片倉天伯社で瀬織津姫命と棚機姫命を結ぶ七夕伝承『さんよりこより』がある。

〈奥多摩めぐり〉2024年辰年、九頭竜神にはじまり九頭竜神に終わる一年だった。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

 

 

 

※戸隠〜善光寺〜浅間山〜武甲山(秩父)〜小野神社にレイラインを形成している。

瀬織津姫と九頭竜神を繋ぐ?。オモイカネ兄弟の天表春命・天下春命レイライン。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

 

 

 

ヤマトタケルはなんで…

・氷川神社にスサノオを祀ったのか?(ホツマ)

・月桜田毘女命と松島毘女命の故郷?の新治国桜川へいったのか?(宮下文書)

・科野国で『坂の神』を調伏させたのか?(古事記)

・副将大伴武日を高天原に残留させ、東国監視をさせたのか?(宮下文書)

 

12代景行天皇の狙いは縄文哲学である言向和平を封じ、善と悪の二元性世界を促進させることであった。刑罰を科すシステムにより、権力者による中央集権統治を確固たるものにしようとした。それ故その御子ヤマトタケルも、歴史改竄の咎(とが)を信州出雲ごと隠す必要があったのだ。

さらに九頭竜モチコの部下、カンサヒ御子アメノオシヒ末裔を称する大伴氏系による九頭竜神信仰の痕跡…。大伴氏系本貫地といわれる紀伊国には玉津島神ワカヒルメが祀られ、式内社刺田比古神社は『九頭大明神』を称していた。副将大伴武日は出雲族出雲臣エタモヒに化けて武蔵国各地にそのカラクリをのこしていた…。それが現在までに氷川神社・鷲宮神社・秩父神社・出雲伊波比神社・小野神社の役割とされて来たのである。

ここに戸隠九頭竜神と玉津島神ヒルコ(ワカヒルメ)、祖家大伴系統のシンクロニシティが浮き彫りとなるわけだ。

※xでも述べたように出雲族出雲臣兄多毛比命(エタモヒ)大伴武日ではないかと思われる。北多摩神社誌p31府中市小野神社項によると、視二井諸忍野神狭命十世兄武日命御祖神として勧請したとのこと。同p27人見稲荷神社項によると、もともとは武蔵国造兄武比命の祀られた社とのこと。両社に現在共通している御祭神が小野大神・瀬織津姫命と天下春命である。また『古屋家家譜』によると大伴武日には乎多氐命(ヲタテ)というがいる。

 

 

 

 

 

おわりに。

 

1980年代大映テレビ制作の『ヤヌスの鏡』という二元性ドラマがあった。九頭竜神が悪神とすると、ヒルコが善神…。しかし実はそれが鏡写しにダブついて、角度によっては九女松島毘女命という同一性が浮き彫りとなるかたちだ。

そもそも信州出雲は言向和平のシンボルのハズであった。しかし権力者にとっては旧勢力や罪人たちを赦すこと自体、統治上都合の悪ことであった。支配構造上でいえば善と悪は明白でなければならず、時としては悪を善だと言い切る勇気を必要とした。こうして権力者たちの善の側面が因果応報のように、悪の側面を封じ込めた。

それが咎(とが)隠しなのではないかと。

生れてこのかた控えめといわれる???熊オッサンが、なんでこんな大胆な発想に至るのか?。そもそも彼女たちはホツマツタヱ以降誕生した神々であり、宮下文書上には存在しないのだ。言い換えると宮下文書を正史とおくならば、ニギハヤヒ・瀬織津姫・ヒルコ(ワカヒルメ)・ククリヒメ・宗像三女神・九頭竜神・アメノホヒは、その系図や名前を剥奪された神々である。そして宮下文書には必ず彼女たちの御正体が埋もれているハズだと。

だとすれば現代の常識に囚われては歴史解明はムリだろう、頭を切り替えて根底から考え直す必要性があった。いつまでも記紀に固執して堂々巡りをしている場合ではない。正直に九頭竜=小幡毘女命(ウサミ妃祖家系統神)かな?と思っていた時期もありました。武藤少弐氏が崇敬した與止日女命(川上さま)も再考察が必要かもしれない。

 

m(_ _)m

 

 

 

 

x始めたんですけど...。

そもそも宮下文書自体がセンシティブな内容なので、いつシャドウバンになってもおかしくはありません。ただいま言える事は、宮下文書研究者が世間的にどういう扱いにされているかを伝えるよい実例かと...。

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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