セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

『さんよりこより』に見る妹背論、瀬織津姫とマゴコロ夫妻は飛騨一宮『位山』を示す?。

 

 

子供たちの『さんよりこより』の声が聞こえる。





 

 

 

2025,4,13

『さんよりこより』というお祭りを知ったのは2018年ころだった。この頃はまだ宮下文書未読の時期で、ホツマツタヱを読みながら近県の瀬織津姫系神社を回っており、認識するのは必然の流れだったと思う。しかし熊オッサンの目に止まったのはむしろ例祭日。

なんと8月7日ではないか(苦笑)。

奇しくも熊オッサンの誕生日と同じである。多分…偶然なのかもしれないがシンクロニシティを感じる出来事の一つであった。

 

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~目次~

 

 

九頭竜・ヒルコ・ワカサクラヒメは同一神ではないのか?、阿波✕安房あわわ神社レイライン - セキホツ熊の謎を追え!

宮下文書で妹背解明、飽波神社の瀬織津姫・ヒルコをそれぞれ夫神たちが見守っていた?。 - セキホツ熊の謎を追え!




『さんよりこより』とは…。

 

信濃国伊那を流れる三峰川支流藤沢川には守屋神社や守屋山があり、物部守屋二男が西国から逃れ隠れ住んでいたという伝承がある。下流には天竜川をへて遠州へ注がれる。さんよりこよりを簡単に言えば、この三峰川の美篶(みすず)川手地区の天伯社と、富県桜井の天伯社を神輿で渡る七夕祭りである。

室町中期1427年(応永34年)、藤沢片倉(当地から守屋神社方面)に祀られていた天伯様が洪水によって富県桜井に流れ着き、その後再び美篶川手に流れついたという。1472年(文明4年)から例祭となり川手と桜井を神輿で結ぶようになったという。神輿の意味は、天伯様が神輿にのって対岸の妃神に逢うためのもの。つまり…単純に考えて瀬織津姫命の夫という位置づけとなる。

祭りでは、洪水を起こす鬼(疫病神)に扮した大人を地域の子供たちが七夕飾りでたたいて退散させる。掛け声『さんよりこより』は『さあ、寄ってこい』の意味で、鬼を退散させることで無病息災を願う。

※YouTubeで検索するとドキュメンタリーがでてきます。

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◯『川手天伯社』(長野県伊那市美篶)

〜御祭神〜

  • 棚機姫之命

※村社

 

◯『片倉天伯社(桜井天伯社)』(長野県伊那市富県)

〜御祭神〜

  • 瀬織津姫命

※雑社



◯『榛原天白社』(長野県伊那市美篶)

〜御祭神〜

  • 天之御中主命
  • 軻遇突智命

※愛宕天伯勧請。

因みにカグツチは月桜田毘女命の兄神、宮下氏族に榛原氏がいるが…。

※三峰川沿いにはいくつか天伯社が点在しており、御祭神はそれぞれ異なる。天伯信仰は全国に散見されるものの、諸説あって謎が多い。



七夕祭は旧暦7月7日、新暦と旧暦の間となる中暦(月遅れ)8月7日に祭られる地域が多い。ただ長野県『長野県町村誌』によると、川手の祭祀日9月7日であり、桜井の祭祀日7月7日なので間をとって8月7日になった可能性もあるかもしれない。もともとは頻繁に氾濫する川の鎮魂目的であり、後世にそれを天の川に見立て七夕要素を取り入れていったとの指摘もある。由緒書によると不思議なことに毎年8月7日の三峰川はとても穏やかなのだという。棚機姫之命と瀬織津姫命にとっても大切なイベントであるには違いない。

そして…今回は妹背論の裏付けとなっているのではないかと…。つまり天伯様とはマゴコロタケルであり、天棚機姫神は松島毘女命、川を渡って瀬織津姫命とは月桜田毘女命を投影しているのではないだろうかと睨んだ…。

 

(´(ェ)`)

 

 

 

 

 

 

天棚機姫神を祀る、長野県伊那市美篶『川手天伯社』



 



天棚機姫神とは?

 

天棚機姫神は、奇しくも807年(大同2年)忌部氏末裔官人が編纂した古語拾遺に登場する女神。天照大御神を天岩戸から誘い出すため神衣和衣を織ったとされる。天羽槌雄神とともに機織の神、倭文神として知られる。

天八千千比売命・天衣織女命・栲幡千千姫命と同一視される一方、天八千千比売命の母神であるという説もあり。倭姫命世記によると孫神が天八千千比売命という説もある。茨城県神社誌によると、泉神社御祭神の天速玉姫神(安房一宮などの天比理乃咩命)の母神ともされる。さらに各地に大麻や楮の織物をもたらしつつ、阿波皇祖神マゴコロ夫妻を奉祀していた阿波+安房忌部氏の影がチラついてくるわけだ。

また古事記における天服織女とも同一視される。スサノオがアマテラスがいる忌服屋に、天の斑馬を逆剥ぎにして投げ込んだ。そのときに天の服織女が驚いて梭を隠土を突いて死んだという。梭を隠土につく描写は、宮下文書において子宝に恵まれなかった松島毘女命を暗に示しているのではないかと…。

ホツマツタヱでも似たような描写があり、これが瀬織津姫ホノコ妹神・ワカザクラ姫ハナコとされる。スサノオ(スサノオ)に太斑馬を投げ込まれて圧死させられ、瀬織津姫命は妹の亡骸?を『活モノ』に祈って蘇生させたという意味深な記述を残している。

 

 

宗像大社の七夕伝説は、湍津姫神を祀る大島『中津宮』に由来する。ミカサフミ散逸文における瀬織津姫は、サクラタニ・滝つ背の女(タギツセノメ)とも呼ばれており、当ブログでは月桜田毘女命に比定できそうだ。中津宮には小さい川をはさんで『織女社』と『牽牛社』がある。御祭神はイザナギとイザナミとなる。近くには蛭子社と大歳社がある点も興味深い。蛭子命と歳神については後述。

福岡県宝満川の七夕伝承も興味深い。阿波〜安房〜英彦山へのライン上には『七夕神社』と『老松宮(稲吉老松神社)』がある。二社はそれぞれ対を成してレイラインで結ばれる。御祭神はマゴコロ夫妻の御子夫婦、アメノオシホミミとタクハタチヂヒメとされる。宮下文書におけるこの夫妻はニニギ・タマノオヤら八王子の子宝に恵まれるも、マゴコロ夫妻の後追いか?最後は謎の心中をしたようだ。おそらくは先代への敬意の表れで、七夕祭りは皇家にとっても意義深い想いが込められているハズだ。

また、山梨県韮崎市穂坂町柳平『本宮倭文神社』では天棚機姫神が七夕社として祀られており、七夕信仰の一部と見なされているようだ。

※因みに、七夕は一般的に中国漢時代編纂の『古詩十九首』に由来するとされるが、宮下文書における神代はその遥か昔である。







 

 

 

 

 

川手地区を、いざ出発

 

 

マゴコロタケル事件と憶測(まとめ)。

 

宮下文書日本創世期、クニトコタチとクニサツチが日本を分割して四季島統治をしていた。クニトコタチはトヨクムヌを生み、孫にあたるのが阿和武男命(諡マゴコロタケル)。トヨクムヌは早世して残されたマゴコロタケルは西国阿波→東国安房へ拠点を移した。この系統は子宝に恵まれず、富士朝太神宮に祈願し苦難の末に末に一子を儲けた。待望の御子を残して夫妻は謎の同日崩御した。

遺児となったアメノオシホミミは、アマテラスに引き取られ未婚養子となり、従姉妹の青木比女命に養育された。マゴコロタケルの母神・白瀧比女尊が尾茂太留尊と再婚し、その御子が青木比女命。マゴコロタケルの義妹にあたり、コトシロヌシ妹でアメノウズメの姉にあたる。つまり妹背本来の意味が、『皇家総出の世継ぎ達成』であることを裏付けている。

いずれにせよこの事件は兄弟二極体制の終焉を意味しており、つづく富士朝一極体制の幕開けとなる。




〜阿和武男命(マゴコロタケル)〜

  • 宮下文書版クニトコタチ孫
  • トヨクムヌの一人っ子
  • アメノオシホミミ父
  • ホツマ版男神アマテル(ワカヒト)?
  • 熊野若一王子(若宮信仰、王子権現)?
  • 若宮八幡?
  • ワクムスビ(ワカムスビ)?
  • アワナギ?
  • ニギハヤヒの一部???




〜妹・松島毘女命(マゴコロアイヒメ〜

  • 宮下文書版ウイジニ九女
  • 月桜田毘女命の妹
  • マゴコロタケル妃
  • アメノオシホミミの系譜上の母
  • ホツマ版ヒルコ(アメノオシホミミ養母)?
  • ワカヒルメ・ワカヒメ?
  • 九頭竜神(御子アメノホヒを瀬織津姫に取られる)?
  • 玉津島神?
  • 天棚機姫神?




〜姉・月桜田毘女命〜

  • 宮下文書版ウイジニ長女
  • ツクヨミ妃、カグツチ妹
  • 松島毘女命姉
  • アメノオシホミミの???
  • 瀬織津姫命?
  • アマテラス荒魂?
  • ヤソマガツヒ?
  • オオゲツヒメ?




ここからは個人的妄想となるが…。

宮下文書三輪本現代訳p61によると、アメノオシホミミは阿和武男命の御子だと明言している。ただ松島毘女命までは言及されていない。率直に言わせていただくと、宮下文書とホツマツタヱを併せて読む限り代理出産の可能性もありそうかなと思っている…。

となれば一体誰が…?。

 

神代の状況説明をすると。当時ツクヨミ妃の月桜田毘女命は高天原加茂山に拠点を置いており、オオヤマツミを含め八男一女子宝に恵まれてきた。ホツマツタヱにおけるアメノオシホミミの母神・瀬織津姫命に比定できそうだ。日本書紀における正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は八王子神、宮下文書における寒川毘古命ことオオヤマツミ諱は正哉山住命という。遺伝子的には松島毘女遺伝子に最も近い人物であったわけでかなりの適任者と思われる。

いずれにせよこのときツクヨミ夫妻もこのとき、遥々淡津佐から子宝祈願にやって来た妹夫妻を、高天原で出迎えていたハズだ。

 

ただこれはあくまで熊オッサンの憶測であり、真相は宮下文書における新しい記述の発見を待つしかないであろう。後世にも様々な議論・憶測を呼んだと思われる。正直…現代人の感覚では、縄文文化を推し量れない部分も多い。それにしても待望の御子を置き去りにして夫妻揃って同日他界せねばならなかった理由は何だろう?。おそらくは日本史最大級のミステリーとなるであろうが、最大のヒントは諡『マゴコロ(真心)』にあり、夫婦のケジメを感じていたのではないか?と思われる。

 

崩御を遂げたマゴコロ夫妻は太神宮近く『菅原』に埋葬された。お察しのように後世の菅原道真祖先はサルタヒコ子孫であり、古来からこの地で太神宮神官をしていた。この地はクニサツチの埋葬地であるが比定地は不明、ただクニサツチは長寿であった故にマゴコロ夫妻の方が先に埋葬された可能性あり。現在付近には山梨県富士吉田市下吉田『天神社』がある。かつては連歌明神とも呼ばれ、戦国時代の領主小山田信茂が連歌の会を催したという。境内には『機神社』があり天棚機姫大神が祭られる。

熊オッサンが参拝したときは直感的に、アメノオシホミミ妃タクハタチヂヒメかな?と思ってしまったのだが…。今思うと松島毘女命?だったのかなとも思う…。

 

(´(ェ)`)



 

 

 

 

 

三峰川に『さんよりこより』がこだまする。



 

瀬織津姫命を祀る、長野県伊那市富県『桜井天伯社』に到着





ホツマツタヱ比定は誰なのか?

 

前記事でも述べたように、ホツマツタヱにおける瀬織津姫命とヒルコと九頭竜神の関係は、我が子を取り合ってしまった図式にも見える。はじめは何でこんな複雑なのかイマイチよくわからなかったが…、結局マゴコロタケル事件を隠蔽しつつも、アメノオシホミミとアメノホヒにその影響を投影させているのではないか?と思うようになった。

そして、我が子アメノホヒを瀬織津姫ホノコに奪われた九頭竜モチコ、その彼女への逆恨みと復讐心が因果応報のように自身へと返ってきた形となる。

 

 

①九頭竜神がスサノオと不倫をして、瀬織津姫命がアメノホヒ預かる。

②瀬織津姫命がアメノオシホミミを産み、アメノホヒを育てる。

③ヒルコとオモイカネが、タヂカラオ・シタハル・ウワハルを産み、アメノオシホミミを育てる。

④九頭竜は瀬織津姫がとっくの昔に死んだことを知る。戸隠にてタヂカラオに諭され封印される。

 

 

結果として月桜田毘女命と松島毘女命の桜姉妹を並祀せざる得ない状況に陥っていた。こうしてみると、シタハルと瀬織津姫命を祀る武蔵一宮小野神社もホツマ神道大系の延長線にあるとわかる。これが小野神社(東京都府中市)由来の府中日顯・而小野月隱の正体なのであろう。以降形を変えて継承され、日神ヒルコ(ワカヒルメ)と月神瀬織津姫の『妹背の道』の並祀へ発展したと思われる。

さらに後世の記紀では、アメノオシホミミはアマテラスから生まれたことに統一された。このような皇史改竄の隠密性ゆえに、瀬織津姫命は消えざる得ない状況になっていたのではないだろうか?。



〜ホツマツタヱ妹背の道(伊勢語源?)〜

  • 豊受大神(宮下文書版クニトコタチ)
  • 男神アマテラス(宮下文書マゴコロタケルの投影?)
  • 瀬織津姫命(宮下文書版月桜田毘女命?)
  • ヒルコ(宮下文書版マゴコロアイヒメ?)



神代皇家のデリケートな世継ぎ問題ではあるが、実際のところは家族周辺にしか知らされなかったブラックボックスだった可能性もある。そのエピソードは時代を越えて曲解や美化されつづけ、王が死ねば妃・家臣が続くのは当然という、埴輪発明以前の残酷な風潮を生じさせてしまった可能性もある。宮下文書文書の曖昧な記載故に様々な憶測が生まれていたのではないかと…。上古〜ホツマツタヱ編纂時代の祭祀従事者も煮え切らない気持ちだったのではなかろうか?。それでも祖霊信仰の子孫からしてみれば…日々の祭祀をやめるわけには行かなかったのだろう。










 

 

 

桜井天伯社から神輿が帰還へ。

 

 

天伯ニギハヤヒ説?、ただし祖家ウマシマジの影あり。

 

最近よく思うのがネットで騒がれているニギハヤヒ論争とは、このマゴコロタケルと月桜田毘女命がルーツではないか?と言うこと。ニギハヤヒと瀬織津姫命は宮下文書に登場せず、唯一揃って登場するのはホツマツタヱのみ。ただ二柱の時代背景は全く異なり、夫婦になれるわけがないのである。正直このニギハヤヒ・瀬織津姫夫婦論は情報ソースは不明、どちらかというと都市伝説に近いように思うが…。

ニギハヤヒとニニギにはそれぞれ別系統の天孫降臨伝承があり、前記事ではニギハヤヒ≒天孫タマノオヤではないかと述べたが…。結局タマノオヤは八幡信仰・熊野信仰を通じて祖父マゴコロタケル(若宮)を奉祀していた立場なわけだ。先代旧事本紀のニギハヤヒ別名・天照国照彦天火明櫛玉饒速日は、結局ホツマ版アマテル・タマノオヤ(櫛玉)・ホノアカリらを纏めて内包しているのだろう。時代・時代により定義もかなり変わってきているのではないかと…。

結局記紀ベースのニギハヤヒ論とは、結局マゴコロタケルの要素が強いのではないか?と思うようになった。

(´(ェ)`)。



▲アマテラスの天孫=ニニギ

▲クニトコタチの天孫=マゴコロタケル?

△宮下文書版マゴコロタケルの天孫=ニニギ(四季島統治再編完了)




ここで思い出していただきたいのが、天伯様が三峰川支流藤沢川から流れて来たことだ。奇しくも高遠町藤沢には物部系の守屋神社がある。真偽のほどは不明であるが、587年『丁未の乱』にて蘇我馬子に敗れた物部守屋二男(のちの守矢氏祖)が隠れ住んでいたという伝承あり。現在も末裔を称する守屋姓が多いという。だとすると日本書記ベースで考えれば、物部守屋が祖神ニギハヤヒを祀っていてもおかしくはない。

ただ忘れてはならないのが、古事記以降ニギハヤヒの御子が物部祖ウマシマジにされてしまっている点。宮下文書ではニギハヤヒは登場せず、ウマシマジは祖家(蘇我大伴系統)となるので注意。

 

〜ウマシマジ末裔の家系〜

▼古事記ニギハヤヒの御子   物部氏祖

▲宮下文書フトダマ55世孫、蘇我大伴氏(祖家)

 

※長野県伊那市高遠町藤沢『守屋神社』

 



一方で、祖家や忌部がマゴコロタケル祭祀を重視していたのは確かなようだ。

中国地方に渡り田地間・稲葉国造となったフトダマ55世孫ウマシマジの痕跡ごと、何故か物部系統にすり替えられてしまっている気がする。石見一宮『物部神社』の御祭神がウマシマジなのもその影響ではないかと。それと同様に、信州諏訪湖に近い守屋神社は詳細が不明であり、改竄されたものである可能性も認識しておかねばなるまい。そもそも諏訪湖の地主神タケミナカタも、戸隠地主神タヂカラオも祖家系なわけで、この祖家影響力を排除しカムフラージュしている可能性もありそうだ。

同時に祖家ウマシマジ子孫・蘇我と大伴がいかに大きな祭祀的影響力を各地に持っていたかが分かるであろう。これを改竄したのはおそらく藤原や記紀。蘇我・大伴を滅ぼした彼らはこの影響力を恐れ、ニギハヤヒや滅亡した物部氏の名を使って今も全国各地を封じている格好だ。

 




◯『安房一宮安房神社』(千葉県館山市大神宮)

〜御祭神〜

  • 天太玉命(忌部氏祖)
  • 天比理刀咩命(フトダマ妃)

 

〜忌部五部神〜

  • 櫛明玉命( 出雲忌部祖)
  • 天日鷲命( 阿波忌部祖)
  • 彦狭知命(紀伊忌部祖)
  • 手置帆負命(讃岐忌部祖)
  • 天目一箇命(筑紫忌部・伊勢忌部祖)



〜宮下文書における忌部解明?〜

▲祖家フトダマ55世ウマシマジ二男・御鉾海辺命(安房忌部氏か?)

▲皇別タマノオヤ53世・日鷲気留木彦命(天日鷲命か?)

▲櫛明天手長命46世・櫛明玉命(ワダツミ系か?)

 

さらにフトダマ55世孫ウマシマジ二子・御鉾海辺命が安房国に渡り、安房忌部祖となったと見られること。結局彼らはフトダマ祖家やタマノオヤ末裔で混成された祭祀集団で、皇祖神マゴコロタケル祭祀を任されていたようだ。武蔵国に出てくる大伴武日と出雲族エタモヒもシンクロしており、武蔵一宮に瀬織津姫命と天下春命を祀っている形跡がある。

出雲族がニギハヤヒを信仰してきたという説もあるが、おそらく出雲一宮熊野大社の熊野信仰(若一王子)の影響を指していると思われる。さらに熊野国造祖の穂積臣藤白鈴木氏が、物部同祖としてニギハヤヒを祀る理由も合点がゆく。おそらくは熊野若一王子≒ニギハヤヒ≒ホツマ版アマテルと語っている人もいるのだろう。

熊オッサンが言うのも恐縮だが、根拠のないスピリチュアル情報が氾濫していると思われる。
(´(ェ)`)。



 

 

 

 

 




さんよりこよりが指し示すものは『位山』だった。



結局、さんよりこよりの神輿ルートはなにを意味しているのか?、とりあえずいつものお約束でグーグルマップで線を引いてみた(苦笑)。Googleマップ占いとも呼べそうだがなんと…、飛騨一宮水無神社の御神体『位山(くらいやま)』を指し示しているではないか!!。

前記事では乗鞍岳の古名が位山(安房国山)だとご紹介した。今回はもう一つの水無神社御神体であり、宮川と飛騨川の分水嶺『位山』なので注意。

 

(´(ェ)`)

 

 

 






◯飛騨一宮『水無(みなし)神社』(岐阜県高山市一之宮町)

 

〜主祭神〜

  • 御歳大神

〜配神〜

  • 大己貴命
  • 三穗津姫命
  • 応神天皇
  • 高降姫命
  • 神武天皇
  • 須沼比命
  • 天火明命
  • 少彦名命
  • 高照光姫命(ホツマ版ヒルコの同一視?)
  • 天熊人命
  • 天照皇大神
  • 豊受姫大神
  • 大歳神
  • 大八椅命

※水無大神=八幡神という説あり。御神木が位山。

 

 

 

御祭神は水無大神(御歳大神ほか14柱の総称)で、位山を水主神の御神体として五穀豊穣を祈願をしたという。この地は神通川(宮川)と飛騨川の分水嶺となる。ヲシテ文献ミカサフミ散逸文における御歳神は、歳徳神、『シタテルの年の恵みの大御守』。ホツマツタヱにおけるツクバのイサ宮で誕生した、ヒルコ(ワカヒメ・ワカヒルメ)のこと。なぜかホツマツタヱでは、タカテルヒメ・シタテルヒメとも同一視されている。

また、飛騨名物『さるぼぼ』にも注目、アマガツの一種でホツマツタヱでは厄災の人形祓いの一種のように記載されている。速開都姫アキコがアメノオシホミミとタクハタチヂヒメの婚姻の際に贈ったとされる。興味深いのがこれが飛騨山脈東側の安曇野大町『若一王子神社』にも伝播されているとみられ、例祭日には『ぼぼさま』という子神が町を練り歩く。水無神社では4月3日 に飛騨生きびな祭り、養蚕祭が始まり、養蚕と農業の振興を祈願する。内裏様・お雛様・官女などに扮した未婚女性9人が稚児を引き連れて町内を練り歩く。

また..かつて位山の櫟(イチイ)を笏の材料として天智大君に献上した折に、この木が官位一位を賜った。以降木を櫟、山を位山と呼ぶようになったという説があり。阿波忌部氏の麻の反物である麁服(あらたえ)とともに献上されている。この櫟と麁服が…なんと飛騨〜阿波へのレイラインとなって、阿波と安房、松島と桜島を結んでいたわけだ(苦笑)。

 

 

 

 

▲月桜田毘女命…桜島???

▲松島毘女命……松島???

 

 

 

 

 

 

〜位山三山〜

  • 位山(水無神社御神体)
  • 船山
  • 川上岳

 

また位山には、船山と川上岳の女神二柱が男神一柱に求愛するという伝承もある。位山男神が『名月を合図に、先にこちらに着いた方を娶ることにする』と告げ競わせたという。船山側女神は化粧をしていた為に出遅れ、悲しんだ彼女は位山との間に『無数河川』という川をつくり断絶させた。飛騨川となり木曽川と合流して太平洋側伊勢湾へ注がれ、宮川は神通川と合流し日本海側富山湾へ注がれる。

阿波と安房、櫟と麁服、松島と桜島。807年と8月7日。

こ…こんなカラクリは人間に作れないだろうと感心してしまう。宮下文書マゴコロ夫妻とホツマツタヱ妹背の概念、桜と松の意味がわからなければ解読は難しいだろうけど…。やっぱり神さまいるとしか思えないんですよね~。

『さんよりこより』も、妹背を知った今となると『産より子より』と聞こえてしまうのだが…。

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そもそも宮下文書自体がセンシティブな内容なので、いつシャドウバンになってもおかしくはありません。ただいま言える事は、宮下文書研究者が世間的にどういう扱いにされているかを伝えるよい実例かと...。

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次回は位山レイラインの詳細です(予定)、GWで少し記事が遅れるかもしれませんm(__)m。


 

 

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