セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

ウガヤ朝欠史と、王子たちの富士黒潮トライアルが海神信仰となった可能性?。

 

 

 

日向国の鴨就宮『青島神社』へ
まさか安房国松島とレイラインになっていたとは思わなかった。

 

青島神社『元宮』
早朝参拝、帰りには参拝者が一定数いた。

 

 

 

2025,6,16

 

前記事の続き。

和歌山県新宮市『浜王子』が武蔵国へ勧請され東京都北区『王子神社』になった。またの名を『若一王子宮』『王子大権現』ウガヤフキアエズともいう。

前記事では…。神武東征の折に皇兄・稲飯命と三毛入野命が必勝祈願したのが若一王子であり、海神要素が高いのではないか?との推測がでてきた。だとすれば熊野若一王子=王子権現=マゴコロタケル=海神なのだろうか?。

今回はウガヤフキアエズ時代における海神信仰の重要性を深掘り考察してみた。黒潮と海神と王子権現解明のカギになるかもしれない。



(´(ェ)`)


~目次~

 

東海第二原発は807年空海聖地だった?、大甕神社『御根磯』と吉田氏族『水戸レイライン』 - セキホツ熊の謎を追え!

熊野灘に消された稲飯命・三毛入野命の神武東征武勇伝と、『神風』を呼ぶ謎の大海神?。 - セキホツ熊の謎を追え!

男神アマテルに内在するマゴコロタケル投影?、熊野最重要神『若宮』と忌部の関係。 - セキホツ熊の謎を追え!

〈東国祖家大国〉瀬織津姫・稚日女命・丹生都姫も祖家女系だった?。忌部は隠蔽された皇族史を祀っていた。 - セキホツ熊の謎を追え!









宮下文書版ウガヤフキアエズ朝とは

 

宮下文書版ウガヤフキアエズ朝をおさらいすると。

神代ニニギ朝に大陸勢力が攻勢をかけてきた。ニニギ御孫ウガヤフキアエズは、富士高天原では北九州への初動が遅れてしまうために、九州高千穂峰遷都を断行した。比定地は日向国周辺を転々としていた可能性があるが、敵襲来の北九州に対して対馬海流、富士高天原に対して黒潮の上流にあたることからアクセスは抜群であった。

富士朝体制を継承しつつ、大陸監視を強化する一方で、富士高天原(山梨県富士吉田市付近)は聖都(宗教的拠点)として堅持された。諱即位式では全51代ウガヤフキアエズ皇太子が富士高天原へ参詣し、事あるごとに勅使を遣わし連絡を密にしていた。宮下文書研究家加茂喜三氏曰く、ウガヤフキアエズ朝全51代は2741年間続いたと算出している。

 

ウガヤフキアエズ朝時代は海洋文化が昇華されていた。宇佐神宮を大本営として日本各地に海洋拠点のネットワークが構築されていた。その中核がワダツミ豊玉彦命八子の末裔たちで伊豆・佐渡・隠岐・対馬・壱岐まで、通信・交易・巡視にまで及んでいたと推測する。

 

(´(ェ)`)









王子たちの母神への誇りが海神信仰となった?。

 

歴代ウガヤフキアエズ皇太子たちには即位にあたり最大の難関があった。これが富士朝『諱即位式』までの大航海トライアルで、太平洋上黒潮に乗って富士高天原へ入麓するものであった。

黒潮は秒速1~2m幅、最大100kmにおよぶ世界最大規模の海流。縄文人にとっても難易度の高い航海であった。それを従者30〜40名(推定)の船団で、九州日向高千穂峰→富士山高天原に黒潮に乗って辿り着く。当然途上で命を落とす皇太子もいたようで、資質以上の強運を問われることになる。命を落とした王子たちは、富士山御祖代神と大自然から審判と判断された。王宮ではそれをありのままに受け止める以外になく、他の皇兄弟へと引き継がれた。



〜高天原トライアルで命を落とした王子たち〜

▲2代ウガヤフキアエズ千穂高王尊項

第二王子奈加尾王命と従者36名が嵐により太平洋上没した。ウガヤ王宮は尾羽張国ホノアカリ御子神・尾羽張彦命から報告を受け、宮中はパニック状態であった。しかし高天原大御神の怒れる業に違いないと判断され、仕切り直して、心身清浄に努めた皇弟の千穂高王を富士朝へ送った。

 

▲39代ウガヤフキアエズ津加田彦王尊項

兄第二王子の多仁彦王尊が高天原途上で急死した(死因不明)。弟の津加田彦王尊が高天原に上がり即位する。

 

▲43代ウガヤフキアエズ波奈長王尊項

兄津真男王命が即位のため高天原への洋上にて沈没。弟の波奈長王尊が即位する。

 

▲48代ウガヤフキアエズ津加彦王尊項

兄忠長彦王命が即位のため高天原への途上、青木ヶ原にて急死。弟の津加彦王尊が即位する。



48代ウガヤフキアエズ津加彦王尊項では、当初は皇兄忠長彦王命が高天原にて諱即位式に上がる予定であった。しかし富士高天原目前の青木ヶ原にて急死した。これは長引いた航海が理由だったのかもしれないが、つまりは天の大御神の怒りであると判断された。仕切り直して弟の津加彦王尊を皇太子に選任し、二十一日間斎戒断食のあと心身を清浄して新たなるトライアルへ挑んだ。

 

ウガヤ王子たちは、富士山御祖霊の男系遺伝子をもち、トヨタマヒメ・タマヨリヒメのワダツミ女系遺伝子を誇りにしていた。稲飯命曰く『私の皇祖は天つ神であり、母は海神の女であると。如何にして賊を海路を許すことができようか』彼らにしてみれば海神信仰への祈願は家系的に自然なことだった。言い換えれば、祈願とは海神信仰であり祖霊信仰といっても過言ではなかった。

 

 

(´(ェ)`)










 

 

 

 

和歌山県和歌山市和田『竈山神社』
宮下文書版ウガヤ51代七王子を祀る貴重な神社。



住吉大神と竃山陵墓のウガヤ的影響

 

前記事で少し触れたが、宮下文書三輪本現代訳p123における海津住神社(対馬一宮?)・貴船神社・住吉神社・西宮神社・竃山神社は皇族や士官の慰霊地であった。西海における戦没神を祀る宮として西宮大神がある。住吉大社にしろ西宮神社にせよ関西人の商売人気質がかなり反映されていると思われる(苦笑)。となると祀られている住吉三神とヱビス(蛭子命)がさらに謎が深まる…。

p78における切枝間神社(霧島神宮?)の起源は初代ウガヤフキアエズ朝に遡り、もともとは陸軍戦死者を祀っていた。この対となり、海軍総大将健磐龍命を阿曽山(阿蘇神社?)に祀り建岩龍命神社とした。

当然これらの神社は、ウガヤフキアエズ神皇たちの鎮魂祭祀が非常に強いと思われる。

(´(ェ)`)



摂津一宮住吉大社の住吉大神とは?。

宮下文書における住吉大神とは、神武皇兄・海津彦五瀬王命のこと。もともと摂津国住吉は筒男命末裔が代々統括していた地域であった。神武東征の折に彦五瀬王命がナガスネヒコ急襲に遭い難波まで退却した。このような経緯から戦後、住吉大神としてこの地に祀られた。現在では住吉三神=海神として知られているが、根底にはやはりウガヤ朝海洋文化が根ざしていたのであろう。

それに加えて海軍配備の一環として、ヱビス曾孫豊玉彦命八子の54代孫ら三柱を本営本陣元帥として『海守三大本営大本陣』を定めた。三宮に津都王三神を配祀した。

 

 

〜津都王三神p133〜

▲上筒之男命…天之世天之神七代の大御神

▲中筒之男命…天之御中世火高見神十五代の大御神

▲底筒之男命…高天原世天神七代の大御神



〜海守三大本営大本陣〜

▲摂津『住吉の宮』上筒之男命を祀る

▲土佐『高加茂の宮』中筒之男命を祀る

▲宇佐『祖古都八ッ幡の宮』底筒之男命を祀る

 

 





彦五瀬命は神武東征中に戦死したので、大和国からかなり離れた紀原の竈山に戦中埋葬された。現在の和歌山県和歌山市和田『竈山神社』の境内、『竈山墓』に比定される。ただ宮下文書を読んでいる人であればお気付きであろうが、なんとウガヤ51代七王子が揃って祀られている非常に貴重な神社だ。ヤタガラスが指し示す意味も分かりやすい。

 

◯『竃山神社』(和歌山県和歌山市和田)

〜主祭神〜

  • 彦五瀬命(宮下文書版皇太子)

 

〜配祀神〜

  • 稲飯命(宮下文書版二皇子)
  • 御毛入沼命(宮下文書版三皇子)
  • 神日本磐余彦命(神武天皇)
  • 高倉下命(宮下文書版六皇子or高座日多命?)
  • 可美眞手命(宮下文書版フトダマ左臣祖家)
  • 天日方竒日方命(宮下文書版アメノコヤネ右臣武部)
  • 天種子命( 中臣氏祖)
  • 天富命(忌部氏祖)
  • 道臣命( 大伴氏祖)
  • 大久米命(宮下文書版七皇子)
  • 椎根津彦命(宮下文書版五皇子)
  • 頭八咫烏命(ヤタガラス)

 

〜宮下文書ウガヤ51代弥真都男王尊七王子〜

  • 皇太子 海津彦五瀬王命(戦死)
  • 二皇子 稲飯王命           (戦死)
  • 三皇子 三毛野入野王命(戦死)
  • 四皇子 日高佐野王命(のちの神武天皇)
  • 五皇子 阿田美椎津彦王命
  • 六皇子 高倉日本王命(富士朝参拝、山背県令)
  • 七皇子 軽身大久保王命(富士朝参拝歴あり)




七皇子軽身大久保王命は、51代皇弟高座日多命(媛蹈鞴五十鈴媛の父神)とともに富士朝参拝に同行して、フツノミタマと富士朝ヤタガラスの御神託を持ち帰る。高座日多命の読み方は不明だが、タカクラとも読める。個人的には神倉神社祭神『高倉下命』に一番近い人物ではないかと思っている。











ウガヤ51代七王子とヤタガラス。山背で何があったのか?




次に京都府『貴船神社』をクローズアップすると

宮下文書では戦死した海軍皇族・将校の神霊を貴船大神とした、この海軍皇族とは天津稲飯王命三毛野入野王命のことを指すと明記している。よってこれらの地域に残るタカオカミ・イワナガヒメらの水神祭祀は、本来は英霊鎮魂目的で祀られていた可能性がある。例えば貴船川→鞍馬川→賀茂川の下流『賀茂御祖神社』『河合神社』に、全51代ウガヤフキアエズ皇后である全51代タマヨリヒメ(多摩夜里毘女尊)を祀っているわけだ。

まさに京都府賀茂川流域はウガヤフキアエズ王族の大霊廟であり、ホツマツタヱではその影響力を暗示させたい思惑があったのではないかと…。だとするとホツマ版別雷命=霧島神ニニギに変更されている理由、また富士朝水神→霧島山軍神に変更された理由が見えてきそうな気がする。

 

〜賀茂別雷命比定神〜

▲ホツマツタヱ→ニニキネ(ニニギ)

▲宮下文書→カモサワヒメ(オオヤマツミ妃・コノハナサクヤ母)

 

ホツマツタヱでは、比叡山麓出雲路に棲むタマヨリヒメが、別雷命(ニニキネ)の放った白羽の矢に当たって懐妊したという。出雲路とは京都にある地名で出雲氏に関係が深いとされるが、どちらかと言うと丹波出雲クニトコタチ霊廟『出雲大神宮』の意味合いが強い気がする。この懐妊で産まれたのがミケイリ(三毛野入野王命)であり出雲の御子とよばれた。この後にウガヤフキアエズの内局になってイナイイ(稲飯王命)を産み、さらに内宮となって神武天皇を産んだ。

 

それにしても…このウガヤ王子たちの複雑怪奇な系譜は一体何なのだろうか?。

結局ホツマツタヱがやりたかったことがウガヤ王朝2代〜51代の完全欠史なわけで、宮下文書と比較すると不自然としか言いようがない。おそらくはホツマ成立の10代崇神天皇〜12代景行朝が、出生順と逆行する神武皇兄の序列を明確にしたかったのであろう。歴代改竄ポイントとして皇位継承権を明確にする点が挙げられる。これはイナイイやミケイリ末裔に皇位継承権を絶対に主張させないためでもあるのだ。一子相伝の家系には仕方のない面もありそうだ。大和朝廷らは暗に彼らの子孫を、表には出せないヤタガラスとして恐れ疎んでいたのかもしれない。

このように罪悪感に憑依された権力者たちが一番恐れているのは、祖霊信仰上の祟りだった。ただ子孫が生きていく上で、祖先への鎮魂・感謝を怠るわけには行かなかったのだろう。祖霊信仰では子孫がいる限り祖先の鎮魂・感謝は、何らかのカタチで行われている。それはたとえウガヤフキアエズ朝が欠史されても、奉祀者たちが起源を忘れてしまっていても。どこかで継続されているハズである。


※個人的にはその一つが、富士山〜高千穂峰レイライン上にある武蔵国府大國魂神社の奇祭『くらやみ祭り』だと思われる。大國魂神社のシンボルはクニトコタチが愛した霊長カラスである。

エタモヒ大伴武日は武蔵国でシンクロする、富士太神宮鳴門阿蘇のレイライン大交差点。 - セキホツ熊の謎を追え!



(´(ェ)`)








 

 

 

紀の松島



何故熊野なのか?熊野は男系祭祀なのか?

 

熊野灘の『灘』というのは海の難所という意味、海流・潮流が速く航海が難しい海域。海岸近くはリアス式海岸もあり岩礁・暗礁が多い一方で、黒潮大蛇行が発生すると漁業・海運・気象にも左右される。しかしなぜこんな山多き半島に熊野信仰が根づいたのか?。

そもそも熊野信仰を創建したタマノオヤ大宮司御子ウサミが、海洋性の強い軌跡を残してきた。伊豆国伊東に生まれたウサミはタマノオヤの西国賊軍平定に従い、西方諸々の州国を『久眞(くま)なく治めた』ので久眞野山に久眞野の宮を建てた。つまり富士朝大宮司家御子による歴代皇祖神をテーマとした戦勝記念祭祀なのである。そこにイザナギ・イザナミ・アマテラス・アメノオシホミミ・タマノオヤは確実に祀られており、皇祖マゴコロタケルが祀られていない方がおかしいかもしれない。現在の熊野祭神から推測するにイザナミ・アマテラス以外は皇祖男系祭祀が強いようだ。そしてホツマツタヱにおける男神アマテラスの斎名『ワカヒト』となり、若=王子=男系祭祀というそのままの意味なのではないかと。

クニトコタチ男系は子宝に恵まれなかった。一人っ子マゴコロタケルから、一人っ子アメノオシホミミが誕生し、スサノオ女系タクハタチヂヒメの血を得てニニギ・タマノオヤら八王子神が誕生した。時期的には天神七代からの四季島統治再編とかさなり、牛頭天王八王子権現の始まりを祝うことになった。クニトコタチとクニサツチは七王子。阿族にとって七王子から八王子への変革は大きな意味を持つ。ただ記紀成立後は、マゴコロタケルはアメノオシホミミ義母である女神アマテラスと同一視されていったようだ。

いみじくも最後の神皇・ウガヤフキアエズ51代は七王子を残す。その七王子が熊野地域を拠点として新しい日本と大和朝廷を作り出したわけで、若一王子の意義も見えてくる…。


ここから神武東征にて紀伊半島に行宮を置いた理由も見えてくるわけだ。宮下文書版神武東征に登場する日高の宮比定地は不明。ただ通説では新宮市神倉神社の天ノ磐盾(あまのいわたて)に拠点を置いていたといわれている。つまりは紀伊半島熊野は戦略上の重要拠点、東の富士朝高天原』と西の高千穂峰ウガヤフキアエズ朝の連携を重視していたのだ。

さらに黒潮に最も接近している本土中継地も重要なポイント。西国の戦況をいち早く把握でき故郷の伊豆半島にも近い、やはり東西平定においては適任地であったのだ。

こうして熊野信仰は航海上や日常生活における祈願を集め、ワダツミ八子末裔により紀伊半島・伊豆半島・三浦半島・房総半島などにも伝播されたと思われる。

 

(´(ェ)`)

 




 

 

 

忌部氏海人要素がチラつく『若』のワケ。

 

『若』のネーミングは、宮下文書版忌部氏といわれる忌部若道命にも由来していそうだ(詳細は前記事にて)

紀伊半島那智勝浦と房総半島勝浦は同義で、勝占の忌部という人物に因んでいるという。天日鷲命末裔を称する勝占忌部須須立命は、房総半島の開拓神となって『遠見岬神社』を創建した。ここから『勝占(かつら)』→『勝浦(かつうら)』となったという。

阿波国式内社『勝占(かつら)神社』があり、神社由緒書によると『勝ちを占める』縁起がある。また出雲系海人豪族が拠点としていたというが…個人的にはこれはタマノオヤ系天日鷲命(後述)のことではないかと思っている。伊豆国白浜の伊古奈比咩命神社にも、忌部氏の伝承が多少残っているという。だとするとまさにウガヤ朝王子たちが目指した太平洋黒潮ルートではないか???。

このようにもともと忌部氏には海人族要素があるわけで、黒潮沿い房総半島への航路から紀伊半島や伊豆半島にかけて、彼らの痕跡があっても何らおかしい事ではない。当ブログでは忌部連はフトダマ祖家・タマノオヤ安曇・ワダツミ系が混在しているとみている。例えば忌部祖神の一柱である天日鷲命は、タマノオヤ53世孫・日鷲気留木彦命と比定する。神武天皇時代に穴門摂津県令に任命されており、阿波を含めた瀬戸内海の管理を行っていた人物とみられる。

もし彼らが安房国マゴコロタケル祭祀を担った立場であれば、祖とする忌部若道命の武勇伝を残そうとした思惑があったに違いないと…。ホツマツタヱ成立以降マゴコロタケルの存在が曖昧にされ、忌部若道命の存在が忘れられると、『若』の隠語だけが残されていったのかもしれない(妄想)。

 

熊野灘に消された稲飯命・三毛入野命の神武東征武勇伝と、『神風』を呼ぶ謎の大海神?。 - セキホツ熊の謎を追え!

 







 

 

 

 

 

鴨川松島



黒潮航路沿いの『若』信仰。

 

黒潮の流れの果てに阿和礼住(安房国)があった。阿波で生まれたマゴコロタケル=若一王子の新天地であり、古代神道においては阿波と並んで大きな聖地だったはずである。阿波・安房忌部氏はこのクニトコタチ男系皇祖神の祖霊祭祀を任されていた。仏教由来の補陀落渡海船でも、熊野灘を出発して極楽浄土への宗教行の根底には、このような東国常世への祖霊信仰が背景にあったと思われる。

※通説では若一王子=アマテラスなので注意。



〜安房紀伊・松島レイライン〜

 

  • 大波月海岸ロウソク岩(282mズレ)
  • 墨名熊野神社(1181年伊藤祐範の創建)
  • 遠見岬神社(勝占忌部須須立命の創建、1㎞ズレ)
  • 小湊神社(アマテラス)
  • 誕生寺(日蓮生誕地伝承)
  • 鴨川弁天島・厳島神社(円仁=慈覚大師の創建)
  • 鴨川松島
  • 九頭竜稲荷神社(1kmズレ)
  • 安房総社六所神社(安房国府付近)
  • 安房総社鶴谷八幡宮
  • 安房一宮洲崎神社(御神石)
  • 伊豆白浜・伊古奈比咩命神社(元三嶋伝承)
  • 走湯神社(下田市大賀茂)
  • 伊豆吉田海岸・吉田白鳥神社
  • 紀の松島
  • 青島神社(鴨就宮)
  • 大淀川と檍神社(イザナギ祓所伝承、天神七代、ヤソマガツヒほか)
  • 知覧町護国神社(1kmズレ)
  • 旧陸軍知覧滑走路跡(神風特攻隊出発の地)
  • 天御中主神社(枕崎地区最古の妙見神社)
  • 坊の岬灯台
  • 戦艦大和撃沈の海(北緯30度43分・東経128度04分から16kmズレ)

 

※この海神レイライン上には、神風特攻隊出撃地と戦艦大和撃沈海域も含まれる。マゴコロ夫妻もこれを見守っていたのか...???

 

 

『さんよりこより』に見る妹背論、瀬織津姫とマゴコロ夫妻は飛騨一宮『位山』を示す?。 - セキホツ熊の謎を追え!



一方、黒潮沿い土佐国を見て気付くのは、土佐国は若宮・若一王子宮だらけだ。因みにマゴコロタケル生誕地と思われる阿波国には若宮が多い。土佐で有名な桂浜(かつらはま)も嘉列浜・嘉津浦浜・勝浦浜と呼んでおり、忌部氏が関与していたとする説もある。

四国高知県香西市にある『若一王子宮』は、熊野若一王子ことアマテラスを勧請したとのこと。社記によれば、村上永源上人なる人物が紀州熊野から十一面観音のお厨子を背負って来たといわれる。年三回非公開で行われる奇祭に『烏喰儀』または『お烏喰御膳上げ』があり、これも熊野権現に因んでいるという。かつては紀州熊野神社(権現)と山城国若一神社(京都市下京区)と三社で行われていたが、現在は当宮のみで行われている。

逆にいうと…忌部が幅広い活動側面をもつ故に、若一王子が海神信仰に見えるだけとも言えそうだ(苦笑)。つまりマゴコロ夫妻の海神的要素も、奉祀した忌部氏海人族要素の一側面だったのかもしれない。

 

だけ...?(´(ェ)`)



 







 

 

 

2024年8月11日・11時11分到着の安房鴨川『厳島神社』、あわうたを奏上した。
奇しくもこの翌日、早地峰山では台風5号が上陸した…。



〈追記〉大本と九鬼氏、熊野に接点?。

 

この地域の海神信仰は平安期以降の熊野水軍、室町期以降の九鬼水軍らの海神信仰も関係がありそうだ。

熊野本宮大社の八庄司一派が、九木浦(九鬼浦)を拠点として九鬼を称した。戦国時代の九鬼水軍はこの九鬼嘉隆が志摩を拠点に率いたときの水軍で、織田信長や豊臣秀吉を支援し『鉄甲船』を建造した。

一方で大本教発祥地・綾部はかつて九鬼家旧領であった。出口ナオは九鬼家の屋敷にあった本興稲荷を崇敬していたという。そこで啓示を得ていたとする説もある。これが九鬼文書を残した九鬼氏との接点となる。この本興稲荷神社は九鬼隆季が伏見稲荷神社から勧請したものとされるが、熊野三山の奥の院『玉置山』から勧請したという説もあるようだ。

というか…そもそも伏見稲荷大社の元宮が、玉置神社摂社『三柱神社』とする説があるようだ。熊野別当の末裔とされる九鬼家からすれば、玉置神社のほうが自然な流れなのかもしれない。




◯『玉置神社』(奈良県吉野郡十津川村)

〜御祭神〜

  • 国之常立神(大本では丑寅の金神といわれる)
  • 伊弉諾尊
  • 伊弉冊尊
  • 天照大神
  • 神日本磐余彦命

 

〜摂社末社〜

  • 三柱社(倉稲魂神・天御柱神・国御柱神)
  • 若宮社(住吉大神・八幡大神・春日大神)
  • 神武社(迦具土神・速玉男神・高倉下神)
  • 玉石社(大巳貴命)
  • 白山社(菊理媛神)
  • 山之社(大山祇神)
  • 大日堂社(役小角)



当ブログでは稲荷信仰=皇祖神として見ており、ウケモチ=サルタヒコ父神オオトノヂ、豊受大神=クニトコタチと考える。もし熊野の歴代皇祖神クニトコタチや淡津佐国地主神マゴコロタケルが大本と関係していたのであれば、岡本天明や日月神示、麻賀多神社に関係してもおかしくはないと思われる。

 

 

(´(ェ)`)




 

 

 

 

 

 

 

 

青島の朝焼け

 

 

おわりに

 

  • 2017年10月伊豆国『伊古奈比咩命神社』参拝。
  • 2023年11月日向国『青島神社』を参拝。
  • 2024年5月紀伊国『竃山神社』を参拝。
  • 2024年8月に安房国『鴨川松島』へ。
  • 2025年5月に熊野灘『浜王子』『紀の松島』へ。

これらが、黒潮上2つの松島のレイラインとなっていることには気づかなかった。黒潮大蛇行が始まったのがなんと2017年8月で、8年の歳月後2025年に潮岬『潮御崎神社』参拝直後にあっさり終息するとも思わなかった(苦笑)。

もちろん因果関係は全て不明ですが…。

(´(ェ)`)

今思うと今回の記事を書く布石だったのかなと思う。2024年竃山神社へ行った時点で、ウガヤ51代七王子と八咫烏を拝して、『富士朝とウガヤフキアエズ朝の歴史を伝えられる人間になります、頑張ります』と誓った。何となくフラフラ行った感も否めないが、少なくとも知りたい、誰かに伝えたいという明確な意図があった。

最近思うに、これは運命というよりは、意思あるところに道が開けたのではないだろうか?。自らの使命を探すのに時間をかけて頑張るよりも、思ったこと、感じたことをとりあえずやってみることをおすすめします。ただし人間はうつろい易く、飽きっぽいので、8年間貫くには『頑張り』が必要でした。

そして忘れた頃に道は開けます(´(ェ)`)。

 

稲飯命さまと三毛入野命さまにお導きを得られるとは思わなかった。勝手ながらここまで手助けしていただいたと考えております…。

ありがたいことです(´(ェ)`)

 

 

 

 

 

 

x始めたんですけど...。

そもそも宮下文書自体がセンシティブな内容なので、いつシャドウバンになってもおかしくはありません。ただいま言える事は、宮下文書研究者が世間的にどういう扱いにされているかを伝えるよい実例かと...。素朴な疑問なんですけど、宮下文書を語っているのにシャドウバンされてない人は、大衆操作に加担しているネット工作員か情報攪乱要員と考えてよいのでしょうか?。

ま...素朴な疑問なんですけど (´(ェ)`)

 

 

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