セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

瀬織津姫と九頭竜神を繋ぐ?。オモイカネ兄弟の天表春命・天下春命レイライン。

戸隠奥社九頭竜神×小野神社瀬織津姫のライン上
『善光寺』


2024,3,31

 

ここまでの一連の流れを説明すると。

宮下文書版ヤマトタケルが戦勝後、帰還。戦後副将として西国からやってきた大伴武日が富士朝高天原に残留。同祖である東国蘇我大伴系統を、再び天皇勢力に反抗しないように見張っていた。この時に信州出雲戸隠が封じられ、東国の祭祀基盤が整えられた形跡がある。。。

ただ彼の痕跡は、世間的には殆ど消されている。この痕跡をたどることによって、武蔵国出雲族と信州出雲の謎も見えてくると思われる。

 

これを踏まえて今回ご紹介するレイラインは、武蔵一宮小野神社にスポットを当てる。

いままでは一つの側面として、富士山〜高千穂峰のレイラインの延長線上であり、主祭神・瀬織津姫を祀る意味を考察してきた。

今回はもう一柱の主祭神・シタハルの御役が見えてきた。戸隠方面へのラインが確認されたのだ。戸隠神社ウワハルと小野神社シタハルの兄弟レイライン。瀬織津姫vs.九頭竜神のライン。そして能登半島→信濃→武蔵→房総半島へかけてのレイラインでもある。

※宮下文書では、蘇我氏と大伴氏は同祖。フトダマとウマシマジは蘇我大伴祖となるので注意。

※※宮下文書には、九頭竜神・アメノホヒ・ヒルコ・瀬織津姫・シタハル・アメノオシヒ・ミホススミは登場しない。

 

~目次~

戸隠神社と仁科神明宮、アマテルとスサノオと九頭竜モチコの三角関係を擬えている?。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

 

 

 

武蔵国小野神社のもう一つの御役?、シタハル。

 

 

〜瀬織津姫✕九頭竜レイライン〜

 

  • 國造神社(珠洲市長橋、能登國造?)
  • 二子神社(珠洲市若山・タマノオヤ?)
  • 能登半島見附島(能登半島シンボル)
  • 加志波良比古神社(式内社論社)旧社地
  • 青海黒姫山(奴奈川姫命の拠点)
  • 戸隠山
  • 戸隠九頭竜社(九頭竜神)
  • 戸隠奥社(タヂカラヲ)
  • 戸隠中社(オモイカネ)
  • 飯縄神社里宮(別名皇足穂命神社、全国飯縄惣社)
  • 善光寺
  • 九頭竜権現社(長野市大豆島)
  • 清水寺(長野市、行基開基、坂上田村麿中興)
  • 鳥居峠(ヤマトタケル由来?)
  • 浅間山(吾妻郡嬬恋村)
  • 秩父大神社(小鹿野町、オモイカネ)
  • 武甲山(1.2kmズレ)
  • 虎柏神社(式内社、ホツマ版ヤマトタケル由来)
  • 羽村阿蘇神社(平将門造営、徳川家康参拝)
  • 日野宮神社(日奉氏)
  • 日野八坂神社(新選組奉納額、日野総鎮守)
  • 土方歳三資料館(土方歳三生家)
  • 武蔵一宮小野神社(瀬織津姫・シタハル)
  • 関戸九頭竜神社(九頭竜神)
  • 佐伯屋敷跡(延命寺隣)
  • 霞ノ関
  • 関戸古戦場跡(鎌倉幕府最終防衛線)
  • 旧聖蹟記念館(明治天皇・田中光顕関係地)
  • 連光寺旧跡(一宮旧跡説あり)
  • 富津岬、オトタチバナヒメ布流津伝説
  • 吾妻神社(富津市西大和田、オトタチバナヒメ櫛伝承、源頼朝伝承)
  • 鴨川加茂神社(2.2kmズレ)
  • 加茂川神社(加茂川河口)
  • 熊野神社(安房国東、長狭郡一の宮総権現)

 

 





というか…多摩地域は熊オッサンのお散歩コースでもある。

ここには記載していないが、昔からよく行く近所の小さな神社が、このレイライン上でドンピシャであった。このブログ記事のなかには、ライン上のとある自然公園で、ゴロゴロ日向ぼっこしながらスマホで書いたものも結構ある。

全部見られていた???(´(ェ)`)










レイライン上を北から説明すると…。

 

◆國造神社

由緒や御祭神は全く不明。能登半島七尾市『大地主神社』〜元宮『加夫刀比古神社』のレイライン上のクロスポイント。

前記事では、大地主神社の御神霊の、安房国造『伊許保止命』ではないか?と…推測した。姓氏家系大辞典によると大伴氏(姓は直)で、出雲国造、武蔵国造などと同系とされている。ここでは伊許保止命=大伴系と解釈されていることに注目。






◆見附島と加志波良比古神社

石川県珠洲市宝立町鵜飼『見附島』。奥能登の名勝、能登半島のシンボルといっても過言ではない。水墨画のような断崖絶壁の美しい無人島で、その形状から別名『軍艦島』と呼ばれる。

島のてっぺんには、なんと崇神天皇時代創建の式内論社、加志波良比古神社(能登国珠洲郡)があった。加志波良比古大神が降臨の折に、初めて見つけた島を見附(みつけ)と称した。さらにその上陸地を着崎(つきざき)と呼んだ。往古は末社21社、神職12人、社料一千石を下腸された近隣村の総社とされた。現在は石川県珠洲市宝立町柏原に遷座されている。

 

◯『加志波良比古神社』(石川県珠洲市宝立町柏原)

〜御祭神〜

  • 加志波良比古神
  • 伊加志穂比古神

※旧社地見附島



この伝承が空海(弘法大師)と混同されている感がある。空海は806年(大同元年)、新潟県佐渡市小比叡『蓮華峰寺』を開山したと伝えられる。その帰還の能登半島への途上に、初めて見付けた島とされる。空海の出自は諸説あるが、伴氏系図によると大伴氏(大伴連)を祖とする。宮下文書版『伴氏』は800年延暦噴火避難活動の功績により、富士朝関係氏族太田氏・羽田氏が賜っている。空海自身も、807年(大同二年)坂上田村麿とともに入麓して富士朝鎮魂活動を開始している。そもそも根本的に再考察が必要だ。

島はその後も信仰対象とされ、見附神社(見附弁財天社)という社が残っていた。これが1993年2月の震災で倒壊した。2024年1月の震災直前まで海上に残っていた小さな鳥居は、その名残りだったという(2024年2月現在、鳥居も倒壊した)。

 

宮下文書には見附島の記載はない。

ただ…もともと見月島と称していた説もあり。柏原の地名から分析すると、月・柏・原、ともに富士朝シンボルを暗示する言葉でもある…。

前記事のように能登半島とは、宮下文書版クニサツチ一行が初めて本州上陸した聖地である。対馬海流を北上して能登半島を発見して、佐渡島からターンして野登(のと)に漂着した話を彷彿とさせる。もっと言えば…、これは宮下文書版クニサツチの上陸地と関係ないだろうか???。

(´(ェ)`)

 

〈能登半島①〉能登は日本人上陸の聖地、七尾市と七瀬祓と富士朝七廟の接点。 - セキホツ熊の謎を追え!






◆青海・黒姫山

青海黒姫山は、奴奈川姫(沼河姫)命の拠点とされている。宮下文書には登場しない。ただ…糸魚川の翡翠と関連付け、新天地安曇野へ入植した古代安曇族祖ではないか?との説あり。信州安曇野広域に祀られる梓水大神・瀬織津姫ともなにか関係がありそうだ。

奴奈川姫命はオオクニヌシとの間に、タケミナカタとミホススミを生んだわけで、信州出雲との繋がりを感じてしまう。タケミナカタ≒ミホススミとの説もあり。これらが意味じくも、能登半島珠洲市『洲洲神社』の御祭神でもあった点は興味深い。

 

wikipedia奴奈川姫によると、古語の『ぬ』は宝玉の意味で、ぬなかわ=玉の川の意味となる。レイラインで多摩川の小野神社と結ばれている点にも注目。武蔵一宮小野神社は、安曇族末裔小野氏祖・天押帯日子命を祀っていたたいう説があり、安曇族繋がりで結ばれることになる。当ブログでは、安曇族小野氏祖『宇都志日金拆命』を富士朝2代目大宮司タマノオヤ御子と見ている。

むかし、熊オッサンが子供の頃、日本海が見たいと、思いつきで青海へ遊びに行った経験がある。

(´(ェ)`)






◆飯縄神社里宮(皇足穂命神社)

前記事参照。

古来から戸隠信仰を見て来たといわれる飯縄権現。学問行者が戸隠開山にあたり、飯縄山に祈願したという。ここは飯縄山奥宮に対して、里宮という位置づけ。とはいえ然程大きな村落でもないし、飯縄山麓とはかけ離れた地域にある。正直なんでこんな場所にあるのかな?と思っていたのだが…。なるほど、戸隠奥社と善光寺のライン上に介在していたわけだ、配置的にも合点がゆく。

 

2022年8月熊オッサンが参拝しているのだが…。

本殿横に、なぜか東京都日野市内某自治会の『参拝記念樹』の記念碑があるのだが…。日野市はウチの近隣なのでちょっと気になっていた…。なんで日野市なんだ?と…。

後述するが、奇しくもこれがレイライン上で、日奉氏拠点の日野宮神社(日野市の語源)と繋がっているとは…。結果として、今回の記事の大きなヒントになった

(´(ェ)`)




 

善光寺世尊院(釈迦堂)、七池『花ヶ池(桜井)』。
左奥が『蓮華院』、廃仏毀釈の戸隠から安置された九頭竜神本地垂迹・弁財天

 

◆善光寺

本尊『一光三尊阿弥陀如来』は、日本最古の仏像。552年百済経由で聖明王の使者から、29代欽明天皇に献上されたことに始まる。日本書紀における仏教伝来には、有名なエピソードがある。

仏教を促進していたのが蘇我稲目であり、古来からの神道を重んじていたのが中臣鎌足と物部尾輿。神道派は仏像を拝むことを、国津神への冒涜と考えていた。それでも蘇我稲目は私邸を寺として、仏像を拝みつづけた。570年に疫病が流行すると、物部尾輿らは国津神の逆鱗に触れたと考えた。蘇我稲目の造った寺を焼き払い、仏像を難波の堀江に捨てた。その後も天災人災が続き慌てて回収されるが…、尚も天災人災が続いたので再度捨てられた。

この二転三転の背景には、宗教を巡る蘇我と物部の権力争いがあったと言われる。

 

善光寺縁起によると、この堀江に捨てられた仏像を、本田善光が拾ったという。伊奈郷の信濃元善光寺から諏訪善光寺を経由して、現在の信濃国水内郡芋井の郷に安置した。ただし、善光は架空の人物という説もある。。

注目すべきは、本田善光の生誕地である元善光寺が、伊奈郷(下伊那郡阿智村・阿智神社近く)にある点。この阿智神社こそが、平安期に、戸隠御祭神のオモイカネとウワハルの遷座元とされる。やはりヤマトタケル東征の痕跡が多い土地である。

ここで重要なのは、これが蘇我氏の関与した仏像と思われること。宮下文書版の東国蘇我大伴系統の影響力もチラついてくる。



話しが逸れるが…。

静岡県御前崎市『池宮神社・桜ヶ池』の伝承によると、善光寺『阿闍梨池』にも諏訪湖と桜ヶ池へ通じているという伝承あり。御祭神が瀬織津姫命とタケミナカタとコトシロヌシ。これが戸隠奥社→戸隠鏡池→秋宮→諏訪湖→諏訪善光寺→池宮神社桜ヶ池はレイライン上にある。

 






◆浅間山

極めて活発な活火山として有名。

浅間山は古来から信仰対象とされており、31代用明天皇時代に真言宗智山派の浅間山真楽寺が開山。このとき浅間山が噴火しており、天皇の勅願となった。用明天皇御子・聖徳太子や源頼朝や松尾芭蕉が参拝した伝承がある。

境内社『水分神社』には蘇我大伴系統タケミナカタが祀られており、諏訪大社御祭神が真楽寺の泉より顕現した民話がある。





 

◆武甲山と秩父神社の関係

宮下文書三輪本現代訳神皇紀の巻末地図によると、アマテラス時代の武蔵国は『武佐志』と表記される。範囲は多摩地区+秩父地区+神奈川県東部のみで、現在の東京23区や三宮氷川神社があったエリアは淡津佐国に含まれる。

これが時代とともに分離併合を繰り返したようだ。7世紀令制国以降、知々夫(ちちぶ)国は无邪志(むさし)国と併合した。



◯武蔵四宮『秩父神社』(埼玉県秩父市番場町)

〜御祭神〜

  • 八意思兼命(通説ウワハルとシタハルの父神)
  • 知知夫彦命
  • 天之御中主神
  • 秩父宮雍仁親王

 

主祭神にオモイカネを祀る、武蔵四宮『秩父神社』



『先代旧事本紀』によると、10代崇神天皇時代。オモイカネ十世孫の知知夫彦命が初代知々夫国造に任命されたという。オモイカネ御子のシタハルが、武蔵+秩父国造等の祖となる。故に秩父大神にもシタハルが含まれる説あり。

先述した阿智神社wikipedia、兄神ウワハルは信乃阿智祝部の祖神とされる。その弟神シタハルが知々夫国造の先祖とされる。どちらも大伴部と推定される。

 

南南東5km程にある『武甲山』は、四宮秩父神社の神奈備山となる。かつて日本武尊が、自らの甲(かぶと)をこの山の岩室に奉納したという伝承あり。かつては武蔵国のシンボルとも言われていたが、現在は石灰岩採掘のため山ごと削られており、無惨な姿を晒してしまっている。

 




◆虎柏神社

神社は崇神天皇時代創建の式内社論社、近年まで諏訪神社を称していた。

ホツマツタヱ39文によると。ヤマトタケル東征の折に、トラガシハなる人物がヤマトタケルの馬の鐙(あぶみ)を拾い、ヤマトタケルの玉飾りの鐙を造り直して献上した。彼が長であった村にタマカワアフミ(玉皮鐙)という名を賜る。後世、これが多摩川の語源ではないかと言われる。





◆日野宮神社・佐伯屋敷跡

タカミムスビ末裔を称する、武蔵守日奉氏の拠点。

10世紀頃平安京から多西郡土淵荘に移り住んで、武蔵国政に関与していたといわれる。鎌倉時代には国府西に拠点を置いていた為に武蔵七党『西党』とも呼ばれた。単にタカミムスビ末裔を称しているだけで、他の日奉連と別氏扱いされることもあり、…謎が多い。

宮下文書版の蘇我大伴系統は左臣で、皇家と同族祖。神武天皇〜11代垂仁天皇までに、皇家+左右臣三つ巴の近親婚システムにより皇家・女系の血が多く入っている。言うなればタカミムスビ女系子孫。

 

 

wikipediaアメノオシヒによると、大伴系(大伴連・大伴宿禰・佐伯連・日奉連)の祖。『新撰姓氏録』によると、関連氏族として佐伯日奉氏が上がる。長野県佐久市望月字御桐谷『大伴神社』のwikipediaによると、景行天皇40年に、大伴武日が馬に乗って当地にやってきた。現在は大伴氏祖としてアメノオシヒが祀られており、これが大伴武日命とも解釈されているようだ。

 

〜東国で混同されている???〜

▲アメノホヒ…(野見宿彌、土師氏子孫、武蔵国造祖出雲族エタモヒの祖)

▲アメノオシヒ…(大伴氏祖、佐伯連?、日奉連?の祖)。神狭日命ともいう。

※アメノホヒとアメノオシヒ(天忍日命)は宮下文書に登場しない。

 


アメノホヒとアメノオシヒは混同されていると思う。これが武蔵国出雲族の実態を表しているようにも思えてならない。意図して御神名を似せた感もあり…。個人的に考えているのは…。日奉氏は、2世紀大國魂神社創建に関与したと思われる大伴武日に一番近い氏族なのではないか?と…。そして大伴武日を解明すれば、人見稲荷神社由緒書きにある出雲族『兄武比(エタモヒ)命』の正体も見えてくるはずだ。つまりは信州出雲の解明に繋がる?。

アメノホヒ出雲族=サルタヒコ子孫+蘇我大伴系統???

 

(´(ェ)`)

 

※因みにライン上、 東京都多摩市関戸『延命寺』隣には、戦国時代の佐伯屋敷跡がある。何か接点がありそうだ。

調査中(´(ェ)`)







◆土方歳三生家(富士山夏至クロスポイント)。土方歳三の出自は諸説あり。

宮下文書的には、大山守皇子五王子で、遠久見留国造であった、土形遠栄彦子孫『土形氏』の可能性もありそうだ。

奇しくも彼の箱館戦敗北後、戸隠顕光寺は廃仏毀釈の名目で明治政府に焼き討ちされた。中国地方出雲の杵築大社が『出雲大社』を名乗った。奇妙な一致である。

(´(ェ)`)



注目すべきは、当地が富士山〜武蔵国分寺跡『夏至レイライン』のクロスポイントであること。ライン上には、谷保天満宮(国立市)や平山八幡神社(日野市)があり。前述の日奉氏の末裔平山氏所領で、近年武蔵国衙に匹敵する四面廂大型遺構が発掘された。平山八幡神社では、徳川家康と天海が日月の軍配を奉納している伝承もある。さらに浅川周辺7つの村、七生(ななお)地区と呼ばれており、都立平山城址公園内にある奥宮『季重神社』にタカミムスビを祀ったとの説もある。

富士朝高天原にて、タカミムスビを祀っていた本宮とみられる富士吉田市大明見『高座神社』。その権現山麓参道入口に『平山』という地名がある…。

日奉氏派生川口氏も、阿祖山太神宮の夏至レイライン上の八王子市川口町に拠点をおいている。このあたりも縄文~弥生遺跡が多いという。なぜこれほど彼らが富士山と富士朝の夏至方面に拘っていたのか?。単なる偶然なのか?。






 

◆霞ノ関と小野神社(多摩市)

wikipediaによると、創建は安寧天皇18年。宮下文書によるとこの時代、東国に大乱があり、蘇我大伴系統タケミカヅチ・フツヌシ子孫が鎮圧した。単なる水辺の水神ではなく、蘇我大伴系統による東国鎮護?の可能性もでてくると思う。

 

東京都多摩市関戸には、『霞ノ関』という大きな関所があった。これは4世紀における富士朝宮下家子孫、小多摩を拠点とした吉田四奈摩古彦『関戸氏』に由来するとみられる。周辺には都内最大級の落川一宮遺跡があり、800年延暦噴火以前の東海道の起点(諸説あるが、現在の多摩市連光寺付近)と重なる。ここから、横山→小野路→寒川→相模国分寺→富士朝家基都へと向かっていた。鎌倉時代には幕府防衛上の要衝となり、1333年の新田軍鎌倉討伐の最終防衛ラインでもあった。宮下文書版57代大宮司富士三浦左京亮義勝が、妹の夫にあたる新田義貞と密約を結んで武蔵国を南下。通説20万?の東国軍勢が、ここから一気に鎌倉へ雪崩込んだ。

宮下氏族がこの霞丿関にも関与していたのだろうか?…。結局、小野神社を崇敬していた太田道灌が、新しい東海道と海路の玄関、品川付近を拠点とするようになった頃から?、『霞が関』の地名も江戸へ移った気もする…。




◯武蔵一宮『小野神社』(東京都多摩市一ノ宮)

〜主祭神〜

  • 天下春命
  • 瀬織津比咩命
  • 伊弉諾尊
  • 素盞嗚尊
  • 大己貴大神
  • 瓊々杵尊
  • 彦火火出見尊
  • 倉稲魂命



小野大神は、天下春命と瀬織津姫命のみとされる。本地垂迹は文殊菩薩なので、瀬織津姫命のほうが近いと思われる。武蔵総社大國魂神社に武州六大明神として、小野大神シタハルのみの記載。ただシタハルにも大きな御役があるハズだと…。





 

◆富津岬・安房鴨川

富津岬は、宮下文書比定『阿津佐の出崎』ではないかと思われる。入水自殺したオトタチバナヒメの櫛が漂着したのを、深河意弥命が回収してヤマトタケルに献上した。このレイライン上の千葉県富津市西大和田『吾妻神社』には、この櫛に関する伝承あり。房総半島へ逃亡した源頼朝が参拝した。

前記事でも述べたように、神武天皇時代のフトダマ蘇我大伴系統55世孫・ウマシマジの二子が御鉾海辺命。論功行賞にて武両富佐(武蔵+房総?)の県令を賜る。大和国から上富佐国(上総)へ移り、阿房安房の宮(洲崎神社または安房神社?)にとまる。

もともと武蔵は、フトダマ蘇我大伴系統のフツヌシ勢力圏であり、加えて西国よりウマシマジ御子の大勢力圏が生まれたわけだ。ヤマトタケル東征後は、蘇我大伴同族である大伴武日が監視していたと思われる。

 

wikipedia安房神社によると、大伴部氏は安房国造(阿波国造)一族。前述のように膳大伴部を在地で統率する大伴直(膳大伴直、のち伴直)とされる。ここでもやはり蘇我大伴系統が出てきた点に注目。安房一宮安房神社『下の宮』では、前述アメノオシヒが、フトダマ弟神として祀られていている点も興味深い。

 

 

レイラインは最終的に、安房鴨川の加茂川河口を示している。







戸隠顕光寺三院の一つ『戸隠神社中社』
平安期勧請していたオモイカネを、廃仏毀釈後に祀る。



見えてきたオモイカネファミリーの御役?

 

今回のレイラインには3つのテーマが見られる。

①瀬織津姫✕九頭竜神の繋がり。

②ウワハル・シタハル兄弟の繋がり。

③能登半島と房総半島の蘇我大伴系統の繋がり。

 

戸隠中社・秩父神社のオモイカネ家族神が貫くラインとも言える。そして能登半島と房総半島の接点。その背景には東国蘇我大伴系統の大義名分?御役?が見え隠れしている…。



〜左臣フトダマ蘇我大伴系統神〜

  • フトダマ(左臣蘇我大伴系統の象徴神)
  • タヂカラヲ(信濃)
  • タケミナカタ(諏訪・信濃)
  • タケミカヅチ(常陸)
  • フツヌシ(上野・武両富佐?)
  • ウワハル(蘇我祖ウマシマジの別名?)



〜ホツマ版オモイカネ家族ファミリー〜

  • オモイカネ(アチヒコ)
  • ヒルコ(アマテラス姉・ワカヒルメ)
  • タヂカラヲ(信濃にて九頭竜を封じる)
  • ウワハル(信濃・秩父の祖)
  • シタハル(武蔵の祖)

※もともと宮下文書版アマテラス時代の武佐志創成期は、多摩地区と秩父地区だけであった。



  • オモイカネ(戸隠中社・阿智神社・秩父神社)
  • タヂカラヲ(戸隠奥社)
  • ウワハル(戸隠宝光社・阿智神社)
  • シタハル(小野神社・秩父神社?)






◆オモイカネ

オモイカネは、ホツマツタヱと記紀版のタカミムスビの御子であり、アマテル姉ヒルコを娶る。天忍穂耳命の妻である万幡豊秋津師比売命(戸隠火之御子社)の兄。

宮下文書三輪本現代訳神皇紀p139の神武天皇項によると。BC657年9月9日、神武朝大嘗祭が挙行。『大臣浜荻命、中臣忌部八重垣命、思兼堅石彦命がこれを掌った。息長津玉垣命を祭主に任じ、以下の職を奉ずる者九十六人である…』とある。因みに宮下文書における中臣とは、左右大神の両末裔を意味しており、藤原・物部・蘇我・大伴は全て中臣子孫となるので注意。

宮下文書のオモイカネは神代の存在ではなく、この思兼堅石彦(オモイカネカタイワヒコ)命がモデルではないかとみている。ただ、この一文のみで出自は不明。





◆ヒルコ

宮下文書には登場しない。

ホツマツタヱ版ヒルコはオモイカネ妃で、ワカヒルメほか複数名をもつ。通説、紀伊国や能登半島にも点在する玉津島神社の稚日女尊、丹生都姫神社の丹生都姫命とも同一視される。

日本書紀では、スサノオが馬の皮を逆剥ぎにしたものを投げ込み、驚いて機から落ちて死んでしまう。これはホツマ版瀬織津姫の妹・ワカサクラヒメの要素である。また、ホツマ版はタカテルヒメとシタテルヒメの名前にも由来しており、かなり多くの御神霊を掛け合わせた存在に見える。紀の川沿いには、なぜか八大龍王系と九頭竜系神社が点在しているのも気になる。ここに宇佐神宮に配流された九頭竜神と丹生都姫命(≒トヨヒメ≒ヨドヒメ≒小幡毘女命?)の接点を感じざるえない。近隣の河内国石川郡は、蘇我系石川氏の拠点でもある。

 

さらに宮下文書比定、アマテラス弟ヱビス(次男)の男神要素もある?と思われる。宮下文書表記は栄日子命となり、ヒルコ(昼子)に近い意味合いとなる。ヱビス(オオワダツミ)はもともと伊豆半島『淡島』を拠点としており、これが後世ホツマツタヱ成立によって『淡路島』と混同されたようだ。これが中央構造線紀伊半島の和歌山市加太『淡嶋神社』と混同されている可能性もあり?。







◆タヂカラヲ

通説、アマテラスの天の岩戸を開いた英雄神。

ホツマツタヱでは、オモイカネとヒルコの嫡男。全国を彷徨う九頭竜神を捕らえて、諭し、最終的に鎮めた神。

宮下文書では暴れるスサノオを捕縛し、スサノオに怯えて籠もっていたアマテラスを岩屈から連れ出した神となる。そして下記のように、娘の稲田毘女は、皇家守護の左右大神の遺伝子をもつ存在となる。スサノオ妃となり、タクハタチヂヒメとミホツヒメを生む。タクハタチヂヒメはニニギを生む。ミホツヒメはミホススミにも比定できる。




〜宮下文書版タヂカラヲ〜

▲手力男命(手名都知命=テナツチ)

天之茂登太手比古命の子(左臣蘇我大伴系統祖)

▲手力毘女命(足名都知命=アシナツチ)

天之茂登太足比古命の子(右臣藤原物部系統祖)






◆ウワハル・シタハル

先代旧事本紀よると、ニギハヤヒ天孫降臨伝承における、随従32柱のうち2柱とされる。宮下文書にはニギハヤヒは登場しない。通説オモイカネの御子兄弟。

宮下文書におけるウワハルとは、表春桟男(または表春桟玉男)命。どういうわけか神武天皇時代のウマシマジと同名…。宮下文書版ウマシマジは、太玉命55世孫で蘇我大伴系統祖。幼名を太玉若道命といい、神武即位後に中臣蘇我春建命を称し、最終的に可美眞手命(ウマシマジ)とした。中国地方出雲の隣、田地間と稲葉の国造となった。

通説ウマシマジは物部氏祖であり、出雲や東国に点在するニギハヤヒや物部伝承は、蘇我と物部のねじれ現象を起こしていることがわかる。彼が戸隠に蘇我大伴の顔として祀られていてもおかしくはないだろう。現に安房国にはウマシマジ御子・御鉾海辺命が県令をしており、能登半島〜房総半島はレイラインで結ばれているわけだ。

 





ここまで読んでいただければ、レイライン上の能登半島〜房総半島へ蘇我大伴系統がいっぱいいることにお気づきと思う。

善光寺には蘇我稲目の拝んだ仏教が安置される。東国に拡散されていた蘇我大伴系統の霊的パワーを結集して、信州出雲を封じ込めていた感すらある。ウワハル=ウマシマジはあり得る話だと思う。

そして…シタハルの御正体とは?。やはり宮下文書版蘇我大伴系統と見るほうが自然なのかなと…。

(´(ェ)`) 

次回は、そもそもなんで東国に蘇我大伴系統が大勢力圏を作ったのか。歴史をまとめてゆく予定。











2024年1月1日九頭竜神社にて…。見附島が大きく揺れた。



この先は、また書こうかどうか迷ったのだが…。地震・津波にストレスを感じる方は読まないほうが良いかもしれません。

能登半島の災害復興を、こころからお祈りします。

m(_ _)m

 

2024年1月1日16時10分、能登半島で地震がおきた。東京でもかなり揺れた。

奇しくもこのときの熊オッサンは、レイライン上の安房鴨川『加茂川』と、カモチャリ事件の記事を作成していた…。これも偶然なのだろうか?、スピリチュアル的にいうと…引き寄せの法則なのだろうか?。

震災後しばらくして震源地を知った。ネット上の能登見附島の映像は衝撃的であった。心揺らされるような感覚だった。震災中一番の衝撃映像と言ってもよいだろう。

※YouTubeで見附島と検索すると出てきます。

〈神社巡り〉安房国造家の宮下氏族と『真浦神社』、鴨川市加茂川沿い『加茂神社』。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

 

で…2024年1月1日、まだ何も知らない熊オッサンは、何処をほっつき歩いていたのかというと。

元旦早朝の初詣で、推定ご先祖様・武藤少弐氏の関わりがある大國魂神社と、小野神社を参拝。最後に関戸九頭竜神社へもいった…。よくよく考えてみると武蔵一宮小野神社というのは、富士山〜高千穂峰レイラインと、房総半島〜信州出雲戸隠〜能登半島レイラインのクロスポイントだったのだ。

もうやる事成すこと神々に見られている気がする...。

(´(ェ)`)


東京聖蹟桜ヶ丘には『関戸九頭竜神社』があり。もとは100m北、昭和50年まで熊オッサンが少年期通っていた塾の近くにあったらしい(苦笑)。何処かのブログで、小野神社と併せて参拝するとご利益がある…という記事を読んだことがある。ただ当初の熊オッサンはホツマツタヱ論者であり、九頭竜神は瀬織津姫命の敵であった。だから九頭竜神を畏れていた節があり、善悪二元論にどっぷり浸かっていたわけだ…。このように熊オッサンの神社巡りは、瀬織津姫が善すぎて可哀想で、九頭竜神が悪だったことから始まった(苦笑)。その後小野大神とご先祖様の関与も知った…。

宮下文書にめぐりあって以降、瀬織津姫も九頭竜神も、かなり不遇な御神霊ということもわかってきた。歴史を学ぶからには、九頭竜神の影の部分を知らねばならないと思った。以降この二社には、分離世界を統合するようなイメージで九頭竜神も参拝していた。初参拝は2018年か…何度も何度も通った。それがなんとレイライン上で、戸隠奥社と能登半島見附島と安房鴨川が繋がっていたわけだ…。2024年能登半島地震がなければ、気づかなかったシンクロニシティが多い…。

(´(ェ)`)



これは辰年元旦の瀬織津姫さまと九頭竜さまのメッセージだったのかなと…。あなたなら能登半島における古代神道の意味と、信州出雲の言向和平がわかるでしょ?と…。

二元性を超えてゆくには、善と悪の二元性にいる事を気付かねばならない。ホツマツタヱにおける鏡を司る瀬織津姫と、彼女への怒りと憎しみに身を任せ、悪の化身に成り果てた九頭竜神はそれを示しているのではないか?。

しかし実際彼女たちは、裏では仲良しで、それを超えてゆこうとする人間が増えるのを一緒に待っていたのではないかと…(妄想)。二元性とは、歴代権力者たちが勝手に不安を煽り、分断社会を煽り、ワンネスの真相を見えなくしているに過ぎない...。だからこそ、善と悪を超えた祈りが、縄文回帰のカギとなりそうだ。瀬織津姫だけでもない、九頭竜神だけでもない。レイライン上にもワンネス意識が現れているようにも思う。

 

(´(ェ)`)

 

 

 

 

 

 

 

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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