2024,4,15
まず今回は、ホツマツタヱ版『アマテル岩戸隠れ事件』を簡単にご紹介。
ホツマツタヱなくして、信州出雲戸隠を語ることはできない。それは現・戸隠五社の御祭神の状況が、ホツマツタヱ神道体系に一番近いことからも言えそうだ。さらに、前記事でご紹介した大伴祖神アメノオシヒが、ななな...なんと九頭竜モチコと深い関係にあることが判明した!。
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~目次~
- 九頭竜モチコとアメノオシヒの深い関係。
- 『アマテル岩戸隠れ事件』、戸隠はホツマツタヱを擬えている?。
- 『根の国』の宮下文書的背景。根の国が異常に長い理由?。
- 出雲国譲り、シラヒトコクミ事件、四道将軍派遣との重なり。
- 大伴連祖アメノオシヒとは?
- おわりに
〈緊急続報〉能登半島〜房総半島、戸隠神社と寒川神社を結ぶレイラインだった?。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈能登半島①〉能登は日本人上陸の聖地、七尾市と七瀬祓と富士朝七廟の接点。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈能登半島②〉安房能登紀伊トライアングル浮上、天比理乃咩命と丹生都姫命を結ぶ?。 - セキホツ熊の謎を追え!
戸隠神社と仁科神明宮、アマテルとスサノオと九頭竜モチコの三角関係を擬えている?。 - セキホツ熊の謎を追え!
瀬織津姫と九頭竜神を繋ぐ?。オモイカネ兄弟の天表春命・天下春命レイライン。 - セキホツ熊の謎を追え!
九頭竜モチコとアメノオシヒの深い関係。
まずホツマツタヱ7文のみ記載される、『シラヒト・コクミ事件』をご紹介する。
ホツマツタヱ曰く、高間殿(イサワ高天原)を震撼させた大悪党事件で、国中の注目を集めたという。
舞台は中国地方~越国付近?『根の国』。
もともと根の国はイザナギ弟クラキネがマスヒト(国造?)をしていた土地であった。クラキネの先妻の娘が、アマテラス妃となる九頭竜モチコと八岐大蛇ハヤコ。しかしクラキネは既に老いて独り身となっていた。
そこにならず者であったシラヒトという男が接近してきた。美人で評判のサシミメという女性をクラキネ後妻に推薦し、またサシミメ兄?のコクミをマスヒト補佐に登用させた。こうしてクラキネとサシミメとの間にクラコという娘が誕生した。
シラヒトはクラコを娶るが、裏ではサシミメとも通じ合っていた。クラキネは最期まで気づかず、遺言により次期マスヒトをシラヒトに継がせ死去、立山に埋葬された。
実は、シラヒトとコクミはこうなることをはじめから示し合わせていた。クラキネの死後、シラヒトはサシミメ・クラコ母子を、 サホコの政都ミヤヅの宮(宮津)にいたコクミの元へ送る。コクミは、サシミメ・クラコ母子を蹂躙した?という…。宮下文書的背景を補足すると、この時代の日本海側には白木(新羅?)人という部民が多く漂着しており、ウガヤ朝へ反抗してきた。これが神武東征の原因とされている。このシラヒトとは無関係かもしれないが。。。(推測)。
ここまでを簡単に言うと…、クラキネはまんまと美人母子ごとシラヒトに乗っ取られたわけだ。
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無法地帯となった根州三国を改革するために人事異動がされた。中央より新マスヒトとしてトヨケ御子カンサヒが派遣された。ただこの改革にはクラキネの娘であり・九頭竜モチコが一枚噛んでいたという。
新任の副マスヒトであったツハモノヌシは、新任マスヒト・カンサヒがこのシラヒト・コクミの悪行を黙認していると、アマテラスのいる高間殿(高天原イサワの宮)へ告発した。中央は御子アメノオシヒが後継につかせ、カンサヒを解任させた。シラヒトとコクミは死罪となるが、アメノオシヒが寡婦クラコを娶ると、その祝い事の恩赦を受けて、チタル国ヒカワへの流罪で済まされた。九頭竜モチコからしてみれば、クラコは腹違いとはいえ妹。父の忘れ形見となる。アメノオシヒから見れば九頭竜モチコには恩義ができた。さらに九頭竜モチコの采配で、配流したシラヒトとコクミを再びアメノオシヒが召し抱えることになる。。。
簡単に言うとトカゲの尻尾切り、罪人であるシラヒトもコクミの待遇は何も変らない。ただ思うに、ホツマツタヱというのは10代崇神〜12代景行時代当時の社会風刺ネタを、史実として遡り、神話化してしまった疑いがありそうだ。
そして...、この一連の事件によりアマテラスと九頭竜モチコの間に、しこりを残したのは言うまでもない。これがスサノオとモチコの不倫関係に発展する。
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※ホツマツタヱの説明上、時系列が前後する箇所もあるのでご了承ください。
『アマテル岩戸隠れ事件』、戸隠はホツマツタヱを擬えている?。
つぎにホツマツタヱ7文『アマテル岩戸隠れ事件』のあらすじを簡単に説明すると。
九頭竜モチコと八岐大蛇ハヤコがスサノオと不倫したことにより、姉妹は九州豊国『宇佐の宮』へ流罪となる。騒動の元凶になったスサノオ(ソサノヲ)は、そのストレスから高天原で暴れまわっていた。斎衣殿へ斑馬を投げ飛ばし、瀬織津姫ホノコの妹ワカザクラハナコを殺害してしまう。これに堪忍袋の緒が切れたアマテラス(男神アマテル)が、愚弟のスサノオを糾弾する。
〜ホツマツタヱ7文〜
あめがした やわしてめくる
ひつきこそ はれてあかるき
たみのたらなり...
▲アマテル『天下に和して巡る日月こそ
晴れて明るい民の親にふさわしいのだぞ…』
▲スサノオ『…んだと!?"#$%&'@』
この内容が、日神アマテラスでも月神ツクヨミでもない、未熟な弟神のコンプレックスを露呈させてしまったため、暴動がさらにエスカレート。身の危険を感じたアマテラスは、自ら岩室の戸を閉ざしてしまったという。こうして世界が暗闇に包まれたかの様になった。
驚いた家臣オモイカネは高天原イサワ宮へ駆けつけ、議会の招集を指示…。アメノウズメが常世の踊りを披露し…。踊りに惹かれたアマテラスが岩戸を少し開けた隙に、タジカラオが岩戸を力いっぱい開け放ち、アマテラスをなんとか無事連れ出した。スサノオは捕縛された。
後日、高間殿(高天原)の法廷にて、スサノオは千座の罪で裁かれることになる。このとき瀬織津姫ホノコが、妹・若桜姫ハナコを殺害されたにもかかわらず、スサノオの助命嘆願する。結果、死刑を超えた千座を超える罪状が半減、放浪の刑に落ち着く。こうしてスサノオは高間殿を追放され、中国地方へ流離いの旅に出ていった。
一方の姉妹は、アマテラス正后のポジションと、最愛の第一皇子アメノホヒまで奪われ、正后瀬織津姫ホノコへの殺意を膨らませていた。高天原サイドからは皇家に仇なす存在と見なされ、追われ身の存在となっていた。憎しみと怒りに駆られて理性すら失って大蛇と化す。
宇佐の宮から脱けだし、かつてのホームグラウンドであるチタル国ヒカワへ逃走。そこで、かつて世話をかけた義弟アメノオシヒを頼り、匿われたようだ。これがアマテラス朝への反勢力を集め、全国規模のハタレたちの暴動へと発展する。こうしてアメノオシヒらは、六ハタレ蜂起の渦中にあり、『ハタレ根』とも呼ばれた。個人的には九頭竜モチコの御子アメノホヒに名前を似せている点に注目している。
放浪の中のスサノオは、旅先で図らずも八岐大蛇に成り果てた浮気相手のハヤコを退治することになる。その武功と改心が高天原にも轟き、アマテラスとようやく和解することになる。死んだハヤコは、オオヤマツミの娘イワナガヒメとして転生したという。
しかし生き延びていた九頭竜モチコは、東北の最果てエゾシラタツの岳に逃げ込み、150万年?身を潜め、瀬織津姫を殺害する機会を伺っていた。さらに、そこから越の国→最終的に戸隠に逃れ、オモイカネの御子タヂカラヲに捕縛された。彼に諭されて、戸隠付近のハコザキ山?に自ら封じられたという。
これが現在の地主神『戸隠九頭竜社』と目付け役『戸隠神社奥社』の因縁関係ではないか?。現在の配祀状況が、ホツマツタヱ神道体系を擬えていることがわかる。
〜ホツマ視点の神社〜
- 戸隠中社 オモイカネ(フトダマ兄)
- 戸隠奥社 タジカラヲ(オモイカネ御子)
- 火之御子社 アメノウズメ
- 戸隠九頭竜社 九頭竜モチコ
- 氷川神社 スサノオ
- 小野神社 瀬織津姫ホノコ
〜ホツマは意図的に似せている???〜
▲アメノホヒ(九頭竜神の実の母親。野見宿彌、土師氏子孫、武蔵国造祖出雲族エタモヒの祖)
▲アメノオシヒ(九頭竜神の腹違い妹クラコを娶った義理弟。大伴氏祖、佐伯連、日奉連の祖)
※アメノホヒとアメノオシヒ(天忍日命)の初見はホツマツタヱであり、宮下文書には登場しない。
奇しくもこのタジカラヲを祀る戸隠奥社というのは、自然災害で何度も何度も倒壊させられ、現在では背部まで石垣に囲まれた鉄筋コンクリート製の要塞のようになっている。なにか九頭竜神からのメッセージが続いていたのかもしれないが...。
『根の国』の宮下文書的背景。根の国が異常に長い理由?。
これらのホツマツタヱ『九頭竜騒動』、通説『国譲り』神話に、比定できる宮下文書記述はない。逆説的に捉えれば宮下文書正史に対して、ホツマツタヱの歴史改竄のための附会設定である…と見なす事はできそうだ。
ではホツマツタヱ地図に、宮下文書的な背景を投影するとどうなるのか考えてみよう。
通説では、宮下文書における信州出雲〜北陸〜中国地方の神代からの長きにわたる複雑な歴史を、出雲王朝とか、出雲国譲り神話として一緒くたにされている感もある。それを裏付けるごとく、根の国やサホコチタル国(根州三国、ほぼ同一国?)は越国〜中国地方という、異様な長い形状をしている。ホツマツタヱ内で『根州三国』として同一視させつつ、スリ替えようとする意図が薄っすら見えてくるのだ。
▼ホツマツタヱ
▼宮下文書
▲根元大神とはサルタヒコのことであり、暗にその影響が強い信州出雲周辺を指していると思われる。信州にはオオクニヌシとサルタヒコの実父オオトノヂによる飯縄権現があり、ある程度戸隠信仰に介在していると思われる。
▲四季島統治時代の田場(丹波出雲)は、クニトコタチが統治していた。彼が崩御後に、信州出雲からスサノオ御子ミホツヒメが統治し、彼女自身が『出雲大神』として祀られた。
▲神武東征論功行賞にて、蘇我大伴系統タケミナカタの兄・稚武王命の勢力が、大湖(近江)・見野(美濃)・日太(飛騨)に大きな勢力圏をもっていた。ニニギ朝時代、稚武王命とタケミナカタは北中国守護司頭長の家と定められており、その勢力圏が神武東征以降も続いていた。
▲神武東征論功行賞にて、信州出雲スサノオ55世孫・出雲大神主命が大活躍し、出雲(中国地方)と尾木(隠岐)に進出した。それと入れ替わるように、信州諏訪のタケミナカタ勢力が信州出雲まで進出した。
▲神武東征以降の田地間(但馬)と因幡(稲場)国は、宮下文書版蘇我大伴系統・ウマシマジの所領。一方で信州出雲は、蘇我大伴系統タケミナカタの所領となっていた。これら中国地方出雲と混同させようと目論んだ、附会の国ではないか?とみている。
出雲国譲り、シラヒトコクミ事件、四道将軍派遣との重なり。
個人的に気になっているのが、宮下文書版10代崇神時代に起こったとされる『四道将軍の討伐』。
簡単に言えば、BC88年(崇神10年)天皇勢力は中央集権制を強化すべく、大掛かりな地方政治変革を断行した。指導分野は政治から宗教へと及ぶ。つまりこれが通説『出雲国譲り神話』や、ホツマ版『九頭竜騒動』、『シラヒト・コクミ事件』の元ネタとなっているのではないかと…。
〜宮下文書版四道将軍派遣(BC92〜88?)〜
- 大彦命(北陸道)
- 武渟川別命(東海道)
- 吉備彦命(西海道)
- 丹波道主命(丹波)
宮下文書曰く『各地を按撫し、大いに教化を布かされた。拝して将軍とした』『吉備彦命に勅命して、天社・国社・神地・神戸を定められた。この歳、高天原の不二山を福地山と改称させられた』現代訳p150。当然これには反発も出たらしく、BC38年出雲国(おそらくは中国地方出雲)が乱れた。勅命にて西海道将軍で藤原物部系統にあたる吉備彦命が討伐に当たっている。
これら討伐範囲が、ちょうど宮下文書における蘇我大伴系統の勢力圏と符合する。このとき蘇我大伴系統が騒動の渦中にあったのではないかと…。
〜蘇我大伴系統・武勇命の四子〜
- 雅武王命(稚武王命?)
- 建御名方命
- 経津主命
- 武甕槌命
※三輪本現代訳神皇紀には、稚武王命p73p130を一部、雅武王命p67と表記している。単なる誤植かもしれないが…、後世のヤマトタケル御子・稚武王とは同名別神なので注意。当ブログでは、蘇我大伴系統の一部と見なしている。
宮下文書における12代景行天皇項にも、蘇我大伴系統に起こった異常を伝えている。
蘇我大伴系統とは、祖家(そが)のこと。宮下文書における古来からの天下の大政を司る家。初代〜11代垂仁天皇時代まで、蘇我大伴系統の嫡流は代々、申食国政大夫(臣職の実質トップ)の座を維持してきた。これと対を成す存在が藤原物部系統で、おなじく右臣ポストを堅持してきた。
しかしながら12代景行天皇時代には、大臣国政大夫(右臣ポスト)に藤原物部氏は継承されているが、左臣ポストに蘇我大伴系統は就任されず。その代わりに皇兄の倭武彦命なる人物を、大正国政大夫にしており、その理由が明かされていない...。政治的慣わしからみても前代未聞のことであり、これが奇しくもホツマツタヱ成立時期と重なる。さらに蘇我大伴系統まったく語られておらず、タケミカヅチとフツヌシが中臣藤原系統となっているのだ。
ホツマツタヱにおけるコクミ・シラヒト事件の告発者がツワモノヌシ、宮下文書には登場しない。これは暗にオオモノヌシ子孫藤原物部系統とカンサヒ・アメノオシヒ蘇我大伴系統の対立を表しているのではないかと…。宮下文書における藤原・物部・吉備・平群は、オオモノヌシ同祖で藤原物部系統にあたる。ホツマツタヱ版ツハモノヌシは、宮下文書における吉備・備前・備後・針間(播磨)・三間坂(美作)のオオモノヌシ子孫藤原物部系統勢力を指しているようにも思える。
これら宮下文書の歴史を一緒くたにして、国津神≒出雲の歴史にガラガラポンされている経緯がある。そしてそれはちょうどホツマツタヱの成立時に重なる…。そのきっかけとなったのが、BC88年(崇神10年)この四道将軍派遣ではないかと。
単純に考えて、右臣藤原物部系統と左臣蘇我大伴系統になにかしら対立かアクシデントがあったのか?、信頼を損なうような大スキャンダルがあったのか?
調査中(´(ェ)`)
※蘇我大伴系統の特色としては蘇我も大伴も直系、歴代交互に蘇我と大伴を称しているのがわかる。まだ氏姓制度もなかった時代。そして気になる存在が押日媛命(オシヒメ)。
大伴連祖アメノオシヒとは?
ここで大伴連祖・天忍日命(アメノオシヒ)を説明しておくと。
古語拾遺、先代旧事本紀ではタカミムスビの御子で、別名として神狭日(カンサヒ)命と同一視されている。新撰姓氏録では、タカミムスビ四世孫・天石門別安国玉主命の子または孫となる。通説でも概ね大伴連祖として語られる。
ホツマツタヱでは、5代タカミムスビ・トヨケ(豊受大神)の御子がカンサヒ(神狭日命)。サホコチタル国の新マスヒトに就任される。それをカンサヒ御子アメノオシヒが継承した。
安房一宮安房神社境内『下の宮』では、主祭神フトダマ弟神として祀られる。奇しくも熊オッサンは去年末安房国めぐりで参拝している。
また前記事でもご紹介したように、ヤマトタケル東征時代(景行40年)に、大伴武日が当地に降臨して鎮座したという。現在の御祭神はなぜか、大伴連祖アメノオシヒだという。
◯安房一宮安房神社境内『下の宮』(千葉県館山市大神宮)
〜御祭神〜
- 天富命(天太玉命の孫神、安房開拓の祖)
- 天忍日命(天太玉命の弟神と解釈)
◯『大伴神社』(長野県佐久市望月字御桐谷)
〜御祭神〜
- 天忍日命
- 天道根命(先代旧事本紀・初代紀伊国造、日前宮に関係していた)
- 月読命
下記『刺田比古神社』は大伴連と深い関係があり、アメノオシヒの子が天押人命、そのさら孫が道臣命(日臣命)となる。『古屋家家譜』では、道臣命の父を刺田比古命としており、道臣命の拠点を生紀伊国名草郡片岡之地としている。古屋家家譜についてはまた別記事で触れたい(予定)。
神社について『紀伊続風土記』では、和歌浦に関係していた刺国若比売、またはオオクニヌシ、サルタヒコ、狭手彦神説などがあるが。。。驚くべきことに、『九頭神社』を称していたという。刺田比古命もどこかホツマ版サシミメを彷彿とさせる。
◯『刺田比古神社』(和歌山県和歌山市片岡町)
〜御祭神〜
- 道臣命 (大伴氏祖)
- 大伴佐氐比古命 (大伴狭手彦)
wikipediaによると、かつて祭神さえもわからないほど荒廃した刺田比古神社を氏子が再興した経緯があるという。このときに大国主命を祀られていて、それが国主神社と呼ばれる理由だとし、この国津≒九頭と仮字として捉えたものという推論を付け加えている。ま、神社マニアからすれば、国主と九頭竜神を間違えるなんてありえないと思うのだが。。。ご存知のようにwikipedia界隈では、参考文献としてホツマツタヱや宮下文書といった古文書は偽書として、徹底的に廃除しているわけだ。ホツマ版九頭竜神と大伴連祖アメノオシヒが深淵な仲なのは、あまり知られていないのだろう。
それにしては…この和歌山県紀ノ川沿い、なぜか…『九頭』『九頭竜』『八大竜王』に因む小さなお社が多すぎる。これは一体どういうことなんだ???(苦笑)。やはりホツマツタヱ版の九頭竜神と八岐大蛇は、宮下文書版タマノオヤ西征となにか関係があるのではないかと…。
wikipedia道臣命によると、神武時代にタカミムスビ斎主を任され、厳媛(イヅヒメ)の号を賜ったという。さらに大伴佐氐比古命は、宗像大社元宮説がある佐賀県唐津市呼子町『田島神社境内佐與姫神社』にて、弁財天のモデルになったとも言われる松浦佐用姫伝説を残す。宮下文書版蘇我大伴氏祖にとって、最も信仰篤い女神といえば…、安房一宮の天比理乃咩命。紀伊一宮とも関係があり…、宇佐神宮の伊豆(イズ)神ウサミ妃小幡毘女命なのだが…。
宮下文書版蘇我大伴氏祖にとって、最も信仰篤い女神といえば…?。
あの方ね。。。(´(ェ)`)
おわりに
最近、歴史改竄者12代景行天皇は、ホツマツタヱの随所にヒントを残しているようにも思える。熊オッサンはそこにカラクリが仕組まれていると睨んだ。
たとえばホツマツタヱ版アマテラスが『罪』『調和』を、スサノオに強調していたところに、ホツマツタヱ編集者たちの若干の未練が残されている箇所がありそうなのだ。そして瀬織津姫ホノコによる謹み、それは信州出雲スサノオへの赦しなのではないだろうか…?。
結局…九頭竜神とは、善の権化・瀬織津姫ホノコと対峙すべく、悪の見立てとして利用されている側面もありそうだ。つまり信州出雲戸隠の本質を、善と悪の二元性の見立てにより、歴史的真相を見えなくしているカラクリではないかと…。
逆を言えば彼女らは、善も悪も超越するようなワンネスの祈りを待っている気がする。
そこが歴史改竄者12代景行天皇が、子孫に託した本音なのかもしれないなあと。。。
(´(ェ)`)
※地図はクラフトマップ使用。