2023,3,17
信州安曇野『仁科神明宮』は、結構昔から着目してきたわけだが…。最近思うに、この戸隠神社奥社と仁科神明宮がどこか似ているなぁと…。今回は戸隠神社と仁科神明宮の対比から見えてくるものを、クローズアップしたい。
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~目次~
- 仁科神明宮とは?
- そもそも信州はサルタヒコ遺伝子が強かった。
- 信州から大和・伊勢・中国地方出雲へ流れたサルタヒコ子孫。
- 戸隠神社と仁科神明宮の放射状レイライン。
- 仁科と戸隠、アマテルとスサノオと九頭竜モチコの因縁関係を擬えている?。
- やっぱり日月神示『蛇ヶ岳』が凄かった。
〈緊急続報〉能登半島〜房総半島、戸隠神社と寒川神社を結ぶレイラインだった?。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈能登半島③〉向田の火祭は、ニニギ外寇を弔う事代主一族の国防の灯火? - セキホツ熊の謎を追え!
ホツマ出雲史徹底解剖!、根国→サホコ国をすり替え、天皇はスサノオの罪を嘘で封じ込めようとした?。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈風のサルタヒコ③〉伊勢出雲レイラインに浮かぶ、野見宿彌殉死と菅原道真噴死の真相。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈風のサルタヒコ④〉飯縄権現・秋葉山・天狗・仁科神明宮のサルタヒコ子孫の繋がり。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈風のサルタヒコ⑤〉急浮上するオオトノヂ=保食命説、飯縄権現と稲荷信仰の源流は近い? - セキホツ熊の謎を追え!
仁科神明宮とは?
そもそも熊オッサンがこの神社に着目したきっかけは、武蔵国大國魂神社を起点に、多摩川沿いをレイラインとして延長してゆくと、…辿り着くのが仁科神明宮だった(苦笑)。そこではじめて興味をもった。ホントたまたま地図上で見つけた神社なのだが…、2018年8月すぐさま出かけていった神社でもあった。
◯『仁科神明宮』(長野県大町市大字社宮本)
〜御祭神〜
- 天照皇大神 御一座
〜境内社〜
- 都波岐社(猿田彦命)
- 稲荷飯縄社(宇賀魂命・須佐之男?)
- 八幡社(誉田別命)
- 伊豆社(彦火火出見命)
- 下加茂社(加茂建角身命)
- 上加茂社(加茂別雷命)
- 下諏訪社(事代主命)
- 上諏訪社(建御名方命)
- 子安社(木花咲耶姫命)
- 九頭竜社(地主命?)
- 北野社(野見宿弥命・菅原道真公)宮下文書版サルタヒコ子孫
- 三島社(大山祇命)
- 熊野社(伊邪那美命)
- 白山社(菊理姫命)
- 鹿島社(武甕槌大神)
- 春日社(天児屋根命)
- 疱瘡社(須佐男命)
- 難湖社(金山彦命)
- 簀社(穂高見命)
- 武山社(大地主神)
創建は不詳。wikipediaによると伊勢神宮創建時代前後、10代崇神天皇〜12代景行天皇の時代の創建と思われる。もともとは伊勢内宮の荘園(皇大神宮御領)であり、仁科氏が荘園守護のために、伊勢内宮を勧請して創建されたと見られる。この仁科氏の出自は諸説ある。
ただ、宮下文書の観点から見てみると…。そもそもこの信濃国が、富士朝供物司長家系サルタヒコ子孫の影響が非常に強いエリアなのだと驚かされる。現在仁科神明宮の入口にも、境内社『都波岐神社』があり、サルタヒコ子孫の影響力を強く感じる理由の一つだ。
彼らは、神道においても大きな影響力をもっている。それは祭祀的にも、地理的にも、レイライン的にも言えることではないだろうか?。伊勢と信州出雲の架け橋と自負していたからではないか?と思われる…。
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そもそも信州はサルタヒコ遺伝子が強かった。
簡単に、宮下文書におけるサルタヒコ遺伝子をおさらいすると…。
サルタヒコは阿祖山太神宮供物司長、クニサツチ次男オオトノジの息子であり、太神宮初代大宮司オオクニヌシの弟。文字通り食料・農事に関係する御食津(みけつ)神の末裔にあたる。信州の飯縄権現とはこのオオトノジを、ウケモチとして祀っていたことに起因する。
飯縄権現とウケモチは宮下文書に登場しない。ただ飯縄神社里宮(皇足穂命神社)由緒書によると、当初は、戸隠山東南の飯縄山にオオトノジが祀られていた。これがいつの頃か、ミケツ神ウケモチにすり替えられている。つまり、オオトノジ≒ウケモチではないかと…。wikipedia飯縄権現によると、戸隠信仰より起源は古いとされる。神代スサノオが信州出雲入りする以前に、存在していた可能性はある。少なくとも2世紀前後?に成立したホツマツタヱには、飯縄権現らしき記述が確認できる。
眷属に白狐をもつ飯縄権現と稲荷信仰は近い存在だと言える。伏見稲荷大社中社に佐田彦大神(サルタヒコと解釈されている)が祀られているのもおかしくはないだろう。仁科神明宮境内社でも、稲荷信仰と飯縄権現を同一社にしている点も興味深い。
戸隠信仰にもサルタヒコの影響力は見られ、戸隠五社火之御子社には妃神アメノウズメが祀られている。
また戸隠宝光社隣にある秋葉三尺坊大権現本宮は、サルタヒコ子孫野見宿彌→菅原道真7世孫にあたる天野遠江守景信の拠点の秋葉城と関係がありそうだ。三浦義顕が保元・平治の乱にて敗走すると、それに同行して東駿河へ落ち延びた。そこで富士朝大宮司の48代宮下記太夫政仁に保護されたわけで、その後もしばらくは富士朝と縁があったとみられる。
信州から大和・伊勢・中国地方出雲へ流れたサルタヒコ子孫。
宮下文書三輪本現代訳神皇紀p161p189によると。
11代垂仁天皇25年、皇女倭姫命が伊勢神宮を創建。サルタヒコ子孫67代孫・舟田彦命が、皇太神宮(伊勢内宮)の供物司長となった。伊勢神宮では、供物を捧げるときに、まず二度見ヶ浦(二見浦)から富士朝阿祖山太神宮に向かい、供物を捧げる習わしであった。すなわち富士朝神職家系であることが重要視されていたことがわかる。
彼らは、伊瀬国河曲原の都波岐(ツバキ)の神田に宮を建てて、都波岐宮と称した。倭田氏→山田氏→松木氏→(のちの度会氏と推測)と称して伊勢国造の祖となった。伊勢国総社『伊奈冨神社』には保食神大國道命(ウケモチノカミオオクニミチのミコト)を祀り、ウケモチ・オオクニヌシ・オオトノジを掛け合わせたような御神名となる。これは伊勢国へ渡ったサルタヒコ子孫、その出自の裏付けになりそうかなと…。
前述の伊勢に流れたサルタヒコ子孫、舟田彦命の弟が野見彦命(のちの野見宿彌)。吉備津彦命に従い、出雲から北越を平定した功績により、出雲の農事を司っていた。当然この出雲とは...中国地方出雲ではなく信州出雲のこと。通説彼らはアメノホヒ子孫と仮冒され、野見宿彌の子孫が武蔵国などへ流れ、出雲族と称されることになっている。
さらに富士朝に残った同族田村彦命31世孫に、富士朝祭典副司長・宮田麿がいた。加幣使忍壁親王(40代天武天皇皇子)に見込まれて蝦夷(東国)討伐の副司に抜擢された。戦後その功績により、科野国高井・水内の二郡を賜り、長野原の吉田岡にある『坂上の館』に居住していたので、坂之上氏を称した。のちの坂上苅田麿を称した。
白鳳地震が起こった684年、30代天武天皇の信州鬼無里へ遷都計画をしていたのだが…。手引していたのはこの信州の苅田麿親族ではないのかと…。これは下レイライン上にも証拠としても?残っている。その他にも信州安曇野〜鬼無里には坂上田村麿伝承が点在しており、信州安曇野の地では安曇族残党の魏石鬼八面大王を討伐した歴史が残っている。それらは彼らが信州を本貫地としていたからに他ならない。
※信州鬼無里へ遷都計画は、いつか別記事でも紹介したい(いつになるやら)。
鎌倉時代後期、伊勢の末裔らが豊受大神=クニトコタチを中心とした伊勢神道(度会神道)を確立する。しかし…宮下文書を知らないはずの子孫らが、なぜ丹波出雲の豊受大神の御正体を見抜けたのだろうか?。
背景には相模国、1144年伊勢神宮領『大庭御厨事件』にもありそうだ。800年延暦噴火後に富士朝から避難してきた富士朝神職ら300余人は、寒川神社周辺を開拓していたとみられる。しかしそれらがどういう訳か、伊勢御厨としてまるまる接収された疑いがあるのだ。奇しくも、通説その大庭御厨開放運動の中心メンバー和田義盛の妻が、度会康高の娘にあたる。宮下文書版和田氏は相模平氏ではなく、房総半島に勢力を持っていた富士朝2代大宮司の宮下源太夫明政五男、吉田摩古彦から派生氏族の可能性大。
前述の天野遠江守景信のように、彼らはは断続的ではあれ、形を変えつつある程度、富士朝との接点を保持していたと推測される。少なくとも終始敵対していた氏族ではないであろう。富士朝から流れた祭祀部族とはいえ、そもそも否定できないルーツであったわけだ。平家=伊勢平氏没落後を乗り越えた鎌倉時代、度会氏も何かしら富士朝回帰があったのだろう。
戸隠神社と仁科神明宮の放射状レイライン。
このサルタヒコ子孫に、アマテラスと九頭竜とレイラインが絡んでくる。
仁科神明宮と戸隠神社を地図上に見ると、日本の急所フォッサマグナに、霊的に打ち込まれたアンカーのようにも思える。なにか…伊勢〜諏訪〜鹿島への中央構造線とも絡んでいそうな…。その2社から放射状レイラインが拡散する。端的にこの2社をホツマツタヱ視点で説明すると、アマテラスとスサノオと瀬織津姫と九頭竜神の四角関係そのものなのだ。創建背景からみても、10代崇神〜12代景行年間には確立されていたのではないだろうか?。やはり信州出雲を語るには、宮下文書のみならず…ホツマツタヱが必須アイテムとなりそうだ。
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〜戸隠神社レイライン〜
①香取神宮レイライン
- 香取神宮側高神社
- 金村別雷神社(関東三雷神)
- 板倉雷電神社総本宮(関東三雷神)
- 上野三宮神社(伊香保神)
- 榛名山蛇ヶ岳
- 飯縄山
- 戸隠奥社
- 伊夜比咩神社旧社地
- 高爪奥宮(能登富士)
②小野神社レイライン
- 関戸九頭竜神社
- 小野神社(東京多摩市)
- 羽村阿蘇神社(平将門造営、徳川家康参拝)
- 武甲山
- 浅間山
- 善光寺
- 飯縄神社里宮(皇足穂命神社)
- 戸隠中社
- 戸隠奥社
- 青海黒姫山(奴奈川姫拠点・ミホススミ母)
- 見附島(能登半島シンボル、地震で崩落)
③洲崎神社レイライン
- 江島神社奥津宮
- 寒川神社
- 戸隠中社
- 戸隠奥社
- 須須神社高座宮
- 須須神社奥宮(ミホススミ)
④伊豆山箱根レイライン
- 伊豆山神社
- 箱根神社
- 杓子山
- 明見根元神社
- 金峰山
- 金櫻神社本宮・五丈岩
- 白鳥神社
- 戸隠火之御子社
- 戸隠奥社
- 天津神社・奴奈川神社(2kmズレ)
⑤三嶋大社レイライン
- 三嶋大社
- 新屋山奥宮
- 神座山
- 酒折天神社
- 山梨岡神社
- 信濃国分寺
- 戸隠奥社
⑥熊野速玉レイライン
- 熊野速玉大社
- 熱田神宮
- 内々神社(式内社)
- 鬼無里白鬚神社
- 鬼無里神社
- 戸隠奥社
⑦熊野本宮レイライン
- 熊野本宮大社
- 玉置神社
- 東ヶ丘神社(伊奈冨神社関係地)
- 桑名宗社・桑名城
- 乗鞍大権現
- 若一王子神社(長野県大町市)
- 本州のへそ(本州重心点)
- 瀬戸川神社(田村麿伝承、本州重心から遷座)
- 戸隠奥社
⑧津島能褒野レイライン
- 弥山神社(天河辨財天奥宮)
- 太郎生国津神社(出雲大社勧請)
- 能褒野神社(ヤマトタケル墓)
- 津島神社(信州出雲里宮)
- 尾張国分寺
- 穂高岳
- 戸隠奥社
⑨山城加茂鳴門レイライン
- 鳴門渦潮
- 芦屋神社
- 越岩木神社
- 嵯峨二尊院(慈覚大師)
- 神山(山城国賀茂別雷命降臨地)
- 白鬚神社(滋賀県高島市)
- 加茂神社(天武遷都伝承・鬼無里東京)
- 戸隠奥社
- 黒姫山(信濃富士)
⑩真名井厳島レイライン
- 武雄神社(佐賀県武雄市)
- 與止日女神社(1.4kmズレ)
- 厳島神社
- 真名井神社(籠神社奥宮)
- 安牟加神社(式内社論社)
- 立山
- 戸隠奥社
⑪白山出雲レイライン
- 和多都美神社(対馬)
- 出雲大社
- 宇美神社(フツノミタマ、縁切りの神社)
- 美保神社(ミホススミ説あり)
- 白山比咩神社
- 戸隠奥社
〜仁科神明宮レイライン〜
①赤城榛名レイライン
- 泉神社
- 大甕神社
- 静神社
- 日本列島中心の地碑(栃木県佐野市蓬莱山城)
- 三夜沢赤城神社
- 黒髪山神社奥宮
- 榛名山蛇ヶ岳
- 仁科神明宮
- スーパーカミオカンデ
- 玉若酢命神社(景行天皇孫?、隠岐総社)
②鹿島妙義レイライン
- 鹿島神宮
- 金村別雷神社(関東三雷神)
- 沓掛香取神社(将門、空海伝承)
- 妙義神社
- 信濃国分寺
- 信濃国岩殿寺
- 仁科神明宮
③武蔵立山レイライン
- 東京湾アクアラインとほぼ重複
- 穴守稲荷神社
- 伊豆美神社(大國魂別宮・水神社から遷座)
- 大國魂神社(武蔵総社)
- 羽村阿蘇神社(平将門造営、徳川家康参拝)
- 三峯神社奥宮
- 仁科神明宮
- 立山
- 立山寺
- 能登生國玉比古神社(市杵嶋姫命=伊豆目比売命)
④伊豆山酒折レイライン
- 初木神社(初木姫、伊豆山漂着伝承)
- 伊豆山神社
- 伊豆山本宮
- 箱根駒形神社(ホツマ版オシホミミ陵墓?)
- 九頭竜神社本宮
- 二岡神社九頭竜神社
- 東口本宮・須走浅間神社
- 神座山(1kmズレ)
- 酒折宮
- 甲斐善光寺
- 武田神社
- 八ヶ岳(西岳)
- 諏訪大社御柱祭関係社
- 旧御射山神社(諏訪大社下宮奥宮)
- 仁科神明宮
- 櫟原北代比古神社(輪島市)
⑤伊勢内宮レイライン
- 伊勢内宮
- 知立神社
- 猿投神社(赤猿明神岩祭祀跡)
- 猿投神社(土岐市)
- 笠置奥社(ピラミッド巨石ペトログラフ)
- 八海山神社(クニサツチ、御嶽山五合目)
- 梓水神社(1.6kmズレ)
- 仁科神明宮
- 信濃国高山寺
- 戸隠奥社
⑥比叡山鳴門レイライン
- 青島神社(鴨就く島・3kmズレ)
- 伊豆田神社(土佐清水3kmズレ)
- 伊都多神社(1.7kmズレ)
- 剣山(1.6kmズレ)
- 鳴門渦潮
- 西宮神社(1kmズレ)
- 神峯山寺
- 大原野神社(1kmズレ)
- 桂離宮
- 二条城
- 京都御所
- 賀茂御祖神社河合神社
- 比叡山
- 池俣日抱宮
- 穂高岳
- 仁科神明宮
- 善光寺
- 伊豆毛神社(長野県豊野)
戸隠奥社と仁科神明宮からのラインは、まだまだ探せばありそう…。今回はインパクトの強いものだけを載せた。例えば武蔵国氷川3社のレイライン。これは金鑚→貫前→妙義→皆神山→鬼無里重心点へのレイラインとご紹介したが、斜角的には戸隠神社方向へも許容範囲内とみる。ただ前者の中継地があまりにも強烈過ぎて、それに比べると後者はインパクトが薄いかなと…、記載を見送った。
また戸隠奥社から、オオクニヌシ子孫の本貫地・遠江一宮『小國神社』へのライン上に、長野県辰野『日本中心の標』があるのも面白い。
※因みに、日本国土の中心・重心点は、観測会社の定義によりいろいろあるようだ。ただ各自治体が公費的に示すからにはそれなりの根拠も必要とされ、奇しくもそれらが各レイラインとドンピシャに重なってしまう訳だ。。。
これも偶然なのだろうか…?。(´(ェ)`)
仁科と戸隠、アマテルとスサノオと九頭竜モチコの因縁関係を擬えている?。
ホツマツタヱにおける『九頭竜モチコ不倫事件』を簡単におさらいすると。
ホツマツタヱ版アマテラスは、アマテルという男神になっている。九頭竜モチコや、瀬織津姫ホノコら十二の妃神を娶った。うち根の国(越の国)クラキネの娘モチコが、第一皇子アメノホヒを生み、大きな発言権を持っていた。ただアマテルは理知的なホノコに夢中で、モチコは不満を溜め込んでいた。
一方でアマテルの弟スサノオは優秀な兄に対するコンプレックスから、荒くれ者となり、周囲を困らせていた。自ずとアマテルに不満を抱えたモチコと意気投合してしまい、これが不倫関係へと発展する。しかし内宮ホノコの知るところとなり、モチコは宇佐神宮へ左遷される。
最愛の息子アメノホヒは取り上げられ、ホノコが養育することになったようだ。アマテルとホノコの間にアメノオシホミミが誕生し、長男であるアメノホヒを差し置いて、皇位継承権を譲ってしまう。
モチコは怒り狂い、瀬織津姫ホノコへの復讐心を燃やしていた。いつしか九頭竜神へと変身していた。皇家にあだ名す存在と成り果て、追われ身となり日本列島を逃げ回る。しかし、信州戸隠にてヒルコとオモイカネの御子・タジカラヲに諭されることになる。九頭竜モチコは、アマテルと瀬織津姫命がとっくの昔に崩御していたことを知ると、その場に自ら霊断ちされて鎮まった。
〜ホツマツタヱ相関図〜
▲アマテル(瀬織津姫に夢中)
▲瀬織津姫(理知的な内宮)
▲スサノオ(兄へのコンプレックス)
▲九頭竜(瀬織津姫に嫉妬、スサノオと不倫)
▲オシホミミ(アマテルと瀬織津姫御子)
▲アメノホヒ(アマテルと九頭竜御子)
◆ヒルコ(アマテル姉・オシホミミを育てる)
◆オモイカネ(ヒルコの夫)戸隠中社
◆タヂカラヲ(オモイカネ長男)戸隠奥社
◆ウワハル(オモイカネ次男)戸隠宝光社
◆シタハル(オモイカネ三男)武蔵国小野神社
〜うち関係五社?〜
◯伊勢内宮…アマテラス・瀬織津姫・サルタヒコ
◯戸隠五社…九頭竜神・オモイカネ・タヂカラヲ・ウワハル
◯武蔵一宮・小野神社…瀬織津姫・シタハル
◯武蔵三宮・氷川神社…スサノオ
◯武蔵四宮・秩父神社...オモイカネ
※武蔵大國魂神社武州六大明神
※宮下文書には瀬織津姫・九頭竜・アメノホヒ・ヒルコ・シタハルは登場しない。
※※宮下文書におけるオモイカネとウワハルは別の意味もありそうだ。タヂカラヲはアマテラスの左臣(左頭神)大守男命の弟、つまりフトダマ蘇我大伴と同族。
この神話から察するに…。
これはまるで、戸隠神社と仁科神明宮の関係そのものではないかと…。このアメノホヒ子孫を称するサルタヒコ子孫が鍵なのか?と睨んでいる。
ここでアメノホヒ系出雲族を振り返ってみよう。宮下文書版サルタヒコ子孫・野見宿彌は、通説ではアメノホヒ子孫・出雲族にすり替えられている。ホツマ版アメノホヒはアマテルと九頭竜モチコの息子に当たる。
すなわち、宮下文書版サルタヒコ子孫がなぜ、ホツマ版アメノホヒ子孫としてアマテラスと九頭竜神を祀るのかが見えてくるのだ…。
何より興味深いのは、仁科神明宮が戸隠奥社(九頭竜神)では九頭竜神を地主神として祀られている点。これらが一つのラインで結ばれて、なんと12代景行皇子ヤマトタケルの東征ルートであり、サルタヒコ子孫の拠点となっているのだ。出雲族と呼ばれた彼らは、13代成務天皇時代に武蔵国へ流れ、武蔵国大國魂神社や氷川神社などの祭祀基盤を構築したと語られている…。
ただ、なんでアマテル・スサノオ・瀬織津姫・九頭竜神は、因縁関係として語られる必要があったのだろうか…。なにか、信州出雲の真相を改竄して封印した、先の未来の日本人が背負うべきカルマを強調しているようにもおもえるが…。
今言えることは…謎を解く鍵が信濃国と伊勢国、そして武蔵国にあることだ。
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やっぱり日月神示『蛇ヶ岳』が凄かった。
レイラインの話なんて信じられないというご意見もごもっとも。熊オッサンも常々ホントなのか?という心境である(苦笑)。あくまで地図上の事実として強引に話を進めさせていただく。
その証明となるのかは不明だが…。現実のGoogleマップ上の事実として、2つの放射状レイライン上の各クロスポイントを見てみよう。今回一番伝えたかったことでもある。
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〜主なクロスポイント〜
- 榛名山蛇ヶ岳(日月神示登場の霊山)
- 神座山西斜面
- 鳴門の渦潮
- 善光寺
- 信濃国分寺 (源頼朝関係地)
- 立山
- 穂高岳
- 伊豆山神社
- 金村別雷神社(関東三雷神)
- 阿蘇神社(東京都羽村市、平将門造営、徳川家康参拝)
なんとここで蛇ヶ岳が出てきた…。
榛名山蛇ヶ岳とは、岡本天明氏ら初期活動メンバーらが、日月神示の啓示に従い御神業をしたとされる。メンバーらはこの上毛三山(榛名山・赤城山・妙義山)を重要視していたようで、山頂には『天之日津久神』の祠が残っている。
興味深いことに、榛名山の古名は『伊香保山』…。ここで思い出していただきたいのが…。能登半島石川県七尾市『大地主神社』の御祭神・伊許保止命が、阿波=安房国造祖であり、伊香保神と解釈されていること。赤城山と榛名山と伊香保の関係はまた別記事でご紹介する(いつになるやら)。
〜日月神示『下つ巻』1帖(43帖)〜
『…蛇ヶ岳は昔から神が隠しておった大切の山ざから、人の登らぬようにして、竜神となりて護りてくれた神々様にもお礼申すぞ、富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用きいて呉れよ、神急けるぞ、山晴れ、地晴れ、海晴れて、始めて天晴れるぞ。天晴れて神の働き いよいよ烈しくなったら、臣民いよいよ分らなくなるから、早う神心になって居て下されよ…』
さらに日月神示に強調されていた鳴門の渦潮もクロスポイントに挙げられる…。
ホツマツタヱ8文では、さくなだりの速川にて、滝行をしていたアマテルが、流れてきた蝮に足を噛まれるシーンがある。かつて九頭竜モチコは憎悪と嫉妬の念から大蛇(オロチ)へ変化したように、アマテルはそれをワラビ縄=クズの弦で縛り捨てた。これが信州出雲の立ち位置を、暗に示しているのではないかと。ホツマ編集者らは、信州出雲の歴史的真相を改竄せざるえなかった政治的禍事を水で祓い清め、レイライン上下流の鳴門へ流し込みたかったのではないかと。
考えてみれば渦潮も中央構造線上にある。
また、ここから鹿島神宮と香取神宮の立ち位置も気になるところ。中央構造線やフォッサマグナについては諸説あるが、ちょうど鹿島神宮あたりが境界となっているようだ…。
調査中(´(ェ)`)
※地図はクラフトマップ使用。