2024,3,2
~目次~
- 能登國一宮氣多大社は七尾市にあった?。
- 紀伊から能登半島への大きな何かの流れ?。
- 2023年5月5日、能登半島地震。
- 5日の緊急地震速報スケジュール(まとめ)。
- 別雷命を対比することにより、歴史が動き出した?。
- 令和と武藤少弐氏。
〈活動報告〉現代人がホツマツタヱと宮下文書のニニギの比較から学べること?。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈緊急続報〉能登半島〜房総半島、戸隠神社と寒川神社を結ぶレイラインだった?。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈能登半島①〉能登は日本人上陸の聖地、七尾市と七瀬祓と富士朝七廟の接点。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈能登半島②〉安房能登紀伊トライアングル浮上、天比理乃咩命と丹生都姫命を結ぶ?。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈能登半島③〉向田の火祭は、ニニギ外寇を弔う事代主一族の国防の灯火? - セキホツ熊の謎を追え!
〈能登半島④〉向田の火祭と青柏祭へ水を繋ぐ、2つの唐崎神社の導線。 - セキホツ熊の謎を追え!
〈加茂山解明①〉祓戸四柱浄化システム、阿祖山太神宮の宮守川の流れの見立か? - セキホツ熊の謎を追え!
能登國一宮氣多大社は七尾市にあった?。
まず、前記事七尾市の続き。
石川県羽咋市寺家町『能登國一宮氣多大社』の元宮が、石川県七尾市所口町の能登生国玉比古神社(気多本宮)であったという説がある。
wikipediaによると社伝『気多神社縁起』曰く、大己貴命が舟で出雲からやってきて、海路を開き、能登半島開拓の後に平定したという。
前記事でも記したように、宮下文書版東北〜能登半島の神代地主神は、オオクニヌシとコトシロヌシであり辻褄が合いそうだ。さらに信州出雲の要素としてスサノオ・クシイナダヒメが祀られている感もある。オオクニヌシは信州出雲に配流されたスサノオのお目付け役でもあり、その直轄地でもあった。やはり能登周辺の伝承でいわれている『出雲』は、中国地方出雲ではなく、信州出雲のことを指していると思われる。また逆に、ホツマツタヱではこれを曖昧にすべく、この日本海側広範囲を『根の国』と称したのであろう。
◯『能登生国玉比古神社』(石川県七尾市所口町)
〜御祭神〜
- 大己貴神
- 素戔嗚尊
- 奇稲田姫命
- 事代主神
- 底筒男神
- 中筒男神
- 上筒男神
- 建御名方命
※一方で、氣多大社境内にもコトシロヌシ(若宮神社)とフトダマ(太玉神社)の摂社があるのは興味深い。
〜氣多七尾レイライン〜
- 大地主神社
- 能登生国玉比古神社(気多本宮)
- 能登國一宮氣多大社
そして、やはり七尾市中心部『大地主神社』に対してのレイラインとなっていた。能登半島周辺から七尾市と能登島へと、火と水の複数のラインが集い、交差点になっている。なんか…日月神示16帖の一文を思い出した。『ひふみの火水かみとは結むすびぞ、中心の神が表面に世に満つことぞ、ひらき睦(むす)び、中心に火集い、ひらく水…。』
(´(ェ)`)
紀伊から能登半島への大きな何かの流れ?。
話は変わり。。。
前記事で紹介した、近江国と能登国の2つの唐崎神社を繋ぐと何があるのかなと…。いつものように…興味本位でレイラインを引いてみた。
すると…。
基本的には、前記事で紹介した大地主神社〜平等院鳳凰堂の能登白山丹生レイラインに沿ったラインとなる。1キロ程の帯状ラインとも解釈できそうだが…。さらに一部が、宇治菟道稚郎子陵から誉田陵古墳にある誉田八幡宮のラインと重複している。同方向にこれだけレイラインがあるということは、丹生〜能登へと、大きなエネルギーの流れがあるのかな?とも思えてしまう…。
〜ダブル唐崎レイライン〜
- 玉津島神社(桐畑)
- 藤ノ瀬火宮神社
- 姫瀧神社
- 加夫刀比古神社(大地主神社元宮?)
- 伊夜比咩神社(向田の火祭り)
- 唐崎神社(石川県七尾市小島町)
- 金劔宮(ニニギ)
- 日吉神社(ニニギ・ホツマツタヱ完本発見)
- 小野・小野道風神社(500mズレ)
- 唐崎神社(滋賀県大津市唐崎)
- 三井寺・三尾神社・長等神社
- 醍醐寺・長尾天満宮
- 日野誕生院(親鸞生誕地)
- 朱智神社
- 玉祖神社(式内社600mズレ)
- 恩智神社(河内二宮・オオゲツヒメ)
- 鐸比古鐸比賣神社
- 誉田八幡宮(800mズレ)
- 美具久留御魂神社(河内国三水分)
- 烏帽子形八幡神社(楠木七城)
- 蟻通神社(オモイカネ)
- 鞆淵八幡神社(1kmズレ)
〜能登白山宇治丹生レイライン(前記事で紹介)〜
- 玉津嶋神社(柏原)
- 伊須留岐神社(石川県鳳珠郡能登町合鹿)
- 大地主神社
- 天日陰比咩神社(能登二宮)
- 瀬織津姫神社
- 白山比咩神社(加賀一宮)
- 須波阿湏疑神社
- 下塩津神社(シオツチオジ)
- 藁園神社(スサノオ)
- 白鬚神社(サルタヒコ)
- 伊豆神社(三嶋神オオヤマツミ)
- 牛尾山
- 醍醐山・上醍醐(世界遺産)
- 宇治神社・宇治上神社
- 平等院鳳凰堂
- 橋姫神社(瀬織津姫命)
- 縣神社(コノハナサクヤヒメ)
- 水度神社
- 荒見神社
- 千光寺・鳴川神社(白山比売命)
- 鎌八幡宮
- 丹生酒殿神社
- 鞆淵八幡神社
〜宇治誉田八幡レイライン〜
- 宇治橋・菟道稚郎子尊宇治墓(15代応神天皇・皇子)
- 玉祖神社(周防一宮タマノオヤを勧請)
- 恩智神社
- 誉田御廟山古墳(15代応神天皇墓所)
- 誉田八幡宮
ダブル唐崎時間レイライン上に、なんと…ホツマツタヱ完本が発見された安曇川町西万木『日吉神社』があった。御祭神がニニギ、熊オッサンにとっては思い出の一社となる。
ま...、今回はそれだけではないのだ…。
(´(ェ)`)
2023年5月5日、能登半島地震。
ここから先は、先週掲載するか迷った部分なのだが…。別に…嘘をついているわけでもないし、真相を、ありのままにお話ししようと思う。ただ被災された方もおられるし、震災にストレスを感じる方は読まないほうがよろしいかと思います…。
m(_ _)m
そもそも、当ブログの『能登半島特集』は、2024年1月1日に能登半島地震その数週間前の2023年冬至翌日に、熊オッサンが房総半島安房一宮『洲崎神社』をほっつき歩いていたことに起因する。1月1日に能登半島地震があったのは記憶に新しいが...、その前の大地震をみなさん覚えているだろうか?。
前記事で述べたことがあるが。2023年GW期間中、熊オッサンは京都+琵琶湖西南岸を神社巡りした。いつも通りのボッチで、思いつきのビンボー旅行。正直スケジュールもおぼろげなのだが…。期間中、大津市内琵琶湖沿岸の唐崎神社近くのホテルに2泊した。境内は近江八景と称され、琵琶湖対岸に三上山(近江富士)が遠望できた。この素晴らしい風景を、どうにかフレームに収められないかと…あれこれ試行錯誤していた。こんなに撮影に拘った神社も稀なのだが…、結局満足の行く写真は撮れなかった。その後も散歩がてら全3回参拝した。その3回とも『ひふみ』を三唱した。
今となっては、この気まぐれな行動が伏線となっていたのかなと…。そして5日、気象庁が緊急地震速報を出した…。奇しくもダブル唐崎レイラインの北端、能登半島が大きく揺れた。
~能登半島地震~
▲2023年5月5日…震度6強
▲2024円1月1日…震度7
どちらもエンジェルナンバー…。
気象庁やtenki.jpのホームページによると…。
2023年5月5日、能登半島珠洲市沖、北緯 37.5度東経 137.3度を震源地として、珠洲市震度6、能登市震度5を記録。大きな揺れが1〜2分間続いたという。同地域14時53分と17時38分に震度4程の大きな揺れが続いた。このときまでに、能登半島で2022年春ころから、震度4〜5の揺れが6回観測されていた。
奇しくもこの5月5日は、能登半島七尾市では青柏祭が行われており、市街地では『デカ山』と呼ばれる曳山行事が、数分間中断されたとのこと。YouTubeにその時の映像が残ってます。
そしてなにより、5月5日は旧阿祖山太神宮の例祭日であった。
▽2023年5月5日14時42分。
このとき熊オッサンは、何処をほっつき歩いていたのか?と…。気になったので撮影記録を辿ってみた。因みに5月5日当日のスケジュールは…。早朝7時唐崎神社から、午前中に日吉大社→奥宮牛尾神社→比叡山→日吉東照宮へ、午後は琵琶湖西岸のJR湖西線沿いの和邇川『小野神社』など数社巡った。
そして…14時42分…。なんとなんと、この安曇川町西万木にいた!!。1992年ホツマツタヱ完本が偶然発見された、御祭神ニニギの『日吉神社』である。撮影時間から察するに滞在時間は14時40分〜14時52分頃、うち42分はちょうど本殿をウロウロしていた。記憶がおぼろげだが熊オッサンの日頃の行動パターンから推測すると、まず本殿前でご挨拶してひふみを三唱していたはずである。そして参拝を終えて撮ったのが下に掲載した本殿前画像。
時間的にドンピシャなんだよね…(´(ェ)`)。
◯『日吉神社』(滋賀県高島市安曇川町西万木)
〜主祭神〜
- 瓊瓊杵尊
〜摂社〜
- 愛宕神社(境内一番奥)
※1992年9月例大祭前日、ホツマツタヱ完本が見つかる。粗大ごみとして処分される直前だったという。
かねてより…、宮下文書とホツマツタヱを勉強する者として、この神社だけは参拝したかった。今日までホツマツタヱを守ってくださったのが、この御祭神なのは間違えない事だろう。ニニギさまにご挨拶差し上げた。
▽2023年5月5日14時53分。
お恥ずかしながら、汗だくで小汚い熊みたいなオッサンが、ホツマツタヱが発見された奇跡と、コノハナサクヤヒメさまを思って…、感極まって、めそめそ泣いていたわけだ。
▽2023年5月5日17時38分。
そして西万木日吉神社を去ったころに、能登半島この日2回目の緊急地震速報あり。さらに滋賀県大津市小野『小野神社』を出て、『小野道風神社』境内にて文殊菩薩社を参拝。
因みに、鴨別雷神を祀る日吉大社摂社『産屋神社』、本地垂迹は武蔵国小野大神と同じ文殊菩薩となる。埼玉県秩父郡小鹿野町には、伊豆沢『文殊堂』がある。與止日女神社を含めて、水神や伊豆神を祀る神社周辺には文殊堂がよくあるのだ。3人よれば文殊の知恵…というが、本地垂迹が複数のいつきの水神三女神ではないかと見ている。
小野風道神社がたまたまお祭りだったようで、神輿行列のお気に入りの写真が撮れた。その17時38分、能登半島3回目の緊急地震速報あった。
▽2023年5月5日21時58分。
少しずつだが、この日の出来事を思い出してきた…。
唐崎のホテルに戻り、テレビを見ながら荷物の整理をしていた。その時、たしか地震のニュースをみた記憶がある…。ただ、この日はめちゃくちゃ歩いたので、22時頃には爆睡していた気がする…。お恥ずかしながら、地震の詳細を知ったのはつい数日前。
もちろん偶然なのかもしれないし...、頭がおかしいといわれても仕方がないが…。ネットで調べると震災の被害も甚大で、がけ崩れや建物の倒壊などあったようだ。これらが熊オッサンのせいとは言えないのだけど…、被災された方を思うと心も痛むし、こういう話は冗談では語れない複雑な心境だ。
被災されたみなさま、心からお見舞い申し上げますm(_ _)m。
今まで多くのシンクロニシティを経験したが、今回の件は流石に思い知らされた…。
まいった(´(ェ)`)
5日の緊急地震速報スケジュール(まとめ)。
〜2023年5月5日の緊急地震速報(気象庁)〜
◯1回目の緊急地震速報
時間: 14時42分頃
震源地:石川県能登地方
座標:北緯37.5度 東経137.3度
最大震度: 6強
マグニチュード :6.3
※西万木日吉神社境内。ちょうど熊オッサンが誰もいない本殿前で、『ひふみ』三唱していた直後と思われる。
(´(ェ)`)
◯2回目の緊急地震速報
時間:14時53分頃
震源地 :石川県能登地方
座標:北緯37.5度/東経137.2度
最大震度 :4
マグニチュード :4.7
※ちょうど、西万木日吉神社から立ち去るところ。
◯3回目の緊急地震速報
時間: 17時38分頃
震源地 :石川県能登地方
座標:北緯37.5度 東経137.3度
最大震度 :3
マグニチュード: 4.3
※滋賀県大津市小野の小野道風神社境内『文殊神社』参拝後、神輿に遭遇。
◯4回目の緊急地震速報
時間:21時58分頃
震源地:能登半島……
震源地: 石川県能登地方
座標:北緯37.5度東経137.2度
最大震度 5強
マグニチュード 5.8
※おそらく就寝直前。
2023年5月5日写真フォルダからその時刻に一番近い画像を抜粋してみた。プライバシーの観点から、人物の顔と車のナンバーだけ加工させていただきました。それ以外は加工なし。御祭神に誓って嘘偽りはございません。
m(_ _)m
別雷命を対比することにより、歴史が動き出した?。
宮下文書曰く、10代崇神天皇〜12代景行天皇の時代。国の中央集権化に伴い、伝統と政治が歪み、信仰心が狂ってゆく様が克明に描かれている。その頃に成立したといわれるホツマツタヱは、それを証明してくれる絶好の古文書であった。今のところ他の文献では、歴史変遷の参考資料にはなるがまったく役不足だ…。個人的には、この宮下文書とホツマツタヱの対比によって、初めて歴史が動き出すと睨んでいる。
対比の一番の大きなテーマとなるのが、ニニギは悪神なのか?善神なのか?、それとも善悪両神なのか?。そして別雷命は男か?、女か…?。そこからコノハナサクヤヒメが、なぜこの世を去ったのかが見えてくる。
▲ホツマツタヱ版別雷命=ニニギ
▲宮下文書版別雷命=カモサワヒメ
▲ニニギ(コノハナサクヤ夫)
▲カモサワヒメ(コノハナサクヤ母)
〜別雷(ワケイカヅチ)命とは?〜
名前の由来は不明だが、火山雷と関係があるのかな?と見ている。『日本後紀』によると、800年(延暦19年)延暦噴火の記述として、『富士山が自ら焼け、夜も火の光が照した。雷灰が落ち、麓の川水が紅色になった』旨が書かれている。最近では桜島噴火でも観測され、まるで火山を誘うように発生する自然現象だ。
これまで紹介してきた能登半島へのレイラインにも、それぞれ意味があると思う。とくに2つの唐崎神社レイラインにはカラクリがあり、これはホツマ版ニニギと宮下文書版カモサワヒメを対比・照合させなくては、なんの意味も見いだせないだろう。別雷命=水神雷神を理解して、はじめて、火と水の仕組みは連動する。歴史書なんてどれも一緒...、パラレル上は歴史なんてどうでもいいと…、先祖と歴史を疎かにしている人は、一生真相が見えてこないカラクリになっている。
まるで唐崎神社の御神霊は、永きに亘り、別雷命の真意をわかっている研究者を待っていたかのようにも思える(妄想)。どれだけ待たされたことか…。そこに今回熊オッサンがたどり着いたことに、運命を感じてしまうのだ…。べつに自惚れでもなく…、古代神たちの苦労を痛感したからこそ、めそめそせざるを得なかった。
中年オッサンの涙の理由である(´(ェ)`)
歴史というのはワンネスそのもの、全てに感謝しなくては意味がない。もちろんそれは、現在欠史にされている富士朝~ウガヤフキアエズ朝時代の御祖霊を含むすべてである。全先祖・全歴史・善人も悪人も超えて、子々孫々の血肉・遺伝子となってこの国を形成してきた。だから真相を知る者は、自動的にワンネスを受け入れざる得ないことになる。だからもう、歴史は特定の人の既得権益として利用されるべきではない。
(´(ェ)`)
令和と武藤少弐氏。
前記事でも述べたとおり…。奇しくもこの令和の時代、ニニギさまは『言向和平せよ』『和せよ』と訴えかけているのではないか?と…述べた…。当初この年号がしっくりこず、違和感しかなかったのだが…(苦笑)。よくよく考えてみると、この世の中のタイミングで、この年号自体が神がかっている。
実は…この令和にも、熊オッサンの推定ご先祖様・武藤少弐氏が少々絡んでいる。福岡県太宰府市内、武藤資頼と資能の墓から500メートルほど西に、天台宗『善正寺』があった。武藤少弐氏系図によれば、少弐氏滅亡とともに、この善正寺も廃れたといわれる。境内にあった八幡宮だけが村の鎮守として再興された。これが令和典拠に関係する『坂本八幡宮』となる。
◯『坂本八幡宮』(福岡県太宰府市坂本)
〜御祭神〜
- 応神天皇
※令和典拠は、万葉集巻五・梅花謌卅二首并序にある一文で、『初春令月、気淑風和、梅披鏡前粉、蘭薫珮後之香』。その歌会の開催地は大宰帥・大伴旅人の邸宅である。坂本八幡宮はその比定地とも言われているが、否定説もあり。
因みに、その他にもこの令和。私への個人的で、強烈なメッセージというか…シンクロニシティも込められている。それを明かせば、納得される方もおられると思う…。ただ明かすと熊オッサンのプライバシーが保たれない仕組みになっているらしい…(苦笑)。ま…別に勿体つけているわけでもなく、私はホント無名の、そのへんにいるオッサンなんですけどね。これが私がここまでブログを続けてこれた理由の一つ。いずれお話するときが来るかもしれません…。
(´(ェ)`)
これは誰のことでもなく、いま地球上にいる現代人への命令状だと思っている。おそらくは、ご先祖様あたりから…?。外寇親征ニニギさまに代わって、元寇防人の末裔・武藤少弐氏の生き残りとして、一言いわせていただきます。
令 和せよ。
(´(ェ)`)
※地図はクラフトマップ使用。