セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

〈活動報告〉現代人がホツマツタヱと宮下文書のニニギの比較から学べること?。

武蔵国小野大神と同神か?、本地垂迹『文殊』摂社がある小野道風神社。
立ち去ろうとしたらお神輿が返ってきた。。。

 

2023,5,20

ゴールデンウィーク中は、京都府と滋賀県を神社めぐりしてきた。ちょっと予想以上に疲れたのでお休みいただきました。

(´(ェ)`)

伏見稲荷は朝8時に行ったにも関わらず、鳥居の列に観光客が大行列、途中この人だかりを避けたくて稲荷山山頂から弘法ケ滝方面へ迷い込みました。これがかえって良かったのか、閑静な京都を満喫できました。こんなこと書いたら南ルートに殺到するかもしれないけど…。たまたま通りかかったのだが、空海さまを参拝できて良かった。

既に朝一の稲荷山、人だかりが苦手なのでヘトヘトになってしまった。

(´(ェ)`)。

~目次~

 







歴史鎮魂ツアー?

巡ってきたのが下記のリスト ↓

限られた時間内じゃ周りきれず、あきらめた名所も数多くありますが…。なんでこのチョイスかといえば…、このブログの前記事にて既に紹介してきた神社なわけです。紹介しておいてなんですが…実際どういう場所なのか見ていなかったなと。実際行ってみて、イメージがかなり違う神社もありました。



〜京都府〜

  • 伏見稲荷大社
  • 稲荷山
  • 弘法ヶ滝(空海)
  • 伏見神寶神社
  • 藤森神社
  • 宇治・縣神社
  • 平等院鳳凰堂(混んでいたので外から見た)
  • 橋姫神社
  • 宇治神社
  • 宇治上神社
  • 菟道稚郎子尊・宇治墓(丸山古墳)
  • 石清水八幡宮
  • 與杼神社(淀姫)
  • 與杼神社(御旅所・旧跡)
  • 真幡寸神社旧跡(若宮宮)



〜滋賀県〜

  • 志津若宮神社
  • 唐崎・大将軍神社?
  • 唐崎神社
  • 高穴穂神社(12代景行天皇)
  • 高穴穂宮趾碑
  • 生源寺・大将軍神社(最澄の産土神)
  • 日吉大社
  • 八王子山・金大巌(日吉大社奥宮)
  • 日吉東照宮
  • 比叡山延暦寺
  • 安曇川・日吉神社(ホツマツタヱ完本発見)
  • 和邇・大将軍神社
  • 和邇・八幡神社
  • 和邇・小野神社
  • 和邇・小野道風神社(文殊社あり)
  • 近江神宮
  • 大津・宇佐八幡宮
  • 近江大津宮錦織遺跡
  • 三尾神社(菟神社)
  • 長等神社
  • 三井寺
  • 白鬚大明神・白菊大明神
  • 佐久奈度神社
  • 平津・戸隠神社(九頭竜神)
  • 橋姫龍神
  • 建部大社(地主神・オオヤマツミ妃カヤノヒメ)
  • 萱野神社
  • 立木神社
  • 伊砂砂神社
  • 安羅神社(ハヤサスラヒメ)
  • 安羅神社(アメノヒボコ)
  • 吉田三大神社

 

 

 

そして今回の旅のテーマの一つは、瀬田川→宇治川→淀川の祓戸の流れを体感したかった。題して『祓戸四柱と行く、歴史鎮魂ツアー?』。

 

〜祓戸四柱〜

  • 瀬織津姫命
  • 速開都姫命
  • 伊吹戸主
  • 速佐須良姫命

※宮下文書記載なし、今のところ初見はホツマツタヱ。

 

 

前記事でもご紹介したように、歴史改竄は支配者や親族の権益を守るために行われたとみている。そしてホツマツタヱ初見の祓戸四柱とは、歴史の欠史+改竄で行き場のなくなった、あるいは無念を残した御祖霊たちを鎮魂しているのではないのか?と…。政治的な罪・穢・禍事を流す強力なお祓いの水神浄化システム。逆にいえば、祓戸四柱を辿れば歴史改竄の糸口が掴めるかもしれないわけだ…。

 

 

 

伊吹戸主が鎮座する、伊吹山から鳴門の渦潮へのレイライン上には、ホツマツタヱ編纂に関与した?12代景行天皇の穴穂宮趾碑がある。祓戸四柱の流れは瀬田川から祓戸四柱を祀る佐久奈度神社へ。16代仁徳天皇の裏切りにより自決に追い込まれた宮下文書岩間本版・菟道稚郎子を埋葬する宇治墓と宇治川へ。瀬織津姫を祀る橋姫神社を通り、淀姫を祀る與杼神社宇治・桂川・木津川の三つの合流の淀川発生ポイントへ到達する。対岸には八幡信仰総本宮『石清水八幡宮』が存在しており、比叡山〜真幡寸神社旧跡〜住吉大社〜日前神宮へとレイラインを形成している。

12代景行天皇や39代天智天皇が、富士山の見立てである比叡山麓の琵琶湖に遷都したのも、この『祓戸の流れ』の比叡山に近い上流にて、富士山御祖霊に対して、政治的潔白を晴らしたかったからではないか?と思われる。



ま…、意図したわけでもないが、今回神社巡りで感じたのが、上記の歴史改竄を多く感じる地域でもあった。

またいつか神社巡り記事として纏めたいと思っております。…以降は、神社巡りの一部をご紹介。

 

(´(ェ)`)







琵琶湖西岸、ホツマツタヱの旅

 

今回はホツマツタヱを見聞する旅でもあった。

宮下文書とホツマツタヱから、歴史的空白を浮き彫りにすると…。

権力の象徴『三種神器』を阿祖山太神宮に返却することを拒んだ西国天皇勢力は、富士朝信仰から脱却することを選んだ。比叡山を富士朝御祖霊信仰の見立てとして、西国圏に新しいユートピアを作り直そうとしていた。これが12代景行天皇の歴史改竄であり、高穴穂宮遷都とホツマツタヱ編纂の理由であった。比叡山を意識した大拠点『日吉大社』もその範疇にあったのではないかとみている。

 

今回は、ホツマツタヱ成立に携わった?と思われる12代景行天皇を祀る『高穴穂神社』、さらにホツマツタヱ和仁估安聡写本が発見されたという滋賀県安曇川『日吉神社』まで足を伸ばした。

この周辺にホツマツタヱの史跡が点在しているということは、比叡山に富士朝御祖霊信仰を見出そうとしていた結果ともいえそうだ。またこの地域は小野・和邇・比良・安曇川などの地名が並び、安曇族の影響の強さも伺える。琵琶湖南東部へかけて大将軍神社もチラホラ見えた。

 

12代景行天皇を祀る滋賀県大津市穴太『高穴穂神社』。 背後に高穴穂宮跡の石碑がある。

 

 

 

 

 

ホツマツタヱ完本が発見された神社

ホツマツタヱの存在自体は、1966年松本善之助により東京都千代田区の神田古書店で『ホツマツタヱ』3文のみが発見されている。

1992年(平成四年)5月、安曇川町『日吉神社』の神輿蔵で、ホコリまみれの桐箱から、江戸期1779以前の写本ホツマツタヱ和仁估安聡写本の24冊40文がごっそり発見された。 掃除の際に不要と見做され、焼却処分寸前だったという…。それがたまたまヲシテ文字に関心を持つ人の耳に留まったという。研究者の間では、ホツマツタヱは記紀のベースになっているともいわれている。古文書の楽しみ方の一つは、このような奇跡的な人と人との繋がりを感じることでもある。

(´(ェ)`)




◯『日吉神社』(滋賀県高島市安曇川町西万木)

〜御祭神〜

  • 瓊瓊杵尊(ホツマツタヱ版ニニキネ)

 

ホツマツタヱ24文によると、ニニキネは三種の神宝を櫃に入れて伊勢から全国巡幸する。タカシマの『与呂木神社』『箕嶋神社』付近は、ニニキネが灌漑用水を引いて新田開発をしていた場所という。その後高島市鵜川『白髭神社(瑞穂の宮比定)』付近にて、従者サルタヒコと巡り会う。つまりはこのあたりに、ニニキネのホツマツタヱワールドが広がっていたわけだ。高島市駅すぐ近くの『安閑神社』あたりは、26代継体天皇の生誕地伝承がある。

※日吉神社は周辺に3〜4社あるので注意、御祭神もそれぞれ違う。

※※JR安曇川駅は電車が一時間に一本なので注意、安曇川周辺の神社めぐりは泣く泣く諦めた。

m(_ _)m



 

境内由緒書によると、『創祀年代不詳であるが社記によると往昔 天武天皇の皇孫塩焼王の霊を斎祀せし 万木の森の旧跡である…』とあり。奇しくも…、記紀編纂を指示した40代天武天皇の関与が見え隠れしている。

wikipediaによると塩焼王(氷上塩焼)の父は、天武天皇と藤原鎌足娘・五百重娘の間に生まれた大将軍・新田部親王。母親は不明。この地域には御祭神不明の大将軍神社が多いが、この新田部親王とも関係があるのだろうか?。その後理由は不明であるが、平城獄に投獄され、745年(天平17年)4月までに一旦は伊豆国三嶋へ配流されている。

その後藤原仲麻呂に近づき764年『藤原仲麻呂の乱』に巻き込まれる。仲麻呂は近江国高島郡三尾で官軍に徹底抗戦し、妻子とともに琵琶湖へ舟で漕ぎ出す途中で捕らえられる。最後は近江国で藤原仲麻呂一家とともに、殺害されたという。

 

滋賀県高島市安曇川町西万木『日吉神社』。
写真右手の神輿倉からホツマツタヱが発見されたらしい。



 

 

御祭神ニニギ。

 

上記『日吉神社』の御祭神がニニギ。

宮下文書における大陸との戦争『外寇親征の役』にて、富士朝阿族の主権を守った英雄神。国防の祖。この活躍こそが、記紀における『天孫降臨』伝承に変異したと思われる。

阿祖山太神宮七廟の金山神社に祀られた『宮守大神』、北口本宮浅間や笛吹一宮浅間山宮の一柱、宮下文書版八王子神。そして伊豆山神社雷電社の伊豆大神荒霊・雷電童子や、武蔵一宮小野神社の御祭神でもある。

また熊オッサンの推定ご先祖さまに絡んでいうと…、武藤少弐氏が崇敬していた福岡県糸島市雷山・雷神社『水火雷電神』と同神とも解釈される。天日子火瓊々杵尊の本名は『武雄毘古命』。もしかしたら...、鍋島氏が崇敬していた佐賀県武雄市武雄町大字武雄『武雄神社』も関係あるかもしれない。諸説あるが鍋島氏は少弐氏の婿養子家系、大陸勢力と戦った対元寇氏族たちが、先達の軍神である、ニニギや八幡神を崇敬していたのは自然な流れだったのではないか?。

 

さらにホツマツタヱ版別雷神・別神のスベラカミとも称され、宮下文書における嫁母・カモサワヒメと比較される存在でもある。

そして宮下文書の八幡・熊野信仰と関係が深い、阿祖山太神宮2代目大宮司タマノオヤの実兄。外祖父がスサノオであり、牛頭天王と八王子権現にも関係していると思われる。

 

もう…とにかく私の歴史探求の先々にニニギがいた。個人的には強烈なほどご縁を感じている御神霊だった。まるで、富士山の真相を追う者のお目付け役となり、試しているかのような…。

これもシンクロニシティなのだろうか?。

(´(ェ)`)

 

 





ニニギとニニキネの二面性

以降は熊オッサンの妄想色がかなり強いです。お読みいただければ幸いです。

(´(ェ)`)

 

2つの古文書において、これほど鮮烈に評価を二分している御神霊もないだろう。

▲ホツマツタヱ版ニニキネは、頭脳明晰の好青年イメージとして描かれている。コノハナサクヤヒメとのロマンスは、誤解とすれ違いを乗り越えて成就した。ホツマツタヱ26文には、高千穂峰と霧島神宮ニニギと富士山コノハナサクヤの日向のレイラインに象徴され、最後は二人は仲良く2箇所同時に神上がりし死んだ。その延長線の武蔵一宮小野神社に、ニニギがホツマ版祖母・瀬織津姫命(小野大神)や景行天皇(摂社)らと共に今も祀られている。そういう意味では、武蔵国はニニギにとって特別な場所なのかもしれない。





▲宮下文書版ニニギは不良少年。義理祖母アマテラスを困らせ、外祖父スサノオに預けられ言向和平を教育された。ニニギは大いに徳を修め富士朝へ帰還して皇位を継ぐが、『外寇親征の役』の戦時中に嫁コノハナサクヤヒメを自殺に追い詰めてしまう。これが阿族の世論から大バッシングを受けることになり、自責の念に駆られ衰弱死してしまった。宮下文書岩間本曰く、ニニギは強情な側面もあり周囲から誤解を受けやすい人物であったと…。

つまりホツマツタヱとは真逆の性格として描かれている。

 







〜ニニギvs.ニニキネの性格〜

▲ホツマツタヱ→頭脳明晰・好青年イメージ

▲宮下文書岩間本→不良少年・我が強い・誤解されやすい。

※ホツマツタヱでは、ニニギの悪童の部分が、祖父スサノオに投影されている感がある。祖父が孫の悪名を背負ってしまっているのではないか?とも思える。これは、天孫降臨伝説の英雄にも過ちを侵したという教訓なのか?。いくら責められても、この島国の主権を大陸勢力から守り抜いた実績は変わらないとは思うのだが…。




宮下文書とホツマツタヱ、どちらが偽書か?という議論はひとまず置いておいて…。テーマは『比較』である。

歴史書は比べる対象によって、制作背景が浮き彫りとなり、研究が捗る仕組みになっている。この2つの共通点が、富士山がアマテラス朝の神都となっており、2つの比較研究が富士山史解明の必須条件となるだろう。今、素人オッサンに言えることは、これら比較がなければ歴史解明はありえない。比較作業ができるという意味では、ホツマツタヱと宮下文書の発見は、どちらも同じくらい喜ばしいことだ。

 

ただ歴史家にとっては、ホツマツタヱと宮下文書、なんでこうもニニギの性格が二分されているのか?悩むことになるだろう。これを人物評価として、どう折り合いつけるのか?。…単に、西国天皇勢力が皇祖を美化したいだけなのか?。

個人的には、ニニギさまに『お前は、この二面性をどう伝えるつもりなのか?』と...、難題を突きつけられた感がある。

(´(ェ)`)



 

 

 

宮下文書版『三品の御神宝』は2セットあった。熱田神宮の草薙剣の真偽とは?。 - セキホツ熊の謎を追え!

 

 





善と悪は誰にもあって、鏡写しの『比較』をすることで学びとなる。

 

あくまでスピリチュアル的に語らせていただければ…。信仰上に限っていえば…どちらでも良いのではないだろうか?と思っている(苦笑)。

 

面白いことに信仰というのは、信じるものがいて初めて神が応対してくれる。ニギハヤヒが瀬織津姫の夫だと信じる人もいれば、アマテラスのツインレイと信じる人もいる。賀茂別雷命も男神という人もあれば、女神という人もいる。そのどちらの人も神はちゃんと見守っている。複雑な心境を懐きながらも人間の自主性を尊重し、人間世界の二面性を受け止めているのではないかと。




▲善神ニニキネ?(ホツマツタヱ)

▲悪神ニニギ?     (宮下文書)



歴史には光と影がある。光があって闇がある。善も悪もこの世にはある。それをありのまま受け止めて、自分の心と比較することで…学びとなる。ワンネスの世界では根源は同じことになる。

まるで、宮下文書版ニニギに言向和平を教育したスサノオの三品の大御宝、八角花形鏡『内侍所の御鏡』を思い出す。スサノオは八角花形鏡を使い、悪神には寛大な対処をして、善神に転身させることが可能だとしている。しかしニニギは外寇戦ではそれを実践できず、ジレンマを背負ったようだ。外国人には言葉が通用しないのだ。。。宮下文書曰く、舟を焼き払い、身を守るために襲い掛かる敵兵を薙ぎ払うしかなかった。

日月神示の岡本天明氏も、しきりに『悪の御役』なるものを強調してきた。神は人間に善を教えるために、悪を演じさせているのだという。逆に善役が、悪役になることもあろう。この世は分離社会を体験する学校、闇役がなければ光は学べない。ここだけの話、歴史改竄も神がやらせたのではないかと思っている(妄想)。いつの日か真相の還元を人間にやらせるために…。

今世で学びたいなら、『写し鏡』を受け止めなさいという、ニニギからの戒めだと思うのは私だけだろうか?…。 

 

そもそもなんでこの場所にホツマツタヱが発見されたのか?、なんでニニギが祀られているのか?と…。私から見ると、まるでニニギがホツマツタヱと宮下文書と比較研究されることを待ち望んでいたように思えてならない。彼は虎視眈々と、人間たちがこの二面性のカラクリに気づく時代を待っていたのではないだろうか?。奇しくもホツマツタヱ完本が日吉神社で発見され、リリースされたタイミングとは、善悪二元論に限界を感じ、ワンネスを受け入れようとする人々が徐々に増えている時代であった。

つまりニニギは、祖父師匠スサノオから継承した、善と悪の統合を人間に学ばせたかったのではないかと(妄想)。

スサノオ『今度はニニギが言向和平を教える番だ』と…。




『色々教えてくださってありがとうございます』

『富士山の歴史を伝えられますよう頑張ります』

…と熊オッサンからご挨拶した。



コノハナサクヤさまを思うと、また少し泣いてしまった…。

以前からこのニニギの日吉神社へは、ぜひとも参拝したいと思っていた。信じるものは人それぞれ。私は行きたい神社に行っただけで、はじめは意図したわけでもなかったのだが…。素人オッサンはこの5年間、知識ゼロから始まり、偶然にも瀬織津姫とレイラインとシンクロニシティに導かれる感覚をもった。行くべき処が、自動的にわかってくるのは不思議な体験だった。



貧乏人ボッチの旅も日頃の生活を内観できて良かった。お金がなくても楽しめますよ。

(´(ェ)`)

 

 

 

 

 

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