セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

〈夏至まとめ〉宮下文書ニニギは和合の教科書になっている。復活の天孫降臨レイライン。


2023,6,11

毎年6月は、熊オッサンが好き勝手、夏至と富士山高千穂峰レイラインについて語る日がある。ちょっと早いですが、面白いことにも気づいたので、さっそく今年もわかってきたことを補足していきたいとおもいます。毎年毎年、前記事の刷り直し記事で恐縮ですが、追加報告とみていただければ幸いです。

m(_ _)m

 

今回はちょっとアプローチを変えてみた。

前記事でご紹介したように、最近なんとなくニニギさまが気になってきているので、彼にクローズアップして調べ直してみた。すると…やはりというか、レイラインのアチラコチラで天孫降臨のイメージが焙り出されてきた…。

これだけテーマが際立つレイラインも他にないだろうとおもう。

(´(ェ)`)

~目次~

 





〈活動報告〉現代人がホツマツタヱと宮下文書のニニギの比較から学べること?。 - セキホツ熊の謎を追え!




富士山高千穂峰レイラインとは?

Googleマップ線引き機能で高千穂峰と大國魂神社を軸にした線。何度か指摘させていただいてますが、夏至のレイラインと言いながら、実際には少しズレているので注意。おおよそ夏至6月東から北へ30度強の線となる。ただ...、夏至祭とリンクしている地域があるので、熊オッサンが勝手に夏至レイラインとも呼んでいる。6月末日『大祓』の可能性もありそうだが。。。

m(_ _)m



〜富士山高千穂峰レイライン〜

  • 霧島神宮(ニニギコノハナサクヤ・ウガヤフキアエズ・タマヨリヒメ)
  • 高千穂峰(霧島神宮元宮・ニニギ天之逆鉾)
  • 狭野神社元宮・皇子原神社(神武天皇生誕地、ヒムカ神話伝承)
  • 西都原古墳群
  • 無戸室(コノハナサクヤ三皇子出産伝承地)
  • 日向総社三宅神社(ニニギ・タマノオヤほか天孫降臨供奉六十四神他三十九神合祀・夏至の天孫降臨祭
  • 日向二宮都萬神社(コノハナサクヤ・伊豆国発祥伊東氏崇敬)
  • 御船神社・牟弥乃神社(神名帳考証では瀬織津姫命
  • 豊川稲荷(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康ら崇敬)
  • 三河一宮砥鹿神社(徳川家康の活躍地)
  • 秋葉山八尺坊付近
  • 京丸牡丹伝承地と岩岳神社
  • 富士宮白糸の滝お鬢水(コノハナサクヤ・イワナガヒメ・源頼朝崇敬)
  • 富士宮白糸の滝・熊野神社(瀬織津姫命
  • 富士山
  • 大室山(富士隠し伝承
  • 武蔵一宮小野神社(小野大神ニニギ
  • 武蔵総社大國魂神社(小野大神など夏至祭
  • 人見稲荷神社(小野大神祓戸四柱・武藤少弐氏創建)
  • 人見浅間神社(コノハナサクヤ
  • 武蔵野八幡宮(坂上田村麿創建)
  • 井草八幡宮(源頼朝・太田道灌崇敬)
  • 西新井大師(空海開基)
  • 柏神社(月読命・大山祇命・スサノオ)

※武蔵野八幡宮は、坂上田村麿が宇佐八幡宮を六井郷霊池(現在の井の頭公園)の北の丘陵に勧請して創建。ネット上では水道橋から遷座したとの誤解が多いので注意。熊オッサンの初宮参りと七五三の神社である(´(ェ)`)。

※※柏の大樹は阿祖山太神宮とスサノオ誓約のシンボルと共通する。








はじめての方にこのレイラインの状況を説明すると…。

このレイライン、誰がなんのために作ったのかは不明だが…。レイライン上の武蔵国に小野大神の神社が、武蔵一宮小野神社・武蔵総社大國魂神社・人見稲荷神社が3つ並んでいるのは驚きである。小野大神とは、天下春命瀬織津姫命を指す。

 

〜小野大神関連の三社〜

①武蔵一宮小野神社

小野大神とは天下春命と瀬織津姫の二柱とされ、天下春命は通説ニギハヤヒ天孫降臨伝承の随従32柱とされる。安寧天皇18年創建、宮下文書によると安寧13年(BC536年)国賊か陸奥に乱入して、大いに乱れた記載がある…。四世紀以降、この小多摩関戸付近には宮下氏族吉田家・吉田四奈摩古男末裔の関戸氏の拠点とされた。wikipediaによると小野氏祖の天押帯日子命を祀っていた時代もあったようだ。

鎌倉時代末期1333年5月には、新田義貞+三浦義勝(富士朝57代宮下家大宮司)軍が分倍河原の戦いにて合流、この関戸の戦いを突破して一気に鎌倉倒幕へ雪崩れ込んだ。

このように同社は多摩川の水神祭祀以外にも、関所?鎮守?的機能があったと推測する。宮下文書には小野神社の名前は登場しないが、富士山の夏至に位置する古社であり、近隣には落川一宮遺跡などもある。




◯武蔵一宮『小野神社』

〜御祭神〜

  • 天下春命(ニギハヤヒ天孫降臨随従32柱)
  • 瀬織津比咩命
  • 伊弉諾尊
  • 素盞嗚尊
  • 大己貴大神
  • 瓊々杵尊
  • 彦火火出見尊
  • 倉稲魂命

 

〜摂社〜

  • 伊勢神宮内宮
  • 伊勢神宮外宮
  • 三嶋神社
  • 八坂神社
  • 愛宕神社
  • 安津神社
  • 日代神社 (大足彦忍代別命=12代景行天皇)
  • 鹿島神社
  • 子安神社 (木花開耶姫命)
  • 厳島神社
  • 方便神社 (鹽土老翁命=事勝国勝長狭神)
  • 堰宮神社
  • 秋葉神社
  • 稲荷神社

※小野大神=天下春命と瀬織津比咩命、大己貴大神?

※小野大神本地垂迹説=文殊菩薩





②武蔵総社大國魂神社

111年、12代景行天皇41年5月5日の創建。出雲臣天穂日命の出雲族後裔エタモヒが武蔵国造として奉仕した。武蔵国とサルタヒコ子孫出雲族については近々別記事でご紹介したい。

645年大化の改新以降、当地は武蔵野国府となり国司による国衙の斎場とされた。そのため年中祭事ごとがあるのだが、『夏至祭』があるのは興味深い。

『新編武蔵風土記稿』によると、江戸時代末期までに西殿にニニギ、東殿に瀬織津比咩・天下春命が祀られていたことが確認できる。現在の小野大神は天下春命のみと解釈されているようだ。



③人見稲荷神社

熊オッサンの推定ご先祖さま?武藤少弐氏が創建に関与している(確証ないけど…)。

1232年(寛喜3年)、武蔵左衛門尉資頼が鎌倉奉行として大國魂神社を修造。その後、前述の武蔵国造兄武比命(エタモヒ)を祀っていたとされるこの地に、神社を創建させた。宮下文書によると1252年8月武藤左衛門尉景時なる人物が、富士朝二所明神へ将軍家代参をしており、御剣と神馬を奉納。奇しくもその後の2つの元寇に勝利している。また資頼の嫁・梶原景時の娘の母方にアズミ族小野氏族横山氏の遺伝子が入っているようだ。

小野大神・瀬織津姫や祓戸四柱などのラインナップが、どういうタイミングで祭祀され始めたのかは不明。ただ当初から六所宮客来『三所之神』と称しており、富士山の方角へ小野神社・大國魂神社と三社並んでいることは偶然ではないだろう。1597(慶長2年)稲荷神を合祀して稲荷社と改称した。

ところで…エタモヒの御魂は、どこへ消えてしまったのか?。大國魂神社坪宮か?。



◯人見稲荷神社

  • 天下春命
  • 瀬織津比咩命
  • 倉稲魂命(慶長2年合祀)

※かつてはエタモヒが祀られていた?

〜境内社・祓戸四柱社〜

  • 瀬織津比咩
  • 速開津比咩
  • 気吹戸主
  • 速佐須良比咩

〜人見浅間神社遙拝所〜

  • 木花開耶姫命

 

人見稲荷神社の背後に『浅間山(人見山)』があり、コノハナサクヤヒメを祀る浅間神社がある。創建は不明ながら、また浅間神社近くに『おみたらしの水神社』があり、浅間神がこの湧水から湧き上がったとする伝承がある。かつて例祭日は、白装束の崇敬者で賑わっていたという。









 

 

ホツマと宮下文書からのレイライン解釈



▲ホツマツタヱ26文からの解釈。

高千穂峰ニニギと富士山コノハナサクヤヒメの神上がりのレイライン。

高千穂峰は、ニニギが九州霧島へ赴任した折に、富士山に残してきたコノハナサクヤヒメを懐かしみ、朝日を眺めていた場所という。夫婦の和合の意味合いが強そうだ。

ホツマツタヱ版ニニギにあたる祖母・瀬織津姫ホノコは、謎の奥義サクナダリと鏡を司る女神。一般的には、祓戸大神として知られており、政治的な禍事による穢・歴史鎮魂を担っていると思われる。

あくまで瀬織津姫の初見はホツマツタヱなので、この瀬織津姫の巨大なカラクリは、12代景行天皇以降意図された部分もあるのだろう。



▲宮下文書からの解釈。

高千穂峰は富士山と同義。富士山=高千穂峰=阿蘇山すべて同義。因みに、阿蘇山と富士山のレイライン上にウガヤ朝が遷都、神武天皇『橿原神宮』となる。

宮下文書版ニニギは霧島神宮と直接的関係はなし。ヒコホホデミの時代に、大陸勢力の度重なる襲来により、息子のウガヤフキアエズを富士山から九州へ遷都させざる得ない状況となる。そこで便宜上、富士山を遥拝する高千穂峰と呼称するようになったのではないだろうかと。

つまり結果的には、富士山富士朝と高千穂峰ウガヤフキアエズ朝、欠史にされた歴代神皇を繋ぐレイラインとなる。残念ながら現代の史観では、その意義が完全に消されてしまっている。




 

また、大國魂神社摂社『水神社』や関係社『瀧神社』には、賀茂別雷命とタマヨリヒメ、山城国賀茂神コンビネーションが水神として祀られている点にも着目している。

これら欠史を小野大神であり祓戸大神でもある瀬織津姫に、鎮魂させる目的ではないか?と思われる。

 

〜宮下文書における二大神都〜

▲富士山富士朝=

高天原世天神七代+豊阿始原世地神五代

▲霧島山高千穂峰=

ウガヤフキアエズ朝51代の象徴

 

〜山城国の賀茂神とは何なのか?〜

▲賀茂別雷命(上加茂)=富士朝の象徴神

▲玉依姫命(下加茂)=ウガヤ朝の象徴神

 

祭祀的本宮となる山城国賀茂川沿いの上加茂と下加茂神社は、富士山富士朝時代と高千穂峰ウガヤフキアエズ時代の呼応関係を思われる。宮下文書版ニニギは天孫降臨でウガヤ朝遷都に貢献した人物であり、ホツマツタヱ版ニニギのアオイ+カツラと別雷命の描写は、富士朝とウガヤフキアエズ朝欠史の牽強附会とみて良いだろう。

また。宮下文書版玉依姫命とは初代の本名。諱が多摩夜里毘女(タマヨリヒメ)尊』であり、これら富士山を超えてレイラインが辿り着く武蔵国多摩郡を彷彿とさせる。以降51代皇后が襲名制にしたもので、つまり御神霊は全51柱いることになる。




レイライン上の『白糸の滝』、瀬織津姫を祀る熊野神社がある。
















天孫降臨が導く『皇の大道』現る!?。

先述のように…。天孫降臨イメージが非常に強いことが浮き彫りとなってきた。通説高千穂峰はニニギ天孫降臨伝承で有名であり、日向総社『三宅神社』にはニニギ・タマノオヤほか天孫降臨供奉六十四神他三十九神合祀が祀られている。さらになんと…夏至天孫降臨祭なるものがある。

(´(ェ)`)

 

 

 

◯『霧島神宮』(鹿児島県霧島市霧島田口)

〜主祭神〜

  • 天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊

〜相殿神〜

  • 木花開姫尊
  • 彦火火出見尊
  • 豊玉姫尊
  • 鵜鶿草葺不合尊
  • 玉依姫尊(宮下文書表記 多摩夜里毘女尊)
  • 神倭磐余彦尊

 

※高千穂峰付近に、霧島神宮元宮とニニギ天之逆鉾がある




◯日向総社『三宅神社』(宮崎県西都市大字三宅)

〜御祭神〜

  • 天津彦瓊々杵命

〜配祀〜

  • 天児屋根命(宮下文書版ニニギ朝右臣)
  • 天太玉命    (宮下文書版ニニギ朝左臣)

〜相殿神〜

  • 木花開耶姫命
  • 神日本磐余彦命(神武天皇)
  • 誉田別尊
  • 玉屋之命(タマノオヤ比定)
  • 大物主命
  • 石凝姥命
  • 天鈿女命ほか

降臨供奉64柱神合祀神 39柱神

〜摂社〜

  • 大山祇命
  • 事勝国勝長狭神
  • 火闌降命ほか

※6月夏至の日の天孫降臨祭。



創建不詳1197(建久8年以前)には存在していた。日向一宮または日向総社・日向国府といわれ、西都原古墳群が広がる。西都原の語源は『斎殿原』といわれる。

宮下文書には三宅島=宮下(みやけ)島の記載があり。本ブログでは、アメノヒボコ子孫三宅氏や屯倉、富士朝客人勢力秦氏子孫は一部が重複しているのではないか?とみている。かつては福野宮と呼ばれていた。大まかにいえば『福』のつく寺社や地名は、秦氏と縁が深い。

 

神社2キロほど東北にあるコノハナサクヤヒメの日向二宮『都萬(つま)神社』と対をなして、上宮と呼ばれる。本貫地が伊豆国・イトウの宮の伊東氏が、日向国へ進出し同社と都萬神社を崇敬したという。この地はニニギとコノハナサクヤの出会いの場所の伝承があり、事勝国勝長狭神(鹽土老翁神)が二柱を仲人したといわれる。奇しくも都萬神社周辺のレイライン上には、コノハナサクヤが三皇子出産伝承のある『無戸室』跡地がある。これに呼応する如く、東の武蔵一宮小野神社摂社には鹽土老翁神が祀られている。



※また神社の通称はかつて、『八幡さま』と親しまれていた時代もあったようだ。

日向二宮・都萬神社の御祭神は諸説あり、かつては柧津比売命であった可能性もある。柧津比売命は紀伊国に由縁が深く、紀伊一宮伊太祁曽神社の御祭神・五十猛命の妹神とされる。前記事にて伊太祁曽神社が日前神宮から発生したと述べたが、この三宅神社が八幡宮の性質を持っていたと考えると、ニニギとタマノオヤ、2つの天孫降臨伝承がチラついてくる。

かつて武蔵国の大國魂神社にも、御祭神オオクニヌシを案内していた八幡さまが、『宿を探してくる』といい残し何処かに消えてしまったという伝承がある。










無人の一宮と揶揄されてきた?小野神社も、だんだん賑わってきた。




ヒムカの語源は『小野』だった。

宮下文書における日向(ヒムカ)とは…。

富士朝高天原イザナギイザナミの拠点『日向高千穂峰の小室の阿田都山』や『日向の穴宮の大御宮』のこと。アマテラスこと大市毘女尊(諱・大日留女尊)の生誕地のこと。

 

ホツマツタヱにおけるヒムカとは…。

ホツマツタヱ38文『コユガタ・ニモノ』、日本書紀12代景行天皇即位17年の条 西征紀に見える『丹裳小野(ニモノオノ)』の比定地。興味深いことに、これらはアズミ族小野氏が誕生する遥か以前のことだ。後世の日本書紀はこれを踏襲しているとみられ、景行17年項によると、彼が巡幸の折に日隠の峯付近の丹裳小野に立ち寄る。東方を眺めて『この国は(海に)直に日の出ずる向けり、故にその国名を日向と云う』と述べたという。

 

日月神示のヒムカとは…。

ヒムカは、日月神示には人間の病を治す神とされる。素人オッサンの解釈では…日神アマテルに向う『向津姫』こと瀬織津姫のことではないかと思われる。これが日に向うアマテルの鏡写しとなり、アマテラス荒魂と称される由縁ではないだろうか?(妄想)。さらに、ホツマ版アマテルと瀬織津姫が対面するとサクナダリとなるようだ。




〜日月神示第6帖〜

『富士を開くとは心に神を満たすことぞ、ヒムカとは神を迎える事ぞ、ヒムカはその使いぞ、ヒムカは神の使いだからこの道を早く開いてくれよ、ヒムカのお役は人の病を直して神の方に向けさすお役ぞ、このみちをよく心得て間違い無い様に早く伝えてくれよ』



ここに日向と小野が繋がるのは偶然だろうか?。奇しくもこの夏至朝日の方角に、これに呼応する如く武蔵一宮小野神社があり。瀬織津姫とニニギが祀られており、境内摂社にはコノハナサクヤと鹽土老翁神と12代景行天皇が祀られている。瀬織津姫の初見も今のところはホツマツタヱである。

そしてやはり、歴史改竄12代景行天皇は重要人物すぎるなと。。。

アマテラス荒魂の瀬織津姫の初見は景行天皇が関与したホツマツタヱ。そして小野大神の天下春命も、ニギハヤヒ天孫降臨に登場する随従32柱である。どのような意図かは不明だが、当社が日向国とホツマツタヱ神道体系の影響があちらこちらに感じられるのは興味深い。

(´(ェ)`)






















富士山と高千穂峰をスピリチュアル的に結ぶ意味、ニニギの人生は和合の教科書。

 

前記事で、宮下文書とホツマツタヱのニニギの善と悪の二面性をご紹介した。富士山と高千穂峰には夫婦の和合の象徴があり、ここにワンネスの必要性が見えてくる。そのとき解決に必要なのが『鏡』による内省。ここで鏡の女神の重要性がみえてくるわけだ。。。

奇しくも…、ホツマツタヱにおける鏡を司る女神は瀬織津姫。ニニギの祖母にあたり、高千穂峰〜富士山のレイラインの延長線上の小野大神と同神なのである。

ホントによくできている…(´(ェ)`)

 

〜三種神器『鏡』〜

▲ホツマツタヱ…ミクサタカラ、セオリツ姫のもつヤタノカガミ(八咫鏡)

▲宮下文書…スサノオ作成しアマテラスが管理する三品の大御宝・八角花形鏡『内侍所の御鏡』

 

〜武蔵国小野大神の役割?〜

①ニニギとコノハナサクヤヒメの統合?

②富士朝とウガヤフキアエズ朝の統合と、欠史鎮魂?

③謎の…サクナダリ現象?

 

 

瀬織津姫や祓戸四柱は、ホツマツタヱ歴史改竄が生み出した、政治的な禍事、穢を祓う女神。歴史改竄に伴う恨み、居場所のなくなった霊魂を浄化するための女神ということになる…。つまり歴史改竄されたポイントに浄化のため祀られているわけで…、皮肉なことにそれを辿ると、転じて真相を追うことになる。瀬織津姫の一番不思議なところでもある。前記事では、歴史改竄の必要性が生んだ真相開示の女神かもしれないと述べたが…。まあ大袈裟な話ではないだろう。

さらにホツマツタヱ13文によると、オキツヒコとオキツヒメが夫婦喧嘩の折、瀬織津姫のアイデアで、互いにマフツの鏡を見せあうというエピソードがある。互いは鏡に写し出された、怒りに満ちた己の姿を直視することが出来ず、恥じ、仲直りすることが出来たという。

そして今回のレイラインでも、分断されてしまった高千穂峰と富士山の信仰、ウガヤ朝と富士朝の歴史改竄、ニニギとコノハナサクヤ夫婦の二面性の統合を、小野大神が担っている?図式も見えてくるわけだ。

(´(ェ)`)

 

人見稲荷の浅間山(人見山)から高千穂峰方面をみる。

 

 

さて前記事では...、ニニギの二面性をどう伝えてゆくかが焦点であった。

素人オッサンが今回皆さんに伝えたいのは…。あなたが宮下文書版ニニギだったらどうする?ということ。皆さんの内なる神・ニニギに、徹底的に感情移入することをオススメする。

宮下文書版ニニギは大陸人からこの国を守った英雄のはずだった。。。

しかし妻コノハナサクヤは、両親を亡くしたばかりでパニック状態であった。ニニギも言葉が通じない敵と死闘を繰り広げ、敵味方が次々戦死してゆくなか平常心ではいられなかった。ニニギはコノハナサクヤに心無い言葉を放って、自殺に追い込んだ。それが民衆の知るところとなり大バッシングをうけた。結果として彼は『善でなければいけない』という民衆の怒号に糾弾されながら、自責の念に駆られ衰弱死した。これが、この国の民衆を命がけで救った英雄の末路だった。民衆の言うことが全てだから仕方がないというのなら、熊オッサンはちょっと違う気がする…。結局みんながみんな、よくわかっていなかった。

ただニニギにとっては…。善と悪を折り合いをつけて、生きてみようと模索することがワンネスの第一歩であった気がするのだ。善と悪を学べと、学んだら執着するなと…。赦して手放せ…。さもなければオレみたいにクラッシュしちまうぞと…。

この『令和』という時代に、ニニギ自ら教科書になって『和』を教えてくれているのも、偶然ではない気がしている…。

 

まるでこのレイラインは、高千穂峰ニニギが富士山コノハナサクヤと仲直りして、瀬織津姫の元へやってくるかのような図式。みなさんはどう捉えますか?。

善と悪の統合、皆さんの今年の『夏至』祈りに役立てて頂ければ幸いです。

(´(ェ)`)



 

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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