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2019,5,19
日向国と日月神示ヒムカの正体とは?
今回は、日月神示を考察してみる。
第二次世界大戦前後に巷を騒がせた、『日月神示』という預言書がある。このブログの趣旨から多少ズレる気がしたので、扱うのに迷ったのだが…、ごく浅く紹介する(笑)。
今回、『日月神示』を取り上げたのは、第5帖に登場する『ヒムカ』という存在が、瀬織津姫に関係しているのではないか?と思えたからだ。
~日月神示によるヒムカの存在とは~
・『神を迎えること』である事。
・『神の使い』である事。
・『人の病を直して神の方へ気持ちを向けさせるお役』である事。
~日月神示第5帖~
富士とは神の山の事ぞ、神の山はみな富士と言うのぞ
見晴らし台とは身を晴らす張らす所ぞ
身を晴らす張らすとは身の中を神にて張る事ぞ
臣民の身の中に一杯に神の力を張らす事ぞ
大庭の富士を探して見よ
神の米が出て来るからそれを大切にせよ
富士を開くとは心に神を満たす事ぞ、ヒムカとは神を迎える事ぞ
ヒムカはその使いぞ
ヒムカは神の使いだから九(こ?)の道を早く開いてくれよ
ヒムカのお役は人の病を直して神の方に向けさすお役ぞ
この理みちをよく心得て間違い無い様に早く伝えてくれよ
『神の方』とはズバリ夏至日の出と富士山の方位かと…。その根拠はホツマツタヱ26文『ヒムカ』と日月神示のキーワード『富士は晴れたり日本晴れ』である。
~ホツマツタエ(26文)~
あさはあさまの ひにむかふ
ヒムカふくにと ほつまくに
ひめはあさまに いなむつき
たかちねにいり かみとなる
つまり富士山高千穂峰レイラインに関係しているのではないかと。
人の病を治すとは『お祓い』の事かと。大きな神社にいくと境内社摂社に祓戸社があり、祓戸四柱(瀬織津比売・速開都津比売・気吹戸主・速佐須良比売)が祀られている。古来より、参拝者も宮司もまずは祓戸神で穢れを落とし、あらためて御祭神に向き合う習わしなのだ。つまり大切なのは参拝者側のきっかけとコンディションであり、確実に神に出会える方角を気付かせてあげることだ。
~ ホツマツタヱ(6文)~
みやびには
きみもきさはし ふみおりて
あまさがるひに むかつひめ
ついにいれます うちみやに
現状、瀬織津姫は宮下文書には登場せず、ホツマツタヱに頼るしかない。
ホツマツタヱ6文によると、瀬織津姫が宮中のアマテル(男神)に歩み寄ると、アマテル自らが勢いよく歩み寄る『サクナダリ』をしたという。このサクナダリが祭祀上、一体何を意味しているかは不明だが、語意的には『勢いよく落ちる様』とのこと。上記の6文では、瀬織津姫がアマテルに向かい歩む様を、日に向かう『月』に准えている。
そしてホツマツタヱ24文、日孫ニニギとコノハナサクヤがケンカをしたときも、一柱の竜神『みねのたつ』が仲介をしている。ニニギとコノハナサクヤは、晴れて結ばれ直して高千穂峰と富士山にて神上る。その二つの山を繋いでいるのがこの竜神=瀬織津姫?…なのかもしれない(妄想)。
ヒムカとは瀬織津姫であり、アマテラスともコノハナサクヤとも似て非なる存在。地図のなかった時代に、参拝者を太陽神アマテラス富士神コノハナサクヤへと間違いなく導く重要な女神なのではないかと。
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ヒムカ国の伝承、瀬織津姫死亡説。
ヒムカとは、現在の九州宮崎県付近、日向(ヒムカ)国と同義であろう。
宮下文書によると日本の創成期、国常立尊がはじめて富士山を見たときに『日向の高地火(たかちほ)の峰』と命名した。つまり『日向』とは特定の地域を示すのではなく、日に向かい聳え立つ様子と思われる。そして高千穂峰も阿祖(阿蘇)も、もともとは富士山由来の言葉だ。その後イザナギとイザナミが、日向高千穂峰(富士山)の麓、小室の阿田都山を『日向の穴宮の大御宮』とし、アマテラスを誕生させることになる。間接的に『日向』が、天つ日嗣アマテラスを指す言葉になったのかもしれない。
その後ウガヤフキアエズ時代、富士朝勢力は大陸情勢監視のために九州高千穂峰周辺へ遷都、その際『日向』は神都の所在地となる。後世、富士朝史が隠蔽改竄されると、語意がわからないまま『高千穂』『阿蘇』『日向』の地名のみが残されてしまったのだろう。皮肉なことに、これが後世に日本史が九州発祥説を後押ししていく。
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そして、この宮崎県西都市内を流れる一ツ瀬川沿いには、瀬織津姫死亡説がある。瀬織津姫が物語の登場人物として描かれるのはホツマツタヱだけであり、それゆえこの速川神社の伝承は貴重で、とても興味深い。
〇速川神社(宮崎県西都市南方鳥巣)
~御祭神(祓戸四柱)~
・瀬織津比咩命
・速開津比咩命
・気吹戸主命
・速佐須良比咩
宮崎県西都市『速川神社』には、一般社団法人西都市観光協会の由緒書がある。この看板、全国の瀬織津姫信者や神社庁あたりからいろいろ物議をかましたのだろうか(?)、つい最近まで『瀬織津姫命』の部分が無惨に削られていたので、現在修正されたらしい。看板の誤字脱字はそのまま記載する。
~旧・由緒書~
『神社の祭神には、瀬織津姫命をお祭りしてありますが、神社の創始者は、新しい土地を求めて南下された天孫ニニギの尊が、伴人の瀬織津姫を速川の瀬で亡くし、此の地に小祠を建立して、御霊を慰めたことに初まるという伝説が残されています。…(以下略)』
~訂正版・由緒書~
『天照大御神の御神勅を受け、高千穂に降臨され新しい土地を求め南下された天孫ニニギノ尊は、お供の瀬織津姫命を速川の瀬の急流で亡くし、そのことを深く悲しまれこの地に小祠を建立して、御霊を慰めたことに始まるといういう伝説が残されています。…(以下略)』
まああまり内容的には変わらないが…。こういう観光案内板一つでも、信者にとってはデリケートな問題なのだろうなあ…と実感する。
要約すると、ニニギの国土開発(天孫降臨?)に同伴していた瀬織津姫が、速川の瀬の急流で溺れ死んでしまう。悲しんだニニギが小祠を建てたという。
ホツマツタヱにおいてニニギは瀬織津姫の孫にあたる。幼いころより母タクハタチヂヒメから離れて、アマテルのもとで養育された、とすると中宮である瀬織津姫が母親同然だったのかもしれない。
※因みに、平安期の大祓詞に出てくる『速川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神』とは、この速川神社を指し示しているという説もあるそうだ。
図①レイライン上の宮崎県西都市周辺図
この速川神社自体、遷座経験がある。もともと東南5キロほど離れた宮崎県西都市南方にある南方神社に一時的に?祀られていて、大正14年に南方神社から一宗教法人『速川神社』として遷座させ独立したようだ。南方神社(宮崎県西都市南方)は鎌倉時代に伊豆国より流入した伊東氏が供田を寄進しており、『伊豆大神』か『伊豆権現』としての側面があるのかもしれない。南方神社から『桜川』を2キロ南下すると、富士山高千穂峰レイライン上に『都萬神社』があり、ニニギとコノハナサクヤが挙式して新婚生活をしていたという伝承がある。
さらに興味深いのは、速川神社のすぐ西側には西都市大字寒川の地名があり、三宅神社(宮崎県西都市三宅)も宮下家を示している可能性がある(東京都三宅島というのは宮下家由来であり、宮下家島と表記していた)。この近辺、富士朝の気配を感じるのは私だけだろうか?。
上図の神社群が並んで指し示すレイライン上に、佐賀県神埼郡吉野ヶ里『田手神社』がある。田手神社の御祭神は『撞賢木厳之御魂向津媛命』、これはホツマツタヱにおいての瀬織津姫であり、アマテラス荒魂としても知られる。アマテラス不在時、瀬織津姫が実質摂政を行っており、後世に瀬織津姫とアマテラスが混同されている原因の一つではないか?とも思える。
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武蔵国でも瀬織津姫とコノハナサクヤが重なる。
日月神示には『富士は晴れたり日本晴れ』『扶桑(日本の旧名)の東の神コノハナサクヤを祀れ』とあり、太陽と富士山の関係性を意味ありげに説いている。どうやら日月神示の神様(一説にはクニトコダチ)には、太陽と富士山の確実なコンビネーションが必要らしいのだ。
レイライン上の武蔵国に入るとだんだん瀬織津姫とコノハナサクヤが入り混じり、瀬織津姫の神社が並ぶ。恰も瀬織津姫が人々を夏至の日の出の方向へ案内しているようだ。
図②レイライン上の瀬織津姫神社分布図
気づけば瀬織津姫神社もコノハナサクヤ富士塚と重なり、『富士講』の痕跡とも重なりあっていく。これらが後世に、瀬織津姫と富士神コノハナサクヤが混同される要因の一つとみる。
前記事では、瀬織津姫がコノハナサクヤ以前の富士山の象徴と書いたのだか、今は訂正すべきかもしれない。瀬織津姫とコノハナサクヤとは全くの別神で、アマテラスとも違う。むしろ人々を太陽神アマテラスや富士神コノハナサクヤに向かわせる案内者的存在、それゆえに誤解もされやすいのだ。
言い換えると、瀬織津姫が『太陽神』と『富士神』へと導き向かうがゆえに、アマテラスもコノハナサクヤも似て非なる女神にみえるのではないかと…。
しかし瀬織津姫が、富士王朝と月の象徴の一つであることはかわらない。ホツマツタエ曰く『あまさがるひに むかつひめ』つまり『天に向かう月 ムカツ姫』、おそらくは宮下文書でいうところのツクヨミ妃『月桜田毘女』をモデルにしているのではないかと。要は歴代権力者たちは、ツクヨミ(富士朝)の存在を隠さねばならなかったのだ。その代理が月桜田毘女=瀬織津姫と考える。その他にも多くの富士朝女神たちが時代と共に消されており、瀬織津姫はその神々の代弁者の役割を担っているようにも見えてくる。即ち、アマテラスとコノハナサクヤに出会いたいのであれば、ツクヨミ(富士朝)の介在を常に忘れるな!ということである…。
この瀬織津姫の役割を言葉にすれば、やはり『きっかけ』『気づき』からの『導き』の女神なのだ。
東京都府中市『人見稲荷神社』は小野神社の小野氏の流れを汲む人見氏の神社、裏山にあたる浅間山公園『人見浅間神社』遥拝所がある。
図③レイライン上のコノハナサクヤと大型富士塚分布図
東京都杉並区『井草八幡宮』にある富士塚。富士山や白糸の滝を拠点とした『富士講』とも関連があるようだ。
同『井草八幡宮』にある富士講灯篭には『月』の紋章。夏至レイライン上に富士と月の影が重なっていく…。
とはいえ、ホツマツタヱを読んでいると瀬織津姫=アマテラスであることは否定できない。ホツマツタヱ作者がアマテラスを男神にした代わりに、女神アマテラスのイメージを瀬織津姫に投影した可能性もある。それを受けてアマテラスを瀬織津姫として祀る地域も当然あるだろうし、地域にあった御祭神判断が必要であると思われる。
そして瀬織津姫とは、未婚で死んだ女神アマテラスの『母』としての役割を投影しているとも思えるのだ。宮下文書ではアメノオシホミミを未婚養子にして日嗣にしている、つまりアマテラスの母としての側面『荒魂』ではないかと(妄想)。
まあ、色々妄想すると切りがないが…、きっと人知の超えた存在には変わらない。
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日月神示が伝える今後…。
日月神示下つ巻(第27帖)『この方は祓戸の神とも現はれるぞ』。
日月神示のいう『てんしさま』は、祓戸の神とともに現れると書いてある。そしてヒムカの役割らしき記述がある。
~日月神示・日の出の巻13帖~
『神にまっすぐ向かうのだぞ、ヒムカ(日向)と申してあろうがな』
『上にまっすぐ神をいただいてくれよ』(富士山の頭上?宇宙?)
『(それが)神国のまことの御道ぞ』とのこと…。
日月神示にたびたび出てくる熊野神・オオカムツミ(意富加牟豆美命)の存在も気になっている、瀬織津姫となにか関係があるのではないかと…。どこかしら親族のオオヤマツミを彷彿させ『カムツ』が『ムカツ』に見えるだけだが(笑) 。
~天つ巻26帖~
『天の日嗣と申しても一柱ではないぞ、一柱でもあるのだぞ、臣民のお役所のようなものと心得よ』
『この方はオオカムツミの神ともあらわれるのだぞ』
『時により所によってはオオカムツミの神として祀ってくれよ』
とのこと。そういえば…熊野信仰には瀬織津姫が関係していたとの説もあったなあ…。
さて前述したとおり、科学誌ネイチャーによると2018年前後より夏至レイラインは北に45度近く変えられてしまった。日月神示のとおり富士山より30里4里離れた榛名山~赤城山の方向が夏至日の出の方角となっている…。マスコミが沈黙しているので公式な日の出データもなく…何とも言えないが、方角的には北海道大雪山方面?であろうか…。日月神示には榛名山の重要性がかいてあり、天つ巻27帖『北を拝めよ、北が光るぞ北よくなるぞ』『夕方よくなるぞ、暑さ寒さ柔らかくなるぞ』とある。果たしてこれは予言が的中したのだろうか?
それに伴い、やはり富士山高千穂峰レイラインと瀬織津姫の役割も変化していくのだろうか?。
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※地図には クラフトマップ使用。