2019,2,17
レイラインを繋ぐ歴史の真実。
今回から宮下文書の内容に触れる。
富士朝とウガヤフキアエズ朝は実在したのか?。まず両朝関係を説明する為、便宜上ニニギの時代から説明する。
~日本は富士朝より始まる~
アマテラス孫・ニニギの時代、大陸人の大軍が九州~四国に攻めて来た。これを『外寇親征の役』と呼ぶ。天孫ニニギと臣民一丸となって、辛うじて勝利。しかしコトシロヌシ親族は壊滅状態、オオヤマツミとカモサワヒメ夫妻の死亡、ニニギは后コノハナサクヤを自殺させて衰弱死…。責を感じたコトシロヌシとタカテルヒメ夫妻が、後追い自決してしまう。
この後第二次外寇の末、ヒコホホデミ~ウガヤフキアエズ政権は中央政府を高千穂峰に置き『神都』とし、大陸監視しつつ政務を行った。簡単に言えば、富士に拠点を置くと、海外勢力に対しての初動が遅れる。しかしながら、富士山信仰は遷すことができない故、宗教的中心は高天原に残し『天都』とした。
何故、神都が九州最果ての地『高千穂峰』なのか?。これは、太陽信仰と山岳信仰のレイライン上にあったからに他ならない。古代人は、既に『夏至の太陽』と『富士山』を信仰対象と見做していた。もともと富士山のことを『不二山』とか『日向高千火峰』とか『阿祖(あそ)』と言っていた。現代においてはこの辺が、高天原九州説の誤解を助長しているとみる。
下地図のように、Googleマップで富士山と高千穂峰を繋いでみると、夏至レイラインとなる。多少ズレはあるが経度線から東に約62度50分、夏至の朝日の方角である。
※多少ズレあり。
この夏至レイライン上にある、静岡県富士宮市『千居遺跡』は日本最古級定住集落跡。遺跡内のストーンサークルは、富士山からの朝日を測定できるように横列に並び、古来から夏至と富士山を重視していたのがわかる。一方でレイライン上の九州部分・太平洋側を『日向(ヒムカ)』と呼んだ。現在で言う宮崎県太平洋側で、黒潮を利用すれば富士朝への船アクセスも良かろう。
よく誤解されるのは、富士山と高千穂峰に都があった訳ではなく、あくまで山岳信仰のシンボルだ。富士朝本懐の『阿祖山太神宮』のは都留(正確にいうと山梨県富士吉田市)、ウガヤ朝は宮崎県都城~西都に都があったのではないかとみる。諸説あるだろうが、私は単に『都』という地名が怪しいと思っている。
但し、両朝とも火山の影響で移動を余儀なくされてきた。
富士朝は平安期・延暦火山(800年~)以降、溶岩と樹海に没している。その後、再興された神社もあるが、青木ヶ原樹海の下にはまだ多くの社・陵墓があるはずだ。当時、高天原救助活動を指揮していた坂上田村麻呂により、阿祖山太神宮の一部機能を相模一宮『寒川神社』に分離遷座させ、『里宮』とした。
ウガヤ朝は中心部と目される旧『霧島神社』は分社、『狭野神社』は遷座を繰り返している。神武は東征直前『宮崎神宮』に宮を置いていたとの説もある。宮下文書によると、『御宝山(大分県?)』『直入の宮』『笹原の宮』『阿蘇の宮』など、かなり広範囲に転々としていたようだ。
偽書のススメ6:さらば富士王朝。延暦噴火だ緊急避難せよ坂上田村麿。 - セキホツ熊の謎を追え!
ウガヤフキアエズとタマヨリヒメに託されたもの
富士朝とウガヤ朝は共存関係、あるいは継承関係。実質は同族、同宗教、ウガヤ王こと『神皇』が富士朝に赴いて即位式を行う。この関係がウガヤ王51代後の初代・神武天皇誕生までつづく。
但し、神皇が即位の度にウガヤ朝から富士朝へ航海が必須。これが至難の業で、即位前に命を落とした皇子もおり、その場合は皇兄皇弟に皇位継承権が移り、また更なる航海が必要になるわけだ。
△富士朝はツクヨミ系統オオヤマツミ子孫が継承。
▲ウガヤフキアエズ朝はヒコホホデミの子、ウガヤフキアエズ『合須神』が継承。
ウガヤ朝統治継承者の正式名称は『鵜茅葺不合尊(ウガヤフキアエズ)』と『多摩夜里毘女(タマヨリヒメ)』。ウガヤ朝はウガヤフキアエズと妃・タマヨリヒメが世襲制度をとっている。その状況が、ウガヤ51代(宮下文書)or73代(ウエツフミ)、2740年間?続いた。『皇后摂政』をカウントするかしないかで総数に差が出る。
皇后摂政を簡単に説明すると、天皇(ウガヤ王は神皇と呼ばれていた)崩御後から次期天皇即位までの中継ぎである。天皇と皇后の夫妻崩御して、初めて次期天皇が即位できる。宮下文書によると51代中24代の皇后摂政があり、合計するとウエツフミ73代にほぼ一致する。
あくまで私見だが、『皇后摂政』がなぜ必要かというと襲名制度だからだ。例えば、先代ウガヤ崩御後、先代タマヨリヒメが存命中に次期ウガヤが即位してしまう。当然、次期タマヨリヒメも襲名してタマヨリヒメが二人になる…。同時代重複は避けねばなるまい。
ご存じのように『記紀』でのタマヨリヒメの扱いは謎が多く、トヨタマヒメの姉妹にしてウガヤフキアエズの妃であり…、ホツマツタヱでは白い矢が飛んできて想像妊娠をする???と…。個人的にも、何かワケありとは思っていたのだが、なるほど全51柱いたわけか。記紀製作者はさぞかし辻褄合わせが大変であったろうと思う一方、逆にホツマツタヱの豊かな表現力を思い知らされる。
この51代タマヨリヒメの歴史を、強引に一柱にまとめようとしたのが、京都『賀茂御祖神社』。下リンク記事参照↓。
※因みに51代の歴代ウガヤ王を『合須神』ともいう。
全国300社以上の『賀茂神社』正体解明。富士朝ウガヤ朝・日本最大級の欠史鎮魂神社。 - セキホツ熊の謎を追え!
レイラインの先にあるもの、多摩市・聖蹟桜ヶ丘とは
レイラインを繋ぐことで、天都『富士山』と神都『高千穂峰』の関係性が見えてきたわけだが、それではその逆方向、東側には何があるのか?。
…そう多摩夜里毘女の『多摩』である。レイラインは高千穂を超え、伊勢西部、富士山を超え、武蔵国多摩へやってくる。東京都多摩市の聖蹟桜ヶ丘駅近く、瀬織津姫で有名な『小野神社』へ(下写真↓)。お隣の府中市『大國魂神社』関係社『瀧神社』にはタマヨリヒメが祀られ、鈴木貞一著書『日本古代文書の謎』によると、タマとは『真実』『誠実』の意味があるという。御祭神を調べてみたら人見稲荷神社・大國魂神社・小野神社と見事な『トリプル瀬織津姫』、さらに井草八幡宮にも祓戸神が祀られており、これはかなり訳アリなレイラインに見える。
※多少ズレあり。
Wikipediaによると武蔵一宮・小野神社と武蔵総社・大国魂神社、どちらもホツマツタヱ制作指揮者・12代景行天皇が関係し、そしてホツマツタヱが創造した女神『瀬織津姫』が祀られている。一方でレイライン九州側には、宮崎県西都市『速川神社』には瀬織津姫『死亡説』なるものが伝承されているのだ。富士朝とウガヤ朝の歴史を完全には消し切れなかった景行天皇、彼がどうやらこの夏至レイライン上で何か細工をしたようだ。この件もただいま調査中、わかり次第記事にしたい。
※後記、詳細が分かってきたのでリンクを貼る↓。瀬織津姫にはアマテラスを、誘い、導く役割があるようだ。
<神社めぐり>大國魂神社①最強サクナダリ神社に、瀬織津姫が祀られている可能性。 - セキホツ熊の謎を追え!
大国魂神の秘密。スクナビコナとオオクニヌシを並祀する本当の意味/健磐龍命悲しき英雄。 - セキホツ熊の謎を追え!
※『偽書のススメ』シリーズの次回記事はこちら↓。
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※地図はクラフトマップ使用。
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