2020,2,22
まず、宮下文書を知らない方は、前記事等で補足を推奨しておりますm(__)m。下リンク↓。
偽書のススメ: 富士王朝とウガヤ王朝の関係、レイラインが繋ぐ歴史の真実。 - セキホツ熊の謎を追え!
伊豆国三嶋大社・加茂澤毘女にトコトコついてくる瀬織津姫の不思議①。 - セキホツ熊の謎を追え!
宮下文書登場『加茂沢毘女』を少しだけ解説しておくと。以下のとおり。
・ツクヨミ長男の、オオヤマツミ『寒川比古命』の妃。
・イワナガヒメとコノハナサクヤの実母。
・コトシロヌシとタカテルヒメの娘。
・宮下文書『別雷神』『寒川比売命』『三嶋神』『三嶋溝樴姫』など。現在も同名義で祀られているのかは不明。
・記紀のオオヤマツミ妃は『カヤノヒメ』、別名『ノヅチ』『クサノオヤ』。土佐国に関係神社が多い。
・神名帳考証・神名帳注釈。寒川神社祭神『澤女神(ナキサワメ)』
・加茂(カモ)山とはオオヤマツミの父・ツクヨミと母・月桜田毘女の埋葬地。高天原『宇宙湖』(山梨県山中湖に分割縮小された湖)北東にあった山。富士朝のシンボルの一つだったと思われる(後述)。
調べれば調べるほど、カモサワヒメ信仰の巨大さが見えてくる。
賀茂系統社は全国に300社以上に勧請され、特徴としては賀茂別雷命と賀茂建角身命と玉依姫ら三神、何れかを祀る傾向にある。その筆頭が京都『賀茂神社』。賀茂別雷神社(上賀茂)と賀茂御祖神社(下賀茂)の二社総称。私はカモサワヒメ本拠地は三嶋大社とみるが、別雷神を語る上では外せない神社である。
〇賀茂別雷神社(京都市北区上賀茂本山)
~御祭神~
・賀茂別雷大神(男神とされる)
~摂社~
山尾社 ・大山津見神
鎮守社 ・大国主神・少彦名神
梶田社 ・瀬織津姫
藤木社 ・瀬織津姫
〇賀茂御祖神社(京都市左京区下鴨泉川町)
~御祭神~
・玉依姫
・賀茂建角身命
一般的には、奈良時代以前の山背国(京都)は、賀茂氏という古代豪族が支配していたことになっている。この賀茂氏の氏神を祀ったといわれるのが、賀茂別雷神社と賀茂御祖神社とされる。
個人的見解では、もともとは、純粋に富士朝カモサワヒメとウガヤ朝タマヨリヒメ、両朝后神・妃神を国祖として祀っていた聖地と思っている。
10代崇神天皇~12代景行天皇の時代、ヤマトタケルによる全国規模の歴史改竄が始まった。ホツマツタヱでは富士朝とウガヤ朝は欠史にされ、一つの氏族『賀茂氏の祖神』として胡麻化さねばならなくなり、この賀茂氏が本当に実在していたかは不明(後述)である。
Wikipediaによると。『山背国』後の『山城国』の名称は、平城京から見て奈良山後方にあたる地域という、なんとも曖昧な理由なのだが。今考えると…オオヤマツミ或いは富士朝祭祀の意味があるのかなと妄想。
~上地図レイラインの紹介~
①富士山~高千穂峰『夏至』レイライン
②富士山~日本総社・津島神社~神山~愛宕山~丹波・出雲大神宮レイライン
③伊吹山~延暦寺釈迦堂~賀茂御祖神社~伊弉諾神宮~土佐神社~高千穂峰レイライン
京都賀茂神社の起源は、別雷神が上賀茂神社北部『神山(衣笠峯)』に降臨したことによる。前記事で紹介した、富士朝~津島神社~出雲大神宮レイライン上にある、比叡山延暦寺と愛宕山に挟まれた素朴な山。クニトコタチとクニサツチを結ぶ重要レイラインであり、私が宮下文書記述を信じる理由の一つだ。記事のリンク↓。
<レイラインの美学⑥>元出雲と日本総社の真実。出雲大神宮と津島神社と富士山は繋がっていた。 - セキホツ熊の謎を追え!
一言『神山』といっても衣笠峯・賀茂山・片岡山と解釈により、山域が変わる。うーん、正直よく解らないが(汗)…。山塊ではなくピンポイントに差しているのが衣笠峯で、その東西を長尾と狸山と呼ぶらしい。近くに三嶋明神・美名越乃社(京都市左京区岩倉木野町)がある。
京都賀茂神社社伝によると。
賀茂建角身命の娘、玉依姫が川で身を清めていると、丹塗矢が流れてきた。それを持ち帰り寝床に祀ると、玉依姫は懐妊し、男の子『別雷命』が誕生する。
別雷命は八幡神同様に、知名度はあるが記紀には登場しない。アジスキタカヒコネやオオヤマクイやニニギなど御正体は諸説あり。賀茂氏の祖神とされる。
福岡県うきは市『賀茂神社』に、興味深い伝承がある。賀茂大神が初めて降臨したのは、なんと筑後国と主張しているのだ。その後、東征に伴いヤタガラスとなって、神武天皇を大和国に導いたと。賀茂神社社家の初代は、武内宿禰19世孫『波多臣広庭』子孫、波多次郎救家の嫡男 久家和州 。武内宿彌は富士朝とも縁が深い人物だ。前記事リンク↓。
偽書のススメ5:応神天皇の子孫が残した宮下文書 - セキホツ熊の謎を追え!
仮に…。もしこの社伝が本当ならば、賀茂信仰とはもともと九州における富士朝信仰ということになる。宮下文書版ツクヨミは、オオヤマツミの父であり富士朝の後継者である。他方で、ホツマ版ツクヨミは、オトタチハナのアワキ宮(ツクシ)で生まれる事になっている。総合的に考えると、もともと九州筑紫国は、富士朝を受け入れる土壌があったということになる。
筑紫平野の、うきは賀茂神社の10キロほど西には、『月読神社』(久留米市田主丸)がある…。また前記事でものべたが久留米市御井町の高良大社『高良玉垂命』は、富士朝由来の15代応神天皇信仰『高御久良神社』ではないかともおもえるのだ…。宮下文書版・武内宿彌は、富士朝に来訪し徐福から徐福学を学んでいた。富士朝の面影が結構残っている気がするのだ。
このように九州における富士朝信仰と考えると、ホツマツタヱと宮下文書記述の合点がゆく。大和国遷都に伴い、御祖である富士朝からウガヤ朝というタイムラインを、関西圏に祀り直す必要があったのだろう。
因みに。宮下文書によると、『ヤタガラスの導き』とは大久米命と高座日多命らウガヤ朝神武勢力が、国祖富士朝から持ち帰った御神託のことである。賀茂大神信仰は神武東征とともに山背国(京都)へと東遷されたのかもしれない。
ホツマツタヱによる賀茂神社解釈
別雷の天君=ニニギ。ニニキネ。
鳴神を別けて土を生かす別雷のスベラカミ。
山背国広沢(京都市右京区広沢池)が開墾されたのはニニギの代、豊かな穀倉地帯へと変貌する。ニニギは、開拓者クニトコタチの更なる稜威を達成したと称賛されるようになる。このように、ホツマ版ニニギは、富士山周辺と高千穂峰周辺と山背国周辺を平定した農業神と解釈されている。宛ら『いかつち(雷)』を『土』に準えているようみも見える。
ホツマツタエ解釈は、賀茂別雷神社の社伝に似ている。
ヒコホホデミとトヨタマヒメがウガヤフキアエズを産む。しかしトヨタマヒメは、ヒコホホデミに産後のアラレもない姿を見られてしまう。怒ったトヨタマヒメは弟タケツミヒコとともに、ミヅハメ社(貴船神社)に立て籠る。
そこで夫婦の父神ニニギが、夫婦喧嘩の仲裁に入る。別雷の峰に生える葵桂(あおいかつら)を持参して、夫婦関係を葵桂に準える感動的なお説教がある。個人的には、私がニニギに興味を持ったきっかけでもある。
ニニギはヒコホホデミの夫婦関係修復をし、高千穂峰へ最後の旅へ出る。おそらくこのニニギの航跡が、③賀茂御祖神社~高千穂峰レイラインを示唆している(レイライン上を移動したわけではない)。
高千穂峰ニニギと富士山コノハナサクヤが同時期に神上る。つまり祭神になるための自殺。これがホツマ版の①富士山高千穂峰『夏至レイライン』である。
ニニギ崩御の際は、トヨタマヒメは別雷山(神山)に籠って喪に伏し、トヨタマヒメ崩御の際は貴船神社の地に納められた。ここから貴船神タカオカミ=トヨタマヒメではないかという説がある。
ホツマツタヱ(二十六文)
ひにむかふ ひむかふくにと
ほつまくに ひめはあさまに
いなむつき たかちねにいり
かみとなる あさまのかみや
こやすかみ かねてあうひの
いづのかみ たかちほのねの
かみとなる なるかみわけて
つちいかす わけいかつちの
すへらかみ…(以下略)
また関係修復を衝立の陰からとりなしていたのが、祖母姉ミホツヒメ。これは神山からの②レイライン上、愛宕山越えの丹波一宮・出雲大神宮の存在を意識しているとみる。宮下文書によると丹波で他界したクニトコタチ夫妻を『豊受大神』として祀り上げたのが、『出雲大神』こと初代斎王?ミホツヒメである。よく伊勢神宮が『出雲との調和』といわれる由縁である。宮下文書における『出雲』解釈は、現代のものとかなり違うので注意。下リンクより↓。
宮下文書によるオリジナル出雲『天獄』は何処に存在していたのだろうか? - セキホツ熊の謎を追え!
その後、トヨタマヒメの弟タケツミヒコは、カワアイ邦(賀茂御祖神社摂社・河合神社)を賜る。このタケツミヒコが『賀茂建角身命』であり、ウガヤ朝時代の人物と見るべきだろう。さらにはヒコホホデミ妃の一柱(側室?)であったイソヨリヒメを妃に賜る。ホツマ版イソヨリヒメはミホツヒメの孫として、スサノオ地祇系統に編入されている。
結婚後、タケツミヒコとイソヨリヒメは子宝に恵まれず、亡き別雷神に祈り続けた。ある夜、『玉』を賜る夢をみるとイソヨリヒメは懐妊、生まれた子がタマヨリヒメである(上の家系図参照のこと)。ただタケツミヒコとイソヨリヒメは、程なくして死んでしまう。
こうしてタマヨリヒメは一人孤独に生活していた。ある日、家の軒先に白羽の矢が突き刺さっているのを見つける。すると父親のいない子『三毛入彦命』を懐妊。人々からは別雷神ニニギの生まれ変わりだと噂される。その噂を聞きつけたニニギ孫・ウガヤフキアエズが、タマヨリヒメを皇后に迎い入れ、三毛入彦命を養子に迎い入れる。
因みにホツマツタヱにおいて、賀茂御祖神社の『御祖神』とはこのウガヤフキアエズ自身のことと明記されている。
このようにホツマツタヱ24文は、ウガヤ朝51代神后の歴史を一代に凝縮し、まとめた感がある。景行年間の人々は、強引にも両朝欠史鎮魂を一纏めとし、ニニギの業績に押し付けてしまったわけだ。霧島神宮(鹿児島県霧島市)に富士朝神ニニギが祀られている理由も、おそらくは理由は同じ。宮下文書史上では、ニニギが高千穂峰に直接纏わることはなかったようだ。
また『わけつち』とか『葵桂』は区分、対称、比較の意味も内包する。山背国の地に、富士朝とウガヤ朝を祀り『上賀茂』『下賀茂』と分類することは、それぞれの富士朝時代とウガヤ朝時代の節目を示しているのかもしれない(妄想)。
宮下文書による賀茂神社解釈
前述どおり。宮下文書版・別雷命とはカモサワヒメの事である。
京都賀茂神社は、神武時代から存在が確認されており、東征にも関係していたのではないかとみる。東征時の山背国は激戦地であり、既に禍津亘理命ら新羅逆族賊軍の手に落ちていた。その他にも、神武東征に絡んで、日栄山(比叡山?)・貴船大神・阿田後山(愛宕山)などの記載が確認できる。
~以降東征後の記述~
・『第二の皇弟高座日本皇子を大和・山背・川地三国の国造とし、猛田(武田)大県王とした。』
・『山背国に鎮まりますは、貴船大神、摂社二社・末社五社あり、また、加茂神社、末社四社がある。』そもそも貴船神社とは、神武東征で亡くなった海軍の皇族・将校を祀る『貴船大神』。
・愛宕山とは、賊軍が皇軍を欺き焼き討ちしようとしたところ、逆風が吹いて賊軍が焼け死んだという。以降、火伏せ・防火の神を祀ったようだ。
平安時代末期。賀茂別雷神社は、清和源氏・賀茂次郎(加茂二郎)義綱が元服した神社としても知られる。加茂明神宮司は紀長貫。Wikipediaでは武内宿彌の子孫で、紀貫之の曾孫とされる人物。宮下文書によると、紀長貫は義綱の家将となり、前九年・後三年の役に参戦し活躍、陸奥守となる。その後、近江国『甲賀山の役』にて、義綱は佐渡に流され、紀長貫は戦死。
義綱の孫・三浦義顕は命からがら逃亡し、盗賊になり果てるが、何の因果か…奇跡的に富士朝宮下家と出会う。その後三浦氏は宮下家に婿入りを果たし、以降子孫を残す。富士朝カモサワヒメの御導きか?。
※但し、一般的には、三浦氏は桓武系平氏と仮冒されているので注意。
『暫』と『源義忠暗殺事件』に潜んだ真相。富士朝・加茂次郎子孫は鎌倉幕府に貢献していた。 - セキホツ熊の謎を追え!
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三浦氏にとって賀茂別雷神社は、祖先・源義綱の所縁の地。彼らの居城は三浦半島『衣笠城』(神奈川県横須賀市)。彼らの守護神・別雷命の降臨地、京都・神山(衣笠峯)に肖ったとみる。これは三浦氏が加茂二郎義綱子孫たる裏付けとなろう。そして富士朝縁戚となった彼ら子孫は、三嶋神・別雷命・寒川毘女・ナキサワメ・カモサワヒメを氏神として信仰しているとみる。
高鴨神・一言主とアジスキタカヒコネとは
また賀茂氏は、一言主やアジスキタカヒコネを祀る氏族であったことも有名。一言主はカモサワヒメの父・コトシロヌシに比定される。葛城一言主神社(奈良県御所市)や高鴨神社(奈良県御所市)や三島鴨神社(大阪府高槻市)などに所縁があるとされる。鴨(かも)とは賀茂氏を意味し、鴨神コトシロヌシを祀る賀茂氏(鴨氏)の影響力の強さが指摘される。個人的には賀茂氏と鴨氏は違うのではないかとみているが…。
もともとは、宮下文書コトシロヌシは天神であったが、三輪氏ホツマツタヱにより、地祇に編入されてしまった。ここで天神系賀茂氏と、地祇系賀茂氏のねじれ現象に至る。即ち、地祇系賀茂氏が誕生せざる得ない状況に迫られた。
ニニギ時代の『外寇親征の役』後、アジスキタカヒコネは南島守護司頭長として四国西部を任されていた。その後、初代ウガヤ神皇の時代にアジスキタカヒコネ息子・『高加茂王命』が後継者となる。つまり土佐の国造神なのだ。その後、神武天皇時代に海守中本営として『高加茂の宮』という名で登場。
賀茂氏とアジスキタカヒコネの関係は不明。但し、アジスキタカヒコネは蘇我大伴系統・塩土老翁命の三子。別雷命を祀る賀茂氏との直接的関係は…今のところ感じられない(調査中)。
そもそも謎の古代氏族・賀茂氏がいたのかは疑問。宮下文書にも記載がないし、もともと富士朝信仰勢力が、後世付合で改名させられたとみている(調査中)。
因みに、土佐一宮・土佐神社には一言主とアジスキタカヒコネが祀られている。賀茂御祖神社と高千穂峰を結ぶ③レイライン周辺にある(多少ズレあり)。土佐神社には遷座説有。
2代目カモサワヒメの正体とは。見えてきた春日神『比売大神』。
別雷命(カモサワヒメ)と玉依姫とはどういう関係なのか?。これは単純明快、富士朝妃とウガヤ朝妃という関係だ。
△富士朝においてカモサワヒメ(加茂沢毘女)は2代続く。
▲ウガヤ朝においてタマヨリヒメ(多摩夜里毘女)は51代続く。
タマヨリヒメ世襲制度は前記事を参照のこと。富士朝においてのカモサワヒメも、世襲制度にしようとしていた形跡がある。
〇初代カモサワヒメは天神コトシロヌシの娘、オオヤマツミ妃
●二代カモサワヒメは祖家タケミカヅチの娘、カモサワヒコ妃
カモサワヒメが、二代目で終焉した理由は定かではない。しかしこの時既に、都機能は富士朝からウガヤ朝にシフトしていった。そもそもウガヤ朝とは富士朝から大陸監視の為に遷都したもの、その中身は富士朝の継承勢力だ。前述の夏至レイラインに肖り、高千穂峰を象徴とし、遷都した。即位の儀などの祭祀機能は、富士朝『阿祖山太神宮』(山梨県富士吉田市周辺)に残した。
タケミカヅチといえば…。春日大社の春日四神のうち『比売大神』とは、ホツマツタヱ登場、アメノコヤネ妃『ヒトリヒメ』に比定されている。ホツマ版タケミカヅチは一人娘を単に『ヒメ』と呼んでいて、とくに命名しなかったそうだ(笑)。ヒトリヒメというのも便宜上、周囲が呼んでいた仮称。
宮下文書によると。そもそもタケミカヅチとフツヌシは、祖家(のちの蘇我氏)の系統神。645年『乙巳の変』後に藤原氏が奪取り、アメノコヤネを加え、春日の地に祀り直した節がある。この藤原物部系統と蘇我大伴系統は、富士朝~欠史八代に至る長期間、右臣・左臣の関係、尚且つ血筋的には常に皇家親戚であった。
<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった。中臣・物部・藤原編。 - セキホツ熊の謎を追え!
さらに興味深いことに、この春日『比売大神』には『瀬織津姫』説が存在する。長野県安曇野『春日神社』などには、春日三神のほか瀬織津姫が相殿されているのだ。
前記事で述べた通り、カモサワヒメの一部が『瀬織津姫』として祀られていると述べたことを覚えているだろうか?。偶然もあるだろうし、勿論全てとは言わないが…、カモサワヒメも瀬織津姫も『富士朝』の顔として祀るケースもあったのではないだろうか?と感じている。
以上から推測するに、春日比売大神とは、『ヒトリヒメ』こと2代目カモサワヒメではないか…と妄想している。
また富士朝カモサワヒメに選出されることは、とても名誉な事でもあったと推測。宮下文書においてもタケミカヅチは一部記述、皇祖の証『尊』を冠されている。兄弟のフツヌシとタケミナカタは終始『命』であり、明らかに区別されている。
宮下文書における瀬織津姫の正体①瀬織津姫の意味とは? - セキホツ熊の謎を追え!
そもそも、トヨタマヒメが死んだ『加茂山』とはどこにあるのか?
前述の通り、加茂山とはツクヨミと月桜田毘女の陵墓。かつての宇宙湖周辺で、山域や所在地は不明。
宮下文書版アメノコヤネは、『天清住命』またの名を『加茂山彦』と称していた。コノハナサクヤ自殺事件後、彼女の皇子三兄弟を戸無し室の屋根から救出したので、『天児屋根命』と名乗る。ただ『加茂山彦』ではオオヤマツミ系統と混同されやすいので、改名に至ったのかもしれない。このように、『カモ』とは富士朝由来の地名であり、後世の藤原物部系統にとっても象徴であったとみる。
宮下文書版トヨタマヒメは、ワダツミ系統、豊玉男命の娘。しかし一旦、右臣アメノコヤネの養子にしてから、后とされた。あくまでも、右臣か左臣から立后する、富士朝の習わしに従ったとみる。息子ウガヤフキアエズ出産の折、夫ヒコホホデミが見ていたのを恥ずかしく思い、出産後に加茂山の岩穴に籠りひとり死去。
その後、アメノコヤネの娘『家基都毘女命』(諱を石割毘女尊)が、ヒコホホデミ後后とされた。ヒコホホデミと家基都毘女命(石割毘女尊)は富士高天原『神山』(北口本宮浅間神社南か?)に埋葬された。
なんと、宮下文書ではヒコホホデミと仲直り出来ず、死んでしまったわけか…。
そしてある意味、ホツマツタヱと宮下文書の記載通り、やはり『加茂』の地に纏わる点は共通していたわけか…。宇宙湖の畔で。
この悲しいエピソード…。①夏至レイライン沿い、天手力男命を祀る『石割神社奥社』(山梨県南都留郡山中湖村)と関係ありか?。石割神社拝殿左、巨石との間に小さな摂社があったのを思い出す。どなたであろう?と心に留めていたのだが、足場が狭すぎて写真が撮れなかった。今考えると石割毘女尊かトヨタマヒメが祀られていたのかと…(妄想)。まさか、これも岩戸閉めか…。
そしておそらくツクヨミ『加茂山陵墓』も、この石割神社の数キロ圏内かと思われる。個人的には、近くの御正体山『峰神社』が妙に気になるのだが…。
こうしてみると、コノハナサクヤといい、トヨタマヒメといい、ホツマツタヱは富士朝女神の悲劇をハッピーエンドに修正している節があるのだ。夏至レイライン上の武蔵一宮・小野神社境内にニニギとヒコホホデミと12代景行天皇が祀られている理由が、まあなんとなく理解できる。これは、景行天皇と古代人による手向け(たむけ)なのだろうか。
いやいや、カモサワヒメと娘イワナガヒメは逆に貶められたか…。
※次回は賀茂神社の上レイラインと下レイラインの詳細を予定。
※地図はクラフトマップ使用
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