セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

『暫』と『源義忠暗殺事件』に潜んだ真相。富士朝・加茂次郎子孫は鎌倉幕府に貢献していた。

 

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2019,11,16

しばらく~ぅ。

歴史に全く疎い私だが、歌舞伎の演目『暫』くらいは知っていた。今回、関東に多く祀られている御霊大神を語る上で『鎌倉権五郎景政』は避けて通れないのだ。というわけで急遽、色々勉強せねばならない状況になった。ブログを暫くお休みしたワケも『暫く~ぅ』を勉強するためもあったのだ(言い訳)。

 

お陰さまで、宮下文書に御霊大神のヒントになりそうな記載をみつけた。

 

鎌倉権五郎景政に直接には関係ないが、主君の義家実弟、『源義綱』の歴史が大きく変わる可能性がある。『暫』劇中救出された彼らの子孫、富士朝宮下家に逃げ込んで、鎌倉幕府に貢献していたのだ。

そして加茂次郎義綱一家が嫌疑をかけられ、一家心中までさせた『源義忠暗殺事件』とは、源氏潰し、あるいは富士朝潰しの後世でっち上げの可能性が出てきた。

どりゃどりゃどりゃどりゃ…。

 

源義忠暗殺事件

頼義の三子は元服場所が異なる。長男義家は石清水八幡宮で元服、八幡太郎義家と称す。次男義綱は賀茂神社で、賀茂次郎義綱(宮下文書表記では加茂二郎義綱)。三男義光は新羅明神で、新羅三郎。

 

以下、源義忠暗殺事件Wikipedia参照。

・嘉承元年(1106)源義家死後、河内源氏棟梁は義家三男義忠に。

・天仁2年(1109)源義忠は何者かに刺殺される。

・嫌疑にかけられたのは源義綱と三男義明。もともと義綱と義家は兄弟不仲であり、河内領土を巡り合戦寸前となり、藤原師実が仲裁に入る程であった。現場には三男義明の刀が置いあった。

・彼らはこの疑惑に抗議、近江国甲賀山に(鹿深山)に立て籠る。

・長男義弘は投身自殺、次男義俊も投身自殺、四男義仲は焼身自殺、五男義範は切腹、六男義公も自害。

・三男義明は病床のため藤原季方に籠っていたが自害。父・義綱は投降し、佐渡に流罪。

源義忠暗殺事件真犯人は源義家と源義綱の弟、新羅三郎こと源義光であったという…。

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 この様に世間的には、加茂二郎義綱子孫は途絶えた。

…とココまではWikipediaを中心とした参考にした、一般的見解。

 

では宮下文書ではどうだろうか?。富士朝に逃れた仁徳天皇兄、大山守皇子の隠蔽と同じパターンだ。

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宮下文書・第49代宮下源太夫義仁の項目参照。

『頼義に八幡太郎義家・加茂次郎義綱・新羅三郎義光の三子があった。義綱は天仁二己丑年(1109年)、近江甲賀山の戦いで佐渡に流された』

鍵となるのは加茂次郎義綱の子、源義明の消息だが…。

 

源義明=三浦義明。

 

宮下文書を要約すると。源義明は、源義家の孫・源為義に従い鎌倉に下る。義家宗家とは争うことなく、親しい仲にあったようだ。三浦平太夫為道の娘を娶り『衣笠城』を拠点とする。この長男が三浦太郎義顕である。源為義の娘・若桜姫を娶り、為義の子供、源頼義(頼朝の父)らとともに行動をしていた。尾張国・熱田神宮にて主君?源頼義の身辺異変に気付き逃亡(Wikipediaによると頼義は尾張で家人に裏切られ謀殺される)。追っ手の気配から相模には入れず、駿河国裾野付近に身を潜めていた。

そこで、たまたま富士山の山開きをしていた、48代太神宮・宮下記太夫政仁と出会う。義を感じた政仁は彼を、太神宮の宮伴にした。『大宮司の下に副司一人、祢宜一人、社司二人、蔡氏一人、司典四人を定めた。何れも義顕の一族で新たに任命された』。

こうして義顕の子・義仁が宮下家に婿入りする。つまり加茂二郎義綱の曾孫が第49代宮下源太夫義仁となる。56代清和天皇の血筋が再び、富士朝宮下家に合流したともいえる。

義顕は、鎌倉幕府に大きく貢献した。残念ながら具体的な貢献内容まではわからないが、富士朝に影響力を持つこと自体が貢献ではないか。富士朝が鎌倉幕府後ろ盾ともなれば、それは西国貴族社会に対するアピールともなる。かつて東国は何度か富士朝を担ぎ上げ、西国に反旗を翻した。この時代も坂東平定の要はやはり、富士朝なのであろう。

そして鎌倉幕府より富士山四方二十里を賜る。その後大宮司は、常に富士十二郷の総地頭を兼ねることになる。宮下家は土豪として室町時代まで繁栄したとある。もし三浦氏が源頼義子孫でなければ、ここまで優遇されたであろうか?。

義仁の功績も大きく、宮下文書各書物の写本に本格着手した。後世、弘安5年(1282年)に馬入川の氾濫で寒川神社の宝物殿書物の多くは流失した。義仁の写本は宮下家屋根裏にて大切に保管されていた。今、我々はこの49代義仁の写本により、辛うじて古代伝承を得ているのだ。

 

 

<一般的な三浦氏系図>

平高望ーーーーー平為通ー平為継ー三浦義明

 

一般的には、三浦氏の出自は不明な点が多いようだ。三浦義明や三浦為通が氏族祖の地方領主ともいわれていたようだ。Wikipediaでは平姓直系で、平高望(高望王)の子孫と言われている。鎌倉武士にはこのように、桓武系平氏の流れを汲む氏族が多いされる。

一般的に『仮冒』とは下級武士が過大評価を得るために、祖先を偽るワケだが。保元の乱~治承・寿永の乱~承久の乱という乱世、源氏は親族で敵対することもあった。まして富士朝が絡めば尚更であろう。仮冒せざる得ない、ワケあり氏族も結構いたようだ。

 

 

鎌倉幕府と富士朝の関係に、権五郎の影。

鎌倉幕府と富士朝の関係を見てみよう。参考になったのが前記事紹介の『鎌倉御室山レイライン』(上地図)である。ココで見ていただきたいのが、『御霊神社』の多さである。義明拠点の衣笠城跡にも『御霊神社』が存在しているのだ。こうしてみると富士朝と鎌倉幕府との間に御霊大神=鎌倉権五郎景政の名前が急浮上してくる。

 

 

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前記事にて紹介した川の字レイラインの一つ『鎌倉御室山レイライン』

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元禄10年(1697年)作られた歌舞伎演目『暫』では、鎌倉権五郎景政が『加茂二郎義綱』を救出する稀代の英雄として描かれている。

あらすじは実在人物を登場させたフィクションなのは明らか。舞台は鶴岡八幡宮、モデル背景には『前九年の役・後三年の役』がある。

ごく簡単に言えば、清原武衡が加茂二郎義綱らを男女を捕らえて、打ち首しようとすると鎌倉権五郎景政が登場し助けるという、勧善懲悪である。YouTubeで観れる。

 

何故、鎌倉権五郎景政が英雄視される傾向があるのか? 

実のところわからない(笑)。調べたが実際よくわからない不詳人物のようだ。なんでこんな人物を人々は『御霊』と崇めたのだろうか?…とも思える。

 

Wikipedia鎌倉景政参照。『尊卑分脈』によると平高望4世孫とし、大庭景義・景親・梶原景時らは景政の3世孫。『桓武平氏諸流系図』による系譜では、景正は良文の系統とし、大庭景親・梶原景時らは景正の叔父あるいは従兄弟。父の代から相模国鎌倉を領して鎌倉氏を称す。居館は藤沢市村岡東か鎌倉市由比ガ浜とのこと。

 

<一般的な鎌倉氏系図> 

平高望ーーー平景成または景通ー平景政(鎌倉権五郎景政)ー鎌倉景継ー長江義景

 

後三年の役(1083年)に参戦。金沢柵攻め(現・秋田県横手市金沢・金沢八幡宮)にて、『暫』の悪役・清原武衡らが籠城した場所である。権五郎景政が16歳ながらも活躍、同じく義家方に参戦していたのが三浦為継という。右目を撃ち抜かれた権五郎景政の矢を抜こうと、三浦為継が彼の顔面に足をかけたところ激怒。非礼を詫びたという。

その後、三浦為継の足取りは不明。しかし三浦為継の子・義継以後は三浦氏通字『為』が『義』へ、源氏との交流が垣間見れる。

宮下文書を論拠にすると、桓武平氏と繋げるための『架空の人物』もいると考えるべきか。宮下文書ではもともと三浦半島には三浦平太夫為道の領地で、源為義従者の源義明が移住してくる。そして三浦平太夫為道の娘・浦浪姫を娶り衣笠城に住まう。三浦平太夫為道=平忠通の子『三浦為通』を思わせる?。三浦為通の子が三浦為継であり、つまり浦浪姫に該当させる『架空の人物』となる。三浦平太夫為道なる人物の出自は不明。『平』がつくので、ここが桓武系平氏との接点かもしれない。

 

また権五郎景政は長治年間(1104年 )、相模国高座郡『大庭御厨』を開発して、永久4年(1116年)頃伊勢神宮に寄進。子は景継。孫は長江義景という。

ちなみに宮下文書的に『高座』とは旧高天原周辺の古名、現在の神奈川県高座郡寒川神社周辺のこと。延暦噴火(800年)の際、坂上田村麻呂により福地山小室元宮七廟惣名先現太神宮の一部が相模国高座に避難された(802年)。これが福地山東元宮寒川神社であり、以降太神宮里宮領地であり、太神宮宮下家の領地ではないのかと思っていたのだが…。どうやら在地領主による荘園が乱立していたようだ。

はじめは、鎌倉氏大庭氏は大庭御厨利権で源義朝と揉め、保元の乱以後は義朝配下に下ったようだ。以降は子・頼朝の配下となる。

 

 

御霊大神と瀬織津姫の影。 

御霊大神には瀬織津姫の気配を感じるのも事実だ。

・大阪市『御霊神社』には源正霊神(鎌倉権五郎景政公霊)とともに天照大神荒魂・瀬織津姫が祀られている。瀬織津姫は嘉祥3年(850年)の時点で祀られていた。文禄3年(1594年)亀井茲矩により自邸敷地を寄進され、源正霊神を合祀し始めた。もともと摂津や河内は源氏の本拠地。そこに鎌倉権五郎景政を正当源氏とみなして祀っているわけだ。桓武平氏鎌倉氏も源氏と見ていいのか?迷うところだ。

茲矩は宇多源氏佐々木氏流を祖に持つ亀井氏に、養子として入る。佐々木氏は頼朝挙兵に貢献し、鎌倉幕府創建の功臣。義朝敗北の逃亡中に、相模国渋谷重国の比護をうけ、婿入りした。渋谷氏は相模国高座郡渋谷荘を領していた。…これもやはり高座にて、鎌倉氏大庭氏との接点が見えてきそうな気もする。

・鳥取県鳥取市白兎『白兎神社』。現在は出雲神話登場の因幡の白兎神を祀る。日御碕・大國魂レイライン上にあり、かつて瀬織津姫が祀られていた。月と兎を瀬織津姫に結びつける説がある。戦国時代に焼失、白兎神御神体は神社南にある『松上神社』に遷座されていた。慶長年間に武将・亀井茲矩により再興されるも、当初は摂津国御霊神社(上記)の瀬織津姫を自邸敷地内に遷座していたという。

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・東京都府中市『大国魂神社』には江戸時代まで瀬織津姫が祀られていて、その後、江戸後期から御霊大神が祀られ始めた。同分社『伊豆美神社』には御霊大神が水神として祀られていた気配がある…。

鎌倉権五郎が鎌倉幕府に貢献して、キャラクター的にも面白いのは理解できる。鎌倉幕府や江戸幕府は『武士の誉』を信仰させたかったのであろう。しかしやはり、どう見ても単なる一武将だろう。何故関東人がこれだけ『御霊』に拘るのか。しかも不明な点が多い権五郎、本当に実在していたのだろうか?。それとも、彼は有名人物の落胤なのか?。

過去記事にて瀬織津姫が、封じ込まれた富士朝女神たちの代理も兼ねていると述べたが。御霊神社でも富士朝を匂わせているわけだ。

いや権五郎景政という名前を使い、大きな存在を祀っているような気もするのだ(妄想)。

宮下文書における瀬織津姫の正体①瀬織津姫の意味とは? - セキホツ熊の謎を追え!

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加茂二郎義綱。これは賀茂別雷命=カモサワヒメの奇跡?

話は戻り、加茂二郎義綱についての補足。

『別雷命』とは、宮下文書比定の別雷命こと加茂澤毘女(カモサワヒメ)のこと。オオヤマツミ(寒川比古命)妃、コノハナサクヤとイワナガヒメの実母。相模一宮・寒川神社においての『寒川比女命』のことである。

個人的見解だが、山梨岡神社(笛吹市)『別雷神』、大山阿夫利奥宮(伊勢原市)『大雷神』と二岡神社(御殿場市)『大雷命』、小河内神社(奥多摩町)『加茂別霊神』もカモサワヒメではないかと睨んでいる。

 

京都市北区の賀茂別雷神社『賀茂別雷大神』は、歴史的に権力者の干渉をかなり受けているのではないか。賀茂神社歴史自体は富士朝由来であろうが、非公式に御祭神が、変更されていてもおかしくはない。例えば『ホツマツタヱ』にはニニギ分霊、『秦氏本系帳』からの流布で、松尾大社オオヤマクイであるともいわれている。基本的に賀茂氏祖の男神とされる。ゆえに現在も賀茂別雷命=カモサワヒメと断言はできない。

しかし瀬織津姫摂社が複数ある点、北背後の貴船神社結社(京都市左京区)の娘に当たるイワナガヒメを鑑みれば、未だカモサワヒメがいる気配はあるのかな…と。山城国の『山』というのは暗に、オオヤマツミや富士朝を指しているのかな…とも思える。

 そんな賀茂神社でも、加茂二郎義綱は確かに別雷命の導きを受けていたようだ。

カモサワヒメが、義綱子孫をオオヤマツミ拠点の富士朝に届けてくれたわけだ。富士山山開き、48代宮下記太夫政仁と出会う時、彼が義顕に『義』を感じたのはおそらくこの辺だろう。私ですら『すごい偶然』と思う。まあ信仰心を持つ者には偶然などないという、すべてが成り行きなのかもしれない。

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次回は<レイラインの美学>鎌倉御室山レイライン詳細を追う。

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