セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

<レイラインの美学⑬>鎌倉幕府と御室山の繋がりにみる御霊大神。三浦半島は富士朝のお膝元であった。

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2019,11,24

鎌倉御室山レイライン。

『暫』と『源義忠暗殺事件』に潜んだ真相。富士朝・加茂次郎子孫は鎌倉幕府に貢献していた。 - セキホツ熊の謎を追え!

前記事にて、御霊大神(鎌倉権五郎景政)には瀬織津姫の気配も感じると書いたが。このレイラインも御霊神社郡に始まり、瀬織津姫神社に終わる。何でもかんでも瀬織津姫に結びつけんな!!とそろそろ怒られそうだが…なんかいつもこうなのである。毎度のことながらズレも大きいし、偶然なのかもしれないが(笑)。今回はこのレイラインの詳細を追う。

※googleマップ線引き機能使用、御霊神社・権五郎神社(神奈川県鎌倉市坂ノ下)と大山山頂(神奈川県伊勢原市大山)を繋げたライン。多少ズレあり。

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・八幡神社(神奈川県横須賀市久里浜)907mズレ。

・清雲寺・三浦氏墓(神奈川県横須賀市大矢部)1.4㎞ズレ。

・満昌寺・三浦義明廟所(神奈川県横須賀市大矢部)1.2㎞ズレ。

・衣笠神社(神奈川県横須賀市小矢部)オオヒルメ713mズレ。

・衣笠城跡・御霊神社(神奈川県横須賀市衣笠町)1.25㎞ズレ。

・瀧谷山瀧不動・神明社(神奈川県三浦郡葉山町木古庭)815mズレ。

・御霊神社(神奈川県三浦郡葉山町)327mズレ。

・御霊神社・権五郎神社(神奈川県鎌倉市坂ノ下)

・鎌倉山神社(神奈川県鎌倉市鎌倉山)

・川名御霊神社(神奈川県藤沢市)553mズレ。

・鵠沼皇大神宮(神奈川県藤沢市鵠沼)385mズレ。

・寒川神社(神奈川県高座郡寒川町)355mズレ。

・丸山城址・太田道灌の墓(神奈川県伊勢原市下粕屋)130mズレ。

・比比多神社・子易明神(神奈川県伊勢原市上粕屋)438mズレ。

・大山阿夫利神社本社・大山山頂(神奈川県伊勢原市大山)

・丹沢山(神奈川県足柄上郡山北町)400mズレ。

・大室山(神奈川県相模原市緑区)40mズレ。

・大室八幡神社(山梨県南都留郡道志村)571mズレ。

・生出神社(山梨県都留市井倉)248mズレ。

・白山建岡神社(山梨県山梨市上栗原)

・走湯神社・天神塚古墳(山梨県山梨市上岩下)285mズレ。

・大蔵経寺山(山梨県笛吹市春日居町)2.8㎞

・本宮倭文神社(山梨市韮崎市穂坂町)420mズレ。

・石尊神社(山梨県北杜市白洲町)大山祇命。895mズレ。

・荒神山城跡・鎮大神社(長野県上伊那郡辰野町)少彦名命。285mズレ。

・乗鞍神社(岐阜県高山市丹生川町)五十猛命?。918mズレ。

・旗鉾・伊太祁曽神社(岐阜県高山市丹生川町)五十猛命。959mズレ。

・瀬織津姫神社(石川県金沢市)2.06kmズレ。

 

 


 

 

三浦氏と三浦半島は、富士朝のお膝元であった。

 

前記事からの続き。

スサノオ重心点レイラインと多摩川真名井レイラインとほぼ平行して存在する。『氷川神社』と『寒川神社』、まるで多摩川を凍り付かせるように、挟み込む。川の字のレイラインである。

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<レイラインの美学④>スサノオ『重心点』レイライン。信州になにやら巨大拠点の痕跡。 - セキホツ熊の謎を追え!

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そのうち鎌倉御室山レイラインは、どうやら鎌倉幕府と富士朝を繋げた『三浦氏』に関係する。三浦半島は富士朝のお膝元であった。

まず目についたのが三浦半島~鎌倉の『御霊神社』である。御霊とは武蔵総社・大国魂神社にも祀られているが、謎の多い。これは相模国高座郡の大庭御厨を拠点にしていた、鎌倉権五郎景政が関係しているようだ。そして富士朝に逃げ込んだという加茂次郎義綱=三浦氏の城跡『衣笠城跡』と『御霊神社』。北西に進み、ワダツミ八子の形跡のある乗鞍神社へ。そして最終的にはヤソマガツヒを祀る『瀬織津姫神社』へ到達する。

鎌倉~富士朝を繋げたレイラインである。

 

これをみると、御霊大神というのは、富士朝と関係しているのではないだろうかと思えてくる…(妄想)。



〇三浦氏『衣笠城跡』と三浦氏墓地『清雲寺』(神奈川県横須賀市大矢部~小矢部)

~三浦氏その後~

便宜上、前記事と被る点あり。

宮下文書曰く平安末期1159年、源頼義の次男、加茂次郎義綱は近江甲賀山の戦いで佐渡に流され、長男義明は源為義に従って鎌倉に下る。そこで三浦平太夫為道の娘を嫁とし、三浦郡『衣笠城』を居城とする。

義明長男・三浦義顕は源義朝に従い、平治の乱に参戦。その帰路、熱田神宮に匿われる。しかし義朝の身辺異常に気付き相模へ逃亡。敵情勢により相模入りできず、富士谷東南の森林中に潜伏しているところを、48代太神宮大宮司らに見つかる。こうして三浦氏は太神宮宮伴に採用され、富士朝側から源義朝の子・頼朝をバックアップしてゆく。

※一般的に三浦氏は桓武平氏とされているので注意。

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三浦義顕の息子・源太夫義仁は、大山守皇子49代太神宮大宮司となり、宮下家婿入り。先代48代宮下記大夫政仁は寒川神社里宮宮司に専念した。宮下源太夫義仁は所蔵書の写本に本格着手、しばしば寒川(里宮)にやって来ては、十数年の歳月をかけ古文書を写本し、山宮七廟の宝物とした。鎌倉幕府にも貢献して、富士山四方二十里を賜る、宮下家は土豪として室町時代まで繁栄した。もし三浦氏=源頼義子孫でなければ、ここまで頼朝に優遇されたであろうか?。

将軍・源頼朝亡き後、執権・北条氏は有力御家人をライバル視して追放してゆく。三浦義明の子が杉本義宗(三浦義宗)、その子が和田義盛となる。Wikipediaによると同族・三浦義村(義明の孫)の土壇場での裏切りにより、和田氏と横山氏(自称小野氏系統)は滅亡する。

宮下文書によると、和田義盛の乱(1213年)の際、子・和田常盛と朝盛は太神宮別当三浦寺などに、親鸞上人に入道された。和田常盛と朝盛は親子ではなく、兄弟のようだ。その後1247年『宝治合戦(三浦氏の乱)』があり、三浦泰村の一族は北条時頼に敗れ、一時的に衰退。三浦駿河二郎光村は寒川神社に逃れ、三浦義顕の曽孫である51代太神宮右近亮義政の館に匿われる。三浦氏の身内である富士朝は次第に、反鎌倉、反北条、皇政復古に目覚めるようになる。

57代富士三浦左京亮義勝はひそかに皇政復古の志を持っていた。三浦氏と同じ清和源氏であり八幡太郎義家の子・義国の子孫、新田六郎太郎朝氏の娘、新田義貞(源義貞)の妹・鶴江を妻にする。1333年5月、義兄・新田義貞を助けて、鎌倉打倒を達成する。

 

 

〇瀧谷山瀧不動・神明社(神奈川県三浦郡葉山町木古庭)

~御祭神~

・天照大神

・向津日売命

三浦郡葉山といえば葉山御用邸で有名。少し離れるが、アマテラスと向津姫を祀る珍しい神社。おもしろいのは『比売』の表記が『日売』になっている点。アマテラス荒魂=撞賢木厳之御魂天疎向津媛命=瀬織津姫とも言われている。

宮下文書における瀬織津姫の正体①瀬織津姫の意味とは? - セキホツ熊の謎を追え!


 

 〇鎌倉山神社、仏行寺(神奈川県鎌倉市鎌倉山付近)

梶原景時は大庭氏(鎌倉権五郎景政の係累)とは同族。しかしWikipedia等には頼朝死後、三浦義明や和田義盛らと対立したとある。相模国から出立。駿河国にて一族が討たれる(梶原景時の乱)。子・景季の片腕が仏行寺裏山に埋葬されている。

宮下文書においては富士朝の影響下で渋谷二郎高重と梶原刑部亮朝景と梶原七郎景氏が出家したようだが…。渋谷氏も梶原氏も鎌倉氏と縁がある。

 

 〇鵠沼皇大神宮(神奈川県藤沢市鵠沼)

~御祭神~

・天照皇大神

・天児屋根命

・天手力男命

・天太玉命

・天宇受売命

・石凝刀売命

 

大同3年808年、もともとこの地は石楯尾神社が建てられていた。石楯尾神社は甲斐国~相模国に点在する謎の神社。御祭神・イシコリドメはその形跡なのか?。別に石楯尾大神も合祀されている。

アメノコヤネとフトダマは藤原物部系統右臣家と蘇我大伴系統左臣家のこと。宮下文書の定義では、本来皇家の事を『天つ神』といい左右臣家の事を『国つ神』という。

東征中、八幡太郎義家が戦勝祈願に来ている。境内社には御霊神社があり。周辺には鎌倉権五郎景政の大庭御厨があった。一般的には、大庭氏は源頼朝と敵対していた時代もあるので注意。

 

 〇太田道灌の墓(神奈川県伊勢原市下粕屋)。

前記事にも触れたが、康正3年(1457年)江戸城を作った人物。

宮下文書によると富士朝側社元老司、客分神官として伴氏として太田の名前が出てくるのだが…。太田氏にも複数いるのかな…?。

一般的には、太田道灌は清和源氏子孫といわれる。

 

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〇相模一宮・寒川神社(神奈川県高座郡寒川町)

~御祭神~

・寒川比古命

・寒川比女命

 

宮下文書比定『富士山東本宮寒川神社』。応神天皇御子・大山守皇子の旧領地。

800年四月(延暦19年)に富士山大噴火、富士山は再び活動期に入る。太神宮七廟のうち寒川大明神(オオヤマツミ)を避難のため遷座させた。徐福伝など古文書宝物を所蔵していた。

延暦20年、太神宮の神官等三百余人は、勅使征夷大将軍坂上田村麿の意に従い、福知山行満寺の出張寺である相模川の東辺、即ち東相模国高座郡早女郷岡田原にある、安楽寺を頼りとし、その地に移住した。

延暦21年、高座の地に宮殿造営して福地八幡大神即ち寒川大明神を分離し、移して祀った。第一国狭槌命、第二寒川毘古命諡大山祇命、寒川毘女諡別雷命、第三阿田都菊里毘女を祭神とした。

※因みにオオヤマツミ妃・別雷命とはカモサワヒメのこと。その御子である阿田都菊里毘女とはコノハナサクヤのこと。

日本武尊と15代応神天皇の血筋であり、宮下文書伝承家である大宮司・宮下源太夫元秀(大山守皇子25代孫)の長男、宮下記太夫仁元が寒川神社宮司となった。元秀亡き後、山宮『太神宮』大宮司との兼任者となる。

…それで気になるのは、大山守皇子は『徐福の子孫』とサラリと書いてあるのである(笑)。

 

『三十七丙寅年(三◯六)六月二十六日武内宿彌を勅使として太神宮に『三国第一山』の天皇直筆の額、それに神巧皇后の弓矢を与えられた。大山守皇子は徐福の子孫であるが故に徐福学を習得した。やがて後、徐福伝により又、古老の言い伝えに基づき、高間原神代実記、高間原神都実記、阿祖山神社由来記などを録取して世に伝えた。』

 

つまり父・応神天皇か母・高城入姫のどちらかが徐福の子孫なのか?。306年には、徐福の墓その側に徐福神社を創建したという。

 

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〇大山山頂・大山阿扶利神社(神奈川県伊勢原市大山)。

15代応神天皇亡き後。東北諸国は大山守皇子を奉じ、異母弟の大鷦鷯天皇(16代仁徳天皇)に反旗を翻す。

タケミカヅチ、フトダマ、タケミナカタ子孫らが東国各国兵を誘い、密かに阿祖谷(旧高天原付近)に集結した。東軍は福地川(富士川)にて皇軍と対決、惨敗した。しかし大山守皇子は相模国の山麓に隠れていた。

宮下文書曰く。『その皇子がひそかに隠れ住んでおられた山を大山という』

また『阿夫利』というのは『あめふり』から由来していおり、石尊権現共々、雨乞いに利用されてきた経緯がある。また『天降り(あめふり)』という説もある。

興味深いのは大山阿夫利神社奥宮の御祭神。

~大山阿扶利神社奥宮御祭神~

・大山祇命

・大雷命(奥社)

・高龗神(前社)

もともとは石尊大権現の霊石が祀られていたという。石尊神社は同レイライン上山梨県北杜市にあり、御祭神はオオヤマツミ。関東や山梨県内にも複数あるので注意。

 

これは同レイライン上の御室山山頂(大蔵経寺山)にあった、『山梨岡神社(山梨県笛吹市)』の御祭神とほぼ同じである。

~山梨岡神社御祭神~

・大山祇命

・別雷命

・高龗神

またレイラインからはかなりズレるが、山梨市の大嶽山那賀都神社の御祭神も類似性をみる。

~大嶽山那賀都神社御祭神~

・大山祇神

・大雷神

・高龗神

 

故に大雷命=別雷命=カモサワヒメなのではなかろうかと推測する。

大雷神としては、足柄峠でヤマトタケルを助けた雷神伝承のある静岡県御殿場市『二岡神社』にも祀られている。二岡神社はカモサワヒメ陵墓『三嶋大社』にも近いので、あり得るかなと思う。

貴船神タカオカミについては、未だわからない。ネット上には『豊玉姫』や『玉依姫』の名前が挙がるが、オオヤマツミとカモサワヒメと、同列に祀られる理由が見えてこない。宮下文書にも記載がなく、不思議な存在である。

 

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〇大室山・大室八幡神社(神奈川県相模原市と山梨県南都留郡道志村境付近)

~大室八幡神社御祭神~

・伊弉諾命

・伊弉冊命

・誉田別命

 

この地域は複数レイラインの交差点となっている。

また大室山山岳信仰のオオムレ権現は武蔵国では『富士隠し』の伝承がある。ヤマトタケルとともに武蔵国と甲斐国境に多く祀られている。どうやら富士朝と武蔵国以遠の東国を隔絶させたい、12代景行天皇の思惑もあるようだ。

大室信仰は『オオムレ権現』ともいわれ、雨乞いなどにも信仰されてきた。

<神社めぐり>武蔵の国の富士隠し、大室八幡神社とホツマツタヱ『ムハタレ』の意外な接点。 - セキホツ熊の謎を追え!

<レイラインの美学⑧>八幡宮来宮神社から伊豆山本宮社と来宮神社へ、八幡・熊野・来宮・離島信仰、混合二本のレイライン①Aライン。 - セキホツ熊の謎を追え!

 


〇白山建岡神社(山梨県山梨市上栗原)

~御祭神~

・伊弉諾尊

・伊弉冉尊

・菊理姫命

境内に石尊権現あり。

延喜式神名帳・物部神社(山梨郡鎮座)。かつて御室山にあったとされる『物部神社』の式内社となる。

21代雄略天皇の御宇、物部氏一族が大蔵経寺山周辺に住んでいたという。ただし宮下文書において、藤原物部系統と蘇我大伴系統は捻れ関係にあるので注意。詳細はリンクにて。

御祭神『菊理姫命』とはコノハナサクヤの事であろう。

 

<欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった。中臣・物部・藤原編。 - セキホツ熊の謎を追え!

 <欠史八代の家系図>繰り返される近親婚、彼らは両臣という遺伝子防御システムであった②。中臣・蘇我・大伴編 - セキホツ熊の謎を追え!

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〇御室山あるいは大蔵経寺山(山梨県笛吹市春日居町)

御諸山というと大和の三輪山を思い出す人が多いかと思う。『神霊の籠もる山』という意味らしい。上記したように、山梨県御室山(みむろやま)には物部氏族の痕跡があるので、もしかしたら三輪山と深い関係があるのかもしれない。かつて御室山は、山頂に甲斐国式内社『物部神社』『玉諸神社』『山梨岡神社』が存在していた。現在全ての社は、山腹や周辺に遷座させられ、山頂には祠ひとつ残っていないという。

現在石和町名称は『大蔵経寺山』とよばれているが、大蔵経寺は石和町であり、レイラインからは多少ズレる。というか大蔵経寺山登山道途中に山頂があり、御室山と大蔵経寺山の定義は難しい。上の写真中央に写る赤鳥居は、大蔵経寺墓地内の石和町『物部神社(論社)』。

また甲斐三宮・玉諸神社が、現在地の山梨県甲府市国玉町に遷座させられた理由のひとつは、水害防止祈願。由緒によると甲府盆地は、大雨が降ると湖水になるという。おそらく古代『底大湖』の一部のことであろう。古代甲府盆地には、諏訪湖のような盆地湖があった。このように玉諸神社は、甲府盆地において、雨乞いや気象占いに利用されてきたのではないだろうかと推測。

なお、『甲斐国志』によると、国に異変のある際、その前兆として御室山が鳴動したという…???。

山梨岡神社社伝によれば、崇神天皇御宇、日光山高千穂の峰(御室山?)に三柱祀って鎮守とする。三柱は疫病除けとしてだが、大山阿夫利神社『あめふり』の御祭神と極めて近い。

※御室山については今後別記事にて、『国魂神』としても考察していく。

 

 〇石尊神社(山梨県北杜市白洲町)

~御祭神~

・大山祇命

・大和武尊

前述したが伊勢原市の大山阿夫利神社奥宮には石尊大権現が祭られていた。不動明王を本地仏とする神仏習合。廃仏毀釈以前に、『雨降山大山寺』から全国に勧請されていた。石尊神社は関東に点在し、山梨県内に3社ほど確認できる。当社は武田氏に崇敬され、背後の雨乞岳にて雨乞儀式に由来する。大山といい大室山といい御室山といい『雨』が共通点となっている気がする。

 

 〇乗鞍神社・旗鉾伊太祁曽神社・丹生川(岐阜県高山市丹生川町)

~御祭神~

・五十猛大神

旗鉾神社口碑による伝承。神巧皇后による三韓征伐後、旗鉾神社に家臣が派遣され旗竿(旗鉾という)に旗を掲げ、神社神前に祀りあげた。これが旗鉾という地名として残った。白旗=八幡信仰の証、これは明らかに、宮下文書の宇佐ワダツミ八子子孫の痕跡であろう。地図上で見ると、丹生川周辺には『伊太祁曽』神社が点在する。

 また興味深いのが『飛騨の口碑』による天孫降臨。外国人襲来が原因であったという点は宮下文書と共通。しかし相違点が多い。ヒルメムチ(天照大神)の天孫ニギハヤヒが飛騨高山から大和御諸山(大神神社三輪山)に遷都し、弟ニニギにより平定されたという。ニギハヤヒは宮下文書には登場せず、渡来系かなと妄想していたのだが、ニニギの兄弟に比定されるということは、弟・タマノオヤ(古八幡)の投影もあるのかもしれない。

 

ワダツミ八子子孫の痕跡は乗鞍~松本盆地安曇野に及ぶ。古代松本盆地も、『湖』であった可能性が高いという。彼らは丹生川などで木材を採取していたようだ。

宮下文書によると、ワダツミは日本周辺海域を守護する『海軍』で、伊豆諸島や佐渡島まで及んだ。かつて佐渡一宮『度津神社』などで、大物主命の子・離島神『五十猛命』を祀っていた。

f:id:sekihotu:20190404222141p:plainワダツミが、軍船のための木材採取に山間部に入ると、そこに離島神『五十猛命』を祀るようになる。後世に混同され、五十猛命=木の神となる。木の国一宮『伊太祁曽』、木の神『来宮信仰(アタ族=熱海)』と転じたと推測できる。乗鞍岳の山宮、長野県松本市安曇宮の原『梓水神社』(下写真)、や長野県安曇野『穂高神社』にもワダツミの形跡を感じることができる。

ワダツミ=アタ族=アタミ

ワダツミ=アズサ=アズミ

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後世になり、九州の福岡県八女地方から、遥々逃亡してきた説もある。平安期、彼らは『八面大王』或いは『八女大王』ともいわれる。盗賊と化し悪事を繰り返すとされ、坂上田村麻呂に成敗された。

このように安曇野一帯に祀られている梓川大神・瀬織津姫にはワダツミ氏族たちが崇拝していた伊豆大神=宇佐比売大神イトウ=イワナガヒメの気配も感じるのだ。

<まとめ+追記>八幡神と比売大神イトウの正体わかった!宇佐神宮・伊豆山神社・天孫降臨・八王子権現のまとめ。 - セキホツ熊の謎を追え!

伊豆国三嶋神御子と『海からきた者たち』の正体、ヒントは来宮神『五十猛命』とワダツミの木にあった。 - セキホツ熊の謎を追え!


〇瀬織津姫神社(石川県金沢市別所町)

~御祭神~

・大禍津日神(由緒によると別称として瀬織津姫神)

 

瀬織津姫Wikipediaによると。『倭姫世紀』等によると、伊勢神宮内宮『荒祭宮』は、天照皇大御神の荒魂であり、イザナギの禊の子、八十枉津日神(=大禍津日神)とする。つまりオオマガツヒ=瀬織津姫という。

しかし『宮下文書』での禍津亘理命は第四十六代神皇の皇子の天之明立農鋤命の玄孫の真佐勝彦を奉じて反乱を起こした。長髄彦と連合した中国地方を拠点にした渡来系勢力であり、神武東征を生んだ元凶として書かれている。

だとすると富士朝女神とは全く正反対の性質となる。天皇家にとって『渡来系』『富士朝』都合の悪い両極を同一視していたのか?。

一体どう捉えてよいのだか…。

 

偽書のススメ2 :ニニギや神武は何と戦っていたのか? - セキホツ熊の謎を追え!

…やはり東国史改竄は、鎌倉武士ドタバタ劇の仕業? 

今回、宮下文書にて再認識できたのが、鎌倉武士同士有象無象の騙し合い、嫉妬、裏切りが酷すぎる…。この下剋上の時代に東国史は改竄、仮冒、附会されたのではないかと…。貴族社会もドン引きである。

以前紹介した伊豆諸島に残る『三宅記(鎌倉後期登場)』。伊豆諸島は外国由来の三嶋神により創造されたと記されており、伊豆特有の神も多い。しかし、な、なんと三宅島というのは『宮下(みやけ)島』と表記された、富士朝宮下家に所縁のある島であった!!

47代宮下源太夫明夫の弟に深巣二郎清国という人物がいた。あらくれもの鎮西八郎為朝(源為朝)とともに伊豆諸島八丈島に流罪となり、いつしか清国が一島の長となる。この島を『宮下(みやけ)島』と称し、後世『三宅島』に改められた。

やはり伊豆史もホツマツタヱと、三宅記に改竄されたとみる。伊豆『三嶋神』=『天竺からの漂流者たち』と修正されたのも、鎌倉時代とみるべきではないか。

 

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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