セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

神武東征後に玉はどこへ消えたのか?。橿原神宮は三種神器に護られた八幡神クロスポイントだった???。

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2019,12,1

橿原神宮はタマノオヤ×イワナガヒメのクロスポイント?。

令話元年よくニュースに出てくる『橿原神宮』、今年平成31年~令和元年、橿原神宮には平成天皇と今上天皇が入れ代わり参拝、天皇家にとって重要な場所なのは誰も否めないであろう。

・平成天皇皇后両陛下は、3月26日、神武天皇陵に神武天皇山陵を訪問。退位の礼関係諸儀式として『親謁の儀』に臨まれた。

・同年11月27日、今上天皇皇后両陛下は27日、神武天皇陵を訪れ、即位礼と大嘗祭の報告する『親謁の儀』に臨まれる。

今回は橿原神宮を軸とする八幡神レイラインについて考えてみる。まずは橿原神宮について少し説明してみたい。


橿原神宮は、上地図のように最低三本のレイラインが交差。タマノオヤとイシコリドメの由縁地もあり、『壱岐島』や『伊予御島』など、宮下文書的に重要な意味を持つ聖地も多い。日前宮こと『阿備柏原(アビカシハラ)』から橿原宮への東征侵攻ルート、これは実質の神武『行宮』の移動経緯ではないか?とみている(実際はレイラインに沿って進軍したわけではないので注意)。 

 ※地図上は多少ズレあり。メルカトル図法では放物線となるので注意。

※当ブログでは八幡神=タマノオヤ=ニニギ弟、イワナガヒメ=伊豆大神=比売大神イトウ=タマノオヤ妃と考えている。詳細は下リンクにて↓。

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 今日はこの三本中、『玉諸日前宮レイライン』をクローズアップ、文字通り山梨県塩山『玉諸神社』と和歌山県『日前宮』を繋ぐラインである。そもそもこのレイラインを見つけた経緯は、山梨県笛吹市『御室山』と奈良県桜井『三輪山(御諸岳)』が同義であるということ。ともに『神が籠る山』という意味。では、この二点を繋いでみたらどうなるかという発想に至った。

結果、玉諸神社と日前宮、近い角度で繋がってしまった(笑)。『御室山』には物部神社が存在し、周辺には物部氏の痕跡もあるので、案外『三輪山』と関連があるのかもしれない。残念ながら山梨県甲州市塩山『玉諸神社』は県外殆ど知られていないが、レイライン上はスゴイ神社が並んでおり、『石清水八幡宮別宮』(大阪府河内長野市夫見)がある点などにも着目して欲しい。

またホツマツタヱ版日前宮は別名『阿備柏原(アビカシハラ)』という、アビカシハラと橿原(カシハラ)とを繋ぐことにも意味が出てきそうなのだ。

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~玉諸日前宮レイライン~

・玉諸神社奥宮(山梨県甲州市塩山竹森)上参照。

・玉諸神社(山梨県甲州市塩山竹森)上参照。

・御室山山域(山梨県甲州市)

・甲斐奈神社元宮(山梨県甲府市)菊理姫命・木花咲耶姫命・瓊瓊杵命・石長姫命

・八王子大神若宮八幡大神社(山梨県甲斐市『玉幡』)大鷦鷯尊、素盞鳴尊、五男三女神

・加和良神社旧跡武内宿禰命・高良玉垂命『高良社』と称していた。

・阿由多神社(三重県津市)建速須佐之男命・五男三女神・大日孁貴命

・大神神社摂社・玉列神社(奈良県桜井市)玉列王子神

・横内神社(奈良県桜井市)別名・撞賢木巌御魂天疎向津姫命神社

・畝尾都多本神社(奈良県橿原市)泣沢女神=寒川毘女命=カモサワヒメ

・天香山神社(奈良県橿原市)櫛真智命

・本薬師寺跡(奈良県橿原市)

・橿原神宮(奈良県橿原市)・神武天皇・媛蹈鞴五十鈴媛命

・鴨都波神社(奈良県御所市)積羽八重事代主命・大神神社別宮と称す。

・駒形大重神社(奈良県御所市)木股神

・葛城一言主神社(奈良県御所市)葛城之一言主大神

石清水八幡宮別宮八幡神社(大阪市河内長野市)応神天皇・神功皇后・比売大神

・上岩出神社(和歌山県岩出市)菊理比売命・天忍穂耳命・誉田別命・天御中主命ほか

・日前・国懸神宮(和歌山県岩出市)上記参照。

 


橿原神宮とは 

〇橿原神宮(奈良県橿原市久米町)

~御祭神~

・神武天皇

・媛蹈鞴五十鈴媛命

 

奈良県橿原市畝傍山の東麓にある神社。

Wikipediaによると、記紀においての神武天皇の宮(畝傍橿原宮)比定があったとされるこの地に、1890年(明治23年)明治天皇が官幣大社として創建した。現在の本殿(重要文化財)や神楽殿は、京都御所の建物を移築したもの。 また、すぐ北に神武天皇畝傍山東北陵がある。 

 

何故、神武天皇は『橿原』に本拠地を置いたのか?。

神武東征時には各要衝に行宮を作っており、それが『度会の宮』『佐野の宮』『日高の宮』『丹生本営』である。この『橿原の宮』の前身、『日高の宮』の比定地がいまいちわからず、ただ紀伊国名草周辺と思われる。宮下文書研究者・鈴木貞一氏は、日前宮周辺と推測している。同地域には『日高』という地名や神武名草聖蹟顕彰が残り、近くには神武の兄・五瀬王命埋葬地『紀原の竈山』に比定される竈山神社や竈山墓がある。日前宮と竈山神社と伊太祁曽神社は、三社ともに紀伊国一宮に比定されている。

宮下文書版神武天皇の幼名は、『日高佐野王尊』。『湯野崎の水門から上陸し、要衝をみて行宮を建てられた。その地を日高と名付け、その宮を日高の宮と称された』という。察するに『水門』というのは和歌山県和歌山市小野町『水門吹上神社(男之水門)』付近か?。ココには古事記による神武兄・五瀬王命の死亡地伝承がある。

古事記における神武東征は、『日に逆らうは、天の意思に背く』と紀伊半島東~西へ、熊野より仕掛けられている。ゆえに御世、和歌山県西部の『日高』という神武の名称や、『日高宮』の位置が意図的に伏せた可能性もある。

 

宮下文書三輪本現代訳曰く、紀元元年・辛酉年(BC660)2月11日、天皇は大和国橿原の宮において、大御位に即位された。

『この地は我が国の中央であるから統治もまた可能であろうと、集議が遂に決定した。ここにおいて、天皇は諸将を従えて、隣国各場所を巡り、帝都を定めるべき要衝の地を受け継がれた。即ち畝傍山の東南隅である橿原の地をこそ極めつけの地であるとして、日高の宮に還幸された。(中略)…称して橿原の宮という。』

神武東征が終わっても、7日間行宮『日高の宮』で白木賊の様子窺い、そして都の選定も慎重に行われたという。

  

日前神宮・国懸神宮とは

上図レイラインの拠点の一つ。和歌山県和歌山市秋月にある二社。日野前宮あるいは名草(久佐奈)の宮ともいう。現在の境内は、日前神宮と國懸神宮の二宮が東西並祀され、総称して日前宮あるいは名草宮とも言われている。

ホツマツタヱにおける阿備柏原(アビカシハラ)、太陽の前宮の意味。ウマシタケヰココロが12代景行天皇のため、ムカツ姫(瀬織津姫)を祀っていた。この地で武内宿彌が誕生する。

  

〇日前神宮

~御祭神~

日前大神 

日像鏡を神体とする。

~相殿神~

思兼命、石凝姥命

 

〇國懸神宮

~御祭神~

國懸大神 

日矛鏡を神体とする。

~相殿神~

玉祖命

明立天御影命、鈿女命

 

〇中言神社

二社並んだ中央に坐す、地主神である中言(なかこと)神社という。

名草彦・名草姫を祀る

 

宮下文書によると。前記事と被るが、宮下文書を知らない方のために、タマノオヤ西征経緯を説明すると…。

宮下文書版タマノオヤは富士朝伊須(伊豆)から西征中、広島県玉祖神社(穴門の宮)にて死去。それを聞いた、富士朝ヒコホホデミ本陣が本格参戦、西国を平定(言向和平)。タマノオヤの子ウサミと従者イシコリドメは長久佐宮を任された。タマノオヤとイワナガヒメの子ウサミはその後、西国州々を『くまなく』治め、久眞野(熊野)と名付けた山に宮を造営して移り住んだ。後にウサミの子、クマノクスヒコが宮守として継承した。

タマノオヤ従者であったイシコリドメは、長久佐宮に残る。『手工に優れていたので子孫一族を軍用武器作製の家と定めた。こうして神器『鏡』と『矛』を祀られることになる。その後、イシコリドメの子『大力雄命』と、タマノオヤの娘『玉毘女命』夫婦が職務を継ぎ、神器を司る家系となった。 

 

神武天皇の御宇。イシコリドメの孫・日前玉命52世孫名草武器命を木日(紀日)の国造とした。また木日野の名草に副本営副本陣を設いた。これを日前(ヒクマ)の宮という。

『長久佐宮』とは後の『日野前宮(ヒノクマノミヤ)』=『日前神宮・国懸神宮』のこと。日野前の『クマ』とはおそらく熊野の『クマ』と本来同義。『くまなく』平定するという意味。ゆえに日前信仰と熊野信仰は、実に兄弟、親子のような関係である。

神武東征時は、熊が何頭も出現し敵である賊軍を餌食にした。神武側が大喜びして『久萬野山』を『熊野山』と改称したとも書かれている。

宮下文書版神武東征に関しては、日前宮の直接的関与は記載されていない。しかし神武が周辺で軍事行動しているのなら、関与がないわけがない。日前宮を守っていたタマノオヤ娘とイシコリドメ子孫は、神器を司る氏族でもあるはずだ。むしろ神武天皇は日前宮を目標にして、名草に立ち寄ったのではないかと推測する。

f:id:sekihotu:20190905221854p:plain※因みに。日前宮に相殿されている思兼命は、宮下文書によると神代ではなく神武時代の人物と思われ、神武天皇大嘗會に『思兼堅石彦命』が登場している。役職や出自は不明であるが、中臣忌部八重垣命と並んで登場している。


名草戸畔のナゾ

話は逸れるが、日前神宮と国懸神宮の間には地主神『中言社』に祀られており、名草姫命(=名草戸畔?)と名草彦命という謎の神が祀られている。彼らは一体何者だったのだろうか?。

Wikipediaによると、名草邑は日本書紀に登場し、現・和歌山市名草山周辺の統治者。神武東征で進軍中だった神武に誅殺されたともいわれる。その後、紀氏が紀伊を統治。紀氏は、武内宿彌の末裔とも呼ばれているが、この名草戸畔の遠縁ともされる。

宮下文書には『名草戸長』という人物が登場しており、彼が関係しているのではないか?。神武兄・五瀬王命を騙し討ちさせた張本人で、はじめは傷付いた海神彦五瀬王命を治癒させ、しばらく隠匿してくれたという。しかし五瀬王命を酔い潰させ、敵である長髄彦の賊に売った。五瀬王命は命懸けで賊を追い払い、名草戸長を捉えて斬った。そこに神武が東国和平から駆け付けるものの、負傷していた五瀬王命は程なく死亡。竈山神社(和歌山県和歌山市)周辺にて葬られており、記紀と社伝とも一致がみられる。近くには神武天皇所縁の聖蹟名草邑顕彰もある。

はたして、名草戸畔と名草戸長が同一人物かは不明。但し『戸』というのは集落単位、『長』とは役職名と思われる。名草と日野の農民は馬数百頭を献上し、神武側を支援している。

五瀬王命死亡に先立ち、神武は説得していた東国和平軍が神武側へと合流。関西圏を主戦場とした、大戦へと発展していく。

 

さて、前記事にも触れたが、神器は三つ揃ってあるものなのだが。日前神宮・国懸神宮に『鏡』と『矛(剣)』は祀れど、『玉』はない。一体どこへ消えたのか?。
…実は、明治元年まで山梨県甲州市塩山竹森『玉諸神社』に『玉』が存在していた可能性もあるのだ。

  

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玉諸神社(山梨県甲州市塩山竹森)。御祭神タマノオヤと推定される。


玉諸(たまもろ)は玉師(たまもろ)たちの奥儀?

太陽の前宮が『日前宮(アビカシハラ)』であれば、カシハラの後宮はどこであろうか?。

玉諸神社は、創建不詳の甲斐三宮・延喜式式内社。ただ同論社である甲府市『玉諸神社』の場合は御室山山頂にあったとされる山岳信仰で、そもそも玉類信仰とは性質が違う気がする。共通点はこの二社が『御室山』を挟んで存在している点か…。

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〇『玉諸神社』(山梨県甲州市塩山竹森)

~御祭神~

天羽明玉命

または『天明玉命』『玉屋命(玉祖命)』とする文献もある、御祭神タマノオヤ推定社。

 

奥宮は北東600mの竹森山(別名・水晶山)中腹に鎮座し、本殿の地下にはかつて水晶の玉があり、御神体とされていた。由緒書きによると。神体として高さ7尺(約2m)・周り6尺8寸(約1.8m)の巨大水晶の玉に祀ったことから『玉諸』とされる。残念なことに、明治元年に奥宮にあったとされる御神体水晶は盗まれて、現存していない。 

塩山竹森はもともとは石英の産出地、『和名抄』記載にある『玉井郷』の比定地とみられ、玉類工人集団が入植し古来より山間部に拓ける。これは玉職人たちが石英、石材を求めて移住してきたのか?、玉諸=玉師(たまもろ)にも通ずる。

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後世の鏡作連鏡作氏は、イシコリドメの子孫といわれている。鏡作氏末裔は伊豆国田方郡鏡作郷周辺にも栄え、玉造氏も静岡県沼津市『玉作神社』(上写真)にてタマノオヤを祖神として祀る。『駿河草』によるとこの社に瀬織津姫を祀っていたとし、現在の相殿されているのはミズハノメのみであるが、この瀬織津姫にはカモサワヒメやイワナガヒメのシルエットを感じる。

一方で塩山竹森の玉諸神社周辺でも、北2キロ、瀬織津姫を祀る『船宮神社』がある。玉造り氏族で有名なのが『忌部氏』であるが、宮下文書での出自がわからない。個人的には、太玉命の子孫『祖家』こと蘇我大伴系統派生ではないかとみている。

宮下文書における瀬織津姫の正体①瀬織津姫の意味とは? - セキホツ熊の謎を追え!

 

 レイラインから読み取れるもの

そして三本のレイラインを重ね合わせると橿原神宮で交差され、まるで橿原神宮がタマノオヤたちに守護されているかのようだ。

・宇佐神宮×伊豆山神社はイワナガヒメ(比売大神イトウ=伊豆大神?)のレイライン。

・玉祖神社×三原神社(阿治古神社境外社)はタマノオヤ(八幡神?)のレイライン。

日前神宮×玉諸神社はイシコリドメ(タマノオヤ従者・武器師)のレイライン。

つまり天孫タマノオヤ勢力に護られているのが、『橿原神宮』にみえるのだ。

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※因みに、伊豆大島『三原神社』は同島『大宮神社』の境外社であり、大宮神社は伊豆国阿治古神社式内社で、どちらも謎の神である『阿治古命』を祀っている。奇しくも三原山噴火の際には、この神社を僅か数メートル溶岩流が綺麗に避けたという伝説の山宮。

 

さて次回記事は、玉諸神社について考察してみたい。

  ※次回記事、下リンクより↓。

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※地図はクラフトマップ使用。 

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