2021,8,8
このブログは宮下文書をベースに考察してます。宮下文書を知らない方でも大歓迎、ただ一般論とはかなりズレてくるので、前記事を読むことを推奨するm(__)m。
また今までの読者様へお願いですが、このブログは新しい読者開拓のため説明の重複箇所を増やしております。今までの『復習』だとおもって読んでいただけると幸いです。なるべくレギュラーさんと新規さん、歴史初心者さんのストレスを軽減していきたいと考えておりますm(__)m。
熊野神『御子速玉神』とは誰なのか?。
別件調査で、埼玉県行田市埼玉にある『前玉神社』へ行ってきたのだが…、そのすぐ南側近所にたいへん興味深い神社があったので、参拝させていただいた。
◯常世岐姫神社(埼玉県行田市渡柳)
〜御祭神〜
・常世岐姫命
・菅原道真公
・宇迦之御魂命
・譽田別命
・大日靈貴命
・建御名方命
・倉稲魂命
・少彦名命
・家都御子神
・熊野夫須美神
・御子速玉神
・久那斗神
※境内由緒より。
創建は不詳。常世岐姫命は全国に数社あり、燕王公孫淵を祖とする渡来系の常世氏が祭祀していた神社。本宮は大阪府八尾市神宮寺に一社のみが存在し、ほか2〜3社が埼玉県内にあるようだ。一見、渡来系が日本に持ち込んだ信仰にも見えるのだが、共通点は江戸期まで『八王子神社』『八王子権現』を称して、地元では未だに『八王子神社』と認知されているという。
ごく最近…明治維新後明治2年に、『常世岐姫神社』と改称し、村社に列格。周囲の諏訪神社、天神社、伊奈利神社、洗磯前神社、八幡神社、神明社、塞神社を合祀したという。
正直、秦氏以外の渡来系神社はよくわからず、そのまま前玉神社へ急ごうとしたのだが…。八王子神を封じていたのなら何かあるなと…、胸騒ぎがした(苦笑)。
境内由緒書に目を通すと…家都御子神・熊野夫須美神・御子速玉神???。やはり、タマノオヤファミリーのお社だった…。
なるほど、今までにも薄々感じていた事なのだが、タマノオヤは祖父スサノオ系や八王子系、熊野系神社に隠されているのではないか?。また武蔵国風土記稿には、当社の末社に渡柳弥五郎の霊を祀る『八幡社』が記載されていたが、現在その所在がわからなくなっているという。この家都美御子神(ケツミコ・ケツミミコ)もどういう経緯で祀られているかは不明。他地域からの熊野社系を、合祀された可能性もあるので注意。
何を言っているんだこのオッサン?…、と戸惑う方は前記事参照のこと。皆さんはさらに戸惑うことになるが(苦笑)。
伊豆山とはなんなのか?。日金山に埋葬されたイワナガヒメと家族の大冒険。 - セキホツ熊の謎を追え!
<まとめ+追記>八幡神と比売大神イトウの正体わかった!宇佐神宮・伊豆山神社・天孫降臨・八王子権現のまとめ。 - セキホツ熊の謎を追え!
一応、毎回毎回説明して恐縮だが…。
宮下文書からの考察で、タマノオヤは『八幡神』ではないかと考えている御神霊である。タマノオヤは阿祖山太神宮の守護司長であり、当時の実質富士朝トップ宮司であるが故に、後世に隠蔽の対象とされたとみている。
彼は宮下文書版アマテラスとスサノオの共通の孫であり、タクハタチヂヒメの5男3女、ニニギとタマノオヤはその八王子兄弟となる。これが牛頭天王と八王子権現で、熊野伝承にスサノオが絡んでくる理由であろう。一般的にはアマテラスとスサノオの誓約(うけい)の子。しかし宮下文書では、アメノオシホミミとクマノムスヒコ以外一切登場せず、しかも記紀系譜とは全然違うので注意。
八王子は、『八坂神社』(京都市東山区祇園町)の御祭神のように、皇神系統ではなく、スサノオに始まる地祇系統に集約される場合もある。八島士奴美神と五十猛命については伊豆国にも関係あり(後述する)。
〜京都祇園八坂神社版・八王子〜
・八島士奴美神(八島篠見神)
・五十猛神
・大屋比売神
・抓津比売神
・大歳神
・宇迦之御魂神
・大屋毘古神
・須勢理毘売命
因みに、現在の東京都八王子市の地名由来も、鎌倉時代に梶原景時が相模国鎌倉『鶴岡八幡宮』の古神体を賜り、彼の母方である小野氏族横山氏の地に、『梶原八幡神社』を創建したことに由来したとみている。戦国時代には北条氏康の書状にて『八王子筋』と呼称しており、個人的妄想ではこの古神体こそが、古八幡タマノオヤだったのではなかったか?と睨んでいる。
武内宿禰と紀氏に見え隠れする、紀伊国での神道改革。
さらに宮下文書によると、タマノオヤの息子ウサミが日前宮にて、タマノオヤとイシコリドメを祀った。さらに久眞野宮にてクマノクスヒコが、高祖父母アマテラス・曽祖父アメノオシホミミ・祖父タマノオヤ・父ウサミを祀ったと明記されており、総称を『久眞野山大神』という。熊野神を語る文献自体が少ないものの、これほど具体的単純明快に示している文献は、『偽書』こと宮下文書以外に他ない。
〜熊野三社とは〜
・『熊野本宮大社』(和歌山県田辺市本宮町本宮)
・『熊野速玉大社』(和歌山県新宮市)
・『熊野那智大社』(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)
これら、熊野・日前宮・伊太祈曽を含めた木野国(紀伊国)信仰がミックスされ伊豆国凱旋、これが来宮(きのみや)信仰やムスビ信仰となったとみる。さらに、ウサミのもともとの本拠地、伊豆半島イトウには、大原の『伊東の宮』に比定される『葛見神社』(静岡県伊東市馬場)があり、現在謎の神クズミを祀る。このクズミという神自体が、御子ウサミとその御孫クマノクスヒコや、熊野神フスミをかけ合わせた様なイメージがする。
神奈川県小田原市早川の『紀伊神社』は、五十猛命と惟喬親王を祀るこの来宮信仰のバリエーションの一つと考えられている。56代清和天皇皇兄・惟喬親王の母方が紀氏であり、祖先が日前宮所縁だと考えると、紀氏発祥の『紀の国』信仰を改革したのは紀氏の祖・武内宿禰の時代ではないかとも思えてくる。静岡県熱海市『来宮神社』も、ヤマトタケル東征時代に所縁を持っており、八幡神を事実上排除していた『ホツマツタヱ』成立時代と一致する。
つまり、『八幡信仰』・『熊野信仰』・伊豆国『来宮信仰』は親子のような関係ということになる。
鈴木貞一氏説、ウサミ=速玉神。
考えてみれば、八幡神紋と熊野神紋は同じ三つ巴神紋…。うち熊野神には八咫烏神紋があるが、これは宮下文書の神武東征時、富士朝が神武に御神託と神剣フツノミタマとともに遣わした神獣のようだ。神武天皇はナガスネヒコ白木軍に苦戦の果て、紀伊半島を南側から東側へ迂回を余儀なくされ、皇軍がこの熊野に多く所縁を残した理由にもなる。
そして、この神武天皇東征時代に速玉之緖命という人物が、ウマシマジらと大活躍した。速玉之緒命は当初、神武皇兄・海津彦五瀬王に従っていた人物で、戦闘中に命がけで彼の訃報を神武(佐野王命)へ届けた。この速玉之緖命のニ子が速玉山田命、アメノコヤネ56世孫・申食国政大夫物部・天日方奇日方命のことで、神武東征後の論功行賞においては北陸・山陰十二道の将軍に任じられた。
〜速玉山田命と同神〜
・太玉大苔命
・天日方奇日方命(鴨王)
・中臣道臣命
・中臣武部道臣
・ホツマ版クシミカタマ
宮下文書では、藤原氏と物部氏は直系同祖、『中臣』とは蘇我大伴系統と藤原物部系統のどちらかを意味している。『武部』とは物部の祖を意味。
しかし、なぜかこれがホツマツタヱの影響により、天日方奇日方命は鴨王を称し、賀茂氏の祖にスリ替えられて、物部祖が蘇我系統ウマシマジを祖としてゴチャ混ぜに変更されたわけだ。挙句の果てに後代の人々に、ホツマツタヱ前期編集者にされてしまっている。宮下文書ベースで考えると氏族的にも時系列的にも、殆どありえないこと。
おそらくはホツマツタヱ成立時代(10代崇神〜12代景行天皇時代)に、氏族間を跨ぐ、大規模な系譜変更があったとみる。政府が関与しなければ説明が付かないレベルの、国家プロジェクト的な大改竄である。これが『国譲り』というべき大きな政変余波だったのではないかと...(妄想)。
ま…宮下文書におけるこの藤原物部系統と蘇我大伴系統のスリ替え論は、もうオカルト現象に近い。世間的には全く信じて貰えないだろうが…、あくまで宮下文書ベースで一つ一つ解析すると、こうなってしまうのだから仕方がない。ただ、これを信じていただけないと、宮下文書の研究は先に進まない...(苦笑)。
結論として、この熊野神の一柱『速玉』も藤原物部系統の可能性はあるなと…、私は勝手に思っていたのだ。しかし...。
…速玉『御子』ってなんだ???。
実は、宮下文書研究家鈴木貞一著は、この『速玉』こそが、『ウサミの別名に他ならない』と断言していた。
歴史的に熊野信仰は、家族発祥地となる『日金山』『伊豆山神社』(静岡県熱海市)や『牛頭八王子権現』などと同様に、仏教色が非常に強くなる。やはり神仏習合とは、本来の御祖神を本地垂迹で誤魔化すことこそが目的の一つなのだろう。熊野にはそれだけ知られては困る理由があり、それらが富士朝タマノオヤと繋がるのではないか?という憶測が出てくるわけだ。
〜鈴木貞一説・熊野三社共通祭神〜
・家都御子神(熊野本宮) =玉祖命?
・御子速玉大神(速玉大社)=宇佐見命?
・夫須美神(那智大社)=久眞野久住比古命?
〜熊野御祭神十二殿(熊野那智大社は十三殿)〜
◯熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町)
上四社第一殿西御前 熊野牟須美大神・事解之男神
上四社第三殿證証殿 家都美御子大神
上四社第二殿中御前 速玉之男神
◯熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮)
上四社 第一殿 結宮 熊野夫須美大神(熊野結大神)
上四社第二殿 速玉宮 熊野速玉大神
上四社第三殿 証誠殿 家津美御子大神・国常立尊
◯熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦)
上五社第二殿 證証殿 家津御子大神、国常立尊
上五社第三殿 中御前 御子速玉大神
上五社第四殿 西御前 熊野夫須美大神
そして気になるのが、先に述べた『常世岐姫神社』の御祭神でもある、この『御子速玉』という表記。調べてみると、熊野那智大社の上五社第三殿中御前『御子速玉大神』と表記されており、どうやら那智大社をベースとした神名表記のようだ。
しかし…、『御子』てなんだ?、タマノオヤの御子ウサミのことなのか…???。
仮に、鈴木貞一氏の論を挙げるとするならば…、速玉之男はニ柱いるということになる。正直、真偽の判断に迷うところだが...、宮下文書においてはありえないことではない…。宮下文書版『天香護山命』や『豊城入彦命』も同名別神ニ柱おり、時代がかけ離れている者同士であった。
▲御子速玉神(皇別タマノオヤ系統)
▽速玉之緖命(右臣藤原物部氏系統)
また宮下文書版・久眞野久住比古命から派生したと思われる、『熊野牟須美(クマノムスビ)神』というのは、伊豆東岸のホムスビ・ムスビ信仰と関係ないだろうか?。伊豆山周辺のことを牟須比峯(七尾あたり)、結明神(むすぶみょうじん)がある。また伊豆大神イワナガヒメの別名はコケムスメ、『古計牟須姫』または『苔牟須売神』。紀の国の信仰が、伊豆国に持ち込まれた経緯を辿る上で、重要なヒントになりそうだ。
現代の三島・函南・熱海・伊豆東岸では、この雷神としてホムスビを祀る神社も多く、『火雷天神』のバリエーションの一つなのではないだろうか?。やはり根底には伊豆国の知られてはならないが為に、複雑化した信仰があり、これらを富士朝火神オオヤマツミに鎮魂させる目的もあったのだろうか?。
紀伊国と伊豆国由来の信仰がミックスされ、富士朝信仰の頂点『火』を代わりに祀っていたのであろう。静岡県伊東市松原『松原八幡神社』の境内社『火牟須比神社』の由緒には、『古き時代に相模国大山の阿夫利神社の分霊を祀ったと云われ、毎年の例祭には村の消防組が参拝し、神前でくじをひいて大山本宮の夏祭に代参する者をきめた。』との記載があり。私がホムスビ信仰に大山の『火』『雷』を感じる理由となっている。
この伊豆国ホムスビ・火雷信仰はまたいつか、別記事で紹介したい。
以前書いた記事で、ウサミ=八幡神の可能性もあると述べたが…。今回の件でウサミではなく、タマノオヤの可能性はさらに高まった気がする。ウサミはあくまで大神の『御子』として強調された存在であると...。
再考察:熱海日金山にて思うこと。もし八幡神がタマノオヤではなく、宇佐見だったらどうしようと思う件…(今さら感) - セキホツ熊の謎を追え!
伊豆国における、タマノオヤ比定神は?。
…こうなると、神社巡りというか、神様が隠れんぼをしているような感覚に襲われる。
全国的にも家都美御子神は大変珍しい神様、しかし同神に近いとされる櫛御食野(クシミケヌ)命であれば、関東地区でもお見かけできる機会が多いであろう。
・『角渕八幡宮』の境内熊野社、源頼朝所縁。
・『玉村八幡宮』(配祀)、角渕八幡宮からの勧請。
・『日野八坂神社』(相殿)、新選組所縁。
などなど。角渕八幡宮には熊野神として、日野八坂神社ではスサノオ系統に身を潜めているようにもみえる。
そのほか、古事記版スサノオの御子とされる『八嶋士奴美神』もそうではないだろうか…?。八嶋士奴美神はオオヤマツミの御子コノハナチルヒメを娶るが、実はイワナガヒメ比定説もあるのだ。現在、静岡県田方郡函南には『八島手神社』に祀られており、コノハナチルヒメは静岡県伊東市大室山の近く小室山山頂、『小室神社』の御祭神となっている。また『石清水八幡宮』ちかくの『片埜神社』(大阪府枚方市牧野阪)にも配神として祀られており、祭神を『神名帳考証』には饒速日命と記載していたという。神社周辺には『久須須美神社』なるお社もあったようで、久須須美神は櫛御気野神・家津御子神・熊野櫛御毛奴神・熊野加武呂乃神と同神とされていたという(現在の場所は特定できず)。さらには、ニギハヤヒとタマノオヤの類似性にも繋がりそうなケースだ。
このようにタマノオヤは、八幡神社・熊野神社・八王子神社・スサノオ系神社にも隠されている可能性あり。
※地図はクラフトマップ使用