セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

再考察:熱海日金山にて思うこと。もし八幡神がタマノオヤではなく、宇佐見だったらどうしようと思う件…(今さら感)

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伊豆山は親子の絆神社?。

2020,8,11

突然、伊豆山に行きたくなる。

まあ個人的な信仰が理由なんだけど…、熱海伊豆山でちょっと気になる所があって調査勉強してきた。というのも八幡神について再考察が必要となってきたからだ。

とはいえコロナ騒動で静岡県民神奈川県民には迷惑かけたくないし、伊豆の実家にも寄らず出発とんぼ返りで帰ってきた。念のため言っておくと、公共機関やお店とかは利用していないし、その後数日たっているが、発熱とかはないm(__)m。

 <まとめ+追記>八幡神と比売大神イトウの正体わかった!宇佐神宮・伊豆山神社・天孫降臨・八王子権現のまとめ。 - セキホツ熊の謎を追え!

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まずタマノオヤとはどんな神か?

都内を出たのが朝5:00、まず熱海市伊豆山へ向かう前に、国道246号途上にある相模三宮比比多神社にご挨拶したかった。ここは富士出雲大神宮レイライン上に天明玉命(タマノオヤ)を祀る、縄文遺跡に囲まれた意義深い神社。

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神奈川県伊勢原市三宮・相模三宮『比比多神社』、豊国主尊や天明玉命を祀る。

◯比比多神社(神奈川県伊勢原市)

~御祭神~

・豊国主尊(豊斟渟尊)

天明玉命(玉祖命)

・雅日女尊

・日本武尊

~相殿~

・大酒解神(大山祇神)

・小酒解神(木花咲耶姫)

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比比多奥宮からの眺望、朝日が拝める。

<レイラインの美学⑥>元出雲と日本総社の真実。出雲大神宮と津島神社と富士山は繋がっていた。 - セキホツ熊の謎を追え!

宮下文書の記載はないのだがここは一万年以上まえの縄文遺跡もあり、関東最古級の神社の可能性もあるという。神社は『大山』を御神体にした山岳信仰で、山頂にある大山阿夫利神社(大山石尊権現)とは別系統の信仰のようだ。

東京近県でタマノオヤを確実に拝める神社は、あと玉諸神社(山梨県甲州市塩山竹森)くらいであろう。もしかしたらこのタマノオヤこそが真の八幡神の可能性があり、全国にある『古八幡』に、祀られている可能性はあるが…、確証は今のところない。

…それぐらい希少な御祭神ということだ。

現在のタマノオヤの本拠地は、現在山口県にある周防一宮・玉祖神社であろうか…。Wikipediaによるとタマノオヤの『墳墓』という死亡地伝承がしっかり残されており、加えて他一座未詳とあるのだ。この一座を巡っては諸説あるがイシコリドメとする説が有力であり、個人的にもそれが一番納得できる答だと思っていたのだが…。

ただ不詳が理由というのはわからないのではなく、わからせたくない理由があるのではないかという研究的疑念が芽生える(笑)。何処の誰とは言わないがハッキリ言って神社とか宗教とはそういうものだし、歴史研究の一番の壁なのだ。

もし仮にイシコリドメであればなんら隠す必要はない、和歌山県『日前宮』をはじめタマノオヤと並び、同じ玉造部・玉作連の信仰として周知されている。さらに、ニニギ天孫降臨五伴緒として共に行動したことが周知されているからだ。

では、どなたであろうか?。

 

◯玉祖神社(山口県防府市大崎)

~御祭神~

・玉祖命

・他一座未詳

※ タマノオヤの『墳墓』という死亡地伝承あり、宮下文書と符合する。

 

ここで宮下文書を振り返ってみよう。ニニギ死後、タマノオヤを元帥として富士朝伊豆勢力が西征、この西征中にタマノオヤは周防『穴門の宮』にて死去する、その後神武の代には『玉祖の宮』と称されている。その後、富士朝ヒコホホデミ本陣が西征を請け負い、西征をひとまず完了させ、帰途につく。年代的にはこのあと、健磐龍命による第二次外寇戦があるとおもわれる。

この時、ヒコホホデミはこの宮を宇都志日金折命に託しており、タマノオヤの息子ウサミと孫クマノクスヒコと家臣イシコリドメは穴門→日前宮→熊野へ向かうことになる。

つまりこの宮の主は、宇都志日金折命(穂高見命)で落ち着いたわけだ。宮下文書においては出自不明、実は彼とタマノオヤとウサミとの関係はよく判っていない。一般的にはワダツミ系統阿曇氏の祖神とされるが、『日金』というネーミングからして熱海日金山を連想させる。イワナガヒメの他人とも思えず、この文脈からもかなり親しい仲とは想像していた…。

 

前記事で述べているが…、鈴木貞一著書『日本古代文書の謎』によると、この宮下文書記載の不明の一子を察するに、『宇都志日金折命』であろうと述べている。そして玉祖神社の未詳一座こそ宇都志日金折命であろうというのだ。これを読んだとき、『…そだよね』と妙に納得できたのだ(笑)。

宮下文書神武天皇の時代、太眞祖命(タマオヤ)五十三世の孫・日鷲気留木彦命を穴門摂津?の県令に就任している。つまりはタマノオヤの子孫が、神武時代に至るまで、この穴門地方を任されていたことを示唆している。この子孫とはやはり、宇都志日金折命子孫とみるのが自然であろう。即ち玉祖神社において、宇都志日金折命をワダツミ系に見せかけるために、玉祖神社御祭神が親子関係である事を伏せられた可能性がある。

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さらに、同じ神武の時代、筑前後県令に御鉾倉魂命なる人物が就任している…。彼が太眞祖命の第二の御子・崎玉男命五十世孫と記載してある。

前記事では、宇都志日金折命を二子としたが訂正させていただき、今回は二子をようやく発見したのでご報告。ただもし宇都志日金折命が、タマノオヤの子供であれば4子以降ということになる。

 というか、どうやらタマノオヤ御子はもっといるらしい…(笑)。

 

~タマノオヤ御子~

・宇佐見(長男)

・崎玉男命(第二の御子)

・国玉毘女(三女イシコリドメ息子の妻となる)

宇都志日金折命???

 

これ…もしかしたら八子いるんじゃないのか?、調査続行中。

 

 

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八幡神のカギを握るのは宇佐見命か。

となると、もう一つの彼岸の対、『宇佐神宮』を再考察する必要がでてきた…。

比売大神は勿論イワナガヒメとして、肝心の主『八幡神』はだれであろう…と、今回改めて考え直さなければならなくなった。

縄文時代神代、やはり宮として祀られるならば『主』が一番相応しいのだ。

 

〇宇佐神宮(大分県宇佐市南宇佐)

~御祭神~

・八幡大神

・比売大神

・神功皇后

~摂末社~

・住吉神社(住吉三神)

宇佐祖神社(菟沙津彦・菟沙津姫)

大元神社(宇佐神宮から南4キロ御許山内)

八子神社(八幡神の八王子) 

他多数あり。

※通称:宇佐八幡宮

 

※八幡大神とは三神の総称ともいわれる

・応神天皇(誉田別命)

・神功皇后(気長足姫)

・比売大神(一般的に宗像三神)

 

宇佐神宮最大の謎とされているのが、主神は八幡神であるにも拘わらず、主神二ノ御殿(最中央部)の位置には比売大神が祀られている事だ。即ち、八幡大神という主神は後世ワダツミ八子(宇佐八幡境内の八子神社?)の時代に定義付けられ、もともとは純粋に比売大神をメインに祀る神社であった可能性もある。その場合、八幡神というのは後付けで祀られていたことになる。

そもそも八幡大神というのは特定の人物ではなく、『八つ旗』に願掛けをした創造的概念の可能性もある。古代富士朝において、この八という数字は縁起がよい数とみられる。クニサツチも五男三女おり、アメノオシホミミも五男三女いる。スサノオ(八佐加毘古命)もこの八という数字をテーマに三品の大御宝をつくり、富士高天原の太神宮に奉納している。

仮にもし、八王子一柱のタマノオヤに八王子いたとすれば、八王子の八王子、世間からかなり注目される存在となろう。

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※伊豆山本宮と宇佐大元神社のレイラインは、ドンピシャで橿原を指す。
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 ここで、宮下文書で宇佐神宮の過去を紐解く。

初代ウガヤ朝の時代、ワダツミ系統のトヨタマヒメの兄・豊玉彦命は大海を守るシンボルとして、波上に日月を描いた旗を八御子に持たせ、賊退治の目印にせよと命じた。宇佐大本営ちかくの丘につくられた祠こそが『八幡大神宮』であり、個人的には、このワダツミ八子の決起集会が行われた場所が、御許山・宇佐奥宮『大元神社』とみている。社伝によると、この奥宮に比売大神がはじめて降臨されたとされるが、そこに三つの巨石があったことから比売大神=宗像三神と認識され始めたようだ。

また豊玉彦命は長男の宇佐豊武命(トヨタマヒメの甥)に宇佐の宮大本営を守護させた。境内にまつられている宇佐祖神社の祭神、菟沙津彦と菟沙津姫は、この宇佐豊彦命夫妻の可能性がある。

 

しかし、私はあくまで八幡と呼ばれた人物がいたことに拘りたいのだ(笑)。

前記事でも書いたが、宇佐神宮と玉祖神社は周防海門を守る『対』としての特性がみられる。宛ら、両親と二人の息子による、祭神はバランス配分された親子ゲートである。

 

・玉祖神社にタマノオヤ宇都志日金折命が祀られている…。

・宇佐神宮にはイワナガヒメ宇佐見命なのではないかと…。

 

考えてみれば…八幡信仰とは単なる軍神ではなく、『母子神』の側面もみられる。源頼義・義家親子が創建した東京都杉並区『大宮八幡宮』、周辺住民から子育ての神社と慕われており、これが後世新八幡である応神天皇と神巧皇后親子を並び祀られる理由の一つと思われる。私のこれまでの見解は、『比売』神という特性から、おのずと誰かの『妃』であろうと決めつけてきた、これを『母』として捉えるべきではないかと考え始めたわけだ。

そしてホツマツタヱ記載の宇佐神の古名『イトウ神』、ホツマツタヱにおいてはヤマタノオロチと化したハヤコの娘・宗像三女であり、親の犯した罪や穢れを浄化しようと努めて各地を巡業する。この子共たちの努力があったからこそ、ハヤコのカルマは消滅し、人間に転生することが出来た。即ち、ホツマ版イワナガヒメとして生まれ変わったと解釈できる。

宮下文書においてのイトウとは『伊東の宮』の意味であり、後世、伊東氏の拠点となる静岡県伊東市『葛見神社』に比定される。そこの主は謎の神『クズミ』、これはウサミと息子クマノクスヒコを掛け合わせた存在にも見える。即ち、『イトウ』とは静岡県日金山を拠点としていたタマノオヤを示すわけではなく、あくまで静岡県伊東~宇佐美を拠点としていた子ウサミのことなのだ。

※因みに、宮下文書表記ではクスヒではなくクスヒコなので注意。

※藤原南家伊東氏は後に日向に流れ、日向伊東氏となり、その派生が宇佐美(宇佐見)氏という。

静岡県伊東市八幡野『八幡宮来宮神社』の御祭神の伊波久良和気命(イワクラワケ)。クラとはやはり母体とか子宮の意味であろう、イワナガヒメの産子を示すとみる。即ちこの神社は、初代と二代目の八幡神を祀る一殿両扉のではないかと。正八幡と古八幡、即ち新旧の八幡神を一殿にして二社、それぞれ郷社として祀る一社ということになる。

するとやはり、宇佐の宮の『主』に相応しいのはウサミ(宇佐見命)なのかもしれない…。

 

今さらいうのもなんだが、八幡神の正体はウサミでもおかしくはない…。ともかくイワナガヒメの親子関係なのは変わりはない。宇佐八幡宮にしろ玉祖神社にしろ、家族の繋がり『ムスビ』をテーマにした神社なのだ。

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<レイラインの美学⑧>八幡宮来宮神社から伊豆山本宮社と来宮神社へ、八幡・熊野・来宮・離島信仰、混合二本のレイライン①Aライン。 - セキホツ熊の謎を追え!

<レイラインの美学⑨>三峯神イザナギ・イザナミは岩長毘女代理人?。神津島伊豆山レイライン②Bライン。 - セキホツ熊の謎を追え!


ただこういうのも失礼だが、ウサミにその統率力というか…カリスマ性があったのかな?と思うのだ。たとえば『八幡』という言葉の意味、やはりタクハタチヂヒメの天孫世代の八王子と考えると、八王子一柱タマノオヤの方が相応しい…。そして承久記にある八幡=皇祖というカリスマ性定義からしても、タマノオヤがすぐに連想される。やはり元帥タマノオヤの代役には、健磐龍命のような資質も必要であろうが、ヤマトタケルのように『皇子』というある程度の身分も必要であろう。ウサミは残念ながら皇子ではない。 

さらにいえば、ホツマツタヱや先代旧事本紀などからも推測するに、ニニギ天孫降臨世代の兄弟には、クシタマホノアカリのようなライバルかつ、カリスマ的存在がいたと思うのだ。宮下文書に未登場のニギハヤヒもニニギの兄神として周知されつつ、ニニギ天孫降臨神話とは別系統の活躍をもつ。これを宮下文書にて無理やりこじつけて比定してみると…やはりタマノオヤの活躍なのである。このようにニギハヤヒ神とは宮下文書版タマオヤの要素も内包しているのかなと…。

そう考えると、宮下文書版タマノオヤの活躍は賞賛されるべき英雄であるが、同時に現代では奇妙なほど存在が薄いことに気付く。これはオオクニヌシ孫・健磐龍命のウガヤ開拓神と比較しても奇妙だ。一般的にはニニギ天孫降臨の付き添い『五伴緒』ごとき認識しかなく、なにか隠さなければならなかった理由でもあったのかなと…、タマノオヤには疑うべき余地が大きいということだ…。

 

うーん結論は見送り…(笑)。今のところは古八幡神候補として、タマノオヤとウサミ両候補挙げておいて…、なにか判明したら追記させてもらう。

 

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伊豆山は親子のムスビ神社?。

9:30伊豆山本宮に到着、古いお社が取り壊され新築工事をしていた。完成は2020年8月中とのこと、おそらくは8月23日の本宮社例祭にお披露目されるのだろう。たった数年間でも通いつづけた者としては、愛着があっただけにショック、山道の参道を登頂した達成感にみる、あの紫陽花とワビサビ感が好きだったのだが…。

5~6年前の御祭神変更といい、ここ数年で、伊豆山神社を取り巻く環境は確実に変化している。

 

〇伊豆山神社(静岡県熱海市伊豆山)※表紙写真

・天忍穂耳尊

・𣑥幡千千姫尊

・瓊瓊杵尊

~摂末社~

・雷電社(伊豆大神荒魂・雷電童子・瓊瓊杵尊)

・白山社(伊豆大神奇魂・菊理媛命)

・結明神社(日精・月精)

・足立権現社(役小角)

・祖霊社

~境外社~

・走湯神社(天忍穂耳尊)

 

というか気づいたのだが。アメノオシホミミとタクハタチヂヒメ…兄ニニギとその家族…弟タマノオヤとその家族…。

ああ…この神社、私に家族の絆を教えているんだなと。

 伊豆山で結ばれた源頼朝と北条政子が頭をよぎる。激昂した伊東祐親と失意の娘八重姫、果たして頼朝と八重姫の子、千鶴丸はほんとうに殺されなければならなかったのだろうか?。個人的には…別人となって生きていたと思いたいが。

きっと、この神社は伊東氏の真相を見てきたはずだ…。

 

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私が行くといつも雨降り。

ジオパーク『熱海十国峠(日金山)』にて、伊豆神の意味をはじめて知った。

12:00十国峠展望台に到着、富士山が見通せる、奇跡の絶景ポイント。つかさっきまで晴れていたのに、また降りそうだな…。

昨今のウイルス騒動自粛もあるのだろうが…一応夏休みだ、なんでここは誰もいないんだと(笑)。展望台やドッグランや姫の沢公園などの観光整備がなされているのだが、いつ来ても人がいない。世界でひとりぼっち、まるで神隠しにあったオッサンのようだ。日金山東光寺由緒書によると、中世からここは『死者の霊の集まる山』とされる…、イヤやめてマジで怖い…。

やはり基本的は公園墓地とみられているのだろう、展望台北東側は頼朝所縁の日金山東光寺があり、広大で静寂な霊園が一面に広がる。

実は今回、このジオパークの看板が最大のヒントであった、この辺りは日本周辺の4大プレートの奇跡の接合地点、あーなるほど…これは勉強になるなあ。

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・ユーラシアプレート

・フィリピンプレート

・北アメリカプレート

・太平洋プレート

本州にぐいぐい楔を打つが如く、伊豆半島がプレート上に北上して、さらに押し込まれていくわけだ。日本列島に突き刺さり、衝突させられ、丹沢大室山~箱根~伊豆山~伊豆大室山~天城山そして愛鷹山や富士山がしわ寄せられ形成。また相模湾や駿河湾は、陸に近い深海となる。

さらに、その伊豆半島北部両端の衝突部分に楔を打つが如く、三嶋大社伊豆山神社が存在していることだ。

即ち、これらの4大プレートを地中で治める女神こそが、カモサワヒメとイワナガヒメなのではないかと…。悪い癖でいつも神々の祭祀上の意味と、運命というものを考えてしまうタチなのだ。祀られているからには必ず理由があるし、それを人間が考えてあげることが一番の手助けとなる。

 

日本創世の時代、全国山々の統治者オオヤマツミファミリーであるカモサワヒメやイワナガヒメはここで死を与えられ、コノハナサクヤは富士山で投身自殺した。きっと世界の創造主から『死して日本列島を守れ』と、柱となることを運命づけられていた女神なのではないか?(妄想)。無念な気持ちもあったであろう…。

やはり伊豆は日本列島にとって要であり、家族の聖地なのだ。

 

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※地図はクラフトマップ使用。

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