セキホツ熊の謎を追え!

古史古伝を片手に神社めぐり。古代人の残した偽書に基づく妄想考察。

伊豆山とはなんなのか?。日金山に埋葬されたイワナガヒメと家族の大冒険。

 

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2021,7,10

本日は、伊豆山を特集。

伊豆山は、個人的にも特別な場所でした。

注目されている今だからこそ、多くの方々に、伊豆山、イワナガヒメを知っていただきたい。

<news>7月3日・静岡県熱海市『伊豆山神社』すぐ西斜面で土砂崩れ。 - セキホツ熊の謎を追え!

伊豆山とはそもそも何なのか?、簡単にいえば、日本史が根底からひっくり返る場所。

伊豆山の被災者、記事既読の方も、読んでいただければ幸いです。

◯伊豆山神社(静岡県熱海市伊豆山)

 

〜御祭神〜

・火牟須比命

・天忍穂耳尊

・拷幡千千姫尊

・瓊瓊杵尊

〜雷電社〜

・伊豆大神荒魂・雷電童子(瓊瓊杵尊)

〜白山神社〜

・伊豆大神奇魂・菊理媛命

 

※2014頃までの御祭神

火牟須比命・伊邪那岐命・伊邪那美命

※2021現在、また御祭神に、火牟須比命が復活している。

※宮下文書における伊豆大神比定は、イワナガヒメのこと。菊理媛命はコノハナサクヤヒメのこと。白山大神はイザナミのこと。アメノオシホミミはニニギとタマノオヤら八王子の父親。タクハタチヂヒメは、スサノオの娘にあたる。

ホムスビは富士朝男神信仰ではないだろうか?。

後述するが、イザナギイザナミはイワナガヒメと特殊な関係あり。

 

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宮下文書における天孫降臨。

 

おそらく、宮下文書における天孫降臨は、ニニギとタマノオヤの兄弟による活躍を指すと思われる。

 

今から6000〜前?、富士山北東麓にある富士朝(現在の山梨県富士吉田市)のお話。

宮下文書三輪本現代訳『神皇紀』によると、富士朝ニニギの時代、大陸人が玄界灘を渡り攻めてきた、これを『外寇親征の役』という。

古代原始的な戦争においては、夫婦が共に参戦していたようで、ニニギは后コノハナサクヤを伴っての出陣であった。戦争は辛くも勝利、しかしコノハナサクヤが自殺してしまう事件が起き、それを悔いたニニギが衰弱死する。

ニニギに何があったのか?

 

岩間翻訳本などをかけ合わせると、ニニギは、コノハナサクヤが敵兵の子供を身籠ったと誤解し、自殺に追い詰めてしまった。さらにその不徳が知れ渡り、ニニギ政権に対する批判が『万の国々悉く大騒動』となり、大バッシングになったようだ。

宮下文書版ニニギはスサノオ孫でもある。不良少年であった為、祖父スサノオに更正されて育つが、『性来気象強情』で、誤解を受けやすかったとも記載されている。

さらにはこの事件、女性が戦場に出れなくなった、直接的な理由の一つではないだろうか?。

 

一般的な天孫降臨とは、ニニギとニギハヤヒによるものだろう。しかし、宮下文書にはニギハヤヒは登場しない。個人的印象でいえば、ニギハヤヒは、ホツマ版アマテルや天別火明命やタマノオヤ、皇別神伝承も内包しているのではないかと見る。

ニギハヤヒの別名といわれている、有名な『天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊』。おそらく櫛玉というのは櫛明玉命≒タマノオヤの別名だろう。故にこれはニギハヤヒの別名ではなく、複数神名ということになる。そもそも『天孫』という曖昧な表記自体が、なにかを誤魔化したい意図があったのではないかと。

 

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タマノオヤ天孫降臨とイワナガヒメ

こうしてニニギの『天孫降臨』は終了する。

しかしニニギ後継、皇太子ヒコホホデミは、まだ若い上に、兄弟や嫁トヨタマヒメと揉め事を抱えていた。このような状況では、ニニギの弟タマノオヤ(アメノタマオヤ)が矢面に出ざる得なかった。西国には、ニニギ外寇後の敵残存勢力や賊軍がまだまだ残っており、東国富士朝勢力による『西征』が急務とされていた。

 

タマノオヤはニニギ同様、アマテラス系とスサノオ系の共通の孫・八王子の一柱。富士朝阿祖山太神宮の二代目司頭長(初代はオオクニヌシ)で、伊豆国を賜り、伊東熱海原『日金の宮』を拠点にする。コノハナサクヤの実姉・イワナガヒメを娶っていた。

この『イワナガ』というのは、イザナギ・イザナミの陵墓で、高天原小室付近にあった『岩長の峯』に由来されていると思われる。彼女は、一般的には長寿の神と呼ばれているが、実際には早世であったようだ。夫タマノオヤと子供数人を残し他界し、熱海日金山(現在の十国峠)に埋葬し『伊豆大神』と称した。この日金峠を後に『伊豆山峠』とも称した。

現在の伊豆山神社はもともと、日金山→本宮社→現在地へと遷座を繰り返しているので、現在地の『伊豆山』とは4~5キロ距離差がある。神社とともに地名も移転してきたのではないかとみる。

 

※因みに岩手県遠野市上郷町『伊豆神社』には、伊豆権現として瀬織津姫が祀られ、坂上田村麻呂英雄譚が伝承されている。瀬織津姫=伊豆大神。宮下文書においての坂上田村麻呂は渡来系ではなく、サルタヒコ子孫であり、富士朝の神官家系なのだ。おそらくは平安時代800年、延暦噴火の際、富士朝が壊滅的被害にあった。理由は不明だが、東北地方に伊豆大神を残そうとしたのではないかとみる。

 

宇都志日金とアズミ族

タマノオヤとイワナガヒメの子神は、宮下文書で現在確認できるだけでも3柱。

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その中でもウサミ(宇佐見)は、大原の『伊東(イトウ)の宮』を賜る。伊東の宮は、静岡県伊東市中心部『葛見神社』に比定され、現在はクズミという神が祀られている。伊東市北部には『宇佐美』という地名もある。ただし伊東は、広義に、熱海〜伊豆半島東岸全体を指していたようにも思える。

こうして夫タマノオヤと子ウサミは、そのイワナガヒメの孫の代、クマノクスヒコにまで及ぶ長旅に出る。もう二度と伊豆へは戻らない、イワナガヒメ陵墓との、実質的な別れの旅でもあった。

タマノオヤ・ウサミ親子、そしてタマノオヤの家臣イシコリドメは、富士朝から西征へと出陣。日高野原(和歌山県?)→住居国(住之江?)→佐波国(山口県)→南島(四国)西島(九州?)へ遠征、その拠点として穴門の宮(山口県防府)をおく。

程なくタマノオヤが死去すると、富士朝に控えていたヒコホホデミ本陣が始動。これにウサミと、その子クマノクスヒコが呼応し、1500余日で西国をくまなく平定し終結した。戦後ヒコホホデミは、宇都志日金命(拆・折はつかない)にこの穴門の宮の守護を任せ、富士朝へと帰還してゆく。

 宮下文書研究家の鈴木貞一氏の推論で言うと、この宇都志日金命は、タマノオヤの御子ではないか?としている。残念ながら宮下文書には、彼の出自までの記載はないのだが、子が親の宮を守護し祀るのは、ある程度のセオリーとみられる。また、名の『日金』というのも、イワナガヒメ陵墓『日金山』を彷彿とさせるのだ。となると、一般的に宇都志日金命の子孫として語られるアズミ族は、ワダツミ系統ではないという結論に至る。

熱海=アタ=アズミ=アズサ。

 

この穴門の宮は、神武時代に『玉祖の宮』と呼ばれており、高確率で周防一宮『玉祖神社』(山口県防府市)に比定される。wikipediaによると、なんと!タマノオヤ死亡地という伝承が残っており、さらに本殿には不祥一座が祀られているという。鈴木貞一氏はこの不祥一座こそが、宇都志日金命ではないか?と推測している。

 

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宇佐神宮とイトウ神

さらに玉祖神社の彼岸である九州(南島)には、豊前一宮『宇佐神宮』(大分県宇佐市)があるわけだ。10代崇神〜12代景行天皇時代に成立したホツマツタヱによると、古代神名『イトウ』が祀られているという。

ホツマツタヱ7文によると、ホツマ版アマテルの十二后の一柱であるハヤサスラヒメ(ハヤコ)が、スサノオと不倫関係にあった。中宮の瀬織津姫により、ハヤコは危険視され、宇佐神宮に隔離されたという。彼女は怒りのあまりヤマタノオロチに変怪し、人々を苦しませ、何も知らない不倫相手スサノオに退治される。その後世、悪女イハナガに転生させられたと記載されている。ホツマツタヱには八幡神は登場しない。しかし、ヤマタ=ヤワタ(八幡)、そして、イワナガヒメと宇佐神宮の関係を暗示しているとみる。

一般的にはイトウ=比売大神=宗像三女神とされるが、ホツマツタヱよりも古い文献内容であるハズの宮下文書に、宗像三女神は登場しない。

 

このイトウ神も、やはり『伊東の宮』=ウサミを彷彿とさせる。九州の宇佐〜日向は後世に、伊豆国伊東から伊東氏が流入してきた地域でもあり、なにかと伊豆国とは縁がある。因みに宮下文書では、一般的に伊東氏同族とされる狩野氏が、富士朝宮下家派生とされる。伊東氏が、富士朝関係氏族でも驚きはしないのだが...。

また穴門の宮周辺を、佐波国と読んでおり、現在でも周防総社『佐波神社』がある。ところ変わって相模国鎌倉周辺には、八幡信仰をしていた清和源氏系統『佐波神社』『左馬神社』『鯖神社』...、とにかくサバ系を称した神社が12社ほどあるのだが...、関係ないだろうか?。

 

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紀の宮≒来宮信仰

ウサミ・クマノクスヒコ・イシコリドメは、穴門から撤収し、木野国長久佐宮(紀州名草)へと戻ってくる。ここでイシコリドメの御子・大力雄命は、タマノオヤの三女・国玉毘女命を娶り、御祖を日野前宮に祀る。これが現在の『日前神宮・国懸神宮』(和歌山県和歌山市秋月)の原型である。現在も境内には、タマノオヤとイシコリドメが揃って祀られている。

さらにクマノクスヒコ(久眞野久住比古命)は、熊野の地へ渡り、御祖神アマテラス・アメノオシホミミ・イザナギ・イザナミ・タマノオヤを富士朝より分祀、これが久眞野山社大神(熊野三社?)ではないかとみる。

こうしてタマノオヤ三代が、西国をくまなく平定したことにより、クマノが誕生した。加えて後世の神武天皇東征時代に、この地域の賊軍が熊に襲われたとのことで皇軍が大歓喜した。これを準え、『久眞野』=『熊野』と表記するようになった。この経緯から考えるに、ヒノクマ(日野前)とクマノ(久眞野)のクマは、同義の可能性もありそうだ。

 

現在『熊野速玉大社』(和歌山県新宮市新宮)の御祭神にはフスミ(熊野夫須美大神)がおり、これは伊東の宮『葛見神社』のクズミともに、ウサミやクマノクスヒコと関係ありそうだ。

前述の鈴木貞一氏によると、現在、証誠殿に祀られている熊野神『家津美御子大神』は、タマノオヤではないかと推測している。ニニギの時代、富士朝高天原、阿祖山太神宮の所在地を、首都『家基都(かきつ)』と定めており、『御饌津(ミケツ)』の語源ともおもわれる。その富士朝の宮主がタマノオヤというわけだ。

 

後世、伊豆にて五十猛命を祀る『来宮神社』(静岡県熱海市西山町)は、木野国=紀州信仰が混ざり合い伊豆国に凱旋、『来宮(きのみや)信仰』に変化したと思われる。来宮=木の宮=紀の宮。時代は特定は難しいが、社伝創建はヤマトタケル東征と関係あるともいわれる。

明治維新後は式内社・阿豆佐和気(アズサワケ)神社とされていたが現在は否定されている。しかし、何故か境内の楠の大樹にのみ、その名を留めている。

御祭神の五十猛命は、一般的に木を植えた神。

しかし宮下文書では、佐渡島や壱岐島など離島管理者であり、海洋部を統治していたワダツミらがこれを継承して信仰していたようだ。彼らは海洋造船に大量の木材が必要だったわけだ。宮下文書におけるワダツミの伊豆諸島海洋拠点は伊豆三島。伊豆には熊野神社も多く、紀州『伊太祁曽神社』も伊豆と関係ないだろうか?。

『走湯山縁起』によると、来宮神は伊豆山神社の地主神としている。

 

まとめ

このように、神代の信仰創世記に、天孫タマノオヤ、伊豆大神イワナガヒメがどれだけの影響を残したかが、おわかりいただけるだろう。ただ、富士朝阿祖山太神宮の事実上トップでもあり、隠されなければならなかった要素もみえてくる。宇佐・日前・熊野といった大神社が、富士朝由来という実情も隠さねばならなかった。

知られてはならず、祀らねばならず...。

 

そして、伊豆大神=イワナガヒメ、こんなことを言われても伊豆の人々は全然驚かないであろう(苦笑)。

むしろ、『やっぱりな...』と思うのではないだろうか?。

大室山浅間神社や雲見浅間神社、イワナガヒメはもう、伊豆にとってもはや馴染みの神様なのだ。これだけの大規模に、イワナガヒメを祀る土地を私は知らない。しかし残念ながら、その祀られている理由を誰も語り継がなかったようだ。

さらに、彼女の家族がこれだけの大冒険をしていたとは、信じられなかったろう...。

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日金峠こと十国峠。富士山の裏側以外すべてが望める奇跡の絶景スポット。


コノハナサクヤ・イワナガヒメの選択の意味。

実質的な、大規模歴史改竄が始まったのは、崇神〜景行天皇の時代と見る。10代崇神天皇はかねがね、先祖代々わざわざ富士朝詣に行かねばならないことを疑問に思いはじめていた。何故、辺鄙な東国田舎に莫大な費用をかけていくのか?。ただそんなことを考えているうちに、天災人災が多発した為に、伊勢神宮ができたわけだ。

・10代崇神天皇『富士朝なんて意味なくね?』

・11代垂仁天皇『でも秦氏の奴らは良い奴だよ!』

・12代景行天皇『反抗するなら、潰す!!』

こうしてホツマツタヱや記紀が生み出され、栄枯盛衰と改竄を繰り返し、歴史が正しく伝わらなくなってしまったのだ。

『伊勢』の本当の歴史、サルタヒコ子孫伊勢国造と坂上田村麿、菅原道真の関係。 - セキホツ熊の謎を追え!

ホツマツタヱ24文によると、伊豆崎の仮宮にて、ニニギがコノハナサクヤヒメとイワナガヒメを天秤にかける描写がある。個人的には、この伊豆崎こそが伊豆山ではないかとみている。

ニニギは、コノハナサクヤヒメと既に結ばれていたが、彼女の母親がコノハナサクヤの姉をゴリ押ししてきた。ニニギは欲がでて姉に会ってみると、それはあまりに恐ろしい容姿で一目散に逃げ去ったと..、.記載されている。ここからニニギがホツマ版天孫降臨神話(国土開発)へと向かう流れとなるわけだ。

そして、このコノハナサクヤヒメとイワナガヒメの母親というのは、宮下文書版カモサワヒメであろう。ホツマツタヱでの彼女は『別雷命』という諱を、結果としてニニギに奪われてしまう。別雷命=三嶋神=寒川毘女。イワナガヒメ同様に伊豆神であるカモサワヒメも、実質ニニギに封印されてしまった形だ。現在、『伊豆山神社』には伊豆大神荒魂として、ニニギが祀られている。

 

コノハナサクヤとイワナガヒメの選択。

 

結局これは何を暗示しているのか?。タマノオヤとイワナガヒメの天孫伝説を、ニニギとコノハナサクヤに転換したと言うことか???。

要因としては、タマノオヤ子孫とみられるアズミ族の衰退もありそうだが...、八幡信仰は秦氏に救われ継承されたとみる。こうしてタマノオヤ夫妻の歴史は、ニニギ系統の子孫である西国天皇勢力に封じ込まれた。

言うまでもなく、ニニギやタマノオヤやコノハナサクヤやイワナガヒメ本人の望んだことではない。後世の人間が勝手に解釈したに過ぎない。

 

 

完全に余談だが。

詳しく忘れてしまったが、日月神示に確かこんな件があったハズだ...。『苦しいのは人間だけではない、神々はその何倍も寂しいゾ』と。

歴史の改竄に次ぐ、改竄。

人間は、自分たちがどれほど神に迷惑かけているのか、気づくことすらしない。古来からの聖地をたった数年で廃棄物処理場にしたり...。『リニア反対!環境破壊だ!』といいつつ、『韓国製メガソーラーはとくに悪影響はない』とかいってたり...。

これが、生きるために仕方がないことなのだろうか?。

 

 

なんか、『神が寂しい』理由もわかるような気がしてきた(泣)。

ついグチってしまったm(__)m。

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日金山付近から、伊東市大室山方面を望む。

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※地図はクラフトマップ使用。

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