2019,8,18
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イワナガヒメといえば、必ず比較される存在がコノハナサクヤであろう。
この姉妹喧嘩には様々なパターンが各地存在するが、敢えて共通点を絞れば『富士山を誉めると嫉妬する…』『祟られる』だ。これらの伝承は姉妹を執拗に対峙させている印象を受け、日本人のみ~んなが心配しているものの、原因がわからないので傍観するしかないのが現状だ。まあ兄弟・姉妹ケンカなんて、当事者にしかわからないもんだろうなあ…。
宮下文書には二柱の仲は一切記載されておらず、謎が深まるばかりなのだが。もしかするとコレ…どれが正しいというよりも…、各伝承を比較して初めて理解できるカラクリなのかもしれない…と思うようになってきた(笑)。
結論から言えば、問題は彼女たちではないのだ、彼女たちの『旦那さん』なのだ。
記紀・ホツマにより、宮下文書版タマノオヤの功績は、兄ニニギに奪われた形になる。
…まあどんな神話であれ、ニニギとコノハナサクヤとイワナガヒメの望んだことではないだろうし、人間が勝手に言っているだけだろう。兄弟と姉妹のねじれ関係、神様とはいえ現状複雑な心境が伺える。
※下は宮下文書の家系図。
コノハナサクヤとイワナガヒメの姉妹喧嘩パターンとは
◯日本書記
おそらくこのパターンが一番有名であろう。
まず皇孫ニニギがコノハナサクヤに一目惚れする。ニニギは父親のオオヤマズミ(オオヤマツミ)に娘を嫁にと打診、オオヤマズミは姉イワナガヒメ共々の条件付きで了承する。ニニギは美人のコノハナサクヤばかりを可愛がり、イワナガヒメは不細工なので相手にするどころか避けていた。ある日イワナガヒメはニニギにこう告げた、『私を選べば岩のような丈夫なお子が生まれたものを、コノハナサクヤの子孫は花のように短命になるでしょう』。それがイワナガヒメの呪いの言葉であり、後世に祟り神と呼ばれる由縁となる。因みにニニギの子孫とは歴代天皇のこと、つまり歴代天皇であり人間そのもの、これは人間の寿命が短くなったことを暗示しているとも云われる。
◯ホツマツタヱ(24文)
熱血ラブストーリー、とてもドラマチックに描かれている。昭和のトレンディドラマを彷彿とさせる描写である。ただ何処となく『シンデレラ』と似て勧善懲悪、一方的なところがあり、コノハナサクヤは全面的被害者、母親と姉イワナガヒメがかなり性悪に描かれている。
伊豆崎の仮宮にて、ニニギはコノハナサクヤとイワナガヒメを天秤にかけ、美人のコノハナサクヤを娶ることになる。このときコノハナサクヤの母神(神名不明)は、しきりにイワナガヒメを推奨するのだが、物腰が粗悪で容貌が悪いため逆に敬遠される。これに激怒した母神とイワナガヒメが『コノハナサクヤの子はニニギの子ではない、アダ種だ』と吹聴する…。伊勢への道中、この噂に惑わされたニニギは、すでに身籠ったコノハナサクヤを宿に置行堀にし見捨ててしまう。
取り残されたコノハナサクヤは、富士山を見渡せる裾野に産屋を立て三皇子を出産、産屋に火を放って自殺を図る。その時、何処からともなく『峰の龍』がやってきて産屋に水をかけ、火中の三皇子を避難させた。周囲の人々は火事に気づき、産屋に残されたコノハナサクヤを救出、輿にのせ父オオヤマツミの宮に搬送した。峰の龍は顛末を、伊勢にいるニニギに教える。ニニギは過ちに気づき、富士山に出向いて何度も許しを請い、改めて求婚する。
最後はニニギとコノハナサクヤは契りを交わして、ほぼ同時期に神上がる(死んで神になる事)。太陽が上る方角(おそらく夏至)、ニニギは最後の赴任先『高千穂峰』に、コノハナサクヤは実家『富士山』に祀られてた。これは富士山高千穂峰レイラインを示していると思われる。
◯八ヶ岳伝承(山梨県北杜市と長野県諏訪郡境)
長野県山梨県境にある八ヶ岳にも富士山対峙伝承があり、昔は八ヶ岳の方が富士山よりも高かったという。それに腹を立てた富士山女神が八ヶ岳をぶん殴り、それで八分割にされたという。一方の八ヶ岳は男神とされているが、山梨県北杜市八ヶ岳権現山頂『檜峰神社』に祀られているのはイワナガヒメである。さらに八ヶ岳山頂から富士山を見るときは『富士山を誉めるな』とわれており、イワナガヒメとコノハナサクヤ対峙伝承と混同された可能性はある。
そういえば伊吹山と竹生島(滋賀県琵琶湖)にも、似たような神話があったな…。
後述するが、静岡県伊東市『大室山』には、何故か『八ヶ岳地蔵尊』があるのだ。イワナガヒメを祀る大室山と、どういう繋がり何だろうか?。
◯宮下文書
残念ながら、宮下文書にはイワナガヒメとコノハナサクヤの直接的な絡みはないので、『これが正しい』とも言えない…。しかし神話の視点を変えることができる唯一貴重な資料なので紹介しておく。
まず『コノハナ』とは『木の花』で少女神のことで、まだ十代前半であったようだ。
時代は富士王朝ニニギの代、『外寇親征の役』があり大陸人が九州・四国に攻め入ってきた。ニニギと后コノハナサクヤは、最前線の九州と四国に別れて共に応戦する。しかし未だ幼かったコノハナサクヤを案じてか?、父神オオヤマツミと母神カモサワヒメが富士山高天原から後を追ってきてしまう。そして伊豆から船に乗るまえ『三島浜』あたりでカモサワヒメが急死、オオヤマツミは悲嘆に暮れながらも単身『愛媛』へ。そこで偶然コノハナサクヤに再会するも、妻を失った悲しみは癒えず、ほどなく『私は三島へいくよ(伊予の語源)』と衰弱死する。これが後世の伊予一宮・『大山祇神社』(愛媛県大三島)の由縁とみる。
その後ニニギが久々にコノハナサクヤと再会、彼女が懐妊していたことに驚き自分の子供なのか?と疑ってしまう(一説には敵の子供を身籠ったと誤解した)。激怒したコノハナサクヤは、戦場を放棄して早々と富士高天原に帰還してしまう。
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コノハナサクヤにしてみれば両親を亡くした上、外祖父コトシロヌシ一家は戦闘で壊滅状態に近く、パニック状態に陥っていたと推測。彼女は富士高天原に帰還すると、無戸室をたて三皇子を出産、『頼む・頼む・頼む』と三回願掛けをして皇子を残し失踪する。こうして富士山高千穂峰中央、『青木が原』の火が吹き出している岩穴(側火口?)目がけて、鹿にまたがり突進して死んだ。彼女の侍女も後追いして火口に飛び込み殉死する。そのタイミングで、富士山が大噴火。
溶岩は『神代満流尾』となって、母神カモサワヒメの陵墓(現在の三嶋大社)まで流れ止まった。人々はコノハナサクヤが母親を慕い、側までやって来たのだと伝えた。
高天原はこの騒動に気づき、無戸室の屋根を破壊して三皇子を救出した。この人物がニニギの側臣・天清住命であり、のちのアメノコヤネ(天児屋根の語源)。彼女の死亡地からコノハナサクヤの『霊石』を掘り当てたのがイシコリドメ(石堀留の語源)。救出された三皇子が、ホデリ、ホスセリ・ヒコホホデミとなる。
ニニギは外寇戦に勝利したものの妻を失ったショックで衰弱死、家臣コトシロヌシと妻タカテルヒメはカモサワヒメの両親でもあり、すべての責を感じ自害した。
現在でも天皇守護している『宮中八神』としてコトシロヌシが祀られている理由はこれであろう。戦争で一家がほぼ壊滅していたのに、彼ら夫妻の忠義心は凄まじいものがある。
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ニニギ亡きあと、弟タマノオヤの戦後処理を兼ねた『西征』がスタートする。
タマノオヤはイワナガヒメを娶りウサミを生む、しかしイワナガヒメは長寿ではなく早世して熱海日金山に埋葬される。ウサミの子がクマノクスコである。
記紀の『天孫降臨』とは、このニニギとタマノオヤの武力行動を一つにして、後世のこの地域に住んだ渡来系勢力を刺激しないように、『国土開発』神話にすり替えたようだ。結果、天孫として選ばれたのがニニギだけであり、タマノオヤはあくまで従者『五伴緒』とされた。
余談だが。宮下文書には登場しない『ニギハヤヒ天孫降臨』神話とは、このタマノオヤの要素も内包しているのではないかと…最近思うようになってきた。ニニギの兄弟として語られ、どことなくニニギ天孫降臨神話とは別系統の印象も受ける。ただし、ホツマツタヱにおいては神武天皇同時代の人物でもあり、様々な神話要素がミックスされている印象も受けるので注意。
10代祟神~12代景行天皇の代に渡来系勢力の立場が逆転すると、タマノオヤと妃イワナガヒメの痕跡は消されていく。これが『ホツマツタヱ』という改竄書であり、イワナガヒメの前世ヤマタノオロチという悪神を産んだ。現代ではニニギとコノハナサクヤ夫妻の歴史が賛美され、タマノオヤとイワナガヒメ夫妻の歴史が曖昧にされている節がある。…事実上の封印である。
※因みに、宮下文書のスサノオとオオクニヌシ子孫は、中国地方で渡来系勢力を監視していた立場で、後に懐柔或いは、乗っ取られた勢力とみる。
大室山の新しい歴史。
伊豆は火山の国、その象徴『大室山』(静岡県伊東市)は4000年~5000年前に噴火した比較的新しい火山である。宮下文書ではコノハナサクヤやイワナガヒメが活躍していた時代をおよそ4000年~5000年前と推定される。但し、コノハナサクヤ死後に三島まで流れた『神代満流尾』は一万年前(一般的には氷河期と呼ばれる)の痕跡であり、姉妹の生きた年代特定は難しい。
大室山は、現在の『イワナガヒメ』信仰の本拠地といっても過言ではなく、これだけ盛大にイワナガヒメを単一祀る地域を、私は知らない。
大室山の東麓にはポツンと鳥居だけが存在しているが、これは大室山自体を御神体にしていることを意味する。もともと江戸時代の『富士講』が富士山遥拝所として開山していたようだが、女人禁制の神仏習合要素が強かったようだ。現在は全国的にも珍しいイワナガヒメ主祭神の浅間神社へと変遷。イワナガヒメを祀る浅間神社は、このほかに賀茂郡松崎町『雲見浅間神社』がある。
一般的に『浅間神社』は富士神コノハナサクヤを祀る神社であり、宮下文書においては『先現(せんげん)』、つまり富士先住民信仰の象徴となる。伊豆国では伊豆大神イワナガヒメを『先現』とみなしてきた証なのだろう。
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また太平洋側には『八ヶ岳地蔵尊』と呼ばれる八体の地蔵がある。漁師たちが海上安全を祈願したとのことだが、…なんで『八ヶ岳』なのだろうか?。奇しくも、前述した八ヶ岳権現岳には『檜峰神社』があり、御祭神はイワナガヒメなのだが。しかも富士山お越えて山梨県長野県境に八ヶ岳があり、レイラインに近い方角となる。
写真の八体は、昭和59年に寄贈されたもの。オリジナル地蔵は背後のコンクリート箱に安置されている。風化による損傷が酷いので作り替えられたとのこと。
※後記、八ヶ岳の秘密がわかってきた(下リンクより↓)
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大室山は毎年二月第二日曜日、観光客らを交えて『山焼き』をする習わしがある。大室山浅間神社の社殿は、カルデラ内壁に横穴シェルター状、コンクリート製なので焼失することはまずない。その結果、草木が焼かれ一年生の草木に保たれる為、山の形状はミニチュア富士というか…巨大富士塚のような形状を保っていられるわけだ。恰も、富士山への対抗意識を燃やしているようにもみえる(苦笑)。
リフト乗り場の由緒書きを要約すると。
…イワナガヒメとコノハナサクヤは仲良し姉妹であった。二人でニニギに嫁いだが、ニニギはコノハナサクヤばかり可愛がり、イワナガヒメは妹の幸せのために我慢していた。ニニギはイワナガヒメの容姿が気に入らないので実家に返した。ところがイワナガヒメはすでにニニギの子供を懐妊していており、大室山に産屋を立てて火をつけ『火の神三柱』を産んだ。
…心なしか、地元の大女神であるからか、他説に比べるとイワナガヒメ寄りだ。
伊豆山~大室山繋ぐイワナガヒメ伝承。 『ムスビ』とはなんだ?。
さて気になるのはこの『火之神三柱』、これはコノハナサクヤのヒコホホデミら火に因む三皇子と対峙させているのだろうか?。…なるほどホムスビか。伊豆国・火牟須比命神社論社ともいわれる伊豆山神社には2014年前後までホムスビ・イザナギ・イザナミが祀られていた。今回、その意味がわかったような気もする。
ホムスビとは日本書記表記『火産霊』、カグツチと同一視される。イザナギの体を焼き尽くしたが、その血や死体から数多くの神々を誕生させ、カグツチの血液から8柱、死体から山津見神8柱生まれた。一般的にはカグツチやヒノカグツチの別名とされるのだが、伊豆国では例外的にイワナガヒメの息子ウサミのことと考えてよいのか…?。それとも『湯河原火山』『多賀火山』『宇佐美火山』の三火山のことだろうか?。宇佐美火山は100万~50万年前の火山、大室山に比べてもかなり古く、熱海市伊豆山方面から伊東市まで火山帯で繋がることになる。
火牟須比、牟須比峯、結(ムスブ)明神。伊豆山の『ムスビ』とは何だろう?。
京都府左京区鞍馬貴船町『貴船神社』の『結社(ゆいのやしろ)』にもイワナガヒメが祀られている。イワナガヒメ別名は『苔牟須売神(コケムスヒメ)』、或いは『古計牟須姫命』ともいう。『苔生す』の『生す』は自然発生と持続性のことばで、神道においての重要な観点という。
『産霊(ムスビあるいはムスヒ)』とは『産霊』『産巣日』『産魂』、言葉通り神を生み出す力である。皆さんも諸説あるだろうが、こと伊豆国に関しての『結(ムスビ)』とは、やはりイワナガヒメに纏わる信仰だと感じてしまうのだ。
ではイワナガヒメは、何を連続的に『誕生』させたのだろうか?。
…私は『信仰』だと思う。
宇佐神宮・玉祖神社・日前神宮・熊野三社・伊豆山神社、一般的にこれらは別々の信仰と思われているが、宮下文書論拠ではイワナガヒメ子孫が作った連鎖的信仰体系で、歴史改竄と共に互いの関連性を縁切られてきた。後世のイワナガヒメ信仰者は、強制分離された信仰の鎮魂、或いは再結合を祈ったのではないか?。それが伊豆山『結明神』であり、貴船神社『結社』であろう(妄想)。
また火山国の伊豆の歴史において、しばしば火と海は『結』、ムスビ信仰となる。火は夜の航海を支える目印、対岸に火を灯すことで闇に航路が拓ける。
5代孝昭天皇の時代、日向国から初島に漂着した『初木姫』も、焚き火を目印に伊豆山まで海を渡り『伊豆山彦』との縁を結んだ。まさに火が結んだ恋愛物語であった。
また別の時代の初島の少女『お初』は、熱海の若者『右近』に恋をしていた。右近の実家は彼女に、100夜通えば右近の嫁にすると約束。そこでお初は、夜な夜な危険な海を小舟で、右近の家の火を頼りに渡って来たという。99夜目、もともとお初に片思いしていた第三の男に灯は消され、お初は暗中模索のなか溺死してしまったという。
そして伊豆山は源頼朝と北条政子の結ばれた地でもある…。
このように、ある意味ホムスビとは、伊豆山神社の歴史にマッチしていた信仰なのかもしれない。
静岡県伊東市富戸にある三島神社には、不漁の際は火をおこし一週間籠り祈願する『参籠石』伝承がある。そういえば八幡宮来宮神社にも摂社・火焚神社があったな。伊豆では火が人と人を『ムスビ』『ムスブ』架け橋となりうるのだろう。
<富士朝めぐり②>西国天皇勢力に奪われた太陽神、そもそも富士高天原は『火』と『水』の楽園だった。 - セキホツ熊の謎を追え!
※因みに宮下文書版ホノカグツチは、ウイジニの御子、ツクヨミの妃である月桜田比売の兄である。
※因みに。古事記に登場するスサノオの子ヤシマジヌミノカミ(八島士奴美神)の妃コノハナチルヒメ。正体はイワナガヒメという…。するとヤシマジヌミノカミ=タマノオヤ比定と考えられないだろうか?(妄想)。宮下文書ではタマノオヤはスサノオ孫にあたる。一般的にヤシマジヌミノカミはよくオオクニヌシと比定される。宮下文書ではヤシマジヌミノカミは登場せず、オオクニヌシとスサノオは『はとこ』同士である。
日金山宇佐神宮レイライン近く、静岡県田方郡函南町『八島手神社(矢嶋手神社?)』にヤシマジヌミノカミが祀られている。コノハナチルヒメは大室山近くの静岡県伊東市『小室山』の『小室神社』の御祭神である。つまり同じ伊東市内の大室山と小室山は御祭神が同一神ということになる。
※因みに。京都府鞍馬の『貴船神社』には、ニニギに追放されたイワナガヒメが『貴船神社・結社(ゆいのやしろ)』に閉じ籠ったという伝承がある。このような追放・幽閉伝承がイワナガヒメを祟り神と解釈させていったとみる。
※宮下文書によると貴船神社とは、神武東征までに命を落とした海軍将校などを鎮魂した神社であり、海軍ワダツミ八子らが信仰していたイワナガヒメを祀っていたものと推測できる。
雲見浅間神社のイワナガヒメ伝承。
イワナガヒメの神社として有名な、『雲見浅間神社』も紹介しておく。
創建年代不詳、延喜式『伊波乃比め命神社』論社、大室山と比べると神社としての歴史はこちらのほうが長い。
雲見浅間神社の伝承によると、ニニギから家に還されたイワナガヒメが悲嘆に暮れて隠れ住んだ場所。妹コノハナサクヤは、富士山から姉のいるこの烏帽子山を心配で背伸びをして覗いていた…、故に富士山は高く美しくなったという。ここでもコノハナサクヤは美しいが短命、イワナガヒメは不細工だが長寿という伝承を残した。さらには大室山同様に、かつて烏帽子山奥宮も女人禁制だったという。
また富士山を褒めるどころか不作を招くとして、『富士山』という言葉自体が禁句とされていた時代もあったようだ。さらには、烏帽子山から富士山を誉めると海に落とされるという。
~記事おわりに~
この神話の対峙関係には、何かをすり替えている節がある。イワナガヒメとコノハナサクヤ、スサノオとヤマトタケル、スサノオと瀬織津姫、瀬織津姫と九頭竜…。それゆえ、何をどう改竄隠蔽したのか?、その改竄過程を探るヒントにもなると思うのだ。そして『祟り神』と呼ばれる背景には、後世の人々が『可哀そうだ』『理不尽だ』と同情の余地にもなっているのが興味深い…。
※地図はクラフトマップ使用。